日記

■2023年11月30日(木)  余計なアートをする前に寄生を止めろ
つくりたい未来のイメージ、それこそが万博のレガシー 石黒浩教授
そんなレガシーはRS-232Cやキーボードインターフェースほどの価値もありませんので、税金返せ。
まあ、投じられた税金はどうでもいいとして、もはや未来のイメージというのは個人的なものであり、共有しうるものではありません。正直私たちは、大阪万博やつくば万博の未来のイメージの上にその未来を築けていないと思います。むしろあの頃の未来のイメージ自体が当時の制約の中にあり、実際の未来はそこからずれ、しかるべくして今あるのです。電電公社が今は亡く、ISDNすら近い将来亡くなる、その代わりにイリジウムすら通り越して地上アンテナベースの移動体通信網が陸地を覆っている、未来とはそういうものです(本来イリジウムで通信が確保されているべき船が携帯電話網につなぎたいために陸地に接近して座礁した話がありましたっけか)。そこで今の制約の中で手前勝手に未来のイメージを表現してレガシーとか名乗ることは、僭越です。それが許されるのは個人が個人として表現した時のみであり、その個人は自身以外の何者をも代表できません。つまり石黒氏の未来のイメージを国がバックアップする筋合いが全くなく、石黒氏が国のバックアップで未来のイメージを表現する筋合いも全くないのです。その意味で二重の僭越と言えます。
変な金の稼ぎ方をしている暇があったら、阪大を研究費を含めて政府補助金ゼロ、できれば授業料や入学金もゼロでやっていけるようにしたらいいでしょう。

■2023年11月30日(木)  組み合わせの妙を探る手掛かりはむしろ図書館と美術館にしかない
「図書館」で踊ったっていいじゃない 異なる芸術組み合わせる試み
まず、勝手に踊り出すのと許可を取って踊るのとは違います。そこだけはしっかり認識してほしいと思います。
その上で、公共図書館は前世紀から多目的メディアセンターとしての機能を担っており、そこで図書館と協力して実施する形でパフォーマンスを行うことは、決しておかしくありません。もっとも図書館で調べ物をしたり他のメディアを閲覧鑑賞していたりする人にとっては迷惑な可能性もあり、そこで苦情が出て図書館側が消極的になることもあるかもしれませんが、ともあれ管理者との合意さえ成立すればダンスパフォーマンスだろうがオケやロックバンドのパフォーマンスだろうがやって構わないと思います。それこそギャラを払えるなら北野武さんやデーモン閣下あたりにパフォーマンスをやってもらったっていいくらいです。もうちょっと穏当なパフォーマンスとしては、声優さんによる朗読ショーあたりがあるでしょう。
もちろんこの記事のような現代アートだってありで、少なくとも美術館と協力する筋はありますし、ああいう一見して訳が分からないものというのは、感じ取るのと合わせて歴史的経緯や背景にある芸術論の理解が望ましいものです。すげー!おもしれー!でも、なんでそーなる!でも、その背景を探るために図書館ほどふさわしい場所はなかなか見つかりません。まあ、アーティストが声高にする主張だけでは済まないので、いや、あんたこう言ってるけど、実際はこっちじゃないのか?というような突っ込みをするためにも、第三者のキュレーターが参考資料を整理提供することが望ましかったりします。本来批評家というのはそのためにいます。もっとも批評家なりキュレーターなりの解が唯一解ではありませんが。
一方で、インスタレーション系のパフォーマンスというのは舞台や展示空間という制約を超越することを目指すものだと思いますので、ホールとの相性は良くないかもしれません。まだしも駐車場や廊下の方が相性がいいんじゃないですかね。

■2023年11月29日(水)  関係者の人数で規制するべき
大企業の税逃れ 総務省の新基準案「50億円超」に自民が猛反発
「減資した大企業だけを対象にする仕組みにするべきだ」
ばかか、こいつ。どうやって減資したと認定するつもりなんでしょうか。もちろん登記事項ですから、既存の大企業が減資すればわかることは確かです。しかし、こんな発想をしたら基準発効前に駆け込み減資が起こるに決まっています。もちろんそれで捕捉を逃れさせたいのなら話は別ですし、まあ、そうなのでしょうけど。
正直資本金基準はおかしいと思います。基本的に連結ベースでの社員・株主数と従業員数の合計で規制するべきですし、合計500人以上あたりが望ましいでしょう。どのみち従業員数で規制すれば規制逃れに雇用の削減に走りますから、この際徹底的に減量させるのです。その意味では百人以上は大企業とするべきだとは思うのですが、工場では簡単にこれを超えてしまいますので、敷地内業務委託の禁止と抱き合わせで500人程度が落としどころかと思います。そうなれば、当然上場企業は全て大企業になります。株主だけで五百人じゃきかないでしょうからね。

■2023年11月29日(水)  今放棄すると大量破壊兵器の戦力倍増要素になりませんか?
パリ市長がXの利用停止 偽情報増加で「民主主義の大量破壊兵器に」
使わないことにするのはいいのですが、今迂闊に著名人がXのアカウントを放棄すると、変なことに使われやしませんかね?もちろん「使う」のもよろしくないわけですが、動かなくなっても回収されて変なことに使われそうなので、差し障りのない不思議な呟きを流すアカウントにでもしておくしかないような気がします。

■2023年11月28日(火)  AI投資で国庫が枯渇とかなったら面白いけど
プーチン大統領、ロシア独自AI開発に言及 西側の独占に懸念
まあ、独占はよろしくないし、ロシアとか言わずに開発チームがどんどん出てくるといいと思いますが、「主要な西側のAIモデル、特にOpenAIのChatGPTのトレーニングに使われているデータセットは英語に偏っており「ロシア文化を消し去る」可能性があると警告。」という主張が日本の主張と強くオーバーラップします。少なくとも文化的な基盤が異なるものを迂闊に移植した場合受け入れが難しい場合があることは、それこそ日本で実証済みであり、今日本で展開している海外製品は、物珍しさで使われている例(素のChatGPTなどその部類)を除けば、地域の傾向に合わせた調整をしたものが多いはずです。つまり顧客がありがたがって外国文化に馴染んでしまう(日本なんかその傾向が本来あったはずなのですが、そのわりに現場レベルでスルーする形で反発が出るという結果になっていますから、組織全体に相当のプレステージが必要なのでしょう)場合を除けば、現地の文化的傾向は無視できないはずです。もちろん生成するデータがどうなるかという話はありますが、どうでもいい美術系や音系のデータはともかく、素人が多用し、つまり文化的侵略の中心になるはずのビジネス・便利系コンテンツについては、むしろトレーニングデータのユーザーフィードバックによる上書きを通じて現地化、ハイブリッド化していく可能性があると思います。
むしろこういう発言やそこで主張される(もちろん主張する人が真剣にそれを懸念していることはあり得ます)危機感は、文化というよりは主張する人の都合の良いように方向性を統制したいという発想に基づいている場合が多いと思いますし、またそのために資金や制度を導入することを合理化するものなのではないかと思います。これ、多分やると財政破綻するんじゃないかと思うんですけどね。

■2023年11月28日(火)  TOBでもかけるというならまだしも
赤字路線の存廃めぐり「もの言う株主」に 岡山・真庭がJR株取得へ
こういうの、どうなんですかね。ものを言うというならせめて三パーセント程度は取得すべきだと思いますが、できるんでしょうか。まさか大昔の一株株主みたいな考えではないでしょうね。
もちろん株式会社にこうした面が付きまとうことは事実ですし、少数株主を無視するのも問題があるのですが、そういう制度を乱用した場合、制度的に株主権が制約されることになりかねません。もちろん世界的にも株主権を制約する趨勢もあるのですが、その場合株主権もない株式を何でリスクに見合わない価格で買わないといけないのかという話が出てくるでしょう。つまり株式を発行する企業にとっては大変迷惑なことになると思います。

■2023年11月28日(火)  賃上げに悩んでないで廃業か売却してしまいなさい
人件費は「おたくのアレだよね」中小、苦渋の賃上げ 進まぬ価格転嫁
「取引上の立場が弱いとされ」
こういうレベルは経営とは言わないでしょう。自立して事業を維持していけるというのが最低限のレベルであり、立場が弱いから賃上げができないような状態なら会社自体を取引先に売り払ってしまうべきでしょう。もちろん買わないというなら廃業です。まともに続けていけないようなことを事業にしている方に問題があるわけで、どうせ他の取引を探す余裕もないのでしょうから一度諦めるのが筋でしょう。

■2023年11月28日(火)  「承認」で済むと思う方が変じゃなかろうか
「11月からLINEが使えなくなる」騒動はなぜ起きたのか 同意しないと年内めどに使用不可に
「似たようなポリシー変更は、有料・無料を問わずさまざまなサービスで発生するものです。見慣れない案内が表示されたら、読み飛ばすのではなく、しっかりと内容を確認する習慣を身に付けたいものです(それがなかなか難しいのですが)。」
これについては意見が違っていて、もちろん確認するに越したことはないのですが、約款を利用者に読ませるような発想は問題だと思います。例えば電気や水道、公共交通機関、通信にも、冊子にすればなかなか分厚くなる約款が定められているわけですが、読んだことはあるでしょうか。ネット絡みの上物サービスのそれほどではないにせよ個人情報も扱うわけですが、プライバシーポリシーの変更への同意を求められたことがあるでしょうか。
こうしたポリシーはサービスの設計事項の一環と考えるべきであり、基本的には変えない範囲でサービスの拡充を行うべきと思います。変える必要が発生した場合は、それこそ一度会社を清算して事業を立ち上げ直すくらいの大事として、ユーザーにこのサービスはもう続けられません、一度契約を解除し、改めて新規事業の方のサービスをご検討くださいと頭を下げるべきでしょう。もちろん新会社に事業を移行させてなんてのもだめです。いったん事業を完全にシャットダウンするべき筋です。

■2023年11月27日(月)  まあ、相手にしないしかありませんからねえ
消費者惑わすダークパターン 4割強が「引っかかったことある」
まあ、ネットだけじゃないですね。普通の店でも「今だけこのお値段です!」とか「店頭在庫のみです!」とかアナウンスをしていたりするわけですし。そういう意味では独創性はほぼないです。
とはいえ、効果があるからするわけです。実態と違っていれば問題ですが、実態と合っていた場合は違法性は問いにくいでしょう。リアルも含めて、こういう商法に対峙したときに冷静でいられることが唯一の解決策ではないかと思います。もちろん、何かやっているみたいな黒金とかもこの類ですので、バーゲンセールも含めて販売促進行為を全面禁止するならまあ、規制もありかもしれません。その場合アウトレットも禁止かな?

■2023年11月27日(月)  それこそライドシェアは全面撤回して大臣副大臣以外全員辞職を
答弁中にスマホを取り出して注意された河野デジタル大臣 何を調べていたの?
まあ、答弁資料にはなかなか乗っていない事項でしょうね。
とはいえ、そんなことを訊かれてしまうようなライドシェア推進策を取っていることについては全く同情できません。これは、そんなことは絶対に起きない、なぜなら…と答えられてしかるべきですし、それでこそ、いや、その対策にはこういう欠陥がある、といった建設的な討論になるというものでしょう。もちろんその場合、誰が出したのかに関わらず、当時の外務省が表明していた懸念を関係各部署が踏まえていると言えるわけです。
正直ライドシェアについては、次官以下の責任で全面撤回が望ましいと思います。もちろんライドシェア待望論を出した地方自治体首長も辞任でしょう。また待望論を出した国会議員も大臣級を除いて辞職、引退するべきです。その上で、突き上げられただけで内閣案件ではなかったと頭を下げて口を拭ってしまいましょう。それで次の選挙に負けるかもしれませんが、それはそれだけのことです。さすがに通常国会直前に解散総選挙はよくありませんし、ライドシェアを口にしたらこうなると思えば下から提案は出て来なくなるでしょう。民間主導で国会に陳情が出て議案が出てくるというのが望ましい形と思います。

「あ、ダメなんですね」河野デジタル相、予算委のスマホ利用で注意
「あ、ダメなんですね」
「参院事務局によると、委員会室でパソコンやタブレットを使用することはできるが、スマートフォンは認められていない。」
もしかして衆議院では可なんでしょうか。
パワポを使うためのパソコンやタブレットならまだしも、スマホはさすがに学校と同じ理由でだめでしょう。もちろん議事堂に持ってくることはできるはずですが、守衛所か議員事務局の担当部署に預けるもののような気がします。
普通は議員なら自分の所属の院の規程くらい覚えているものなわけですが、アメリカ合衆国下院では新人議員に規則を覚えさせるために積極的に議長代理や委員長代理をやらせるという話もあるので、やはり徹底は必要なのでしょう。そして河野氏は衆議院議員ですので、参議院の規則に通じていなくても仕方ないのかもしれません。とはいえ、閣僚としてどちらの院にも出る以上、まず規則は覚えるべきだと思います。

予算委でのスマホ使用「すいません。私のミス」 河野デジ相が陳謝
誰に謝っているんでしょうか、これ。予算委員会でのルール違反なら、委員長なり参議院議長なりにルールを失念していたことについて謝るべきで、記者会見で遺憾の意を表したところで謝ったことになりません。そこは、どうも対外的に表明すればいいという甘い発想が目立ちます。筋を通すものなのですから通すべきです。

■2023年11月27日(月)  民営じゃだめですか?
万博日本館の費用「360億円必要」 西村経産相、参院予算委で説明
これ、民営化できませんかね。
もちろん費用が増えるのはわかりますし、無暗に膨らませているとも思わないのですが、やはり民間事業の効率性を取り入れるべきでしょう。そのための株式会社を設立して株式引き受け公募で資金調達し、もちろん事業の責任も悪事の責任も民間任せで。そうすれば国債の発行も抑えられますし、株式市場も有効活用できます。日本館の運営収益は政府に入ってこなくなるはずですが、おそらくそれよりも効率化の効果の方が大きいはずです。また機敏かつ的確なリスク判断や対応も期待できます。
いくらなんでも、リスクを度外視してでもする価値があるとは言いませんよね?

