日記

■2023年02月28日(火)  善意の第三者を怒らせた町の方に問題があると思いますがねえ
阿武町の4630万円誤入金事件、住民の被告に有罪判決 山口地裁
正直これは、行政に阿った不当判決だと思いますが。そもそも入金自体は手続的には適正に行われており、理由不明にしろ口座に入金された金銭に処分の正当な権限がないという主張には無理があります。これが入金額相当の贈与税を払わなかった脱税と言うなら話は別ですが、誤って行われた譲渡への対応は返却を求められた側の善意の問題であり、刑事犯罪には該当しません。またここで電子計算機に入力した情報は残高を超えない範囲の出金額も含めて全て適正な情報です。被告人が電子計算機に何かを誤認させたわけではありません。誤認させたとすれば、それはむしろ出金指示を行った町の職員でしょう。口座の名義人であることも含めて全く正当な行為であり、それこそ町の口座に相当額を入金する操作をすれば全く問題にならなかった類で、これを電子計算機使用詐欺と言うのは無理があると思います。
控訴して欲しいところですが、正直無理は言えません。町の横暴な対応に引きずり回され、町と警察、検察の謀議により刑事法廷に引っ張り出され、誤認により振り込まれた金銭を私消してしまった点では罪悪感もある、それに付け込んで無茶な回収までした町に悪人に仕立て上げられた状況で罪状がおかしいと控訴することは、精神的にきついと思います。弁護人は控訴を勧めるかもしれませんが、その気になれなくても仕方ないでしょう。
それにしても理不尽なのは行政当局で、まかり間違うとこういう状況を引き起こすから、絶対に間違ってはいけないわけです。間違ったら修正すればいいなどという甘ったれた意識で行政を行い、第三者をどう巻き込んでも金銭的なつじつまを合わせさえすればよいと考える者たちは、公務員という職に相応しいでしょうか。町政組織を全面解体して町政は萩市が接収し合併するべきではないでしょうか。もちろん町長、議員を始めとして全職員は解職、解雇です。職員には懲戒も付けたいところですが、それには手続が必要ですので、通常解雇の方が適切でしょう。

■2023年02月28日(火)  今さらたらればはないわけですが
紛争解決できぬ安保理の原罪 ロシアを追放?識者「30年前なら…」
正しくは52年前でしょうね。中華人民共和国の中国枠代表権を認めさえしなければ、ソ連が崩壊した時点でロシアは新規加盟国扱いで済んだはずです。残る常任理事国が米英仏というのは色々問題がありはしますが、少なくとも常任理事国の戦争で安保理が麻痺する状況はずいぶんと抑えられたでしょう。
もちろん拒否権という概念を持ち込んだこと自体も問題ではありますが、あれは仕方がないというか、常任とするかどうかはともかくとして、一定の範囲で認めざるを得ない、認める方が健全という気もします。あの制度なしに、米英仏ソが顔を並べて国際機関を運営することは難しかったでしょう。しかし、衰退して崩壊した政府の地位を新参の政府が引き継ぐなどというのは論外です。できたばかりの政府など山賊にも等しく、主権国家と認めるか、国交を認めるかはともかく、国家間の平和の維持について協議する場で重要な地位を与えるなど、それこそソ連はまだしも中華民国ですら論外でしたし、崩壊したらいそいそと特権を廃止するべきだったはずです。
もっともやってしまったことはどうしようもないので、安保理で話し合いを続けつつ場外乱闘をするしかありませんが。またロシアの追放も国連の本旨からすれば論外ではあります。バックチャンネルではなく表で顔を合わせて例え罵り合いでもできるというのは大事なことです。追放など、モスクワが降伏した後で構いません。すれば、ですけどね。

■2023年02月28日(火)  忘れちゃうほど安いのか落とすと恥ずかしいのか
誰のウーパールーパー? 落とし物、外出緩和で前年比13万件増
ウーパールーパー?
山羊やトカゲは、トカゲは種類にもよりますが、場所によってはありそうな気はします。新宿駅で山羊の落とし物と言ったら驚きますが、千葉県内ならあり得るでしょう。しかし、ウーパールーパーって忘れものをして届け出ないほど普通に出回っているものなのでしょうか。
なんというか、飼育動物がこれほど軽く扱われるのに情操教育もへったくれもないと思うのですが、やはり動物飼育は免許制かつ個別許可制にした方が良いのではないでしょうか。遺棄動物や野良の処分は一時の残酷ですが、特に愛玩動物の飼育を野放図に認めているとこれが一時で済まなくもなります。その方がよほど残酷でしょうに。

■2023年02月27日(月)  資本と経営の分離を前提にしなければ不思議でも何でもなくはあります
赤字でも配当、日本企業のフシギ 適正分配へ「株主還元に枠はめよ」
会計の仕組みというか、株式市場制度という気がしますが。
確かに会計が債務超過の状況での配当は会社制度上問題とされています。とはいえ、それが問題になるのはおおむね株式会社だけです。他の会社では、配当に相当する利益分配は社員=経営者の給与に近い性質を持っているので、むしろ利益分配ができないような状態にしないことが求められます。利益分配がなくていいなどと思えるのは、創業経営者くらいのものでしょう。ともあれ支払いをするかどうかは会社経営陣の判断次第で問題ありません。株式会社のみ、資本と経営が分離しているために、経営者の失策で利益が出なかった場合に配当を出すべきでないと一般論として主張できます。もっとも、そもそも配当を出せないような事業を実施し実際に赤字にした経営者は解任されてしかるべきという話にもなり、その意味では株式会社は必ずしも長期を見込んだスタートアップ事業に適した形態ではありません。
一方より深刻な問題が上場基準の達成で、上場株式会社にとっては上場を維持することが強迫観念になっています。そして、ベンチャー企業でもなければ単年度赤字を出しているような企業は上場を認められず、上場企業が赤字を出した場合株式市場の運営者が上場の廃止を考慮し始めます。それでも株式上場が単純に資本調達の問題なら、正直今の上場企業の相当部分は株式上場している必要がありません。会社にとっての株式上場のメリットは市場での新株発行で資本を調達できることですが、一時期大流行した増資や新株予約権付社債の発行は落ち着いているようです。むしろそんなことをすれば、財務上問題があると見られかねないでしょう。もちろん必要な場合に増資によって資金調達ができるというのは上場のメリットですが、現状の上場の動機は、例えば東証の制度変更に絡む騒動で見られたような、格付けを求めてのものではないかと思います。上場企業ともなれば経営が安定し市場の基準で経営状況も公開されている、取引にしても融資にしても安心してもらえるとか、上場企業と名乗ればあほな新卒がブラック労働をしに来てくれるとか、そういうことです。その上場基準に赤字でないこと、一定水準以上の配当をしていることというのがあるわけですから、財務を粉飾してでも配当を維持する動機があるのです。
つまり、証券取引所が無配、赤字での上場を認めれば、上場企業の実質的タコ配は株式の価格評価にのみ起因することになります(もっとも配当があるという事実だけ見てその配当の原資を財務諸表のレベルでだけでも調べないような投資家はあほですが)。ちょっとした赤字だけど長期の投資をして頑張っています、リスクはありますが見込みでは改善しますという企業の株式を株価が下がっても配当がなくても持ち続けるかどうかは、株主のリテラシーの問題です。本来株式を含めた債券というのはクーポンと償還を目的に満期まで(株式の場合は配当を期待して永久に)持つもので、期間中途で売るというのは償還の代替行為ですから、取引市場というのは必要ありません。相続と相続税の物納ができればいいのです。市場の価格形成機能などという戯言を妄信する方が危険です。そして市場があるとしても、市場の規制としては商品の性質を判定できるだけの情報を確保するので十分であり、つまり上場時の約束に基づいて公開された財務諸表や経営情報を読んで個別の投資家が投資適格性を判断することで十分機能を果たせます。もちろん公開情報を偽ることは厳禁です。とはいえ、資本調達市場により多くの資金を呼び寄せるために、上場された証券は個別投資家レベルでいい加減な評価をしても紙切れにはなりにくいものであること=上場証券の投資適格性を保障する必要があり、そのために、赤字を垂れ流しているような企業の上場は認めないと言ったことになっているわけで、少なくとも大衆資本主義の下での株式市場は客観的な投資適格性の保障を止めるわけにはいかない気はします。

■2023年02月26日(日)  62歳はないよなあ
作家の吉岡平さん死去 62歳、「無責任艦長タイラー」原作
不摂生でも祟ったんでしょうか。
シリーズとは言っていますが、「無責任艦長タイラー」以外はめぼしい作品がありません。それなりに面白いものを書いているのですが、宇宙一の無責任男シリーズおよびその類型とそれ以外に分けてそれぞれの中で同じものを繰り返し書いている印象です。典型的なラノベ作家ではあるのですが、それだけに「無責任館長タイラー」出版をもってその役割を果たした感があります。
とはいえそんなことは亡くなったから言えるので、長生きすれば別の方向性を打ち出せた可能性はあります。1989年に完結した人生と評するのは簡単ですが、62歳はそう評するにも若すぎます。とても冥福を祈るなどとは言えません。魂とか幽霊などというものがあるとすれば化けて出るしかないでしょう。なんというか、現時点ならせめて65歳までは生きるようにするべきです。

■2023年02月26日(日)  株主の物は株主に、債権者の物は債権者に
利益は「社中」で分け合え 原丈人さんが推す「中間層のための会社」
公益などというと極めて胡散臭いわけですが。
企業が事業を展開することと社会一般の利益というものとの関係についてはさておき、例えば少なからぬ投資ファンドも含まれる「長期に株を持つ人」と、株式取引市場の抽象的な株主、投資家というのは当然に一致しません。現に株式の名義人となり、主に株主総会を媒介として事業にコミットする人たちが株主であって、売り買いだけしているような人はそもそも株主として会社は把握できません。会社は株主のものと言うときの株主もそういう意味に他なりません。株式会社は制度的に社団であり、何者の社団かというとそのような株主の社団だということは、会社について物事を考えることの大前提です。
原氏の考え方は一般に「ステークホルダー資本主義」などと呼ばれるはずですが、この言葉は資本主義を生産手段を使用して事業を行う会社が経済活動において消費以外の分野の中心となることと解するいわば勘違いの産物であり、正しくはステークホルダー経営論とでも呼ぶべきです。会社、企業体が政府(コミューンの事務局レベルを含む)の部分組織ではなく、政府とは独立した、人民の部分集合からなる組織であるということ、集産主義(一般的に言う社会主義、共産主義)でないことだけを資本主義と解しています。資本主義というのは生産手段の所有者(団としての株主団のようなものを含み、かつそのような所有を行使できるだけの財産を持つ人たちからなる階級)が事業の支配者として事業からの受益に与る体制、仕組みですから、経営者が事業経営において考慮するステークホルダーの範囲としてはともかく、資本家としては社中などというものを措定する余地は資本主義にはありません。政治的な資本主義体制と社会主義体制の対立を社会制度論としての資本主義と社会主義の関係に無理矢理当てはめた妄論であり、経営者支配下での偏見に満ちた事業組織論、事業経営論です。個人的にはアナーキズム系の経営者独裁主義と見ており、例えばプロレタリア独裁論の近似種でしょう。少数が公益の名において独裁を行うというのは、近代に特徴的な考え方です。
ちなみに株式会社を財団と見た場合でも、事業組織の構成員自体は主体としての会社の一部ではありません。果たしている機能は会社を構成する財の一部ではありえても、法的主体である人は法的客体である財・物として扱うことはできません。財団を構成するのは財と定款(創設の時点での事業方針)ですから、定款に従って財を運用する使用人は財団内の主体ではないのです。
とはいえ、企業活動において資本家に対する無産者の一種である従属的使用人(いわゆる実態としての労働者に当たる従業員)や消費者、取引先、事業拠点を置いている地域や事業を展開している地域の地域社会との関係を無視できないという点は、企業経営においてはむしろ当然の視点です。それを気にするのが個別企業において確定された株主団かその使用人である経営者かは別として、利益というものがディラックの論じたような偶発的な対生成あたりから出てくるわけではない(もっとも一般論をする場合には真空から生まれてくるように見ないと議論が発散してしまうことがあるのですが)以上、事業の主体が利益の発生に関わる様々な主体との関係性を、必然的にではないにせよ考慮することはあり得ることです。まして継続企業の前提から見れば必然ではあるでしょう。もっとも継続企業の前提が「正常」なものかどうかは疑問の余地がありますが、その疑問は別に論じるに足る大きな問題です。そして継続企業の前提が広範に成り立つ状況で客体であるはずの事業が主体として前面に出る形で醸成されてくるのが企業有機体仮説(いわゆる「会社は公器」論を含む)であり、ステークホルダー経営論はその亜種に他なりません。その意味では、ステークホルダー経営論は共産主義思想の一部とすら言えます。
利益をどのように分配するか自体が主権として株主団の決定しうる事柄だという制度に対して「株価対策として人を減らしたり、配当や自社株買いなど利益を超える株主還元策をとったりします。異常な状態だと思います。」などと間抜けな議論をする経営技術官僚は20世紀をもって滅びて欲しかったものですが、せめてこういう議論をするなら、株式会社という仕組みは使わないで欲しいものです。タコ配はともかく自社株買いは本来事業規模の調整、企業再構築の一手法であり、事業目的に照らして余剰となった資本金を株主に返す手続です。経営者を含む企業官僚においては株主団の定める定款と年次経営方針に応じた資産と組織を技術的に整備するよう発想するのが当然であり、その過程で解雇や資本金額の調整は雇い入れや増資と同じく当然に発生します。仮に株主を私有財産制における所有者から一般的なステークホルダーに格下げしたところで、株主の物は株主に返さないといけません。

■2023年02月25日(土)  何かをするときに通信に使う費用はゼロに近づけば近づくほどいい
何かをするために通信を使う時間はゼロに近づけば近づくほどいい
そらまあ、通信していることに喜びを見出すなんて道路を走ることに喜びを見出す類の変態だけですからね。もちろんコストだって同じで、通信というのはただでつながって当たり前、とにかく見えないほど快適ではあるわけです。
そこまでではないにせよ、通信会社というのは全ての意味において効率的に土管を提供することに徹するべきであり、より速く、より多く、より安くというのが使命です。そう考えると、競争に勝てはしても儲かるものとは思えません。儲かるのは競合を排除して独占レントを得られる状況で独占価格を適用した場合だけです。自由な民間会社にしておく方がおかしい気はしますし、なんでそんな事業に参入するのか疑問が出てきてしまいます。また安くする方法論としてコストをとにかく徹底的に削る方向とお金を払ってもらえる事業を兼営して通信部分をそのおまけにすることとがあり得ますが、後者の場合当然お金を払ってもらえる事業を抱き合わせで買わないと通信部分を使わせてもらえないということになります。そう考えると、通信というのは政府の提供する役務という発想も妥当に思えてきます。まあ、政府が条件を強制できない相手と相互接続することは厄介な部分があるので、現在のような国民的主権国家を基盤とする国際政治の下では国際通信網が維持できなくなる危険がありますが。

■2023年02月25日(土)  明治時代じゃあるまいし戸別訪問して投資のとりまとめなんかするかっていう
「PCR検査に投資を」戻らぬ600万円 社会貢献が一転後悔の日々
これ、そもそも勧誘自体が違法行為じゃないんですかね?
もちろん、肩書でしか判断ができないような人が直接投資話を持ち掛けてきたら疑うべきではあるんですが。

■2023年02月25日(土)  こりゃそれこそ難民受け入れどころじゃないか?
干上がった「水の都」ベネチア、川底丸見えに 欧州で深刻な干ばつ
これはメンテナンスの好機なのではないでしょうか、というのは失礼な言い方ではあるのですが、そもそもベネツィアはここ百年ほど地盤を含めた土木面での脆弱化が課題になっていたはずです。無理矢理水抜きをしなくても水がなくなったのなら一度水路を堰き止めて改修する手もあるのではないでしょうか。
それはさておき、正直干ばつはヴェネツィアはまだしも陸にあるパドヴァあたりにとっては迷惑だと思います。確かヨーロッパの冬は降水期だったはずで、冬に雨も雪も降らないと真面目に夏に農業が詰みかねないでしょう。温暖化させてアルプスの雪を融かした方がましではありませんかね。

■2023年02月25日(土)  確かにthe men arrested for Obstruction of official dutiesとOne of the arrested menで英語なら呼応するんですが
中核派拠点「前進社」を家宅捜索 成田の強制執行妨害容疑で
中核派の拠点というのは確かに間違っていないのですが、正しくは出版社ですからね?どうも法人格はないようで、社屋や敷地が誰の名義になっているのかはわかりませんが。
それと、記事では前進社捜索の結果「中核」と書かれた白いヘルメットをかぶった男を逮捕したように読めますが、これはおそらく公務執行妨害の現行犯で逮捕した男のことで、その「中核」と書かれたヘルメットを根拠に捜索令状を取って前進社社屋を捜索し、証拠物件を押収したのでしょう。ただそれならそう書くべきで、「県警公安3課によると」以降は書き方がおかしいと思います。熊野寮捜索の記事とほぼ同じようなので、使いまわしたのかもしれませんが、それにしても「公務執行妨害で逮捕された男の」と書く程度の字数の余裕はあるはずです。やたらと平仮名を使わなくてもよいので、英語みたいな代名詞表現をする方を止めてください。

■2023年02月25日(土)  今時口うるさい部外者や女性を受け入れない経営陣など信用ならないという意味で
「女性ゼロなら経営陣交代を」 機能しない取締役会を進化させるには
まあ、屁理屈を捏ねるにしろこのくらいには言えないといけないんでしょうね。
もちろんファンドとしては言行が一致していてしかるべきですし、訊かれたから答える一般論ではあるにせよ、自社が投資していない企業についてどうこう言う筋合いはないわけです。
その上で、やはり上場株式会社の取締役会が身内で固まっているのは問題があるとは思いますし、どうせ破綻するなら身内が一丸となって不正を尽くした挙句よりは取締役会の不一致で身動きが取れなくなっての方がましではあるでしょう。本来そうなったときに動くのがマジョリティー、つまり過半数を握る株主なのですが、上場会社の場合これはいないことが普通なので、少なくとも上場を廃止して再建することになるはずです。
逆に経営執行役員がうまくやっている限りは上場して十分に独立した社外取締役を迎えるような規模の株式会社の取締役会は用なしです。
短期的な利益を追求するかどうかも含めて、株式会社というのは社外の株主の財産をお預かりして事業をしているのだということが原点です。株主をないがしろにした場合株主が財産を引き上げようとしたり、自分の財産を変に使うなと横槍を入れてくるのは当たり前です。それが嫌なら株式を償却し、資本金をゼロにすることになりますが(もちろんMBOをしてもいいですが)、株式をすべて償却した場合、特殊な場合を除いて株式会社ではいられませんし、もちろん上場も維持できません。ですから、株式会社はあくまでも株主の社団であり、経営者のものでも従業員のものでもないのです。

