日記

■2022年06月30日(木)  良し悪しは変わりえますが、猫の目農政だけは絶対的にいけません
「またコメをつくれ」輸入穀物高騰に揺れる農家 田んぼの未来は
「コメが余るから転作している。またコメをつくれというのはおかしな話だ」
そりゃそうだ。営農家が何を作って誰に売ろうが、基本的には勝手というものです。売った分については所得税は払うべきですし、栽培禁止作物や周辺に問題を起こす作物を栽培するべきでもないでしょうし、買わないと言っているものを押し売りすべきでもありませんが(その意味では全量買い入れ制度を前提とした減反は政策として間違っていません)、その時々の都合で言い分が変わるようならそれはそういうものという前提で市場に付き合っている方がましというもので、今さらこれを作れと言うならそれは言い値で全量買い取ります、少なくとも収穫が終わるまでその前提は変わりませんと言わないといけないのです。ましてや作物に合わせた農法の選択を長期間で行うことが現代農業の前提ですから、勧農などというものは50年とか100年の期間で考えてものを言うべきで、30年で言い分が一変するなどということはあってはいけません。変動の責任を負えないならそれは事業家に任せるべきなのです。
その意味で、食料自給率を基盤にした食料安全保障は今さら議論する価値は全くありません。持続性がない点は証明済みです。

■2022年06月30日(木)  これ以上電子書籍流通プラットフォーム事業者を増やすな
「コミックシーモア」海外進出へ 親会社トップが目を付けた潜在力
正直もはやこういう事業行動こそコンテンツ産業の衰退を招くものであると思います。
Kindleも含めて、現状電子書籍流通事業はコンテンツ販売業ではなく流通プラットフォーム事業であり、電子書籍データのフォーマットやリーダー、特定のリーダーで読めるデータの流通、コンテンツの供給契約や利用契約などが流通事業者に強く結びついてしまっています。生産や流通だけでなく、消費者まで特定事業に系列化されるような業態です。上映・受信というところでそもそも消費者を組織化する業態である映画やテレビ放送ならともかく、複製品を売り切ることで買い切った側の自由を確保してきた書籍出版事業のモデルとは相容れません。囲い込みのプラットフォームが乱立するくらいなら、それこそ一度Amazonが独占して、その上で売りたい人と別に売らなくてもいい人が住み分ける、またAmazonのプラットフォームをオープン化する方がましでしょう。

■2022年06月30日(木)  専門知という時点で民主的ではない
参議院が科学者議会だったら…片山杜秀さんと探る、専門知の生かし方
そもそも政策判断を求められるような事柄が専門家の知識経験なしに理解できない状況の方が問題だと思いますが。それでは専門家独裁になって、民主主義にならないでしょう。官僚専制と同じことです。
当たり前のこととして、そもそも科学者自身専門化で分断されており、他分野の事情が分かるわけではありません。物理学者に感染症対策について専門的な知識に基づく判断を求めても、それこそその分野の専門家が出した研究結果を揃えて渡してすら、応じられないのです。この点で専門家による政策決定というのはそもそも欠点があります。それを一定の知的訓練を受けた人なら広範な課題について判断ができる状況にしていくこと、そしてそのような訓練を受けることが当たり前、できれば義務教育修了で、大きく譲っても大学の一般教養レベル修了で達成されるようにすることが、民主主義を続けていく上では前提になるように思います。
縦割り官僚専制でいいなら科学者議会の分科会でいいわけですが、それだとソ連の二の舞ですからね。

参院議員はくじ引きで 「多様性ある国会への切り札」政治学者の提案
参議院でいいのかという点はともかく、くじ引きというのは選挙(election)と同等の正当性を持つ制度だと思います。そもそも漢語としての選挙の意味は科挙のことなので、electionとはどうもニュアンスが違っているのではないかとは昔から思っていたわけですが、electionというのはおそらく選良を選ぶのではなくrepresentativeを選ぶという概念であり、識見の高い人に統治の判断を委ねるのではなく、自分と考え方の近い人に広場での議論や政策の実施を委ねているわけです。集団の政治的意見の分布を代表させるという意味では、くじ引きもvoteと同等の正当性を持ちます。
ただ、そういった機能はむしろ「下院」(House of Representative)のものだと思うのです。つまり衆議院議員こそくじ引きで選ぶべきでしょう。参議院が「上院」(House of Senates)に当たるのだとすれば、国体の原理(日本国でいえば日本国憲法によって規定される諸原理)に即して下院の決定を吟味し、基本的には保守性を原理として国体の原理との適合性を判断するのが上院の機能でしょう。この役割はくじ引きで選ばれた議員に果たせるものではなく、最終的には一定の集団からくじ引きで決めるにしても、その集団を市民団から抽出する際に国体の原理の実践について一定の経歴を持つ人々という条件を付ける必要があります。古代ローマの元老院なら一定の政務官としての経歴を持つ人々であり、UKの貴族院なら歴史的英国を体現する貴族と官職貴族ということになります。アメリカ合衆国であれば連邦を構成する(つまり独立宣言や合衆国憲法に法的主体として同意した)州の代表である二名の元老が上院議員になります。おそらく日本国憲法においてあえてこの役割を参議院に持たせるなら、候補者の母集団は憲法擁護義務を課せられた立場である衆議院議員と裁判官、検察官、弁護士の経験者、また場合によっては行政職国家公務員の経験者ということになるでしょう。立法、法判断、法執行において法と相対してきた人たちであることが求められるからです。むしろこちらの方が、全有権者を母集団とするためくじ引きでもかまわない衆議院議員よりも、経歴などで形式的に選ばれた「選良」を一定の段階で全有権者による篩にかけるという意味で、いわゆる選挙によって正当性を付与するべきかもしれません。例えばローマ元老院であれば、政務官は就任の際に各種の民会(伝統的な政務官であればケントゥリア民会、護民官であればプレブス民会)で選挙されますので、政務官経験者であれば有権者は一定の識見を認めているということになります(あくまでも擬制、見做しとしてですが)。

「良識の府」は存在するのか 二院制の日本、あるべき参院の姿とは
「良識」などというものがそもそもあてにならないものであり、せいぜい「違う視点で」としか言いようがないわけですが、一方で1980年代以降チェックアンドバランスという機構自体が「決められる」政治を阻害しているとされ排除される傾向があったこともあります。制度的にも、憲法で決まっているから廃止はできないけれどもその制約の中で「じゃない方」を参議院に押し付けてきた面があります。「バチッと止め」た例を聞かないと言いますが、衆参で議決が異なって衆議院が絶対多数での再議決で通した例はそれなりにあります。衆議院の議決が優先されて通った例もあります。また衆議院で絶対多数を握れていない場合そもそも参議院で異なる議決をされてしまうと法案が通らなくなるので、法案提出側がそうならないように根回しをします。その結果がどこかおかしい内容になってしまったことがある点は、まあ、人間のやることなどそんなものでしょう。アイデアが出ている以上、どんなトンチンカンに見えるアイデアでもそれなりの根拠があって提案され議決されているわけで、トンチンカンだと思う側の見方が一方的なものである可能性もあるのです。大事なのは、ねじれ現象も含めて参議院が衆議院の「カーボンコピー」では必ずしもなかったということです。

■2022年06月30日(木)  公取だけで何とかなるのか?
CMSベンダーに独禁法違反の疑い 「独自の方がセキュリティ対策になる」と自治体に営業、他社参入を阻害
そもそも他人の言説に踊らされる時点でセキュリティーが絡むシステムを導入する能力があるとは思えませんが。これが何かベンダー以外に情報がないようなジャンルであればまだしもですが、OSSについての一般論などそこら中に比較可能な情報が転がっているでしょう。その程度の怪情報が検証できないようなところが外に開放されたサーバーでCMSを運用したら独自仕様だろうがクラックされる隙ができない方が不思議です。
フェイクニュースによる事実誤認への誘導行為の排除はいいのですが、そもそも引っかかってしまう検証能力の低いユーザーがいることが問題で、産総研なり情報研なりが検証評価を行う部門を常設で運営するくらいのことが必要かもしれません。情報機構でもいいのですが、いささか評価研究よりは推進側のイメージがあります。いずれにせよ、公認情報にバイアスがかかってしまうことは問題ですが、例えそれでも議論の基盤を作り出すことでその周辺に情報の集積を期待できますし、公的機関の事業であればアクセスも批評も民間の怪文書よりは容易でしょう。

■2022年06月30日(木)  「張り子のトラ」を見透かされているようでは威嚇にならない
プーチン氏「対抗措置の必要も」 NATO拡大で軍事施設設置なら
なんというか、言動に1930年代あたりの日本外交を彷彿とさせられるわけですが、傍迷惑なのはともかくとして、ちゃんと落としどころを探れているのでしょうか。エスカレートの挙句に米欧中露と軍事国家化する程度で済めばせいぜい深刻な不況が長期にわたって続く程度ですが、読み誤っていて米欧が激発するとロシアが滅びますよ。核抑止がどこまで効くものか、ソヴィエト連邦崩壊後の世界では不透明です。いくら戦略核が相対的に安上がりな相互自殺兵器だとはいえ、実力を評価して貰えていないとMADが成立しません。できればもう少ししっかりと、新生ロシア帝国の実力というやつを見せてほしいところです。さすがに一ヶ月でキエフを落とせないどころか戦線整理を迫られているようでは、戦略核もソ連崩壊からメンテナンスできていなくて、発射指令を出しても8割は弾道飛行に移るところまでに墜落するんじゃないか、残りも半分以上が不発で終わるんじゃないかと思われても不思議はないのです。

■2022年06月30日(木)  直径30cmのテフロンフライパンを洗えない食洗機など意味がない
食洗機を阻む30センチの壁 「一家に一台」になれるのか、メーカーの苦悩
食洗機というのは現状開発コンセプトがニーズとマッチしていないと思える家電製品で、ビルトインも含めて、使いにくい、何に使っていいかわからない機材です。
コーヒーと皿に乗せてレンチンの軽食がたくさん出る業態だというならともかく、料理をすれば大皿も使うし鍋も使うのです。お茶碗と汁椀だけ洗えたところで意味がありません。まあ、丼が洗えるなら大皿の必要がなくなり、鍋で作った具材をどんぶり飯に乗せて汁と合わせて鍋だけシンクで洗い、丼と汁椀を食洗機にかけるというライフスタイルを提案できるのかもしれませんが、それなら洗うのが簡単なオーブンやフライヤーもセットでないと意味がないような気もします。