維新・馬場代表「万博の費用、増えているような印象操作」
「いかにもこの万博のお金がどんどん増えているかのような印象操作をしていると捉えたいと思う。」
これは気持ちはわかります。わかりますが、額が上振れしているのは間違いないと思いますが。その意味で「大阪府、大阪市のプロの目でもチェックをしていただいて、今後増額のないように、できれば削減できるように前向きにやっていきたい。」というのはまっとうな対応ですし、正直今月の大阪市の万博実行委への事情照会などは評価できます。とはいえまず事業自体を削る方向で考えていただきたいものです。各事業をできるだけ安くなどということをすると、現場に負担がかかります。それで困る向きが出ることはありますが、少なくとも一番問題になっている建設絡みは、各事業の予算割り当てを確保したうえで事業数を減らせば、することが減るので要員が減って楽になるはずです。もちろん万博自体ギブアップして違約金を払うのが一番良いとは思いますが、やるにしてもすることを減らす、工数自体を設計レベルで減らす、仕事を減らす、人を減らす、それで費用を減らす、そういう発想にするべきです。
まあ、そういう意味では木製アーチは要らないだろうという話が出てくるわけですが、むしろああいうシンボリックなものこそが大事だったりはするので、その分他の張りぼてやお義理で出しているようなアトラクションがあるならそっちを削って、あれは自身を持って作って使い捨てたらいい(もちろん裁断して配るとかどこかの壁に貼るとかいうのはあり)のではないかと思います。

■2023年11月26日(日)  再建を考えるべきではない
首都圏でも「陸の孤島に…」 減便・廃止相次ぐ路線バスが抱える構造
そもそも住宅ローンはとっくに払い終わったような人がなんでまた路線廃止で陸の孤島になるようなところに住んでいるのでしょうか。家と土地を車を持っている若夫婦に売り払って駅なり使う施設なりから徒歩圏にある世帯規模相応の物件に引っ越しているものでしょう。それができないのだとすると、おそらく記事中の夫婦が住んでいる物件は負動産まっしぐら、子供が相続を拒否しようとすることになります。
運転手不足という問題があるとはいえバスすら運賃値上げもできず減便や撤退に追い込まれるのでは、持続性の部分で都市計画を誤っていると考えるしかありません。やってしまったものは仕方ありませんので、せめて変に安アパートがポコポコ建って権利処理が面倒になる前に、不動産の交換でも何でも使って市街地に住民を集中し、分散した高齢住民の管理コストだけでも下げるべきだと思います。その上で回収した周縁の土地の活用なりを考えるべきでしょう。農地に転換してその近所に残っている農家に売ってしまってもかまわないでしょうし、耕地化するコストを考えればお金を払っても引き取ってもらうべきでしょう。それでその土地が生産性を獲得するならまだましというものです。もちろん再開発のしようがあるならそれもありです。

■2023年11月26日(日)  赤字でも運行できるということを除けば公営でも同じ気はしますが
負のスパイラルに陥る路線バス 専門家が指摘する公共交通とビジネス
「地域の公共交通を全面的に民間ビジネスとして委ね、運営してきた特殊な状況のツケ」
というか、民間ビジネスに任せた事業について公共性を主張してきたつけと言うべきではないでしょうか。料金を払った客の利用を原則拒否しない、乗り合い客が共有するという意味の公共交通ではあるものの、大前提はユニバーサルサービスのような公共性ではなく、ちゃんと儲かる範囲で行う営利のビジネスというところにあります。もちろん民間ビジネスとて、非営利法人が運営するような場合はこれは必ずしも前提にならないわけですが、とはいえ民間である以上全体で赤字が続けば事業を終結せざるを得ません。その前提からすると、ユニバーサルサービスを前提に公共性を主張され、路線やバス停、運行本数の削減、料金の値上げなどを禁止・規制されると、形態に関わらず民間ビジネスが行き詰まることはあり得ます。もちろん地方自治体でも財源が自由になるわけではなく、したがって財務的に行き詰まることがあり得ますが、運賃収入以外に税金という収入がある地方自治体の方が行き詰まりにくいのは確かですし、一存で国債を発行し経路がどうであれ中央銀行に引き受けさせられる国の方がさらに破綻しにくいわけです。もちろん、公共交通である以上運賃など取るべきではないという主張もあり得るでしょう。相応の便益があって税収に結びついているのであれば税財源で賄えるからです。この場合利用者に税財源で賄われていることへの認識が薄くなることは問題かもしれませんし、税財源であっても効率性は問題になるというのも事実ですが、だからと言って労働力を買い叩いていいわけでもありません。この点では公営事業だろうと運転手の処遇を改善できない可能性が高いことは注意が必要でしょう。単に会社として潰れない、収支に関わらず運転手の処遇を変更できるというだけで、改善しなかったり改悪したりすると、運転手がいなくなって事業を続けられなくなります。そこで、市民の足を担っているんだから劣悪な処遇でも誇りを持って頑張れなんて言ったら、ブラック職場です。
もっとも個人的には人間の労働を前提にする限り利便性、労働保護、効率性のトリレンマは一般的には解けないというか、むしろ解のある領域はごく小さいのではないかという気がします。

■2023年11月25日(土)  原文も悪いが訳文はなお悪い
SNS投稿が“パレスチナ寄り”と「スクリーム7」を解雇された俳優、「沈黙は選択肢にない」と声明発表 ボイコット呼びかける声続々
主張自体はともかくとして。
「私は、人々の集団は指導者ではなく、いかなる統制機関も批判の上に成り立つべきではないと信じています。」と訳されている部分は、「I believe a group of people are NOT their leadership, and that no governing body should be above criticism.」となっています。いささか英語としては乱れている印象を受ける文ですが、少なくとも後半のbeは「である」というよりは「ある」と解釈するべきでしょう。つまり「私は、ある種の人々はリーダーに相応しくないし、批判を超越するような政府もあるべきではないと信じます。」という趣旨ではないかと思います。前半がかなり意訳になっていますが、「I am their leadership.」という文は「私は彼らのリーダーだ」という意味になります。文脈に依存する部分はありますが、この場合thierはa group of peopleではなくpeople of Israel and Gazaと解釈するべきなのでしょう。a group of peopleがイスラエルとハマスの指導者=流血の責任者であり、彼らはイスラエルやガザの指導者である資格を持たないと非難していると解釈し、かつそのような指導者の率いるgoverning body - これがgovernmentでもsovereign bodyでもない理由はどうもわかりませんが、ハマスが国家でも政府でもないことを前提にしているのかもしれません - 、批判されてしかるべき政府は統治の正当性を失っているという主張であろうと思います。なんとなく「統制機関」という訳語からして機械翻訳ではないかと思うのですが、訳文はあまりにも酷いものです。
とはいえこういう誤解を容易に引き出す文をポロっと出すことになってしまうメッセージングシステムというのは、そもそも設計の発想の上での欠陥品とは言わないんですかね。綸言汗の如しなんて言葉もありますが、どうみても口で言う言葉特有の問題、反射的に練り上げる前の言葉を発してしまうという特徴を実装してしまっていると思うのですが。

■2023年11月24日(金)  ロシアは逆に、万博を政治利用する日米同盟を非難して喜びそうですが
自見万博相、ロシアの万博参加拒否を示唆 「理念と相いれない」
こういうのを万博の政治利用と言うんじゃないでしょうかね。正直来たって構わないし展示にカラシニコフを飾ったって構わないと思います。ロシアだろうと北朝鮮だろうと、展示したいというならさせてあげたらいいじゃないですか。ちゃんとお金を払うならですが。その意味ではアメリカだろうとドイツだろうと、ちゃんとお金を払わないならノーサンキュー、ノットウェルカムです。立て替えて回収不能なんてことになったらたまったもんじゃありません。

■2023年11月23日(木)  患者が保管する方が良いのでは
電子カルテ、永久保存を 薬害被害者ら要望 5年では「短すぎる」
もちろん理屈では永久保存は可能ですし、医療の状況の追跡という意味では望ましいでしょう。とはいえ医療費を増やしてまですることかと言うと疑問です。
むしろ電子データである以上患者が保管する、医療機関側の保管期間は現行通り五年というあたりが落としどころではないかと思います。メディアの容量も増えていますし、患者側にあれば第三者に保管を委託するという発想もできます。一番必要な人の手元に置き、本人の責任で管理するというのが適切ではないでしょうか。

■2023年11月23日(木)  イギリスでこれだよ。なんで日本じゃ最低賃金の千円越えに企業が苦情の大合唱なんだ?
英国の最低賃金、2128円に引き上げへ 190円アップ、1年ぶり
中道右派政権でこれですよ。日本が時給千円で揉めているのは大変情けないです。
おそらくイギリスにも、特に未組織労働分野になんちゃって自営や違法就労が蔓延しているはずですが、その状態でも最低賃金には、社会として単位時間の労働コストの下限をアナウンスするという意味があります。これを下回るコストで人的労働を使用することは違法であり、金利、物価と合わせて経営に対する規律として働くのです。何しろイギリスですから、最低賃金の無視を含めた違法行為には、しかめ面をしたおばちゃんが学校の先生っぽい服装でつかつかとやってきて、手の甲とか尻とかを鞭でビシビシ叩くのに違いありません(まあ、普通は罰金、悪くて収監です)。そういう、不効率な事業が奴隷を労働者と称して他人の労働を使うのは犯罪だということを示すのが、最低賃金の現代的意義です。それ以下の労働コストで事業を回したいなら、雇用を用いてはいけません。まあ、なんちゃって自営とか擬装下請、なんちゃって管理職とかも問題ですが、それは雇用に見えてしまうような下請はだめ、低賃金で雇用にしがみつくようなのを管理職と言ってはおかしいという形で規制が可能なのに対して、雇用というのは本質的に労働者を拘束する契約類型なのですから、拘束の不利益を保障するに足りる賃金を払うことが大前提なのです。

■2023年11月22日(水)  自分の結婚の尻拭いくらい自分ですべき
共同親権「子どものためになるのか」 DV被害者や支援団体ら会見
問題が違います。
DVを受けた子供の被害は問題ですが、それは親権が単独だろうと共同だろうと変わりませんし、むしろDVの実態を家庭裁判所がちゃんと認定することの方が大事でしょう。そこさえちゃんとできれば、原則が共同親権だろうと問題は起きないはずです。
むしろDVを起こすような相手と結婚し子供を作ってしまったことの方が問題です。そこは被害者と甘えず、ちゃんと尻拭いをしていただきたいものです。そこには相手方のDVを立証し養育者として不適任なので親権を取り消すべきという家庭裁判所の決定を引き出すことも含まれます。結婚を強要することは論外ですが、それだけに結婚した当事者には結婚において当然に前提とされる事柄に対する責任が生まれます。もちろん結婚に準ずる、つまり出産につながるような行為を同意のもとにすることも同様です。もちろんその責任を果たせるとは思えないと関係機関が判断すれば、両親ともに親権を取り上げられることになります。

■2023年11月22日(水)  議会政党という発想はもはや破綻している
日本維新の会の3市議が離党 「パワハラ行為や嫌がらせ」と訴え
日本維新の会や大阪維新の会でハラスメントが横行しているというのは何の不思議も違和感もないのですが(そもそも代表が歴代パワハラの権化みたいな人たちなんだもの)、正直一体政党とは何なのかという気がします。事業目的の社団といっても色々あるわけですが、少なくとも議会における政党というのは組織性が低いものであるはずです。そうでないと、議会における討論の意味がありません。各政党で揉んで採決だけすればいいことになってしまいます。
正直どう見ても学生時代に習った政党論は破綻していますので、議会や公職における政党(=政策実現を目的とする社団)の排除と候補者が選挙に際して個別の協定に基づき政党(公的機関外部の政策実現を目的とする社団でそれのみを目的とする政治団体を含む)の支援を受ける形(当然そこで結んだ協定は任期中議員・首長と政党を拘束する)に限定するような厳格な制度を持って政党政治を規制するべきではないかと思います。政党(というかどうかは疑問ですが、一定の政策の実現を目的とする社団)の結成自体は、結社の自由にも裏付けられた市民の権利です。そのようにして議論整理された政策案が顕在化し、公の政策になることを目指して競合することになります。しかし、議員も首長ももはやそこに巻き込まれてはなりませんし、この種の政党も特定の議員や首長を安定的に当選させる仕組み(=政治基盤、地盤)になってはなりません。選挙のたびごとに、政党の目標とする政策に即した支持協定を公然と結び、候補者は政党の政策案のうち同意できないものを拒否しなければなりませんし、同意した以上はその職においてその実現に努力しなければなりません。それでこそ、政党との関係性の解除、切断が政治的意味を持ちます。

■2023年11月22日(水)  それよりも人件費の価格への転嫁と事業の効率性の評価への反映が問題
「覚悟せざるを得ない」負担増に構える受け入れ企業 技能実習廃止で
人件費増はむしろ当たり前なので、問題はそれが施工費、受注価格に転嫁され、人件費に合わない(=作業員を買い叩くような)発注が減っていくかどうかです。人件費増が受注者の「効率化」とやらで処理されてしまえば意味があまりないでしょう。マーケットプライスベースの発注側見積もりではこの種の値上げ要因は反映されにくい気がするので、変な「相場」頼みではなく原価積み上げと整合するような見積もり方式がこの場合は望ましいと思います。また公共事業主体には、積極的に価格上昇を見込んでの事業の改廃を進めて欲しいものです。つまり建設事業における新規建設、増改築のような規模拡大事業の規制です。現在利用されている設備の保守は基本的に必要ですし、廃止には相当の議論をするべきですが、拡大はむしろしないことを基本にするべきです。建築物の建て替えもで、まあ、過去に安普請でどうしようもない建築物を作ってしまった以上仕方ない面はあるわけですが、それでもその罪滅ぼしと思って、それを極力、原則として、延命使用する方向で考えるべきです。崩れたらどうしようもないとは思いますが、その場合建て替えず、他の既存施設をその目的に転用するべきです。スペースが足りないなら業務を減らすべきです。倉庫は絶対必要ですので優先的に確保し、業務を減らし、人を減らして倉庫スペースを作るべきです。また建物に一定の機能を仕込むことが必要なら、居室を減らしてそのスペースを作るべきです。
もちろんいくらかかろうと行うべき事業というのはあるわけですが、だからと言って買い叩いていいわけでも、効率性や財務状況を甘く見ていいわけでもありません。その意味でも事業から給付への転換が望まれます。