■2023年02月25日(土)  極論としては墓場の平和でも平和には違いない
「20世紀システム」が大きな危機に 世界秩序の作り直しが問われる
危機に陥った「20世紀システム」 信頼できる国同士の連携がかぎに
もちろん相互の関係は信頼に基づく以外成立しえない(その信頼をシステマティックに与える仕組みの構築が20世紀の発明品であり、それが崩壊しつつある)というのは確かですが、そうした個別の関係性に基づく信頼の囲い込みは場合によってはブロック化につながります。もちろん中ロにしても、信頼できる国とのブロック化を推進している面がありますし、いわゆる「確立された国際法規」の書き換えもそう理解してよいと思います。WTOと地域自由貿易同盟の違いはそこにあるはずで、地域自由貿易同盟をいくら作ったところで質的な転換がなければグローバルエコシステムの構築には至りません。一応同盟加盟国を拘束することで同盟同士の均質化を達成する前例はあるので、希望がないわけではありませんが、それは中ロの側にとっても同じ事で、グロ―バルエコシステムが出来上がるにしてもそれが現在のものと同じかどうか、あるいはどう違うのかは予測が困難でしょう。それこそ中華皇帝への朝貢を基軸とする体制でも不合理とは言えない気がします。

■2023年02月24日(金)  むしろただで使われるのが嫌ならGoogleを使わなければいいと思うのですが
グーグル、カナダで検索のニュース表示を制限 対価支払い法案めぐり
まあ、この手の規制はGoogleの理想には明白に反するわけですが、だからと言って「法案は過度に広範で、変更がなければ、カナダ国民が毎日頼る製品に影響を与えうる」などと言うのは大人げありませんし、「グーグルがニュースサイトへのアクセスを止めようとしているのは残念だ。カナダ国民は脅しには応じない」というコメントをすることは馬鹿の振る舞いです。フリーアクセスに同意しないなら扱わないというのは流通チャンネルとして可能な選択肢であり、この場合対抗手段も可能性として可能なわけですからなおさらです。単純に、Google検索の利用者が有償ニュースサイトが検索結果に含まれないことを承知していれば良いことですし、報道事業者側がGoogle並みの利便性のある有償ニュースを含む検索サイトを構築すればよいだけのことです。もちろん報道機関側は、例えば自前の検索システムにGoogle検索での検索結果を取り込む場合に、Google検索が混ぜてくる広告をそれとして表示しないとか、あるいは広告を除外する場合に検索結果について適切な対価を払わないなどということは主張しないものと思います。
率直に言って、利用者としての立場でとりあえずGoogleするのは報道機関の記事データベースサービスが不効率だからです。利用価格は高く、利便性に劣り、内容も見当違いで、欲しい結果に比べて不便です。まあ、学術論文の別刷りも高いのですが、少なくともあれは今のところ実質的に探すこと自体に購読料を要求する形にはなっていない点で、まだましなのです。何しろ要旨に本文を読むべきかどうかの評価に十分な情報を含める習慣が確立しており、新聞記事のようにタイトルと本文が全く違うようなことは滅多にありません。新聞記事の相当部分は二次情報であり、しかも公的な発表であればソース自体にネットからアクセスできることも多く、その場合報道記事はそもそも邪魔です。関係機関の発表が報道記事の後ろの方に置かれてGoogleで5ページぐらいめくらないと見つからないなどというのは有難くありません。天気予報ならtenki.comにアクセスすればいいのであり、もはやそんな新聞記事はネットではポータルサイトサービスくらいしか出てこないのと同じで、一般向け新聞レベルの記事であれば検索結果に出てくる必要はなく、前述の通り一次情報へのアクセスは可能であり、一方十分な情報や分析を含む記事はとりあえず検索には引っ掛かり、都度払いで読めます。
そういう意味では日本政府の官報はもう少しどうにかして欲しいとは思いますね。印刷して売っているのはあくまでも便宜で実費を取っているだけで、国立印刷局の編集部が儲けるとか印刷配布以外のコストを回収する費用とかではないでしょう。インターネット官報の利便性を向上させ、少なくとも読み手の手元に置く程度はHTMLなりPDFなりの簡易版にして欲しいものです。出所はSSLなりで何とかなるわけですし、広告すべき事実を官報に掲載したこと、あるいはある事実が官報に掲載されていることの証明は別途適切な署名済みドキュメントデータを派生させれば済みます。

■2023年02月24日(金)  いかにもエリート的言説と聞こえます
「難民鎖国」と言われた日本が「変化」 UNHCR高官の期待と注文
「難民の受け入れはこれまで主に各国の政府が取り組んできたが、企業や教育機関、地域コミュニティーなども積極的に役割を果たさなければ、かつてない危機に対応できないという考え方」
ええと、非常に違和感があるのですが、これはつまり、難民は世界のお荷物だと言いたいのでしょうか。
もちろん短期間で、あるいは特定地域に集中して大量の人口移動が起きることは色々と歪みを産むわけですが、それを危機と言うのは何とも失礼な話じゃないですかね。もちろん出ていかれた方や押しかけられた(と思うのであれば)方からすれば迷惑極まりないわけですが、それを言うのは難民高等弁務官補として適切でしょうか。難民と移民は本質的には区別できないはずで、敢えて区別するならば長期的には移住先で主体的に生活を構築する能力の有無でしょう。
避難やその一種としての亡命の場合は元の居住地域における危険からの退避であるかどうかと、その危険がなくなったときに元の居住地に帰還するのかどうかが問われます。この場合、単純な保護こそが求められ、避難先への溶け込みというのは本質的に問題になりません。せいぜいがアテネ流の「外国人」でよいわけです。むしろ早急に溶け込みや自活を求めることは緊急避難者に対する迫害に該当しかねません。もちろんこの保護自体は長期に渡るとは想定されず、一定期間の中で帰還とその断念を決断してもらうことにはなるでしょう。
一方帰還自体を断念する、あるいは想定しないのであれば、それは移住ということになります。移動先の社会への溶け込み、移動先の社会による受け入れが問題になるのはこちらのケースであり、そこで問題になるのは移住者本人の社会やそこの慣習への溶け込みの意志であり、いわば先住者社会への同化に同意することです。それがないのであれば、それこそチャイナタウンや日本人街のようにゲットー化しつつ長期的な現地化を果たしていくことになりますし、その過程での差別の発生は正直止むを得ないと思います。それこそ同化であれば、棄教改宗や創氏改名すら合理化できるでしょう。「社会に受け入れるための良いプログラムを迅速に提供」というのが移住者の社会的同化プログラム(ありていに言って思想と習慣の徹底改造)を同化過程での保護を含めて提供しているということでないのであれば、何を言っているのかと言わざるを得ません。例えば日本国は制度的に信教の自由を保障していますので、ロシア正教だろうがイスラム教だろうが信条としては問題にしてはならないでしょう。少なくとも始業時と終業時に神棚を礼拝するような話はそもそもここに違背しています。とはいえ、例えば就業時間中に礼拝をするのが雇用契約の制度的な基盤としての雇用者と被用者の合意たる最低限保障されるべき労働条件に当たるのかどうかは微妙だと思いますし(敢えて言えば日本では非常識です)、おそらくそこが、企業や教育機関、地域コミュニティーなどが果たすべき積極的な役割に絡んできます。他にも食習慣や契約概念、言語文化などの扱いも含めて、それはあくまでも任意である中での企業や教育機関、地域コミュニティーの主体的選択の結果として実現するべき内容であり、保障されるべきものとは思えません。もっとも、個人的には保障できないものだとも思わないですが。
まあ、ポジショントークとして何を言っていいのかはおそらく日本社会と国際常識では異なりますので、難民の現地への溶け込みを容易化するという視点で移住者と移住先の社会の軋轢を論じることも政治的に可能ではあると思います。議論として可能であることはもちろんです。とはいえそれを危機への対応として語ることは、同化の圧力と避難民の反発を同時に引き起こしかねないことは、懸念せざるを得ません。

■2023年02月24日(金)  あの変な記録さえなければマイナンバーカードだってかまわないし、保険証番号としてマイナンバーを使うこと自体は合理的だと思いますが
医療の窓口負担、「資格確認書」ならマイナ保険証より割高に 厚労相
まあ、選択肢があるだけましではないでしょうか。とはいえ、なんでマイナンバー記載の資格確認書とマイナンバーカードの扱いに差を設けるのかは、政治的な理由以外思いつきませんが。
もっとも、本来マイナンバーカードの保険点数にしろ資格確認書の保険点数にしろ、長期的には無くすことが前提だとは思います。開業保険医療機関がやって当然の設備整備だというのが理念ですし、それをしないなら保険医としては認めないというのも筋でしょう。当面の窓口負担がどうこうという前に、中期的に被保険者資格の確認手段としてマイナンバーなりマイナンバーカードなりを使うことを前提にする具体的な方策がさっぱりないことの方が、問題だと思います。

■2023年02月24日(金)  これ、押し売りだよなあ
破壊されたロシア戦車で「戦争に抗議」 ベルリンのロシア大使館前
この手のアクティヴィストの頭の中身はグローバルに変わらないようです。You must see it!という点で宣伝屋の正統な後継者と言えるでしょう。もちろん駐ベルリンロシア大使館側には目に入らないふりをしてノーコメントを貫く雅量が求められるわけですが、そのような雅量を無暗に引き出そうとする点で、こうした行動が幼稚で野蛮であることは疑いありません。もちろん幼稚で野蛮であることは現代の市民の欠格要件ではないので、単に他人が目を顰めるだけです。

■2023年02月24日(金)  まさしくおもちゃでしかない
超小型モニター「TinyTV 2/Mini」、CAMPFIREで先行販売
いやまあ、これが640x480とか800x600なら手を出す気になるのですが、さすがに216x135は使えるとは思えないですね。マイクロモニタはむしろ需要があると思うのですが、ケータイじゃあるまいし低解像度のモニタだけあっても仕方がありません。
もしかして、未就学児の情報教育用か何かでしょうか?

■2023年02月24日(金)  確かにグリーン席の方が合理的かも
のぞみグリーン車2席を1人で使えるきっぷ、JR東海が4月に販売へ
なんとなく、JR東海がらみでは久々にリーズナブルなニュースだと思います。グリーン車で提供というのは言われてみれば合理的で、実際普通車指定席を買うような貧乏人よりはグリーン席を買う人の方がそういうモチベーションはあるでしょう。これが、グリーン車が4ないし6座席の防音コンパートメントになり(まあ、保安上コンパートメント内をカメラで - 天井からですかね - 監視するのはやむを得ませんが)、コンパートメント単位で買えるようになると利便の上でもよいと思います。

■2023年02月24日(金)  雇用率を金で買って何が悪いのか
障害者雇用の代行ビジネス広がる 「雇用率をカネで買うのか」批判も
批判はわからないでもないですが、この場合障碍者が給付金以外の収入を得る、全ての企業がその原資を払うというのがとりあえずの理想ですから、厚労省の判断でよいと思います。
それどころか、例えば炭酸ガス排出権取引的な、つまり障碍者を基準のパーセンテージを超えて雇えばその超過分のパーセンテージを販売でき、買った側はそれを自分の基準枠に算入できるという制度でもよいくらいです。というのは、障碍者は本質的に健常者と同じ労働生産性を発揮できるというのが理念だからです。もちろん向き不向きはあるわけですが、それは健常者に向き不向きがあるのと同じことだと考えます。補助器具を用いて健常者と同等に就労できることもあるでしょうし、その場合補助器具を導入するかどうかは雇用者ごと、そして就労者ごとに選択できてしかるべきでしょう。障碍者本人が補助器具を用いることで健常者以上のパフォーマンスを発揮しそれにふさわしい収入を得られるならば個人で補助器具を導入維持することに合理性がありますし、それはそのようになる希望を持っている場合も同じです。また雇用者にも、それこそ設備機材を調達して被用者に操作させているのと同じで、人手不足のようなそれだけのメリットがあると判断すれば補助器具を導入することになります。
ここからもわかるように、障碍者雇用は基本的に各雇用者の障碍者活用の意志に依存し、規制は活用の動機を与えるものでしかありません。つまり、お金を払ってでも制約を逃れたいという発想自体は咎められるべきものではありません。仕組みとしてはそのような発想が割に合わないものになるように設計するべきですが、ペナルティーを逃れるためにお金を払う発想自体は許容されてしかるべきなのです。それが障碍者を捨扶持で飼殺すことであろうが、他所の超過達成を金で買うことであろうが、問題はありません。
その上で、障碍者の就労が金を払って避けるようなものではないということが常識化するのが理想ということになります。少なくとも資格商売であれば、たいていの身体的障害はハードルになりません。そして肉体労働についても、そもそも人間ができない、機械を使うしかないような労働であれば、障碍者にデメリットはありません。クレーンを操作するのに身体的障害はほぼ関係ないでしょう。車両の運転にしても操作のインターフェースの問題しかありません。この場合はむしろ、例えば視力や深視力の不足の方が身体的障害により資格取得に不適と判断されます。例えば下肢障害におけるフットペダル系インターフェースの代替手段の使用は視力矯正器具と同じです。知的障害や精神障害についても、むしろ適性としては向いている職すらありますし、業務プロセスを調整するだけで投入可能になるケースは少なくないでしょう。個人的には人間というのは須らく障碍者であり、社会生活においてなにがしかの補助を必要としているとすら思います。生産手段を自力で調達できない貧困も障害ではあるでしょう。事業経営者のくせに簿記も会計もできず事業上必要な法務も知らないというのもある意味知的障害でしょう。末端の作業や作業の流れのつじつま合わせはできても事業全体の視野を持てないというのも知的障害でしょうし、もちろん事業全体を見渡すことは得意でも末端の作業はさっぱりできないというのも不具でしょう。作業目的によっては、例えば一トンの荷物をリフトできないことも障害と言えます。ある意味極論であるにせよ、クレーンやフォークリフトのような制約が大きく危険な重機を使うよりも、人間がさっと百トンなりの荷物を持って運べた方が都合が良いものです。またどうしても視界不良になりがちな自動車を使うよりは、人間が時速150kmで1000kmを2トンの荷物を持って走れた方が都合が良いでしょう(もっともこの場合、人間は加速はそれなりにできても急減速はできませんが)。それは人間じゃないというなら、そもそも作業においては人間は機能要素でしかないのですから、所要の機能を供給できないなら欠陥品です。社会なり生活なりを成立させるために一定の機能が必要で、その機能を人間が十分に提供できないならば、機械なりでもって実現するだけです。
障碍者雇用は障碍者を憐れむ制度、障碍者雇用の負担をみんなで分かち合う制度ではありません。経済合理性に基づいて障碍者の労働力化を果たす制度です。それが規制対応コストを動機とするのであれ、ボリュームとして就労の機会ができるのであればメリットはありますし、理念としてはそれで障碍者と健常者の間に労働者としての差は本質的にないということが示されればよく、そうなればむしろ障碍者雇用を避けるような事業のやり方の方が持続不可能になるはずです。

■2023年02月24日(金)  まあ、研究室のパソコンにゲームをインストールする人とかいたもんなあ
EUの欧州委、公用携帯のTikTok利用禁止 安全上の問題懸念
カジュアルコミュニケーションのスプロールって怖いですね。多分する本人としては煙草部屋での会話程度の感覚なのだと思いますが。
日本のバイトテロや客テロの類もそうですが、人間というのはやはり規則とか安全とは相性が悪いものなのでしょう。考えれば問題であることはわかるわけですが、一方でそういった規制を無視して見せることにも意味はあるし、携帯情報デバイスのようなどこまでもついてくるものとそんな緊張感を持って付き合うのには抵抗も感じるというものです。だいたい、危ないから持ちませんと言うと持たないと困ると公用品を押し付けられるわけで、なんでそんな拘束的な仕事ばかりになったと嘆かわしく感じます。
もちろんこの記事自体はチャイナリスクという話ですが、そもそもSNSにしろメールにしろブログにしろ問題は同じことで、モバイルデバイスの浸透によって時間の使い分けという観念が崩れてきているように思います。一定の時間労働力なり人格なりを買い上げる、あるいは動員するという発想自体を、改めないといけないのではないでしょうか。

■2023年02月23日(木)  そりゃ猫だろうがパンダだろうが罪はないですね
プーチン氏から贈られた猫ののんびり動画 秋田知事「猫に罪はない」
そりゃそうです。なんというか、ごたごたをよそにのんびり生きているならそれに越したことはありません。愛玩家畜なんてそれ以上を求められるものではないんですし。ミール君の幸せな生涯を祈ります。

■2023年02月22日(水)  VcXsrvのパラメーター
VcXsrvで106日本語キーボードを使う方法

geditが101キーボードだと思い込んでいるので困った。
これをしないと英語101キーボードのキーマップを勝手に使う。せめてWindowsのキーマップ情報くらい参照して欲しいものだが。
起動時のExtra Settings (Disable access controlをチェックするところ)で最下部の入力フィールドに-xkbmodel jp106と入れる。

■2023年02月21日(火)  増加自体が中止に追い込むための迷惑行為だったりして
米SF雑誌Clarkesworld、AIによる剽窃作品の投稿増加により受付中止
まあ、あるでしょうね。
気になるのは、そうした投稿がそもそも受付を中止させるための事業妨害行為ではないかということです。何度も落とされた場合などもそうですが、査読付きの投稿を受け付けている機関というのは恨みも反発も買いやすいものです。簡易にデータを生成して大量に送り付けられるのであれば、DoS攻撃はそれなりに効果的な嫌がらせです。まあ、嫌がらせをする相手の名前を騙って出前を取るようなものです。
もしかすると、一般投稿による雑誌という形態自体、成り立たなくなるかもしれません。

