■2024年03月09日(土)
まあ、モデルが善政を敷く独裁司政官だもんなあ
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森元首相「超法規的尽力を」 能登復興めぐり岸田首相と同席の催しで 意図的なのかうっかりなのかわかりにくいわけですが。 そもそも多くの自民党議員は日本の現在の法制度には懐疑的なわけで、特に行政主体の政策執行の発想から法規に囚われずにやりたいという感覚はあるわけです。これは実践重視の感覚では珍しいものではありません。 ただし、この感覚が現代政治制度においては極めて問題があるものであることも確かです。もちろん政治というのは日常であるにしても手段ではあるわけですが、その手段を制度的に統制、抑制することによって政治目的に基づいた政策の独善的な暴走を防ぐというのが近代政治制度の基本です。どんなものであれ政治目的を掲げてそれを達成するという発想、特にスムーズに進めるという発想とは相性が悪いというか、そもそもそれを妨害するというのが制度の趣旨なのです。理念としては熟慮、計画段階や実施段階での検証ということになります。つまり政府は国民が不慮の災害で塗炭の苦しみを味わっていようがルールを逸脱して救済政策を実施することは原則としてできません。それは、政治を志す方のイロハとすら言えます。もっとも認識していないか不満を持っている方は政治傾向を問わず多いようですが。もちろん政治に志さない人の場合は善政を求めてこうした抑制的な制度への不満を持つことがあります。特に災害のような「緊急事態」においてはなおさらです。しかし、少なくとも政府としてはそれを肯定してはいけません。できることしかやらない、やれないというのが正しい在り方です。 とうぜんそこに、ニーズとサービスのギャップができるわけですが、古典的にはそれを埋めるのは個人であったと思います。草の根の個人の自助努力でもいいですし、有力者、つまり個人的な才覚で人やお金を集められる人やそもそもお金を持っている人が有志として行動するのでも構いません。もちろんその行動の範囲は法規制の枠内に限られるわけですが、例えば個人が物資を集めて現地に持ち込むことには相当の裁量があります。ここで法規制がこうした個人の行動の障害になることがあります。それこそ現地の交通インフラの崩壊を理由とした交通規制などもそうでしょう。危険だから車を通さないようにする、あるいは政府の制度的緊急対応のための車両の通行を優先するために民間車両の行動を規制するということがあり得ます。これが問題になりにくいのはそもそも被害や有志の行動の規模が小さい場合で、集落住民五百人の救援ならせいぜい大型バス数台で済みますし、その消費物資も一週間単位でコンテナ数個で済みますから搬入はせいぜい装軌式トラクターとコンテナの乗る橇数台で済むわけです。まあ、装軌式車両での運搬が私有地や道路インフラを破壊する可能性はあるわけですが、それは最悪損害賠償、原状復旧で何とかする道はあるわけです。器物損壊などで数年懲役刑を受けるにしても、執行猶予というのはこういうときのためにある制度でしょうし、名誉の前科でもあります。超法規的というのはこういう私人の行動についてのみ、発生した損害に事後的に責任を負う前提で、認められるべき概念です。もちろん救援の規模の関係で非政府組織がそれを担うというのもありでしょう。これも民事および刑事の責任は実施者が負う前提になります。 これが難しくなったのは、正直社会の規模が大きくなっているためだと思います。数万人の被災者を穏当に救援する方法などありません。この規模の人数が一斉に避難行動を取ったら混乱しかねませんし、そのために数百人で分散して収用する形で避難場所が設定されているはずです。また一か所に集まった数万人を支える物資の搬入も容易ではありませんし、例え現地で人口が分散していてもその地域へのアクセスルートが限られていればそこがボトルネックになります。こうした状況を防ぐには、統制するしかありません。そこに国家、政府の超法規的措置を呼び込む契機があります。 また資産規模が低位で平準化したことも制約を発生させているでしょう。今なら一兆円ほどあれば生活水準が下がるにしても百万人程度に当座の救援をすることはできますし、それこそゲストハウスをいくつも持っているような人であれば実質的には移動費と消耗品費で済んだりしますから額ではもっと下がるかもしれません。富の集中というのはこういう余裕を個人に作り出す面があります。しかし、自分が住んでいる6LDKの戸建てに被災者を収容することは難しいでしょう。後者のようなレベルで富の平準化が進み、さらには富の相当部分が社会化されたことによって、恣意的な運用が難しくなっています。会社の資産を経営判断で事業外に使うなど、たとえどんな道徳的な理由があっても経営者の背任行為ですし、所有者がやってすらルール違反です。それこそこの背任やルール違反を免責しようというのが森氏の「超法規的」の概念でしょう。この類型は古典的にも発生例が多く、美談として伝えられている例すらあります。例えば災害に際して災害用の食糧備蓄を手続を飛ばして放出したり、それでは不足して供給安定化用や軍事用とされる分の備蓄まで手を付けたという話です。結果としては当事者の便益につながったとしても、当然ながらルール違反です。手続が定められ、あるいは備蓄が目的ごとに分別されているのにはそれなりの理由があるわけですから、勝手な扱いは予測できない事態、それこそ分別備蓄であれば本来の目的に使おうとしたときの不足をもたらす可能性があります。まあ、備蓄を使い切って清算したうえでコミュニティなり政府なりを解散してしまうのであれば、せいぜい債権者が困る程度で済むかもしれませんが。 | | |