日記

■2023年07月31日(月)  まあ、雌に妊娠するなという方が無理筋な気はしますが、ちゃんと知らせもせずに「不純異性交遊」などという精神論が蔓延する地域に連れてくるのはおかしいですよ
日本の出産事情、来日前に学んで NPOが実習生に授業を始めた理由
出産事情というか、妊娠出産が無条件に歓迎されることはないという事情ですね。もちろん公的な保護制度の面では結構しっかりしていると思うのですが、世間の感覚として男女が性行為をして女性が妊娠するということが当たり前とは認識されていない、特に最底辺の労働力や学生についてはそうだという点はやはり事前に周知しておくことが望ましいと思います。予期せぬと言ってもちゃんと避妊をせずに性行為をしたらむしろ妊娠する方が当たり前なわけで、おそらく日本の一般的な感覚としては妊娠する方が迂闊、させる方が配慮に欠けるということになると思います。「妊娠はリスクである」という発想を徹底し、そのリスクを管理する方法をしっかり教えることは必要でしょう。もちろん性行為をしないことが感覚からは一番望ましいわけですが、まあ、非現実的でしょう。性行為は起こるものとして対応策を用意し、周知するべきです。もちろん妊娠を理由とした解雇などあっていいものではありませんし、そういうことを相談する窓口も - 一応日本にはあるので - 知っておいて欲しいものです。不意の妊娠にしろ、その段階でしかるべき手続を踏めば、歓迎はされないまでも容認はされますからね。

■2023年07月31日(月)  そもそも財でもなければそれ自体を保護する必然性もない
「文化財は変化NG」その考え変えませんか?民俗学者語る上げ馬神事
そもそも文化財保護制度、特に無形文化財保護制度自体がおかしいのだと思いますが。保護という時点で、特定の時点をもってその形を凍結することを意味します。そういう保護なら、そもそも徹底的に調査し今ならその様子を映像化するなどして記録してしまえばよいわけで、文化「財」として保護する理由は多分ありません。理由があるとすれば、観光客誘致のためのブランド作りでしょう。この場合は、そもそも原形を保っている必要はないわけです。
もっとも、畜力なんぞを使っていたというのはむしろ黒歴史に属する忘れたい過去であるはずで(だって動物虐待ですからね)、文書資料の中にさえ残っていればいいという気はします。

伝統でも「現状は改めるべき」 弁護士が指摘する上げ馬神事の問題点
そもそも馬絡みの神事など現代において何の意味も持たない惰性の産物ですので、改めるというよりは廃止するべきだと思います。少なくとも畜産業としての馬産には一切経済的価値はありません。せいぜい好事家によって値段がつくレベルで、あんなものに関わるくらいならトラクターレースでもやった方がまだましでしょう。馬肉食もどこまで持続性があるのか疑われるレベルです。馬術競技も含めて過去の遺物として、公営競馬制度もろとも馬産政策も廃止し、潰れるに任せてはいかがでしょうか。もちろん道路交通法も改正し、馬や牛が公道を闊歩することは禁止するべきです。

■2023年07月31日(月)  そもそもなぜそこでVPNを使う?
港湾=「重要インフラ」へ法見直し視野 名古屋港のシステム障害受け
「このターミナルでは、港湾運送事業者は専用の回線と端末を使わなくても、仮想プライベートネットワーク(VPN)を通して外部からシステムに接続できた。貨物の搬出入を管理する名古屋港運協会はこのVPNについて「脆弱(ぜいじゃく)性が確認されており、そこから不正なアクセスを受けたと考えられる」としている。」
そもそも港湾事務所のシステムに港湾運送事業者のシステムからVPNで乗り入れるという発想は変ですね。少なくとも汎用のネットワークファイルシステムやプリンタシェアリングサービスは無効であってしかるべきですし、むしろ何をしなくともプロトコルの限定だけはするべき筋でしょう。VPNがどうとかいう前にシステム設計レベルで過失をしています。
もちろん、例えば通信各社が販売している公衆回線網上のVPNサービス(つまり実際に専用線を引くのではなく少なくとも基幹網部分でデータパケットが他の通信と同じ回線を通る)は本来こういう問題はありませんので、港湾運送事業者と名古屋港運協会なり港湾事務所なりの間をこの種のVPNで結んでも問題ありません。また昨今のトレンドから言って、港湾側で開放するポートは一つで済む(通常は80のみ)はずです。もちろんドキュメントのやり取りしかないはずなので、サーバー側の処理(バッファオーバーラン対策やSQLインジェクション対策など)と突っ込まれてきたドキュメントの処理(マクロ付ドキュメントの処理など)さえちゃんとすれば業者で蔓延したランサムウェアが入ってくるようなことは相当避けられるはずです。もっとも、面倒くさいからと大きなファイルをUSBメモリで受け渡すようなことをすると意味がないわけですが。

■2023年07月31日(月)  欧米に阿るヴァチカン
「神への侮辱だ」ローマ教皇、ロシアに食料輸出協定への復帰呼びかけ
ヴァチカンはもう少し慎みを持った方がいいと思います。中世ではないのですから、いい気になって神の平和だの神の道だのを余計なところで語るのは止めましょう。むしろヨーロッパとアメリカに、ロシアとの経済的な関係の正常化を取引材料にロシアに食糧輸出協定への復帰を提案するよう求めるべきでしょう。もっともフランスとイタリアとスペイン、ポーランドあたりはともかくドイツあたりは応じる義理はないわけですから、逆に顰蹙を買うかもしれませんが。それともローマの教皇は、ドイツ連邦共和国大統領付の司祭にでもなっているつもりなのでしょうか。

■2023年07月31日(月)  あ、中国に負けてる
13億人が使うスーパーアプリ 中国社会が拒み続ける「あの機能」
わかる気がしますね。正直なぜかあの機能を実装しようとする動きが様々なソフトウェアで後を絶ちませんが(電子メールにも付けようという試みが絶えません)、そんなにメールを送る相手を四六時中拘束したいんでしょうかね。何か病的偏執症の類型にそういうのがあった気がしますが。日本も、既読通知や着信確認の利用をストーカー認定するような文明国になってくれないものでしょうか。
巷では情報通信技術で中国に負けたの韓国に負けたのとうるさいですが、確かにこの点は、日本は中国に完全に負けているかもしれません。勝手にどうこう言ってきてなんで応じないと難癖をつけて来る輩が普通に容認されており、むしろその便宜のために既読機能を付けるのに熱心なくらいです。もう一度書いておきますが、既読通知はストーキングです。むしろヴァカンス通知機能の実装こそ義務にするべきですし、ちゃんと操作用のプロトコルを標準化するべきでしょうね。もっとも、実装されたらつけっぱなしにしておきそうな気がします。

■2023年07月31日(月)  諦めと何を規制するのか筋を通すのが得策かもしれません
外国人タレント、小規模会場にも出演しやすく 興行ビザの要件緩和
まあ、芸人なんか怪しい、芸人を保証する団体も怪しいというのはわかるんですが、一応真面目に芸を小規模会場でする場合だって十分あり得ますもんね。とはいえそのまま観光旅行でふらついたりその行先で変な就労の仕方をしたり期間を過ぎても居座ったり出国の記録がないのにいつの間にか行方不明になったりといったリスクがあることも確かなので、難しいところです。まあ、ゼロトーレラントなんて無理なんで、こういう話は出入国管理よりは厚生労働省と労働組合の担当にした方がいいと思いますが。それこそ労働組合を登録制にして、労組の絡まない雇用を全て犯罪にすれば、労働の現場で組合員証を提示できない人は全員現行犯でしょっ引けますよ。正規の組合員証を提示できれば組合が身元を保証し保護しているわけですから、問題が出たらそこに苦情を持っていけばよいわけですし。もちろん安易にできる個人営業もたいていは何かの資格や届け出に引っかかるものなわけですし、芸だって興行主や劇場主が絡むようにして大道芸を乞食扱いで検挙するのは常套手段ですよね。

■2023年07月31日(月)  未成年じゃないだろうな
エッフェル塔前でポーズ 自民党女性局の仏研修、投稿に批判相次ぐ
「どのような反応があるか、想像できるはず」
いや全くその通りで、「国民が増税や物価高で困窮しているのに」などという下らない苦情はともかくとして、たとえ国民全員が豊かに満ち足りていても、研修に行ってこういう写真を衆目に曝す(まあ、うっかりしたことをするとメディアに曝されることもありはしますが、それにしてもこの場合自分で曝しているわけですよね)というのは、バイトテロ、カステロをする連中との違いがさっぱり判りません。それこそ一般的な公務員や外郭団体職員は、出張と私的滞在を接続するななどという規制に振り回されているわけで、そういう人たちに規制を課す側の参議院議員がこれというのは全く自覚に欠けています。もちろん田舎者が花の都に行って嬉しいのはわかります。例えばピサの斜塔の前でも、田舎者がたくさんポーズを取っています。しかし、議員なんて基本自分を飾らないといけない立場でしょう。エッフェル塔の前で記念撮影はまあ構わないとしても、もうちょっと田舎者なりの品格を気にかけて欲しいものです。これじゃ反抗期のやんちゃな子供です。本当に被選挙資格があるんですよね?

エッフェル塔前でポーズの自民・松川るい氏 「不適切だったと反省」
「大阪の地元の方と撮った写真があれしかなかった」
そういう問題じゃありません。大阪原住民の馬鹿さ加減はともかく、この春参議院議員を除名された現脅迫容疑者にさらに劣るレベルで議員としての品格に欠ける行動をその場でおかしいと思わなかった - 撮影時と掲載時の二回も - 幼児性が問題なのです。院内での事案ではないので懲罰にはかけられないとは思いますが、正直ああいう写真の撮影自体が軽率なのはもちろん議員だとか称して運用しているSNSアカウントにああいう写真を出してしまうのはリテラシーに欠けます。小学校から道徳とITリテラシーの授業を受け直すべきでしょう。

「観光と誤解される写真投稿は軽率」 自民女性局視察で自民・世耕氏
正直成人として認められないレベルの幼さだと思うのですが、日本の場合成人について心的成熟は要求されませんから、とりあえずここまでで一か月ほどは棚上げになる話だとは思います。もっともこれで報告書が党内に留まるとか、そもそもいつまでたっても出てこなかったとか、突っ込みどころ満載のものだったといった場合、少なくとも外野から資質や意義を問われることは覚悟しておくべきでしょう。外野のヤジと無視するにしても、当人が改選される次の参議院議員選挙で悪評が出る可能性は十分あります。
世耕さんにどう言ったところで意味はないのですが、なんというか馬鹿ばっかり抱えると中枢部が苦労したり倫理的責任や監督責任を問われたりしますから、まず候補者選びの時点で馬鹿は避けておいた方が良いと思います。

自民・松川るい女性局長が辞任へ エッフェル塔前ポーズ写真で批判
女性局長を自認して幕引きというのは甘いのではないでしょうか。議員も辞任するべきでしょう。ところで報告書というのはどうなったのでしょうか。まさかこれで出ないとは言いませんよね。

■2023年07月31日(月)  むしろ警官の方が、車が来ないか確認したうえで車道に出るべきな気がしますが
警察官がトラックにはねられ死亡 阪和道、交通違反の取り締まり中
トラックの一般的な停止距離で、撤収中の警官を視認した時点で停まれるんですかね?遠距離での視認を可能にする標識などを撤収したうえで車に入ろうとしていたのだと思うのですが、高速道路で車の車道側に人が立ってるなんてわかるものなのでしょうか。むしろ警官側の行動上の不注意ではないかとも思えるのですが。

■2023年07月30日(日)  随分設置が新しい感じですが
「どう撮ったのか」審査員も困惑 合成にしか見えない「自然」の写真
確かに一見するとあれ?と思う写真なのですが、右側下半分が水面に映ったものだということに気付くとわかります。
コメントにもありますが、うっかりするとこういうものが撮れてしまうことはあるので、撮った写真をチェックして(昔なら現像からプリントが上がってきて)本人がまず驚くことになります。
右側の構造物が結構フレッシュな感じなので、撮影時期の少し前くらいに設置されたのでしょうか。

■2023年07月28日(金)  一応情報は出すから忍び込んだりしないでくれよってことだったりして
データセンターの所在地ってやっぱり書いてはいけないのか?
「絶対に公開したくない、立ち入って欲しくないデータセンターは、そもそもメディアに公開しなければいい」
ご説ごもっともです。
もっとも、取材許可が報道されることを意図しているのか、取材陣を接待するために行われているのかは微妙な気がします。報道人というものはチンピラと同じで、非公開にすると無理をしてでも忍び込んできたりするので、データセンター運営事業者としては報道人に適当に見せるふりだけしておく方が好意は得やすいでしょう。その場で、顧客から大事な情報を預かり(自社の大事な情報を処理し)、顧客(自社)システムの安定運用を確保する必要があるので、全部をお見せすることはできないんですよとそれっぽく言っておけば、そういうものを特別に見せてもらえたと思ってくれるかもしれません。