■2023年02月21日(火)  事前に打診はあったんだと思いますが
ミャンマー国軍が麻生前財務相に勲章を授与 「発展と平和に功績」
まあ、国内では誰も気にしないと思いますが、これで麻生氏を外務大臣や駐在特命全権大使にするのだけは難しくなったのではないでしょうか。もしかすると国によっては、外交官と公式会談しようとすると避けられるかもしれません。
授与する方は好きにしたらいいわけですが、受け取りがあったということは貰うことに同意したのだと思います。安倍氏だったらもうどうしようもないわけですが、生きている人が貰っておいて知らなかったでは通りませんので、良い意味でも悪い意味でも「ミャンマークーデター政府から勲章を貰った人」と言われることは覚悟しておかなければなりません。多分、誇らしいから貰ったんだと思いますけどね。もちろん勲章とか褒賞というのは欲しくなければ断れるもので、当然事前にあなたにこういう賞を上げたいと思うけど受け取るかと打診するものです。貰うと都合の悪い場合などは断ることがよくありますし、貰った人が後から機嫌を損ねて突っ返すこともあるとか。もちろん断ったり突っ返したりするとくれる側の印象は損ねるわけですが、少なくとも基本的人権の保障された民主国家では勲章を断ったくらいでそうそう不利益な扱いはされないものです。二度と叙勲の候補には上がらなくなるかもしれませんが、栄典には大した特権がないのが普通ですし、公職への立候補を断られたり、互選制の役職への就任を国会や内閣にそれを理由に断られたりはしないものなのです。それだけに、受けた場合それは受けた人の責任です。

ミャンマー国軍から麻生氏らがなぜ勲章? 在日ミャンマー人が抗議
こういう筋の人はいるわけですね。まあ、ショックを受けるのはもっともだと思います。だからああいうものを貰うのは剣呑なわけですが、もちろん在日ミャンマー人コミュニティーを重視するかどうかは、それぞれではあります。
「麻生氏ら政府要人が国軍司令官からの受勲の申し出を断らなかったことで密接な関係が明らかになったとし、日本政府には説明責任があるとし」
別に勲章をもらったのは政府要人とはいえ個人であり、政府に説明責任はないと思いますが、日本政府としては、ミャンマーのクーデターは民主主義への挑戦だと主張するのであれば積極的に事情を調べて対応することは必要でしょう。でないと、日本政府はミャンマークーデター派を後援しているという主張に反論できなくなります。もちろん、今から返上するというのは悪手であり、貰った人が公的な地位の一切から引退するというのが一番無難ではあるわけです。

■2023年02月21日(火)  SNSも検索エンジンも検閲してかまわない - 大事なのはIPゲートウェイだ
ネット中傷、要求あれば原則削除すべきか 国の有識者会議が議論へ
削除すべきです。
なぜなら、ネットのプラットフォームには原理的に独占力がないからです。表現の自由の保障はそのメディアやチャンネルを迂回して表現を公に問うことができない場合(例えばかつては商業出版から排斥された場合実質的に流通は不可能だった)には必要ですが、代替的な手段がある場合、かつそこに制限をかける権力が及び難い場合は第三者による流通を禁止しても害は少ないのです。むしろそのような文書を公開しているサーバーへのアクセスを制限する方がよほど有害です。つまり、どのような文書であっても、自前で立てたサーバーを自分で契約した回線と接続権をもってインターネットにつなぐ限り不特定多数の閲覧に供することができますし、仮に閲覧の範囲を明確に限定するべき場合でも、自前で立てたサーバーであれば容易に対応が可能です。検索エンジンから削除されても、到達可能性は十分にあります。TCP/IPが届く限り表現の自由は失われません。その意味では表現の自由における保障を左右するのはIPゲートウェイサービスとDNSサーバーと非貨幣決済サービスなのです。間違ってもAlphabetや各種のインスタントメッセージングサービスではありません。
オープンとかパブリックを標榜する配信サービスやコンテンツ検索サービスは、とにかく検閲を厳重に行うべきですし、規制側もそのつもりで見回りと介入を行うべきです。その一方で、通信の部分での検閲や規制は基本的に行うべきではありません。その通信が仮に誰かの権利を侵害しているとしても、公共の安寧を損なう目的でなされているとしても、その規制は基本的に犯罪的な行為であると認識されるべきです。もちろん、国家は犯罪を公然と行い処罰から逃れることは可能です。ただ、安易なその特権の行使は顰蹙を買い、民主主義国家であれば政権の転覆もありうるということです。

■2023年02月21日(火)  正直テレビ局と組んで有名タレントを据えたグルメ番組を一日1本ちゃんと流せば済む話ではあります
「科学的には安全」なのに、反対されるのはなぜ? 高校生が考えた
行き違っていることは事実で、正直処理水放流を主張する側が漁業者側の風評被害の懸念をまっとうに理解しているとはとても言えません。漁業者が表に立っているように見えますが、問題は流通業者や消費者で、ある意味直接つながっているわけではないために漁業者の不安が募っている面もあります。その意味では科学的に安全などというのはさっぱり意味がないわけです。コミュニケーション的な話なのです。もちろん安全の宣伝で何とかなるわけもなく、むしろ福島県水揚げの水産品の利点を無責任にでも大々的に宣伝して、風評被害を吹き消してしまう方が効果があると思います。
これは漁業者側の話で、流通業者や消費者に近い放射性物質絶対反対派についてはまた別です。消費者の場合なんとなくなので健康にいいとかタレントのこの人が絶賛しているとかのような宣伝で誤魔化されてくれますが(もちろん具体的な買い手がいれば流通業者はちゃんと動きます)、公に反対を主張するような人は肝が据わってしまっているのでそんな形では誤魔化されてくれません。そこは、正直話が通じないという可能性もあるわけです。ただこちらは、せいぜいバリケードを張って業務妨害をする程度で、たいした問題ではありません。

迫る処理水の海洋放出 地元の反対に西村経産相「丁寧に説明する」
でもって問題は処理水の安全性ではなく福島県沖漁獲の水産物に対する風評被害なので、課題は地元に安全性を丁寧に説明することではなく、福島県産水産物の売り上げを少なくとも2010年実績を上回るものにすることです。地元が安全性を理解してくれないというのは責任転嫁でしかなく、その言説はカイワレ大根を食べて見せた菅直人元首相のそれに劣ります。その意味では「数字が全て」ではあり、現状の売り上げが2010年実績の4割というのは施策が不十分である絶対的な証拠です。マスメディアが処理水の話を取り下げ福島県の水産物以外に買うべきものはないと囃し、検査をする暇もないほど商品が売れれば、地元の反対は消えます。

■2023年02月21日(火)  この話は三話目くらいがいいような気がします
ひとりみです(1) AKIKO
電書としてはなかなかきれいな本ですが、同人本です。ボリュームとして納得のいかない人というのはいるようです。
テーマは大変有意義だと思います。
リアリティーとしてはちゃんと設定ができていると思うのですが、これだと少々主人公に厳しいようにも思います。おそらく主人公が感じている諦めは男性にも異性愛者にも、あるいは女性一般に共通するものでしょう。独り身であるという設定はともかく、同性愛者であるという設定を活かしきれていません。また人生の先が見えてくる同性愛者という立場を描く最初のエピソードがこれだと、同性愛者だからその立場に置かれたというイメージができてしまいそうに思います。独り身で高齢になりつつある同性愛者という設定でも明るい中での終わりの予感のような形にすることはできるはずですし、それだけに最初の話がこのようなものとなったことは作者のこの設定に対するイメージの表れと疑いたくなります(まあ、タイトルからすればお独り様に対するイメージなのだと思いますが)。できればただの一般的なイメージへの迎合であってほしい、それをひっくり返すエピソードを展開して欲しいと願います。もっとも、ある意味良くもないけど悪くもないありがちな制約の中で諦めつつも前向きになろうとする様子は共感できるのですけどね。

■2023年02月21日(火)  ロシアの資源を搾り取っていると思えばありではないかと
インド、ロシア産石油輸入が10倍に 欧米が制裁科すなかで買い支え
正直あまり問題を感じないというか、せっかく安くなっているところですので、徹底的に買い叩いたうえでインド国内の工業化を推し進めつつロシア国内の油田やガス田を枯渇させるというのも悪くないと思います。顧客がいくらでもいる状況では増産などあまり考えないでしょうが、数少ない顧客を繋ぎとめる状況ならそれなりに無理はするでしょう。戦後も見据えて絞り上げるなら好機だと思います。何ならインドで精製した燃料をタンカーでウクライナに運んだっていいと思います。どうせいくらあっても足りないのですから。

■2023年02月20日(月)  出生率を増やして元は取れるのか?
出生率上昇につながる子育て政策は? 予算規模は? 研究者が試算
もちろん消費水準なり生産世代の規模なりの維持のために少子化は望ましくないという理屈はわかるのですが、人口を維持した場合むしろ労働生産性が下がるのではないかという懸念もあります。この場合、子育て施策に投じた国家予算は回収できません。
もちろん子育てへの十兆円はサプライサイドへの経済政策や無暗なインフラ拡大策よりはよほどまともだとは思います。とはいえ今まで通りの経済政策も子育て施策もやめた方がましだったということはあり得ます。やるなら財源論とか健全財政論にしっかり片を付けてからの方が良いのではないかと、思わないでもありません。

みんなが保育に通える社会、いくらで実現? 「出生率上昇」効果も
「孤育て」から救われた、専業主婦も使える保育園 モデル事業実施へ
保育って通わされる園児が利用しているのでしょうか。利用しているのは保護者だと思うのですが。
それはそれとして、保護者の立場からすれば、毎日とは言わないまでも子供を預かってくれるサービスがあるならそれが望ましいのは全くその通りです。それこそ買い物の間などに預かる短時間保育を含めて、よりカジュアルに利用できるようになるとよいと思います。

■2023年02月20日(月)  宇宙系娯楽作品の一つの流れを作った人でした
松本零士さん死去、85歳 「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」
色々業績のある方ではあるのですが、正直ここ数十年はどうなのかなという印象ではありました。1990年代からはさっぱり新味がなかった印象があります。まあ、悪い意味で常緑樹的なクリエーターは決して少なくありませんけども。
とはいえやはりエポックメーキングな作品を一作でも作り上げた人であり(宇宙戦艦ヤマトについては原作というよりキャラクターデザインではないかという話もあるので)、それこそキャラクターについては様々な影響を与えている方で、生前を偲ばれる資格は十分にあります。
ご冥福をお祈りいたします。

■2023年02月20日(月)  一応大学など教授だけいればいいものではあります
電気代の高騰で大学が苦境 東京芸大、ピアノ5台を24万円で売却
まあ、会計年度の途中で電気代が変わるような契約はそもそも望ましくないわけですが。とはいえ24万円ぽっちでは、さすがに芸大と言えども焼け石に水じゃないですかね。むしろ維持費の節約の方が効果が大きい気がします。後一か月半で会計年度が変わるので、補助金などはそこで仕切り直しになるわけですが、さて、上がった電気代を賄えるほど増えるのやら、不安ではあります。
 もっとも、芸大の学生なら自宅に電子ピアノくらいは持っていてしかるべきでしょう。大学に来ないと何もできないなどという人は今時大学生である資格はない気がします。

■2023年02月18日(土)  貧すれば鈍するの典型例
「子どもがワチャワチャいても…」 市職員の子連れ出勤を試行 愛知
まずあほかと言わせていただきます。そんなことをするくらいなら、職員を全員自宅勤務にして、ユビキタスサービスも兼ねて職員の自宅を出張窓口にしたらいいでしょう。子供がわちゃわちゃいることが問題なのではなく、役所というある程度コンフィデンシャルな場に統制の利かない部外者がうろうろしていることが問題なのです。
それと、役所とか事務所というのは一般的に不特定多数が出入りする危険な場所です。そういうところに子供を連れて来て仕事をするというのは、親として非常識ではないでしょうか。もちろん喫茶店に子供を連れて来て仕事をする人もいるのかもしれませんので、実は子供を誘拐や怪我、対人トラブルに曝すことは全くの常識なのかもしれませんが。
みっともない、常識がない、金がない、ちっとも子育てに暖かくない、その他ないない尽くしで、さっさと隣接市町村と合併して市の機構をリストラした方がいいのではないでしょうか。

■2023年02月18日(土)  別に自分が批評をする価値がなくなるわけではない
AI時代に批評家は失業する? ChatGPTの回答は正論、だけど
まあ、業として批評をするということ自体がおかしいと思うので、基本的には売文業、つまり売れるであろう文章を書いて売る稼業に戻るべきですし、その上でAIが自然にはやりださないようなことというのは結構あると思います。AIに何を尋ねるかが尋ねる人の個性であるように、問いを立て、議論を展開し、結論を叙述するなかでも著述者の個性は現れます。どうしても自分の文章では納得のいくものにならないならAIに頼るのもよいでしょう。その上でAIの助けを得て作り出した話の流れは、著述者の個性に帰属します。もちろん表現力について批評的な能力さえあればAIに上手に書かせた文章をもって批評業界に参入できるようになることは業界の参入障壁を下げ、過当競争を招くかもしれません。誰かがある人の書いた文章をAIに食わせて競合を立ててくるかもしれません。不安要素は結構あるわけですが、それでも自分なりの問いを立てることこそが批評の本来の動機であり、金を稼げるかどうかなどはどうでもよいというのが、批評家というイデアの世界の住人のあるべき姿でしょう。金を稼ぐなら、それこそAIによる模擬自分と対談してその動画を売るとか古典的には講演会のようなパフォーマンスは、批評畑にはいくらでもあるはずです。

■2023年02月18日(土)  株主の属性で差別する行為こそナンセンス
お金=発言力は絶対なのか 株主を区別し「会社にデモクラシーを」
もちろん、一株一票という制度は絶対ではありません。典型的にはゴールデンシェアがありますし、配当優先株式というのも古典的な制度です。
とはいえ株式会社とは定款に定められた事業において資本金として寄託された資金を運用する仕組みです。また株式会社は会社と離れたところで株式を売買することが前提になっています。もっとも適切な仕組みは一株一票というものでしょう。この株式の譲渡性は、同じく出資者が有限責任である合同会社とは異なる点で、合同会社は定款自治において社員の経営に対する権限を規定できます。株式会社においては株主は株式の名義人でありかつ現に所有者であるという立場でのみ株主権を行使するのですから、原則として業務執行から隔離され、株式の人格として扱われます。つまり株式会社に民主主義が存在しうるとすれば、それは株式を平等に扱う、つまり一株一票以外にあり得ません。むしろこの原則を外して制度に小細工を加えることの方が危険です。
一方で、では株主はなぜそんな株式を買って会社の出資者になるのかという点は考慮に値します。配当なり売却益なりに期待するというのであれば、それは株式である必要がありません。そもそも株式自体は社員権、つまり当時はむしろ組合員に近い立場で業務執行に関与する権利を示すものでした。これは江戸時代の株仲間の事ではなく、いわゆる東インド会社の制度です。それが、株主が増え、業務執行から疎外され、大衆資本主義と経営者支配の完成によって現代の大量に発行した株式を実質的に身元不明のマイナー株主が保有するとともに一部の上位株主(支配的ではけしてない)と経営陣が結託した株式会社が生まれ、株式は大株主以外にとって不確定利付き永久債になり下がったわけです。
そこに民主主義と責任を持ち込むのであれば、それは株式の発行制限と資本の大部分の社債化でなければなりません。つまり、株主を現在の上位株主に限定し、株主団内での民主主義を確保するとともに、実質的な無権利株式を一種の社債に転換するわけです。もちろん制度的にはそれを資本金に繰り入れてもよいとは思いますが、償還や優先配当によって株主資本を充実させるべきであることは言うまでもありません。また資本金は全額を銀行預金等の換金性の高い流動資産として確保させるべきです(現物出資を否定まではしませんが、買戻し特約などの形で換金性を確保するべきです)。現在のような何に使ってもよい、それこそ土地を買おうが人を雇おうが自由などという制度ではなく、資本金相当額の換金性の高い資産を担保として借り入れを行い、それを事業運営に使うことを義務付けるべきです。このような限定された数の顔の見える株主団こそが株式会社における民主主義の保障であり、そこでは投資ファンドも資本金の公然たる所有者の一人として振る舞います。

■2023年02月17日(金)  安保三文書よりよほど税金を払う気が失せるぞ
入学祝い10万円、10キロ分のお米券… 子育て支援でアピール合戦
なんというか、合戦というわりには貧乏くさいですね。少子化対策、子育て支援と言うなら、物的支援についてはわが市では出産や子育てには一銭もかかりませんとか、労力面での支援ならわが市は年中無休で18時間保育を実施しており出産予定に合わせて迅速に保育を整備していますとか、そういうアピールをするものであって、10万円ぽっちの祝い金とか、米10キロとか、革新自治体時代の親が聞いたら鼻で笑うのではないでしょうか。
なんというか、マイナカードでポイントゲットレベルのしょぼい話です。ちなみに個人的にはマイナカードは、胡散臭いうえにメリットがさっぱり感じられない商品に全く関係ない抱き合わせのおまけをつけたところで買う気になれないという印象です。特にマイナ保険証は胡散臭さのあまり、記録機能だけは外してと言いたいくらいです。どうも広告宣伝万能論が蔓延しているのではないか、千円札を一枚一万円で売るような話ではないかという印象を抱いてしまいます。単に市町村発行の身分証明を共通のカードにしてマイナンバーを記載するというだけなら、納得がいくんですけどね。元々のとにかく行政において住民票と関連付けたユニークな番号を使って効率化と利便性を確保しようというマイナンバーの構想はどこに行ったのでしょうか。
まあ、その程度の施策で踊ってくれる愚民だと思い思われているのが日本の人なのだと思うので、愚民らしくささやかなお得を掻き集めて生きるなり、そういう愚劣な話には関わらないと我が道を行くなり、愚劣な話に税金を使うなら払わないぞと裁判を起こすなりすればいいのではあります。