■2023年11月21日(火)  自然の恵みと人の技の共同作品でない食など今のところない
和食は自然の恵みと人の技との共同作品 「まずはきょうの夕食に」
自然の恵みと人の技との共同作品というのは、今のところあらゆる食がそうです。マクドナルドだろうがカップヌードルだろうがそうでない食などありません。
こういう間の抜けたことを言っているからどうにもならないのです。間は抜けていないという反論は、まずは自分の使う食材を全て自分で用意してからにしてください。他人から買ったり貰ったりするのではなくということです。もちろん漁をするなら漁具も船も自分で作るべきですし、船を動かすなら燃料も自分で掘るなり薪でも集めるなりして用意するべきでしょう。
そんな無茶なと言うなら、和食は和食はと他の料理を貶すことこそ止めるべきです。アイントップフだろうとブイヤベースだろうとミネストローネだろうと自然の恵みと人の技の共同作品ではないでしょうか。ボルシチやウハー、ピロシキだってそうでしょう。ソリャンカもそうです。ピビンパブや冷麺が自然の恵みでも人の技でもないなどと言えるのでしょうか。品種改良を重ねているとはいえ人が炭素と酸素と水素から牛や豚を作り出したわけではない以上、肥育に使う穀物飼料だって自然の恵みである以上、特定の食が自然で他はそうでないなどという論はナンセンスです。むしろ開墾とハウス栽培と養殖に依存している和食こそ、自然の恵みから逸脱しかけていやしませんか?土質改良と品種改良、様々な人工的な処理なしに、少なくとも北陸や東北で稲はまともに育ちませんからね。もちろん、個人的にはそれだって自然の恵みをベースにした人の業だと思いますが。もちろん建物の中で人工照明下で水耕栽培される野菜だって同じことです。

■2023年11月21日(火)  日本でやる価値って何かなっていう
継続か消滅か? 日本がモータースポーツの世界舞台を失う前に知りたいこと
開催団体はともかく、地元としてはどうなんでしょうかね。例えばマラソンなんかを含めた公道レースなんか個人的には邪魔としか思えないですし、もちろん競技会場へのアクセス経路の渋滞や環境問題もあるわけです。
まあ、見て面白いと思う人はぜひお金を払って見に行くなり、せめて旅費をそこに突っ込み、例えば宿泊費や外食費のような形でお金を地元に落とすと良いと思います。そうやって価値を感じる人が支えることで、表明されるものもあるでしょう。もっともそういう人は中国であるなら中国まで行くものな気がしますが。
個人的には価値を感じないので見に行きもしなければスケジュールを見もしませんが。

■2023年11月21日(火)  我々にはAIがある、人は要らないというのが「正解」だと思いますが
OpenAI従業員の9割、アルトマン復帰なければ退職と署名
あほかですねえ。
いや、トラブルを起こした取締役会もあほですが、この従業員たち、自分たちが何を作ってるのか理解しているんでしょうか。ほどほどのところで、株主と代表取締役の類さえいれば人間なしで進むようになるのが理想というもので、そう思えないなら汎用人工知能など開発する価値はありません。まあ、自律適応プログラミング自体が好きでやっている人もいるのでしょうが、そんな感覚を「汎用人工知能を開発する」という事業に投影されても困ります。
取締役会は、We appreciate exit of employees non-grata from our company.と断言するべきです。

アルトマン氏、OpenAIのCEOに復帰へ。取締役会も刷新
サム・アルトマン氏、OpenAIに復帰 解任から1週間足らずで
サム・アルトマン氏が一転して米OpenAIのCEOに復帰へ
OpenAIアルトマンCEO復帰で決着。解任された理由は謎のままですが
米オープンAI、アルトマンCEO復帰で合意 解任めぐる混乱に幕
ありゃ。腰砕けですか。何がしたかったんだ、あの取締役会。
OpenAIの経営体制として取締役会と経営執行幹部の関係がどうなっているのかは問題ですが、社外取締役中心であるとしても、取締役会が単独で動くというのは結構難しいはずです。解任が実現したということは取締役会内部に一定の合意が形成されていたということで、ステークホルダーにアルトマン氏を快く思わない人がいて、取締役会を動かしたものの、騒動に発展しそうだったので社外取締役に全部押し付けて収拾した感じでしょうか。取締役会の誰かがその意思として創業者からの実権奪取を試みたのなら、その人がちゃんと前に出てくるもっとまともな展開をするはずです。
まあ、ああいうことをやっておいて従業員に断固たる対応ができなかった点で取締役会はむしろ経営陣足る資質がないと思いますが、株主からも異論が出たらしい点は重要です。経営幹部や従業員は解雇できますが、株主は株を売り払って出て行っていただくしかなく、マジョリティが適正な法的対応をすれば取締役会の方が解任される立場です。取締役会の行動を批判するような動きが株主に出たというのは、どう見ても下手を打った類でしょう。
どのみちそのうち - 十年以内に - OpenAIでは大量解雇か会社の崩壊が発生すると見ますが、その時に、あの時騒動に乗じてスリム化しておけばよかったなんてことにならないといいですね。
何が何だかわからないせいか、「混乱に幕」が降りた気があまりしません。少なくともサービス導入でOpenAI一択というのは、リスクを考慮して避けるべきなような気がします。

■2023年11月20日(月)  天職の職業病
「神聖な場所」への弁護士立ち会い、話が違う 元捜査1課長が語る
まあ、これだから警察官はという感じですね。「取調官と容疑者以外の第三者が取調室に入ることで、取り調べで最も重要な「事案の真相を解明する」機会が失われてしまうからです。」などという馬鹿げた話はなく、警察や検察の取り調べで大切なことは被疑者の有罪を確証する根拠を得ることです。確かに事案の真相を解明できれば被疑者とは限りませんが事案において犯行を行った者の有罪を証拠立てることになるかもしれませんが、刑事捜査が権力行使である以上過度な行使は認められない点の方がよほど重要です。有罪立証に必要な範囲を超えて事案の真相を解明することはむしろ権力機関による犯罪行為とすら言えると思います。ましてや犯罪捜査や取り調べの神聖視など戯言としか聞こえません。
これでは、取調官と容疑者のみで行われた取り調べで得られた証拠の証拠能力は全面的に否定するしかありませんし、またそのような取り調べで得られた情報により行われた捜査も違法と断じるしかないでしょう。
またこういう観念を発生させる職場は精神異常者を作り出す問題のある職場でしょう。従業者全員に職務からの解放と精神状態の検査、およびこの種の精神異常、職業的観念への偏執なり強迫観念なりを治療する機会を保障するべきです。

■2023年11月20日(月)  なんかまだスリム化の余地がありそうな
タバコはどのように作られる? JT関西工場で見た驚異的な装置
むしろなんで320人も従業員がいるんでしょうかね。32人で十分な気がするのですが、交代操業のローテーション要員でしょうか。それでも監視警備で合計10人必要として60人もいれば十分だと思うのですが。

■2023年11月20日(月)  置き換えられるなら置き換えて構わない
AIタレントの功罪「もっと危機感を」 権利課題の日本が最も推進?
今までご苦労様でした。もうしていただくことはありません。
少なくともAIを起用する側はそう思っているでしょうし、個人的にはそれが悪いとも全く思いません。もちろん今までさんざん使ってきた側に仕事を切る際の道義的責任はあるでしょうし、正直全てAIで代替できるとも思いません。とはいえ、その範囲で十分なことをより低コストで代替できるなら、それでいいのです。芸能の保護とかはその外側で論じることで、パトロネージに先祖返りしたっていいことです。個人の問題としては、それこそその分のトレーニングを受けるなり別の機会 - 今与えられている機会よりも低い稼得になるかもしれませんし、ひょっとすると手弁当かもしれませんが - を探すなりするのが筋です。仕事を貰うのは権利ではありません。もちろん仕事として寄越す以上適正な処遇をするべきではありますが、それは個別の案件における問題であって、例えば俳優という仕事があるわけではありません。それは例えば、この会社の取締役という仕事はあっても一般的な経営者という仕事はないのと同じことです。ともすれば賃労働者の感覚から勘違いしがちですが、普通は仕事にからむ稼得というのは身分に結びついたものではなく、個別の契約に基づくものです。そうでないというなら、芸能従事者協会は年金を求める代わりにこの条件でこの件数の案件をいくらで受けるという交渉をするべきです。その場合スポットは断り、あくまでも年契約ベース、年金、協会としては契約報酬としての支払いにするべきでしょう。AIの方が都合が良いと思う人はAIを使う、人間の俳優がいいと思う人は拘束的な契約をしてでもそちらを使う、認められるのはそこまでです。一般論として演技にはAIを使うべきでないなどという話は受け入れられません。これは芸能や演技だけではなく、どんなことでも同じです。警備がAIを積んだロボットで十分ならそうすればいいし、行政事務がAIで済むなら、それでコストが下がるならそうするべきです。民事契約や商事契約に基づく役務とはそういうものです。少なくとも私は演劇や演技に対する愛を他人から押し付けられたいとは思いません。愛がない以上人的労働としての役務の盛衰は他人事です。それは、おそらく森崎さんにとって算盤で計算する仕事が他人事、エクセルでの計算に置き換わっていい仕事なのと同じことです。算盤での計算が保護されるべきだからエクセルや電卓は使ってはダメなんて、言えますか?いや、算盤愛好者や算盤教師にはそういうことを言う人があるのは知っていますが、個人的にはまともに取りあうべき話とは思いません。
もちろんそこで求められるキャラクターを演じる以上の価値が俳優による演技にはあるというわけでしょうが、その価値を判断するのは顧客です。そう評価する人がいること自体は全く否定しませんし、俳優、芸能者側はそのような評価を獲得するよう努めるべきだろうとは思いますが、アセクシャルで単身志向の独身男性にとって女性用の生理用品が全く価値を持たないように、俳優の演技はAIによる画像生成で代替できる、むしろ余計な独断を入れないだけ都合がいいと判断する人もいるのです。古い例で良ければ、ヴェルディやトスカニーニが歌手の独断的な表現に激怒した - ちなみにトスカニーニは独断的な解釈を作曲したラベルに怒られた - 例を引けば十分でしょう。付けられた値段で買う価値があるかどうかを判断するのは買い手であり、押し売りは止めていただきたいものです。

ワーナー・ブラザーズ・アニメーション社長、AI利用に意欲みせず アニメーターを「できる限り長く守ることも重要」
もちろんデザイナーや声優、撮影技師も含めてこういう発想だってペイする限りは可です。作品にコストがかかろうとも作品でそれだけ儲ければいいだけの話です。労働運動はともかく、経営というのはそういう見地で、時には流行に抗って判断しないといけません。もっとも、この場合人を使うだけの価値があるという話であって、雇用を守るというのはその雇用から価値を生み出せない経営者にとっては負担でしかありません。その点は設備と同じことで、使えもしないのにAIを使うのは筋が違うわけです。
もっとも、そもそも流通チャンネルの制約で大手に職を求めざるを得なかった技能者が自立する方向を見せている(「才能ある若者の一部は「本当にデジタルを望んでいます。本当に(インターネット上の映像や音声を配信する)ポッドキャスティングを望んでいるんです」とし、時代の流れにより若者がエンターテインメントに望むものにも変化があると指摘していました。」)点が大手の採用よりもAIの普及につながる可能性はあります。動画制作の企画において才能が不可欠ならば、個人や少人数のチームでその企画の才能をサポートするAIを使うのが最もコストが安くなる時代はすぐに来るでしょう。クリエーターがテレビや映画に飽き足らないというのは、テレビや映画の流通にアクセスする回路が限られているからです。人の集まりはシナージーも生み出しますが、足も引っ張ります。特に金とチャンネルを提供するだけの人というのは足を引っ張る人と見られます。レバレッジ効果を駆使して金を稼ぐことが目的にならない限り、クリエーターは中抜き志向と製作コストのコンパクト化志向を持ち続け、したがって大手制作会社やテレビや映画からはある程度距離を保つようになると思います。俳優やオペレーターをカットしてAIに代替させるというのはその有力な手段ですから、賃労働者と別の世界でAIの普及が進み、大手とそれと絡まり合った賃労働者が取り残される可能性はあります。

■2023年11月19日(日)  まあ、見た目ではわからないか
自転車イヤホン、悩む警察 違反か否か判断できず 千葉先行の理由は
ルールの適用の仕方としては合理的なんでしょうね。車両の運転とか公共の場を占めるというのは一定の注意義務がある状況なんですし。イエローカードというのはおそらく単なる注意喚起のチラシの類でしょうから、権力の過剰行使には当たらないでしょうし。
とはいえ、そう考えるなら、その注意義務を利用した接触行為については自由を免罪符にせず取り締まって欲しい気がします。不特定多数に対する主張、表明ならともかく、声掛けや袖引きは明白に注意義務を悪用する行為でしょう。たとえそれが適正な募金集めや署名集めであっても同じ事です。そういう意味ではソクラテスは犯罪(まあ、軽犯罪でしょうが)をしていたことになるわけですね。広場で議論を吹っかけるなんていうのはそういう話です。

