日記

■2024年08月31日(土)  空じゃないもんなあ
更地に茂る高い草 「公費解体1件」の背景にある、めまいのする重み
確かにこれはわかりますね。通常の解体のようにとにかくすっからかんにしてから壊すわけではないわけですから、余計な手間がかかります。当初の見込みと違ってしまうのは仕方ありませんが、これは実情に合わせてリスケするべきでしょう。

■2024年08月30日(金)  むしろ従来の自動車保険が大口で稼いで小口を売りさばいてきただけでは?
保険料抑える「デメ逃れ」、大口契約で横行か 一般契約者にしわ寄せ
そもそも保険料率の設定に「本来」などという話はありえないでしょう。懲罰的な保険料率を課そうという筋がそもそも間違っています。仮に一般契約者にしわ寄せが来るのだとすれば、大口加入者のフリート契約を排除することで保険料を安くした自動車保険が成立するはずです。自動車保険事業者が、大口主体と小口主体に分かれるはずです。もしそれが起きないとすれば、それはむしろ大口契約から小口契約に移転が行われていた結果でしょう。つまり「間口を広げる「大口頼み」、小口契約でダンピング横行か 大口契約にしわ寄せ」となります。

■2024年08月29日(木)  民事訴訟と刑事訴訟は違う
反論したのに「自白」とした「調書判決」は違法 高裁が判決取り消し
民事訴訟に自白なんて概念があるものですか。この記者は民事訴訟法と刑事訴訟をの違いを知らずに記事を書いているのでしょうか。
こんなことは高校で習うはずですが、被告というのは民事訴訟の概念で、刑事訴訟における刑事被告人の概念とは相当に違いがあります。これは訴答両者間の利害対立を調整するという民事訴訟と訴人が政府(検察官)であり答えるのが(しばしばその政府に拘束された)被疑者でその被疑者に権力が刑事罰を科す構図である刑事訴訟の性質の違い、権力の暴走を防ぐための枠組みであることに起因します。「自白」というのは刑事訴訟における証拠の一つであり、民事訴訟における被告の主張である「答弁」とは違います。むしろ被告の答弁は罪状認否に相当するでしょう。そのうえで、被告の答弁が原告の主張を認めているかどうかがこの件で問題になっていたわけです。
それを自白だなんだと書くようなことをするから、民事訴訟と刑事訴訟を混同するような素人が絶えないのです。報道機関はどうせ啓蒙的になるならそういう違いをちゃんと書くことに意識的になっていただきたいものです。

■2024年08月29日(木)  あの白服着た腹黒爺に学ぶというと頑迷固陋さとこすからさですかね
「憲政の神様」の生き様を講談に いまの政治家に学んでほしい気概
どうも講談は日本修道文化の戦犯で確定のようですね。生き様などと、芸としてもう少しまともな題材を扱おうとは思えないのか、不思議に思います。今後は小学校の先生あたりをこの講談師と罵ることにしましょう。
それはそれとして、尾崎行雄なんぞに学ばれたら市民が困ります。口にすれば民主、行動すれば勝手独裁官のいい例の一人でしょう。それだけに講談の題材には好適なのだとしても、題材を面白おかしく芸のネタに仕立てること自体は表現の問題だとしても、その表現を修身的発想で行うことは、芸の一部とは言えません。もしそれなしに成り立たない芸があるとすれば、そういう芸は反民主・反自由的な芸ですから、禁止されなければなりません。

■2024年08月29日(木)  排除されたものはどこに行くのか
東京の「居心地のよさ」、誰にとって? ソフトに生まれる排除の行方
コメントも含めて、こういうことを言い出す人って、夜中に大音響をかけてダンスパーティーを公園でやる人とかそこらじゅうの壁に勝手に落書きをして回る人とか、それこそ都市部のカジュアルな犯罪、つまり痴漢、すり、置き引き、かっぱらいも容認するんでしょうか。そういうことは排除する、こういうことをする人は排除するというのも排除ではあるでしょう。
公共性というのは無秩序ではないのであって、無秩序でない以上その秩序からはみ出す人は排除されます。街灯をたむろする人だって一定の水準を超えると邪魔になるわけですから、排除というか解決策が講じられることになるでしょう。若者の街などとのんきなことは言っていられないものです。
もっともそういうものを排除した結果としての居心地の良さであるということは自覚しておくべきでしょうね。排除したものの行き先にも自覚的であることが望ましいと思います。

■2024年08月29日(木)  速やかに都府警本部に事業の移管を
ドローン配備に2.5億円要求へ 災害対応や要人警護で 警察庁
全国的な対応が必要な事業について試験導入を警察庁主導で行うことは仕方ありませんが、警視庁を皮切りに都道府県警への事業移管のスケジュールを明確にさせるべきです。警視庁は来年度から自前装備・自前運用が望ましいでしょう。また警視庁には離島での活用も指示するべきです。もちろん離島で運用中のドローンからのデータを警視庁本部でリアルタイムで受信できるよう、無人島を含めた全ての離島に警視庁の予算=東京都予算で高速通信用の海底ケーブルを敷設するべきです。期間は二年以内が望ましいでしょうが、海底調査が長引くことを考えても五年以内とするべきです。逆に言えば、予算青天井で五年以内に敷設を完了させるべきです。

■2024年08月29日(木)  いい加減コンプラ、ガバナンスの徹底や同族経営批判は聞き飽きた
紅麹で揺れる小林製薬からやっと出た「調査報告書」 遅すぎる対応から見る3つの問題
問題というなら、そもそもコンプライアンスやガバナンスが外付けでしかないという事実そのものでしょう。普通に大規模化していけば小林製薬のようになることの方が当然であり、かつ問題が起きない限りはその方がコストパフォーマンスが高いと言えます。これはコンプライアンスやガバナンスを当然視する側からはフリーライディングやダンピングに見えるのでしょうが、むしろどこかでコンプライアンスやガバナンスを積極的に組み込む形に革命的転換を図らないと危機発生時に潰れるという話の方が小企業と大組織の不連続性を示しているわけです。それを「1つ目は、小林製薬が企業の基本姿勢を含め、はたして利用者の健康維持にかかわる製品を扱う資質があるのかという問題。2つ目は、監査役および社外取締役を含めた経営における重大なチェック機能が働いていなかったというガバナンスの問題。そして3つ目が、同族経営の弊害、それに対する認識と対処の甘さという問題」とまとめてしまうのは、安易なソリューションのパッケージ化、歴史的視点の欠如、もはや黴の生えた近代化路線に盲従した経済性を劣化させる視点のように見えます。
もちろん産業衛生学や企業統治論、組織論というのは一定の必然性があって発展してきたもので、参照するに値する話です。とはいえ、これらが特に日本で過剰な規制に直結し、産業の効率性を損なってきたことも事実です。それはおそらく共通のパッケージで問題に対処できるという近代化思想、組織のスプロールという問題への理解の浅さ、近代的革命思想ないしは改革思想への罹患が原因でしょう。革新は常に正しいというわけで、そこには弁証法的革新への愛好はあっても自然な発展を観察する視点はありません。理屈を学んでその理屈だけから事案を眺めてきたインスタントなマネジメントによくある話です。これが通ったのはむしろ1990年までだと思います。