■2022年06月29日(水)  「フルサイズ」でずらさずに使っていたら馬鹿にしていいってことだ
LAOWAのシフトレンズ「20mm F4 Zero-D Shift」発売日決定。フルサイズミラーレスなどマウント8種
発売日決定は良かったですが、なんとフジフィルムのGFXマウントが入っています。つまりイメージサークルが43mm対応ということで、「フルサイズ」なんぞで使ってはもったいないレンズだということになります。もちろんシフトレンズということで、光軸をずらす分光学系としてのイメージサークルは大きくないといけないわけで、むしろもったいない精神から格上のGFXまでサポートした感じなのでしょうけど。

■2022年06月29日(水)  Z二桁シリーズは企画として微妙で
ニコン、Vlog仕様のZシリーズ最小最軽量モデル「Z 30」。レンズキット12万円
ニコン、Vlog向けAPS-Cミラーレス「Z 30」登場 長時間撮影に適したボディデザイン
Vlogなど動画撮影に適したミラーレスデジカメ「ニコン Z 30」、8月5日発売
Zマウントの仕様がAPS-C専用であればこれでいいんですけどね。問題は、135判用のレンズを使ったときにこれってこのレンズを使いこなしてないよなと思っちゃうこととか、クロップしてイメージフレームの真ん中だけ取り出すようなことを一貫メーカーとしてどう考えるのか、姿勢を疑問に思うということなんで。光学メーカーなんですし、レンズを使いこなすことを前提にボディを設計するものだと思うんですけどね。そうでなければ、フジのXにマウントアダプターを介してZマウントレンズを付けたのと変わらないでしょう。
もちろんZマウントベースのシステムにvlog向けを標榜したバリエーションを加えるという企画自体はありだと思いますし、そこでAPS-Cを選定したことにもそれなりの理由はあるのだと思いますが、「フルサイズ」などと言って売っておきながらそれはどうなのという疑問にZ50以来まったく答えがない(正直あるとも思えない)わけですし、結局ニコンというのはそういう会社なんだなと思うしかない気がします。もちろんキャノンやソニーも同じですが。

■2022年06月29日(水)  罰としてお詫びの全戸訪問を
尼崎市長、夏ボーナス195万円を全額カット USB紛失受け
正直夏のボーナスをカットする必要はない気がします。失態は失態でしょうが、お辞めにならないということはこういう発注をするようであっても市長職を務めるには支障がないと判断したということでしょう。ならばボーナスをカットする必要はないはずです。
代わりに、市長は全戸にお詫びして回ってはいかがでしょうか。妙な事件が起きて、市民の皆さんはご自身の個人情報がどうなったか、不安になっていると思います。ですから市長が自ら、事情と状況を説明しに戸別訪問し、不安を聞き取り、改善を確約して安心してもらい、少なくとも行わざるを得ない発注に際して業務実施体制を確認するという再発防止策の策定に反映させるのです。もちろん業務はお詫びの空き時間に行うことになりますから、深夜や早朝などの訪問には適しない時間帯に行うことになります。また食事も訪問の空き時間にそそくさと済ませることになるでしょう。

尼崎市長、任期満了で退任へ USBメモリー紛失問題との関係は否定
これで後腐れなしということでしょうか。

■2022年06月29日(水)  発注者が無能である以上仕方がない
SE業界の悪しき商慣習、公取委が指摘 6次下請けや中抜き横行
ソフト開発での多重下請、公取委が取り締まり強化へ 「優越Gメン」が立ち入り調査
悪しき商慣習という評価は同意せざるを得ませんが、そもそもクライアントから仕事を取ってくることと仕事を進め、所定の結果を叩きだすこととは違いますからね。仕事をくれるようなクライアントのところに出入りしている人が、仕事を完遂する能力はないけれども、完遂できる人々とのコネクションは持っている、それが連鎖しているというのは、好ましい状態とは言えなくとも、自然な状況ではあると思います。ましてや顧客に発注する内容についての十分な知識技術がない=内製どころか仕様策定すらまともにできないのでは、仕事を受ける窓口としての大手と仕事を実施する主体としての下請けが分かれてしまうのは仕方がありません。下請けに直接発注すればいいと言われても、その下請けとの接触もなく、そもそもその下請けとの契約を正当化する根拠もない - 根拠を示す能力がない - のです。
これは正直公取ではどうにもならない話で、極論すれば買い手に「できもしないことをしようとするな」ということになりかねません。パッケージされた商品を買えばいいだろうと言っても、そのパッケージされた商品を選ぶ能力すらない、パッケージされた商品に自身のビジネスモデルを適合させる方法論を組み立てる知識能力すらないのですから。

■2022年06月29日(水)  こういう仕事崇敬主義は嫌ですね
育休を「育業」に 原田曜平さんが指摘する、愛称よりも重要なこと
子育てが大切な点はその通りと思いますが、そこで休を「業」と言われると、「道」と言われるのと同じくらい違和感があります。まるで仕事に就いていて休暇を取るのが悪い事みたいな言い方は軽重を誤っていると思いますし、だいたいそんなに業とか道とか好きですか。むしろ稼ぎ仕事や公務なんて下賤なものは育児の重要性に比べたら鴻毛程にも軽いとでも言ったらいいでしょうに。そもそも休暇というのは雇い主から見たものであって、取る側からすれば本来自分自身への復帰です。仕事をしているときの方が、例えば自分を雇い主に売り渡し、それこそ自身の成した契約によって自身を疎外しているのです。あるいは他人の需要に応えるために自分やその子供のために使われるべき大事な自身を浪費しているのです。より大事なことをするために仕事から身を引くことは、当然のことです。そして雇い主には、雇われた人が求める休暇を拒否することは許されません。この日に休むと言われたら、はいわかりましたと言わなければならないのが雇い主です。できるのは、せいぜいが一定の日数を超えて休む場合に給料の支給を止めるか、事業計画の上で合理的な期間のうちに復帰の見込みが立たない場合に適切な補償を行って解雇する程度です。例え東京都知事であっても、今日は子供の運動会があるから休むと言う東京都職員に出勤を命ずることはできません。そういう発想が常識だと、言うことの方が大事ではないかと思います。

■2022年06月29日(水)  奨学金受給中に就学を疎かにすることは想定されていない
奨学金を打ち切られた19歳 根強い格差、「学歴社会」でゆらぐ将来
それは、留年などせず最短で効率よく修了してさっさと返済を始める前提の制度なのですから、打ち切りがむしろ当然でしょう。一時的就学中断の扱いやパートタイム学生の扱いは全く別の話ですし、そもそもそんな苦学生が望ましくないから就学に専念できるだけの額を支給しているというのが前提です。足りているかどうかは別というか、アルバイトをしないとやっていけないという話はありますが。

■2022年06月28日(火)  手順をさぼる気にならない程度には便利にしておかないと
逮捕状請求で600キロ 証拠コピー600万円…IT化で劇的変化?
そりゃまあ、証拠コピー600万円はともかくとして逮捕状の請求先が遠隔地なのは司法側の拠点集約が原因ではありますね。せめて警察署ごとに一つくらいは令状の審査ができる裁判官のいる地裁の分室でも置いてもらわないことには、何かと大変だとは思います。

■2022年06月28日(火)  そもそも発注時に業務実施体制について調査したのか?
尼崎市長、再委託は「契約違反」 個人情報紛失で損害賠償請求を検討
まあ、今時の考え方だとこうなるでしょうね。とにかく発注側が実施体制なりサプライチェーンなりを完全に把握するべきだ、把握してコンプライアンスやリスク管理を実現するべきだという話なのですから。
ただし、本来発注仕様に再委託不可と書くだけではだめで、再委託せずにどのように業務を実現するか、そのコストが妥当かを評価して入札審査をしないといけないわけです。もちろんそこがちゃんと書いていない入札は審査の結果として排除されないといけません。後で損害賠償すればいいという発想は、今回の場合妥当な面があるとしても、事業者側に過度のリスクを負わせるものだと思います。

「官から民」流れは止まらぬ、でも… 尼崎USB紛失問題が問うもの
もちろん業務委託自体の流れは止めようがないとは思いますが、「行政が業者に仕事を委託すると、その業者が一部をさらに専門の業者に委託し、さらに実務を担う業者に委託して……。「このような多重委託により、行政側は実際の業務をどの企業が担っているか把握できなくなります」」というのは本来業務委託においてあってはならない事態で、多重委託を検出し、適切な対応(例えば入館時やデータ受け渡し時の守秘契約の徹底や元請けによる再委託先へのコンプライアンス管理の徹底)が取れる制度でないといけないはずです。そもそも多重委託自体は土木建築事業や輸送業務においてはごく一般的で、個人や零細業者の作業員が元請けの管理の下で現場に入ることは日常茶飯事のはずです。当然それに対する管理手法もあるはずです。なんというか、土木畑の人が、だから一般事務の連中は勝手も知らないのに下手なことをやってと笑っているならまだいいのですが、実は役所全体に丸投げ文化が蔓延して、その手の業務管理のノウハウが存在しないのだとすれば、由々しい事態でしょう。
ちなみに経営の専門家は(少なくとも日本では)その手の現場管理のノウハウには疎いのが普通らしく、学習院大学の先生が間の抜けたことを言うのは特段おかしくありません。だいたいは公務員でも二種技官が叩き上げで身につけるノウハウらしいです。もしかすると、経験と勘で問題がある作業員が出入りしていることを見破るようなことをやっていたのかもしれません。何しろゼネコンレベルだと人間を数として扱うようなことしかできないことは普通にあるので、元請けの管理体制がどこまで信用できるかはわからない、それこそ各レベルの担当者によって違ったりもします。そういう必ずしも文書化も形式化もされない現場知が蔓延しているのが日本の現場管理ですので、経営の専門家にはあほなことを言っていないで、コスト計算ができるレベルで現場管理の枠組みを定式化するような研究開発を求めたいものです。ちょろっと入札募集仕様書に対応条項を入れる程度で管理費の見積もりの妥当性も検証できないというのでは、業務委託という形態自体が崩壊しかねません。

USB紛失の業者、尼崎市が18カ月入札参加停止に 契約も見直し
もちろんこの処分自体は、下請け管理を適切な水準で行っていなかったという点で受けて当然のものでしょう。むしろ18カ月を過ぎた時点で入札参加資格を再申請できるというので良いのかどうかの方が問題です。
できれば、この会社の扱いとしても一般論としても、業務受託の入札参加資格の認定に際して業務受託体制の適切な評価を実施するようになってほしいものです。

