日記

■2024年06月30日(日)  民俗や文化に騙されてはならない、普通の人が案じる平穏と生存の危機
「復興」にだまされてはならない 民俗学者が案じる祭りと集落の危機
こうやって祭りや集落を重視するのは、祭りや集落が人権の主体である人によって担われていることを無視する発想でしょう。つまりはコミュニタリアニズムで、コミュニティのためにメンバーは犠牲にしていいということです。
本来個人の人権のためにコミュニティを犠牲にしていいというのが原理の方なので、例えば「健康で文化的な最低限度の」という表現は出現の順に重いと考えるべきで、健康が保障できないような施策で文化や最低限度を確保しようとしてはいけないと考えるべきです。生存や健康が復興でしか保障できないなら - あるいは復興ですら保障できるか危ぶまれるなら - 祭りや集落というのは犠牲にしてしかるべきですし、そもそもこういう概念が普及する前から犠牲にもなってきました。あらゆる文化は変化するものであり、居住地も変化するものです。
コミュニティやその文化は確かにQOLの基盤の一つですが、取り換えは効くものと考えないといけません。

■2024年06月29日(土)  都知事が三倍返しで負担を
小学校2校で教諭のミスでプールの水が流出 学校長、損失負担の意向
都職員のポカの責任は都知事にあります。都知事が無条件に損失額の三倍を負担するのが良いと思います。もちろん自主的に納付するのではなく、適切な請求処理を行い、必要なら議会の議決を得た上で行うべきですし、そのコストも損失に算入するべきですね。また都知事がポカをやった都職員に弁償を求めることは、原則として認めるべきではありませんし、あり得るとしたらその都職員が都知事に経済的な損害を与えることを目的にした場合のみで、その事実を明確に立証する責任は原告が負うべきです。つまり過失、不注意などではできないことが当然です。都職員が適切に事務を実施することを確保する責任は都知事にあるのであり、そのために都知事は懲戒を含めた監督権をすでに駆使しています。そうである以上都職員のポカの責任は全面的に都知事の責任なのです。この場合にしても、そういうポカをする裁量があったわけではなく、やってはいけないポカをしたのですから、そのような事態が起こらないようにする責任は都知事にあるのです。それがポカをしたら懲戒解雇と刑事告発と脅しての統制であるにせよ、作業を三人で厳密に手順を確認しながらするマニュアルの整備徹底であるにせよ、都教委ないしは都の管財部署からのリモート操作であるにせよ、都知事に過失があったがゆえに起こってはならない事態が発生したのです。その責任は全面的かつ無限に都知事が負うべきですし、当然行うべき注意を怠ったことについては適切な処罰を受けるべきです。もちろん過失ではなく悪意や懈怠であれば現都知事への刑事罰もあってしかるべきでしょう。

大阪市立小のプールで注水ミス 作業の教諭が失念、61時間後に停止
これも、手を打てていない大阪市長が賠償するべきでしょうし、業務過怠で刑事罰もあり得るでしょう。もちろん、注水ミスの防止を確保する実効性が求められるわけで、現場に注意の徹底を指示したとか罰則を決めたなどというのは評価に値しません。最低限担当職員を教員以外に置く、その枠を決め予算措置をし、かつその担当者に過度の業務負担をかけない=プール管理が大事ならそれ以外の業務を突っ込まないことが求められます。もっとも、あまりできるとも思えないのですが。大阪市長の個人的な雇人を配置するのならできるのかなあ。

学校プールの管理、担当教員に任せっきりにしないで 文科省が通知
担当者配置や設備整備と言いますが、その予算は積んであるのでしょうか。あてがないからとにかくちゃんと配置枠がある教員を使っているのでは?
民間に頼むにしろ費用は必要になります。むしろ水泳の授業を無くし、学校のプール整備や運用を無くすか、せめて水泳の授業自体民間委託にしてはいかがでしょうか。水泳の授業を受けたい子、受けさせたい親だけが追加負担をして参加させるとか。従来の枠組みを守る前提で制度的な小手策を弄する提案をしたところで、それを実施する余力が地方公共団体にないと思います。