■2023年07月26日(水)  採用や受注は計画的に
道路工事で必要な警備員の国家資格、合格証を偽造容疑 社長らを逮捕
これ、もちろん合格の詐称や合格証の偽造は問題なので、検挙は当然なのですが、なんでまた、まっとうに取らせなかったんでしょうね。資格検定試験が年一回とはいえ業務なわけですから計画的に採用や受験の手配をするのが当たり前ですし、落ちるような人を実務につけたら顧客の信頼を失いかねません。だからこそ合格証を偽造してまで形式を取り繕ったわけでしょうし、それなら偽造合格証を行使した警備員誘導員は試験さえ受ければ合格するという評価だったはずです。警備や交通誘導なんてその程度の業務といった発想だったのなら、それこそ資格証の真正性をちゃんと確認しなかった委託元も含めて、安全意識の欠如を疑わざるを得ません。
偽造よりはむしろそちらが問題な気がします。

■2023年07月26日(水)  この場合アナウンスメント効果が出るのは株価あたりで物価じゃないんじゃないかと
日本のインフレは続く…IMF幹部、日銀に「引き締めの準備」を提言
現状だと準備率の引き上げと民間債券ベースの投資信託商品の売却でしょうか。もっとも資産棄損のリスクがあるので、準備率の引き上げはともかく資産の売却には慎重を要します。資産価格の変動が増幅されやすい傾向への対処が必要でしょう。日本経済としては株価が暴落しようが投信価格が暴落しようが投信の利回りが悪化しようがどうにでもできますが、混乱に対処する手順を準備してからでないといろいろと問題が起きます。
そういう意味で、日本経済はIMFの考えているような安定したニュートラルなものでは全くないと思うので、資本市場や金融市場の単純な操作では済まないと思っています。

■2023年07月25日(火)  規制して何か問題が解決するとは全く思えませんが
性別変更の禁止法案、プーチン氏が署名 「ロシア社会の基盤を保護」
「ロシア社会の道徳的、家族的な基盤を保護し、ロシア国民、特に子どもの健康を守ることができる」
日本についても同じようなことを言う人がいますが、そういう原則で法制度を組むということ自体を否定はしないにしても、そんなものを基盤にするなんて馬鹿げた話だと思わざるを得ません。個人的には家族法と相続法は遺言と死後事務処理委託の制度を除いて廃止するべき(死亡をもって発効する法的行為というのはあってよいと思いますし、そうである以上その事務を委託する人を定めることができないといけませんが、これはむしろ契約法の典型契約にあるべきものでしょうし、遺言も特に死後の財産譲渡の部分は宣言ではなく受領側との契約の形式を取るべきでしょうね)だと思いますが、仮に家族法やそれに基づいた相続法に存在意義があるとして、国家や法制度の役割はそれを制度として構築することではなく、例えば子供なら、その枠組みから漏れた子を保護することでしょう。伝統的な枠組みに収まる夫婦であっても子供の健康なりを保障できない状況はあり得るのであり、そこも含めてどうするかというのが政策課題のはずで、家族制度を伝統的なものにしておけば効果があるなどという発想は歴史を知らない戯言です。

■2023年07月25日(火)  完全民営化に先立ってNTTの統合経営部分とインフラを切り離すべき
「NTT完全民営化の選択肢も」 自民・萩生田氏、検討機関を設置へ
民営化はまあ望ましいと思いますが、それならKDDIかソフトバンクに売りつけるべきです。それができないなら少なくとも東西は県単位、市区単位に解体して局の先の回線部分を公有とするべきでしょう。広域回線網はともかく、地域回線網の整備状況ではNTT東西はあまりに有利すぎますし、整備させ続けておくと他社の整備を阻害します。ミニマムとして統一基準でアクセスを解放したうえで、高規格回線については別の事業体による構築を、何なら競争的に、進める枠組みにするべきです。

防衛財源と結びついた「NTT完全民営化」論 40年で競争環境激変

■2023年07月25日(火)  中身がヘイトでなければいいというものではない
環境活動家グレタさんに罰金刑 その数時間後にも再び抗議活動
まあ、この人は日本で言えば連合赤軍やブント系諸派の類(まあ、つるむのはあまり好きではなさそうですが)ですから、こういう前科がつくのは多分勲章でしょう。政府はどんどん付けてあげるといいと思いますし、そうすれば来て欲しくない国が入国を拒否する理由もできるというものです。
「(現行法は変更されなければならない。)その現行法に従っていては世界を守れない」というのは、()はともかく後半について、法に基づいて運営される社会の市民として全く望ましくない態度、主張であり、単なる独善です。国民なら存在を甘受したうえで話し合う余地もあるでしょうが、外国人では好ましからざる人物としか言えません。公秩序を乱す強い蓋然性があると入国を拒否する理由には十分なるでしょう。

英首相の邸宅を黒布で覆う 屋根によじのぼり抗議、「石油か未来か」
許可を取ってやったなら面白い、興味深いで済みますが、無許可の場合明らかに建造物不法侵入です(やったことが名誉棄損や業務妨害に当たるかどうかは判断次第でしょう)。こういうのも組織犯罪の類型だと思うのですが、どうして野放しなんでしょうかね。

■2023年07月24日(月)  これ以上悪業が積み重ならないことを寿ぐべきでしょう
「山びこ学校」無着成恭さん死去 生活綴方を実践、ラジオでも人気
まあ、やっちゃったことは仕方ありませんからね。生活綴り方運動の流れは、個人的には学校の国語教育を見限った原因の一つなんですが。

■2023年07月24日(月)  なんで日本の政治屋というのはこうも古臭い、時代遅れな発想しかしないのでしょうかね
維新は「第2自民党でいい」「共産なくなったらいい」 馬場氏が発言
「第1、第2自民党が改革合戦でどんどん改革をやって、国家国民のためになることを競い合う。それが政治を良くすることにつながる」
売り言葉に買い言葉ではないかという気はしますが、こういうのを改革が自己目的化したと言うのではないでしょうか。改革なんてやらないで済むならそれに越したことはない、やったら少なからず混乱が起こるわけなんで、改革合戦なんかされたらたまったもんじゃないのです。自分が必要と見たところを一気にぶち壊して再構築にかかっているだけイーロン・マスク氏の方がましというもので、馬場氏の言い方では古臭い永久革命論です。
枠組みとしてはそれこそ伝統ある二大政党論の類型でしかありませんし、第1、第2自民党という発想も、国家存立の基盤の所は意見が共通していないと最低限の政治の安定性が保てない、保守政党と革命政党では安定しないという政治論を踏まえているだけではあります。ただまあ、維新の会のようなアクティヴィズム政党は二大政党の一角としては正直ノーサンキューで、馬場氏のような言い方をするなら自民党が国家主義官僚主義派と権威主義的リベラル派に分裂して二大政党になる方がましだと思いますが。そもそも自民党は定まった政見を持たないのが特徴の政党で、反伝統的左翼という点を除けば一致点がないわけですから、それこそ共産党と社会民主主義、民衆主義系政党(馬場氏の言う夢見る政党)がなくなったら一つである理由がなくなります。きれいに割れて国家主義派が明確な政策を打ち出し、維新排除に走ったらどうなるものやら、正直見てみたくなくもありません。維新の会など未だに、自民党が統一を確保するためにはっきりした政策を打ち出せないでいる隙に乗じているだけとしか思えませんがね。
そして政界浄化論ももはや古臭い、時代遅れの言説です。これが1990年くらいならそれで良かったかもしれませんが、日本において小選挙区制を含めて少数派を排除して決められる政治に走るとどうなるか、どこまで政治屋の頭の中が短絡するか、明らかになっているように思われます。浄化してしまえば焼け野原であり、オルタナティブの余地が残りません。こういうことを言いだす人が出てくるから日本はだめなのであり、米国議会での各会派の議場での票を確保するための調整行動やイタリアやフランス、北欧諸国での政策調整過程をしっかり勉強し、せめて選挙において政党連合をちゃんと構築できる、そして連合政権で会派が離脱すると内閣が崩壊するようになって欲しいものです。殺し合いが起きないだけで言説のレベルがブラジルあたりと変わらないでしょう。
それこそ立憲民主や共産まで含めて時代遅れで腐り落ちる寸前の発想しかないわけなので、他は期待しませんからせめて口くらいは気を付けて欲しいものです。

「度が過ぎている。恥ずかしい話」 維新・馬場氏発言で立憲・岡田氏
馬場氏が言ってることの基本は岡田氏が活躍していたころの流れとあまり変わりませんがね。ある意味自民党を含めて日本の右派政治家にはそういうメンタリティーがあって、自由民主党の結成の契機が左右社会党の統合と議席数の伸張の影響であることもその証拠と言えるでしょう。左翼に政権を取られてはかなわないからまとまる、左翼なんぞ、社会党や共産党なんぞ議会から追い出してしまえ、なくなってしまえばいいというのがそもそもの発端です。この点は、岡田氏も小選挙区制支持であり、正直同類の感を免れません。もっともあの言い方は、どちらかと言えば品を取り繕う面のある岡田氏には内容を超えて不快かもしれませんが。

■2023年07月24日(月)  祝・Tweitter消滅…あれ?Twitter.com消滅してないじゃん
Twitterの名前が「X」に変更へ
ツイッター本社看板、撤去開始も中断 米サンフランシスコ
ツイッターのロゴ、青い鳥に別れ告げ「X」へ マスク氏が変更を予告
ツイッターの新ロゴ、「X」を発表 青い鳥は「消滅」
Twitterの名前が「X」に変更へ
Twitter、ついに「X」にロゴが変更
ブラウザ版Twitter “Xロゴ”に変更完了 青い鳥はリストラに
ついにあのちーちーうるさい小鳥のサービスがペケになったという報道がありました。イーロン・マスク氏が有罪を宣告するかのように胸に腕でバツを示している写真はなかなか受けます。多分そのうち水でも降ってくるのでしょう。
と思ったのですが、twitter.comは未だに有効です。リダイレクトされる様子もありません。未練がましいですね。どうせ2018年以降構造的な限界が明らかになっていたのですから、さっさと新サービスに全面的に切り替える方が良いと思います。別にドメイン名を放棄する必要はありませんが、墓でも建ててエッセンスがペケになる演出でもするのが得策というものでしょう。
積極的に使っていた人には別の印象があるでしょうが、個人的にはソーシャルコネクションサービスやインスタントメッセージング全般にいい印象はありません。ソーシャルとかコミュニケーションが「ペケ」というのは傑作だと思いますが、正直ペケというのは何とも陳腐に見えますし、やはりこういうことに相応しいのは赤地に槌と鎌だと思います。

「X」のロゴ、そういえばアレに似てない?
いやまあ、最初にあれ、似てるな?と思ったのはMacOS Xのパッケージのロゴなんですが。あのパッケージ、まだ持ってたかな?
その程度のセンス、その程度の創造性しかないってことじゃないですかね。

数日前設置の光る「X」ロゴを撤去 米X社、市民から相次ぐ苦情
あれ?

さよならTwitterの青い鳥。11年使われたアイコン、デザイナーが解説
消滅した“Twitterの鳥”に隠された意味は? ロゴはどのように作られたのか
林信行が見てきた「Twitter」の美学と信念 この十数年を振り返って
まあ、ロゴデザインなどというものがいかに無意味で空疎であるかのいい例ではないでしょうか。結局自分でサーバーを立てる行動だけが実質を確保できるのです。