■2022年06月28日(火)  都内はマンション価格の下が1億円、家賃は集合住宅で月40万円くらいでもいいんじゃなかろうか
首都圏の住宅ローン平均3955万円 一極集中が阻む多様な豊かさ
まあ、首都圏を含む大都市圏の住宅費というのはもっとどんどん上がってもいいわけです。ついでに事務所価格も不動産税も上がるべきで、事業者がどんどん静岡や群馬、栃木に茨城あたりに逃げ出し、都市的な集積効果をネットに頼るようになっていけばなおいいですね。それこそ東京都内は、課税標準土地価格を制度的にロックしたうえで年5パーセント程度の割合で上げていくとよいかもしれません。とにかく東京都内は戦略本社と高級小売店しかない、立地しようがない状態にすることが望ましいでしょう。それには地上げでも転がしでも制度措置でもいいから土地価格が上がっていくことですし、かつ上がっても上がっても開発業者にとっては元が取りにくい形にすることです。

■2022年06月28日(火)  家族というブラックな制度
家族のステイホームがつらい? コロナが拍車をかけた女性のストレス
そもそもそれは家族というのでしょうか。
家事負担がどうとか感情労働がどうとかいうのとは別に、ストレスを与えるような行動をするメンバーが日中別行動することで維持されている家族というのを、家族といっていいのかと思えてしまいます。少なくとも近代家族としては破綻していると思います。もちろん近代家族自体が生産手段を外部にくくりだして役務報酬に依存することで家として破綻しているわけですが、それでは家でも近代家族でもないどんな家族が法制度としての家族制度を正当化するのか。ない方がまし、なくす方がましということはありませんか?

■2022年06月28日(火)  防衛力を高めましょう - 大阪府を上手に使って
防衛力高めないと「子ども、女性が無差別に殺戮される」維新・馬場氏
演習に使う弾がないのと防衛力整備とは、相当毛色の違う話ではないかと思いますがね。
さらにはそこで無暗に感情的に脅威を煽るのも感心できません。そもそも日本軍が、周辺諸国に子供女性を無差別に殺戮に来て強姦までして食料や資源をかっさらっていくと思われているのが問題なのではありませんか。
それに訓練というなら、わざわざ北海道まで行かないとまともな訓練ができないというのだって問題なのであって、例えば大阪府全域で都市防衛対抗演習や強襲上陸演習でもできれば防衛省は喜ぶと思いますよ。大阪城も結構いいランドマークですから、爆撃演習目標にして空自の戦闘爆撃機が何度も爆撃侵入演習を夜昼となく実施する、空自の輸送機や陸自のヘリが地上支援訓練や地上降下訓練の標的にし、もちろん夜間訓練も受け入れるというのもいいでしょう。特車科や特科はともかく、普通科や空挺化の訓練としては大阪など好適地だと思います。京都府も使えるともっといいですが、さすがに文化財保護の問題が出てくるでしょうね。

■2022年06月28日(火)  阿る必要はないにしても歪めるのもどうかと思う
防衛費増の財源「国債に安易に頼るべきでない」 公明・山口代表
これ、そもそもは防衛費の増額是か非かという話だったのではないかと思うのですが。
もちろん、防衛費足りてないという話は色々あって、訓練費を切り詰めるとか人員を切り詰めるとかいう話は市井の庶民にすら聞こえてくるわけです。最新兵器の購入のような話とは別に、自衛隊の適切な規模や経費という話はしてしかるべきでしょう。
その上で、山口氏としては外交政策上これ以上の増額は望ましくないという話の方が主眼で、増やすとして国債発行で調達するかどうかというのは、むしろそもそも必要ないものを国債を増発してまで増やせるかという応答になった可能性があります。そこはわかりやすいように記事もタイトルも作るのが誠実さではないでしょうか。

■2022年06月28日(火)  コモディティをコモディティとして買って大手を排除できるわけがない気がする
クラウド「囲い込み」はダメ 公取委、米ITシェア集中受け規制方針
もちろんよくはないわけですが、クラウドがプラットフォーム商売であるだけに、上物部分とのインターフェースや運用部分を複数のサプライヤーに対応させるのはユーザーの責任になります。またある意味コモディティでもあるため、スケールメリットが効きやすくなります。スケーラビリティーの点でも大手は便利でしょう。
70年代だと例えば拠点ごとに分割してしまえという話になったのだと思うのですが、さすがに制度的にも実効性としても無理があります。やりようがあるとすれば、もちろん一つはモグラ叩きで、疑わしい事例が出るたびに突いては行動を縛っていくわけです。業界の自主的な取り組みとしては、できるだけ大手を使わずに済むように、またプラットフォーム間の乗り換えが楽にできるように、中間ベンダーやインテグレーターのレベルで工夫する形はあり得るでしょう。現状大手プラットフォームのそれぞれに特化したエンジニアの育成ばかりが進んでいますが、構成において顧客のニーズを精密に見積もり適切なサイジングを行うなり(無暗なスケーラビリティーの要求を緩めてコストを下げる)、大手のプリミティブなサービスのみをバックエンドで使って独自のインテグレーションを行うなりという方法論はあり得ます。ただ、とりあえず大手のルールを覚えておけばそれをどう使うかに集中できるというのが技術レベルの高い顧客にとってクラウドサービスのメリットになっているところがあるので、独自仕様の部分について「標準」に合わせない十分なメリット(もちろん独占規制の上でのそれではなく顧客業務におけるメリット)を説明できないと、顧客側の指定という形で大手が選定されてしまうことになります。中抜きという点でも一定以上の技術力のある顧客は大手と直接取引した方が便利でしょう。
正直規制上は、大手を公共調達から徹底的に排除するべきだと思います。大手はインテグレーションやハードウェアのようなボリュームで差別化しやすいところについては独自の技術を用いていますが、クラウドサービスのコア部分はオープンな技術を用いていることが少なくありません。もちろん大手のフィードバックも多いですが、要素技術としてオープンなものを使っている関係で全体をオープンにする法的な必要性が出ていたり、事業推進上、進出分野の特化や進退をやりやすくするための代替手段として、また関連技術普及の手段として、オープン化やオープンな要素技術の利用を選択していることも少なくありません。つまり相当部分既存のオープン技術を利用して自力でサービスを組み上げることも可能なのです。もちろん大手のスケールメリットや効率性、最新技術への追随性は享受できなくなりますし、何があっても自己責任ということになりますが、本来関連する検証をしっかり行って運用体制も整備できるのが公共調達に参加する側のメリットですし、直接の事業以外についての公共調達の便益でもあると思います。もっとも、調達はケチる、人件費もケチるではやりようがないんですけどね。

■2022年06月27日(月)  間違ったのは日銀ではなく財務省
ビッグマック390円は安すぎる? 物価停滞「日本人の欲求が後退」
30年前か、少なくとも40年前は米国に比べて高いと評価されていたと思うのですが、隔世の感がありますね。
もっともビッグマックを日本で買ってスイスに輸出するような人はあまりいないので、マクドナルドが商売を続けられている限りは問題ではないわけです。また事がビッグマックだけの問題なら、ビッグマックに対する日本人の消費意欲が限定して価格が上げどまっていることはむしろ望ましいと言えるかもしれません。
もちろん問題はそんなことではなくて、物価水準が1990年代からひたすら落ち続けていることです。本来それだって問題ではなく、消費者として見れば物価が下がることは望ましいくらいなのですが、問題は物価水準が下がった分以上に経済や家計に余裕がなくなっていることです。このため例えば石油価格が上がるとそれに対応できないような問題が出てくるわけです。家計収入が改善していないのに、あるいは家計収入の改善以上に、エネルギーコストの上昇に起因する物価上昇が起きているというのが現下の問題です。日銀のインフレ率目標年2パーセントというのは家計規模の名目上の改善によってということですから、それをインフレ率目標だけ取り出して現状と比較しているようでは揚げ足取りでしかありません。読者に期待できる理解の水準がそのレベルなのだとしても、正直いいかげんにしてほしいくらいです。
はっきり言いますが、家計規模が住居費学費込みの世帯生計費の10倍はあるような状況なら、だれもインフレターゲットがどうとかは言いません。月収50万円あって月間燃料費がこみこみ1000円だったのが2000円になったからといって問題にはなりません。月収20万円のところで電気代月4000円が1万円越えになるとかいうから問題になるのです。その意味では家計に相対的には日本は物価高で、それがさらに上がっているということになります。現状の比率を保って家計のボリュームを増やすために年2パーセントのインフレというのとは意味が違います。この意味でのインフレターゲットは全く達成されていません。せいぜいが、燃料費高騰で値上げの機運ができて、いわば便乗値上げで賃金水準を含めた価格水準の是正が進むかどうかというところです。この点はある意味マインドの問題ではあり、価格が上がっても「仕方ないね」で済ませるようになれば、価格を上げてでも賃金を上げることには抵抗がなくなってくるわけです。その意味のマインドです。
そして現状明らかになっている問題点は、金融緩和では家計にお金が回らない、実物経済における投資も行われないということです。そこは明白に日銀と財務省の読み違えで、貯蓄が金融投資に向けば現物投資が上向くというところが見込み違いだったわけです(さすがに株式市場で資金調達して賃金に回すような期待は誰もしていなかったと思います)。株価の変動でGPIF儲かってるとかはむしろ蛇足で、株価やその時価総額だけ変動して消費者物価が一貫して下がっていた、つまり民間投資だけでは不足で財政政策による需要創出が必要だったのにそれを無視した点は、明白に失点と言うしかありません。また証券市場の動向と実体のある投資がリンクするなどと考えたことは、まあ、頭が悪かったとしか言えないでしょう。
経済政策としては、次の四つのいずれかであろうと思います。
まず、金融緩和の内容を国債引き受けにかえ、大規模な財政出動、それも従来型の財政支出を行うことです。この場合国債発行残高が増えますが、それはそのまま日銀の資産に計上されます。おそらく消費者物価はさらに上昇しますが、需要の裏付けがある分有休している設備の動員や失業率の低下、賃金の上昇につながります。これによって景気が改善すれば、企業業績と家計の改善による税収増で国債の償還を進めていくことになります。ただし従来型の財政支出である以上産業構造の整理は進まず、おそらく雇用の需給ミスマッチを原因とする、主として建設業での人手不足問題とそれ以外のサービス業での生産性低下が発生します。財政出動の効果が低下し、最悪通貨流通量が水膨れした状態で経済全体での生産性低下が起こります。いわばドーピングで経済が何とか回っている状況になるでしょうし、間に合わせの未熟練建築労働者の動員のため賃金水準がさして向上しない一方で老人福祉と児童福祉の両面で負担の増加と負担者の家計水準不足が発生するかもしれません。
次に、さらなる金融緩和を推進しつつ国家財政を緊縮によって再建する方向です。この場合証券市場が膨張するとともに家計規模と実質可処分所得の平均は低下します。証券市場の膨張分は日銀の資産として計上されます。おそらく評価額が増えるだけで実質的な収益、つまり利払いにはつながらず、日銀納付金も含めて国の収入は減少、その減少分が国債の償還量を上回れば赤字国債が増えていくことになります。また円為替は下落します。最終的には証券市場の信用が崩壊して暴落が発生、さらに収縮していく消費需要相応まで経済はスパイラルで低下していくことになります。
そして、金融を引き締め家計に対して財政出動を行う方向です。この場合株価は低下すると思われますが、円為替が上昇し、一時的にでもエネルギー価格上昇による消費者物価上昇を抑える可能性があります。財政出動による家計への補助と相まって消費需要が拡大、物価上昇の内容が好転するでしょう。ただし拡大する財政の引き受け主体が民間になるため、利払いや償還をきっかけとして財政出動が不可能になり、景気が急減速する可能性があります。また当分は投資需要が低いため家計補助分がそのままサービスの人件費に回る形で好循環となりますが、設備投資が問題になった時点で高金利で抑制がかかる可能性があります。
最後に、金融緩和を直接家計に回し、財政再建を行う方向です。株式市場の縮小と相まって家計負債が増大しますがそれは日銀の資産になり、家計支出の増大が企業収入となって若干ながら税収増につながると思われます。金融市場の縮小により市場金利は上昇、このため円為替は上昇するのではないでしょうか。借り入れが安定したバッファになるという認識ができれば消費者物価は上昇すると思われます。問題は家計の破綻で、日銀は貸し出しの信用リスクで倒産することはないため気にする必要はないわけですが、主として居住用不動産が相続できないといった問題が負債処理に際して発生し、また貸し倒れ損失が計上されていくことになります。産業の動向としては家計が最も必要としている需要が開拓されていくため、産業構造は相当変化することになります。国家財政が緊縮となる以上投資は進まず、業務システムへの投資に依存したIT産業など育つ前に崩壊するかもしれません。また家計が負債の増大で合理化できる支出に絞り込まれる可能性があり、そうなると教育以外のコンテンツ市場も縮小する可能性があります。一方で個人レベルでの活動やそのプラットフォーム提供は活性化する可能性があり、出版社や番組制作業が倒産しつつも同人誌や個人製作動画のような形での供給は増加するかもしれません。もっともコンテンツメジャーが倒れることでカバレッジの広い市場の形成が難しくなるため、品質や文化の共有、貨幣で測った市場規模という面では縮小するように思います。