■2023年11月19日(日)  議員も貧乏になったもので
議員の自宅住所、サイト掲載は「リスク高い」 広がる「一部非公開」
まあ、そういうこともあるでしょうね。昔なら議員さんというと市町村議会議員(というか町村議会議員なら通常地元の名士なのでなおのこと)は門があり門番のいるような立派な家に住んでいたり、基盤にする政治団体の事務所があったりしたものですが、民主化が進展した結果でしょうが、自宅でこじんまり手弁当で政治活動をする議員というのも結構出てきました。無所属化の傾向も拍車をかけているでしょう。まあ、議会政治としては望ましいといえなくもありません。ただその結果問題が出ているとなれば対応するべきでしょうし、やはりセキュリティが問題であることは理解できます。それこそよくある出前のいたずらにしても、頼んだらセキュリティチェックに連絡しておくだけで、そこで「うちは頼んでない」と追い返せたりもします。まあ、店から債務不履行、不当な契約破棄で訴えられるかもしれませんが、そこはリスクを念頭において頼んだか頼んでないかの証拠を出せるようにしておくしかないわけです。面倒くさい話ですが。
とはいえ、議員のリアルの連絡先を公表しないというのは問題があると思います。別に自宅や自宅兼用事務所である必要はありませんので、とにかくここなら連絡が取れる、本人なりブレーンなりに取り次がれるという窓口は公開するべきです。その基盤として、一般立ち入り可の議員会館の整備というのはあり得ると思います。市町村が整備するというのもありですが、なんで事務所も持てない貧乏人のために税金で議員会館を整備しないといけないのかという意見もありそうで、例えば現職議員中心に寄付を集めて建設し、議員が運営費を分担して(警備も含めて)運営するという形もありかもしれません。
なお整備するとすれば、現代的には、議員やスタッフと一般立ち入り者が同じ廊下をうろうろしているというのは止めた方がよい気がしますし、一般立ち入り者を一人で陽がある議員の部屋まで来させるというのも止めた方がいいような気がします。せめて受付窓口から議員の部屋までは議員のスタッフがエスコートするべきでしょう。それで議員本人や会館を共用している他の議員に被害が及ぶことを防ぐという面もありますし、うっかり他の議員に会ってしまうと気まずいような話、状況もあり得ます。複数の議員と話し合うような設備も備えることはもちろん望ましいとして、議員固有の事務所の利点もできるだけ実現できるように配慮することが望ましいでしょう。昔のようになんでも政党でよい時代ではありません。

■2023年11月19日(日)  せっかくまともにやった研究の水準を疑われることになりかねないから気を付けるべきでは?
ダイエット法、健康食品…信頼できる?東大チーム、ネット情報に懸念
まあ、ネットの情報が裏取りを要すること、しばしば根拠に欠けることは確かです。
しかし、それはネットだからではありませんよね。マスメディアだって全く根拠に欠ける情報を流し、さらには東大教授がネットやマスメディアを使ってそんな宣伝をしています(東大教授だけではないですが)。実験バラエティ番組の検証不足ならまだましで、専門家が云々とおかしな情報を流すことは日常的にあります。マスメディアがそういう媒体だということが認知されてネット上での情報交換が重視されてきた面があり、そもそもネットが口コミ的に情報を伝達する媒体として活用されてきたのは専門家、ハイアマチュアのそうした媒体として発達してきた歴史があるからです。そこに井戸端会議レベルとマスメディアベースの情報を流したからと言って、近所のおばあちゃんのお勧めの民間薬以上の信頼性になるわけがありません。集合知のような概念もそもそも発言するのは文化的知識人だけという前提で構想された概念で、政治家や企業経営者、デマゴーグあたりがそこに出現することは想定されていないでしょうし、制度的にそういうものをBANすることが禁止される(発言を規制するなど民主主義に悖るとか)という事態も想定していないでしょう。
そして、例えば十分に吟味された情報がインターネット上ですらマイナーな専門サイトに隔離され、あるいは貴重な情報として値付けされてカジュアルな調査が排除されている状況(もちろん隔離され値付けされているからと言って十分に吟味されているとは限りません)で「ネットが」と言ったところでまともな評価にはならないと思います。もちろん大衆文化や大衆社会の調査としては価値があるわけですが、やはりソースの裏は取っても検証のレベルははなはだ怪しい新聞屋が変な文脈で引用するのはもはや偏向と言うしかありません。
まあ、大学だって霞を食って生きているわけではないので、パブリックリレーションを考慮することは仕方ないのですが、この研究結果を記者会見やプレスリリースで発表するという悪習はどうにかならないものでしょうか。そもそもこれ、ちゃんと社会調査系の専門誌でピアレビューを経た結果なのでしょうか。なんかそもそもテーマ設定がおかしい気がしますし、もしそれが取材した記者の偏見に基づく歪みなのだとしても、ただの独善的権威意識に基づいた偏った研究(というか問題があると言わんがための証拠固め)に見えます。実際に「ネット」上の情報が信頼できないものがほとんどだとして、それがどのような仕組みで生じているのかが社会学の論点のはずです。単純に傾向だけ出したところで、ああはいはい、どこの大学に卒論として出すわけ?と言われて終りでしょう。また仕組みを論じた場合、その議論が妥当かどうかがピアレビューでチェックされるのが建前です。もちろん厳格にやり過ぎると発表機会の排除につながりかねないのでほどほどにするわけですが、あまりに偏っていると見える場合は、こういう視点も考慮して考え直せと修正要求が出たり、これは直らないと思われれば掲載拒否されます。そういう審査を経て掲載された研究成果を一般情報媒体が孫引きするというならともかく、この記事はおそらく東大のプレスリリースをベースに書かれたものでしょう。さらに論文の掲載紙のJMIR Formative Reserach (https://formative.jmir.org/)はどうも医学系の媒体のようで、出てくる掲載論文を見る限り社会学系には見えません(というか、これ、掲載誌怪しくないか?)。医学中心の社会疫学コミュニティが社会現象について勘違いしたことをすることは、歴史上も結構例があります。例えば薬剤耐性菌による感染症は社会現象としては疫学や公衆衛生学の失敗として論じることができます(もちろん、失敗と言っても責任をどうこう言うレベルではあの当時はありませんでした)。ある意味医学畑出身の日本栄養学が調理専門家と一緒に料理文化にまで絡んで色々やらかしてしまったことは、例えば料理文化の方で1990年くらいからそれに反省するような話が出ていることから明らかです。まあ、さっぱり国際的にもさっぱり脱却できていないのですが、あっちは修養として自炊文化を振興するような発想に乏しいのでまだましかもしれません。もっとも、これはこれで日本では外食産業が栄養学的配慮に乏しい、ファットで大衆受けする売らんかなしかしないからかもしれませんが。

■2023年11月18日(土)  もはや支援に意味はない
ガザの支援は「ミッションインポッシブル」 国連9機関、危機訴える
もはや支援は苦痛を増加させるだけであり、住民全員を退避させるべきだと思いますがね。イスラエルの目的によっては住民退避のための休戦が成立する可能性はあると思いますし(現地に「民間人が全くいない」状態が確保できればイスラエル軍の行動の自由度も増すわけですし、武装勢力が住民と一緒に退避してくれれば後は人質返還交渉だけでしょう)、成立しなくても、一時的にでもイスラエルを軍事的に制圧して救出すること自体は可能だと思います。

■2023年11月18日(土)  このまま崩壊してくれるといいなあ
創価学会の池田大作名誉会長が死去、95歳 組織を飛躍的に拡大
やっと亡くなりましたか。
アクティブな方ではありましたが、正直迷惑な部分ばかり目立ったと思います。平和とかコミュニケーションと言っても、結局旧態依然の手法で要人の間をつないだだけです。何かを例えば平和の方向に本質的に変えたわけではないでしょう。こういう人こそ、例えば60歳前後で亡くなっていると、まだしも冷戦の終息に一役買ったという評価で済んだのではないでしょうか。

■2023年11月17日(金)  さすがドイツの裁判所、良くも悪しくも頭の固さでは一流
ドイツ財政に10兆円の「穴」 コロナ禍予算の基金転用に違憲判決
まあ、カイザーのライヒスカンツラーがそういうことをやったらライヒスタークは政府批判一色になったでしょうね。ビスマルク公が知ったら苦笑するのではないでしょうか。いくら同じく肉加工品だと言っても、ハムにすると言って受け取った豚もも肉をソーセージにして良しとはできない気がします。
もっとも、行政をやりたがる政治家なんてやることは同じだと白日の下に曝したという意味では日本人として安心しました。ああいう制度的常識のない馬鹿どもが政治家や官僚をやっているのが日本だけではないと知るのは、なにがしかの慰めにはなります。もっとも違憲審判になるところが違っているだろうと言われれば一言もありません。
とはいえ、行政府としてはどうせいっちゅうんじゃとは言いたいかもしれませんね。コロナ対策をする余地があるならまた別でしょうが、先が見えない状況で積んだ予算を必要なものに使うというのは、効率面からは望ましいはずです。もちろん民主政治は効率だけの問題ではありませんので、適正な手続の下で予算執行が行われることが必要であり、予算の費目を勝手に変えるなどというのは論外です。英国議会ならともかくドイツの連邦議会にすらできるとは思えません。というか、英国議会だって下院で大揉めするでしょう。予算の目的外使用はするなというのは、英国下院が国王から勝ち取った原則です。その意味でここでは忖度しないことが求められているのであり、憲法裁判所は求められた役目を果たしたことになると思います。とはいえ行政主導でドイツの憲法秩序の上位に欧州連合を作ってしまったのが今のドイツの状況ですので、欧州理事会の閣僚にしてその下僚たる連邦首相の行政権をどこまで憲法裁判所が制約できるか、気にはなります。

ドイツの財政運営「政府の怠慢だ」 予算流用違憲判決で資金不足に
怠慢というか、勝手な法解釈でしょうね。情状酌量の余地はないので、余ったお金の処理も含めてブンデスタークでさんざん虐められるのは仕方ないでしょう。ちゃんと判事の経験のある弁護士も入れて、収拾案を、おそらく処理の法律の制定という形で進めることが望ましいと思います。

■2023年11月17日(金)  カラオケに行くと誰かは必ず歌ってましたね
音楽家のKANさん死去、61歳 「愛は勝つ」がダブルミリオン
ご冥福をお祈りします。
あの当時は結構ああいう系統の曲が熱くて、その前の少し斜めに構えた曲よりはそのさらに前の愛に限らず心情を素朴に歌う方向に戻ったうえでそれを熱烈に歌う感じの曲が結構出ていますね。歌い方も良く通る声で叫ぶ感じで、わかりやすかったと思います。その後、通好みというか韜晦したような方向や心情とは距離を取った方向が出てきますけど。オケをシンプルにする方向が出てきたのもそのあたりかもしれません。KANさんはピアノの弾き語り風でしたし、ポップス系にオケ・バンドなしのアカペラが出てきたのはもう少し後でしたか。

■2023年11月17日(金)  そもそも読めない中卒が間違っている
「行政資料わかりにくい」 市役所自らイラスト解説、反響呼び書籍化
「小難しく膨大な法令」や煩瑣な行政資料を必要十分に読みこなせるようにするのが普通教育の目的だと思いますがねえ。何か違ってやしませんか?

■2023年11月16日(木)  そりゃまあ、あり得るオプションで加計学園にとっては労使紛争のリスクなんかも減らせて都合がいいというだけですね
千葉科学大、銚子市に公立化要望 加計学園が経営、安倍晋三氏とも縁
加計学園が要望する千葉科学大の公立化 銚子市長「大変厳しい選択」
まあ、千葉県マターでもいいわけですが、ともあれ経営母体は経営を見放したということで、銚子市なり千葉県なりが受けないなら閉学でしょうか。もちろんそれをちゃんとカウントしているならそれでいいわけです。加計学園としては、経営しきれない大学は他人に引き渡してしまう方がいろいろ面倒が少ないというだけのオプションでしょうから、閉学のコストも見込んでいるのだと思います。もちろん閉学したとして(その前に教員の解雇などの問題があるわけですが)、残った用地や建物の処分はあるわけですし、あまり売れる気がしないので、引き取れとか何とかいう交渉がこの後に出てきそうな気もしますが、取得時の拘束条件(転売不可とか大学用とか)の兼ね合いとか赤字で手放すと加計学園の経営に響くとかいうことがなければ、引き取り料を払ってでも売り飛ばすでしょう。

■2023年11月16日(木)  どうせ青田買いするなら大学入試でやって欲しい
「そこじゃない」教員採用試験、文科省の早期化策に上がる疑問の声
確かにそこじゃないというか、青田買いの発想ですね。まあ、ここ四十年ほど企業がそういう発想で採用活動をやっていたことも事実なんですが。あくまでもそこでやるなら、採用試験など止めて高卒時に教員養成課程に進学する学生を青田買いし、卒業時点で向こう十年ほどの義務的教員就業を科すべきでしょう。学生としても就職リスクが減り、教員になるならまずこのルートに乗って教員養成課程に行かないといけないので、教育学部も喜ぶはずです。中学・高校教員の養成から締め出される文学部や理学部からは反発が出るかもしれませんが、正直それは教職大学院でも行かせて対応して欲しい気がします。青田買いする替わり大学を出損ねたら採用はチャラという形にすれば、教育学部や教職大学院が甘やかさなければ学生は真面目に勉強するでしょう。
とはいえ、そこじゃないのも事実ですねえ。企業の採用を蹴ってでも来てくれる人が欲しいということなのでしょうし、ブラック職場を改める方が先な気がします。

■2023年11月15日(水)  ヒットというか、傾向自体は2010年からではなく1970年くらいからではないかと
ファッション界を騒がしく席巻する「クワイエット・ラグジュアリー」
「近年はロゴがなく上質な素材の服を優雅にまとうスタイリングがトレンドになった。」
正直こっちの方がよほど真っ当な感性だと思うのですが。
あのロゴ入りの服をまとう発想は、個人的に認識したのは1980年くらいですが、多分1970年くらいには普及していると思うので、50年ほど続いていたことになるのではないでしょうか。みっともないファッションが続いていたものです。さっぱりファッショナブルではありません。ちなみにもしかして流行なのかと気付いたのは、UCLAのロゴ入りビニール製ボストンバッグを見たときでした。ロゴ入りグッズを大学がライセンスすること自体はともかくとして、そもそも公認された関係もない団体のロゴなんか背負って恥ずかしくないんでしょうかね。ブランドロゴはそれよりましですが、まあ、ただの見栄っ張りでしょう。ユニフォームはまあ、理解できる範囲の感性ではありますが、さすがに作りたがる発想はもう古くなったかな、時代遅れ、懐古主義かなと思います。軍人や警察官が義務的に着ることになっているものはまた別ですが。
ファッションデザイナーがクワイエットでないのはまあ、仕方がないので、着ている人がクワイエットならいいんではないでしょうか。
とはいえ心配になるのがデザイン料だけケチったパチモンが出ないかということで、パチモンを排除するためにブランドロゴを見えるところに入れるようなことになったら悲しいです。

■2023年11月15日(水)  そもそも東京都区内で自家用車が通行できることの方がおかしいと思うのですが
車好きは一抹の寂しさを覚えたジャパンモビリティショーだが、方向転換は大勝利だったようだ
23年遅いと思うのは私だけでしょうか。2001年には車は単なる移動手段になっているはずだった気がするのですが。つまり、都市当局に管制された自動運転ベースで、自家用車などという概念は田舎のものになっており、その田舎でも運送業者の運送車両を中心に無人運転が普及している(さすがに旅客輸送や個人の用事については公共交通機関では対応しにくいでしょう - 公共交通機関のタイムテーブルに合わせて用事をこなせるほどの密度で運行できないからです)というのが1980年くらいの未来像じゃなかったでしたっけ?