■2023年07月23日(日)  少なくとも労働生産性が低くて良いなどと思っている経営者を認める余地はない
「給料は上がるのでなく上げるもの」伝説といわれたアナリストの助言
筋は通っているわけですが、そもそもこの人は証券アナリストの目に留まるような企業しか見ていないのか、そっちを基準に論じる傾向があります。少なくとも世界的に、従業員向け思索や従業員の機能性、生産性向上への積極性自体は共通する行動様式や傾向とは言えません。ポスト相応の機能を発揮していればいいという企業も多いです。まあ、工員などの技能職や下級事務員を除く、経営管理職、技術職、上級事務職については能力の向上を図る傾向が広く認められはしますが。普通は運送ドライバーに運送に関わる技能への習熟は求めても、自律的な計画能力をディスパッチャーレベルに高度化させようとはしないと思います。せいぜい、示された配達先について道路状況を勘案しつつ安全に運行し期限を守り燃費を良くするといったレベルでしょう。
とはいえ、給料は上げるもの、それも政府ではなく使用者と労働者が一定の取り組みに基づいて上げるものという点は異論の余地がありません。そして政府の役割としては生産性の底上げを図る規制、生産性向上への支援の枠組みなどが求められるという点も間違いないでしょう。
個人的には、最低賃金は数倍に上げた上で違反行為について厳しく取り締まり、違反する使用者については後見的な監視下においてでも労働契約の締結を差し止めるべきですし、必要なら雇用契約について個別の届け出も義務付けるべきでしょう。生産性の低い雇用はなくなることが望ましいですし、廉価で生産性の低い労働力を使おうとする使用者は犯罪者であり、その事業組織は犯罪組織であると明確に位置付けるべきです。労働生産性が低いなら、労働の動員に頼らない事業実施を支援する施策も望ましいでしょうし、もし労働生産性は低いが維持すべき事業なのであれば経営への介入権を確立したうえで十分な給与水準を確保するための補助金投入もあってしかるべきです。事業主は事業が自分のものだと言いたいなら法規制はちゃんと守るべきで、それができない人や事業組織には何の権利もあってはなりません。
もちろん給与水準自体の向上については、労働者側の行動もあってしかるべきです。条件交渉は個人としても労働団体としても行ってしかるべきですし、もちろん個人として行おうと、使用者が処遇改善の条件として出してきた内容は共有するべきです。納得できないなら転職なりに訴えることもよいでしょう。本来労働者団体として、この種の事業組織間の移動を斡旋することが望ましいと思います。いざというときに労働者を対立する使用者の職場から引き上げて他に嵌め込むことができてこその労働者団体でしょう。これを支援する政府施策としては、まず転職すると給料や他の処遇が下がるような状況を放置しておくことは問題であり、非管理職についての事業組織に関わらない十分な雇用条件の確保と転職に先立っての適切な研修機会の確保(その間の所得保障を含む)、事業所横断的産別労組組織の促進制度、個別的労働契約への監視の強化などがあり得るでしょう。使用者による労働者囲い込み、事業組織への統合促進を阻害することにはなるものの、人員整理において事業所間の労働者移動を労働組合が担当することが可能になり、ある意味無暗に労働者を抱え込んでおく必要がなくなることは、経営においてメリットではあろうと思います。使用者として一番気になるのは、労働者にやらせると組合を通じて全部競合に漏れることではないかと思いますが、そもそもそんな漏れては困るレベルの話を賃雇いの労働者を使ってわかるような形でするというのが間違いであり、そこは経営者の意識改革が必要でしょう。むしろ業務知識が業界で共有され普遍的なものになる、労働組合の方向性次第では業務改善活動への良い影響も出ると考えられます。
労働生産性向上支援施策については、本来使用者が自分で考え実施するべきことであり、政府のするべきことというのはほぼないはずです。とはいえ大手ほど身内限りのなあなあな能力開発施策と社内研修に終始してきた傾向を是正する施策はあってよいでしょう。登用時の資格要件の客観化もそうでしょうし、もちろん資格自体も何ができるかを明確にする形で整理するべきです。モデルとして公務員の登用制度や研修制度を整理し、このポストに就くにはこういう資格を持っていなければならないということを全てのポストについて明確にし、その基準を厳格に運用し、資格取得の機会を整備することもありだと思います。もっとも形式的な資格取得促進行為が蔓延する危険があり、ラインによる資格取得の勧奨は禁じ手ではないかと思います。また最低賃金水準相応の給料を払えないポストについては整理するべきです。逆に言えば一つ一つのポストについてその価値はいくらかを業務内容に即してしっかり評価する必要が出てきます。役所の場合別に儲かるとかを考える必要はないので、人件費枠の中でそのポストにいくらなら出せるかという基準でもさしあたり良いと思います。あまりに安いランクを切り捨てることについては、例えば人事院というのもあるわけです。これ以下の給料で公務員を使うなという決め方もあっていいでしょう。

■2023年07月23日(日)  「分かる」とはどういう状態か
ChatGPTには言葉の「意味」が分からない カギは「記号接地」
こういう表現をされると、そもそも「意味が分かる」というのがどういう現象なのかわかっているのか、生理的な意味での「意味が分かる」にどこまで普遍性があるのかと言いたくはなります。
もちろん今の科学では言葉の理解の仕組みというのは解明できていないわけで、人工知能の学習による意味把握と人間の意味把握がどう共通しどう相違しているのかがわからない以上、そもそも人工知能に人間と同じように意味把握する仕組みを組み込みことはできませんし、人間と同じように意味把握をしていないからと言って人工知能が意味を把握していないとも言い切れません。とはいえ人工知能が基本的には記号論理学的な手法に基盤を置いているのに対し、人間においては記号論理学はあくまでも可能な知的活動の抽象物に過ぎません。違っている可能性は十分にあります。また仮に人工知能があたかも言葉の意味を十分に理解しているようにふるまうようになったとしても、その意味把握の機構が人間と同じとは限りません。もちろん人間のエミュレーションとして実装することも不可能ではないでしょうが、そのためには人間の側の機構が十分に解明される必要があります。
「意味が分かる」というのは様々なレベルで定義が変わってくる動作や状態で、認知心理学や脳科学のレベルで現象として定義できたとしても、それが知的機能として普遍的な定義かどうかは全く分かりません。そもそも現代科学は現象としての記憶自体ちゃんとは定義できていないはずです。だから認知心理学や脳科学が役に立たないという話ではなく、人工知能技術側も心理学・脳科学側も、もちろん人工知能ビジネス側も、分かっていないということを前提に議論するべきですし、個々のレベルにおいて同じ土俵で議論するように心がけるべきです。乗るべき土俵を曖昧にした状態で意味が分かっているのいないのという議論しても、それこそ意味がありません。

■2023年07月22日(土)  議論の立て方自体が間違っている
揺らぐツイッターの公共性、買収で一転 複数の市役所アカウント凍結
積極的に使ったことがないからでしょうが、Twitterの公共性と言われてもさっぱりピンときません。もちろん独特の「公共性」があるということは認識していますが、それは家の冷蔵庫に貼ってあるスケジュールを書き込んだカレンダーやメモレベルのものであり、逆に言えばそれを知り合いの間で共有すると称して世間に曝すのがTwitterの独自性と考えています。もっともこの場合冷蔵庫のドアはその家の家族のものでしょうからそこに書き込みを禁止されるなどということはまず起こらないわけですが、仮に鉄道や高速道路だとして、何らかの事情で突然利用できなくなることはさほど不思議なことではないでしょう。事故が起きれば封鎖されますし、整備などでも使えなくなります。あまり丁寧にやれるものとも思えないアカウントの凍結など事故の類でしょう。それを自前のインフラのように、あるいは公的に全面的な利用性を確保されたインフラのように思いこんで安定運用を想定する方こそ間が抜けています。
もっとも、Twitterが実装し標榜しようとしてきた「公共性」はその規模拡大とメッセージ流通チャンネルとしての価値増大によって変質していったことも事実であり、紛争関連コストの増大もあって持続性に強い疑問が呈されていました。Xへの変化に行きついた一連の流れはその是正措置の一環であり、それもあってTwitter経営陣は会社の売渡に全面的に同意したと考えています。イーロン・マスク氏はユーザーが占拠していたTwitterを取り上げたとは言えますが、そもそもその占拠自体が根拠のないものだったとも言えます。この種の実質的占拠者と法律上の所有者との利害対立は、それこそ不動産でも発生することです。ましてTwitterの場合アカウント作成に際して約款を承認するわけですから、形式的に適正なBAN程度、騒ぐほどの事でもありません。誤認が明確になれば撤回されていますし、実績としてここ一年ほど不安定化している部分があるとはいえ、誰も完全な安定運用など約束していないはずです。そもそも品のないTweetを、品のないTwitterをBANせよと喚いてきたのは誰だったでしょうか。ある区分のアカウントで通常発生しうる頻度を超えてTweetが行われたための凍結は、そんなにおかしなことでしょうか。

■2023年07月22日(土)  カレーの始まりはインドへの唐辛子の渡来だと思うんですが
2千年前にカレーが渡来か ベトナム古代遺跡の調理器具にスパイス
これ、誤解を招くと思うんですけど。確かにそれは「カリ」ではありうるのでしょうが、イギリスに渡って世界に広まった「カレー」ではないと思います。だって、どう考えても唐辛子は入ってませんから。
もちろんミックススパイスがインドシナ半島に入るのはそれこそもっと前だってかまわないくらいでしょう。紀元前四世紀にはギリシャ系植民都市との間でコショウなどの交易があるようです。西に持っていかれて東に行っていないとも思えません。

■2023年07月20日(木)  また余計なことを言っている
「万博開催、遅らせる考え全くない」パビリオン建設問題で官房副長官
この人なんなのでしょうね。もちろん国も主催者なり共催者なりということにはなるのでしょうが、何ができる、何をするというのでしょうか。陸自の施設大隊でも動員しますか?
万博協会の対応を見守ると言っておけばいいだけのことです。建設促進など国の任でも地方自治体の任でもありません。遅れようが開催し損なおうが、出すと決めた額だけ出して放置し、実施過程に問題があれば各種監督当局や検察を動かせばいいのです。

■2023年07月19日(水)  即日放送中止、以後の出演契約の取り消しが望ましい
佐藤隆太さん、CM出演の解除へ協議 ビッグモーター不正請求問題で
佐藤隆太さん、ビッグモーターCM契約を解除 所属事務所が公表
「ビッグモーター」不正 CM起用の俳優は「好感度ダウン」で損害賠償請求できる?
出演者にスキャンダルが出ると出演の取り消しが起こるのですから、製作サイドに問題が出たら出演拒否、放送中止の話が出るのもまた当たり前です。基本的に拒否した側についてノーペナルティーできることが望ましいでしょう。宣伝側もイメージや評判は重要でしょうが、出演する側はそれ以上にイメージや評判が重要です。それを損なわないことをクライアントは保証するべきですし、問題が出れば責任は取るべきです。
その意味では損害賠償というのもありではあるでしょう。とはいえCM出演者で商品を選ぶ、企業イメージを測るのが間抜けであるのと同じで、著名人が絡んでいるからと安心して詐欺に引っかかるようなのも馬鹿だと思いますが。その意味で、「詐欺的商法を行った企業の広告に出演したタレントが、その被害者から損害賠償請求された事例」などというのはさすがに行きすぎだとは思います。タレントがSNSなどで風評被害を被る程度なら甘受したうえで原因になったクライアントに損害賠償を請求するべきだと思いますが。

■2023年07月18日(火)  大学の先生というのは研究に使うものをたくさん持ってるものだと思うのですが
大学のフリーアドレス化「個人研究室廃止で支障」 教員の訴え棄却
これ、採点とかどうすんでしょうね。もしかして高校以下みたいに、試験問題作成中と採点中は職員室立入禁止でしょうか。
正直何も非常勤講師に合わせなくてもいいと思います。というか、こういうことをするなら拘束も非常勤講師並みにするべきでしょう。腰を落ち着けて研究する環境を大学に設けないということなのですから、つまり教授は大学には授業をしに来ればよく、研究(当然研究に用いる資料や設備の集積を伴う)は大学の外でするわけです。もちろん相応の数の常勤教員には在籍してもらわないといけないわけですから、その拘束時間でも給料は相応に払うべきですし、卒研指導も時間をまとめるべきでしょう。もちろんハラスメントなどが起きては困りますので、教授の拠点に学生を呼ぶなどはNGです。大学の敷地を出たらもはや教授ではありません。学生は心太で出して就職最優先ならそれで十分ですし、週六時間拘束で月100万円ほど貰えるなら、まあ、相場じゃないでしょうか。

■2023年07月18日(火)  多分そのうち請求自体迅速化されるのでは?
マイナ保険証、便利なの? 情報閲覧に1カ月半も 医師「中途半端」
いやまあ、そこは本質じゃない気がしますが。とはいえ履歴の保管期間に制約がある状態で時間的遅延があるというのは、確かに現場では意味がありません。これが個人に紐ついた診療記録や投薬記録が出生時から閲覧できる(健康保険制度の趣旨からすれば可能ではあるはずです)なら、別に一か月半反映が遅れたところでメリットの方が大きいかもしれません。
また、この遅延はマイナ保険証の問題というよりは保険者が被保険者の診療内容を知るまでにかかる時間、健康保険制度の仕組みの方の問題です。医療機関からの請求自体月次で行われるわけですし、決済機関が診療内容を審査して支払いの決定を保険者に伝えるまでの遅延があるわけですから、マイナ保険証側としてはほぼ即時に実施されたと確認された診療内容を反映できていると言えます。この遅延の仕組みについての理解が疑われる政策決定サイドの言動が間抜けに見えることはともかく、とりあえず保険証側のシステムを整備したとは言えるでしょう。請求側の手続さえ迅速化すればその分反映は早まりますし、少なくとも医療のDXと言う以上そこまで見通してあるのが当たり前です。それを今の段階でどうこう言うというのは近視眼的でしょうし、もちろん保険証側システムと請求の制度を一度に弄ろうというのはおそらく無謀でしょう。

■2023年07月18日(火)  本気になった露中にICCが対抗できるのか?
プーチン大統領、BRICS首脳会議欠席へ 開催国の南アが発表
「プーチン氏来ないのがベスト」 ロシア側を説得、難局回避した南ア
南アにとっては一段落でしょうが、今後ロシアがICCの骨抜き化を仕掛けてくることは確実でしょう。プレゼンスとしてはロシアの失点ですが、致命的なものでは全くありません。むしろICCから大量脱退が起きる可能性がありますし、ICCの弱体化は実は米国から見て歓迎できる事態とも言えます。米国の対テロ活動や諜報活動などを制約する国際機関は米国にとって邪魔です。弱体化して米国行政府の言いなりになってくれる方がいいでしょう。つまり積極的な加盟国確保や後押しをあまり見込めないということで、形式的に支持するというアナウンスをするのがせいぜいな気がします。