■2024年08月28日(水)  身の丈に合わないことをするから
DIC川村記念美術館が来年1月に休館 赤字続き移転・縮小を検討
資本家が美術品を買い集めることは勝手ですが、事業法人が事業でもないのに買い集め、維持するのはナンセンスだといういい例でしょう。こういうことは資本家の器でするもので、企業の事業としてするべきではありません。社会貢献などと身の丈に合わないことをするから経営と背馳するのです。
この意味ではこの美術館自体は公器だと思いますので、美術・文化業界が維持と運営を引き受けるべきでしょう。用地を含めて美術館全体を財団化し、基盤となる金融資産を集める活動を、文化人がするべきです。

■2024年08月28日(水)  その分経産省を減員というわけにはいかないですかね
公取委、巨大ITに対抗すべく体制強化へ 担当職員3倍超に増員
巨大IT対応はいいのですが、古典的なプラットフォーム商売を含めた適用除外の廃止に向けても取り組んで欲しいものです。出版物の再販価格維持制度もそうですし、雇った記者に記事を書かせる報道・編集という事業もそうです。後者は、企画と流通が一体化しているという意味で極めて不健全な状態を利用して報道の高コスト化と特権化を推進してきました。経済効率の向上と報道業界における公平や競争の確保の観点から見て、少なくとも全国紙の解体と記者の雇用制度の廃止、つまり報道記者がマスメディアに記事を売る形の再建は必須でしょう。
もちろんそれだけではないわけで、第六章全廃のための調査機関を設置するべきです。
それと、調査員を増員するのはいいのですが、委員は増員しないのでしょうか。さすがに対象分野の拡大や高度な専門化の進展から言って、五人では少ないと思うのですが、十人くらいにしませんかね。できれば上がりだけではなく、準教授クラスの専門家を委員として一定期間登用するようになるといいように思います。
ところで、公取の増員はむしろ当然として、公務員の総定員は増やさないというのが今でも原則ではなかったかと思うのですが、その分他の官庁を減員すべきではないでしょうか。例えば経済産業省など、産総研と外為規制以外はいらないはずです。というか外為規制だって法務省でよいと思います。

■2024年08月28日(水)  きれいな口語などない
大阪弁は吉本弁に?豚汁をどう読む? 上方落語家が思うきれいな大阪
まあ、汁をしると呼ぶなら豚はぶただろうとは思いますが、そもそも和語、つまり訓読みは汚い音が多いので、和製漢語(豚汁もそう)もろとも使うべきでないとは思いますね。和製漢語にしても肉醤煮とでも呼ぶべきです。
それはともかく、文語はともかく口語は変わっていくものだと思います。現代標準日本語(東京語ベース)も酷いとは思いますが、近畿の口語だって酷いものです。言文一致運動など黒歴史と片付けたくなります。ですから、口語がどう変わろうがなくなろうがどうでもいいことでしょう。

■2024年08月28日(水)  首で絞める魚もありはするのですが
頭と胴にくびれがない魚、首はあるのか? 骨が「一つはある」らしい
体の中央、脊椎とその延長に沿って基幹の神経系と循環系がある、頭骨のすぐ後ろでそれが急所になっているという意味では首は魚でもある(鰻の類はそこで絞める)わけですが、骨格については肋骨(魚の場合は腹骨)の有無で首の骨かどうかが決まるわけですね。魚の場合、むしろ脊椎の背側に生える突起の方が目立っているわけですが、これは関係ないのでしょう。言われてみれば、哺乳類でもこの突起は首まであるわけですし。
この分化が発生過程にあるかどうかで首の骨があるかどうかを判定するというのは一定の妥当性がありますし、単に胸椎が頭骨までつながっているだけならそれは首ではないというのもわかります。それでともかく分化が見られたということであれば、頚椎の発生は魚類にまでさかのぼることになります。その前は脊索だけがある状態になるのだと思うのですが、これは頭と胴は分かれておらず、首と呼べるものもないはずです。つまり脊椎の発生過程のかなり早期に頚椎と胸椎の区別ができたということなのでしょう。

■2024年08月27日(火)  むしろそういう信頼を捨てることが文化人としてのイニシエーションだと思うのですが
言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸
「自分が社会批評的なことを述べているとき、自ら世のリベラルな言説に合うように、もっといえば美味(おい)しく消費されるように盛りつけて差し出している」
気持ちはわかりますが、そもそも社会的な言説というのは立ち位置を問わずそういうものだと思います。私はそうでなかった時代を知りませんし、建前はともかくそうでない時代があったとも思いません。社会化が個を圧殺するものであるのと等しく、社会的言説も個を捨象して消費されるものです。またそのように盛り付けて差し出す技術を身に着けるのが言論人としての訓練にほかなりません。そうでなければ、個人の心情を語る随想の形をとるか、フィクションに走るしかありません。

■2024年08月26日(月)  こういうことこそ政府ではなく自民党が議論するべき
災害対応の司令塔「防災監」を新設へ 2025年度、政府が方針
またそうやって行政に権力を集中しようとするわけですね。災害対応ならともかく、防災なら日常の長期的施策ですから国会の方が適任でしょう。何も内閣が一般行政としてする必要はありません。立法の方が適切な基盤整備ができるはずです。