■2024年06月27日(木)  これはマスメディアの特権の確保の目論見ではないのか
OP技術の憲章「情報の信頼性の指標に」 メディアなどの組合が制定
正直これは、無意味なわりに特権性を生み出す気がするんですけどね。もちろん規格化によって確実性の高い出所追跡・保証が誰にでも低廉に使えるようになるならそれは良いことだと思いますが、フェイクニュースと言いますけど、出所を騙ったフェイクニュースをこれで排除することはできても、出所を騙っていないそもそもフェイクなニュースはどうにもならないと思います。まあ、ニュースの内容がフェイクでないかどうかなんて原理的には検証のしようもない気はしますが。本人、現物すらあてにならないとすれば、蓋然性を高められるだけでしょう。それにしても、出所を確かめさえすればその出所でフェイクかどうかを判断できるといった発想だとすれば論外でしょう。「情報の信頼性の指標」という言葉はそういう発想を感じさせます。これは特定の出所を情報の信頼性の評価について特権化する、かつその特権を物化するということであり、売買の機会が少ないにしてもその信頼性を判断する権利を受け手から奪うものでしょう。

■2024年06月26日(水)  冷食は本来調理をしたらまずい場合用
避難所での雑魚寝、冷たい食事は「仕方ない?」 イタリア・台湾では
いや、塹壕での給食じゃないんだから。
避難所みたいな集まって住む場所では、古典的には大規模調理による温食 - おおむね汁物 - の提供が効率的なものでしょう。確かにセントラルキッチンシステムによって運送業者がキッティングされた調理済み食品を配布する効率も良くなっていますが、多分衛生規制絡みでうるさいことを言わなければ大きな鍋でジャガイモとベーコンのスープでも作る方が安上がりだと思いますがねえ。セントラルキッチンだって急な注文には対応しにくいでしょうし。熱源だって急場なら柴でいいでしょう。燃えないのは問題にしても、そこで庭木は財産とか言う方がおかしいと思います。
雑魚寝だって、少なくともテント、つまり視線を遮る手段というのはあるものなので、もう少し快適性寄りの妥協というのはしようがあると思います。むしろ近代日本で物をケチって雑魚寝文化を喧伝した結果パーティション(衝立や屏風)すら事欠いているだけではないでしょうか。
ちなみに軍隊のコンバットレーションだって、隠密行動中かそもそも調理設備を展開できない状況用で、ほとんどの場合は交代して温かい食事を摂るようになっているはずです。

■2024年06月24日(月)  出たよ、国家改造論者
「地方の子育て支援に都の税収を」 宮城県知事が都知事選に一言
筋はわかりますが、「地方で子どもを産んでもらう施策に東京都が協力してもよいのでは」というのはコミーの発想でしょう。あるいは共同性の面でコミーに被れた君主主義者です。社会民主主義者でも、せめて都と府に国が特別税を課して道と県に分配するという発想をするものです。都と府はそれが嫌なら県になれということですね。もちろん自由主義者なら、個人の問題で都合のいいところに移住すればいいと考えるわけです。