■2023年02月17日(金)  建て直せる可能性があるとすれば投資ファンドだけである
物言う株主は会社を立て直せるのか 混迷の東芝にみる可能性と限界
これはファンドのありようをあまりに狭くとらえており、つまりは東芝のような大きな資産を運用しなければならない会社を支える資本金をどうやって調達するかということにつきます。
まず古典的な個人の資本は、さすがにもはやそれなりにあるこの規模の会社を支えられる数はありません。これを前提にするなら、会社の先行きは会社を支えられるオーナー次第ということになります。
次に一般株主、つまりそれこそ持ち株率が1パーセントにも満たないような株主が数万人集まって株主団を構成する、ある意味大衆資本主義の理想です。この場合株主団としての意思決定は期待できず、必然的に経営者支配となります。ただし株主の帰属意識も消滅しますから、こうなるとこれはもはや株式会社とは言えません。この形態を適切に実現できる法人制度の創造が課題になるでしょう。もちろんこの場合会社の先行きは経営者次第となりますし、その経営者をどう選ぶかは難しい問題になります。
そして、ファンド、つまり出資者の委託を受けてまとまった株式を運用する投資事業が株主保有の主体となる形で、大衆資本主義においては株式会社が直接泡沫株主とつながっていたのが、間にファンドマネージャーが入ることになります。現在の投資ファンドが分散投資と回転売買でリスクの低減を目指して短期利益、つまり株価と配当の向上を追求する傾向があることは確かで、この場合究極の方向性としては、十分な資産を持った会社を短期間で使い潰して解散して資産売却益で儲けるという形すらあり得ます。とはいえ投資ファンドの投資方針はファンドマネージャー次第ですので、長期の安定配当(上場株の売却ではない)を目指しつつリスクをコントロールする運用も可能であることは実例もあります。これ自体は投資ファンドを中核としたコンツエェルン形成につながりかねませんし、いろいろと問題はありますが、正直経営者支配の一類型ではあるにせよ(つまりファンドマネージャーが支配します)、シンプルな経営者支配の形よりはましではないのかという気がします。大所高所に立った企業経営は必然的に金融に傾くもので、ファンドマネージャーの視点は有用でしょう。一方で企業には、業種や組織独自の仕事の進め方があります。そういった企業の個別事情に対して適切な距離を取りつつ資金調達の便を図れるファンドマネージャーの支配は日本的なメインバンクの経営参加とも共通し、おそらく投資ファンドには委託者への説明責任がある分それよりは透明性があります
もっとも、最善はおそらくそんな大資本を作らないことであり、また経営に困難が発生している大企業はLBOをしてでも解体してしまうことだとは思います。

■2023年02月17日(金)  こういうことをしているとキャッシュレス決済全てがうさん臭く感じる
高速ETC「暴力団排除」強化 6社がカード規約を改正、3月から
ETCカード事業自体は信用供与なのでありではあるのですが、正直そういうものに高速道路の利用資格自体が依存していることに危機感は覚えます。それこそ市場主義の大原則として金さえ払えば出自を問わないというものがあるはずで、それを全面的に否定するこうした施策にはうさん臭さを感じます。ETCカード事業自体は顧客に信用を供与する事業ですが、その主体である事業会社の方を顧客として信用できません。この人たちに、決済や金融というインフラストラクチャーに関わる資格があるのでしょうか。

■2023年02月16日(木)  隠密コミュニケーションツールが解析できないのは良いことでしょう
広域強盗、端末解析に壁 ロシア開発「テレグラム」の成り立ちに起因
もちろん悪用というのは主観であり、また悪用されえない技術などというものはないわけです。容易に入手できる隠密性の高いコミュニケーションツールがあることは、悪用可能性がないことよりもよほど絶対善に近いでしょう。

■2023年02月16日(木)  どうせ一期四年が上限なんだから有権者の選択に任せればいいような気がしますが
「長期欠席」の議員には報酬払わず 宮城県議会が条例改正案を提出へ
まあ、議員に報酬を払う方がおかしい、報酬を貰わないと活動できないような人物が議員をするべきでないという話はあるのですが、それ以上に、どうもプランクトンの発生を抑えるために川にDDTを流し込んでいるような印象を受けます。もちろん議員が審議に出席しないのは - 例え妻の出産やこの学校行事、親の葬式などの事故であっても - どうかとは思いますが、そもそも有権者は個人としての議員に票を負託しているのであり、議員団が議員の地位を云々するというのはその有権者の負託を軽視する行為と言えなくもありません。議員歳費だって議員たるの分限を保つために支給されるものであり、役所の職員の賃金などとは性質が違うのですから、欠勤したから支給しないなどというのもいささかおかしな話ではあると思います。まだしも、立候補の届け出と当選認定の受け取りは本人がすること、つまり出て来れないような人は立候補を受け付けず当選も認めないと言う方がましな気がします。ちなみに最近も欠席を問題視されている亡命議員がいますが、長期欠席の雄というと個人的には田中角栄の印象があります。この人は、1985年に脳梗塞で闘病生活に入り、その状態で1986年の第38回衆議院議員総選挙に立候補し本人が選挙運動に出ることなくトップ当選、1990年の第39回衆議院議員総選挙までただの一回も出席しませんでした。第39回に立候補することはなく、第40回で娘の真紀子の選挙運動に出た後年末に亡くなっています。

■2023年02月16日(木)  ベストセラー経済学屋が根源とか言い出すのはろくなものではない
文明崩壊から資本主義を救うには 岩井克人さんが説く「会社」の根源
どうもわかっていないようですが、株式会社の経営者も従業員も会社を構成してはいません。株式会社はあくまでも株主の社団であり、会社の目的が何かを決めるのも株主です。そこを外してしまえばそれは株式会社ではありません。その上で、所有と経営が分離していることの是非を論じるとか、経営の基準を配当に置かないとかは株主団が判断することです。フリードマンが勘違いをしているとすればそれは株主の利益を配当と株価に局限したことでしょう。それこそ配当に限っても、短期的な高配当と長期的な安定配当では目標として違います。そういった目標設定や、それを実現するための手段の設定まで、全ては株主の主権的判断に基づきます。
もちろん会社それ自体は別で、ワーカーの共同事業組織であって構いません。とはいえ中世から近世のイタリアの制度を見ても、おそらく古代ローマに遡っても、会社には資本的共同事業組織という面があったことは確かで、会社や組合の歴史を遡っても仕方ないと思います。倫理的経済学者の論説にはどうも一貫してそういうナンセンスがあり、牽強付会に忌避感がない点で学者としての節度を疑います。もし資本的共同事業組織の営利性自体を問題にするなら、それこそ債権者保護の仕組みのない社団法人を制度化して(もっともゼロ円株式会社などはそうした面があります)借り入れを認める(これもできないわけではありませんが、社債公募はできないと思います)のが筋です。もっとも借入自体は債権者にとってはハイリスクのジャンク債権になりそうですが、これは理屈ではジャンク債権としてリスクが適切に評価明示されていれば済むことではあります。むしろ妙な株主権とやらで調達コストを掠っているよりは健全とは言えるでしょう。ただし社団としてはあくまでも株主権の方が主体です。

■2023年02月16日(木)  理解はできますが、そもそも資格職の専門性の保障という発想が古いのではないかと
保育士の立場守れてる? 暴行事件に広がる不安、汐見稔幸さんの視点
まず保育というのは確かに保護者なら誰でもすることであり、また他人の子供を預かるというのも預け側の自己責任の範囲内であれば当たり前のことなので、その意味での専門性というのはないわけです。これは士業すら全般に同じで、当事者が自身で処理する限りにおいては専門性はないというのが、日本での法的な位置付けです。地域や時代によっては本人すら弁護士に依頼しないと法的紛争を制度的な強制力のある形ではできないこともあるのですが、日本はそこまでではありません。唯一本人ではできない手続として公的な申し立てがあり、これは公証人という人に頼んで、その人がちゃんとこう聞きましたという形で、申し立ての文書を作ってもらいます。こうやってちゃんとした証人を作っておかないと、本人がそんなことは言っていないなどと前言を翻しかねないからですね。事業としての保育に近い形の業態で絶対的に専門性が確立しているのはこの公証人と学校教員くらいで、後は裁判官やそれに近い行政審判の審判員、警察官など、むしろ場合によっては頼まれなくても出張ってくる人たちが、専門家としての資格で職務に当たっています。学校教員の専門性の確立は、一定の教育課程の修了資格の認定業務を文部科学省に認可された学校が独占している関係で生じたものです。医療にしても、自分で自分に処置する限りは特に問題はありません(できる状況は非常に限られますが)。また資格がないと買えないもの(薬品や危険物、危険な機材など)がありますが、こうしたものに絡んでよく見かける有資格者には医師と薬剤師、危険物取扱主任者があります。購入自体が規制されている場合と、流通が規制されている場合があります。
一方で、他人の依頼を受けて業務に当たり報酬を得るという立場では、受託側がその適格性を証明する必要があります。本来本人が自身の判断で安心できる人を選べばいい話ですが、何をもって安心できるとするかを本人任せにするとあまりにも問題が大きいために、そういうことをするためには資格が必要ということになっています。いわゆる士業や高校までの教員などがそうで、保育士もこの一種です。つまり認可を受けた事業体が事業を行い、事業の実施には有資格者のみが当たるという形で、品質が担保されているわけです。
もちろん子供の保育や養育を既成の仕組み任せにするなど本来無責任で論外な行為であり、保護者は責任を持って養育の責任と普通教育を与える義務を果たすべきです。つまり、保育所や幼稚園、学校といった仕組みは本来不要であり、普通教育を与える義務についても与えたことを証明できる手段があれば済む話です。このうち学校については、近代化の過程で国家の必要とする教育を一方的に与える仕組みとして義務化されましたが、一方で有識者の間では、家庭には養育や普通教育の実施を十分に行う基盤がないということが問題視されていました。これはそもそも下流の家庭が識字すら覚束ないという事情から、社会性の涵養は家庭教育では望みがたいといった問題までを含みます。例えばEUで現在進行している幼稚園義務化などはこの流れですし、国際バカロレア事業などもこの一環で、この系統は教育事業(と言うと何か株式会社がディプロマミルを運営しているようなイメージになりそうなので専門家による体系的な組織的教育活動とでも言いましょうか)を重視します。義務教育無償化などもこの発想から来るもので、義務教育の主体である保護者に普通教育を十分に与える知的経済的基盤を期待できないので学校での教育を義務的に無償で行うという話です。方向性としては、家庭教育を公共団体が無償で支援するという方向性もあるはずですが、少なくとも学校教育が事実上義務化されている日本では目立ちません。アメリカあたりには例がありそうな気がします。
ともあれ家庭がその責務である子弟の保護及び教育を部分的にしろ全体にしろ外部に委ねる場合に、委託者たる保護者に客観的な基準や安心を提供し、受託者たる事業者に実施担当者としての業務実施能力を保証しそのような有資格者をもって事業を行うことで適切に業務を実施していると証明する手段を与えているのが、保育士や学校教員という有資格者です。これと事業体に対する事業実施の認可をもって、委託者への品質保証としています。もっともこの品質保証もいささかならず綻びている気配があるのですが、それはともかくとして保育士や教員の資格というのはそういうものです。例えば弁護士のように資格があれば個人開業できるというものではないですし、医師のように医療供給業務の独占性を全面的に保障されているわけでもありません。医療機関の経営陣には医師がいないといけませんし、法律業務を受託し法的な相談を不特定多数から受ける事業は弁護士だけが実施できますが、認可において学校法人の理事会に教員免許を持った人がいる必要はありません。幼稚園や保育所も同じです。ただし業務は資格を持った人がしないといけないので、資格のない幼稚園経営者が保育行為を行うのはだめなわけです。
この意味では保育士の立場は資格職としては保障されていて、無資格の職員しかいない保育施設が公的認可を得ることはありません。とはいえ、学校教員ほどの社会的認知があるかどうかは別の問題です。なんといっても保護者が提供できないレベルの教育を提供することになっているわけでもなく、かつ保育施設を利用するかどうかは任意であって、その分資格の有無に対する感覚よりも、実現した実務能力の評価の方が強くなります。資格職としての客観的なノウハウは問われにくく、実務家個人としての能力を現場で問われてしまいますし、その評価基準は非常に一面的かつご都合主義的です。資格職で固められた定型的なサービスしか提供しない施設よりも無資格職員だけのアングラ施設でも柔軟に要望に対応してくれる施設の方が評価されます。学校には修了資格認定権という手札がありますが、保育所や幼稚園にはそういう手札はなく、保護者の判断をもって無認可施設を利用する歯止めがありません。その意味では専門性の保障は弱いと言えます。もっとも学校教員も、外国と比べて専門性が保障されているかどうかには疑問があり、その意味では日本の公的保育・教育は崩壊に直面しているとも言えます。形式的には小学校に入り高校を卒業する形は維持できるでしょうが、その実質は塾やスポーツ団体などが担っていくわけです。

■2023年02月15日(水)  何かに熱中できるという意味では修得に有利な時期ではありそうです
英語教育「早ければ効果が出る」は幻想? 小学生の学びで大切なこと
「ですが、日本のような、英語を日常的に使わない外国語環境では、それは「幻想」です。」
ですよね。そもそも日常的な接触の中で言語の体系に慣れていくというのがこの種の習得のはずなのですから、単なる教育としての導入では意味をなさないでしょう。この意味で早期の英語教育を図るなら、英語が日常語として話されているところに移住するしかありません。日本の語学教育論(国語も含む)においては、習慣的な言語への習熟(母語の獲得や出生におけるマルチリンガル)と整備された読み書きや弁論術の習得とが混同されていると思います。
一方で、読み書きとしての英語は小学生から学んでも差し支えないと思います。もちろん国語教育を同じように標準語の文法中心、読み書き中心にする必要はありますが、言語について客観的な体系が整備でき、それを習得することができるという認識自体は、小学生で早すぎるということは決してありませんし、複数の言語で行って問題があるとも思いません。もちろんそこで俗語が排除される点については注意が必要ですが、学校の教育としては純化された言語が必要であり、そこにおいて俗語は排除されてもかまわないのです。問題なのは、そこで俗語を言語生活から排斥しようという傾向です。純化された言語というのはいわば文語であり、広範で客観的なコミュニケーションのためのものです。対峙的な主観的コミュニケーションの道具としての言語は本来的に俗語であり、生活に密着した豊かさはそちらにあります。それは英語とて例外ではなく、標準語では手紙は書けても店で買い物をしようとするとこいつ変な喋り方をするなと不思議がられるのです。
外国語習得にはもう一つ、体当たりで慣れるという方法論もありますが、さすがにこれは今では教育とは言いませんし、学校でやったら普通は人権侵害です。もっとも、寄宿舎制で生活全体において英語(とかドイツ語とかフランス語とか)を使うような方針のミッション系私立学校があるなら、これはこの類ではあるでしょう。
とはいえ、語学の早期教育に意味がないかと言うと、そうも言えません。生活上それが可能という点も含めて、言葉を話し始めてから二十代くらいまでというのは、熱中がしやすい時期だと思いますし、これは何であっても習得には有利でしょう。ともかく執着してそれにどっぷり漬かってしまえば、習得は速いし到達点も高度だろうとは思います。もっともたとえば英語に熱中できるとは限らないので、とにかく全員に修得させるような教育の方法論としては使えませんが。

■2023年02月15日(水)  お前の方が政党政治に呪縛されている
あの国の共産党が党内投票の試みを止めた 「民主集中制」の呪縛とは
こういう批判は民主を勘違いしています。そもそも民主的であるとは投票も多数派による決定も意味しません。敢えて言うなら全員による支配ということです。つまり決定の段階で異論が残っているようでは民主と言えないし、そもそも確信を持って前衛たるべく行動する共産党において投票などで意思決定をしたら、確信のない方針を決定だからと実行する羽目になってしまいます。これではただの多数派に支配に過ぎません。共産主義前衛たるの意志をもって合意し確信に至ることができるというまさに確信こそが民主集中制の核です。昨今の新聞記者がどうかは知りませんが、マルクスやエンゲルスはもちろん、レーニンもギリシャのポリス政治の逸話は読んでおり、そこには開戦に反対しながらも民主的な決定=投票によりシチリア侵攻軍の指揮官を委ねられ、敗戦して刑死したニキアスの故事もあったわけです。これでは民主もへったくれもないというのは当然の感想であり、もちろん話し合いはまだしも投票などに信頼を置けるはずもないのです。
もっともそれで構築したのが指導者優位の体制で、それを党中央を制した者が運用するというのでは問題はありますが、少なくとも党指導者の権威を認めそれを投票によって暫定的なものとすることでバランスを取ろうというのでは、それこそ昨今の日本政治のように、政権が一貫していようがいまいが政策が安定しない=党方針が投票ごとに朝令暮改になるようなことにもなりかねません。方針への確信をもって活動に当たることを旨とする以上、方針や党指導者の地位は党員の総意に基づく信頼の上にあるとする原則を損なう発想は明白に党を損なう行為です。それがわからないような人を党員の資格なしと除名することはむしろ当たり前でしょう。仮に本人の主張に理があるとしても、あくまでも党の制度の中で浸透を図らないといけませんし、それを拗ねて投票だ党首選だというのは占領軍教育に被れたただの馬鹿です。
もちろん便法として代議員の多数による決定をもって国家意思とする仕組みの下では、まず国家が何を決めることができないかが問題になります。例えば良心的兵役拒否制度は兵役に服しえないという個人の良心を国家が損なうことは許されないという発想ですし、アメリカ合衆国憲法も、少なくとも本文部分はそのような権力の抑制を旨としています。たとえ民主的な投票によっても、この抑制を排除して国権を揮うことは認められません。それが近代における憲法の第一義です。国家が国民にその意志に反した行動を強制できないのはもっともプリミティブな自由権であり、それこそファシストが敵視した民主的制度の核です。日本国憲法における戦争放棄条項にも、一つには戦争に国民を動員しないという主張があり、だからこそ憲法論を専門とする研究者から、この条項を緩めるなら徴兵制を復活させるのが筋という話も出てくるのです。ちなみに企業活動においては、多数派の意志を貫徹してよいことになっています。これは、どうしても不満なら離脱の自由があり、出資者であれば出資権の売却なり資本の引き上げなりをもって競合を立ち上げる自由すらあるからです。何も不満がある状態で取締役会の決定に従っている必要自体がありません。だからこそ、決定自体は原理を貫徹できるのです。
政党のような団体においては行動こそが求められるのですから、方針は党員に一定の行動を求めるものにならざるを得ません。方針に疑念を持った党員による行動では思ったような成果は上がらないでしょう。もちろん、異論はあるけれども多数意見に従うというのでは確信とは言いません。お互い不満のある妥協もダメです。全員がこれでよい、こうでなければならないと確信することこそが、民主集中制の想定する意思決定です。ここで日本共産党の低迷は党首選主張者のような不満分子が民主的討論において否定された自己の頑迷な主張を堅持しつつ党員であり続け、さらに党組織において一定の主導権を党中央に対峙する形で確保しようと図ったためだと主張することも可能なわけですが、一方で歴代の党指導部にはこうした不満分子を民主的討論において納得させられなかった、党内の不満を権威をもって隠蔽し不満分子を不当に抑圧してきたという瑕疵があります。この点において、不満派の言う党指導部に瑕疵あり、指導部として頼むに足らずとの主張は適切です。この点だけですが。彼らにも党を指導する適性はないのです。
日本共産党というのは活動家集団であり、それこそ二大政党制における政党のような透明な民意の汲み上げ機関ではありません。彼らは共産主義前衛としてプロレターリアたる大衆を指導する立場です。民意はその指導においてプロレターリアの階級的利益に即して考慮されるにすぎません。透明な民意の汲み上げような期待をすることの方が間違っています。その意味では非常に古典的な政党なのです。現代的な透明な民意の汲み上げ装置たる政党は、アメリカの二大政党のように、長期的に見ると何が違うのかさっぱりわからないものを言うのです。一方で日本共産党のような古典的な政党が一定の民意を代表していることは、日本の政治が民意の汲み上げを長きにわたってやりそこなってきたことを意味します。いわんや政治家が建前としては自己の政見の貫徹を求めて結集した今時の「野党」が民意の汲み上げ機関だなどと主張するとすれば、知的水準を疑います。