■2024年08月26日(月)  都知事に抗議するんですか
「逃げ回る姿、恥ずかしい」朝鮮人追悼文不送付で小池都知事に抗議
関東大震災時のいわゆる不逞鮮人虐殺問題への姿勢はともかくとして、むしろ自分たちが恥ずかしいことを他人に押し付ける態度の方がみっともなく見えます。
個人的にはあの事案については極めて問題があった事例だと思いますし、官民ないまじったパニック犯罪行為の例の一つとして学校で教えるべきものだと思いますが、それと今の東京都知事がそれをどう考えるかは別の問題だと思います。もちろん東京都知事に学校のカリキュラムを云々する権限は本来ないわけです。それがあるのは文科大臣と中教審でしょうね。ですから東京都知事は粛々と文句を言わずに都教委を通じて学校にパッケージでお金を出していればいいわけです。学校が虐殺事件の学習について外部からお金を払って人を呼ぶとか遠足に行くとかいう支出を伴う行為をしようとすれば都知事が容喙する余地がありますが、普通に教えている分には都知事に口をはさむ余地はありません。また都知事は単に都の行政組織の長というだけですから、倫理的に都や都民を代表することもありません。それをするのは都議会です。その意味では都知事が都知事名義で追悼文を送付したことの方が、都議会が追悼文を送付するという条例を定めているのでもなければ越権行為でしょう。もちろん都議会がそういう条例を作っているのに追悼文を出さなかったらそれは職務怠慢です。逃げ回って恥ずかしいとかいうレベルの話ではないわけです。
こういう倫理的な行為をしている人たちは、その倫理を他人に押し付けるわけには、たとえ人類に対する犯罪的行為であってもいかないということを認識してほしいと思います。件の行為は反省し防止措置が取られるべき行為だとは思いますが、もはや祖父や曽祖父の代の行為であり、さらに大日本帝国時代の行為であって、現役の日本国民にはせいぜいが他人の悪行という以上のものではありません。それは樺太や千島列島全体が台湾島や朝鮮半島と同じで日本の領土ではないのと同じことです。小池百合子氏は朝鮮人虐殺を否定した歴史修正主義者だと言いふらすのは構いませんが、それはマスコミや小池氏の事務所宛にするべきことであって、東京都当局にすることとは思えませんし、まして小池氏が東京都を代表して追悼文を寄せるべきとも思えません。
公私は混同するべきではありません。

関東大震災の朝鮮人虐殺、否定論やまず 公的記録、相次ぐ「発掘」
都知事の公務は都知事である人の思想信条にかかわらず淡々と誠実に執行できるものでなければなりません。「追悼」のような心情まみれの行為はむしろ都が音頭を取るべきことではありません。ですから筋論から言えば関東大震災の追悼行事も都がするべきではありません。
そのうえで、都知事でない小池百合子氏とまっとうに関東大震災における風説の流布とそれに起因する朝鮮人虐殺への認識について議論すればよいことですし、個人小池百合子がこうした特筆すべき事例についてもみ消すことを旨とするなら、それを - 都知事ではなく - 政治家としての資質に問題があると非難すれば済むことです。なかったのだと信じること自体、あるいは胡乱な集団の虐殺はあって当然だという考え自体は個人の思想信条の自由の範疇ですが、それを事実を捻じ曲げる形で行うのは公人たる資格は欠くでしょう。
一方で、繰り返しになりますが、都知事の公務はそうした個人の思想信条に必要以上に影響されてはなりませんし、個人の思想信条に反する行動を強いられることも原理的には虐待行為なのですから、せめて、自分の本意ではないと主張するくらいの余地は残しておくべきですし、自分の思想信条に反する主張を自分の心情として披露させるようなことも望ましくありません。執行官として赤字公債の発行を執行することは都知事の公務であり、都議会が決定し総務省が認めた発行を都知事が自己の思想信条に基づいてストップすること、あるいは逆に都議会も総務省も認めていない発行を都知事が一存で行うことのいずれも許されないのと同じです。その時に都知事が、赤字にしろ財源不足にしろ自分の本意ではないのだと主張することは認められてしかるべきなこととも同じです。

■2024年08月23日(金)  ウィキペ見ろとか紛らわしいとかあるとは思うのですが
日本国際放送、NHKラジオ国際放送などでの不適切発言について「当社ではない」→「この件に関してはNHKにお問い合わせください」
日本国際放送はテレビの会社なんで、ラジオの話を持ち込まれても困るというのはわかります。そもそも当事者でもないわけですし。
とはいえ、業務を変に階層化してどこが主体なんだかわからないというのは、よろしくないのではないでしょうか。事業が国際放送であることや社名から言って勘違いすることにもそれなりの正当性はあると思います。まあ、突撃する前に会社案内を読んでいれば関係なさそうと判断できた事例だとは思いますが、放送事業がテレビ・ラジオ兼営なのは大手において一般的で目に入りやすいわけですし、それで社名にテレビジョンと入っていないのではラジオもやっていると思われても仕方ありません。事業側の都合ではなくて、ど素人にもはっきりわかるように分割しておかないと、この手の問題はいくらでも起こるでしょう。ネットテロで業務停止に追い込まれてからでは遅いように思います。

■2024年08月23日(金)  むしろそれがお似合いのような
東電、デブリ作業延期に「情けない」 福島県は「体制に問題」と批判
「最初の段階でつまずいたことは、情けない」
どういう趣旨にしろ、こういう発想だから躓いたという気がします。どうにも、そんなところで躓くはずがない、できて当たり前のことだという臭いが漂っているのです。それではチェックなど行き届くとも思えません。むしろうまくいくことなどない、問題が出て当たり前という態度で臨むべきですし、そうしていれば情けないなどという言葉は出てこないのではないでしょうか。

■2024年08月21日(水)  大学教授の品性…
大阪大が教授2人を盗撮で諭旨解雇 6月に相次ぎ逮捕などされる
まあ、盗撮をするような人が教授をしていると思うと安心して大学に通えないことは確かですが、大学教授にそういう品性を求めるのが妥当かという点は気になります。また「諭旨解雇」というのも気になりますね。
少なくとも大学教員の公募で、例えば「性向善良で不品行がないこと」という条件が出た例があるのでしょうか。そもそも大学教員は専門的な識見と教育能力を基準に選考されるものであって、大学内での品行はともかく、外で盗撮して逮捕されたから不適格とは言いにくいところがあると思います。
それと、大学行政当局が学長や学部長の名義でこういう処分をすることは、大学行政当局に教授を支配させるものということにならないでしょうか。事案が事案だけに抵抗はしにくいとは思うのですが、品行に関する問題であれば本来教授会が教員を除名し、その結果大学当局が解職するという手順が望ましいように思います。