■2022年06月27日(月)  「読めない」はずがないというのが前提なんですがね
学校のお便り「読めない」、悩む外国人家庭 小さな情報も届けるには
公用語を読めない地域に居住するという方が無茶だと思うんですけど。
もちろんやむを得ず来日して居住している状況はあると思うので、そのサポートは個別に必要かもしれませんが、個別のサポートで量的に間に合わないような規模で公用語を読めない人がいる状況というのが、まず日本社会としては想定外です。いやまあ、学校や役所のお便りが文面として難解であることは認めざるを得ませんので、母語が日本語のはずの日本国民すら読めていない可能性を認めることはやぶさかではありませんが、役所の日本語は読めるというのが、日本の公的制度の大前提のはずです。短期の観光滞在者向けに便宜を図るのとは違うのです。
そのうえで、どうしてそんな状況なのかという点が問題になります。避難や亡命でそうしているというならまだしも、雇用されて日本で就労居住しているというなら、その便宜を図る責任はまずもって使用者にあります。もちろんその前に日本国内に居住する前提を満たしている(役所の文書が読める)ことを確保する責任があるわけですが、それが満たされていない場合は使用者はその責任を果たしていないことになりますから、個別の便宜を図る責任がありますし、果たせない場合に居住自治体政府が便宜を図るにしても、その費用は使用者が全面的に負担するべきです。

日本語指導必要な子5.8万人 日直、朝の会…事前に学ぶ日本の習慣
なんというか、子供がそうなる状況で暮らしていけている親がすごいなあというか、どうやって入国就労したのか不思議です。
もちろん、その手の話は子供には一切責任がありませんので、少なくとも子供が学校に馴染むという面では支援があってしかるべきですし、保護者やその立場に責任がある人が子弟の就学前に年齢相応の日本語習得を確保できないのであれば、やはり支援の必要があります。それはフリーライダー(外国人労働者を雇って給料だけ払って地域任せなんてのはフリーライダーでしょう)をどうこうするというのとは別の話です。もっとも、日直や朝の会という習俗自体が肯定しうるものであるかどうかはやはり別の問題だとも思います。

■2022年06月27日(月)  どこが政治参加への制約になっているというのでしょうか
立候補だけで300万円 「乱立防ぐ」高額な供託金、なぜ日本だけ?
そもそも二週間もすれば返ってくると思えば、借りればいいだけでしょう。当然、供託金没収にならない程度の票数を立候補前に固めておくことは大前提です。だいたい一人一万円を当座で出してくれる支援者を300人集めればいいだけだと思うのですが。立候補というのはその程度の下準備を要求されるものであり、ポスターと立候補届を持って受付に行けばいいというものではありません。
政治参加を制限しているというなら、公職当選しか政治参加の方法がないことの方が問題です。議決権はともかく、国会議員であることが普通の内閣総理大臣だけでなく、議員ですらない国務大臣でも内閣提出法案について国会で議論に参加できるわけですから、小選挙区ひとつ分程度の支持を証明すれば有権者が国会への議案の直接提出と提案演説くらいできるのが当然ではないでしょうか。議員ですらない知事や市長が議案を提出できる都道府県市区町村議会ではなおさらです。もちろん議事運営規則として議員提出議案について複数の議員の賛同を要求している例もありますが、その場合でも要求する議員数相応の有権者の支持があれば問題ないはずです。請願とか議員の紹介とかではなく、一定の形式的手続、議会外での数値的な基準の達成をもって有権者が議会に提案を行い、最低限議事運営委員会が議員提出議案と同程度の公的な決定を行うようにするべきです。議員が政務について広範な知識があるとはだれも思っていないのですから、提案はそれができる人がするべきで、常識に基づいた採否の判断のみ議員に委ねるのが筋でしょう。

■2022年06月27日(月)  プーチン失脚の前にウクライナの空回りが心配
ゼレンスキー氏「年内に戦争を終わらせたい」 G7でオンライン演説
もちろん年内などと言わず来月には終わらせることは可能で、ウクライナがロシアに無条件降伏してロシアがウクライナ政府を解体するのに任せればいいわけです。でもそういう話ではないのでしょうね。
もちろん筋の情報なので、あくまでも交渉での発言のレベルであって、ウクライナとしての最終的な対外的意思表明、撤回に際して多大な外交的失点を覚悟しないといけないものではありません。G7があくまでも領内からロシア軍を排除できるほど強力な援助は行わないと主張すれば、撤回できるレベルの話ではあります。その上で、夏の間にはもちろん、できるだけ早期に有利な決着をつけたいと主張することは、G7には別の考えがありうるレベルで、ウクライナとして妥当です。
とはいえ、個人的な意見としてはウクライナ領内からのロシア軍排除はともかく戦争を年内に終わらせることは相当難しいと思います。確実にそうするということは、ウクライナと同盟国がロシア連邦を無条件降伏させる、もしくは国家として解体してロシア軍を武装解除するということです。それ以外は、ロシア連邦が講和か、せめて停戦に同意することが、戦争終結の必要条件です。ウクライナだけでは決められない以上、せいぜいソ連崩壊時の国境で小競り合いを続けるレベルに持ち込むのがいいところでしょう。もちろん、停戦も成立していない状況で戦闘が小康状態になって戦力回復の余力ができれば、国境を突破できると判断した時点でロシアはまた攻めてくるでしょう。冬に戦争をしたくないとかそういうレベルの話ではありません。ウクライナは筋がこういう情報を外部に流す程度に信頼できない相手と交渉しているという点を認識するべきですし、正直ブラフをかけたところで誰もNATO軍がモスクワをクリスマスまでに落とせるとは思っていないと思います。ウクライナの空回りではないでしょうか。

■2022年06月27日(月)  それって婚姻が破綻している事例でしょう
「安全な中絶は女性の権利」 配偶者同意なくして 8万人の署名提出
家庭裁判所で夫婦関係の破綻の事実を認定していいならという話の気がしますけど。
もちろん女性を不本意な妊娠・出産から守る上で妊娠した本人の意思に基づいた人工妊娠中絶は可能であってしかるべきですが、既婚者の妊娠は夫婦の関心事であり、万事双方の合意が前提だと思います。配偶者や相当する関係の相手がいて、その人と妊娠の是非、中絶の是非について納得の行く話し合いができない婚姻関係というのはどういうことでしょうか。そんな状況で本人と医師の判断で人工妊娠中絶を行って、それで済むとは思えません。積極破綻主義に依拠してでも、婚姻に基づく家族を解体することが前提になると思います。そして婚姻を解消してしまえば、基本的に配偶者同意の必要はなくなるでしょう。もちろん手続のみで解消してしまえればそれがいいのでしょうが、人工妊娠中絶について配偶者同意が問題になる状況では、そもそも婚姻関係の解消について相手の同意が得られない状況でしょうし、そうなれば家庭裁判所での協議が前提になります。調停に要する期間については技術的な問題でしかありませんし、スティグマを貼るような制度は望ましくないにせよ、夫婦でありながら妻の意思のみで夫を阻害できてしまうような制度はより望ましくないと思います。
もちろん、主観的な関係性として婚姻関係が破綻しているのに妊娠を押し付けられ、その夫の同意なしに人工妊娠中絶ができないというのは、家庭内であれ強制性交罪(つまり強姦罪)に当たる事例です。むしろ家庭裁判所の離婚調停という場でそのような不当な行為を受けたことを主張する機会を支援するべきです。個人的には、合意の有無以前に妊娠の事実に際して妊娠中絶が妻から主張されている時点で性交の合意は遡って撤回されていると考えるべきだとすら思います。夫婦という制度的枠組について妊娠についての合意が前提されるのではなく、出産について異議が申し立てられた時点で実質的な関係性に基づいた妊娠の合意が破綻していると考えるべきです。それは出産が妊婦の生命や健康に過度の危険を及ぼす場合でも同じで、夫はその危険を理解し、妻の生命や健康を本人と共に確保するべき立場にあります。そこで妻の意に反して出産を主張するようでは、妊娠の合意の前提でありうる夫婦としての関係性は破綻していると言うしかありません。その認識を前提にできないようでは妊娠している人の判断で中絶を認める制度にしたところで混乱するだけであり、中絶の判断について夫が異論をはさむ余地のない公的な裏付けを与える制度であるべきだと思います。