■2024年06月22日(土)  市民てなんだ?
姫路城が検討する外国人への「二重価格」 民間にも導入の動き
それを言うなら、市民、市民でない日本国民、日本国民以外の三重価格制にすることが妥当ではないでしょうか。価格を多層化する時点で程度問題ですから、後はどの程度の層に分割すれば妥当かという話で、市民の解釈にもよりますが、外国人と市民では単純化しすぎだと思います。それとも、外国人と市民以外は立ち入り禁止、つまり市の住民でない日本国民は入れないという趣旨でしょうか。まあ、それもありだとは思いますが。そうすれば、姫路城にシンパシーを持つ日本国民が市に住民登録するでしょうし。
なんなら公務員は市民に含まないというのもよいと思います。絶対給料取りですから、あるいは何かと見栄を張らないといけない人ですから、入場につき五千円払うくらいは当たり前です。安定収入のない子供や老人、あるいは志のある貧乏な人が入場するために、安い値段を設定するのです。招いてもいない大学教授や建築研究者も含めて、定収のある人、地位のある人は最高額を払うべきです。その意味では、一定の専門的研究機関からの紹介状を持つ外国人は割引してもいいかもしれません。
一方で、程度問題としての価格として地縁のない観光客に三十ドル、五千円弱は、確かに高くはないと思います。ある意味姫路城なんて行くのは城マニアかミーハーですし、文化人のハイエンドである貧乏旅行者はむしろお金は取られないけれど情報も出回っていない場所に行くでしょう。そこはパリに行ってルーブル美術館やノートルダム聖堂に行っているようなのはお上りさんで、通は例えばウジューヌ・アジェが撮影した風景とかボードレールが歩き回った通りを見に行くわけです。あるいは敢えてエッフェル塔に登り、パリを見るにはエッフェル塔に登るのが一番いい、なんと言ってもエッフェル塔だけは見えないからな、と嘯いてみるわけです。もちろんそのもの自体に興味のある通であれば、姫路城だろうとエッフェル塔だろうと入場するだけでなく、資料類も買ってくれるでしょう。図面から何から収録して一冊二万円くらいの資料を並べておけば絶対買う人が出ます(なおしょぼいとか間違っているのとかは馬鹿にされるので真面目に作りましょう)。

■2024年06月20日(木)  嫌なものは嫌と言っていい
歌手の高橋洋子さん、生成AI画像の使用を理由に音楽イベント出演辞退
こういうのは個人の考え方の問題なので、むしろ辞退する自由を認めるべきだと思います。アートは徹頭徹尾人間によって行われるべきだというのは立派な嗜好ですから。それは常に明らかにしておくべきでしょうし、召請はそれを踏まえて行うべきとも思いますが、特に今はまだ行き届かない部分はあると思いますし、その意味ではアーティスト側に誠意が、イベント実施側に寛容と誠意が求められるでしょう。もちろんマネジメント側は出演の交渉に際して適切に出演者を代理することが求められます。
一方で、人工知能によってアートを行うこともまた自由です。それがアートであるかどうかは、まあ、それぞれが決めていいことでしょう。人間が行った表現でもアートであるかどうかの判断など個別の受容者の問題なわけですから、アートと名乗って悪い理由もありません。表現の出自は様々な意味でどうでもよい(盗作すら許容される)、気にする方がおかしいという立場すら成り立ちます。アートとは現れた表現に位置付けを与えるという問題だというアート観は二十世紀初めの前衛芸術に既にあるわけです。そこはこういう話では出演者側がちゃんと判断するべき問題で、こういう話の場合筋から言えばエヴァの次期作でもたとえ一カットの一部でも画像生成人工知能が使われていたら高橋氏が出演、歌唱音源の提供を拒否することはあり得ますし、それで高橋氏が歌った音源が使用できなくなることもあり得ます。そのリスクを明確化し、起用側が判断しやすくすることは、出演者側の誠意でしょうし、場合によっては製作者側のリスクなりコストなりの積み増しになるわけですから、妥協も含めて誠実に対応することが求められます。まあ、それこそ製作者側ではAI高橋洋子をインスパイアするようなこともあるとは思うのですが、だからやっていいのかというと、一応嫌がられている以上それは考慮するべきでしょうし、もしどうしてもするのだというなら反発や非難は覚悟し、それに誠実に対応することが求められるでしょう。

■2024年06月20日(木)  嫌がらせか緊張の戦略か
ポスター掲示問題、49人目以降は自らアクリル板に貼り掲示 都選管
東京都知事選と言えば結構昔から何をしたいのかわからない泡沫候補が多数出ることで知られていますが、もはや都選管と市区町村選管への嫌がらせの域かもしれません。
ある意味体制批判のゲリラ戦術としては面白いのですが、ではその先に何が見えてくるのかなというところがわかりません。とにかく批判というスタンスは無害に留まるからこそ面白いで済むわけで、不便を起こすならストライキ同然でしょう。その場合趣旨に共感を得られるかどうかが問題になるはずですが、正直極左過激派レベルの話しか見えません。だとすると、批判によって混乱を起こし、有権者の嫌悪を誘うことで秩序の確立を唱える勢力の正統性の主張を支援し、支持を増強する方策あたりなのかもしれません。つまりとりあえず小池与党ということですね。まあ、混乱を理由に東京都の自治を停止し内閣が全権を握る方向も理論的にはあり得ますが、さすがにそこまでは行けないでしょう。