■2024年08月21日(水)  心情論や精神論と公平性は違う
滋賀学園のダンス、かわいそうですか?全力の経験は夢へつながるはず
まあ、そこは納得してやっている、はずではありますね。
とはいえ、競技における出場機会の問題は「全力の経験」で済ませていいものとはあまり思いません。もちろん野球やサッカーというのはそういう競技なのですが、同じ球技の団体競技でも例えばテニスやバドミントンのダブルスの場合ペアを作れれば出場できるわけです。一方で「全力の経験」という発想が通るのであれば、部員不足で出場できないという状況だって「全力で部員集めをして届かなかった経験」として前向きに消化できるわけですよね。そういう発想でよいのでしょうか。というか、そういう発想が通る競技を学校で公式の課外活動として行ってよいのでしょうか。本来そういう経験は出場選考での当落ではなく競技で負けることを通じて得るというのが望ましくはないでしょうか。
また応援というのであれば、こうした競技会における応援行動にも問題があります。競技や競技会に何の興味も持たない生徒が応援と称して強制的に動員されているのが実情ですし、これも「青春の一コマ」、「伝統」として容認されています。個人的にはさぼりこそしませんでしたが、正直良い思い出が全くありません。さぼって本屋にでも行っていた方がよかったと今では思います。

■2024年08月21日(水)  まずは無能な経営陣が居座っている会社を潰しては?
JR九州、1日2千人未満18区間で赤字55億円 23年度収支公表
そんなに赤字が問題なら破産すればいいでしょうが。会社を続けてるから関係者が続いてるなら大丈夫だと勘違いするんでしょう。経営陣が当事者能力を放り出してしまえば、後は関係者が主体的に何とかしますよ。
会社の赤字というのは単純に経営者の赤点であり、どんな経営者でもどうにもならないというなら関係者で経営の枠組み自体を変えるしかありませんし、その際には結局その時点の会社という枠組みは廃棄されることになります。それを事業を切ってでも会社を存続させようと言うから文句を言われるわけで、赤字を出したら経営者は後任の指名も全部株主総会か破産管財人に任せて退任するしかないと思いますよ。

■2024年08月21日(水)  そんなことを言われても、炭水化物も脂質も大好きですので
収縮する経済社会を考える
「抽象的な交換価値の大きさを追い求めるのではなく、社会的労働が生む有用性を判断する価値の転換が生じるだろう。」
この人、問題意識はまだしも思考全体が1990年で止まってるんじゃないでしょうか。コロナパンデミックがどうこう言う以前に、こんな発想は1990年代からさんざん言われているのであって、アベノミクスがどうこう言う以前にそれにも関わらず具体的な方向が見えないから問題なのです。
そして使用価値がどうこうといいますが、哲学者の皆さんは使用価値を客観的なものとして定式化しようとしてことごとく失敗しています。つまり使用価値は抽象できないのだと考えるしかなく、そうであれば抽象可能な交換価値から抽象不可能な使用価値に有用性の判断基準を移すということは、取引を経済的に分析できなくなるということでしょう。貨幣には交換価値しかない、使用価値がないということを、この人は理解しているのでしょうか。使用価値がないからこそ純然たる普遍的交換価値として計量と媒体、そして貯蓄に使えるのです。使用価値では普遍性がありません。とりあえず今の私にとってマニオクが貨幣価値しかないのと同じことです。うかつに使用価値を敷衍すると、それこそカロリーとしては同じだから小麦じゃなくて米でいいだろう、白いトウモロコシでも黄色いトウモロコシでもいいだろう的な発想になると思います。こういうのを机上の空論と言います。せっかく貨幣価値を基盤にすることで机上の空論でなくなっているものを、机上の空論にしかなりえないものにしてどうするんでしょうかね、この人は。

「人類社会が21世紀で没落消滅するのではなく、肥満症を徹底して治療して、健全な社会を作り上げる歴史的時代に入るのだと考えれば、収縮過程を悲観する必要はない。新たな歴史的社会条件の中で、人類は再び新たな歴史社会を構築すると期待したい。そのためにも、社会的価値観の転換と賢い社会的リーダーが必要になっていくだろう。」
はい、政治的プラトニズム出ました。悲観する必要はないでしょうが、賢い社会的リーダーなんてもので何とかなるんであれば三千年前に何とかなってます。社会的節制を呼びかけるよりも社会自体が肥満の元だと考えた方がましだと思いますね。

■2024年08月20日(火)  そのチェックが胡散臭いと思われているんだと思いますが
新聞協会「SNS事業者の責務、強く打ち出しを」法制化提言案に意見
「ネット上の情報の真偽を監視する「ファクトチェック」に関して、新聞やテレビといったメディアが担う役割や責務」
まあ、反省がないんでしょうね。こういうコンテンツモデレーションの発想が不信を招いている、エリートのファクトチェックよりは真偽定かならぬ噂の乱舞の方がましというのがSNSの基礎です。そこをファクトチェックなどと言い出せば、結局事前検閲、報道統制に結びつくだけです。地道に手渡しのコミュニティニュースからやり直してはいかがですか。

■2024年08月20日(火)  なるほど、高校野球は宗教ですか
歴史の一員になりたいから、人は聖地に足を運ぶ 植島啓司さん観戦記
「まさに甲子園は聖地らしい聖地と言えます。」
なるほど、つまり甲子園野球場は高校野球教の聖地であると。まあ、納得がいきます。
とはいえこの場合、公立高校はそのような宗教活動、これは現代的にはスピリチュアルなものを含むと考えるべきだと思いますが、宗教活動を行うことは不適切であるということですね。公立高校が宗教活動を行うことは、原則として不適切です。私立高校なら別ですけど。それは国家神道との対峙を基盤にした日本国憲法体制の政教分離原則から導かれます。つまり公立高校が高校野球に関わることは憲法違反ですね。私人間効力のヘチマのという話ではなく、公権力によって支持される公的機関の宗教行為そのものなのですし、ましてや部員でもない在校生が応援という形で動員されることが当たり前になっていることを考えれば、公的機関における政教分離原則が厳格に適用されてしかるべきです。少なくとも教員が参画し活動予算を支給し学校の名義をもって公的活動を行う便宜を図ることは厳禁でしょう。宗教活動はいかなる意味でも公的教育に含まれてはなりません。それは私立学校における私的教育の特権です。
また、これは私的な問題とはいえ、中立を標榜する報道機関が宗教団体であるのであろう日本高校野球連盟を後援し聖地でのイベントを共催することも疑問に思います。