■2023年07月18日(火)  ストレステストみたいな本です
責任という虚構, 小坂井敏晶
考察する痛々しさが仄見える本です。もしかすると、著者が救いのわざとらしさやうそ寒さを毛嫌いしているからかもしれません。
もっとも、社会制度というものが集団幻想、つまり敢えて言えば鰯の頭であるというのは、言説の点ではもはや常識に近いところまで来ていると思います。少なくとも国家や社会の虚構性については聞いた事がある人は相当多いでしょうし、その上で、まあ、そんなもんでしょ、とぶん投げているのが多数派かと思います(こういうのも承認でしょうが、制度の基盤として結構危うい気はします)。もっとも責任とか自由という概念はまだ天然に神聖かもしれません。その意味で痛ましいのは、フランスで本書のフランス語版の出版を引き受けるところがなかったという文庫版後書にあるエピソードです。これは、日本で本書が出版できたからいいという話ではなく、そもそも出版とはそういうものだと思わないといけない。その上であえて糞味噌一緒くたにして、お前たち出版屋はそれでもなお文化を(語|騙)るかと問いたいところです。同人誌Ver.3である個人電子書籍出版、なかんずくKindleよりも上だと、企画や編集は正当な行為だと、それでも言えますか。ネットの記事(論説サイト、ブログ、日記、SNS、非制約的プラットフォームでの動画配信、etc.)に比べて報知媒体や商業書籍出版物が高位の文化なのは商業出版という仕組みが支えているからだと言えますか。
もっとも、本書の主張において一つだけ絶対に受け入れられないのは、合理的限定的契約や貨幣(というか一般化された交換媒体と言うべきでしょうかね)に媒介された交換による接続を人間的なものでないと言っていることです。個人的には、これらの関係こそが、個別の属性を捨象して主体間を間接的に接続するという意味で人間的なものの極北だと思います。因果論や本質論になってしまいますが、こうした接続が普遍化したのは、効率性も含めて人間が二人称との対峙に耐えられないからではないかと思います。ならば、その関係に純化することこそ必然でしょうし、それが、18世紀以降提唱された「社会」というストレイトジャケット(本来societasという語にそういうニュアンスは少ないと思うのですが)への有力な処方箋であろうと思います。本来契約というのは擬制であり、それが社会契約論者(か、もしかすると紀元前1世紀の神学論 - 異教も含めて)あたりから虚構に転じたと理解していますが、ともかく契約というものはあまり信じられないもので、だからこそそれを信じ、擬制として成り立たせるために、ある種の呪術的儀式も含めた対応策が発達してきたと思います。疎化しそれは、例えば借金を返せなければ奴隷として労役奉仕で返済させるような拘束力を生み出すための仕組みであり、自分に利益が期待できるから結ぶ、自分に利益があるうちは守る、過度に拘束的な条項を含まず前提が破綻した場合の処理が明確化されているというレベルの契約は、むしろ人間同士を接続する際に相応しい概念と思います。もっとも、このレベルでは社会契約説は意味を成しませんが。

■2023年07月16日(日)  まあ、時給千円はないよなあ
「値引きのカツを2日間で」「卵は買えない」 最低賃金1千円の現実
少なくとも生活感からすれば、日本の最低賃金は時間一万円程度にはなると思いますが。その中で物価を現状に保つことが、使用者=経営者の生産性向上についての責務でしょう。
だいたい時給千円と言いますが、安定して一日八千円稼げる人がどれだけいるやら。名目月収にして二十万円というのがおそらくまともな生活の最低限度でしょうし、実働で15労働日、就業時間1労働日あたり4時間と見れば3000円少しです。おそらく就労状況も月単位で変動するわけであり、時給4000円でも年収240万円に届かない可能性があります。つまり、必要な時だけ雇う、仕事がないときは雇わないというのを前提にするなら、時給一万円程度はないと最低生活水準に達しないと思います。

■2023年07月15日(土)  足元見られてますねえ
ロシア、離脱カードで国連に圧力 米欧にSWIFTへの再接続を要求
この問題への対策は、もちろん、アメリカ欧州海軍指揮下に戦時編成の空母機動部隊を黒海に入れ、実力をもってダーダネルス、ボスポラス両海峡へのアクセスを確保することでしょう。前提としてロシアの地対艦ミサイルや航空攻撃能力を潰す必要が出てきますが、それはウクライナとしては大歓迎のはずです。またロシアが反発しても、ダーダネルス海峡を抜けて黒海に展開した合衆国の戦時編成の空母機動部隊を攻撃するのは相当負担になるはずで、一番手っ取り早いのは核弾頭搭載巡航ミサイルを使って飽和攻撃(まあ、ほとんどは通常弾頭かダミーになるでしょうが)することなのですが、これは政治的自殺行為と言えます。オデッサからダーダネルス海峡にかけて空母任務部隊がちゃんと展開するだけで、通常兵器での攻撃はほぼ無力化できるでしょう。アメリカ合衆国の軍隊は、少なくとも痛い目にあったことは確実に学ぶものです。
とはいえ、多分やらないでしょうね。今のところ、ウクライナ情勢は米国にとってその程度の価値しかありません。欧州が全部被ってくれると嬉しいというレベルでしょう。そして現状、イギリスも含めて、欧州諸国の海上管制能力はあてになりません。多分クリミアを拠点にした黒海艦隊の能力の方が上です。これは一定範囲の水域を制圧するような行動をイギリスも含めて第二次世界大戦以降まともにやったことがないのが理由で、これは沿岸警備ばかりやっていた海上自衛隊でも同じです。もちろん寄せ集めただけでは指揮系統を一本化してすらまともに動かないでしょう。個艦単位の能力は悪くないのですが、プレゼンスや攻撃はともかく、制圧や確保は組織行動の問題ですので、意識的にその能力を鍛えてきた米軍が出ていくのが軍事的には一番効率的なのですが。EUなりが一式傭兵扱いで借りてきたりしないでしょうかね。

■2023年07月14日(金)  求める余地がある限りは待遇改善は求め続けるべきです
米俳優組合がストライキ 脚本家と同時は63年ぶり、待遇改善求める
収入がAIに減らされる ハリウッドで悲鳴
これはまあ、当たり前で、ちゃんと払うべきものを払え、変な競合と組むなと言うのは伝統的な路線です。でもって今の娯楽産業はこのストライキにまじめに対応せざるを得ません。人を使うというのはそういうことで、このデメリットを受けずに人を使おうとなると、人を心理や共感の面において雇用先に動員するという一般企業や日本の娯楽産業の経営者の言い分みたいな手法になります。
基本的には俳優組合と脚本家組合の要求に全面的に応じることが望ましいと思います。その上で、それこそイーロン・マスクや堀江貴文みたいな人が俳優も脚本家もエンジニアやスタッフも使わないコンテンツ系娯楽産業を立ち上げるというのが、色々な意味で望ましいと思います。伝統的娯楽産業とこの新しい娯楽産業とで競争が起きることが望ましいでしょう。
その意味では最終的な戦いは上映・上演先を巡ってのものになると思います。伝統的娯楽産業に関わるフリーランス賃労働者たちとその上層のパブリシティーに影響力のなにがしかを依然した伝統的コンテンツ系娯楽産業はキャストやスタッフを正当に扱っていない作品の上映・上演の禁止を映画館や講演施設に求めるでしょうし、テレビや動画配信などの既存の配信手段に対してもそうでしょう。例えば動画配信サービスから、あの系統のコンテンツを配信するならコンテンツを引き上げると脅すわけです。その結果、テレビは当然に屈するとして、動画配信サービスがどう動くかは未知数ですが、少なくとも財布がちゃんとしている人ならやりようはいくらでもあります。
アニメーションなど、今まではキャストが歌手くらいしかいない作品でも多数のスタッフを動員して製作して、それでできるのがああいう前衛作品(なんかキョロちゃんが躍ってるようなやつとか)だったわけですが、おそらくサウンドエンジニアがスクラッチから作るという意味でサウンドエンジニアをある種のフィルターにしたロイヤリティーフリーの素材のみで作ることはもはや後は技術投資の問題だけでしょう。声優が録音スタジオで何テークも録り直すのではなくて、サウンドエンジニアが納得のいく音声的な人形を作るのに数か月をかけるわけです。それこそ音の流れの細かいところまで操作可能であり、監督や演出家の表現に対する細心の意識や配慮、発注側がどのような表現を欲しているかへの十分な理解に加えて、その枠の中で自分がどんな表現を欲しているかについての率直な意識化能力も問われることになるでしょう。女の子のパンツを見せるかどうかといったある意味間の抜けた話ではなくて、ここでキャラクターの会話に、例えばどんなため息や吐息を入れるかといったところまで、監督なり演出家なりが作り込まないといけません。まあ、人工知能の手助けはいつどんな状況においても見込めますけど。

■2023年07月13日(木)  長距離輸送は鉄道と飛行機に、時間がかかっていい大量輸送は船に。トラックは原則荷主から最寄り積み替え拠点までにすべき。
トラックの高速での最高速度、時速80キロから引き上げ検討 警察庁
警察庁のできることはそんなものかもしれませんが、そもそもそこで高速道路を使ったトラック輸送にこだわる理由は何でしょうか。トラックは近距離少量高頻度輸送、つまりコンテナ一個を一時間に一個運ぶような用途で使うもので、大量輸送にしろ長距離輸送にしろ鉄道貨物輸送の領分です。おおむねコンテナ積み替え貨物駅は高速道路で二時間程度の走行で到着できる圏内にあるわけで、200 km以上の距離はコンテナ貨物輸送を前提として制度や交通網を整備するべきでしょう。逆に200 km以内であれば、最高速度を時速100 kmにした場合との時間差は一時間ない程度ですから、誤差の範囲内です。速度が足りないならのぞみあたりを間引いて新幹線輸送にJR貨物を参入させるべきですし、貨物列車が東京駅に着く必然性はどこにもないわけですから、客扱いに起因するダイヤの制約もありません。もちろん夜間輸送をする必要もなく、今の15分間隔ダイヤの隙間に貨物列車を入れ、旅客駅の通過線を無停止で抜け、新横浜を過ぎたあたりで貨物駅に分岐すればいいことです。厄介なのは貨物駅での荷扱いに20分程度はかかることでしょうが(それでもコンテナでまとめることで、貨物列車の組み換えをするよりはだいぶ短縮できています)、十分な貨物の量がある場合は無停車直達列車を運行すればいいのであり、そもそも貨物駅自体多くはないのですから、分岐して荷扱いして一時間ロスでも神戸から名古屋と静岡で停まって荷扱いしてお台場あたりまで半日で着くのではないでしょうか。もちろんコンテナ一個単位での速達性が重要な場合はトレーラーなり航空機なりもあってよいですが、出荷翌々日に着けばいい荷物までトラックで運ぶ必要はありません。貨物をコンテナ単位にまとめる輸送拠点と貨物駅までの往復が最長6時間で済むなら、大型コンテナを運ぶドライバーの負担はそれなりに減るはずですし、輸送拠点から配達店までの中型ないしは小型トラックによる輸送も一便の輸送量を増やして頻度を下げることはできるはずです。速達性も重要な生鮮品の輸送なら、荷主側で冷凍コンテナや冷蔵コンテナ単位にまとめることも期待できるでしょう。配達店からのラスト数マイルはどうしようもありませんが、これは小型トラックになりますし、高速道路はほぼ使いません。
鉄道は貨主客従に転換するべきです。

■2023年07月13日(木)  正直どっちも馬鹿
川勝・静岡県知事に不信任決議案 深夜の攻防、1票満たず否決
そもそもこの、議会と首長が執拗に対立し続け、安易に首長の不信任決議案が議会に提出されるという状況は何なのでしょうか。議会での条例改正がないとできないことを言う首長もどうかしていますが、それに対応するなら議会は不信任ではなく言った通りの首長給与の減額条例案を議員提出議案として審議可決するのが筋です。何なら首長の報酬を任期末までゼロにする条例であってもかまわないと思いますが。首長が条例案を提出してこないから報酬を減額できない、首長はうそつきだなどという主張はあまりに間が抜けています。
まあ、川勝知事はどうも脇が甘くなっている感はありますし、そろそろ中央リニア新幹線静岡工区着工だけこういう理由で絶対反対という点をしっかり引き継いで退任すべきかとは思いますが(もちろんその方針が引き継がれるかどうかは知事選挙次第ではあります)、県民や県内自治体を罵倒したから知事失格というのも大人げないと思います。正直そういう下らない事を論って人気取りをしている暇があったら、静岡空港の廃止や知事部局の整理や大幅減員を条例として定める形で知事と対立するべきでしょう。議会の仕事は条例の改廃ですし、知事の仕事は条例や法定の自治事務の執行です。お互いするべき仕事を放り出して罵り合っているのではなく、粛々と仕事をした方が良いと思います。
まあ、1948年生まれが独裁的な馬鹿なのは仕方がありません。少なくとも西暦1000年あたりから1960年までの日本は野蛮人ばかりが住む国でしたから。多数票を集めれば、集団になれば何をやってもかまわないというのは、この世代の人たちが子供たちに教育し、このひとつ前の世代のはっきり覚えている政治権力への警戒感を理由がないと退け、それはおかしいんじゃないかと若手が反対すると罵倒して押し通してきたことであり、論破などというのもまあ、この世代、戦後教育第一から第二世代の影響に由来する風俗でしょう。金があれば、大手民間企業であれば何をやってもかまわないというのもそうですね。そういう意味では静岡県知事とJR東海もどっちもどっちなわけですが、どう見てもJR東海は誤魔化して工事を安く上げようとしているので、その点は県知事を納得させられるように手を打つべきです。工事費が十倍になっても国交省が何とかしてくれますよ、きっと。