■2023年02月14日(火)  公式サイトで受注数のカウンターでも回しておけば済んだんじゃないの?
マイクロフォーサーズ望遠マクロ「M.ZUIKO DIGITAL ED 90mm Macro F3.5 IS PRO」の品不足が予告
品薄感を煽るためのやらせじゃないのかと思われることはわかってやってるんでしょうね。
もちろんある程度消費者の目に入らないとそもそも売れないわけですし、商品としての性質から言って一回作って売って終わりというものでもないでしょうから、生産体制が発売直後のブームに対応できないことは普通に予想できます。そのぐらいでないと継続的な販売すらおぼつきません。ひっそり現れていつの間にか定番や憧れになっていく商品もありますが、たいていはひっそり現れるとさほど知られることもなくひっそり消えていくことになります。さすがに期待だけでそんな製品を作っている余力はないでしょう。
ただまあ、もうちょっとまともな煽り方はないかという気がしないでもありません。

■2023年02月14日(火)  それ、会社じゃなくて役所でしょっていう
「トムヤムクン味のみそ汁を…」むちゃ振りに応える開発部長の再現力
本当はこういう人は会社で部長をするのでなく自分で事業を立ち上げることが望ましいので、営業の無茶振りに応えるというのは決して望ましい専門性の発揮ではないわけです。もっとも一定以上の規模の企業においては部長ポストが一番やりがいがあるとも言われます。取締役のように株主の立場からの会社の管理に日常的に引っ張られることなく、大きな裁量を持って必要なら現場にも関われます。
逆に言えば、そういう状況になってしまっている会社の取締役は、部長クラス以下が能力を発揮する環境作りが仕事になってしまいます。これはこれで大事なことですが、やって嬉しいことかどうかは主観によるでしょうし、そういう官僚組織化した本社や経営部門が業務部門を支援するコンツェルン構造を許容するかどうかは問題です。

■2023年02月14日(火)  自衛隊直属の開発製造事業なんてないものなあ
先端技術扱う民間人の身辺調査、政府が検討 借金の有無や家族情報
先端技術というか機密性の高い国の事業ですね。別に私的にするところまで規制する感じではないようです。もちろん取引先としては対象になりうるので、うっかり開発してしまった有用な最先端技術製品を、セキュリティークリアランスに問題があるため国が購入できない、利用できないという事態は起こる可能性があります。もちろん本来は、機密性の高い研究開発は民間人など交えず防衛省内で公務員だけで行うべきで、民間との共同開発など機密保持の観点から言えば論外です。民間に有用な開発者がいるならそれこそ正規雇用で公務員に雇うのが筋です。それこそ1945年までの日本軍は兵器の相当部分について開発製造部門まで備え、補助武装とか機密もへったくれもないレベルの機材とかを外注する形でした。民間が開発製造主体になっていた飛行機はあの時点では補助武装扱いで、軍部がまじめに開発を進めないため、軍内部の技術者がスピンアウトして製造事業を立ち上げる状況でしたし、軍艦は上部構造物まで完成すれば後は海軍工廠で艤装になりますから、船体や居住設備の部分は三菱長崎で建造しても差し支えないという判断です。それでも、開発は軍需企業と呼ばれる軍部と親密な企業に限られはしましたが。とはいえそこまで派手な行為は自衛隊ではやりようがないため、現在の自衛隊は開発にしろ製造にしろ民間企業の出入りが盛んです。そう考えれば必要なことではあるでしょう。
正直問題の性質からすれば閣僚や国会議員にも適用されるべき調査なのですが、当然これをやると調査を担当する機関が政治的な決定を行う資格に口を出してくることになるため、民主的とはいささか言いにくい状態になります。日頃から調査対象とされるのが普通の政治エスタブリッシュメントの支配が制度的にも確立しない限り、機密保持と民主主義の対立は発生するものでしょう。

■2023年02月13日(月)  まあ、検索エンジンのインターフェースですよね
ChatGPTが変える検索 グーグルは守る闘い、日本「蚊帳の外」


使ってはみましたが、エキスパートシステムとしてはそれなりによくできていると思うし、面白いんですけど、やはり裏取りは欠かせないなという感じです。ちゃんと資料を読んでくる分もっともらしいことを言いますが、いささか読み込みが足りず自信のない学生みたいな言い回しが目立った(ある意味これはこれで可愛いわけですが)のと、なぜか論文を検索させるとDOIや書誌情報を間違えていました。これは簡単に裏が取れるので、そういうものだとわかって使えば実用上支障はないでしょう。読める状態になっている本をそれなりに読めるというのは便利な部分です。
つまりは馬鹿が馬鹿な使い方をするのでなければ実用上の問題はさしてないということです。だいたい、ちょっと使えないインターンか大学三年生くらいを相手にすると思えばよいし、まじめに仕事をしてくる分ましでもあります。
サポートデスクとして使えはするのでしょうが、正直これまでのチャットボット以上の使い方ができるかどうかというと何とも言えません。
問題を感じたのは、ひたすら会話に付き合ってくれることでしょう。カウンセリング系の専門家がどうこう言ってはいるものの、物柔らかな態度で平然と会話に付き合ってくれる(この姿勢自体は機械なら当たり前のもの)のですが、利用者に依存を発生させる懸念があります。何しろプロンプトを開けば当たり障りのない返事をしてくれる相手が相手をしてくれるわけで、寂しがり屋さんが依存してしまう可能性は十分にあります。

■2023年02月13日(月)  役務提供契約全体を見直す必要があると思う
「自由な働き方」に紛れ込む「偽装フリーランス」 ある弁護士の確信
これは偽装請負が問題になっていたころから思っていることですが、少なくとも民法と商法の典型契約をきっちり整理して他人の指示の下で役務を提供すること、というか他人から役務の提供を受けることを規制しないと、この手の問題はなくならないと思います。労働規制で使い勝手に問題が生じてきた雇用という契約類型から逃れつつ内部調達と同程度に制御可能な形で(これはこれで製造の高度化と共に製造物責任などの規制への対応もあるわけですが)リスク(環境汚染防止や安全規制などに事業全体が囚われるような話)を切り離した経営外部(内部調達も労働者組織という部外者に依存する以上経営の外部からの調達です)からの調達を円滑に行うためには、雇用以外の契約類型を拘束的に運用するのが当然です。それこそ法学の専門家あたりで可能性を徹底的に追及してみて、ありうるものについては対応策を盛り込むくらいでないとだめでしょう。

■2023年02月13日(月)  同感ですし、そもそも釘を釘抜きで打ち込もうとしているようなものでした
「禁じ手」だった日銀の上場投信購入 「もう道具箱にしまうべきだ」
金融屋としての基準はわかるような気はしますが、介入策としてのETF購入は失敗作だったとは思います。
ETFの場合株式購入と言っても個別銘柄ではありませんので、売却時も含めてバランスシートに与える歪みを抑えられる、単に株式市場のボリュームが膨らむ、あるいは縮むだけという考え方はある意味健全ですし、日銀が株式の個別銘柄を購入する正当性も疑問です。社債なら単純にリスクの問題ですが、株式の場合会社の支配権も絡みますので、金融政策としての介入の対象には向かないのです。
一方で銀行への資金注入も憚られた点は考慮しなければなりません。いわゆる自己資本規制などで資金注入の方法に制約が出ていましたし、市中銀行を通して日本銀行が融資を促進するような方法論は、あの時点ではETF購入以上の禁じ手だったでしょう。
とはいえ、1980年代にはすでに株式市場の動向は実体経済と解離していた、バブルが破裂して実体経済と連動する形に戻ったのではなく、あくまでも別の原理で相関していたにすぎないという点を見誤って、株式市場に介入して実体経済を連動させられると考えた点は、失態としか言いようがありません。連動していない以上、株式市場に投入された通貨は実体経済とは別のところで動きます。その結果が、株式市場だけ膨れ上がるという実質的なバブルです。それこそ非上場企業の方で通貨不足が起きていたのに金は乏しいけれど投資案件はそれ以上に乏しい上場企業に資金供給をしてしまったため、株式市場から通貨が外に出ていかなくなってしまいました。企業が株式発行益で債務を返済しても、それは銀行に留まるだけです。また金融商品が企業の投資対象であり得ることは、1960年代に常識になってしまっていました。資金調達手段としての錬金術ならともかく、事業収益の悪化を取り繕うための錬金術では、恒常化してしまえばどんどん資金を飲み込んでいくだけです。社会的に必要な事業があるにせよ、それがそもそも儲からないのでは、儲かることが前提の資金供給では経済のパフォーマンスが悪化します。儲からないことが前提の制度、つまり補助金で資金を供給するべきでした。補助金となれば金融政策ではなく産業政策ですから、実施主体はその産業分野を管轄する省庁となり、中央銀行のするべきことは政府の発行する国債を引き受け、通貨を供給することだけです。

■2023年02月12日(日)  確かにembarrassedな話ではある
同性婚法制化「愛し合う2人、結婚で認めるだけ」 推進のNZ元議員
NZの同性婚法制化10年 社会は変わらず、政治家の意識が変わった
確かに、たいして変わらないだろうとは思います。どうせ今時の人たちなんて仕方がないからと異性婚するくらいなら結婚自体を避けるでしょうから、伝統的結婚に基づく家族の維持や少子化の抑制への効果はほぼないでしょうし、本質的には制度がないなら民事的に制度を作ってしまうだけだからです。少なくとも弁護士への手数料さえ払えば、結婚に近い効果を発揮する状態を作り出すことは不可能ではありません。むしろ家族そのものがそのようなものであるべきで、法律で支えられた公的な制度であるべきではないとも思います。ともあれそうであるならば、家族であることの条件は当事者が家族として相互の関係を他の関係を排除してでも長期に渡って - 場合によっては永久に - 引き受ける意思を表明することだけでしょう。どのような家族の形態が望ましいかという議論自体が間違っています。
とはいえ、婚姻の成立がなかなかにカジュアルで、かつ一度成立した親族関係を相続法上排除することが難しい制度の下では、子供が勝手に結婚相手を見つけてきたら困るという発想はどうしても生まれます。同性婚や異姓婚への忌避感は結局そこの問題で、親が親族の範囲を限定したいわけです。また歓迎し難い結婚の場合、親は子供がいつか気の迷いから覚めると思いたがるものです。釣り合いとか制度的困難とかは、再考を促す良い論拠でしょう。正直親を納得させられないカップルも子が望む配偶関係を排除したがる親も心情論的にはろくでもないと思いますが、家族関係が基本的には心情に基づくものである以上、公的な決まり事として家族関係を設定しても心情的に家族扱いできるとは限りませんし、こじれもするわけです。日本の場合親族の相互扶助について比較的厳格な傾向があり、それだけに相互扶助の対象と認識する親族関係の設定にも厳格な傾向が出てきます。そう考える人にとっては、愛だけで勝手に密接な親族関係を設定されるような制度変更は社会を変えることになると思います。同性婚自体が社会を変えるわけではありませんが、結婚によって成立する家族の形がルーズになることは、家族の範囲についての予測性を低める形で社会を変えます。それを嫌う人がいるのは仕方ないでしょう。もっとも、それが無視できないレベルかどうかは、別に大した人数じゃないだろうとは思います。勤労の義務があっても他所の国に脱出する人はほとんどいないわけですし、同性婚が認められた程度で、眉を顰める人は出ても脱出する人はほとんど出ないと思います。
もちろん生理的嫌悪の表明は話が別です。公的な立場でそういうものを表明することは、例え殺人に対するそれであっても許されないと考えるべきでしょう。つまり、敵国民とはいえ人を殺させるなんて信じられない、鬼畜の行いだという発言は、公僕としてしてはいけないのです。その上で、あくまでも個人の問題として、同性愛に生理的嫌悪を抱くことはあり得ます。というか、個人的には他人が同じ家に居ること自体生理的嫌悪感を及ぼしますので、結婚する人なんて信じられない、隣に住んでいるのもちょっと嫌なわけですが、ある意味別に他人事ですので、平穏に近所づきあいをする程度のことはできるわけです。災害の時に同じ避難所に入れと言われたら、万難を排して逃げ出すかもしれませんけどね。こういうレベルで何かを好き嫌いすること自体は、個人の権利として認めないといけません。公人として、他人事として他人の問題を預かる人としては許されないということです。

「国を捨てる人出てくる」はむしろ逆 同性婚のため日本を離れた僕
この話は流れがおかしくて、あの発言は、そもそも同性愛者は日本にいるべきでない、いて欲しいとは思わないという文脈、そして同性愛の存在自体を拒絶する人が日本から出ていくようでは問題だという文脈でなされているわけで、正直個人的には同性婚を認めたからといって同性愛を嫌う人が日本から出ていくようなことは起きにくいと思いますが、Kan氏の例についていえば、居ていただかなくて結構ですからどうぞ移民して国籍も変更してくださいという例だと思います。もちろん、首相補佐官風情がそんなことを言う筋合いはないとも思いますが。
どんな国、どんな制度であればその国に住んでいたいと思うか、その国の国民であろうと思うかというのは本来個人の判断の問題で、また個人はそこで国を捨てることを引き留められないといけないほど唯一無二なものでも希少なものでもありません。個人的には国への愛着を捨て、都合の悪い国を捨てることこそ市民の資格とすら思います。その上で、多数が合意できる制度の中でまとまりを保つのが社団というものでしょう。実用上は、女性の社会進出を規制した結果女性が大量に流出する事態を招いたとかいうことになると問題ではあるでしょうが、同性婚規制はそこまでの問題ではありませんし、将来なるともあまり思えません。むしろ戸籍上の家族同姓制度の方が問題になる可能性が高いでしょう。個人的には公平性や家族という仕組みに基づく保護の観点から見て同性婚による家族の創出を認めるべきとは思いますが、それと、家族とは子を産み育てるために保護される仕組みだという考え方のどちらを取るかは、倫理的な優越はないと思います。もっとも後者の場合、では子供が生まれない夫婦や子供を育てられない夫婦は家族としての保護に値するかという問題は出てきます。

■2023年02月12日(日)  誰だこれ考えたの
DEVNAMES構造体
Windowsでプリンター選択のコモンダイアログが返してくるのがこれで、選択したプリンターを特定する文字列が三つ格納されています。構造体の先頭に各文字列の先頭を示すインデックスが三つあり、その後ろに文字列本体が続きます。まあ、例えばPASCAL形式の文字列などとしてよくあるタイプとは言えますし、任意長のメモリブロックを構造体へのポインタで指してヘッダとボディーとして使うというのもアセンブリ言語やC言語ではありふれた方法です。
しかし、この構造体はいささか変態的です。まず構造体の最後にボディを示すメンバーがありません。最後に配列がつくタイプの可変長構造体の場合、通常最後に可変長のボディにアクセスするためのメンバーを置き、文字列であればcharかwchar_tを設定で切り替えるのですが、そういうメンバーがないのです。まあ、構造体のメンバーが定義で書いたとおりに並んでいるとは限らないのですが、よほどの理由がない限り順番通りに並ぶものです。もちろんレジスタサイズやアラインメントサイズよりもサイズが小さい型の場合複数のメンバーをアラインメントサイズになるようにまとめるような最適化はあり得るのですが、防止したいなら末尾のメンバーのサイズをある程度以上の長さの配列にしておけば済むはずです。次に、ヘッダ部分にある文字列の先頭のインデックスが、構造体の先頭からの文字列オフセットになっています。バイトオフセットやレジスタワードオフセットならわかるのですが、文字数として数えた場合のオフセット、しかも構造体の先頭から数えるのです。おかげで、アクセスする場合に構造体を文字列にキャストしてオフセットを加える羽目になります。普通に文字列のメンバーを構造体の最後に置いてくれれば、そのメンバーにオフセットを加えるだけで済むし、コンパイラに文句も言われにくいはずなのですが。まあ、アセンブリ言語の場合、レジスタにメモリブロックの先頭アドレスを、オフセットレジスタに適切なオフセットをロードして文字をアドレス+オフセットから読み込む命令を発行すればいい(C言語の構造体メンバーを使ったアクセスだとメモリブロックのアドレスにメンバーのオフセットを加える必要がある)ので、そういう発想なのかもしれませんが、それだったら定義を共用体にするような方法だってあるはずです。