■2022年06月27日(月)  妥協的な落としどころを義務と言われると違和感はありますが
投票しないと罰金のベルギー、政治参加「9割」 少数者の意見も反映
まあ、動員を止むを得ないものとみて動員自体を積極的に位置づけるか、参政を主体の意志によって関与を判断するべきオプション(=権利)と見るかという問題ではあるんですけどね。アナーキズムから見れば、そもそも動員すること自体が論外で、参政というのは人権でも何でもないわけです。一定のコミュニティーに任意に参加する一環として、そのコミュニティーの事業に関わり、事業に関わる決定に関与するだけです。参加の仕方に納得がいかないならデメリットと勘案したうえで参加自体を拒否すればいい。むしろそれができないほど生存の根っこを握るようなインフラストラクチャーを特定のコミュニティが握ることに問題がある、そういう権力を構造として抑制せよという発想になります。やられると本当に困ることはできないようになっていることが前提で、そうしたい人だけが集まって仲間内だけでやればいいのです。
このようなアナーキズムの対偶として、生存のインフラストラクチャーは共有せざるを得ないから、その運用には全員が義務的にでも関わるべき、意思決定への関与も示された意思への配慮も義務という考え方があります。当然、途中でぶん投げないで、妥協であっても前向きに合意できる結論(それは当面棚上げというものかもしれませんが)が出るまで協議に付き合うことも義務です。この場合決定での全員一致は絶対の原則であり、全員が拒否権を行使しないことを確認できるまでは何も決められません。その程度の妥協はできるはずだというのが前提です。実施担当者が示された決定をないがしろにすることは、もちろん共同体に対する究極の犯罪行為の一つです。
もっともどちらの考え方も、突き詰めていくと投票という形で意思表示を単純化した代議制民主主義、代表制民主主義は否定されることになるでしょう。アナーキズムの観点からは民主主義という発想自体が否定されるべき権威主義でしょう。共同体主義からは共同体の決定をいかなる部分であれ代表者に委ねるという発想自体がナンセンスで、決定は網羅的な検討に基づいて厳密かつ精密に行われ、実施担当者はその決定をひたすら機械的に実施しないといけません。

義務化すれば上げられるのか、低い投票率 政治不信の国の処方箋
投票を義務化しただけでは惰性的な行動にしかならないでしょうね。白票が増えればまだしもいい方ではないでしょうか。政治不信すら露にならず、根拠が不明確な信認が積み重なっていくというのが妥当な結果でしょう。
投票率が低いことを気にするかどうかも含めて、広場で市民に共有されるものとしての政治を語り合うことをどう評価するかが問題です。この場合議論の大前提として政治問題は市民共通の関心事であり公的な議論に値するということが想定されているわけですが、政治不信、政治への無関心というのはその前提自体を疑っているレベルです。そうなれば政治はもはや、res-pubblicaではないわけです。「自覚的に政治を分析して判断する能動的な市民を増やしていく」というのは、この前提を再構築するということでしょう。
とはいえ、投票制と代議制民主主義においてこの前提を再構築することは極めて難しいように思います。政治がres-pubblicaであるというのは、そこに自分の利害が存在することを認識すると同時に、その利害の実現過程で非定型的に干渉しうるという認識も要求されます。課題であれ委任であれ、あらかじめ提示された選択肢から選ぶ(投票する)だけでは、そんな認識は育たないでしょう。もちろん、強制的に狭い空間や集団に押し込んでそれがres-pubblicaであることを強要したところで、さらに内側に引きこもってそこから解放される日を夢見て、せいぜい派閥を作る程度で、公共の政治などという感覚は育ちません。そのres-pubblicaが実態としては外側から強制された枠組で、特に枠組としての部分は自分たちにとってすらままならないのが見えてしまうのではなおさらです。

低投票率は「悪い」のか 投票義務化では実現しない民主主義の根幹
そこは、形式的義務化では実現しないことはもちろんです。とはいえ、もしかすると義務化の是非の議論の中で、なぜ投票も含めた「参政」が義務になりうるのか、権利と言われていたものが義務化を議論されているのかを問うていくことで、一票を投じるという付与された権利を行使する義務の認識を通じて、res-pubblicaの再建を見通せるのかもしれません。
まあ、再建して嬉しいかどうかは別問題だと思いますけど。

■2022年06月26日(日)  飼い主に色々責任を押し付けるためであることは間違いないですね
犬や猫のICチップ義務化、イタリアでのそれは何のためにあるのか
まあ、食用および生体実験以外の理由で動物を飼育している人(営利および非営利の法人を含む)は贅沢税として年額50万ユーロほどは払ってもらってもいいと思いますが。
とはいえそういった贅沢はする人の心を和ませますので、問題を起こさない限り都市部以外で禁止する必要はないとも思います。もちろん人間である子供と異なり、犬が前庭に出て来て道路にいる通行人に吠え掛かるといったことは問題に該当しますので、イタリア式であれば高額の罰金に相当するとは思います。もちろん家屋敷地への侵入者に犬が吠えかかった場合でも、吠えられた人は飼い主を告発する権利があるでしょう。そして、飼育放棄が問題に該当することは言うを待ちません。飼育されている動物が飼い主の管理を離れた状態で保護された場合、やはり数万ユーロ程度の罰金は科していいでしょう。保護される前に遅滞なく盗難の届け出がなされた場合は罰金を免除するにしても、届け出には数千ユーロの届け出料を科すべきです。そうしたもろもろの責任の所在を証明するための仕組みが、飼い主の情報を登録したICチップです。もちろん飼い主がその責任を果たした記録も入っているに越したことはありませんね。各種予防接種や去勢処置の記録です。他人の名義のICチップが入っている動物を占有していた場合は窃盗の現行犯ですね。生きた状態の動物を持ち込もうとした場合、国籍に関わらず須らくICチップの装着を義務付け、入域時点で装着していない、あるいは検出できない場合は数百万ユーロの罰金がいいと思います。放棄すればその罰金だけで済みますし、罰金を払って持ち込んだ場合は時間経過でどんどん未装着の罰金が積みあがっていくのがいいでしょう。空港や駅、港などに高い手数料を取って装着を行う獣医師ステーションを国営で置き、どんどん儲けて放棄家畜の処理費用に充てるのが良い気がします。もちろん食用家畜などであっても、ICチップが入っていることに特に問題はないはずです。さすがに今時単細胞生物や菌類を動物扱いすることは学術的にはあり得ないと思うので、管理できないとかICチップの入れようがないという事態も考えないでいいでしょう。それでICチップ製造業者や装着オペレーターの需要も生まれ、小型生物への装着技術の需要も生まれるとなれば、チップの材料の乱費と飼い主の負担が増える以外はデメリットがありません。
ちなみに日本式の場合、ここでいう罰金は全て懲役刑であるべきです。チップの入っていない動物を占有した場合懲役一年とかで前科がつくわけです。

■2022年06月26日(日)  時代が違うと思う
富岡製糸場、充実の社食だった 献立表発見、当時の食事と比べると?
おそらく時期的に官営模範工場時代の食堂メニューなので、その後の普通の工場の処遇、そしてその状況を写した社会文学とは全く違っているはずです。
それこそウィキペの富岡製糸場と絹産業遺産群記事にも書かれていますが、明治政府が近代化模範制度を開始した時点では人員やその処遇も含めて非常に力が入っており、当時の一般の水準からすればむしろ厚遇されていたとされます。これはそれこそ兵役制度も同じで、精白不良の雑穀米が中心だった農村の食と比べて軍隊の白米食というのはステータスが高く(もっともステータスが高すぎて白米食の問題を是正する際に障害となったことは日本の栄養学史の上で特筆されます)、カロリーの点でも配慮がなされていました。兵役反対運動は労働力収奪に対する反対運動という面が強く、実際徴兵された人の処遇はむしろ家にいるより良かったという状況が少なくありませんでした。これはそれこそ陸軍が解体されるまでそうで、組織的な補給が破綻しない限り(この破綻が多発するのが米軍の太平洋方面での反攻に始まる日本軍事力の解体期です)、軍の食事は民間よりもよほど良いものでした。またこれは日本に限らず多くの国でそうで、民間人が代用コーヒーや偽茶を飲んで干しタラのスープをすすっている時期に前線の兵隊は豚肉を食べコーヒーを飲んでいるのが欧州の戦争でした。
工場制度については、日本の近代工場制度で従業員の処遇が悪化するのが民間への普及が進む明治中期以降の時期で、それなりの資本を投入できた官営工場と異なり、乏しい資本で採算性を優先して設立・組織された工場は設備も組織も切り詰められており、人口増大政策や医療の普及による人口増もあって結果として非人道的な労働環境を生み出しました。そもそも近代化政策に基づく海外留学・視察で近代工業における工場労働の問題点も規制側や論壇に認識されていたこともあり(それもあって模範工場ではあらかじめ対応策が立案されていたわけです)、これに対する反省の機運が明治末から高まり、1911年に工場法が制定されるほか、慈善家や実業界レベルでの工場改善施策も進められました。とはいえそれが今でいえば一部のホワイト企業の施策に留まったことも否定できません。人口増大政策や敗戦後の復員の効果もあって労働力の供給過大状況が続き名目上労働生産性は高いものの底辺の労働環境は低迷、なんとか集約飼育農場における家畜並みの労働環境を脱するのは敗戦を経て高度成長期になります。まあ、恐慌時に適切なリフレ政策が取られていれば1940年代の段階でそのレベルに達していたはずという意見もありはするわけですが。
明治初期の産業近代化政策を中期以降の政策が取れた状態の産業近代化から見て同一視する(模範工場や一部の理想主義的な資本家による先進的な工場の労働条件を一般のそれに引き下げて理解する)ことに問題があることはもちろんですが、良好な労働条件の工場を見て戦前の工場労働の条件はさほど悪くなかったなどと言い張ることも当然問題があります。生産技術の面でも、例えば軍工廠は相当高度な生産技術を持っていましたし、一部大資本の直営工場もそういうところがありましたが、中小資本の工場は労働条件だけでなく生産技術も劣悪でした。むしろ大工場ですら、資本家の箱入り息子が親が経営していた工場を見て大きなショックを受けて、労働条件の改善や社会改良を志す(例えば倉敷紡績の大原孫三郎)状況でした。このあたりは、資本家出身で工場労働や労働者の生活改善に心がけたロバート・オーエンやシーボーム・ローントリーあたりにも通じます。孫三郎ヤシーボームからは一世代前になるかと思いますが、フリードリヒ・エンゲルスもこれに近い面があるでしょう。