■2023年11月14日(火)  全額大阪市自己負担でどうぞ
万博会場建設費、大阪市民の負担「1万9千円」 市長は理解求める
大阪市民の負担一人当たり六万円で元が取れると思うか理解を求めるべきでしょう。そもそも全額市が自己負担してこそのイベント誘致ですし、当然それは市民の負担であるべきです。おおむね世帯当たり負担が三十万円弱(世帯人数によって異なる)になるはずですが、それだけの価値があると納得させるというのがやるやらないの前に来るはずです。

■2023年11月14日(火)  遺跡と文化財の管理だけなら確かに京都にあってもいいんですが
悲願だった文化庁移転が実現! ″古都の歴史からアニメ聖地まで″京都府の文化発信とは?
まあ、文化庁のままで移転でよかったのかという気はしますが、少なくとも庁舎はいい感じですね。
正直国家が文化に手を出すのはいい加減賞味期間切れであり、遺跡文化財保護委員会としてある程度タスクを絞った独立行政委員会にするべきではないかという気がします。それなら内閣とは予算以外全く独立した行政組織として活動できますので、別に京都にあっても何の支障もないわけです。もちろん庁も内閣とは直接関係なく、本省(この場合は文部科学省)の運営方針次第では相当独立した行動ができると思いますが、やはり文部科学大臣と内閣からの指揮系統を切ってしまう方がよいでしょう。

■2023年11月13日(月)  もう一度食べたいとはあまり思わないなっていう
想像以上にチーズが強い! 蒙古タンメン中本新作「炎のカルボ」はジャンクな意欲作
うーん、あまりそうとも思えなかったような…まあ、名前からしてカルボナーラを念頭に置いていることは明らかではあるんですが。まあ、こういうものに過度に名付けの根拠を求めても仕方ないですし、別にカルボナーラに唐辛子や花椒、山椒を入れて悪いものとも思わないですね。胡椒は本来入っているわけですし。

■2023年11月13日(月)  まあ、あのストライキはやっても無駄ではあるでしょうが
そごう・西武「スト認めない」 決行直前に届いた文書 労組は動いた
これはいけませんね。ストを止めてくれとか、ストなどやっても無駄だとかならともかく、ストを止めろ、認めないはありません。ストライキは使用者に認めてもらってするものではないのです。そんな常識すらもないというのは、この経営者たちは中学校をちゃんと出たのでしょうか。いや、出た後社会の荒波とやらに揉まれて、そういう発想が身についたのかもしれませんが。それにしても、ストライキなんかされたら面倒くさいから従業員を使った事業はしないというならともかく、従業員を雇っておいてストライキはするなとは、頭が悪いにもほどがあるでしょうに。

「できることすべてやる」労組委員長の後悔と覚悟 西武池袋店を守れ
労働者ごときに守れるわけはないので余計なことを考えずに働いて給料貰ってろという話もあるわけですが、まあ、やることをすべてやるのは勝手なんですが、正直この職場を守れ闘争だけは何とかならないかと思います。経営者の判断が正しいなどとは絶対に言いませんが、それ以前に労働者には責任がない以上、どうこう言っても仕方がないのです。どうせやるなら責任を引き受ける形にするべきで、労使紛争として使用者側に事業継続の責任を押し付けることはブラックな職場を作るのと同じ程度の犯罪的行為です。事業自体に拘りがあるなら出世するなり独立開業してオペレーティングマネージャーになるなりしてください。

そごう・西武幹部「あとでとんでもないことに」 フロア最終案の衝撃
衝撃と言いますが、畳むと言われなかっただけましではないんですかね。事業というのはあくまでも経営者が想定する生産性を上げてこそのもので、儲けの少ない事業に固定資産や人員を貼り付けておく余裕はない、むしろ条件の良い場所を活用するテナントを入れるという発想は、おかしなものではありません。もちろんそれで池袋店のステータスは雲散霧消する可能性がありますが - もっとも京急百貨店にもヨドバシ入ってるんだけどなあ - そもそも維持したところで生産性改善は無理と判断したのであればいいテナントを入れて固定費だけでも払うというのは可能なアイデアです。それこそヨドバシがずっといるようならそちらに土地建物を売り払ってもいいわけですし、少なくとも処分を考えるための数年の時間はできるでしょう。つまりセブンアンドアイ経営陣から見てそごう・西武は終息が前提ということです。

事業再編、労組は蚊帳の外でいいのか そごう西武のストが示したもの
もちろん蚊帳の外であるべきです。労働者に事業の先行きなどまともに判断できません。経営者に現状維持を突き付け、あるいは無責任な従来路線上の事業拡大を要求するのが関の山です。事業再編とは詰まる所部分的であるにせよ廃業することであり、本来なら一度会社を解散して設立定款から書き直すべき話です。そういうレベルの事業再編は、経営者と株主の間の問題であり、労働者は受け入れるか受け入れずに辞めるか、基本二者択一です。もちろん、株主と経営陣から事業を会社ごと買い取る選択肢はありますが。
一方、就業規則の変更レベルで済む事業再編であれば、就業規則の変更の過程で労組との交渉になるものでしょう。労働側の同意を厳格に判断すれば済むだけのことです。もちろん交渉が決裂した場合は廃業を含めた大規模な事業再編に進むことになるでしょう。
どうも日本は事業組織を過度に尊重する傾向があるのではないかと思うのですが、基本的には社会的に重要なのは事業の方です。事業組織は事業を実施するための道具であり、その事業を改廃するとなれば事業組織は作り直す方が当然だと思います。集権的な上層部の決定で現場の事業組織が左右されるのはどうかと言うなら、そもそも集権的な上層部ができるような組織構造にしなければいいわけで、そもそも全体として資本を管理する経営中枢のある大企業に勤めておいて経営に現場労働者の関与を求める方が間違っています。

■2023年11月11日(土)  市場金利連動型の変動債なんか売ってたのか?
国債7割の補正案、金利上昇で「利払い費」重荷に 財政悪化の懸念も
「ほぼゼロだった金利が上がれば、悪化の一途をたどる財政に「利払い費」が追い打ちをかけることになる。」
中長期国債って固定金利じゃなかったでしたっけ?もちろん短期国債は割引債なので、発行時の国債価格が下がると金利相当分(この場合は償還額面と引き受け価格の差)が上がるわけですが、中長期国債は償還額面に対して固定利率のクーポンのはずで、今年発行した中長期国債の利払いが長期金利の上昇で変化することはないはずです。一方で市場の国債実質利回りは国債の取引価格によって変化しますが、これは市場での国債の取引価格が変化することによるもので、利払い費は変動しないはずです。売り渡し額で国債を買った人はこの意味での金利が上がる=国債の市場価格が低下すると損をするわけですが、それは国債を買った人の損であって、持ち続ける人や発行主体には関係ありません。
もちろん、借り換えや新規発行時はその時点の長期金利に応じた利率を設定しないと、いくら安全資産と言っても消化できないことになりかねません。普通預金金利より低いなんてことになれば、引き受け手は相当少なくなるでしょう。つまり利払いを新規発行国債で賄う場合のみ、利払い費が高騰することになるはずです。
という前提がないと極めて馬鹿げた話になりかねないはずなのですが、朝日新聞はどうもこの、国債金利が上がると利払い費が増える話が大好きなようです。なんとなく、文学部出あたりが国債制度をちゃんと勉強せずに先輩の薫陶を受けて変な固定観念を持っているのではないかと気になります。
ちなみに一時期?ユーロ加入諸国で問題になった国債金利上昇の問題は、そもそも恒常的に国債頼みの財政をしている国が時価発行債の価格低下や国債の未消化で追い込まれた話で、利払い費自体は直接の要因にはなっていなかったはずです。
ちなみに財務省の個人向け国債のページでは十年物の変動債がアナウンスされており、おそらくこれが利払い費を圧迫しかねないわけですが、同じページに掲載された他の個人向け国債は全て固定金利です。おそらく金利上昇局面(あるいは金利上昇が強く予想される状況)では政府は変動債の発行を止め、既発変動債も固定債で借り換えていくはずです。また変動金利といっても書いてあるのは半年ごとにその期の支払金利を決めるということで、市場金利とどのような関係を持っているかについては説明がありません。つまり厳密な意味で市場金利に連動させて利率を変動させる義務はないと思います。それでもベースになる市場金利が高くなっている以上影響は出ますが、あからさまに変動債を前提とした議論をするような状況ではないと思います。というか、金利の傾向に不安があるならまだ固定債の金利が割安なうちにそういう対応を取ればよいはずで、そこで頭の悪い固定観念に染まった財務官僚の書いたペーパーを読み上げる財務大臣というのは何なのでしょうか。いやまあ、日本国債が変動金利でないと売れないほどに信用を失っているなら別ですが、それならそもそも固定金利商品自体出ないでしょう。

■2023年11月10日(金)  市権力の代表だという自覚はあっても市民団の代表だという自覚がないんじゃないの?
阪神オリのパレード 大阪府が教職員に「寄付協力を」 現場は困惑
えーと、それ以前になぜ大阪市と神戸市が、プロ野球チームごときの優勝パレードを企画するというか企画に参加するのでしょうか。まずもって権限外の事項であり、個別に議会の議決と予算措置を必要とする案件だと思うのですが。もっとも例えば宮城県が東北楽天ゴールデンイーグルスの優勝パレードなるものを企画した場合、個人的には有権者としてかなり硬い反応を示す可能性はあります。まあ、仙台市内でパレードをやったところで関係はないですし、いくら金がかかったところで県民一人あたりで考えれば大した額ではない - これが一人あたり百万円くらいならさすがに法的に問題にするでしょうね - 以上、せいぜい精神的慰謝料程度、それもたいした問題ではないとは思いますから、嫌がらせに「自由の死」と称して半旗黒球を掲げるくらいで済ます気はしますが。

優勝パレードへの職員動員は「実質的な業務命令」 弁護士ら反対声明
まあ、市長と三役と市会議員だけでは千人にもならない、両氏の市長と府知事とその三役と議員をまとめてそうなるかどうか程度なわけですから、他から動員せざるを得ないのはわかります。わかりますが、それならちゃんと指揮権を発動するべきですし、その責任も引き受けるべきでしょう。つまり最低でも職務命令書の発出と時間外勤務手当などの支払い、そして事後に発生する職務外の動員に対する損害賠償訴訟への対応です。これを引き受けたくないから「ボランティア」などと誤魔化すわけですよね。でも市職員というのは高級官僚も含めて定義上労働者です。全体への奉仕の内容は職務内容によって決まりますし、その範囲は拡大解釈も含め勤務時間に限られます。残業や休日出勤を手当ても含めて払ってさせることはできますがあくまでも労働法規の範囲内でということですね。もちろんパレード参加者の警備誘導、それもいささか変な意味で悪名が高い阪神タイガースファンが相手となると、労働安全上の措置も本来必須と思えます。
いわゆる奉加帳方式の資金集めは悪習とはいえ伝統的なもので、直ちに違法とまでは言えない気がしますが、児童生徒家庭への周知も含めて筋が悪いとはいえるでしょう。まあ、お金が必要なのも、議会を通して増税するとなるとなんか大変そうなのもわかりますが、それなら両球団に球団の負担で警備の徹底を求めればいいでしょう。
もちろん市としては、暴動につながる危険を理由にパレード自体の中止を命じる権限もあるはずです。

■2023年11月09日(木)  本じゃない本
「北海道チーズ蒸しケーキ」のでっかいぬいぐるみが登場! ふわふわでぎゅっと抱きしめたくなるサイズ感
ぬいぐるみというかクッションというか、まあ、こういう企画商売は出版業の一つの道かもしれませんね。リスク低減と転売ヤー対策のために予約制度(当たり前ですが事前に出す数=定価で買う需要を見計らうためです - 転売ヤーに買わせないためではありません)を採り入れられたらもっといいのかな。こういうのは、後で資料にとかいうのはそれこそ電子書籍で本だけ出せばいい気がします。16ページしかないことも含めて、書籍とかムックというよりはパンフレットがぬいぐるみのおまけについている仕様でしょう。もちろん流通は書籍のものを使うのだと思うので、その意味でぬいぐるみは「付録」ではあります。