■2023年07月13日(木)  そもそも契約は何をどこまで拘束できるのか
コンビニ店主の団交権「認めず」判決、初の確定 最高裁が上告棄却
まあ、労働者ではないというのはいささか保守的ではあるにせよありうる解釈だと思うのですが、ならば自営業主にあって当然の様々な裁量、例えば営業日や営業時間の決定権のような裁量が欠けているという点の不均衡はどう処理するのか知りたいものです。まさかそれを放棄することも契約自由だなどとは言いませんよね。本来労働制度が労使関係に一定の規律を求めるのは、労働者が雇用主の指揮監督に服するという理由で様々な裁量を放棄しているからです。むしろ人事権や仕入れにおける裁量などというのは管理職ならあっておかしくない些細な事柄と言うべきで、もちろん雇用主と利害を一にする管理者という意味で労働者ではないかもしれませんが、利害が相反する、交渉の余地が認められない場合においての雇用者や優位な交渉相手との立場の均衡は図られるのが筋でしょう。例えばフリーランス保護法制などはそのためのもののはずです。この場合、フランチャイズ契約の個別の項目について、独立事業者である店長の自身の店舗の運営を拘束するようなものを公序良俗違反で無効とするなら、辻褄は合うでしょう。もちろんこの裁判は労働者性と団交権の承認を求めて起こされたものなので、フランチャイズ契約の有効性の是非を判断するべき事情はないわけですが。

■2023年07月12日(水)  なんか普及しないような気がしますが
PHS終了、代わりとして期待の「sXGP」とは
いやまあ、1.9 GHz帯を使うからPHSとは限らなくて、そもそもプロトコルが全く別ですが。
個人的には確かにWi-Fiはないと思う(Wi-Fiを使うならIoTで限られたプロトコルだけ流すんでしょうね)ので、省電力通信の選択肢があることは望ましいと思いますが、問題はsXGPだけでどこまでスケールメリットを出せるかです。運用コストが低いとはいえ、既にそこに収束していく道筋が作られているので、屋外での運用が可能なこともあってスケールメリットは非常に出しやすくなっているはずです。そこに、せいぜいビルの中とか100 m四方の敷地の中でしか使えないsXGPが構内通信設備として入ってどこまで意味があるか。もっとも受け入れやすいであろう病院の場合、まず構内ではLTEなり5Gなりについて電源を切っておく必要がありますし、職員のBYODは深刻なセキュリティーリスクを引き起こします。つまり少なくとも構内電話としては支給端末になるはずですし、デュアルSIMなどよりも二台持ちして外出用の携帯電話は居室に置く方がましということになりそうです。そんな代物を、そんなものを使う必要がない事務所や工場が使うでしょうか。結局ニッチで終わりそうな気がします。
それよりは、5Gの受信端末が使える省電力基地局でも開発する方がましな気がするんですがね。

■2023年07月12日(水)  ある国家への帰属とはどういう意味かが問題
私が日本政府を訴えたわけ 国籍を喪失させられた米国の日本人弁護士
二重国籍を認めぬ日本は少数派 個人が複数国に帰属する意味とは
二重国籍認めない日本 ロバート・キャンベルさんにはどう見える?
これなんですが、一人の個人が複数の政府に影響力を行使することを認める一方で、国家から距離をおきたい、つまりどこの国民でもありたくないという権利は認めないというのはどういう事情なのでしょうね。消極的リバタリアンは認めるに値しない生き方なのでしょうか。
多重国籍は、正直権利と言えるかどうかは無国籍よりも難しいと思います。そもそもアメリカ合衆国憲法と日本国憲法は違います。その双方に忠誠を誓うなどということができるのでしょうか。ある個人が日本の国政選挙とアメリカ合衆国の連邦議会議員選挙の両方で被選挙権を持つことの問題はさておくとしても、もし市民権を便宜的に複数の国で取得したいのだとしたら、その人にとって帰属とは何でしょうか。むしろ特定の行為を国民にのみ限っているというのはそのような行為を行うことを認められる程度に信用できるのは自国民のみであるという前提があるわけです。信用の根拠は何かと言えば、日本であれば日本国憲法を基本法として承認し、日本国内で平穏に居住生活しているという点でしょう。
もちろん出入国にいささかならぬ負担を課されることは不便でしょうし、日本国籍を放棄した直後に滞在査証が出たり永住権が認定されたりということは現行の制度ではない気がしますが、そこは現行の出入国管理法の問題であり、日本国籍の放棄というのはそこまで問題にするほどの拒否事由かと問わなければなりません。平穏に活動しようとする外国人の入国滞在活動を制限する正当性はないと主張するべきで、多重国籍を認めろと主張するのは不適切です。資格にしても、例えば法曹資格は日本国民に限る必要はないとか、仮に限るとすれば裁判官や検察官に任用されることが問題であるはずで、これらは公務員なのだからそちらで国籍制限をかければいいはずだといった主張はできるはずです。それがどうして多重国籍などという過激な主張になるのでしょうか。
欧米の場合、むしろ国家間の制度融合や、外国での国籍取得に伴う原国籍放棄に応じない国があったといった事情で、交流が密な国家の間での多重国籍に問題がなかったり、亡命者についてやむを得ず多重国籍を認めたりということが起きていたと考えるべきでしょう。日本の場合、むしろその時点の日本政府の打倒を目指す人がソヴィエト連邦の旅券を取得したとかいった事例があるわけで、外国国籍の取得は日本政府の否認であると解釈する経緯があったと思います。もちろん外交を共通化し相互に全面的な内国民待遇を認めるような国家連合という話も出ていないわけですから、多重国籍を認めるメリットもないでしょう。もちろん外国人への活動制限自体は外国渡航が滅多にないことだった旧時代の常識を前提にしたものであり、観光、留学、就労などといった特定目的査証ではなく、有効期間中条件なく生活を認める一般査証を原則とするべきでしょうし、有効期間中の出入国を認める(手続を求めるにしろできれば出入国管理窓口での手続が望ましい)マルチエントリーであるべきでしょう。入国して活動して出国して終わりなどというモデルはおかしいと思います。
とはいえ、外国に忠誠を誓う人に日本国籍を認めるというのはそれとは別でしょう。
なお、「国籍を喪失させられた米国の日本人弁護士」という書き方は間違っています。日本の国籍要件に民族的に日本人であることというのはありません。何人であろうが、外国籍を放棄して日本国籍を取得することは可能です。逆に日本国民という意味を除く「日本人」の方が定義がないのです。これは、米国人という言葉がアメリカ合衆国の国籍を持つ人ということであるのとまったく同じ論理で、民族的出自は華人系米国人とか日系米国人と表現するわけです。この場合は日系米国人というのが正しいでしょう。つまりは日本国籍を制度に基づいて放棄したものとみなし適法に国籍を抹消している以上、米国籍取得の事実がないと主張しない限りは日本国民という意味での「日本人」ではないのです。これが日本国籍維持の要件を満たしているにもかかわらず国籍を剥奪されたというなら推定的に「日本人」と言えるかもしれませんが、この場合はそうではありません。

「時代遅れ」「永住権で解決」 二重国籍、当事者はどう考える
最初の方、まあ、日本はヨーロッパの国ではないわけですが。フランス共和国市民であると同時に日本国民であるというのが成人においてどう成り立つというのか、心情論以外で聞いてみたいものです。日本国籍の出生による取得は確かに血統主義であるわけですが、それ自体は親が日本国民であるという要件であり、人種的な日本人に限られてはいないということは明白です。日本に帰化した人の元に帰化の後に生まれた子供は日本国籍を持つのです。逆に日本国籍を放棄した人の元に生まれた子供は親の出身に関わらず日本国籍は与えられません。これを血統主義と表現すると、この人のような勘違いを生む原因になるのだと思います。
もちろん後の方の人も、日本国外に活躍の場を求めた人たちは、その国の方が良いから日本から移住しているわけなので、まずもって日本に帰国する選択肢は事実上ないはずですし、もちろんマスコミもこういう人たちを日本人扱いするべきではありません。それこそ人種的偏見というものです。米国籍を持っている人は米国人です。日本国民として日本に帰るつもりだというなら居住地での全面的な内国民待遇など求めるべきではありませんし、そこの選択をちゃんとするというのが帰化のはずです。また日本政府も、民族国家とか日本は単一民族とか馬鹿なことを言うのは止めるが好いでしょう。人種的偏見ですし、そもそも外国籍を取った元日本国民が余計なことを言う隙を与えることになります。

■2023年07月11日(火)  そもそも野党だから共闘しようという発想がおかしいと思いますが
選挙日程に合わせて候補者調整すると言うのは、まともな「野党共闘」と言えない
「野党共闘」はどうか知りませんが、選挙に合わせて政党連合が組変わるのなんてむしろ欧州では当たり前だと思いますが。あの万事呑気で切羽詰まっているのに何度も大統領選挙や首相指名投票や連立の調整をやっているイタリアですら、議会の選挙となれば期日に間に合うように政党連合と政策を調整します。もちろんそれができる程度に傾向がはっきりして日頃から話し合いをしているからではあるのですが、国政選挙くらいしか存在感を示せない政党の方が問題ではあります。
この点では国政政党との連携しかできなかった市民運動とやらも問題は同じで、この意味では大阪維新の会や減税日本の方がまだしもまともだと言えるでしょう。関係者の思想や選んでいるトピックはどうかと思いますが、機会主義的ではあるにせよ国政と切り離して地域の政権獲得を図る、地域を地盤に政治を論じるという部分は地域主義としては足が地についています。もっとも、政権獲得がキャンペーンの中心であることがあまりにもあからさまなことと、その際掲げているトピックが実に庶民レベルのご都合主義的、孤立的なもので、たまに何か抽象論を説いていると思えば通俗的自己啓発でしかない点は、さすが日本の政治家と思わないでもないですが。
ちなみに国政政党の場合むしろイデオロギーを基盤にすることこそが基本と言えます。何らかのイデオロギーなしに遠隔地の非経済的連携は成しえません。その意味では自由民主党ですら日本国家主義(決して自由でも民主でもない)というイデオロギー基盤はあるわけで、共和国成立以降全国に通じるイデオロギー基盤が左派にしかないイタリアの場合、まず右派が解体して地域政党化し、その右派が政党連合を作っているわけです。そして左派のイデオロギー基盤がソ連の崩壊過程と並行して単なる分配のための統制経済体制に化した結果1990年ごろに汚職事件をきっかけに崩壊し、全国政治が実務家内閣でないと実施できないような状態になっているのだと思います。
一部の哲学者の言うように、他者とかかわりあっていく生活そのものが政治的行為であるわけですから、その局面を市場とのスポット的関わりや取引に限定して引き籠るのでもなければ(彼らはこれを不健全で問題を生み出すと言っているわけです)、トピック単位で政治には関わらざるを得ません。イデオロギーへの忌避感があるならイデオロギーの影響を無視できる隣近所のトピックを基盤に地域政治を構築するしかありません。国政政党の離合集散やイデオロギー先行の統制を問題にしているくらいなら、地域政治に沈潜している方がまっとうだと思いますがね。

■2023年07月11日(火)  つながるための対話が必要だという想定が対話を強要することで分断を作っているのでは?
つながれる問いさがそう 哲学者・永井玲衣さん「ここからはじめる」
「つながれる」というのが「対話」によって相手となにがしかの相互理解を築くという意味なら、そのような話題は少なからずあります。場次第の所はありますが、少なくとも学校でやるような、先生が好むようなセンシティブな話題や賛否を問うような話題、生徒間の世間話以外であれば、何で先生ってテストで下らない答えを書かせるんだろうね、でもいいわけです。これはこれでセンシティブですが、おそらく正解はありませんから(書くべき答えが正解であっても下らないことには変わりありません)、お前の答えには根拠がないなどという論破以外なら、その人を表すような答えが出てくるはずですし、うまく話をつなげていくことも可能でしょう。
とはいえ、どうしてつながらないといけないのでしょうか。「必要ではある。だが、やりたくない。やりたくないが、必要である。論じることはできても、自分はしない。したくない。」と言いますが、そもそも他者に向けて論じることは必要でしょうか。それこそ、議論して何かを決める必要はあるでしょうか。そして、自分の意見を他者に開陳し、その他者の意見を聞く必要はあるでしょうか。しないといけない、必要だ、あるいはできないといけないなどと、思っているだけではないでしょうか。

