■2024年04月12日(金)
この人は見識を自慢しようとして結局不見識を曝すんだなあ
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大谷選手通訳の横領事件に思う 「金額の大きさを別とすれば、大谷選手の通訳による横領事件は何も珍しいことではない。」というのは全くその通りで、一人であろうと何人かであろうと他人に任せたら一定の確率でこういうことは起こります。銀行で職員が使い込みをすることだってあるのです。 それはいいのですが、ウォシュレットがどうとかいうのは蛇足にしてもレベルが低いでしょう。もちろんウォシュレットが何で売れないと呆れるのはさらにレベルが低いわけですが、そこで、欧米というか欧州人でしょうかね。欧州諸国の方々。この人たちがトイレがきれいというか(ドイツ人やデンマーク、スウェーデン、ノルウェーあたりの人たちはキッチンにしろトイレにしろ磨き上げて汚さないように使うのを我慢する傾向があります)トイレで排泄器をきれいにすることにあまり関心を持たないで止まってしまうのはレベルの低いマーケターであり、マーケティングアナリストであればどうしてそこまで頓着しないのかを調べるものです。その上で意識から変えて需要を開拓するのができの良い商人です。こういう人たちだからこれは売れないなどと言っていたら資本主義ではやっていけません。日本人にちゃんとサルミアッキを爆買いさせてこその商売人です。まあ、そのレベルの人はなかなかいないわけですが。でも、ある種の豆を焦げるまで炒って粉にして煎じて作った苦い飲み物を、まずはあまり接点がなかった国、これから手を組んで敵国と共に戦うことを期待できる国の高貴な国賓が国の風物を紹介するという体で上流階級に流行らせることで下々の憧れを喚起し、さらに砂糖だの牛乳だのを入れることで嗜好に合わせて、食事が一品減っても週に一回飲みたいものだというレベルまで売り込んだような例もあります。この飲み物は主に中南米で大量に栽培され、同じく南米で生産されるようになった砂糖と共に普及し、砂糖こそサトウダイコンから作るものに置き換わった時期もあるにせよ、今や欧米になくてはならないものになっていますね。一方遥かに栄養価の高い、つまり実質的に意味があるジャガイモは、確かに同様になくてはならないものというかどこに行っても見かけるものになっていますが、普及したのは他に食べるものがなかったからだったりします。蕪と間違えて皮が緑になったのを食べて中毒した人が出てしまったのも良くなかったとは言えますが、やはり国王や領主が作付けを強要するとか、知識人が変にまじめにメリットを説いて回ったのが悪かったのでしょう。結局食い物にあまり文句を言わない豚の飼料として栽培されるようになり、徴兵制度とともに兵食として出されたジャガイモのスープに慣れた人たちが復員して、あるいは炊き出しで修道院から出てきたジャガイモのスープに慣れた貧民があれば食べたことで、四百年ほどかけて食料として普及します。コーヒーがヨーロッパへの登場から一世紀ほどで嗜好品として一般的になったのを見れば、マーケティングの重要さが理解できるというものです。 ともあれ「現実を分析し、事実調査から出発しないと、本当のことが分からない。」というのはこのレベルまでやって抽象化、一般化して初めて意味があるので、単なる博物学的な実地調査には殖産興業以上の意味はありません。つまり経済政策ではあり得ても経済学ではありません。日本の商売人の出来の悪さをあげつらうのならもっとまともな例を出した方が良いと思います。 | | |