■2023年11月08日(水)  メディアで公表していいのかというのが少し疑問
青山裕企写真展:少女礼讃 everything./少女礼讃 naked./少女礼讃 library.
まあ、作品を世人に問うてこそ「写真家」と名乗っていられますからね。作品がわいせつ物の陳列や品性を疑わせるようなものであっても、例え現行犯逮捕され有罪判決を下されようとも、変態写真家と罵られることになろうとも、写真家は自身の作品たる写真を公表しなければなりません。
ところでファーストペンギンって、もしかしてペンギンのつるっとした感じがお好きだからでしょうか。

■2023年11月08日(水)  謎記事
工場で働く女性、来春入社は採れず 力入れるパイプ大手の丸一鋼管
まあ、採ろうとして採れていないというならいいことだとは思いますが。まず高卒採用自体時代遅れなもので、男性も含めて縮小するべきです。新卒で間に合うような業務は機械化するべきです。次に新卒一括採用もむしろ学校に負担をかけますので、通年で既卒者の採用に力を入れるべきですし、学校側も就職斡旋は拒否するべきです。
その上で、女性採用を重視する姿勢を評価したいところです。まあ、女性の勤務を真面目に望んでいるのか疑問を感じるところがないではないのですが、少なくとも今時女性が勤務に苦痛を感じるような就業環境では問題があることは確かでしょう。軽作業では女性パート中心という工場もあるくらいですので、就労条件の緩和、重作業の機械化などによって運転などの技能職への登用も進むことが望ましいでしょう。
それにしても、この諏訪さんという記者は、何を考えてこういう記事を書いたのでしょうか。女性配置に関わる工場の取り組みというならもっとそういう記事にするべきだと思いますが、少なくとも採用できなかったという趣旨の記事は謎です。応募者がいなかったのか、採用できる人がいなかったのか、各工場周辺での一般的な高卒女性の処遇と比べてどのような処遇なのか、あるいは高卒女性の進路の動向がどうなのか、こんな談話を書き下ろしたような記事ではなく、もっと書きようというのがあると思います。

■2023年11月08日(水)  今さら戦闘休止できるくらいなら戦闘になっていない気がするのですが
バイデン米大統領、イスラエルに3日間の戦闘休止を要請か 米報道
「要請」ねえ。イスラエル側の返事はある意味当然だと思いますし、どうにも呑気な話の気がするのですが。止めたいなら、すぐにでも海兵隊二個師団を上陸・空挺降下させて、地中海の海軍部隊や空軍部隊と合わせて現地を全面的な軍事占領下に置くべきだと思いますが。抵抗した場合についての政治的圧力を含めて、米軍ならできない話ではないでしょう。

■2023年11月08日(水)  テレビみたいなモデルで既得権を主張するのはいい加減にやめてもらえませんか
生成AIを使って書いた記事、盗用で謝罪 専門家「技術以前の問題」
まず生成AIに何をインプットしたのやら。当たり前ですが、学習を完了した人工知能と言えども、取材をしてくるわけではありません。誰かが取材をしてきて報知するべき事実なり意見なりをインプットしなければ、そもそも記事が出てこないわけです。まあ、虚構新聞なら別でしょうけど。既存の記事をベースにレビューを書くならそれにはそれに即した作法があるわけで、他人が報じた内容を自動的にであれ読み込んで出力するならこちらに該当します。解説なら、当然ベースにした記事はわかっているわけですから、コピーになっていないかのチェックなど容易でしょう。安易な起業家が安易なことをやって結果が出た自業自得と言うべきで、実体的な判断が十分可能です。

新聞協会「著作権法改正を」 報道へのただ乗りを懸念、内閣府に要望
報道のコスト、誰が負担? 「ただ乗り」で取材者がいなくなる懸念
そういうわけでこれは筋が全く違い、学習過程での入力によって剽窃が出力されるわけではないと思います。またよく主張されるコスト論については、それこそ通信社で十分でしょう。何も日々自前で取材しては報道する必要はないわけで、取材は出版社である新聞社や雑誌社ではなく、通信社や報道プロダクションが行うようになればいいことだと思います。そうやって出てくる報道がどんなチャンネルで出てくるかは通信社や報道プロダクションとメディアの間の問題で、通信社なら会費制にして不特定多数に流す場合高額の会費を取っても良いわけですし、報道プロダクションならそういう日々の記事でなくても、書籍のような形での流通もあり得ます。
もちろん参照性の問題は大事で、理想論から言えば買わないと読めない記事はないことが望ましいのです。プラットフォーマー側の理屈は明らかにこちらです。とはいえコストをかけてでも記事を作って売りたいなら、そこは意地でも押し通すべきでしょう。金を払わなければ見せないというのはコンテンツの売り手にとって当然の権利です。リンクを踏んだら見えないといけないなどというルールはなく、いきなりログイン画面が出てきたって構いません。

ニュースは民主主義に不可欠 持続可能な流通と対価の仕組みを
こういう下らない主張にはこう返すだけです。ニュースを流通させるのは独占マスメディアだけではないのです。もちろん持続可能な流通と対価の仕組みは必要ですが、それが既存の独占マスメディアに適合している必要は全くありません。むしろ、取材者と編集者が分離し、編集者は仕組化してしまう方が望ましいと思いますし、コストダウンのために編集機能を人工知能化しても良いでしょう。とにかくニュースの享受側が不精をするための機能が編集機能です。できれば取材者側が記事を記事単位で販売するのと合わせて編集機能に流すことが望ましいと思います。単価としてはいささか安めながら編集機能の利用者に一括して流す、あるいはデータベースに収録することが前提のまとまった額の売り上げを編集機能から獲得しつつ、取材者を選ぶレベルの意識の高い享受者から価値相応の支払いを受けるわけです。
もう一つ、取材者や記事を取捨選択することで多様な記事に脈絡を付けることが編集機能の役割です。その脈絡は、嘘であっても全く構いません。そもそも脈絡とは恣意的である記事を素材にさらに恣意的にストーリーを構築することであり、何をどうやっても嘘でしかないのです。もちろん何の脈絡も付けずただ垂れ流すような編集もあっていいでしょう。取捨選択をしないというのも取捨選択の一つの在り方です。可能であれば、取捨選択の基準は明示されていることが望ましいと思いますが、されていなくてもかまわないでしょう。
制度としては、編集機能が取材者に基本的には読み手の見込み数に応じたまとまった額を払うこと、見込みを超えた場合は追加の支払いをするか記事の公開を止めること、取材者は編集機能が誰にどのようにニュースを届けるのかを関知しないこと、編集機能も取材者に過度のフィードバックをしないことが肝だと思います(もちろん買うか買わないかの判断は一種のフィードバックではあります)。最後のものは、取材者に直接の配布を動機づけるものです。特に引用については、取材者が直接許可を出す仕組みにすることが望ましいように思います。

■2023年11月07日(火)  本当に一兆円で済んでるの?
コロナ対策のゼロゼロ融資、1兆円が回収不能・困難 検査院が指摘
状況から考えて回収不能一割なら上々、貸出実績から言って八兆円程度まではあって不思議はなかったと思います。というか、むしろそっちで、回収不可能なものを回収可能と粉飾してませんか?
とにかく突然死による破綻の波及を防ぐための融資の枠組みですので、リスクよりも当座それで息を吐けることの方が大事でした。当然劣悪な事業状態での貸し出しが相当部分を占めたはずですし、そこで返済の見込みがないから貸し出さないなどと言えば売り掛け債務や銀行借り入れの相当部分が焦げ付いていたでしょう。今年の段階で九割五分以上が返済の見込みがあるならむしろ大成功と誇るべき話です。
というか、なんとなくですが、むしろ回収不能を覚悟したうえで自転車操業になっている事業を安楽死させるべきではないかと思うのですが、政策金融公庫と商工中金はそういう動きはしないですか。まあ、会計検査院の考えることではないのは確かですが、それならむしろ各案件に突っ込んで回収可能性を精査するべきで、多分相当盛っている、後でぽつぽつ回収不能が増えると思うんですがね。

■2023年11月07日(火)  まあ、特需系イベントエコノミーはさすがに賞味期限切れだと思いますが
万博による経済活性化は「目的違い」 京大教授が考える開催意義とは
さすが京大、こういう馬鹿なことを言う教授には事欠きません。まあ、こういうのも文化ですし、たまには鋭いところを突くこともなくはないので、無用の学府とは絶対言いません。
万博を開催地域の振興に使うのは確かに1950年代くらいからの傾向だと思いますが、「世界のミニチュア」などという間の抜けた観念は、さすがに本質を外していると思います。百科全書派につながる話ではあるにせよ、万博というのは基本は物産展であり、メッセです。ですから特産や新製品が出展された面が、少なくとも1889年パリ万博にはありましたし、確か1851年ロンドン万博にもあったと思います。ロンドン万博の場合クリスタルパレス、パリ万博の場合エッフェル塔が、建築技術の粋を示す展示となっています。ここで取引が成立した例も多かったと聞きます。
ちなみに日本の場合「勧業博覧会」からですので、やはり物産展です。国内の広域流通促進を目指したイベントで、背景の理念としては経済圏としての日本国の確立です。万博としてはもちろん1960年大阪万博ですが、この時点ではもうイベントエコノミーの形態になっていました。とはいえホストとして会場建設整備、会場アクセスの整備などの面で国威を示すという面もあり、少なくとも今次の大阪万博のようなシェアライドや民泊のような貧乏くさい話にはなっていないですね。ポートピア'81もそうだと思います。これは私自身が見た覚えのある筑波万博や未来の東北博覧会あたりもそうだと思います。筑波万博はやはり技術の見本市という面が強かったと思います。未来の東北博はそういったコンセプト面での印象が薄く、確かネパールだかスリランカだかの紅茶とカレーが美味しかった記憶が強いです。その後インドカレー屋が大発達したからというわけではありませんが、一応あれも物産展なんじゃないですかね。
つまみ食いとはいえ範囲 - 世界とか技術分野とか - を一望する見世物という面はありますし、そういう欲望がなかったとも言いませんが、やはりそれは本質ではないでしょう。見世物としての性質は物産展、つまり物的欲望の昂進と流通の強化だと思います。
なおイベントエコノミーとしては、やはり幕張メッセ以降は常小屋が大事になっている気がします。つまり、このイベントは必ずここで開かれるという話です。日本に限らずとも、フランクフルトの見本市やパリやミラノのファッションショーがそうですし、ラスベガスも様々なイベントで有名ですね。サンフランシスコも大型イベントホールを擁し、定例開催のイベントをたくさん抱えています。ここは個人的にはAmerican Geophysical Unionの定例大会が思い出です。さすがにミュンヘンビール祭り(October Fest)は違うと思うわけですが、ともあれ必ずこの時期にこのイベントをここでする、出展者も参加者も予定を立てるし、主催者も会場もちゃんとスケジュールを立てて準備をすることを毎年の定例行事として繰り返すという恒常性が、イベントが終わっても続く地域経済を回すには必要なのではないかと思います。どこでやるのか相談して決めるようなイベントを割り込ませ、相手をしている余裕はなくなってきているのではないでしょうか。

■2023年11月07日(火)  なんというか、こけさせるなよ
ソフトバンクG出資の米ウィーワーク、経営破綻 在宅勤務の増加影響
ウィーワーク破綻、ソフトバンクG支援むなしく 孫氏「人生の汚点」
SBGにはざまあみろと言いたいところですし、正直出資時にもどうなのかと思ったことは確かなのですが、とはいえこれは仕方がないかなという気がします。ここ五年ほどでの事情の変動が急激すぎました。見込みで急拡大し需要に応じていく事業ほど需要動向が変わったときの対応は大変なので、まだしもチャプタ―イレブンでよかったとも言えます。手厚い支援と言いますが、見込みが甘かったとは言えるでしょう。借入の償還を続けつつ撤退縮小できるだけの資金供給をしていれば、大赤字になりつつも破綻に追い込まれることはなかったのではないでしょうか。つまり、寛容な条件の貸し出しを五百億ドルではなく五千億ドルとし、長期的な再建を念頭に物件の契約解除をさっさと進めていれば、もった可能性があります。
在宅勤務の進展によりなどと記事に書いてありますが、ウィーワークはスタートアップ向けコワーキングオフィス・シェアオフィス提供が業務であり、例えリアルで会う機会が減っても企業の拠点自体は必要なわけですから、間違って大手企業にオフィスを売り込んでいたりしなければ(なんかやっていたっぽいですが)在宅勤務増加の影響は受けにくいはずです。よしんば現時点で需要が減っていても回復は見込めると思います。むしろスタートアップが先行きを懸念して起業を諦め、企業規模を縮小していることが縮退の原因の可能性があります。もちろんウィーワーク自身の極端な拡大志向も原因ではあるでしょうし、そこをコントロールできずに失速させてしまったことには、経営陣のみならず主要な投資家としてSBGも責任があるでしょう。その意味では孫氏の「人生の汚点」ではありえます。
とはいえ、競合は出ているとはいえ、無用の事業とは言えません。そもそも無意味な案件への投資を業務にしている某コンテンツ系政府ファンドと違って、立て直しは可能だろうと思います。