■2023年07月11日(火)  官僚的冷酷さの背景としての客観性
客観性の落とし穴
著者はフッサールやハイデガーを引いていますが、少なくともハイデガーが積極的な全体主義的行動主義に走ったこと、生や個の全体性のような概念が特に行動主義と相まって少なからず全体主義と結びつくことはどう考えているのか、気になります。
・あすなろ福祉会における不妊化措置事例について
著者はこれを優生思想に基づくとしているが、個人的にはむしろ官僚主義の事例ではないかと考えている。
入所者の出産が施設の経営に望ましくないことは言うまでもない。もちろんそのような事態において対応するだけの財政的手当てがあることが望ましいが、少なくともそのような手当てが得られると確信している施設運営者はごく少数であろう。理事長は入所者の健康で文化的な最低限度の生活の確保に責任を負っているが、それは施設あって、会あってのものであり、私設や会の維持存続が他のことの先に立つ。この前提において、従業員は直視するべき入所者の物的介護以外を官僚的に処理せざるを得なくなる。施設において、妊婦の世話、乳児の世話、幼児の世話が発生することは「想定外」である。官僚主義としてはこの可能性を排除せざるを得ない。一対の夫婦として生きることまでは認められても、そこから「想定外」の事態が生み出されることは認められないのだから、結婚に際して不妊化措置を求めること、妊娠の可能性のある結婚に反対すること、そのような結婚をあくまで求める入所者を場から排除することは、官僚主義において必然となる。
おそらくこの理事長も、入所者の婚姻や出産、子育てを財源と合わせて仕組みとして手当されれば、手のひらを返したように入所者の「リプロダクティブ権」(積極的なものとしてこの権利を認めうるかどうかは疑問ではあるけれども: 子供を作らない権利なら全面的に許容できるが)を擁護するだろうことを、個人的には疑わない。その程度には、多くの福祉関係者は個人的に善良である。しかし、事業経営といった制約条件を念頭に置かざるを得ない条件において、現代人は一般的に官僚主義に逃げ場を求める。そこで「生産性」の基準が顔を出すのであり、そこから優生主義的発想につながっていく。これを、少なくとも「生産性」の基準を内在化させてしまったケースと同列には論じられないと考える。
著者は個人の経験も重視すべきだと主張するが、それに倣うならば、ここでは優生主義的言動を為すに至った経緯を個別に検討するべきであり、一概に個人の思想信条としての優生主義と看做すことは不適切である。この理事長の発言への賛意も、多くはそのような視点と考える。原理的な優生思想は劣等な個体は存続すべきでない、劣等な個体を存続させることは絶対的悪だというものである(ナチスの優生思想や民族思想においても、少なくともユダヤ人は生産性, etc.において劣等であるがゆえに排除されるべきとは言わない - 彼らはユダヤ人であるがゆえに劣等であり排除されるべきだと主張される)。これは、コスト論から相対的に生産性に劣る個体を社会から排除する発想とは異なる。個人の経済的生産性を基準に優生思想を主張することと、個人の人権や人格を認めつつもそれを維持するだけの経済的生産性が社会や組織にない状況を認識しそれに適応することとは、区別するべきだ。もっとも、著者の「客観性」批判やそれに対する処方箋を見るに区別する必要を感じないのかもしれないが。

■2023年07月10日(月)  ある人が良く生きようとするならばその人は死ぬしかないような気がする
現代思想 2023/2「特集=投資の時代」
まず、データ生成の際の設定が間違っています。系統的にssがドイツ語のエスツェットに置き換えられていますので、ドイツ語として書くべき部分をマークするのではなく、ssがあるとエスツェットと解釈する設定で生成しているのでしょう。ドイツ語以外の文書でドイツ語文献を引用する場合、文書全体でssをエスツェットに変換するのではなく、変換するべき部分をマークするように書くべき(書かせるべき)だと思います。
まあ、松尾先生が頭にいることで予想はしていましたが、正直「連帯って何?それって美味しいの?」という感想です。もちろんほとんどの論文において連帯は心情的なものというよりは制度的な、形式的なものや、その心情を形成する制度的な仕組みではないかとは思うのですが、ある意味、連帯という言葉は現代において社会主義と同様の誤解を貼り付けられているように思います。
また、どうも日本における協同組合主義者は何か誤解をしていると思うのですが、いわゆる連帯による人的結合としての協同組合像と異なり、現代日本における制度的協同組合(というより制度的組合全般)は資本制的特徴を強く帯びています。民法の典型契約の組合契約の条項を読めばわかりますが、組合とは金融資産を含めた物的資産を一定の目的のために共有する契約です。この意味で、原則として法人格を持たないことなどのいくつかの点を除けば、会社と極めてよく似ています。正直、制度的には連帯とは異なるベクトルで抽象化されているように思えてなりません。もちろんこれとは別に理念的な組合を考えることは可能なのですが、それはむしろ、資本金ゼロ円の合同会社がそうなのではないかという気がしています。もちろん決定の原理が全員一致(組合)か多数決(会社)かは異なっているわけですが、制度的協同組合法人の多くが組合員の増大により執行部と一般組合員の分離を招いている(ここで個人的には経営者支配論を想起します)という意味で執行部に一般組合員の資本を集約する機能になっている(実質的に組合員同士の人的結合が失われ、執行部が集めた資本を用いた事業について定款に現れた理念以外の部分で決定権を持っている)ことを考えれば、組合員数が顔の見える範囲に留まる単位農協や単位漁協と同様、合同会社もむしろ社員の連帯の仕組みと言えるように思うのです。合資、合名、合同の三類型が人的会社と呼ばれる点も想起するべきでしょう。協同組合=連帯に基づく人的結合、会社=資本の結合という把握の仕方は、文脈依存性の強い、したがって異なる文脈で読む人の勘違いを誘発する書き方ではないでしょうか。
以下メモ
・悪徳企業の株を売るべきか(杉本俊介)
どうも専門誌に寄稿された記事が元ネタらしいのですが、そもそもこんなことを考えているようでは、回答として挙げられている話も含めて、1980年代の哲学業界というのはある意味「ソフィスト化」していたのではないかと思えます。ネタのパズルは、倫理的投資というものに付きまとう矛盾を指摘するためのものと解釈しないとあまりにナンセンスな気がしますし、そもそも株式の譲渡自体は株主権と責任の転嫁の手段でしかなく、多分まだしも株主代表訴訟でも起こす方がましでしょう。1985年ごろならすでに株主代表訴訟という制度は多くの国にあったはずです。時期的にはちょうど機関投資家の経営改善行動が活発化する時期だと思いますので、その時期にこんなパズルとやらを問題にしているようでは、「頭が遅れてる」としか思えません。
一方この問題は、おそらく悪徳企業の社債を持ってしまったときにより深刻なものになる気がします。社債には、発行した会社を行動させる動機付けの権能が用意されていないからです。そこで投資家が選択できるのは、発行時にある会社に資金を与えるか否かでしかありません。その決定は、社債が償還されるまで、社債証券に染み付いたままです。同じように、投資家が細かい決定権を持たない信託投資でも問題になりえるでしょう。もっとも信託投資の場合、投資家には信託契約の解除権なり信託証券の買い取り請求権なりがあることが一般的なはずなので、この方法で信託した資産を悪しき投資信託から道徳的要請に即して引き上げることは可能かもしれません。
・脱成長時代の「投資」 - フライカウフという考え方を手掛かりに(林公則)
フライカウフというのは請け出しということですね。もっとも貨幣による売買や市場取引も歴史的にはフライカウフの一類型と言えます。おそらく中世の納税観念を引き合いに出すのがわかりやすいのではないかと思うのですが、確か阿部謹也氏だと思うのですが、中世農村というのは一種の社団であり、その社団として領主と土地を使用する代わりに納税をする契約をする、関係は領主の土地を社団が占有して使用し始めることによって始まり、規定の納税をもって完結し、その時点で社団は動産を持ってその土地から退去する権利を獲得する(この権利を持つ社団メンバーが借地農で、持たないのが領主直属の農奴ということなのでしょう)と書いていたと思います。契約という形で社団として借地農が一定の土地に拘束され、納税はその拘束を解除して自由を購うものになるわけです。そして、中世においては農地の売買は領主層の特権でしたが、近代に移行する過程で平民(想定されるのは耕作者)が貨幣の支払いをもって土地を所有できるようになります。これも、土地所有の自由を持たなかった平民にとってはフライカウフと見えたでしょうし、土地自体が領主による拘束的所有からフライカウフされていると言えます。
もっとも、土地をそのような形で譲渡してよいかどうかというのは歴史的にも結構議論があり、土地をある個人なり家系なりに結びついたものとみなし、典型的な所有権移動である債務不履行による担保執行の場合でも、担保として処分されるのは収益権であり、ある年数を経過すると元の所有者に返却される(現代的に見ればその期間の収益によって債務が償却されたと看做す感じでしょうか)という制度だったところもあるようです。
GLSグループが関与したものからの例のうち、連帯農業について、おそらくこの場合の連帯とは農産物消費者と耕作者の連帯ではないかと思います。この部分からの形態としては日本の農産物産直流通の一種と近いと思います。そして、ここで「消費者共同体」という語があるのですが、生地を読んでいる限り、この「消費者共同体」は仮想的なものであるように読めます。つまり実際には個人が耕作者の組合と契約して割当額を支払い農産物を受け取るのですが、その個人の総体が共同体と観念されているという話ではないかと思います。もちろんそれが制度的に社団の形態を取っていることはあり得ますが、おそらく社団としての実体はないのではないかと思います。また212ページの図で組合とパートナーの間の関係がどうなっているのかが読めませんが(註に説明があります)、さすがにパートナーに耕作において独立性があるとは思いにくいので、組合においてパートナーへの金銭的支払い(組合で自給自足できるとはあまり思えないので、個々のパートナーが不足の生活物資をそのお金で購入する)を含めて年間予算を立案し、それを基にした割当額を消費者が支払う(この時点で農産物のいわば価格リスクが消費者に移転する)、そして各パートナーは組合の計画に従って農作業を行うという形ではないかと思います。農具や消耗品についても、組合内部で扱いを調整するのでしょう。一人が一つを占有してもよいですし、組合所有として持ち回りで使っても良いわけです。そこも含めてパートナーの合意に基づく組合の裁量でしょう。そしておそらく消費者のリスクは、供給される農産物の質と量として現れるはずです。組合はパートナーの自家消費分を留保するはずであり、それを除いた収穫が「消費者共同体」への供給の原資になります。組合側の事情(悪天候のような組合側の責任とは言えない事情と方法論的失敗のような組合に責任のある事情があるでしょう)で農産物の品質が低下し、あるいは供給量が減るのが、リスクになるわけです。おそらく契約と割り当て金の支払いの時点で方針や見込み収量あたりについて説明はあるのだと思いますが、それが達成されないリスクを耕作者と消費者で分担する(まあ、さすがによほどの事情がないと消費者分をゼロにはできないと思うので、ある程度は組合も被るのでしょう)わけです。
なお、この考察に絡んでクラウドファンディングと比較することが可能ではないかと思います。別にクラウドファンディングは具体的なリターンを前提とした仕組みではありません。動詞のファンドとは基金を作ることであり、ある意味よく知られている基金の多くは寄付によって創設されます。これが事務局を持ったのが財団であり、法人化すると財団法人になる、というのが、会社法や一般社団法人法以前の構造でした。ですから、それこそ何の具体的なリターンもないのでも構わないと言えます。支払いによって基金の目的に参与することが支払者の唯一確実なリターンであり、支払者と基金の目的はクラウドファンディングによって結び付けられ、購われるとイメージすることもできるでしょう。ただし、フライカウフとして挙げられた例とクラウドファンディングには大きな違いが一つあります。フライカウフは持続的なものとして設計されています。これはクラウドファンディングにおける支払者と募集者の関係性が原理的にクラウドファンディングの成否が決定した時点、遅くとも基金の目的の成否が明らかになった時点で終了することが前提とされている点と異なります。もっとも、連帯農業においてはおそらくワンシーズンをもって消費者共同体と農業組合の関係が終了するモデルにも見えますが(少なくとも次の割り当て金請求が来るまでに「生産者共同体」を脱退できないようでは現代的制度としてナンセンスです)、一応は個人が終了を宣言するまでは継続すると想定されているのでしょう。もちろん組合のパートナーも、組合からの脱退は可能なはずです。
一方で、両者に共通するのは、参与の意思に基づくなにがしかの連帯である点を除けば(そういえばふるさと納税制度もそんな発想で始まったはずなんですけどね)、オルタナティヴでしかないということでしょう。例えば地域通貨キームガウアーは地域外から資源を輸入するという通貨の重要な機能を法定通貨に委ねています。つまり域外取引の際の決済手段としての法定通貨無くしては効果を持たない代物です。なんとなく、近世イギリスでパブの親父が付けていたというつけ帳を思い出しました。クラウドファンディングも、これは主として募集者とプラットフォームの姿勢の問題だとは思うのですが、気楽にその場限りでする参与として、メインストリームの金融の補完的地位にとどまっていますし、どうもこの先メインストリームになる可能性もなさそうです。また、どれもあまり「民主的」に見えない、リーダーに委任するタイプの無責任な投資というか寄付に見えます。土地組合にしろ連帯農業にしろ地域通貨にしろ、継続的に関与するのはせいぜいが地域通貨における加盟店程度であって、基本的には活動の一切が執行部(土地組合の理事会でしょうかね、連帯農業の農業パートナーシップと土地所有有限会社、キームガウアーの運営団体)に任され、例えば出資者や消費者共同体やキームガウアーを使う人には離脱する自由程度しかありません。農業パートナーシップが土地所有有限会社と契約する借地農集団のようなものだとすれば、土地所有有限会社のコミットメントが強く組合の裁量は有限会社との契約に制約され、そのパートナーに至ってはコミットメントは限定的ということになります。松尾氏の言うような過渡的形態という理解も可能でしょうが、例えば土地所有組合がドイツの全ての農地を所有するに至ったらどうなるのかを考えてみると、うすら寒く感じないでもありません。それは、ランデスヘルやフュルストとどう違うのでしょうか。なんなら、ドイツ民主共和国の計画当局農産物部門やソビエト連邦の農業計画部門と言い換えてもかまいません。
・贈与という陥穽 - 「スピリチュアル市場」における経済とその問題(橋迫瑞穂)
まあ、聖なるものへの接近という欲望自体が問題だとは思いますが、自分が聖なるものになりたいという欲望(崇められたい方)も含めて、何かそういう鎮静剤的な麻薬に近い欲望はあるのだと思います。本当は家庭レベルからそういう欲望を禁忌にしてしまうべきだと思うのですが、その家庭に浸透しているから厄介ですし、それこそ抽象的構築物である様々な制度についても、人間は聖なるものとして崇めたい衝動を持っているのが実情で、そのように組み立ててしまう以上超越的な聖なるものとして他の聖なるものを根本的に否定できない - 他の聖なるものがオルタナティブとして立ち現れることを防げない - のも現状です。
ともあれ、宇宙的存在とか神とか仏とかご先祖様のような伝統的宗教の道具立てからパワースポットや霊のような民俗信仰的なもの、自分磨き - 磨いた結果何かが良い方に変わるというのはある種の超越的存在への接近願望でしょう - や自己啓発、修養のような通俗道徳(これも個人を超越した世間や社会、より聖なるものとしては天道とか道とかへの接近の欲望やその勧奨)の中で贈与的な行為が現れることはよくあります。通俗道徳ですら、それこそ自身を本来あるべき姿を保証する何かに贈与する枠組みでしょう。別にそれが公益や国家、お会社様でも同じことです。少なくともバタイユはそこまで読み取らないと意味がなく、それこそ今時のSDG'sとか健康経営とかも、その意味であまり健全な取り組みには見えません。ユネスコがそういう不健全な発想を文化として推奨するのはどうにかならないかと思います。そういう趣旨は多分表立ってはないわけですが、物はまだしも実践を含むとなると、それに文化として触れることはその実践に接近し共感し、贈与の回路を駆動することになりかねません。
そのような贈与には歯止めが利きにくいというのは、まあ、日常的に見かけることではあります。何かに接近する手段としての贈与というのはそういうもので、それこそ交換にすらその作用があります。別の記事で触れられている象徴的なアクセサリーの交換に見られるように、差し出されたものを商品としてクレンジングする市場の作用を介することなくしては、交換は当事者同士の接続を媒介してしまいます(それこそ安全の保障や製造物責任を名目にこの接続から利益を汲み上げようとする方法論もあります)。「イリンクスの「遊び」に通底する」というのはまずこうした部分、贈与なり交換なりという行為に耽溺する状況があるように思います。より問題として指摘するなら依存症です。
この種の依存症がそれによって利益を得る側から働きかけられるというのがカルトや霊感商法、修養などが問題視された状況ですが、その過程が個人に閉じられることによっても歯止めが利かなくなる、依存症化するという指摘は重要です。「問題の発生の仕方を看過する」ことになりかねませんし、その場合相当状況が悪化した時点で発覚することになるでしょう。またこの場合、霊感商法やカルトのような、その原因となっている受益者を排除するという方法は取れません。対応措置としては例えば薬物依存症患者に対するものに近い話になるでしょう。