■2024年08月20日(火)  儲けを出そうと思わなきゃどうにでもできる
期待のジビエ施設暗礁に 代表のハンター連絡とれず 国の交付金事業
まあ、他人の金で何かしようとする人を信じる方が間違ってますね。幸い施設は残っているわけですし、損失を処理して代表者に利子付きでつけておいて、他の人が立て直せばいいと思います。

■2024年08月17日(土)  Windows 11
ミニデスクトップマシンながらニューマシンを入れました。一世代前のAMD Rysen 7を積んだAOOSTAR ミニPC AMD Ryzen7 7735HSです。ちなみに形式はGOD77でして、何か中二感があります。メインメモリ32GB、SSD 1TBです。もっとも1TBでは不安があるのでユーザーコンテンツフォルダーをUSB接続のハードディスクに飛ばしました。
マニュアルはもはや慣れた中華風ですが、それ以前に書かれていないことが結構あります。例えば筐体を開けるのにねじを外せと書いてありますが、そのねじがどのねじで、どんな工具を使えば(あるいは工具なしで)外せるのかは書いていないのです。まあ、今回はベアボーンではなくちゃんと動くものなので開ける必要はないわけですが。どうもこのねじではないかと思われるねじはトルクスのようです。HDMIケーブル一本も同梱されており、買ったらモニタにつなぐことができずに慌てて買いに走る的なことはありません。一方で、当たり前ながらキーボードやマウスはついていませんので、必要な人は別途買いましょう。モニタは、とりあえず家にあるHDMI入力付きテレビで済むはずです。ちなみにネットワークケーブルもついていませんが、Wi-Fiは搭載しており、むしろ筐体後部のRJ45レセプタクルの用途がわからない人の方が多いかもしれません。Wi-Fiのアンテナが見当たりませんが、筐体の中にあっても不思議ではありません。電源の受け口はどう見てもUSB Type-Cなのですが、そう書かれてはおらず、電源アダプターもUSB給電器だとは書いてありません。電源入力仕様は直流20Vの5Aとなっています。直流なら24Vが常識ではないかと思うのですが、半端です。
ところで、箱にMINI COMPUTERとかSUPER PERFORMANCEと書いてありまして、うーん、なんか懐かしのDECから買ったみたいだと思ってしまいました。梱包は樹脂製クッションが多用されており、日本製でたまに見かける段ボールだけ使ったエコな包装ではないものの、十分しっかりしています。
少なくともCeleronよりは快適に動きます。Celeronだとワンテンポ遅れてついてくる操作がちゃんと違和感なくできます。つまりCeleronではシーケンシャルな処理は快適にできてもインタラクティブな処理は難しく、Rysen 7735HSはそんなことはないわけです。とはいえそんなのは当たり前なわけで、ある程度重たい処理をさせてみないと本領はわかりません。もっとも、処理の規模が大きくなるとさすがにUSBやハードディスクでもたつくようです。なぜかWindowsのセットアップが完了した時点でキーボードが102キーボードに設定されていました。設定変更で対応できましたが、キートップの印刷と違う文字が出てくるとぎょっとはします。
Windows 11が何やら怪しいのはマイクロソフトが売り込みを図っている以上仕方ないとして、プロセスがWindows 10の時よりもメモリを多く食っている気がします。なんか8GB程度だった消費量が11GBになっています。今のところ動かしているプロセスはむしろ軽いものばかりのはずなのですが。Webブラウザですかね。
9/1、OSのアップデートで食いきられたギガが回復してようやく動くレベルになりました。とはいえ、なんでまたメインメモリ32GBもあってEdge、AndroidStudio、VisualStudioで食い尽くすんでしょうか。コミット済み50GBです。Windows 10だと同じことをしても9GBなのですが。

■2024年08月15日(木)  約4700万円よりも労働時間に含める施策を公式化する方が大事なんだろうなあ
「着替えも労働時間」 看護師ら約4700万円の未払い賃金求め提訴
着替えが労働時間というのはむしろ当たり前の話で、そこを踏まえてシフトのオーバーラップを設計すべきなのです。労働時間に端数が出ることになりがちという問題はあるのですが、少なくとも賃金の計算に入れないというのは論外です。
また休憩もなかなか難しい問題で、個人的にもよほど工夫しないと取れないように思いますし、サービス業はなおさらです。時間交替で作業と事務を担当し、事務の時間に休憩を入れる程度の工夫はしないと、保障しきれないでしょう。
とはいえ、事業が病院となると、着替え時間の労働コストって持ち出しになるんじゃないでしょうか。そこは厚生労働省に算定基準を整備してほしいところです。看護婦の配置基準が八時間三交代ベースだったら計算に入らないわけで、せめて六時間五交代程度をベースにした配置基準にしないと無理でしょう。

■2024年08月14日(水)  それでもというよりはだからこそかも
GDPは百年前に「逆戻り」 それでも日本は「強兵」路線に進むのか
まあ、政策的な軍事力強化はむしろ貧乏で弱体な国の取る政策ですからね。それこそ明治日本の行った強兵策などそうだったわけですし、一方でそれが重工業の振興につながった面もあります。後者はソ連での軍拡やそれとも結び付いた宇宙開発や核開発も例になるでしょう。
なお、タイトルはこの場合GDP順位とでも書くべきであって、GDP自体はおそらく1920年代とはインフレ調整をしても段違いだと思います。ですから絶対額としては、インフレ調整をしてすら日本にも軍事力を拡充する余地はあるでしょう。対GDP比としても言ってみれば2パーセントという話であり、国家予算の中での比率としても10パーセントかそこらです。また軍事力の規模が必ずしも自分で決められるものではない以上、軍事力の適正規模を対GDP比から論じることには疑念もあります。少なくとも今の日本の軍事戦略から見て、対GDP比1パーセントは明らかに不足です。その結果末端隊員が低処遇に苦しみ、訓練の玉代や訓練施設の更新費が出ないようなことにもなっているわけです。話の筋からしてF-35かパトリオットか、いずれかの増備は必要ですし、もちろんパトリオットの発射訓練だってもっと頻繁に行う必要もあり、その場合うち落とす模擬弾だって必要です。装備はしたものの実戦は機械任せ、その機械が動くかどうかは工場での動作確認だけが頼りなんてのはナンセンスです。また未確認機や領空侵犯機への対応を充実するなら有人戦闘機は必要です。これは適切な性能のものが一定数あって、それを十分な練度の部隊が運用するという話ですので、ケチったら意味を成しません。
逆に戦略相応の軍事費を投じないというのであれば、戦略自体を変更することになります。軍事的な防衛や警備自体を考慮しないとすれば軍事費はほぼゼロに落とせるでしょう。あるいは過激な対応でもって抑止するという発想にすれば効率化できる可能性もあります。例えば不審な飛行物体は即ミサイルで攻撃とすれば有人戦闘機を装備する必要はありません。まあ、不審機は問答無用で撃ち落とすという極端な方針が国際的に受け入れられるものかどうかは極めて疑わしいですが。