■2023年02月12日(日)  アフリカへ還せ
動物園のアフリカゾウ、20年後消滅? 「このままではいなくなる」
望ましいことでしょう。そもそも日本でアフリカゾウを飼育することが間違っていますし、100年前と違ってその必要ももはやありません。

■2023年02月12日(日)  自治会は基礎自治体になるか無くなるべき
自治会、都内で6年間に144減 「役員の負担重すぎる」相次ぐ解散
なくてすむ、「地域のコミュニティーづくりや防災・災害時の助け合い、行政機関への要望など多くの役割」を自治会という動員機構がなくても、地方自治体と個人が直接相対する形でこなせるようになったのであれば、それは望ましいことですし、自治会という組織がその役割を終えたということです。もちろんそれは地方自治体が住民にとって縁の遠いものになったのであっても同じ事で、日常的に個人の自立性が高まったのであれば全く問題ありません。むしろ非常時に個人の自立性を確保しつつ安全を確保する方向で考えるべきでしょうし、日常において必要とされないコミュニティーが非常時に役に立つとも思えません。また要望など出さなくても事足りる、あるいはより望ましい環境の地域に移動してしまえば済むというなら、それも望ましいことでしょう。縁に縛られることほどばかばかしいことはなかなかありません。
そもそも日本の自治会がautonomosなものではない以上、個人と制度に分解していくことは必然です。それがまずいと言うならまずは制度にするべきですし、自治会に相当する地縁的住民団体が制度的な基礎自治体になるなら、市町村は無用ということになります。

■2023年02月11日(土)  スマホはDXのキーではない
なんちゃってDXはまだ続くのか
「なお、現行のAcrobat Readerには、表示メニューのズームに「折り返し」という機能が用意されていて、開いたPDFの表示をリフローすることができるようなっている。ただ、これは元の文書の作り方次第でうまく機能することもあれば、まったく役にたたないこともある。前述の総務省による情報白書は、ePubファイルまで用意されているのに、元のエディトリアルデザインがそのことを想定していないために、何の役にもたたない悲惨さだ。」
これを嘆く気持ちはわかりますし、それは確かになんちゃってDXでしょう。とはいえ、小画面でのリフローを想定したレイアウトというのは未だ発達途上です。発達させる気がそもそもあるのかという批判はあって構わないと思いますし、そもそもB5を下回る画面などあってはならない、少なくともドキュメントビューアーとしては切り捨てて構わないとは思います。この視点から見て、スマホを前提にした表示というのもなんちゃってDXであり、スマホに十分なサイズと解像度の表示装置(それが本体と一体になった液晶なりであることは前提にしません: 例えばARグラスでもよいわけです)を持たせるのがガジェット批評側からの筋です。少なくとも例えば1991年以降の消費者物価変動の表をストレスなく見られることが、ドキュメントビューアーには求められます。とはいえ、図版を含めて表示環境が確定した時点でレイアウトを行う方法論は未発達であり、大画面を有効に使ったレイアウトすらないというのは問題ではあるでしょう。1984年のMacintoshを悪い意味でまねたWindows 8の画面デザインのように画面を1つのアプリが占有する想定は論外として、ユーザーが意図してウインドウを最大化したときにその面積を活かせないというのは、怠惰の誹りを免れないと思います。
もっとも、俳句を60インチワイドディスプレイに表示すればさぞかし間の抜けたことになるでしょうし、それは五言絶句でも変わりません。表現として固定レイアウトを採用した作品が固定レイアウトで表示されることは、あってしかるべきです。
また数式もそうで、行列のレイアウトが変わってしまったら困りますし、多項式ですら途中で折り返されると読みにくくなります。リフローの害悪というのは、現状無視できないのです。
現実として、なんちゃってが仕方がない部分は向こう200年くらいはなくなりません。既存の著作物、ことに20世紀になって激増した図版付きの著作物が固定レイアウトで作成されているからです。電子的な資料を作るもっとも簡易な方法がページを画像として取り込んでしまうというものであり、これに印刷を前提にしたページレイアウトデータからページのイメージを作るという方法論が継ぎます。このどちらも、リフローには全く向きません。図版の配置の方法論はそういった前提で発達してきたわけですから、図版付きの文書というのはパワポのスライドにはなってもリフローを前提にしたテキストデータにはならないのです。人工知能が古い - といってもたかが150年前 - 本を読んでキャラクターストリームと図版を一度切り離してリフロー用にレイアウトしなおすようになるのにはもう30年くらいはかかる気がしますし、できるようになったからと言って保管されている本を一瞬で処理できるわけでもありません。図版など全くなくても読める文章を書いている人が言うならともかく、図にしろ表にしろ引用するような本を書いている人が固定レイアウトを排斥するのは、筋が通らない気がします。

■2023年02月11日(土)  別に落下傘降下するわけじゃないんですがね
トルコへ医療チーム派遣、資機材は自衛隊機で運搬 日本政府が発表
「迅速で確実に届けるため」
小学校国語からやり直せ。日本語間違ってる。
それはさておき、自衛隊機と言ってもおそらく自衛隊が運用していてそのマークがついているというだけで、一般の自衛隊機のイメージの機材ではないと思います。というのも、そういう機材は航続距離が短く、おそらくトルコまでは飛べません。飛べそうな機材と言うと、B777-300ERつまりいわゆる政府専用機、KC-767空中給油機、KC-46空中給油機あたりで、これはつまり民間の貨物機と見た目はさほど変わりません。

ベッドや手術台、医療用資機材をトルコへ 政府専用機が被災地に出発
まあ、これなんでしょうね。

■2023年02月11日(土)  どうせ強要するようなものなので、フォローを万全にするのが本当はいいような気がする
卒業式のマスク「外すのが基本」 方針に不安の声「抵抗ある子も」
まあ、マスクを義務付けるくらいなら卒業式自体するべきではないですし、そもそも集まるのが怖いから卒業式には出ないという選択肢も含めて、個人の判断を優先させた方がいいとは思いますけど。もっとも学校現場にはそんなのは無理でしょうね。なんかもやもやした気持ちを抱えて、同調圧力と学校の規律の下で卒業式に出て、運が悪いと問題が出るということになると思います。ここで、卒業式というのは学校の教育内容において不可欠なものなのかという議論が率直にできることが望ましいと思いますが、それはほぼ確実に不可能でしょう。教育委員会や校長ならともかく、生徒にしろ先生にしろ、言い出したら袋叩きになると思います。
考え方としては、罹患を前提に、検査にしろ治療にしろ罹患時の生活上の不便にしろ万全を期しておくという解もあるとは思います。どうせ半年もすれば結果が出て終息するはずですし、青天井にしたところで規模は推測しやすいでしょう。まあ、そもそも十分なリソースがないのも確かなんですが。さすがの経済政策立案家も、机上の空論を除けば、現にないものをインスタントに作り出すわけにはいかないですからね。

■2023年02月10日(金)  もしかしてメディア=マスメディアと定義しているとすればそれは二十世紀的誤認でしょう
ネットは公共メディアになり得ない? NHKが進む道への危惧と意義
マスメディアという形に限れば、なりえません。
とはいえ、フィルターされた意見の垂れ流し拡散による世論形成が公共メディアの役割かというと、同意には抵抗を感じます。それこそグーグル先生独占の懸念を棚に上げておけば、個々人が自己の意見を表明できるインターネットはソースが権威に独占されたマスメディアよりはむしろ公共メディアになりえます。少なくとも19世紀の出版界程度には公共的であり得るでしょう。小金のある人が簡単に出版社を立てられた時代の方が、その時点で商業主義や権威主義の批判はあったにせよ、その後集中化により権威に独占され麻痺した公共よりはよほど公共らしかったはずですし、1970年代のネットコミュニケーションへの期待もそういうものでした。もちろんとりあえず最低10年は巻き戻さないとだめで、ブログあたりの長文コミュニケーションが主体でないと公共にはなりません。つまり2チャンネルあたりの短文投稿掲示板からブログのコメント文化とMIXIあたりの身内メッセージングを経てTwitterのような短文公開やFacebookのような井戸端コミュニケーション、LINEのような短文井戸端コミュニケーションあたりに至る軽量コンテンツ(画像や動画は重いですが製作は軽々しいので)の流れでは公共にはなりえません。リプライやコメントも含めてある程度の重みを持ったコンテンツと読み専でもよいので批判的な受け入れを旨とする需要者からなる言論空間が、言論における公共圏の基盤だと思います。またインターネットは所詮通信によって繋がったものでしかありませんので、言論における公共圏以外にはなりようがありません。仮になにがしか言論以外のつながりの基盤になりうるとしても、それは言論によって媒介されるものになります。ソ連や北朝鮮のスパイがたばかれる程度の身元確認で個人的な関係性に基づく親密圏、信頼の繋がりをネット上で構築するなどと標榜したところで公共性はないのです。

■2023年02月10日(金)  普段の主張通り難局を信念を持ってハードワークで乗り越えましょうね
TwitterのAPI呼び出し回数エラー、原因は「従業員が誤ってデータ削除」との報道
とにかくメタボリックシンドロームを解消するためのダイエットの最中なので、不調も出ようというものです。本来あってはならないことだとは思いますが、大手金融事業者や大手通信事業者や大手市場運営会社ですらやることなので、Twitter社のような組織がまともにできていない会社のリストラ中にはあって不思議はありません。「「考古学者のようにコードを掘り下げ」状況を把握するところから始めなければならない」というのはそういうことで、そんなことにならないようにしておくのがまともな組織なのです。それを怠って量的な拡大ばかりしてきたツケを払っている状況ですので、再建が成功裏に完了すればロバストになるはずではあります。もちろん、ユーザーの皆さんには退避準備と別のプラットフォームへの移行をお勧めしますけど。
正直再生完了後のTwitterにはイーロン・マスク以外の社員は不要なはずですので、首切りは状況を前倒しにしているだけではあります。何が専門のエンジニアか知りませんが、間の抜けたリサーチの結果を素直に話して解雇された間抜けは自業自得として、そもそもなんで自分のフォロワーが減っているのを心配してアドバイザーはともかくエンジニアを招集するのやら、むしろ問題はそこでしょう。どうも色々うまくいかないので不安になっているのではないでしょうか。そんな軟弱なことではよろしくないと思いますし、Twitterに必要なのは再生を完了させる確固たる意志と技量とビジョンと財力で、春の段階はともかくもはや経営者の人気ではありませんので、フォロワーが減ることよりも金主の不安を招くことを心配するべきです。まさかフォロワーが何百万人いるからイーロン・マスクで大丈夫などと思う金主はいないと思うのですが。

■2023年02月10日(金)  もちろん国が科学技術政策など一切しないのが望ましいとは思います
研究者の有期雇用をやめてみたら 政府が立案しない「科学技術立国」
もちろんこれはありなのですが、その場合、政策実施の委託費はともかく、運営費交付金を含めて補助金は全くなしにせざるを得ないでしょう(人件費の管理ができなくなるわけですから当然です)。産総研のような仕事のある所はまだしも、理研など潰れかねないと思いますが、それでいいんでしょうかね?
もちろん国が口を出すのは止めた方がいいと思いますが、国という仕組みを経由した資金調達が科学技術の研究開発の投資の相当部分を担っている以上、研究者の意識も含めてそれを変えてしまわないと、立国以前にぺんぺん草が生えるような気がします。もちろん理想的には営利企業を含めた研究機関のそれぞれが身の丈に合った資金調達と研究開発を自律的に行うようにするべきで、既得権を無暗に発達させるわりに変に効率性の概念を取り込まざるを得ない公的資金とやらはもはや害悪だろうとは思いますが、将来的な私的研究コンツェルン成立の懸念も含めて、どうなったらまずいか、その時どうするかはちゃんと考えておいた方がいいと思います。

■2023年02月10日(金)  高専でデータの持ち歩き禁止というのはなかなかきついような
東京都の高専でUSBメモリ紛失 再発防止策は「USBメモリ全面禁止」
USBメモリ全面禁止は当たり前と言えば当たり前なんですが、代替する環境を整備するのは結構大変そうです。
リムーバブルメディアのようなカジュアルなデータ持ち歩き(汎用のクラウドストレージなどもこの類です)は大変便利ですし、必要ができたときに融通がきくので、それこそカジュアルに運用されがちです。とはいえ、物理媒体なら無くす、それに限らず覗かれる、丸見えになるといった問題が起きがちで、そもそも相手を制約するといった余計なことを考えなくても使える(考えないといけないような手段の場合面倒なので使わないしそもそも融通がきかない)のでセキュリティー上は極めて危険です。基本的には管理し制限することがセキュリティー対策なので、オーバーヘッドコストが高いのです。もちろん僅かでもカジュアルな持ち歩きを許すと、本来そうやって持ち歩いてはいけないデータが「その場で必要だから」とそちらに流れ込むことになります。管理すべきデータは管理できるところでしか扱わないというのが定石なのですが、データを扱う意欲自体を無くしてしまうほどしっかりした保護を講じた場合を除き、これ、あのデータを使えばできるよなというカジュアルな目的外利用を阻止することは困難です。
その意味では、「氏名、学生番号、成績、テスト答案の写し」などという情報をルーズに管理していた、そんなものが持ち込んだUSBメモリにコピーできるような取り扱いをしていたことの方が問題で、USBメモリ禁止というのは手段としてはありにせよ、恒久的な対応策としてはおかしい気がします。まあ、どのみち何か新しいデータを収集する(という意識もなくどこかに溜め込んでしまう)たびにそのデータをどのように扱うかについて煩雑な手続を回す、見逃しがないか定期的に検査をすることになるので、きわめて働きにくく勉強もしにくい、データの流通を阻害する制度になりはすると思いますし、それならUSBメモリが禁止されていても煩雑さにたいして変わりはないという話はあるでしょうね。
高専というのは技術の教育と修得、研究開発の場なので、データの持ち歩きに規制がかかることは本来望ましくなく、せめてキャンパスの外に持ち出さない範囲でカジュアルに流通させた方がよい気はするのですが。

■2023年02月10日(金)  出版では手数料は9割じゃなかったっけ?
アプリ300円割高に?アップル・グーグルの寡占、提言で風穴空くか
これを言うなら出版業界の手数料90パーセントを何とかするのが先じゃないんですかね。印税が普通に80パーセントだというならともかく、10パーセントが高い方なわけですから、30パーセントの手数料など可愛いものでしょう。また裏ワザと言いますが、そもそもその値段はアプリストアで配布されるアプリに紐ついている価格であり、ブラウザで視聴するならともかくアプリを使うのであれば一物二価と言うのすら憚られます。おそらく提言みたいな筋で風穴を開けると困るのは開発者ではなくユーザーだと思いますので、余計な提灯は持たない方がいいと思いますがね。
まあ、印税の方はそれこそKindleストアで公開すれば印税が70パーセント程度になるわけですので、競争が働いていると言えなくもありません。

■2023年02月10日(金)  外注してたかられてりゃ世話ないな
パソナの委託先が3自治体に10億円の過大請求 ワクチン受付業務で
良いことだとは全く思えませんが、その前に、買い叩いたりしてないでしょうね?役所は、この値段でできるわけがないだろうがという入札予定価格を安易に設定してきたり、そもそも規模の設定を間違っていたりするので、10億円程度だと実は実際に投入した規模に相応の金額という可能性もあります。
孫請けの体制を確認していないというのはポカにしろどうにもやりそうな話ではあるので、そもそも外注する方が悪い気がします。

■2023年02月10日(金)  やはり東京通信工業だけではなかったか
X線装置の故障装うタイマー設置、営業所長ら7人関与か 島津製作所
島津タイマーですか。まあ、日本の伝統芸ではありますね。
やりたくなる気持ちはわかります。故障もせず無事に動いていたら、保守料金を取るのにも新機種を売り込むのにも困りますもんね。とはいえ定期的に故障するようだと製品の評判自体が落ちかねませんので、あまりに近視眼的な行為は慎んだ方がいいかと思います。

■2023年02月10日(金)  マイナカードよりも一台5万円のAI医療ロボットの方が医療の質の向上には効果的な気がする
マイナカードないと「医療の質の向上の遅れに」河野太郎デジタル相
馬脚を現したというか、マイナカードに記録されるような情報に医療の質を向上させる効果はありません。つまりは河野太郎氏は官僚の説明を理解し批判するだけの理解力がないということです。
もちろんマイナンバーカードを活用する方法はないでもありません。しかしそれは、マイナンバーカードというよりはマイナンバーによって個人を特定して様々な情報を取得できるという話になります。電子カルテと組み合わせれば、他の医師の作成したカルテをオンラインで取り寄せることも技術的には可能になるわけです。これはカードの機能では全くなく、例えば現行の保険証とマイナンバーを証明する書類を組み合わせても可能なことです。とはいえたかが町医者にマイナンバーを報せて個人情報として管理させるのかという話もあって、医療の質というよりは医療の効率性の向上などどうでもいいからプライバシーという判断もあってよいとは思います。
もちろん医療を受けるのもその際に健康保険を使うのも義務ではないので、信頼できる医師を個人的に雇い入れ、医療設備も準備して、貧乏くさい公的医療とやらの世話にはならないという発想もありではあって、そういうものと、とにかく公的機関や医療関係者に個人情報を握られ無造作に扱われる貧乏くさい社会共有の公的医療を対立させて、貧乏人のための医療はとにかく何がなくても効率的にし、そのためには患者のストリップも辞さないというのは、そう言えるものならありではあります。というか、公的医療を前提にした権威主義的言説があまりにも正面に出てきているので、健康診断も含めて社会的医療とは関わりたくなくなってくるのですけど。