■2023年11月07日(火)  クリミアの代わりにトルコにパレスティナをイスラエル込みで上げるってのはどうでしょうかね
ネタニヤフ氏、終戦後のガザ統治「イスラエルが無期限で責任負う」
こういうことを言われると、むしろイスラエルは即時武装を全面的に解除し、トルコ共和国あたりが無期限にイスラエルを含むパレスティナ(エルサレムを含む)の治安維持の責任を負えばいいと言いたくなるわけですが。ちなみにトルコ共和国と言うのは、周辺に安定した国が他にないからです。安定していればエジプトだっていいわけですが、アラブの春以来完全に安定性を欠いてしまいました。アラビア半島からインド洋沿岸諸国までは、イスラム教から距離を取りにくいという意味で、さすがにパレスティナは任せられないでしょう。その意味で一定程度世俗化が進行したトルコ、エジプトあたりが好ましいわけです。地中海諸国も逆の意味で好ましくありません。そもそも国家の体をなしていない南岸諸国はもちろん、北岸も、ギリシャからスペインまでにまともに海外統治ができる政府はありません。利害関係から言えば、欧州諸国もほぼ不適格でしょう。それはアメリカ大陸諸国にもアングロオセアニア諸国にも共通します。ロシアに売り飛ばしてもいいのですが、ウクライナに絡んで現政権が崩壊すれば混乱してしまいます。そして、日本を含むアジア諸国は宗教問題に無神経すぎます。中国ですら、統治など任せれば宗教を理由にした紛争にどう対応するか知れたものではありません。アラブ側でありつつ宗教国家に走って法的にユダヤ教を弾圧しにくいという点で、世俗主義が浸透したアラブ国家が望ましいのです。

■2023年11月07日(火)  いつまでこういう「信用は大切」道徳のディスクールを続ける気なんでしょうかね
お札の刷りすぎ、江戸時代から御法度 藩札の歴史が語る信用の大切さ
これはもはや古い概念であり、貨幣の信用の維持というのはもはや限定的な状況で要求されるにすぎません。もちろんコントロールを失った状況ではハイパーインフレーションが発生したり通貨の暴落が発生したりはするわけですが、現在ではこれは政府当局というよりは民間での通貨創造に伴って発生します。つまり為替取引をする投資ファンドや市中銀行が過剰な通貨の持ち高を作り出すことによって発生します。通貨の持ち高は政府か中央銀行が通貨を回収すれば何かの金融資産に置き換わって消滅するわけですが、「売り浴びせ」られた場合通貨管理当局側の回収が間に合わなくなります。その結果インフレーションのような通貨価値の急速な下落が発生します。
藩札は藩の政府が民間の物資を買い上げるために発行したものであり、かつ藩の間で比較可能なものであった - 藩外の大商人が複数の藩との取引に応じていた - ため、発行が通貨価値の相対的下落を招きました。当時の経済政策は米の藩内での自給を中心としたものであり、広域流通を基本的に考慮していなかったこともあり、米の増産によって米の対通貨価値=米価格が下がると藩の対外購買力が下がります。そして藩は参勤交代と江戸藩邸の維持を中心に対外調達を強いられます。米価格が下がっている以上対外調達での購買力不足を補うために、藩は貨幣として流通する貴金属を本位貨幣とした藩札を発行するしかなくなります。このような回路で藩は通貨のコントロールを失い、藩政改革に追い込まれていくのです。
日本についてはこのような回路が働いていたのは1950年ごろまでであり、その後は通貨膨張にもかかわらず消費者物価の急激な変動は貯蓄の急激な取り崩し以外では起きていません。つまり、狂乱物価やCOVID-19拡大期のマスクの払底などがそうですが、需要の急激な拡大により財の希少性が急変動した結果消費者物価が上がっているだけです。生産や流通の拡大速度にあった通貨膨張である限り、日本円の国内的な信用が崩壊することはないように思います。

■2023年11月06日(月)  そもそも自営業者が納税事務費で文句を言うなよ
電力会社のインボイス負担、国民が肩代わり 「不公平だ」批判続出
なんでしょうかね?この発想。国民が肩代わりって、そりゃなにがしかの形で転嫁はされるのですから原理的に国民が負担するわけです。
もちろん、価格転嫁ができない事業者に比べて転嫁を制度的に推進してもらった電力会社が「ずるい」と言うなら納得できますし、それは記事の趣旨にも合うでしょう。そういう意味で「不公平だ」と批判が続出することは正当です。
とはいえ、税務負担に耐えられない「事業者」というのはどうかと思います。もちろんなんちゃって自営みたいな話があるので財務が極めてぜい弱な事業者が免税事業者にあることは事実ですが、それとこれは話が違うというか、消費税の税務負担すらできないのに自営なんかするなという気がします。これが所得税や住民税なら別で、税務負担をかけると破綻する納税者がいることは何の不思議もありません。給与所得や雑所得にも所得税や住民税はかかるからです。しかし消費税は、物や役務を売る生業を選んだ人が買った人の代わりに納税する税であり、選ぶ時点で税務コストはコスト構造に組み込んで収支を計算しないといけないものです。あれも一筋縄でいく税ではないので納税額がどの程度になるかは問題にはなりますが、納税額がどうなろうとタックスインヴォイス発行費用や手続費用を含む納税事務費は当然ある事業コストです。是非を論じるべき税額分の値引き強要とは話が違います。

■2023年11月06日(月)  減資した分を別枠で溜め込んでいるなら吐き出させるべきではありますが
大企業の「税逃れ」?1億円に減資して中小企業化、総務省が対策案
まあ、地方自治体の税収は大事なんですが、だからと言ってなんでこういうあほな策を考え出しますかね。むしろ減資、つまり出資者への資本金の返還を徹底させる方策を考えるべきだと思うのですが。そうやって実は不要だった過剰な資本を適正規模に引き下げ、資本生産性を向上させつつ返却された資本を出資者が別の分野に投下していくサイクルを作るというのが筋でしょう。その意味では資本剰余金に組み込むというのは確かにおかしくて、減資と言うなら株式の買取を行って株式を消却すべきではあるわけです。それが行われていない、単なる帳簿上の減資なら、資本剰余金に組み入れられた資金を収益とみなし、法人所得税、法人住民税などを課税するべきではあるでしょう。とはいえ外形標準課税を適用するための枠組み整備というのは筋が悪いと思います。

「せこい行為への対策で道連れやめて」 日商会頭、外形課税見直しで
まあ、気持ちはわかります。
ただ、そもそも外形標準課税に耐えられない財務体質というのはどうなのでしょうか。日商に徴税対策を立案しろなどという無理は言いませんが、せめてまず道連れにされると困るような赤字自転車操業を無くして欲しいものです。日商は事業者、経営者の団体なのですから、その程度はできてしかるべきですし、できないなら廃業していただきたい。別に倒産しろとは言いません。事業内容が生産性は低いが地域に必要なものだというなら、会社や収益事業としては廃業し、非営利活動として再建すればいいでしょう。もっとも、その時点で日本商工会議所の会員ではなくなるでしょうけど。みんなで社会的事業の従業員になって、一致団結して安い給料で使命感を持って事業を推進するわけです。お客さんの喜ぶ顔を見る、それだけで報われる、そうなんでしたよね。利益は得ない、その代わり税金も払わない、内部留保も基本しないで利用料の低減として顧客に還元する、永遠の公僕です。非営利事業は永遠であり、ゆえにあなたたちはそれに奉仕すればいいのです。そうでないと言うなら、赤字で収入を相殺するようなことは止めるべきです。

■2023年11月06日(月)  労働分配率自体は賃上げ余力の適切な指標ではないと思いますが
大企業の人件費割合「労働分配率」、半世紀で最低 賃上げまだ余裕?
労働分配率が低いこと自体は問題とは言えないというか、むしろ経営の視点から望ましい場合もあるのですが、人員規模に対して低下し続けているなら問題がある可能性が高いと思います。余裕があるかどうかはまた別で、減価償却費や賃借料が上がっている場合などは余裕がないことになるでしょう。経常利益の比率が大きい場合、特にそこからの内部留保が大きい場合は十分に賃上げの余裕があるということになると思います。配当性向が高い場合は考えようなわけですが、少なくとも労働分配率を実質で下げてまで配当を増やす正当性というのは考えにくいでしょう。
人員規模が減っている、つまり労働者を減らしている状態で労働分配率が下がるのはむしろ当然です。過重労働だというのでなければ、単純に労働生産性が高いということですし、労働生産性が資本装備率に由来するなら労働分配率が低いのがむしろ当たり前です。個人的には労働集約型産業はできる限り撲滅することが望ましいと思いますので、この点の検討は判断にあたって必要と考えます。
もちろん大企業は資本装備率が高い傾向があるでしょうから、労働分配率が低いこと自体は必ずしも問題ではないはずです。むしろ生産性の面では中小企業の労働分配率を下げ資本装備率を上げる施策が望ましいとすら言えるでしょう。生産性倍増要素としての資本の効率が低い結果労働生産性まで低いという気がします。
とはいえ、大企業の労働分配率の低さや資本装備率の高さ、労働生産性の高さが労働者と中小企業からの収奪になっているのであれば、それは問題です。外注先や仕入れ先、出荷先の労働生産性が一様に低い場合などはその可能性があります。これも実例が結構ありますので、そこは調べるべきですし、できれば経済学者や労働制度系の社会学者にはそこを判断しやすい指標を考案して欲しいものです。

■2023年11月05日(日)  こういうことをするならそもそもハンドルの文字列自体が頻繁にランダムに変わるようにするべき
X(旧Twitter)、休眠ハンドル名を5万ドルで販売する計画か──Forbes報道
違法ではないとは思いますが感心できません。少なくともユーザーに喜んでもらえるサービスを目指すなら一度発行したハンドルは休眠や失効があっても再発行しないようにするべきです。サービスにおけるハンドルが相当程度個人に結びついたものであることに配慮して欲しいものですし、五万ドルという価格から見るにそれだけの価値のある=ネームバリューがあったハンドルが含まれているものと思えます。
まあ、あの手のサービスに近寄らなければ済む話なのですが、なんだかんだ言って関わらざるを得なくなることもあるんですよね。その手のサービスに他人を勧誘する場合はそういうリスクも考慮して欲しいものですが、悪徳商法への警戒は結局本人がするしかありません。
なお、サービス内でのみハンドルが意味を持つと考えるなら、そもそもハンドルを固定したものとする必要がなくなります。つまり、ある瞬間にシステム上であるハンドルとあるユーザーの対応がわかっていればシステム上はあるハンドルに対応するユーザーを表示することは可能なわけですから、ハンドルを直接入力する場合を除き使用上の問題はないはずです。つまり一秒ごとにハンドルがランダムに変わるような仕様も可能なはずですし、これならハンドルを回収したところで何の問題も出ない気がします。

■2023年11月04日(土)  まあ、どうしようもなくなれば破産して損切りするだけですし、そうなれば労働組合も対応せざるを得ませんから
「私たちはアメリカンドリームを救った」、UAWが勝ち取ったものは
まあ、ルール通り情報を出していさえすれば潰して夜逃げしても三方一両損で済むのが株式会社ですから。
というか、そもそも衰退している事業をどうするかというのはちゃんと議論されたことがないはずです。潰れるからそれでよしというのが資本主義ですし、それは見ないというのが社会主義です。法的には潰れた場合の後始末だけ決まっています。
少なくともアメリカの労働側としては要求した処遇を勝ち取った、明るい将来を雇い主が請け合うアメリカンドリームを守ったでよいはずで、それ以上は経営者が考えることです。行き詰まってくれば適当なところでchapter 11でしょう。欧州だと発想がいささか違うはずですが、その場合労働代表が経営陣に入るか(ドイツ)、政府が何かと口を出してくるが後始末もする(フランス)はずです。
個人的には自動車産業の未来も関係者が手を取り合って産業の発展を図る発想も関心の外ですが、物事無用になるときはなるものなので、それぞれの立場で損切りや勝ち逃げの支度はしておくべきだと思いますがね。

■2023年11月04日(土)  市が買う筋合いがないのでは?
学生去った大学敷地、買う買わない? 市長選前に揺れる東京・青梅
あほらしい話です。もちろん当事者にすれば深刻なのかもしれませんが、市としては買わずともいくらでも規制の方法はあるはずで、大学が好きな相手に売るなり、処分料を添えて市に寄贈するなりすれば済むことだと思いますが。何も市として負担を負って再開発せずともいいことでしょう。
付け加えれば、仮に何かの形で宙に浮いて荒廃した空き地になったとして、市はむしろ所有者に速やかに都市計画に基づく特定目的の用地として整備活用するかそれができる相手に売れと指示することになります。転々と売買されていくにしろ、そういう制約が付いた土地として、どこかで転売の鎖が切れ、塩漬けになるでしょう。その結果、所有者はこういう風に使いたいから許可してくれと都市計画担当部署に願い出るか、どうにもならないからこの金で整地してくれとお金を添えて市に寄贈することになります。もちろん荒廃した挙句に市が収用手続を取ることもあり得ますが、今の段階でそのリスクが明らかな以上、市としてはその想定もして準備をしたうえで、所有者に対応を迫っていくしかありません。
今の段階で買い取りの要請をしているということは、大学側には活用のプランがなく、それでも換金したくてそういうことを言っているわけです。つまりその土地は大学が持っている限りは一銭の価値もありません。都や市としてはそこに評価額分の固定資産税をかけておけば当面それで済む、大学にとって「負動産」になるわけです。赤字を生む資産である以上、健全な財務を確保するためには手放すしかありません。そこで足元を見てただで引き取り更地にする費用をたかるのが、都や市の役割です。もちろん市にとっては熨斗金を付けて寄贈されるとかえって迷惑な状況があるかもしれませんが、そこは仕事ということで諦めるしかないでしょう。