■2022年06月26日(日)  これで広告には責任を持たないというのはありなのか?
6月26日から朝日新聞DIGITALで妙に目につくのが「美人同行事務局」というクレジットの入った広告です。「同行専門の癒し秘書サービス」とのことなのですが、もしかして間違っているのかもしれませんが、きれいな女性を商談に同行させて商談が険悪になったり緊張したりすることを防ぎましょう、その同行者を斡旋しますというサービスの宣伝に見えます。商談などスケベ親父や多情系兄貴が出てくるもので女性の笑顔があるだけで場が和む(もしかするとそれで連れていった側の有利に回せる)という方法論自体は否定するほどの話ではないにしても(というか、これでカウンターパートが新宿あたりの酒場でホストに入れ込む女性だった場合笑顔爽やか系の清潔な美男子でも同行させるのでしょうか)、記事脇のなかなかいい場所にこの手の広告を表示させることが一応正統派であるはずの報道機関として適切であるのかどうかは疑問に思います。特定の性をマスコット扱いすることもそうですし、商談という場をそのようなマスコットが効果を持つ場と規定し、ビジネスパーソンをそのような影響を被る人物像に典型化する姿勢も、高踏的な姿勢での報道とは適合しにくいように思います。さすがにその隣に「米国最高裁中絶の権利を否定」とか「強姦被害者の妊娠中絶に州間移動手段を支援」などという記事がある様子をシュールなコラージュと鑑賞する趣味はありません。
もちろんこういう事業やその宣伝自体は否定まではしませんし、スポーツ新聞はもちろん、これがテレビ広告なら土日のバラエティー番組やゴールデンタイムのスポーツ中継や子供向け番組に入っていてもむしろ公共テレビ放送というメディアの品性に相応しいと思います。私個人について、行動履歴でこういう広告が出やすいプロファイリングがなされてしまっている可能性も否定はしません(プロファイリングのアルゴリズムについては個人的に責任を全否定しますが)。
とはいえ、記事の書き手や出稿責任者が自分の記事がこのような広告と並ぶことを問題ないと思っているのだとしたら、いささか倫理的に問題があるように思います。
美人同行事務局

■2022年06月26日(日)  こういうのもパロディーではあるのでしょうね
「立てよ、国民。物価高を怒りに変えて」 立憲・泉代表
つまり立憲民主党はザビ家のような僭主制を希望しているか、物価高というのはザビ家の末子が死んだ程度の下らない話であると言いたいか、どちらかなわけですね。
あれは「坊やだからさ」というシャアのセリフと組になって意味を持つわけで、さらに元ネタであろうフランス大革命やロシア革命の際の、あるいは世界大戦時の戦意高揚のための演説ならまだしも、それを踏まえてストーリーとしてパッケージしたものからそこを捻じ曲げて台本の一部だけを取り出したら、それこそ「ナチスの手口」です。
まあ、台詞を元の文脈から取り出し、意味を捻じ曲げて提示するというのはパロディーの常套的な手法ではあるのですが、重層的なパロディーになっている点はさておくとしても、まずは一周(もしかしたら10周くらいしているかもしれませんが)回って政治的扇動演説に戻ってくるというのはどうなのかと思います。

■2022年06月26日(日)  携帯電話端末専用機なら回線とセットで売ってくれて構いませんけどね
総務省が4キャリアと全携協に「不当な端末販売拒否」の改善を要請――そもそも、スマートフォンは完全分離で売れるものなのか
これは理解できる面とそうでない面とがあって、たしかに携帯電話回線ネットワークの端末としては回線とセット販売でいいわけです。少なくとも携帯電話とかパケット通信の端末としては、そもそも特定の回線と契約に合致していないといけないので、むしろセットで買って回線契約を乗り換えるならその際に端末を回収し、新しい契約と適合するものに替えるべきでしょう。4Gから5Gへの乗り換えなどはそのパターンになると思いますが、使う回線の種類が同じでも契約を変更する際に端末が変わったっていいわけです。もちろん回線が変わる以上電話番号も変わってかまいません。
ただし、そうであってはいけない事情が二つあります。一つは、日本がすでに回線・端末分離を当然のものとしたということです。これは電電公社民営化の際の施策で、それまで電電公社から借り入れるしかなかった電話端末が買い切りで選べるようになりました。これによって電話機側に色々と機能が搭載され、電話帳が乗ったりそれを使って怪しい番号からの電話が着信しないようになったりしたわけですし、それを契約を変更(この場合は転居)してもそのまま使えるようになったわけです。また回線インターフェースをエミュレートすることで、例えば光回線に替えた場合でも光端末の先に変換器を置くことで電話交換ネットワーク対応の端末をそのまま使える形になっています。回線というインフラに客観的に適合する端末を組み合わせるという発想からすれば、むしろ切り離し販売の方が当然です。MNPやキャリアメールアドレスの持ち運びなどもそういう発想で、これは電話番号やキャリアメールアドレスを電話回線契約の一部なり特定の端末や回線末端を呼び出すための符号なりではなく個人を特定するための情報、符号と見ているわけです。
もう一つは、ユーザーから見て何がネットワークなのかという部分の事情です。携帯電話という用途については、明白に携帯電話回線ネットワークのアプリケーションです。SMSもそうです。しかしそれ以外のサービスは、基本的にはインターネットのサービスであり、携帯電話回線ネットワークはIPパケットを流す下層の媒体として機能しているだけ、つまりインターネットの端末としての利用です。つまりイーサネットや光ファイバー回線と交換可能なものでしかありません。一部のサービスは携帯電話回線契約の加入者情報に基づいた本人確認を前提にしており、これはその本人確認の部分だけは加入者情報を取り出せる携帯電話回線端末がないと働きませんが、それ以外の部分についてはむしろ携帯電話端末とイーサネットインターフェースカードを取り換えて使えないと困るのです。USBポートにイーサネットインターフェースモジュールとパケット通信インターフェースモジュールを取り付けて使うイメージです。この場合、パケット通信インターフェースモジュールは回線契約とくっついていて構いませんが、パソコンは回線契約を変更したら変更しないといけないと言われても困ります。
「携帯電話」を買う人にとっては端末は携帯電話の電話機であり、回線契約と紐ついている代わりに回線契約を維持し続ける限りそのまま使えるものであってしかるべきです。まあ、そのうち壊れるのかもしれませんが、同じ使い勝手のものを代わりに入手できるのが当然です。壊れたダイヤル式黒電話を電電公社に返却したらプッシュボタン式電話機が送り付けられてきて、そちらがトーン式の電話番号発信にしか対応していないのでパルス式の回線に繋げなくて困るなどということがあってはいけないわけです。携帯電話もそういうものでないといけません。
一方「公衆移動体通信ネットワーク用インターフェース」を介して携帯電話回線をコンピューターネットワークの一部として使う人にとっては、端末はすでに懐かしいものになってしまったMODEMや、あるいは光ルーターの類でないと困ります。回線側は回線固有のインターフェースを持っていて構いませんが、コンピューター側はUSBなりイーサネットなりの汎用のインターフェースになっていないと困るのです。当然各種のアプリケーションもコンピューター側にあり、端末インターフェースや回線はアプリケーションを区別せずにパケットを流す「土管」でなければなりません。私などはこの傾向があり、電話という使い方には基本的には価値を見出さないので、その電話の部分をIP電話、つまり050電話に替えようなどと画策しているわけです。理由が050電話の場合仕組みが全てソフトウェアなので手を入れやすそうだというものなのはともかく、別に携帯電話アプリケーションもインターネットアプリケーションもパッケージされた機材があってもかまわないけれど、基本は変換インターフェースだけで入手できるようになっていて欲しいわけです。この場合スマートフォンはインターネット端末であるスモールコンピューターなのであって、特定の回線事業者の提供する通信回線サービスに適合した携帯電話端末としての機能はそれこそUSBポート程度の意味しかありません。まあ、そういう人がキャリアショップで端末を買うことはあまりなくて、今時は量販店やメーカーショップでSIMフリー端末を買うのだと思うのですが。
こういう意味で、インターネット端末機能を売りにした機種は量販店やメーカーショップ、携帯電話端末機能を売りにした機種はキャリアショップというデカップリングが確立されているのであれば、あるいは携帯電話端末がWi-Fi機能も排除しインターネットアプリケーションはテザリングのみで使えるというのであれば端末と回線のセット販売で構わないわけですが、むしろ今はキャリアの方がインターネットアプリケーションを売りにし、インターネットアプリケーションを携帯電話アプリケーションの一部と偽って売っています。動画配信サービス利用のためのパケット通信に限定した割引オプション契約などはそういう話です。私あたりからすれば、土管屋は土管さえ売っていればいい、総合通信プロバイダーを騙るな、勝手にサービスをパッケージするなと言いたいくらいです。