■2024年08月13日(火)  スポーツ商人の愚見
ハンガリーの五輪メダル賞金と年金事情
合理的ですがナンセンスです。
アマチュアというのは自主的に自己の資産を持ってある活動に身を投じているのであり、その報奨を受ける、報酬があるからするという発想はアマチュアリズムをはみ出すものです。他人のためにその活動で得てきた能力を用いて報酬を貰うというならともかく、オリンピックなりに出場することが国家のためであるといった発想は全体主義的ナンセンスでしかありません。国家は活動の中立的な基盤ではあっても、エモーショナルな家であってはいけません。また競技会も個人たるアスリート同士が技量を競う場としてはありでもアスリートでないものが威信を賭け誇る場であってはなりません。
振興にしても、運動競技など振興しても何の意味もありません。せいぜいプロ化を促して広告宣伝市場を拡大する程度でしょう。競技における達成は確かに競技者の修練と人間の能力の高みを示すものではあるでしょうが、その先にはさらなる達成しかありません。その能力を直接的に活用して生み出されるものはないのです。そんなものを振興する意味はどこにもありません。

■2024年08月12日(月)  コーヒーに生えた黴
一か月半ぶりに実家でコーヒーを入れようとしたら、コーヒーメーカーの中で出し殻が黴ていました。モカを使う皆さん、コーヒーメーカーは使ったら洗って乾かすまでがコーヒーを淹れるという作業です。絶対開け忘れてそのまましまったりしないようにしましょう。
もう、中にべったり張り付いて、数回空で沸かし直してこびりついた黴たコーヒー殻を落とす羽目になりました。

■2024年08月12日(月)  市当局が利用にフィルターをかける方が問題があるわけで
旧校舎で女性タレントら120人の制服撮影会 「性的興行」と反対も
できるからとやっちゃう方も品性を疑いますが、女性タレントの撮影会を企画するような人たちに品性を期待することに無理があるわけで、歯止めが必要なら別のところに設ける必要があるでしょう。
まず住民としては所有名義人であり管理者である市当局に期待をしているわけですが、自治体当局というのは住民に対してだけでなく公正さを要求される立場ですので、明確に犯罪と判断できる事例以外での利用拒否はむしろさせるべきではないと思います。つまり市当局がこの手の利用を拒否することは不可能と見るべきです。
一方指定管理者制度なり払い下げなりの形で住民団体に管理権を移転できれば、それをどう使うかは管理権を持つ側の判断になり、公的なイベント会場として使う場合を除き住民団体が一方的に利用の可否を判断できる立場になります。別にその基準が住民団体の事業方針の範囲内であれば偏っていてもいいのです。うちの会社の事務所に使いますと借りた場合に写真撮影会に開放する筋合いはないのと同じことです。一方で、最低限施設の維持費用だけは住民団体側で負担することが必要になります。使用料とか税金とかはそもそも市が持っている状態では期待できないわけですから、建物の維持費や光熱水道料金あたりだけにすることは可能だと思います。
住民の苦情ということで、問題を苦情の内容通りに捉えるわけにはいかないにせよ、そもそも市の設備でこうした趣旨のイベントを開くことの是非に議論があることは明らかです。実際思ってもみなかったイベントが開かれることで不安を感じるということはあるでしょう。かといって違法なものでない以上行政当局がだめとは言いにくいということは、市当局としては公正さを確保するために言っていかないといけません。条例で決めても裁判所にひっくり返されかねない話だということをしっかり主張しておかないと、行政の誠意が疑われます。そこを前提としたうえで、どういう形にすると市の財務的な負担を軽減する形(何しろ建物がある限り維持費はかかりますし土地があれば管理費がかかります)で住民が不安にならない形に落とせるか、そのために住民としてはいくら払えるかという話をしないといけないのだと思います。まあ、話し合いをせずに不満な住民が立ち退いた方が速いという話はありますし、その結果施設周辺の治安が悪化してもそれは仕方ないという判断も可能ではあります。

■2024年08月10日(土)  こういうのを鮃を育てるというのでは?
奴隷化する大人たちへ 「叱りゼロ」で子を伸ばす、行動変容の心理学
「直せない行動の問題は、ない」 闘う心理学者・奥田健次さんの怒り
方法論や扱いを問題にしている記事にせよ、ある行動を直すという発想には問題があると思います。もちろん不足があると買って済まそうという行動や問題があると話し合いで民主的に解決しようという発想は直してしかるべきかもしれませんし、そもそも直すのではなく場に即した行動を身に付けると考えれば特定の場に関する限り通用するかもしれませんが、正しいかどうかで言うなら、不足があるなら金や他所の供給者に頼らず自分で用意する、問題があれば手の届く範囲で問題自体を解消するか問題が起きない距離を取るというのが正しいわけです。その意味ではいくら褒めようが全体主義は全体主義です。行動・報酬系の教育論も結局のところしつけや動物に芸を仕込むのと同じ論理であり、極めて危ういものと言えます。
もっとも、親の行動パターンの矯正という意味では説得的な話ではあります。静かに秩序だった行動をしていると良いことがあると仕込めばいいわけですから、方向性は与えられていると言えます。もっとも、おそらく親の相当部分としては都合の付かないときに子供を構いたくないわけですから、戦略的に振る舞うにしても騒ぐと叱る、嫌な思いをさせる方が楽ではあるでしょうね。子供としてはそれなりに切迫した事情があって親に構って欲しがるわけで、空気を読むなんてのは相当後の段階です。つまり親の都合などなかなか考えてくれません。一方でそこで親が対応を拒否したり叱ったりするとネグレクトや虐待になりかねません。叱りゼロには親の価値基準の転換が必要でしょう。とにかく子供を放置せず、子供に先回りして物事を処理してしまうわけです。子の奴隷になるにせよ子を奴隷的に扱うにせよ、能力に限界のある子供を保護することを優先できないのであれば子育てなどしないのが一番ではないかと思います。