都知事選ポスター掲示「クリアファイルは不平等」 候補者が都を提訴
まあ、出るでしょうね。選管も読み込み済みだとは思いますし、ここで選挙用ポスター掲示施設には何が求められるのかを法的な判断として明確にし直しておくことは意義があると思います。
ただこの記事、せっかくの記事なのに、候補者がどういう立場なのかを書いていないのです。まだ書けないのだろうとは思いますが、有力候補者なのか、泡沫候補者なのか、それとも関係なさそうなポスターを貼った人なのか、枠を売った候補者なのかは大事な情報だと思うのですが、まあ、さすがに最後の二つだとそう書きそうですし、泡沫候補なんでしょうね。投票後に進むであろう経過を注視したいと思います。

■2024年06月20日(木)  ちょっと身の程知らずじゃないかな
「欧州を偉大に」EU次期議長国ハンガリーが標語 トランプ氏意識?
選挙で成るわけでも選挙のネタになるわけでもあるまいし、下らない大言壮語は言わないでおいた方が良いと思うのですが、まさか足元不安の弥縫策でしょうか。
欧州議会選で「極右」勢力が伸長した以上、現行の社会積極路線は修正を迫られる可能性が結構あるわけですが、おそらくその場合、EU自体は弱体化します。政策においてイニシアティブを確保しておかないと積極策に出ていたのでしょうし、その政策を裏返そうと、消極化しようと、影響力の失墜は必至です。そして独仏を中心とするブリュッセル派をEUに失望させた場合、東欧とトルコを除外してEUを割る可能性すら出てきます。ハンガリーが東欧の盟主になる可能性はともかく、欧州としては偉大になどなりようがないでしょう。またもし仮に現行の積極路線をさらに先鋭化させるとして、その場合にハンガリーにイニシアティブが取れるものとも思えません。

■2024年06月13日(木)  ローテク
「2車線全幅利用を基本に」第三者委が提言へ ツール・ド・北海道
「「2車線全福利用を基本に」第三者委が提言へ ツール・ド・北海道」
恥ずかしいことに、朝日新聞デジタルはインデックスのタイトルを手入力しているようです。こんなもの、どう見ても自動レイアウトのはずの記事のソースデータから切り出せばいいので、そこで幅を福と間違えるようでは裏が丸見えです。まさかこんなのが、人の温もりのある記事編集じゃないですよね?

■2024年06月09日(日)  Si vis pacem, para bellum
「平和のため戦争に備えよ」 防衛の共同体へかじ 「もしトラ」にも
まあ、フィンランドは本気で守らせるとロシア並みに怖いですからね。潰すにはチンギスハンくらいの実力がないといけないはずです。
もっとも、フィンランドはとりあえず戦争に負けたことはないけれど勝ったこともないはずです。二度目は組む相手を間違ったという感じですが、正直情勢や時期を見誤って、収拾の時期の見定めだけ上手という感じです。だから穴熊をやっているのが、平和も含めて一番強い。とはいえ本来そういう意味ではないんですね、この成句。喧嘩を吹っ掛けたら必ず負けるから攻めてこない、そうなる体制を整備するという意味です。防衛ではなく、攻め込まれたら反撃して攻め込んで全土を占領し属領にしないといけません。膠着して痛み分けがせいぜいではこうは言いません。もちろん冬戦争でのフィンランドのことです。
その意味で、結局EUもNATOもちゃんとは動かないのかなという気がします。さすがにロシアに負けるとは思いませんが、徹底的に勝って後顧の憂いを数十年無くすというところまではできず、再起を許してはずるずると長引かせそうです。その意味では、とにかくベルリンを落とすと覚悟したソ連に引きずられたのが対独戦の勝因ではあるのかもしれません。ウクライナを見ているとそう思えます。