■2023年07月09日(日)  そもそもTwitterは変わり続けてきた
もうあなたの知ってるTwitterは戻ってきませんよ
「そして、もうあなたの知ってるTwitterは戻ってきませんよ。」
そもそもTwitterのようなコミュニケーションサービスはコントロールがほぼ不可能なので、こうなる方が当たり前です。えーロン・マスクの登場で前倒しになった感はありますが、トランプ現象などによってモデレーションを苛烈化させざるを得なくなった時点までに、Twitterは大きく変質しています。ユーザー数や広告収益の増大に喜んでいた旧経営陣は気付いていなかったかもしれませんが、モデレーションが問題になる時点でTwitter当初の想定から逸脱しています。その点の認識は、それこそマスク氏の方がしっかりしているでしょう。その上で、今のままではいられないから都合の良いように変えてしまえと動いたマスク氏の行動力を個人的には評価する(使用人の扱いなど些細な問題に過ぎません)わけですが、一方で岩永氏の言うように、イーロン・マスク体制以前のTwitterはどの段階のものにしろもう戻ってきません。

■2023年07月08日(土)  現実がどうとかいうのはまずスクラッチから手持ちの情報だけで人工知能を作ってから言うべきではないかと
“AIグラビア”でよくない? 生成AI時代に現実はどこまで必要か
バーチャルで完結してれば倫理的には構わないんですけどね。
生成用人工知能の場合学習という形で既存の情報が加わります。完結性としてはこれが問題になります。記事中にある「似てしまう」もそうですし、そもそもきっちり作ったコラージュとどう違うんだという話にもなります。これは切り貼りの切れ目が見えないとかいう話ではなくて、どんなコラージュでも既存の著作物を含んでいる、まして画像となれば肖像を含んでいる、その権利はどうなるのかという話です。安易なコラージュでは元の著作物なり肖像なりが作品の中心になってしまうわけですが(もちろん意図してこの種の安易さを演出する表現もあり得ます)、きっちり作ると元の著作物なり肖像なりとは全く違った表現にすることができて、そこにオリジナリティーが出てくるわけです。では人工知能が生成した画像にオリジナリティーを認めるのか、それとも学習した著作物や肖像の派生物と看做すのかという問題です。もっとも、それこそコミックではぱっと見では区別がつかないくらい似た顔を描く作家さんたちがいて、どうせ著作権の問題なのでお互い問題にしないなら構わないのでしょうけど、納得がいかない気はしています。
もう一つ、仮に消費者はAI生成グラビアでいいとして、グラビアモデルという職業はどうなるのかというある意味些末な、とはいえ職業や経済の面からは無視できない問題はあります。もちろん、監督なりプロデューサーなりだけがいれば脚本家も作曲家もキャラクターデザイナーもアニメーターやカメラマンも俳優や声優も歌手や作詞家も要らない、全部人工知能で済むというのが近代の創造性における理想ではあるわけですが、コンテンツ産業、芸術産業としてはそうじゃないよという部分はありますし、それを前提に組み立てられた芸術論もある。そこで、個人としてのクリエーターはまだしもコンテンツ産業としてAI生成グラビアでいいというのは、先鋭的ではあっても浅薄でもあるでしょう。

■2023年07月08日(土)  時流に遅れた社会主義者の空騒ぎ
法制化運動開始から44年にして実現
できたときには意味がなくなっていたという感じですが。なにしろ、今時会社を資本金ゼロで設立できます。労働者協同組合などという制度そのものが必要なくなっていると思います。
もちろん、協同組合というものは会社とは違います。そこに意義を見出すことは可能でしょう。ただしそれはたかが連帯であり、少額資本金の非公開株式会社よりも脆く崩れるもの、あるいは容易に腐敗するものでしかないように思います。
協同組合は何かを独占的に管理する場合にそのステークホルダーが実施者として集合して作る、つまり自然独占の管理手段でしょう。そこを無視して協同組合という制度をふりまわせばどうなるかは、正直消費生活協同組合を概観すれば明らかであるように思います。

■2023年07月07日(金)  コミュニティーや信頼関係の方がよほど不健全でしょう
「コスパ感覚」はどこまで社会を覆うのか 人々が抱える矛盾と限界
覆ったというか、合意できる評価軸はそれしかありませんからね。
そもそも社会というのは本来の起源としてひっくり返して会社、つまり出資者と経営者の結合としてのソキエタースであり、原理的にコスパに基盤を置いています。そんな概念を人間集団全体に類推適用して意味をスプロールさせてきたということもあるでしょう。少なくとも古代ローマ人は自分たちの集団の総体をソキエタースとは呼ばなかったはずで、普通はより抽象的な構築物としてレースプッブリカと呼ぶわけです。ソキエタースというのはもっと小さい、それこそ階級よりも小さい、階級とか氏族やパトローヌス・クリエンテス関係を横断するものだったでしょう。それがなんでまたゲマインシャフトのことになったのかはともかくとして、そこで「現金なやつ」などという話をするのであれば、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの区分をちゃんと念頭においてしないといけないように思います。
個人的にはコスパ感覚というのは決しておかしくない評価軸だと思います。特にそのコスパの基準が個人として独立している場合には、むしろ連帯感覚よりも健全でしょう。むしろ今のコスパ感覚への違和感は、一つにはそれが自分と異なる嗜好に対して、それは自分の嗜好に合わない、したがってコストをかけたくないという形で表出しがちなこと、そして社会的集団ごとの嗜好に大きな差が出てきて(究極的には嗜好が個人化して)、加えて権威を伴った嗜好が存在しないことから来るものでしょう。例えば私はスポーツ興業が行われる観客席付き運動競技場、つまりはアリーナの類への出費はコストパフォーマンスが悪い(実際東京と大阪を除けば長期的な回収計画を民間事業体が立てられず、地域の政府に建設費をたかっている)、コスパが悪いから作るべきでないと思っているわけで、地域の象徴としての建築物とかスポーツ文化の振興などと言われると非常に不愉快であり、無駄遣いするなと言いたくなるわけです。古拙的な思考の分類で言えば酒に金をかけるか菓子に金をかけるかというのは是非の判断のしようがない問題であって、敢えて言えばどっちも無駄遣いです。そこで酒好きと菓子好きが互いに、これがコスパが悪いというなんて信じられないと言っている、そういう感じに見えます。

■2023年07月05日(水)  作るなら町に作れ
再エネ施設に課税、「適地」対象外にして誘導図る 宮城県で条例可決
合わせて、仙台市市街地(都市計画区域)であれば高度50m以上は設置についてうるさいことを(日影条例も含めて)言わないことにすればいいのではないかと。どうせ電力消費が大きいのはそこなんですし、自給自足に少しでも近づいて欲しいものです。

■2023年07月05日(水)  自衛隊という選択肢もあると思いますが
国を出たい ミャンマーの若者たち、日本語試験の応募急増10万人
こういう人たちは、それこそ二期勤めたら永住権なり日本国籍なりを付与する条件で陸上自衛隊に入ってもらったらいいのではないでしょうか。他所の国から兵隊を買ってくるという非難は当然あるわけですが、現状の永住希望外国人の問題の一つが一時滞在が前提の管理の及ばないところで居住の実績を積まれても困るという話だと思うので、軍隊のようなきっちり管理されるところで永住を前提に住んでもらうのであれば問題はないでしょうし、自衛隊などむしろ人手不足なわけです。防衛省が退役後も予備自衛官として一定のフォローをしつつ日本社会への溶け込みを支援する施策を取るのであれば、まともな労使関係も築けない零細事業者に汎用機材として送り込むよりまともな処遇になると思うのですが。