■2024年08月08日(木)  むしろちんたら物語を展開している方が変だと思いませんか?
切り抜き動画から140字小説まで「要素」だけでなぜ満足できるのか
日本人がそういう「なぜ」を発しますか。たった三十一文字、あるいはその半分で満足してしまう文芸を持つ民族が。
通俗的な表現としては、ショートというのは結構普遍的に見られると思います。一生懸命巨大な記念碑的作品を作ってしまうのが高踏表現の通弊だとすれば、要素をクリアカットして誇張するのが通俗表現の特色の一つです。風刺画などそのいい例でしょう。世界に冠たる日本の表現であるテレビCMもそうではないでしょうか。もちろん古典的な意味での高踏と通俗の分類は現代に相応しくないので、クラシカルな方向、あるいはその反対を向いているものを高踏、そうでないものを通俗と分類するわけですが、この通俗表現の「切り取り」や「ショック」という技法は高踏表現の一種である前衛表現にすら取り入れられたことのある当たり前の技法です。むしろ物語の方が、なんでそんなもので満足できるのかを理解しきれない冗長で散漫で迂遠な方法論でしょう。それこそ、総統は正義だ!世界に冠たる大ドイツ!の二言で感動と満足程度は呼び出せるのです。

■2024年08月08日(木)  頑張れ神奈川県警
警察署で「エアコン故障中」 蒸し暑さで、留置場の容疑者も移送
まあ、即納とはいかないものでしょうけど、二、三年というのはどう見ても予算措置の都合でしょう。後はまあ、この種の機材が既製品をベースに建物に合わせて弄られがちというところでしょうか。簡単に置き換えというわけにはいきにくいのでしょう。
とはいえ空調は今や基幹設備ですので、施主にしても施行者や空調機メーカーにしても、その前提で取り組んでほしいものです。お金さえ都合できれば頼むと一週間で代わりが運ばれてきて、試験を含めてもう一週間で交換取り付けを完了するくらいでないと、問題です。

■2024年08月07日(水)  個人の能力ではなく機材で解決するべきこと
水泳の授業は時代に合わないのか 元教師が考える小4プール死亡事故
時代に合う合わない以前に安全対策が不十分だったわけですね。
とはいえ、正直もはや水泳の授業は必要ないとは思います。落水対策は相当施されているわけで、この状況で溺れるとすればほぼ水泳ができても意味がないレベルになっていると思います。まあ、無防備な状態で岸壁から海や湖に落ちたり路肩から水路に落ちたりすれば水泳ができるかどうかが生死を分けることもあるかもしれませんが、船舶運航会社は落水の危険があればライフベストの装着かシートベルトを締めて席に着くことを求めるでしょう。もちろん紫雲丸事故の際のように救命胴衣を準備しているというだけではだめで、特に短時間の航行であればライフベストの装着を義務付けるものです。また船が沈没する状況では船から脱出できるかどうかが問題であり、これは水泳ができるどうかとはあまり関係ないでしょう。ライフベストを装着していれば浮くわけですから。まずは航行中のライフベストの着用義務が最優先です。もちろんライフベストを着ていて助からないような場合に水泳ができれば助かるかというと、潜水50mとかができる場合を除き無理でしょう。水面に落ちて逃げるのではなく水中に出て逃げないといけない場合程度だからです。それでもライフベストを着ている場合の方がはるかに速く確実に浮き上がるはずです。

■2024年08月05日(月)  西先生、いつの間にか何やってらっしゃるんですか
「恐竜学部」はいかが? 来春開設の福井県立大がオープンキャンパス
西先生、いつの間にか色物の道を進んでおられますね。まあ、ノリの良い先生なのでありだと思いますが。
福井県立大の教員情報にある通り、ご専門は白亜紀の古生物学ではありますが、恐竜とはあまり関係ありません。とはいえ恐竜学と言って恐竜だけ見ているのではおかしいわけで、むしろ白亜紀の生物相というような総合的な視野を持つ方がいるのは望ましいことだろうと思います。そう言えばK-TやP-Tの境界を習ったのもこの人やその上司の岡田先生からでした。

■2024年08月03日(土)  大阪府と大阪市が損害を被って破産せよ
「万博の横でカジノ工事なんて」 開催中の工事中断、吉村知事に要求
むしろ全力を挙げて工期を前倒し視し、万博開催と統合型リゾート開業を同じ日にするべきではないでしょうか。全国の建設業者に相応のお金を払って他の工事を全て投げてきてもらい、それは大阪府と大阪市が公債の発行をもって全面負担するのです。そうなれば、万博と統合型リゾートは、二十一世紀の大阪を象徴するエンターテイメントシーンになると思います。
本当は同じ日に堂島で再建米先物取引市場の公式開場も行えるとよかったですね。
そして、万博の終結をもって、大阪府と大阪市は府債および市債、および自治体債務全てのデフォルトを宣言し、財政再建団体となるのが良いでしょう。もちろん再建の原資は大幅増税、手段は徹底的な緊縮です。公営事業をすべて売却し、金融資産も同様、行政部門も最低限に縮小し、議員数も府および市に認められる最低限にするべきでしょう。もちろん事務所もできるだけ減らし、余った不動産は売り飛ばします。債務をデフォルトさせた時点で賃貸物件からは退去することになりますし、リース品も返却になるわけです。その時点で存在する契約も全面的に解除になりますね。もちろん破産ですので違約金なども整理の対象になります。委員会も数があると経費がかさみますので、制度的な必要最低限とします。もちろん議員への各種公費負担は再建完了までの間停止します。これは首長や役職者も同じです。職員は極力解雇、給与は首長や議員も含めて全員最低賃金にします。勤務時間は厳格に守り想定外の給与を発生させた場合責任者を懲戒します。また福祉支出も最低限とします。当然直営の病院や施設は全て売却ないしは閉鎖になります。文教支出も極力抑えることになるので、始めたばかりの高校授業料無償化もとん挫することになりますね。