■2023年11月04日(土)  もっともガソリンエンジン車は滅びるでしょうが
欧州、エンジン車販売禁止見直しの動き 「気候に中立」な車の行方は
まあ、とはいってもフルメカニカルのレシプロ車にはもう戻らない気がします。内燃機関が残ったところでハイブリッドカーでしょう。
いわゆるガソリンエンジン車というのは、ガソリンを燃料に使ったレシプロエンジンの回転を機械的にタイヤの回転に変換しています。この部分、特に軸の回転をタイヤに即した回転数に減速する機構と回転の方向を変える機構、適宜タイヤの回転軸とエンジンから回転運動を伝える軸を繋いだり切り離したりする機構という相対的にトランスミッションと呼ばれる部分が、電動機で回転運動を発生させた場合簡便化できます。このためにレシプロエンジンで発電機を回して発電しその電力で電動機を回すという動力機構は1920年代からある(まあ、そもそも発電した電気で電動機を回す仕組みそのものなので、電動機が実用化された時点からあると言ってもいい)わけですが、この電動機から先は電気自動車と全く同じになるため、ハイブリッドカーと電気自動車の違いは発電用のレシプロエンジンと燃料槽、そして発電機が乗っているか、それともそこが全部充電池で埋まっているかの違いしかありません。また発電用にレシプロエンジンを回す場合、回転数、つまりはエンジン内の燃焼状態が安定するため、排ガス処理が効率よく行えます。この点は、低速移動やアイドリング状態と高速移動の(あるいはアクセルを思いきり踏み込んだ)状態で燃焼状態が変わり、排ガス処理の状態(だけでもないですが)が変わってしまうフルメカニカルレシプロ駆動車が大きく劣る点で、もう一つ、使うエンジン - ディーゼルエンジン - が比較的燃料を選ばない(というか粘度や気化温度の高い低質油を使える)点もあり、ガソリンエンジン車よりはハイブリッド車の方が、合成燃料を使うにしても有利でしょう。安定燃焼という点ではガソリンより軽油の方が都合がいいくらいで、安定燃焼が必要なガスタービンでは安定剤を付加した軽油を使うくらいなのです。

■2023年11月03日(金)  国家財政から切り離して職田付与ってわけにはいかないでしょうが
博物館の自由広げる市民の寄付 英の給料天引き、米では行動も追跡
「そのための基本的な費用は国が責任を持つべきです。」
そうでしょうか。そんな社会的合意はあるでしょうか。
基本的には民営化し、国費からの補助は全廃するべきだと思います。これは博物館だけでなく、規制以外の文化行政全般について言えることです。文化について国が費用負担をすることへの合意は存在せず、むしろ指導者階級の利害に基づき一般市民に負担が課せられ、かつ一方的な歪曲された重要性やコレクションの意味が押し付けられてきたというべきでしょう。
もちろんただ民営化しただけで経営が成り立つわけはないわけで、そこは丁寧な財務支持の仕組みを作り上げることが必要です。確かに散逸させた場合元には戻らないわけですから、電気、水道などの一定のインフラストラクチャーサービス提供事業者に無償での役務提供を強制することは必要でしょうし、可能でもあると思います。これは現状の国立ないしは公立博物館だけでなく、少なくとも相当に緩い一定の基準を満たした非営利展示施設一般に認めるべきでしょう。どのみち文化自体が支援の対象なわけですから、展示と称したショービジネスが電気や水道をタダで使うくらいは容認できるというものです。このほか、博物館経営から借り入れを切り離す仕組みも必要です。借り入れなどもはやリスク要因でしかありません。返せないのです。負債を抱えて倒産してコレクションを散逸させるよりは托鉢の方がまだしもましでしょう。固定資産税は土地のみが適当でしょうし、文化的に評価のある博物館についてはこれも毎年の手続を前提に免除するべきでしょう。また寄付制度についても、少額寄付を効率化する仕組みを容認するべきです。例えばクラウドファンディングにしても、寄付と認めて博物館側の所得税を免除するべきですし、取りまとめ事業者について収集し博物館に引き渡した資金についての免税もあってよいと思います。古典的には法人の財政補助というと徴税権の付与なのですが、これはまあ、あまりにもアナクロニスティックですね。個人的には博物館財団が千代田区の課税権を持つとかは面白そうな気がするのですが、租税法律主義に反しますので、するべきではないでしょう。そもそも税収など経済状況によって変動するもので安定財源とは言えないわけです。

■2023年11月02日(木)  まあ、あの手のオブジェって妙に気に障ることはありますけどね
福井駅前の恐竜像を蹴り壊した疑い 高校生を書類送検 容疑認める
まあ、器物損壊は仕方がないとは思うのですが、正直表に変なものを置くのだって悪いような気もするんですよね。フルチンの男性塑像が立ってる町があるからって、恐竜だの妖怪だのを立てなくたって良さそうなものです。むしゃくしゃしているときにそんなものが立っていると蹴りたくなる、壊したくなるというのは、正直理解しやすい心情だと思います。
だから、屋外に建てるものは壊れないように作るのが義務で、肉体での破壊行為で壊れるようなのは壊れる方、壊れるように作った方が悪いというのもありだと思います。それはもちろん自動車でも変わりないので、拳や踵の一発でへこむような車はそんな作りなのが悪い、針金や眼鏡はともかく爪でひっかいて傷つくような塗装もそんな作りなのが悪いというのはどうでしょうか。なお、ペンキを塗るのは肉体ではないのでだめでしょう。あくまでも己の肉体のみで勝負しないといけません。

■2023年11月02日(木)  まちがって公式FBのメッセージにコメントってなんじゃ
「着々とLGBT? 油断ならぬ」市議が投稿、その後に削除
またか?またなのか?
まあ、考え方の自由はあるとは思いますが、そこで微妙な問題へのコメントとわかっていながら間違えたって何ですか。それこそ気が緩んでませんか?こういうのは個人の思想信条であっても叩きまくって構わないでしょう。要するに隠すほどに現るで、自身の考え方の何が偏見なのかをこってり絞られるべきでしょう。女性用トイレにトランス女性が入ってくるとまずいと言うならそういう性別に分けて誤魔化すようなやり方を止め、まとめてトイレを設けるようなことを改めればいいでしょう。風呂や更衣室だって同じで、集団で使ってもらおうとかここまでは同性なら共用していいなんて発想を止めれば済むことです。そういう誤魔化しはもう通じません。
そして、基本的に他人にこう振る舞わないといけないと言うような話は通じません。徳重市議がLGBTの方を内心でどう思うかが勝手であるように、LGBTの方が自身の性や性志向を生きる自由も基本的にあります。誰も言い寄られて断る自由を否定などしていません。性志向が理由だろうが人間嫌いが理由だろうが個人的な好き嫌いだろうが、言い寄られて嫌なら嫌と言っていいのです。LGBTは嫌というのはそういうレベルで主張するべきことで、他人を絡めた一般論として言うべきことではありません。もしそれが通るなら、私は1950年代までの生まれの人というのは嫌いです、のさばっているのにうんざりしています、そう言っていいですよね?不注意なくせにSNSを使ってうっかりする人も、頼んでもいないのに繋がりリクエストを寄越す人も嫌いです。ついでに言えば繋がりと言って人間関係ばかり強調する人も嫌いです。そんな人、ちょっと調べればそこら中にいるわけですけど、調べて嬉しいわけではないのでそういう部分があからさまになりにくい形で対峙しているわけです。LGBTだってそれでいい、別にトランス女性だろうが仕事の話や挨拶をするくらいで関係ないでしょうに。

■2023年11月01日(水)  薬を飲ませるんじゃないんだからシュガーコーティングは止めるべきでは
「失敗は怖くない」 トライ&エラーで挑戦する力を育てる学び やる気スイッチグループ「プログラミング教育 HALLO」
(コンピューターを)「ただの便利なブラックボックスとして扱わず、それらがなぜ、どういう仕組みで動いているのかは理解していく必要がある」
これはまあ、同感なのですが、それでこのサービスですかい。なんと言うか、1970年代から発想が進歩してねえなあ、と思います。
プログラミングをやっていて思うのは、結局演算部がどのように動作するのかの理解が大事ということです。もちろん生の状態で周辺機器を弄る場合その周辺機器がどのように動作するのかの理解も大事なわけですが、いずれにせよ、対象が論理的にどのように動作するのかを理解していないと高級言語でのプログラミングですら困ってしまうのです。個人的にはこれには演算素子のデータシートを読んで機械語でプログラムを書くのが一番だと思います。まあ、なかなかにとっつきにくいので、支援は必要ですが、その支援を与えるのが「教育」というシステムの役割でしょう。もちろん量子コンピューティングに今時のマイコンプログラミングの経験は通用しませんが、そもそもそこで汎用性を持つような抽象論理すら、手頃に触れるレベルではノイマン式のコンピューターで実現されています。量子コンピューティングをする必要が出てきたらそれに生で取り組んで体感してみることにして、とりあえずarmでもなんでも齧ってみるしかないでしょう。
そこでarm素子を組み込んだコンピューターと取っ組み合いをするとして、もちろんいきなり機械語を書き下ろして走らせて走るというものでは、多分ありません。やればできなくはないはずですが、それができるようになるために学習をするのですから、そんなものを期待してはいけないでしょう。もちろん演算素子はステップバイステップで結果が見えるようなものではありません。というか、演算素子自体では結果は見えません。わりと気が遠くなるような準備をして周辺機器を操作してようやく、何かが目に見える状態になる類です。そこは確かにビジュアライズが必要です。ではビジュアライズを何がするかというと、エミュレーターやデバッガです。これらはステップバイステップにレジスタレベルで動作を表示できます。レジスタ1に3を加えろという機械語命令を受け入れて実行しレジスタの変化を目に見えるものにしてくれるのがこういう仕組みです。このレジスタの値をアドレスと解釈してそのアドレスから(つまり普通はメモリから)このレジスタに値を読み込めという命令を与えれば、実行して一般保護例外を起こすか(そのアドレスにメモリがつながっていない場合)、読み込んだ値がレジスタの値として表示されます。気の利いたエミュレーターやデバッガなら、あるアドレスにどんな値が書かれているかも表示してくれるでしょう。
こういうプリミティブな演算素子の操作をいくつも組み合わせて自分の実現したい論理を構築していくことがプログラミングなので、ビジュアルプログラミングなどというシュガーコーティングはむしろナンセンスだと思います。もちろん論理的な指示や条件分岐の概念などは学べるはずですが、そんなものは機械語でも学べます。むしろ条件分岐を無暗に複雑な式やブロック文に絡めて覚えてしまう方が問題で、レジスタを減算してゼロならジャンプの方がよほどましな条件分岐の把握です。まあ、条件ジャンプはプログラムのスパゲッティ化を招くという問題はあるのですが、そんな話はそれこそ条件ジャンプを習得してからすれば十分で、高級言語の構文はこのようなところが楽だと体感できるはずです。
あのGUIGUI来るやつも結局のところ同じ理屈で動いているわけで、なんかオブジェクトの挙動がおかしいなと思ったら根っこの理屈まで降りて何が起きているのか把握しないと、ドロップしてアプリケーションが起動しないから何かと思ったらよく似たデータオブジェクトのアイコンだったとか、ネットワークストレージ上のオブジェクトのエイリアスをドロップしたけど実はネットワークストレージがつながってなかったなんてことになったりします。またGUIGUI来るやつはポインタやその類似物を裏で扱っているのですが、裏で扱う結果どういうことが起こるかというと、裏を色々隠して表を見せている仕組みのところでレジスタやメモリの値を間違って書き換えてしまい、なんかたまに奇怪な動作をして止まるななんてことになります。裏は隠しているのですから表からは見えず、理由がわからないけど止まる - 安全機構が働いて止められる - ということになります。
失敗自体は怖くないし、学習環境である以上怖くないように作るべき - 失敗すると燃えるとか嫌ですよね - ですが、何で止まったのか原因がわからないなんてこともないように作る必要はあります。その点で、無暗にシュガーコーティングしてしまうのはどうかと思います。

■2023年11月01日(水)  今時田舎に引き籠るのだって消費ではありますが
そんなにどこかに行きたいか? 作家・町田康さんが「旅行嫌い」な訳
消費であってもどこかに旅行する価値があるというのが、例えば杉山淳一氏や東浩紀氏あたりの主張だと思いますが、もちろんこういう意見だってあっていいし、別に旅行なんて強いられてまでするものではないわけです。私は一か所にいるよりは旅行というか放浪している場所いる場所を消費していたいですけど。でもまあ、社会と電気と通信と稼ぎと税金を除いて切れて引き籠ってしまうと、居心地の良さに外に出る気にならなくなる可能性はあります。放浪も、特定の社会に固着しないという面はあるわけですから。
その意味で最悪なのは「外出」と「訪問」で、社会と接触するために居心地のいい場所から離れ、あるいは放浪を中断して用がなければ行きもしないところに行かないといけない。あるいは別に呼んでもいない人を迎えないといけない。土着という形で引き籠れる人にはいいのだと思いますし、これは私個人にとって最悪なのであって、他人がそれを望ましいものだと思うことまでは反対しないのですが、望ましいからみんなそうなるべきだと言われると嫌ですねえ。
ところでこの町田氏、タクシーを呼んでやきもきするというのは、それこそ通販の配達に見られるような広域流通をどう考えているのでしょうか。今時田舎でも、というか田舎だからこそ広域流通から逃れられない面があります。広域流通の恩恵無くしてはペン一本、原稿用紙一枚届きません。郵便だって、気づかないだけで届かない可能性はあります。原稿は、担当編集者を呼びつけて、来ない場合はとりあえず経験的に安心できる電話で出版社の編集部に連絡して、「来ないぞ!どっかで迷ってるんじゃないのか」と言っていれば済むわけですが。タクシーを呼んでやきもきするということは、この、どっか得体のしれない土地から必需品が、本当に届くのか?と疑うことと等しいと思います。公的サービスなら気合を入れて稼げばせいぜい道路を使う程度で済みますが、むしろ当たり前に使う流通の方が、その手のやきもきを呼び起こすような構造になっています。もちろん自分自身の基盤をシックにすることで安心を増すことはできるわけで、ペンは百本一箱単位で買えば発注後なかなか届かなくてもやきもきしないで済みますし、食料だって自給にしろ備蓄にしろしておけばいいわけです。自宅の倉庫にレトルトパック千袋が備蓄してあれば、一か月やそこら道路が不通になったところで気にはならないでしょう。通信の断絶が不安なら衛星通信でも押さえておけばいいのが現代です。

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