■2023年07月02日(日)  そもそも日本語ぺらぺらを求めるなら外国人材など要らないでしょうに
「日本語ペラペラ」求めるだけの企業は選ばれない 人材獲得の障壁に
「日本語できますか」の壁、経済学修士でも 外国人へサポート少なく
これは募集側応募側ともにある意味当たり前の話なのであって、日本で日本語話者の集団の中で仕事をしてもらう以上、募集側が日本語能力を問題にし、できて当たり前の日本語の会話読み書き能力を通常の日本人新採用従業員以上にトレーニングしようとは思わないのは当然でしょうし、日本語に十分な自信のない人がそういう使用者を避けるのも当然です。
日本語以外の能力の部分で使用者側が欲しい、必要だ、人件費としてペイすると思えばサポートを付けてでも採用するでしょうし、そこまでの生産性を求めていないなら日本語以外の能力について欲張らなければいいだけのことです。採用に当たってあれもこれもと優先順位も付けずに要求を盛り込んだ挙句に採用できないのは募集側の自己責任というもので、人材がいないなどと愚痴る方がそもそも間違っていますし(まあ、日本語能力を含めて要求水準を満たす人がいないという点では人材不足ということ自体は間違っていませんが、居もしない人材とやらがいないと回らないような事業を目論むことにそもそも問題があります)、普通の新卒採用の条件での募集なら中卒でも高卒でも大卒でも学位持ちでもそれぞれに期待されうる程度の日本語能力を前提にすることはむしろ当たり前で、その前提に当てはまる人の中から採用していればいいのです。それで頭数や性能が足りないなら、どの要求を犠牲にして人数なり所要の人材性能なりを満たすかを考えればよいし、そこで犠牲にした要求の水準を採用後にどう補うかも考えればよいわけです。全く当たり前のことです。そして、その要求の優先順位の設定を間違っていれば事業活動に齟齬が出るというのも当たり前の話でしょう。対象とするマーケット、取引先のニーズや自社の事業の可能性の幅を把握しそこなうというのも齟齬の一つであり、そこで女性でも外国人でも中に入れる必要があるかどうかを考えるのが経営者です。浮ついた風潮やメディアの鼓吹に踊らされず、自分の手下として外国人を採用する必要性があるかどうかをきちんと考える、そして判断の結果について株主に対する責任を取るというのが経営者の役目ですし、その上で適切な採用を経営者に提案し、決定に従って実施するのが採用担当部署の役目です。
応募側も、相手の優先順位もかまわず自分を売り込むというのはいわば押し売りなのであって、日本語能力も含めて現状の集団に溶け込んでいける人を希望している相手にどれだけ学位資格や専門職としての職歴をアピールしたところで意味がありません。こういう場合の判断は不安と利点の比較衡量であり、日本企業の採用に応募しておいて十分に日本語ができないというのは採用相手の不安を強くかきたてるのに十分であるということを理解するべきです。どうしてもその相手と仕事をしたいなら、場合によっては労働契約ではなく、日本語が十分できるエージェントを通じた請負契約なども検討するべきでしょう。婉曲表現や曖昧な表現というのはどの言語にもあるものであり、日本語だから難しいなどということはありません。現在の語学トレーニングがそういった文脈の適切な把握を伴う表現への対応を欠いているというだけのことです。もちろんそれでは日本語能力について不十分とみなされるビジネス環境というのは参入障壁でしょうが、そこで劣る以上それ以上に自分を評価してくれる相手、劣ることを気にしない相手と取引するしかありません。それは経済学修士であろうが物理学博士であろうが変わりません。
つまり英語の試験と同じに日本語の試験を構想する日本語教育産業やその宣伝に踊らされる応募側に問題があります。もちろん、いわゆる職務能力の点で必要な性能を備えた人材を日本語話者の範囲で見つけられるかについてちゃんと検討しない募集側にも問題はありますが、彼らは「日本語出来ますか?」とは少なくとも言っているわけですから、どちらかと言えば勝手に日本語能力が試験では点数を取れるレベルでいいと思う方が悪いでしょう。この場合、自分を採用すればあなたは年間一億円は稼げる、そのうち五千万円を給料としてもらうとして、残りのうち一千万円を通訳対応のアシスタントに払ったとしても四千万円儲かる、そこらの連中を雇えば五千万円稼いできて三千万円持っていくのだから、自分を採用する方がずっと徳だくらいは言えないといけないのです。

■2023年07月01日(土)  駄々こねてやんの
ポーランド、自国への核兵器配備を要求 ベラルーシへの核移転受け
なんかもう、ウクライナを手始めに駄々をこねる国がボロボロ出ますね。その意味ではロシアのやったことは大迷惑ではあるわけです。
核兵器なんて長距離投射兵器であり、ポーランドでは配備したところでロシアに近すぎて抑止力になりません。デンマークやノルウェーあたりならちょうどいいでしょうけど。むしろポーランドは自国の外交と防衛、そして徴税権と徴兵権をNATOに全面的かつ無条件に委譲し、NATO軍の国内での自由行動権と治外法権を認めるべきです。ポーランドという国は、ブリュッセルの地方自治体になるわけです。それでこそ、NATO諸国はポーランドに迎撃ミサイルだろうと大型師団だろうと防空軍だろうと置くことができるというものです。ポーランド持ちで米仏独軍が十個師団も展開していれば、ロシアとしてはおとなしくするか暴発するかしかなくなります。ウクライナでこれだけてこずっている状況では、暴発はできないでしょう。暴発した場合NATO戦力に核攻撃をしてくる可能性が極めて高くなりますが、そもそも日本にとって中国が脅威なのは日本がそこにあるからなのと同じで、ロシアの近所にいること自体がリスクなのですから、親愛なるNATO諸国が仇を取ってくれることを信じて核攻撃で滅ぶしかないでしょう。もちろん日本だって同じ立場です。なんというか、迷惑な隣人の扱いは諦めが肝心ですよ。

■2023年07月01日(土)  まあ、そうでもしないと黒人を店から叩き出すような時期があったことは確かですが
同性結婚式用のウェブサイト、作成拒否の権利を認める 米最高裁
ええと、まずこの裁判ですが、「この裁判は、宗教的な信条から同性婚に否定的な考えを持つコロラド州のウェブデザイナーが、同性婚カップルのためのウェブサイトの制作に応じないことを表明していることについて、「性的マイノリティへの差別を禁じた州法に反する」として、コロラド州が訴えていたものです。」だそうです。まあ、LGBT差別撤廃施策の一環なのでしょうが、正直馬鹿なことをしたとコロラド州を非難するしかありません。なんでまた差別的主張それ自体を公にすることを禁止するような州法があるのかは疑問で、非州民だと退去を求めたらそれは人権侵害でしょう。公務員や学校や公共交通機関などの免許事業、教員や弁護士、公認会計士などの資格職ならともかく、ウェブデザイナーなどどこにでもいるハイスクールをまともに出れば開業できるような些細な仕事に過ぎず、資格職でも高度な倫理綱領を持つ専門職団体が牛耳る職でもありません。多分コロラド州に雇われているわけでもないのでしょうし、州から仕事を発注しなければよいだけの話です。もちろん米国がそれでは済まない深刻な差別意識を乗り越えてこざるを得なかった歴史的経緯は理解しますが、議会で可決されて州知事が署名すればどんな法律も通るなどというのはそれこそ不健全です。せいぜいが、性的マイノリティーを直接に差別した場合慰謝料を請求できるというあたりが精いっぱいではないでしょうか。
一方で、LGBT界隈の差別への懸念というのは否定しきれません。ただし、基本的人権として気に入らない仕事を断る権利はあってしかるべきだと思います。その上で、最高裁判決になど頼らず、LGBT関連の仕事を拒否しない人を増やしていくのが、ある個人の保護を超えた関係団体のあるべき姿だと思います。

■2023年07月01日(土)  書かせて出させて読めばいいという発想が間違っている
コンクールでの生成AI使用「見抜けない」どう対処?専門家の提案は
「作文を書く場合、その過程で自分が考えたことや感じたこと、体験したことを頭の中で整理して繰り返し深く考え、意義づけることになります。自分を見つめ直し、発見する機会にもつながります。」という作文教育の目的はもっともで、この場合その体験を仮想的に深め、体験と関係する事実を広く救い上げ、考え意義づけた言葉をより洗練させるために生成型人工知能を使うのでないと、教育的意義は損なわれうるでしょう。一方で生成型人工知能は簡易的な「他者」であり、未完成の成果物を手間を厭わず一緒に検討してくれるパートナーです。先生や親のように変に叱りつけてくる不安なく「これどうだろう」と問いかけられる相手にはなれるでしょう。要約させて変な出力が出てくるようでは文章として問題があると見直すきっかけになるでしょうし、自分の言いたいことがちゃんと出てこない場合表現の仕方を工夫する動機を与えられるかもしれません。
とはいえ、そこで見分けがつかないとか言っている時点で、コンクールという発想は終わったと思うべきです。要は指導相手と向き合うことなく成果物を義務的に提出させて評価して事足れりとする発想が破綻しているわけで、作業をさせるにあたって作業内容の教育的意義と反するような生成型人工知能の利用に走らないよう指導相手を動機付けする技量が問われています。

ちなみに上記の要約をChatGPTに求めたところ、若干言い換えがあったもののほぼコピペしてきやがりました。辻褄の合わない出力ではないのでいいようなものですが、むしろ分量が増えている要約というのは何かおかしいでしょう。

■2023年07月01日(土)  正直、だったら入居型介護施設運営事業からは撤退して欲しい
マイナ保険証、介護現場は管理に不安 「銀行カード持つようなもの」
「銀行のキャッシュカードを持ち歩くようなもので、紛失や漏洩(ろうえい)があったらだれが責任をとるのか。容易に預かることはできない」というのはわかりますが、正直こんな感覚では介護事業者を利用する気になりません。この発想は要するに、自分たちは身体的、あるいはせいぜいメンタル的ケアを提供するのであって、利用者のQOLはその枠組みの中で可能な部分のみ実現すればよいというものです。しかし、現状介護施設は利用者の全人的後見と利用者の関係者の負担軽減が求められていると言ってよいでしょう。介護施設を利用する形で利用者と関係者の距離が遠のく以上、関係者としては利用者の後見を日常的に行うことは難しくなりますし、行うとなれば介護施設との密接な連携と常に目に見えない危険に怯えるという大きな精神的負荷がかかります。利用者と関係者が安心できる形で利用者の人生を施設内に引き取るというのが、少なくとも入居型介護施設のあるべき姿であり、当然に後見もそれに含まれるわけです。緊急連絡先として関係者の連絡先を預かって常に連絡がつくようにしておいてくださいなどと要求するのはむしろナンセンスです。

■2023年07月01日(土)  理由として間違っちゃいないな
Twitter、ログインしないと何も表示できない状態に 「一時的な緊急措置」とマスク氏
Twitterの利用を一時的に制限 マスク氏が明言 「Twitter終わり」などがトレンド入り
あれえ?と思ってはいたのですが、こういう建前でしたか。気になる人の活動状況を見たいだけなので見られなくてもそう困るわけではないですし、そもそもTwitter自体簡易広報ツールというよりはコミュニケーションツールを志向しているはずで、あれはまあ、ある意味ユーザーやちょい見の人の使い方が間違っているわけです。
「数百(おそらくそれ以上)の組織がTwitterのデータを非常に積極的にスクレイピングしており、ユーザー体験に影響を与えるほどだった。それを止めるにはどうすればいいだろう? アイデアを募集している」というのは、それこそインスタントメッセージを分析しようなどという少々後ろ暗い(後ろ暗いからといって正統でないとは限らない)目的でのアクセスが結構あるということなのでしょう。本来は見えるものを勝手に拾うのではなくて、運営事業者の窓口にデータの提供を依頼し、運営事業者は個別にユーザーの許可を取ったうえで適切な縛りを設けて提供するという筋のもので、正直街頭アンケートや繁華街での人流調査も含めて筋が悪いわけです。
Twitterがパブリックな場ではない、登録ユーザーだけのクローズドな場、知り合い同士のクローズドな非同期タグ付け型コミュケーションと自らを位置付け、ユーザーがそれを受け入れる(パブリックなメッセージは別の場に流し、これまでTwitterが提供してきたなんとなくみんな聞いてるだろう的なモードと決別する)ならば、それはそれでよいことです。何しろあの、人の集まる場で近所にいるグループの会話が聞こえてしまうような居心地の悪さは決して好ましいと思えません。とはいえ、スクエアとかピアッツァの意味合いが失われるというのは、Twitterとしては大きな変更ではあるでしょう。
また、簡易ホームページ、簡易ブログの役割を果たしてはいたわけで、一般向けアナウンスメントに制約がかかるとなれば、社会動向調査の視点だけでなく、ユーザーのスタンスも変わらざるを得ません。それこそTwitterのアカウントがマイナンバーカード化(つまり持ちたくない人が拒否)する可能性もあります。

「TweetDeck」が事実上の有償化。新バージョンの公開と同時に
まあ、30日以内に使い続けるか決めてね、ということなのだと思います。「特に未認証アカウントユーザーの利便性は低下している。」というのは、オープンな広告プラットフォームよりもクローズドなコミュニティープラットフォームを目指すという考え方であれば矛盾しません。観光客は観光の範囲でどうぞということでしょう。おそらく認証アカウントについては閲覧ツィート数の制限はいずれ撤廃されるでしょうし(さすがにされないと不便だと思う)、同時に何らかのツィートトロール防止策が導入されるかもしれません。広告プラットフォームとしても、有償転換率が70パーセント程度まであれば成り立つでしょうし、50パーセントかそこらでもTwitterを使う肝の座ったグループという属性での売り用はあるでしょう。個人的には10パーセントかそれ以下で急速にユーザーベースが縮退、施策を転換するが間に合わず坂道を転げ落ちるように業績悪化、倒産という線を期待しますが、個人の居場所の一つになるというマスク氏の理念もわかりますので、うまく行っても問題という気はしません。それはそれで、Twitterって、あんなの使ってんの?関わるのやだよ、と知り合いに言い放つことができる日を楽しみにしています。

■2023年07月01日(土)  思考停止は人の常
「ChatGPT様」という思考停止 AI絶対視に危惧、人の役割は
人の役割以前に、「「〜様」という思考停止」からは可能なら全面的に覚めるべきでしょう。AIだけでなく、士業を含む専門家、既存の制度、政府、学校、警察、司法、メーカー、店舗や流通、あるいは計算ソフトなど、様々なものについて「これだから大丈夫」という思考停止、妄信があります。もちろん報道もその妄信の対象でしょう。人のではなく、「他人の役割」をこそ問題にすべきですし、そこにはもちろん人工知能も含まれます。もちろん自分の判断もあやふやな部分は多いものですし、ほかならぬ本人がそれを自覚するものですが、例え専門家や教師と言えどもその知識や判断は限定的な有効性しか持たないものであり、「絶対視」してはいけないのだということだと思います。正直その意味では、学習型人工知能というのは個人的には危険だと思いますし、コンピューターによる判断の価値は入力と出力が論理として特定のパスで結ばれている(学習型人工知能ではこのパスが学習の結果変化しうる)ことにあると思います。

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