■2022年06月26日(日)  産まれた子と産んだ女性がどうなるかの方が問題なんですけどね
レイプ被害者も中絶できず 26州規制強化か、移動費支援する企業も
正直、合衆国憲法上妊娠中絶が権利である、つまり合衆国憲法に同意した州が妊娠中絶を個人の権利として認めたものと当然に考えないといけないかどうかはともかくとして、人工妊娠中絶規制強化と中絶支援の動きが並行するところが米国の強さではあると思います。おそらく人工妊娠中絶したこと自体を罪とするような規制が出て来ても、他州への亡命を支援する動きが出るでしょうし、それを妨害するような行為は顰蹙を買うのでしょう。また合法州であっても中絶を問題視する意見の表明自体は咎められないだろうと思います。
とりあえず動向としては、人工妊娠中絶規制の広がり具合と、そして規制州における妊婦および婚外子とその母親の保護政策が問題になると思います。後者については、産む女性が望まない妊娠をどう処理するかに正解がない以上、産むことを強要するとすれば、産んだ人が産んだことによって、そして産まれた人が産まれたことによって不本意な人生を送ることがないよう保護しなければ片手落ちです。夫が、あるいは産ませた人が保護するべきだなどという正直現状馬鹿げたとしか言いようのない話をするようでは出産の強要は無責任な虐待行為としか言えません。もちろん周囲の善意がそれを可能とするなどという戯けた主張はなおさらです。その点は、それこそ絶対的な悪として無条件の非難に値すると思います。

■2022年06月25日(土)  改善の余地などあるのだろうか
公正な市場裏切ったSMBC日興 八田氏「内部からの規律づけを」
正直証券業界のコンプライアンス(とは当時は言わなかったと思いますが、インサイダー取引規制や運用代行規制あたりから始まったと記憶しています)が問題になった1970年代から全く改善していないということであり、資格はく奪、業務禁止、廃業しかないと思うんですけどね。証券取引市場に求められる機能としてはコンプライアンスが重要であっても、個別のプレイヤーとしてはコンプライアンスを出し抜いて儲ける方がメリットがあり、かつコンプライアンスが可能な行動を取らないという形でしか実現できないわけですから、規制の運用としては監視の仕組みを緻密かつ透明性をもって構築したうえでその仕組みにおいてプレイヤーを徹底的に疑って厳罰に処するしかないと思います。

■2022年06月24日(金)  返せと言うよりはまし
給付金10万円誤支給、本人に1カ月連絡せず  市「精査していた」
正直返せとか言うよりはましだと思います。問題はむしろ、誤支給の事実を公表していなかったことでしょう。返還を求め、回収するかどうかとは別に、誤って支給したという事務手続上の齟齬は公表されてしかるべきですし、再発防止策も講じられるべきです。

■2022年06月24日(金)  38スペシャルあたりが抜ける壁って何ですか
警察署の隣の畑に銃弾 射撃場のコンクリ壁を貫通か 静岡
本当に抜けたのだとしたら笑いごともいいところで、日本では所轄署の警察官はさほど強力な拳銃を使っているわけではないはずです。設備の経年劣化ではないでしょうか。もちろん一般的な建物の壁というのはそれでも普通に抜けるわけですが、さすがに射撃場の壁というのは側面も含めて抜けないように作るものです。

■2022年06月24日(金)  世論誘導で何が悪いとは思うけど
JR西の収支公表は「世論誘導、トカゲの尻尾切り」 広島知事が批判
トカゲの尻尾切りというのとはいささか違う気はしますが、ともあれ都合の悪いところを切り離して体勢を立て直そうとしているという批判は、JR西としてはされても仕方はないわけです。むしろ国鉄改革以来一貫して赤字ローカル線の整理という形でそれを主張してきたわけで、そろそろ無理ですと言うこと自体はしっかり言ってもおかしくはないでしょう。事情がどうであろうと事業体として精算してしまう権限はJR西にあるわけですから、新幹線も含めて鉄道事業を止めますとまで言う覚悟があるなら、JR西は不採算路線を整理しますとは言えるのです。それを都合よく運ぶための世論誘導なら、後ろめたい話というのは一切ないと思います。
その上で、県として、じゃあ幹線も含めてうちが引き取って高額の使用料を科すとか、JRは広島県を通るなとか言ってもかまわないとは思います。たかが民間会社ですから、公的認可の主体として不適切な事業行動に対して排除を行う程度の権限は、県にあるでしょう。現状の不採算路線も含めて一体としての鉄道事業の認可だ、撤退するなら全部諦めろとは言っていいのです。そこも含めて調整過程であり、国交省や関係国会議員の調停斡旋も含めて、落としどころを探ることになるでしょう。その過程や落としどころが民間主体の公共交通事業という仕組みにおいて適切なものとなる保証はどこにもありませんが、極論を言えば再国有化や網羅的な鉄道整備計画も含めて、取りうるオプションを探るしかありません。
民間ベースの効率的な事業の黒字運営は、JR西の経営としてはともかく公共交通事業としては全く前提とは言えません。

■2022年06月24日(金)  どういう資格でそういうことを言うのやら
兵庫・尼崎の46万人個人情報紛失、木原副長官「大変残念」
もちろん国としても注視すべき重要な事件(そのような業者に発注したという判断も含めて)であることは確かだと思うのですが、内閣官房副長官はどのような資格があって、どのような経緯でこういう発言をしたのでしょうかね。
内閣総理大臣や総務大臣ならば、ある意味所管しているわけですからコメントをし、あるいはコメントを求めることは適当だと思うのですが、内閣の秘書役にすぎない内閣官房がなんでまたという気がします。まあ、訊くのはいいんですけどね。でも答える側、言う側としては、一定の慎重さが求められると思います。

■2022年06月23日(木)  たった1割で何をするつもりなのやら
三井住友FG、SBIに796億円を出資 ネット証券分野を強化へ
SBI側に資金需要があるのはわかりますが、正直買収してもネット証券分野の強化にはならないんじゃないでしょうかね。強化するからにはSBIを一度解体してSMBCの各部門のコアに取り込むくらいのことが求められますが、現状せいぜい切り離し可能な部門として抱え込む程度の考えしかないでしょう。それでは資金だけしゃぶられて終わりだと思います。

■2022年06月23日(木)  政策として結果の再現性があるようなら素晴らしいことなのでは
出生数「三つ目の山がなかった」衝撃 人口減社会に求められる公正さ
一応人口増加は地域レベルではともかく世界的には解決されるべき問題だったと思うのですが、実は日本は人口増加の解決方法について非常に有力な貢献を為しているのでしょうか。要するに、日本の人口学者はこうすると殺戮をしなくても、拘束的な人口抑制策で不満を生み出さなくても人口が減るという方法論を定式化できたということですよね。その代わり漏れなく高齢化するわけですが。

■2022年06月23日(木)  労働基準法の制定から何年経ったと思っているのやら
東京インテリア家具に立ち入り検査 従業員を無償派遣の疑い 公取委
無償派遣するのも褒められた話ではありませんが、無償派遣させるのはもっと問題ですね。そもそも労働契約というのは業務内容や指揮監督者まで決めるものですので、無償であろうと有償であろうと勝手に他人の指揮監督下に置くことは違法です。他人の指揮監督下に置くために労働者を雇っていいのは労働者派遣業者だけで、その場合も派遣先を監督する責任を派遣する側が負います。
ということを弁えない人がどうも少なくないようで、ちゃんと義務教育で教えるべきだと思います。

■2022年06月22日(水)  荒らされる方が悪い
勝手に土砂搬入 荒らされた大切な山 撤去に1億円超、容疑者払わず
大切な山だというならちゃんと管理するものです。勝手に土砂を搬入できるような状況にしておくべきではありません。もちろん不法行為を行った側が原状回復に応じないのは問題ですが、それこそ責任を果たしようがない状況になることはあり得ますし、それとは別に、土地所有者としてその土地において周辺に害を及ぼすような状況を発生させない責任というのはあり、その場合の対応責任は直接に状況を発生させたものとは別に所有者が果たすべきなのです。もちろん所有者もその責任を果たせず、周辺に公益上の問題が生じるようであれば、その公益を確保するために公共団体が出て来て、所有権は無視されます。

■2022年06月22日(水)  いつまで前近代にユートピアを求め続けるのか
日本は戦前から「とにかく働け」社会 働けない人への再分配は進むか
行き過ぎた近代的人間観 自己責任論を超え「利他」を起動させるには
なんというか、この手の言説には反吐が出ます。
もちろん戦前どころか近代以前から日本は勤労道徳がやたらと普及していましたし、日本だけでなく近代思想が労働を理想化した面もあります。とはいえ利他とか働けないとかいうのはそもそもが救貧思想であり、生存権という発想を基準に考えれば保守反動としか言いようのないものです。本来近代的人間観というのは個人の自立を重視するわけですが、それは他の性質、例えば労働可能性あたりとは関わりなくそうなのであり、全て人は個人として尊重されなければならないということです。ですから近代の理想社会思想の多くは生活を支えるに足る個人資産=農地の分配とその差し押さえの禁止を基盤にしています。自己責任論はむしろ、近世の通俗道徳思想の産物でしょう。節倹を基盤とした勤労倫理を吹聴し近代産業資本家層のセルフヘルプ思想と共鳴した挙句に自己決定権を曲解するに至ったあれです。イギリスでは1940年代に近代的生存権思想が福祉制度を巡る論争に結びつき、救貧思想を主張する保守党と生存権思想を主張する労働党が対立した挙句に1945年チャーチルが下野してアトリー政権が成立するわけですが、日本では生存権や個人の尊重などと言いだす余力が残っていませんでした。こうして戦前を上書きする形で個人の自己実現思想が世俗的成功と結びついて蔓延し、平等思想のメリトクラシー的実現である単線教育制度により受験戦争が発生、高度成長という形で自己実現が疑似的に、個人の尊重とは切り離された形で実感されたことにより、その高度成長が行き詰まった1970年代以降に自己責任論が現在の形で出てくるのです。逆に言えば個人やその生存権を尊重する思想自体は近代的人間観自体から十分引き出せるのであり、それがネオリベラリズムやリバータリアリズムからすら福祉社会思想が出てくる所以です。
一方で20世紀最終四半期あたりから戦後世代による大衆的ポストモダン運動が出てきますが、これは19世紀半ばから20世紀前半に主流文化として進行したパターナリズム、客観的制度観、産業文明へのカウンターカルチャーです。パターナリズムや会社や労働組合、政党といった組織による動員思想への反対として連帯や利他、反近代思想が説かれ、その中で植民地主義への反省と並行する形で東洋思想が参照されます。上記の二つの記事はこの流れに属するものですが、ある意味その末裔がGAFA+テスラです。正直共産主義も含めた近代思想へのアンチにこだわるあまり別の形で全体主義にはまり込んでいると評するしかありません。この場合産業資本家的個人主義、自助思想、自己責任思想へのアンチとして共同体思想が常に参照されてきたのも問題を悪化させているでしょう。今から振り返れば共同体思想が官僚化するとソ連型社会主義になるわけで、東西に共通していた権威主義に対するに共同体思想を持ってくるというのはおかしいわけですが、技術的制約から結局キャンペーンを組織するしかなく、連帯→共同体思想→全体主義というお決まりの方向をたどらざるをえなかったのでしょう。これを克服しうる諸個人の接続という方法論が広がってくるのは20世紀末です。
「人助け指数」などというランキングは時代遅れの連帯主義に通俗道徳のふりかけを振ったようなもので、噴飯物というしかありません。20世紀中期にファシズムに分類される諸運動が説いた道徳的保守主義、懐古主義そのものです。見知らぬ人を助けるというのはともかく、個人の行動における一般論としての寄付やボランティアというのは旧態依然とした動員思想でしかありません。見知らぬ人を助けたかどうかにしても主観的な認識の問題でしかなく、妥当な調査が可能とも思えません。したがってそんなランキングで最下位になったからと言って気にする必要は全くないのですが、一方で妙な自助思想やそこから派生した他者排斥思想が顕著に見られることも事実ではあります。個人的にはこれは歪んだ平等思想や日本ナショナリズムの影響だろうと思っていますが、平等であるがゆえに全て人は等しく自助しうるのであり、救済されるような他者があってはならず、そういう他者は日本ナショナリズムに照らして非国民、人外なので無視あるいは積極的に排除していいわけです。こういうものを克服するとすれば、それこそ近代的人間観とそこから導き出される生存権に依拠するしかないと思うのですが、違うのでしょうかね。近代への対抗というと、近代の超克とかユダヤ的近代のゲルマン的克服といったものが連想されて、ちょうど上記の記事にあるような主張と重なって「伝統的」共同体像や「未開」への回帰というポストモダンの商品につながっていきます。そんな安っぽいものでいいわけがないと思うのですが。