■2024年06月08日(土)  まあ、首都というのは年収二億円以上でないと住めなくてもいいんじゃないかと
五輪終われば「庶民は住めない街」に 東京に立つタワマン、悩むパリ
庶民のいない清潔美麗な街はひとつの理想でしょう。庶民の絡む都市文化にはろくなものがないではありませんか。猥雑で乱雑な市場とそこでの犯罪、スラムや浮浪者、さっぱり上がらない生活水準やみっともない住居、品のない芸能、没趣味的なマスコミュニケーション、etc.がなくなれば、首都はさぞかし安全、快適、美麗なものになるでしょう。そのような都市が増えていくことはともかく、首都くらいはそうであってもかまわないと思います。地区ごとにタワーマンション、新古典様式、スターリン様式あたりが整然と並んでいることこそが首都の理想ではないでしょうかね。もしそこに住む人がいるとすれば、その人たちは秩序と高級文化の徒でなければなりません。雨など知らず、風も知らず、雪も夏の暑さも知らぬ快適な生活を営み、欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている人たちです。よく見聞きし分かり、そして忘れず、公平無私、合理的に世界を運営する人たちです。例えば黄色いベストを着て叫ぶような、あるいはカフェで騒動の謀議をこらすような愚民ではありません。

パリのお手本はロンドン 五輪再開発による「地元住民への裏切り」も
パリのクレンジングなんてナポレオン一世のころからでしょう。もう住民は諦めて他所に移ったらいいのです。
ロンドンにしても、裏切りってむしろ再開発なんかやったらジェントリフィケーションが起こるのが当たり前なんですから、今まで通り暮らせます、みんな暮らしが良くなりますなんて文句を信じる方が悪いと思います。再開発は必然的に最下層の切り捨てを伴います。むしろ動かすのに、切り捨てるのに一番楽だからそういうところを再開発するのです。現地住民のための再開発などありえません。せいぜいが都市全体の住民のためのという奴で、誰かが犠牲になって全体の状況が向上するのです。

誰のためのオリンピックか 再開発で排除される移民、流入する富裕層
もちろん市民様のためのオリンピックです。自活でき、長期的な視点で国レベルの合理的な発想ができる市民様こそが国家の基盤であり、富裕層はその典型です。もっとも庶民と同じで富裕層も国家への求心力は弱いのですが、比較的ローリスクハイリターンでの誘致が可能です。今時愚民の誘致などハイリスクローリターンなので、国の顔と言っていい都市には似合いません。もちろん移民でもお金を持ち、あるいは稼ぐ手段を十分持っている人は歓迎されているはずです。そういう意味では人種的な差別ではなく、あくまでも経済的かつ教養面での差別です。貧民や愚民は要りません。

■2024年06月08日(土)  国民の健康増進につながりえない全国大会は全面廃止するべき
全中、27年度から9競技を縮減 少子化などが背景 水連は反発
いつまで全国中体連大会などという時代遅れな代物を続けるつもりでしょうか。国体と同じで即刻廃止するべきです。
一方で、水連が反対することはまあそうだろうと思います。いみじくも「全中は高校進学にあたっての重要なキャリア形成の機会」と言うように、セミプロ水泳選手の育成に学生大会は極めて重要視されており、水連は歴史的にそれを理解している団体です。なにしろ昔から戦前の水泳日本の復活を旗印に掲げて運動してきたのですから。本来戦後は存在しなかった競技目的の全国大会を無理矢理実現してきた実績の喪失を容易に許す団体ではないでしょう。
もっとも個人的には、こういうファシストは解散命令を出すべきだと思いますが。そもそも運動競技選手なんか育成して何の得があるのでしょうか。水泳の場合基本個人競技ですのでまだしもましですが、運動競技自体社会の民主的性格を大きく歪めるものです。それに国威発揚などという話が重なれば、出てくるものがろくなものであるはずがありません。一方でメリットが何かあるかと言うと、そんな修道的な訓練の果てに得られる能力など一般に何の関係があるというのでしょうか。週一、四十五分の訓練で身に付く能力ならともかく、「青春」を捧げて手に入れるような特殊能力はよほどの有用性がなければ有害無益です。各国の競技者が集う平和の祭典としてのオリンピックや水泳の世界大会の意義 - そういうことを言うならまず国別代表制度を廃止し、個人としての資格で出場させるべきだと思いますが - ならまだしも、オリンピックや水泳世界大会の金メダルに何の価値があるというのか、納得のいく説明を聞いてみたいものです。