■2023年02月09日(木)  ハラスメントをしたら役務は提供しないとはまた独善的な
迷惑行為あればサービス提供なし freeeが“カスハラ”対応方針策定
まあ、freeeが代替可能なワンノブゼムである限りはこれでいいわけです。任意の合意に基づく契約であり、気に入らなければ他のサービスを使えば済むだけのことです。
とはいえインフラ系サービス業がこれをすることはいささか自己否定の感を持ちます。インフラは、使用料を徴収する=応じられない者の使用を拒否することすら憚られるまでに、全員に開かれていることにその価値があるものです。少なくとも勝手に対応方針を策定するような行為は、そのような価値を高める方向と矛盾するでしょう。またインフラはインフラであるがゆえにアクセスを排除する行為はまず不公正な取引慣行、取引関係における優越的地位の行使と断定されなければなりません。公開された慎重な手続を経た正当性の立証のみがそのような断定を回避する可能性を与えるものでしょう。
もちろん適正な措置は、カスタマーサービスの機械化のみです。人間に対する行為だからハラスメントになるので、顧客が機械に口でどれだけ当たり散らそうが、たいした問題はないわけです。

■2023年02月09日(木)  悪意じゃないんだろうけど間は抜けてるよな
女子は赤、男子は黒→キャメルに統一 無償配布のランドセルに変化
余計なことを考えずに済むように仕様を統一するというのは悪いことだとは思いませんが、キャメルって、少なくとも赤よりはカーキ色に近いと思うのですが、軍用背嚢に先祖返りでしょうか?
なんというか、もうここまで来たら市内の小学校については通学鞄も含めて被服を統一して支給する方がいい気がします。消耗したら学校に返却して再支給の申請書を出す、卒業や転校するときにはクリーニングして返却するというのも社会勉強でしょうし(勤めるとそういう手続はありますから)。それこそ朝になるとみんな同じ格好で登校するわけです。平等で統一感があっていいとは思いませんか?個人的には思いませんが。

■2023年02月09日(木)  経営者の報酬を減らしたところで誰も浮かばれない気がする
Zoom、従業員約1300人を解雇
「同氏は解雇の責任を取るとして、次の会計年度における自身の給与を98%、エグゼクティブリーダーシップチームの給与を20%削減する」
誰に対しての責任を取ると称してこういう処分を行うのでしょうか。もちろん解雇された人ではないわけです。解雇された人が対象なら、経営者の給与を減らすのではなく、経営者の自己資産から雇用を継続していた場合の20年分以上の期待給与額を払うとでもするのが筋でしょう。たかが給与一年分を会社に返上されたところで、溜飲など下がりません。では会社でしょうか。確かに会社の評判を下げることになりかねませんので、失策の責任を取って報酬返上というのはありかもしれません。あるいは解雇に伴う経費の損失もあるかもしれません。とはいえ、それは報酬一年分が相当なのでしょうか。例えば影響が5年間売り上げ一割減程度と見込まれたとして、さすがに会社の年間売り上げの半分を報酬としてもらうような経営者は、よほど小さな会社でもなければいないでしょう。他にもいろいろと可能性はありますが、正直合理的と思えるのは、責任を取るのではなく自戒の為にやっているか、ただのポーズというものでしょう。一年分の報酬を返上すると言えば、なんとなく反省していそうなイメージにはなります。実は単純に解釈すれば適正な事業規模を見積もれない無能ゆえに会社に損害を発生させ解雇された従業員に迷惑をかけているわけで、そもそも経営者としてふさわしくない、解任の上直近の在任期間中の報酬を全額返却、さらに実際に発生した損害について会社に賠償するのが株主から見て適切な事例と思えるのですが、とりあえず反省したっぽく装っておけばそれは避けられそうです。というか、解雇反対の争議で会社の業務が止まったとでも言うならともかく、たかが人員削減程度で経営者の責任を問う株主はそうそういません。まあ、解雇に対抗する賠償訴訟を担当する裁判官や陪審員なら考慮はしてくれるかもしれませんが、どこまで説得力があるものか疑問です。
正直「解雇の責任を取って報酬返上」という言い分自体が馬鹿っぽいので、もう少しやり方を考えた方がいいと思います。

■2023年02月09日(木)  紛らわしい用語は止めて欲しい
インクカートリッジ MUG-4CL の基本情報
「仕様: マグカップ 4色パック」
通販サイトでいきなりエプソンのマグカップというのが出てきてびっくりしたわけですが。ノベルティにしても、マグカップが四色入ってというのはあまり見かけないと思います。とはいえプリンタ屋さんですし、通常の四色セットのパックに合わせて四色のマグカップというのはないとも言えません。
確かめてみたところ、普通に大容量のインクカートリッジをマグカップと呼んでいるだけのようです。まあ、間違っているとまでは言いません。しかし、インクジェットプリンタのインクカートリッジなんてどう早く見ても1980年よりは遡りません。その時点でマグカップという言葉は普通に飲み物を入れる容器に使われています。もちろんノベルティーとしてマグカップを提供する例もあったのです。それを、迂闊なんだか洒落なんだか知りませんが、用途の異なる製品名に使用するというのは、商標とか名前というものを馬鹿にしているとしか思えません。
まあ、黒、黄色、マゼンタ、シアンの四色のマグカップは面白そうだと期待しただけではあるのですが、残念さのあまりエプソン製品を買う気にならなくなることもあり得ます。どのみちだいたいにおいてキャノン製品の方が良くできていて、値段でどっちにするかという話になりがちですし、その値段にしてもエプソンより安い製品はたまにありますから、好事家を不愉快にさせるような迂闊なことはしない方がよい気がします。
ついでに言えば、こういう言葉のセンス(というかそれを本当に使ってしまう悪ノリに近いセンス)はバイトテロや回転ずしテロの実行犯と近いように思うのですが、大丈夫でしょうか。株式会社として物を売るというのは遊びでは済みませんので、個人が小遣い稼ぎでするのと同じ感覚で物事を進めない方がいいと思います。特に責任を直接に負わないところから提案が出てきた場合は、安全重視で判断するべきと思います。

■2023年02月09日(木)  自分で企画してお金を持っている人を説得してください
文化庁メディア芸術祭、25年たどる企画展 「終了するのは悔しい」
「自分たちで、文化とは何かというのを積極的に考えなければいけない」
これが民営化とか民間活力の活用というものでしょう。訳の分からないことを税金でやって納税者の反感を買うのでは、そもそもジャンルや業種が衰退しかねません。あくまでも個人たる有識者であったパトロンならともかく、国家にセンスなど期待はできません。金さえ引っ張ってくれば自由にできるというのが資本主義経済のほぼ唯一のメリット(さすがにもう効率性をメリットに挙げるのは頭が悪すぎ)なので、前向きに考えて欲しいと思います。

■2023年02月09日(木)  継続も成長も義務ではない
脱・新幹線依存へ、JR東海グループに指針 「10年で利益倍増」
「新幹線依存では成長できない」 JR東海が社内文書で示す危機感
続けられないなら会社を畳めばいいでしょうに。他に言いようがありません。
適切に資産を減価し組織をスリム化すれば、広域鉄道輸送というのは基本的に需要はあるのですから、事業の継続は可能です。まずはどうすれば2021-2022年の状況で新幹線を含む鉄道事業をその収入のみで維持できるか、どこが景況変動のリスクを負担するべきかを明確にし、線路などの潰れると再建が難しい部分と列車のような造り直せば済む部分とを分けるべきです。その上で、運行は株式会社でよいでしょうが、線路の方は確実に維持費を徴収できる事業形態に変えるべきでしょう。生活事業だの利益十倍だのを考えるのはその後です。

■2023年02月09日(木)  黒歴史かなあ
ミラノメンズ2023秋冬 鈴木正文がみた「男らしさの概念」の変化
恒例のファッションショーというのはひょっとして学校の定期試験か何かでしょうか。どうにも間が抜けていて、デザイナーのセンスのなさばかりが目立ち、やらない方がましに見えたのですが。もちろん試行錯誤というのはあってよいわけですが、出さないといけないから無理矢理仕上げたことにして出している感があります。ヒギンズ教授の仮装がアナクロニズムだというのはまあ良いとして、ヘンリー八世の仮装でもしている方がましに見える服装をファッションだと言い張る感覚は肯定できません。日本じゃあるまいし、自主的に留年する方がましではないでしょうか。
まあ、なんか悩んでるのはわかる気がするんですけどね。

■2023年02月08日(水)  カメラ部門を分社して株式会社エオスにでもすれば?
さらば「EOS Kiss」 登場から30年でブランド終息へ 後継モデル「R50」登場
EOSは残りますか。まあ、ブランドなんて名前の問題でしかありませんが、1987年からずっとEOSブランドを使っていて、当然ながら現行機種はEOS650とは全く違ったものになっています。レンズのマウント規格も複数あり、運用上は他社製と言ってもいいくらいです。

■2023年02月08日(水)  そもそも誰が確認書を発行するんでしょうか
マイナ保険証持たない人に資格確認書を発行へ 有料案が浮上、反発も
この際なので健康保険を全部国民健康保険に統合して、市町村が地域の事業所から従業員一人頭で任意額の人頭税を取れるようにしませんか?それならマイナカードが保険証でもおかしくないと思うのですが。
そもそも保険証というのは保険の加入者資格を証明する書類で、保険者が発行するものでしょう。そこにこういうことが書かれていないといけないと決めるのは筋が通っていますが、その資格証がこの書類でないといけないと決めるのはおかしいと思います。被用者保険であれば、使用者たる保険加入者が適切な従業員証を発行してそれが保険証だと言ったって、それでもいいはずなのです。もちろん公務員共済がマイナカードを保険証として使うことは勝手だと思いますし、それは法律で決められると思いますけど、本来民間の非営利法人である健康保険組合や国民健康保険組合が何を資格証にするかを、国ごときにどうこう言われる筋合いはないでしょう。
国が用途を広げる施策をするのであれば、それはまずもって国の業務における身分証明書としてであるのが自然です。何か以前、公務員にやたらと業務ごとに身分証があって、それをまとめたら効率が云々という話があったと思いますが、それこそ国会議員の資格証明から何から、全部マイナカードにする、資格はマイナカードを絡めて証明するというなら、筋は通っています。警察官や消防官の身分証も個人のマイナカードを使うわけです。なんなら自衛隊の車両や飛行機に搭乗する場合の認証に使ってもいいでしょう。外から戦車のハッチを開ける場合登録済みの搭乗員が自分のマイナカードで認証しないといけないとか、哨戒機のブースに入ってマイナカードを当てると操作できるようになるとかです。もちろんどこかにマイナカードを落としてくると、内閣総理大臣と言えども総理大臣官邸にも国会議事堂にも入れなくなります。パスポートと共用になるのも望ましいわけですが、さすがに外国では読み取れないでしょうし、難しいでしょうね。できると、例えばパスポートコントロールでの「Japanese Nationals」と「Foreign People」が「Mynumber-card holders」と「Others」に変わり、カードを持っている人は自動機械で手続ができるようになったりします。

■2023年02月08日(水)  結婚した、結婚している人全般について、隣に住んでいるのもちょっと嫌と言ったら差別かなあ?
欧米で広がる同性婚、進まない日本 識者は「人権保障は国の義務」
正直結婚は人権ではない気がするのですが。もちろん異性婚ならよくて同性婚はだめなどという話はなくて、むしろ結婚という制度自体を解体することこそが人権を保障する道ではないでしょうか。

■2023年02月08日(水)  やっとか
三菱重工、国産ジェット機の開発中止を発表 「事業性が見通せない」
三菱の国産ジェット、「知見足りず」に撤退 1兆円の投資も実らず
まあ、目出度いというか、正直無駄なことやってるなとは思っていたわけですが。ただ、たかが一兆円なんですよね。作れてるところはもっと注ぎ込んでるわけですから、中型以上の民間機はまともにやったことがない、経験は小型軍用機程度というチームなら最初はもっとかかるでしょう。
とはいえあれでしょうか。これで三菱はガスタービン/ジェットエンジン関連事業から全面撤退でしょうか。それとも船舶や発電だけは残すのでしょうか。発電はまだしも、船舶も日本は弱含みだと思うのですが。ディーゼルのようなレシプロ―カルはともかく、タービンはまだしばらく使い出があると思うので、そこは頑張って欲しい気がします。それこそガソリンスタンドにガスタービン発電機を設置して電気自動車の充電ステーションにするとか、できませんかね?

■2023年02月06日(月)  売れないなら仕入れなければいいでしょうが
「国産アサリでなければ売れず…」熊本産と偽装し28億円売り上げか
いや、ここは逆切れするところですよね?韓国産の方がよほど品質がいいのに、宣伝やおかしな商習慣のせいで国産と偽装して売ることを強いられた、自分は悪くない!というのでなければ筋が通りません。売れないものを売ろうとする方が商売としてはおかしいわけで、そんなものを仕入れ続ける方が商人としてはあほです。それが正当化されるのは本来売れてしかるべきものが売れていないと考えた場合だけであり、検挙の根拠となった例以外にも繰り返し行っていたと見える以上この事例と考えるほかありません。それでも、韓国産の優位を公に主張するのではなく産地の偽装という安易な手法で売りさばいたことは問題ではあるわけですが。

■2023年02月06日(月)  調べるというのは問題の存在を認めること
同性婚の法制化を求める団体、首相宛てに要請書を提出
国勢調査というのは確かに良い視点だと思います。さほど問題のない形で分析で対応できそうな気がしますし、問題があると示す意味はちゃんとあります。
ただまあ、団体名はちょっと関わりたくなくて、「No Marriage in Japan―結婚の不自由からすべての人を」ならいいんですけどね。

■2023年02月06日(月)  2000円のラーメンなんてそう売れるとも思えない
「安すぎる」日本のラーメン 上がらない賃金「国の将来が心配」
こういう話は極めてばかばかしいわけで、そもそも社会的にこういうものはこの程度の値段という値ごろ感があって、そのなかでコストを決めて提供しているのですから、安すぎるなどということはないわけです。むしろ値段が上がってしまえばラーメンにそんなに払えるかという話になるでしょう。2000円も払ってラーメンなど食べたいかということです。もちろん食べたいという人はいていいですし、そういう人にラーメンを提供する人だっていていいでしょうが、ボリュームゾーンは決してそうは思わないでしょう。個人的には家系とかでも値段相応の価値があるとは思えません。安易に賃金水準に結びつけたり国の将来に結びつけたりするべき事柄ではないのです。それは、例えば新聞に一部1000円を払う人が今のところいないというのと同じことと思います。今新聞というのは一部購入で200円しないわけですが、おそらく広告なしで売れば1000円にはなるでしょう。でも一部1000円、一か月三万円払って新聞を購読するという人はいないでしょう。実は例えば喫茶店に新聞があるというのは本来そういうことで、個人ではとても買えないような出版物を置いているというのが売りだった - 例えば19世紀にイギリスのパブやクラブ、同じ時期の日本のミルクホールで新聞を読むというのはそういうことだった - はずなのですが、生活水準の向上によって形骸化して今に至っています。
もちろん例えば記事にあるアメリカの外食サービスというのはピンキリで、品質も値段も様々です。この品質がこの値段でと驚く(例えば個人的にはサンディエゴの大学キャンパスで提供されていた10ドルのブレックファストはホテルの25ドルのブレックファストに匹敵するものだったと思います)ようなものがありもすれば、これはぼったくってるんじゃないのというもの(例えばサンフランシスコでホテルの近所にあったパスタ屋のスパゲッティー10ドルやサンフランシスコのピアで売られていたクラムチャウダー1カップ5ドル)もあります。それこそ100ドルのハンバーガーやホットドッグだってあっていいし、それを売るのも買うのも自由だというのが常識です。そこは懐が深いと言うべきでしょう。一方でパリでバタール1本に1.5ユーロ付けたら客はよほどの理由がないと買わないということだってあります。ちなみに近所の店ではちゃんとしたのが1本400円で、日本では何の不思議もないのですが。おそらくパリでも、拘り抜いて1本5ユーロのバタールをその値段を受け入れる人に売る店もあるのだろうと思いますが、そういうのは一般的ではないわけです。ネームバリューも常連も持たない人がバタールを売るにはまず1本1ユーロでちゃんとした評判を勝ち取らないといけないというのがパリの常識でしょう。それはそれで、おかしくはないのです。
とはいえそれが仕入れを買い叩いたり最低賃金に達しない雇用(店主の上りはこの場合別問題)によって支えられていたりしたら問題です。例えば最低賃金が時間当たり5000円になったとして、店主がそれを値切ることは許されません。あるいは仕入れにおいてチェーン店の購買部門が供給側の値上げの主張を認めないことも問題でありえます。店側にできるのは、基本的には提供価格を上げるか調達を止めるかです(もちろん別解もありえなくはありません: それを考えることも商売の一部です)。賃金水準とはそういう形で結びつくのであって、こんなうまいラーメンがなどという馬鹿な話はないのです。

■2023年02月04日(土)  最近はごまめの歯ぎしりで会社が潰れかねないけど
ロシアの「ウソとへりくつ」には嘲笑と連帯で くだらない投稿の真意
嘲笑と連帯自体を否定する気はありませんが、正直全体主義シンパの風刺芸人の連帯に見えます。あるいは親ウクライナのコンピュータークラッカー集団の同類でしょうか。あくまでも国家や公職者の公式アカウントに対する攻撃(口撃)に留まるのであれば問題は少ないかもしれませんが、やっていることはそれこそ今人権侵害と問題になっている嫌がらせそのものです。道化ているだけならともかく、回転寿司屋で醤油の瓶の注ぎ口を舐めかねないように見えすらします。

■2023年02月04日(土)  まあ、どれも空間には違いないですね
愛の空間、井上章一(A)
ラブホテル進化論、金益見(B)