■2024年08月03日(土)  まずは町になることではないでしょうか
「何でも自腹の都市は行き詰まる…」 泉房穂氏が考える日本の悪循環
自腹は無理という自覚は結構ですが、それならまず市制を返上して町になるべきです。そうやって県から移譲を受けている事務や権限を県に返して業務の削減を図ることが第一です。もちろん県レベルで維持できずに県間自治事務組合の結成に進む可能性もありますが、それは基礎自治体の与り知らぬことでしょう。そこも含めて先手を打っていく必要があると思います。
もちろん周辺市町村と組んで自治事務組合の設置を含めた業務整理を行うことも考えるべきですが、そもそも自治事務組合に市が加わる場合組合の業務負担を引き受ける立場が想定されているはずです。つまり市に行政事務を集約することによって町村の負担を軽減するということです。それで規模を拡大することで解消する程度の問題ならいいわけですが、人口減少が問題の場合市が引き受けるのではなく町村と負担を分け合う構造になりかねません。それなら町村だけで組み合う方が筋でしょう。
もちろんどうしても市として機動性を確保したいというなら、全県一市の合併も考慮するべきですし、その場合中心は県庁所在地になるでしょう。
悪循環を止めるというのはそういう覚悟を市職員ではなく市民にさせることです。

■2024年08月03日(土)  そもそもデジタル化のメリットが見えてないことが問題なんだと思いますが
河野デジタル相「外国ではさすが日本と」マイナ保険証ひもづけミスに
上手なタイトルですね。まるで外国から日本が、そんなミスをするなんてさすが日本と皮肉られたように読めます。
それでまあ、河野氏の主張はもっともなのです。もっともなのですが、今まで間違いなく分散処理できていたことを弄って問題を出したら、実務家として文句は言いますよ。たった0.007パーセントだからいいというのは、例えば不良品が出たら交換すればいいといった、無能な経営者視点です。まず不良品が出ても問題にならないような状況を作って全体の納得を得た上で初めて、少し不良品が出ますけど許してくださいねと言えるのです。勝手に始めて勝手に費用をケチって問題を出したでは、ゼロリスク信仰批判も新しい試みを阻害するという主張もあったものではありません。失敗を咎められているわけではなく、デジタル化ってメリットあるの?やらない方がましじゃないのと言われているのです。あまり誤魔化してばかりいるとご自身が馬鹿に見えますよ。

■2024年08月03日(土)  個人的にはよくできたエロ本にしか見えませんが
千年読み継がれてきた「奇跡の作品」 源氏物語、研究者が語る魅力
それなら三千年近く読み継がれてきているプラトンやアリストテレス、あるいは論語あたりの方が素晴らしい、奇跡的だと思いますが。普遍性や共感と言うならプラウトゥスだっていいわけです。
確かに田辺氏の新源氏物語は優れた通俗文芸作品だと思いますし、いわゆる源氏物語の二次創作であることも事実です。田辺氏が源氏物語に魅力を見出したのも確かでしょう。とはいえその源氏物語が日本の文化に総合的に大きな影響を与えだしたのは江戸時代後期以降です。それまでは都の文化人のものでしかありませんでした。同じ千年前なら、少し後になりますが、梁塵秘抄あたりの方がはるかに文化的な影響を与えた作品を含んでいるでしょう。それをことさらに源氏物語にフォーカスするというのは、正直国文学だから許される欺瞞としか思えません。国文学に限らず、文学というジャンルは等しくこうしたバイアスを持っています。典型的なのが古典学ですが、正直西洋古典の方がはるかに読者層は広いでしょう。なにしろ十二世紀以降大学で一般教養として教えられてきたテキストだからです。役人や知的専門家なら知っていないのがおかしいのです。源氏物語にはそうしたステータスはなく、江戸時代に国学者が取り上げるまでは上層知識人御用達のエロ本です。
まあ、文学としては、例えば田辺源氏や偽紫田舎源氏によって源氏物語という枠組みがどのように変化してきたかという視点はあり得ると思いますし、それは作品世界史として意義がある視点だと思いますけどね。

■2024年08月03日(土)  無茶振りのパワハラでしょうに
ボロボロのSL、圧縮空気で再び走らせた 技術力かわれ全国を回る
美談にしていますけど無茶振りですからね、これ。パワハラですよ。
もちろんボイラーのスペースにコンプレッサーを設置して圧縮空気を高圧水蒸気の代わりにすることはできます。そして動かすのに機構面で多大な苦労を伴うことも確かでしょう。そもそもコンプレッサーというのは普通電動で、電気を供給するために給電機構(具体的には架線や第三軌条)か発電機や蓄電池が必要になります。そこまでして蒸気機関車を動かすことにビジネス上の意義があるというのも事実です。とはいえ、具体的な方法論もなしに経営陣が現場にぶん投げる行為を結果論で美談にすることは、現場の成功談に帰結させるにせよ不見識ではないでしょうか。

■2024年08月03日(土)  マスメディアなら首都一極集中は当然、ローカル放送なら全国企業のテレビ広告離れは当然
テレビ離れや東京一極集中に「待った」 在阪局が情報番組に注力
国民経済とか言ってるご時世に放送みたいなマスメディアが地域志向で済むわけがないと思いますが。それとも独自の全国ネットの構築でもお考えですか?
確かに電波はローカルなものですが、ローカルではコンテンツやシステムを支えきれないからナショナルにネットワークが成立しているのです。視聴「率」ならともかく視聴者「数」が問題になった場合、地域志向は悪手になりえます。もちろん民放、つまり広告枠を売って番組を放送するというビジネスモデルの場合ローカルな広告を集める余地はありますが、ローカルな広告自体リーチするボリュームが小さくなりがちですから、お値段が控えめになります。まして情報番組ではそれ自体広告みたいなもので、まあ、ラジオの二の舞でしょう。もちろん設備コストを減らしてそれで持続するモデルにすることはできると思いますが、ブロードキャストというビジネスモデルにそれだけの潜在力があるのかとは思います。

■2024年08月01日(木)  エシカルな消費なんて形容矛盾では?
「エシカル消費」めざし法改正 食料安保のかぎ握る消費者の役割は
消費というのは倫理的であり得るのか。なかなか深い話ですが、そこに食料安保なんて言葉が組み合わさるとたちどころにナチっぽくなるのは、やはり1930年代の残した爪痕なのでしょう。
とにかく単純に余るほど、余っても作り続けることが目標だった1980年以前はともかく、その時期が終わってからの食料政策は迷走しかしていません。どうせその一環なので、何か良いことなどあるわけがなく、破綻して終わるのでしょう。それがわかっていながら倫理だ道徳だとは、そんなに倫理や道徳という言葉を貶めたいポストモダン志向があるのでしょうか。奇特なことです。

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