■2024年06月05日(水)  再建はしない方がいいのでは?
東電の再建計画、見直しの議論開始へ 事業横断の提携・統合も検討
これ、首都圏での給電事業を売り飛ばしてそれで賠償の資金を稼ぎ、廃炉については国費負担にして防衛省あたりが引き取る方がいいんじゃないですかね。もちろん東京電力自体は賠償の専門会社として全事業を廃止ないしは売却、少なくとも本社要員は全員解雇し、株式も上場を廃止、その時点の株主に不足分の賠償原資負担を求め、賠償完了時点で清算するわけです。それこそ別に高く買ってくれるなら外資でもいいでしょう。保障の部分は既存大手電力がすればいいわけですし。

■2024年06月04日(火)  麹かどうかとか伝統とかの問題じゃない
疑いの目を向けないで… 麴文化の伝統、長い食経験が物語ることは
こういう論の前に、疑う余地がある、管理可能性が失われているということの方が問題だと思うのですが。生産者や流通に頼った間接的な管理では、信頼の鎖が途切れた瞬間に全体の信頼が崩壊します。そこであれとこれは違うとかこれだけの伝統があるとか言っても仕方ありません。それは状況を誤魔化しているだけです。
もっとも農学部応用微生物学という時点で一般消費者から管理能力を取り上げて特権化する方なので、そういう発想は浮かばず、ただ信頼してくれとしか言えないのかもしれませんけど。検証手段を提供するのは分析化学と個人の執念ですからね。

■2024年06月04日(火)  「読み」と言い換えることもできる
メディア空間にも座標軸が必要かも 降ってきた「数学的な妄想」
指摘しておけば、そのような座標は本質的に恣意的な、任意に取りえるものだということは認識しておかないといけません。原点にしろ尺度にしろ、座標、座標軸というのは任意に取ることができます。ただしその数学的な表現には形式的な共通性が出てきます。物理学(座標幾何学)はそれこそ三千年ほどもかけてこの座標系の概念を洗練し、相対化してきました。物理学に通じた人にとってそれはごく当たり前の概念なのですが、通じていない人にとってはそうではない、そのことに注意するべきです。
その上で、物事を把握するときにある座標系を設定するということは有用です。それによってその座標系に置いた時の物事の位置関係を数量的に把握することができるようになります。もっとも座標系が変われば変わってしまいますから、そこだけは意識しておく必要がありますが、ある座標系に置いて見たときに現れてくる特徴、関係性というのもあることは明白ですし、何よりわかりやすくなるわけです。もちろんその分かりやすさが単純化によるものだということは意識しておかないといけません。単純化である以上何かは切り捨てているのです。その認識の上で、物事を自分の座標系に置いて理解してみることには意義があります。もっとも文学すらその座標系を様々に変えてみる(様々な読みを試みる)ことが当たり前になっています。とりあえず読んでみないと始まらないからある切り口(座標系)で読んでみて、その読みを論じてみるけれど、それは可能な読みであっても唯一の読みではありません。