少々理由があってラブホテル業界の概況を調べたわけですが、このお二方、Aの著者にBの著者が胸を借りている関係です。どうもBの卒論の時には単位が出て良かったねなどと言われる状況だったようです。まあ、修論まではよくあることです。
後から見ているとはいえ、両方とも視点には斬新さは感じられません。性というのは庶民文化、サブカルチャーとして遅くとも20世紀の初めから文化研究や社会調査の対象になってきた分野であり、様々な視点からの研究が詰み上がっています。それでもバイアスがかかりやすい分野なので本を書き継いでいく意義は常にあります。掘り下げが浅いのも共通しています。特に空間を問題にしていながら空間論よりも風俗論になってしまっている点は残念で、さすがにこれで1500円と言われたら資料として何とか我慢するかというレベルです(まあ、今回は資料なんでいいわけですが)。一方で書き飛ばした本ではないだけに調査の積み上げにはなかなか見るべきものがあります。井上氏の必ずしも検索性の良くない(テキストなんだから出版サイドには何とかしてほしいものです)文学作品に当たった調査にしろ、金氏の根気と運に恵まれたフィールドワークにしろ、元が取れているのか不安になります。調査業名目の年金生活者や学生にはむしろ期待してしまうことですが、やはり大事な基盤ですので、誰かはやっていくことが望ましいです。
Aは、最初の印象が週刊誌のコラムのような連載記事をそのまま本にしたというものでした。読んでいけば一応流れは辿れるのですが、章の間の脈絡がはっきりしませんし、著者自身が書いている通り調査にも辿り切れていない部分があります。とはいえ調査の問題は、日頃一定の領域の作品を読み漁っている文学研究者ならまだしも、門外漢が横断的な調査をすると非常に手間がかかるというのは理解できます。こういうときこそ電子計算機で全文検索をしたくなりますし、実際大宅文庫資料ではそういうことをしたと思しいですが、文学作品についてはそういう楽ができないわけですね。出版社は資料とか対象として文学作品を出版しているわけではないので、むしろ変な使い方をしてくれるなと言いたいのではないかと思っていますが、万物は対象であることを少しは考慮して欲しいものです。著作権が切れないと調査が不便なのでは迷惑もいいところです。脈絡が見えにくいのも、結構意図的なのだろうとは思えました。時系列なりトピックごとなりで整えてしまうのはおそらく簡単ですが、それは違うと考えたのでしょう。
Bは、前半を読んだ感想は調査の点でよくできた卒論というものでした。とにかく初々しいイメージを押し出しています。これが主著になってしまったら問題ですが、デビュー作ならありではあるでしょう。もちろん編集者としてそういう売り方をする意図もあると思います。帯がそうですし。一方後半はそれなりにまともに書けた週刊誌の文化記事という風情です。インタビューも含めて結構面白い問題提起があるのに掘り下げられていないところは残念ですが、後著に期待するべきことでしょう。調査費で赤字になりさえしなければ雑誌のライターとしては食っていけるレベルだと思います。特に感心したのは、ラブホテルとは二人でいる空間であるという観点です。これはインタビューから出てきている視点ですが、その場所から色々整理ができそうな視点で、実践的な、つまり施設のデザインの軸としてだけでなく、様々な「営み」(性行為はその一部)を切る視点でありうるかもしれないと思います。ちなみにこういうことを述べていた取材対象者のデザインのアイデアを見て、カリフォルニア州のラホヤで泊まったホテルを思い出しました。なお、書題、「ラブホテル進化論」にはいささか違和感があって、進化という場合発生史的な一方向性を想定することが多いのですが、例えば本書のテーマをラブホテルとシティーホテルの収斂進化という視線で見てしまうとおかしい気がします。確かにラブホテルなり、あるいは一世代かそこら遡って連れ込み宿なりとして始まった時点では、それはシティーホテルとは別のものであったわけですが、発生史的に木賃宿まで遡ってしまうと寄留者の宿泊施設と括るしかなくなってしまいますし(様態の違いは発生史的なものというよりは共時的スペクトルでしょう)、さらに遡れば家との差も消失していきます。少なくとも長屋と宿の差は相当小さいでしょうし、宿駅と言っても公務旅行者ならともかく一般の旅行者、例えば広域行商人などが泊まれたとは限りません。むしろそうした行商人の泊まり先(宿泊施設として運営されている場合もあるがむしろ裕福な人が空き間を提供した)が民間宿泊施設になっていくわけですし、軍隊の行動などの大規模な移動では民家が宿泊施設として徴用されることは普通にあったわけです。その意味では、宿泊施設が発生においてそうであった恒久的所有に基づかず比較的短い時間(金銭を払って)占有する空間という括りからの分化を経てそこに収斂していく過程として、事情や動機、ずれの方向を分析することが妥当に思えます。また長期滞在を考えれば、長屋やいわゆるアパート、賃貸オフィスビルのような賃貸物件だけでなく、分譲マンションまで視程に収めることも可能でしょう。その意味では進化というよりは揺れ動きと解釈するべきではないかと思います。とはいえ、運営者の視点からは進化と見えるだろうことも理解はできます。
家と宿というのは別であるというのが今の常識ですが、やはりそれは一面的な見方なのだろうと思わせられます。まあ、用事があって出かけたときに寝る場所と一時的な作業空間という以上の認識がない宿ですが、いること自体がアトラクションであってもいいわけです。その点では妓楼にしろ(なにしろ粋な客は布団を敷かないという習俗もあったそうですから)ラブホテルにしろ消費としては即物的に愛を交わすことばかり念頭に置くのは不適切でありうるということ、そして分類というのが常に恣意的なものでしかないことを、どちらも知ることができる本ではあります。例えばいわゆる性行為における心理的な側面を含めて、性行為に即物的に結びついた発想では切れない、どちらが連れ込むにしろ(A)連れ込み宿止まり(B)、マーケティングを誤りもすれば全体像も捉えきれないわけです。総称としてのラブホテル(=男女が愛を交わす場所)とシティーホテルの2人部屋や旅館の部屋や野外や単身者・夫婦向け住宅を並べて(もっとも基本的な衛生面では現代の有料宿泊施設を野外や住宅と一緒にしては失礼ですが)場として比較できる、あるいは選択の基準が施設としてのそれを排他的に選ぶのではなく(それこそ「カモフラージュ」でもなく)嗜好に基づいて任意にその一つを選択しうる、それこそ気分転換やパジャマパーティーの場としても選択しうるというのは、ラブホテルという言葉に見られるような目的別に機能を提供する発想の限界を示すものだろうと思います。

■2023年02月04日(土)  オフラインでないと咀嚼すべき情報に出会えないというのはネットをちゃんと使えていないのでは?
ネット空間に疲れた私 オフラインで出会った「咀嚼を待つ情報」
むしろ咀嚼を待つ情報こそオンラインになるべきではあります。いわゆる「ネット空間」の状況はともかくとして、インターネットが情報レベルの調査つまり現物に当たる必要のない調査の利便性を促進するための仕組みであることは論を待たないでしょう。咀嚼せずにかいつまんで丸呑みして吐き出す傾向はインターネットの本質とは何の関係もない世の風潮でしかありません。もちろん咀嚼するには現物に触れる必要がある、バーチャルでは済まない調査というのはあるわけですが、その結果を情報としてフィードバックすることも含めて、調査の敷居を極力下げる、そうやってフィージビリティ―スタディーレベルの調査を低コストにすることで掘り下げの見通しをしやすくするとかその結果掘り下げたときにどんな結果を期待できるかが明確になるとかいうのが本来のインターネットの効用です。不見識な「ネット民」の行動とインターネットの効用を一緒にしないで欲しいものです。
もっともとにかく掘ってみないと感得できないものというのは厳然としてあるわけで、調査屋さんにはネットでお手軽にアンケートなど取っていないで、しっかり一次情報に当たって欲しくはあります。「ネットには膨大な情報がある。」とは言いますが全く不十分であり、目立つのはそれこそこんにゃくのような空疎な満腹感ばかり与えてくるSNSのような浅い情報ばかりです。それを深く掘り下げるには結局SNSに現れてこない情報を援用するしかありません。時期的に並行するデータベースに当たることもそうですし、インタビューもその一類でしょう。それこそGoogle Japanにでも取材に行けば、まだネットに現れていない情報がどれだけあるか、Googleがそれをネットに取り込むために何をしているかといった話を聞くこともできるはずです。そしてその話を鵜呑みにせず適切な評価をするには、自分で咀嚼してみるしかありません。

■2023年02月04日(土)  まあ、やった犯罪は問題ですが
16年間逃亡のマフィア、偽名でレストラン経営 「夢をかなえた」
なんというか、最初から料理人をやってればよかった気がしますが、いろいろ理由はありそうです。スタートラインにつくのだって結構大変そうですし。

■2023年02月04日(土)  そもそもなんで踊らないといけないんだか
広場で婚約者と踊っただけなのに…イランのカップル、禁錮10年超に
禁固10年の量刑はともかくとして、踊った「だけ」はないと思います。文化的にも、踊るというのは性的放埓を象徴する行動です。それが規制されるべきかどうかはともかく、規制がある、文化的にそのような伝統がごく身近にあるのに実行して検挙されて踊って何が悪いのかは通じません。日本の暴走族同様の反社会的行動と言えます。この場合男女双方が検挙されているわけで、女性のみ貞操や性的慎みを要求されているわけでもありません。おそらくイランでは夫婦が公開の場で物理的にいちゃついても問題になると思いますし、せいぜいちゃんとした格好をして仲良く歩く程度に留めておくべきでしょう。「情感の自然な発露」などというものが一般に受け入れられてしかるべきだなどという偏見を持つべきではありません。
個人的にはダンスの存在意義自体疑問です。村祭りの他にやることがなかった時代の遺風でしかないでしょう。動作や表現の技量には感嘆するにせよ、所詮技芸でしかありません。なくても死にはしないし代わるものはいくらでもあり、なくなったところで誰も困りはしないのです。

■2023年02月03日(金)  駅自体がなくならないだけましでは?
築百年の駅舎がバス停同然に JR四国進める駅の簡素化 反対運動も
「町の玄関口が寂れたら、町のにぎわいがなくなる」
この言い方はJR四国が可哀そうでしょう。十分な協議をせずに進めたとすればJR四国に非があるにせよ、維持コストがJR四国の便益に釣り合わない(どのみち十分にはにぎわわないのだから維持費をかける価値がない)という点は間違いないと思います。
もちろんこの陳情は町の行政当局に対するものなので、町が維持費を全面的に引き取れば問題ないとは思いますが、その場合JR四国は列車の運行や駅舎以外の鉄道設備に悪影響を与えない形で整備するよう要求してくることになります。その要求は専門家としてのものになりますから、町にはよほどの覚悟が必要でしょう。一方で町側が住民の意を呈してJR四国に駅舎の維持を申し入れたところで、JR四国に応じる理由はないと思われます。町の負担で駅舎を移築するとでも言うなら別ですが、築百年だろうが二百年だろうが物は物に過ぎず、便益を認めなければ維持する理由はありません。駅スキーが多少来ようが地元の利用者が貧相な駅舎に落胆して鉄道を利用しないようになろうが路線経営の上では大した違いはないのでしょうから。

まるでバス停? JR四国が進める駅舎の簡素化めぐり、異論続出
バス停みたいな貧相な鉄道駅なんて世の中いくらでもありますがね。「なんじゃこりゃー」というよりはJR四国が「なんじゃそりゃー」と異論に困惑する話でしょう。「利用実態に合った駅舎にする」のですから、バス停レベルの利用しかない駅の駅舎を簡便なものにしているだけではありませんか。むしろ、その方が安いからとトラム用の低規格車両に置き換える話くらいは出てくると思うべきです。もしかすると、下手に反対運動をすると路線廃止や駅廃止なんて話も出てくるかもしれません。
別に保存運動をすること自体は構わないと思いますが、JR四国が受け入れられる内容にして欲しいものです。東海か、せめて九州ならまだしも、北海道や四国に無人駅の駅舎を古いからと維持している余裕はないと思います。

■2023年02月03日(金)  逆に儲かってこの程度とも言える
三井物産、純利益が初の1兆円超 23年3月期予想、三菱も上方修正
従業員一人当たり利益だとぎりぎり二億円程度、連結利益でその1/8、こういうところはいわゆる派遣なんかも多いでしょうから、純利益を計算する際にそのコストが控除されているとしても数千万円レベルまでは下がります。つまり人数相応の利益が出た程度でしかないわけです。経営効率が悪いので、リストラを含む生産性改善が必要でしょう。物産の平均年収額は一千万円越えとのことですので、いくら物を動かして付加価値をつける商売だとしても、むしろそれだからこそ、従業員一人当たり利益は実質で一億円は欲しいところです。

■2023年02月03日(金)  ロシアからすれば当然の批判
プーチン氏、ナチスに重ねて西側批判 米機関「戦争長引かせる意図」
ゼレンスキー氏が今風のファシストなことを除いても、ロシアとしては当然の比喩だと思います。なにしろロシアに攻め込んでくるのはタタールでありボナパルトでありヤポンスキーでありナチスなのですから。この場合、一応参加してはいますが、ファシストやフランコ派ではないわけですね。
もちろんNATOとしては、しかり、我々はロシアにとってボナパルトやナチスでありうる、成功し、ロシアの人々を権威主義の帝国から解放するということを除けば、とでも言うのが粋ではないでしょうか。まあ、これだと宣戦布告だと取られかねませんので、かつてスターリン氏はヒトラーを攻めるという点において盟友たりえた、現代のヒトラーがどこにいるかは、言うまでもあるまい、彼はスターリン氏を兼ねている、という感じでしょうか。

「我々はナチに勝利」繰り返すプーチン氏 国民の記憶、侵攻に転用
まあ、フランスもドイツもロシアに攻め込んで勝ったことがありませんがね。もっともロシアはロシアで単独で外国に攻め込んで勝ったことがどれだけあるのかという話もあって、ブレスト・リトフスク条約の線まで引っ込んだ方がいいんじゃないかと思わないでもないわけです。
ちなみにロシアの前身のキエフ・ルーシ諸公国はモンゴルのバトゥに負けていますので、実質的に西晋の後の北朝政権に始まる西北蛮族政権の末である中華人民共和国にはぜひとも沿海州の奪還から取り掛かって欲しいものです。山脈の名前も内興安嶺に戻しましょう。頑張って黒海まで出ていってもかまわないと思います。それはそれで、台湾や海南島、旧南越領は手放して欲しくもあるのですが。プーチンが習近平に拝跪して城下の盟を誓う様子は是非見てみたいものです。

■2023年02月02日(木)  使用人の専横
高校のエアコン代は誰が負担? 電気代高騰で気づいた「PTA頼み」
必ずしも保護者負担はおかしくはないですけどね。学校が保護者にとって子弟に普通教育を与える義務を果たすための手段だと考えるならば、学校の諸費用は全て保護者が分担するべきです。これがない場合、保護者は自分で普通教育を与えるか自分の負担で教師を雇って普通教育を与えるかなのですから、保護者が公定の普通教育を与える主体として学校での教育に関与し、その受託者に経費を支給することはおかしいとは言えません。
その一方で、そのように保護者任せにすると適切な教育水準が充足されない、子弟の一定レベルの普通教育を受ける権利が侵害されうるという懸念から公立学校が設置され、その費用を都道府県市町村財源から支出する制度となっている以上、公立学校における費用の保護者拠出は問題があります。必要ならそれは設置する都道府県市町村議会での審議に基づいて都道府県市町村税として徴収されるべきものだからです。それが保護者負担となっているという時点で公立学校設置の前提が崩壊している気もしますが、少なくとも物価高騰に議会の議決を待っているわけにはいきませんので、一時的に保護者団体から借りておくという形はやむを得ない気がします。
問題があるとすれば、それが現場主導で設置者を棚上げにして(ちなみに棚上げにしてもらわないと費用負担の義務が生じるので設置者としてはこれは望ましい)保護者団体と合意する形であることでしょう。単なる実施担当者でしかない学校配属の使用人が勝手に現場を取り仕切ると称して負担を求め費用を拠出しているのです。不透明極まりありません。また学校管理担当の使用人はその事情を知っていながら黙認し、あまつさえ設置者の責任をないがしろにして費用負担を免れさせることばかり考えています。それは確かに、何やってんだという話にはなるでしょう。

■2023年02月01日(水)  つまりトランプ氏なのかトランプbotなのかは判別できないと
OpenAI、AIが書いた文章かどうか判別するツール
AIとリファレンスにする人間知性との差を確認するためにはこういう研究も必要です。とはいえこういうのは自家撞着的というのでしょうか、本来差が出ない、識別できないというのが理想ですし、AIが書いたのか人が書いたのかというのは本来どうでもいい話でしょう。人間だってでたらめを書き飛ばしたりはするわけですし、書いたことに責任を取ろうとしないのも同じです。十分な知的訓練を受けていない人間が変な文章を書くのも当たり前です。要はクレジットした人がその文章について責任を取れば本人が書いたかどうかというのはわりとどうでもよく(もちろんゴーストライターの権利問題はありますがAIの場合その問題はありません)、せいぜいが能力評価やクレジットが適正になされたものかどうかについて問題が出る程度、そのどちらもAIが書いたのかどうかは本質的な問題ではありません。問題は本人が書いたのかどうかであり、それはこんなツールではない方法論によって検証されるものでしょう。
それにしても、こんな話になる以上、短文交流サイトなどさっぱり信用ならなくなりますね。メッセージだけからはそれが人間が書いたのかAI botが書いたのか判断できないわけです。これではTwitterがサードパーティーフロントエンドを拒否してくるのも道理です。人間同士の交流を標榜しているのに、AI botが組み込まれたフロントエンドの投入をコントロールできないのでは、サプライヤーとしては困るというものでしょう。AIで生成したメッセージを公式ツールに流し込むような手法は防ぎようはなさそうですが、わざわざそんな手間をかけるのは研究者と気合の入ったディスインフォメーションの職業専門家くらいだと思えば落としどころとは言えるわけです。

人間かAIか「見分けつかなくなる」 ChatGPT教育現場に波紋
正直口頭試問やゼミナールをちゃんとすればいいだけだと思いますが。
もちろんリモートセッションで相手が本人かどうかは問題にはなるわけですが、ある意味技術知識を習得するのが本人である必要はないので、必要な時に適切な能力を持った身代わりを適切なコストで立てられるのであれば教育の目的は達しているとも言えます。人工知能で済むところに人間を使う必要はありませんし、そもそも教育は本人にとっては権利であって、究極的には履修内容が身についていないのは本人の問題でしかありません。馬脚を現したところで自己責任ですし、うまく取り繕い続けられるなら社会的には何の不都合もないでしょう。
そう考えれば、身代わり人工知能の排除策はほどほどでいいとも言えます。資格認定についても、本人が自分自身には履修内容が身についていないことを自覚し、資格業務に従事するときは適切な人工知能に任せ、かつそのことを相手に覚らせなければいいだけのことです。ぼろが出るような人工知能の使い方をされるのは問題なので、そこだけは狡知を身に着けてもらう必要があります。

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