■2024年06月02日(日)  廃止か民営化が望ましい
国立劇場、再整備見直しへ 資材高騰で事業者決まらず「国費増額を」
建て替えられないというなら都合がよいので廃止して国費で解体して土地の売却利益で償却してしまいましょう。芸術文化振興会も民営化(特定非営利財団法人化)するべきです。
国立劇場自体が必要というなら、建て替え自体自己資金で賄えるように運営するべきです。そのための仕組みが芸術文化振興会でしょうに。そもそも演芸場を国立、国営という話自体おかしいのです。

どうする「国立劇場」 立ち往生する再整備、建築家の考える最適解は
まずなぜ再整備が必要になったのかという話で、使えるなら何も再整備する必要はないでしょう。逆に構造的に基準に満たないといった問題があるのであれば、そして補強が現実でないのであれば、建て替えるか取り壊してしまうしかありません。
ちなみに「パリのオペラ座」がどっちのことかわかりませんが、バスティーユにしろガルニエにしろ造作としてはホテルがくっついていてもかまわないような気はします。そもそもオペラ劇場には寝室と言えるもの - ボックス席 - が備え付けられているのが本来の姿であり、椅子だけ並んでいるなどというのはワーグナー以降の異常現象です。それとも、まさかダンサーを売春婦にしてカジノを併設するのは良いがホテルや売店を一緒にするのはだめとでも言うのでしょうか。オペラ劇場というのはPFIの先行例ですらあるのです。こういう、例えば劇場は劇場としてあるべきなどという歴史を無視した近視眼的な近代意識、芸術原理主義のためには、例え税金としてすら一円たりとも出したいと思えません。思想信条の自由、個人の人格を侵害しています。
その上で、作っては壊すのがおかしいという発想はある程度同感です。壊さないで済むように作るべきでしょうし、壊さないで済むように工夫した方が良いでしょう。もちろん作らないのが一番いいと思います。また用途はともかく建物を使い捨てないで済ますことも考えた方が良いでしょう。日本の建物というのは一般に品質がなかなかに低いと思いますが、イベント会場を含めた商業建築物に関しては品質はあまり問題になりません。そもそもそのための都市計画上の商業地域の分離確定だったりもします。崩れるとか床が抜けるようでは話になりませんが、住んでいる人を保護するという機能が必要ない以上、ぼろくなっても塗り直せば使えるはずです。劇場の場合作品の傾向により新しい設備が必要になることはあり得て、その場合旧式の建築物では対応できないことがあり得ますが、その場合でも移転新設を考えるべきで、旧建築物は強度や安全性の問題が解決できないレベルでない限り他の目的に転用することが可能でしょう。

「国立劇場」の長引く不在 その意味と芸能の「生態系」への影響とは
「文化財保護制度のもと、無形文化財に指定されている芸能の伝承と保存に、国は責任を持っています。」
そもそもこの前提から疑うべきでしょう。文化財を保護するというのは国民の総意でしょうか。そのために税金を投入する合意は得られているのでしょうか。「これが世界的に見ても非常に珍しく、日本の芸能の貴重な特色になっています。」と言いますが、その特色は重要だと思われているでしょうか。そもそも雅楽、能・狂言、歌舞伎、文楽なんて誰が見るのでしょうか。そもそも演劇自体が存在意義を疑わざるを得ないと思いますが、奉納という機能を失った以上、娯楽でしかない妓芸は世に連れ時に連れ流行り廃るものです。一人でも価値を見出すなら失われるものではないと同時に、その存続に公共性はないと思います。

■2024年06月01日(土)  無駄だから止めるべき
「クールジャパンを再起動」政府が戦略改定へ 過去の反省生かせるか
生かせるわけも成功するわけもないので撤退するべきです。
まあ、どうしても生かしたいなら、主要国でテレビネットワークを最低一つ買収するべきでしょう。そこで日本発コンテンツだけ流すわけです。もっとも主要国だけでニ十か国にはのぼるわけで、それだけのテレビネットワークを買収するとなると、それで儲かるほど利益が出るかはわかりませんが、普及にはなるでしょう。

過去ログ 2012年04月 
2016年05月 06月 07月 08月 09月 10月 12月 
2017年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2018年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2019年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2020年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2021年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2022年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2023年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2024年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月