■2022年06月22日(水)  雇用における最低賃金の設定による労働者保護という発想自体はどうかと思わないでもない
最低賃金協定EUの新法律でイタリアの労働者は救われるか
まあ、EUだけに最低賃金で労働者を救済するという発想になるんでしょうが、正直そろそろ時代遅れという気はしてきますね。
最低賃金は、もちろん賃労働者の十分な生活を保障する規制の一つですが、使用者にとっては労働生産性の制約要因ということになります。事業にはほかに、事業所得税や資産課税のような事業の生産性に対する外的な制約があり、資金調達に伴う制約(一般的には金利)と合わせて事業経営の健全性に対する規律を与えます。つまり、儲からないけど意義があるからするというわけにはなかなかいかないわけです。この制約を部分的に外すのが非営利事業における(主として税制面での)優遇措置ですね。
全ての事業が十分な収益性を持つ状況ならこれでいいわけですが、経済成長率が数パーセントという状況でどれだけの事業がこうした制約に即した生産性を上げられるのでしょうか。もちろん生産性の低い事業は実施しないというのが会計上は健全な在り様ですが、一方で必要とされるにもかかわらず生産性が低いために実施できない事業というのも出ています。あるいは必要経費の過剰な計上という形で生産性を誤魔化している事例もあります。賃労働者を少数長時間拘束した方が得な労働規制と合わせて、それでよいのかという気がしないでもありません。
正直生活給としての最低賃金規制から見れば、週休二日1労働日当たり7時間拘束の前提で時給100〜200ユーロ程度までは合理性を持つように思います。それに満たない労働生産性であれば雇用は行うなという発想はあり得るでしょう。また単純労働においてこの程度の労働生産性すら実現できない経営者が年額数百万ユーロあるいはそれ以上といった報酬を取っているのはどうなのかという問題もあります。とはいえ労働生産性と労働再生産費用を直結させることの無理も見えてきているように思いますし、まして消費者物価水準の地域差を利用するような分業の是非も(1980年代から)問われています。

■2022年06月21日(火)  お手軽が好まれているものを規制してハードルを上げる必然性がどこまであるのか
ソーシャルレンディングの規制強化へ 金融庁、23年にも実現目指す
債権債務を発生させるという意味での金融の手段としてのソーシャルレンディングは、適切に規制されてしかるべきだと思います。その意味ではふるさと納税も同様ではあるでしょう。地方自治体としての信用に基づいてこのように使いますという趣旨を掲げて寄付を募っているわけですから、その使途も含めて債務と考えるべきでしょうし、金融として規制をかけ、適正な制度運用を担保するべきです。
とはいえ実質的にそうではないソーシャルレンディング系の資金融通もあるわけで、募集者や仲介事業者をどうやって信じるかも含めてリテラシーではないかと思える形態もあります。特に債務の解消を前提としない案件やその仲介をどこまで規制するべきかは、募集におけるコストとの絡みで規制には熟慮が必要でしょう。そもそも小規模案件でも実施できることがメリットのソーシャルレンディングに規制対応のために少なくない実施コストがかかるようでは本末転倒です。
この点は証券発行も同じで、正直株式の発行や上場はもう少し規制するべきだし発行上限もあってもいいくらいだと思いますが、社債(つまり会社が発行する償還および利払いについての無記名権利証券)の発行は格付け取得を前提とすればもっと簡易かつ発行自体の敷居が低くてもいいくらいでしょう。株式はその取得が一定の(社員としての)身分を発生させかつ資本金という形で信用を発生させますが、社債の場合は取得自体は支払いを受ける権利を手に入れるだけ、信用は格付けと支払いの実行のみによって発生するものだからです。社債市場よりも株式市場が一般投資家で賑わう状況というのはおかしいと思います。

■2022年06月21日(火)  お得で釣れると思われるのが心外かな
マイナポイント第2弾、6月30日スタート 2万円付与で国民全員は動くのか?
記事に書いてある内容もそうだろうとは思うのですが、そもそも(マイナンバーに紐付けてでなく)マイナンバーカードに個人情報を集積しようというところで怪しさを感じているのではないでしょうか、というか、個人的にはそういう部分があります。例えばマイナンバーに医療の利用状況を記録するというのですが、カードに仕込めるセキュリティ機能というのは限界があります。もちろん記録件数にも記録する内容にも制約があるわけです。これでは利便性に欠けるうえに不用意に個人の行動についての記録を携行することになります。クレジットカードやキャッシュカードなら紛失したら無効化すれば済みますが、マイナンバーカードの場合カード自体に記録されている情報については手の打ちようがありません。また運転免許などの資格情報も、カード自体に記録されてもリーダーがないと読み出せないうえに、そもそも他人に提示するものですからマイナンバー自体と紐つけて端末機で照会、マイナンバーカード自体はただの写真付き身分証明書として使うのでも提示する側としては違いがありません。そういう、なんとなく盛り込んでみただけで設計自体に熟慮が感じられないことが、なんとなく怪しいと思われているのではないでしょうか。
ですから、個人的にはどこかで発行を申請することにはなりますが、ポイント付与を含む付加機能の利用には全く気が向かないですし、それでポイント付与などと言われると馬鹿にされているように感じるわけです。

マイナカードの普及「国の圧がすごい」 政府が躍起になる理由とは
カードの交付自体はともかく、付加機能は使いたくありませんからねえ。特に銀行口座の登録などまっぴらごめんです。

■2022年06月20日(月)  固定電話対応終了のお知らせ、らしいです
ダイヤルアップ接続サービス 提供終了のお知らせ
まあ、今さら固定電話や公衆電話経由でダイヤルアップ接続をしているユーザーはほぼいないと思うので、文句を言う筋合いもないのですが、ダイヤルアップ接続から始めたユーザーとしてはいささか感慨を覚えます。30年少々というところですね。よく続いていたものです。ちなみにダイヤルアップ接続とは、音声通話を利用してデジタル通信をする手法の一つで、電話交換回線にゲートウェイを繋いでいるものです。
正直電話というサービス自体もう賞味期限切れだろうと思いますが、なぜか電話番号というやはり実体がなくなった識別記号と合わせてなかなかなくなりませんね。電話番号の上位7桁が交換機の番号だったことを知っている人がどれだけいるでしょうか。局番というのですが、下4桁が交換機内の回線番号で、別の交換機に繋がれた回線に電話をかける場合、その交換機を指定する局番を先頭につけていたのです。回線交換網自体が抽象化されてそんな区別はほぼ意味がなくなってしまいましたが。

■2022年06月20日(月)  設計単価表って機密情報か?
県の設計単価表、積算ソフト会社側に「売った」 鹿児島の贈賄容疑者
そもそも積算単価表って裏で買わないと手に入らないような類のものなのでしょうか。売り手と買い手の間で共有される積算基準があって、その基準に対して売り手独自の優位性をもって競争することが、役務提供における競争入札制度のはずです。それがなければ買い手側は妥当な予算立案ができません。つまり買い手側がなにがしかの積算基準を持つのであれば、それは入札募集に先立って公表されていないといけません。公表されているものは募集側の窓口に相談すれば貰えるはずですし、仮に非正規のルートで入手したとしても咎められる筋合いのものではありません。どうもそこが、どの入札者がいくらで入札したといった情報と混同されているように思います。公表された入札仕様に基づいて公平な立場で独自性を生かした入札をする、それを比較するというのが公的制度としての競争入札であり、積算基準は公表されるべき入札仕様の一部です。

■2022年06月20日(月)  できるものならしてみればという気がしますが
IOC委員が語るロシア締め出し スポーツはナショナリズムと決別を
もちろんナショナリズムとの決別は構わないと思いますが、その場合ナショナルなサポートも諦めるのが筋ではないでしょうか。スポーツに限りませんが、興行プロや文化事業というのは国家から様々な経済的支援や制度的支援を受けているのが実情のはずです。競技会場のような施設の確保もそうですし、オリンピックのような国家的な補助を受けて初めて実現できる、国単位で国家を代表するものとして下部組織が構成されている興業も、もちろん団体の法人格もそうです。理想としてのコスモポリタニズムを標榜できるような自立性の裏付けを、国際競技団体や競技者というのは持っているのでしょうか。

■2022年06月20日(月)  予見能力の低い経営者は経営者としては死んでください
「殺す気か?」 新電力崩壊、料金1カ月で2倍に 危機の町工場
正直こういう経営センスのないことを言うから中小企業は駄目なんて言われるんだと思うんですよね。要素が何であれ、経営環境というのは急に変化するものであって、それに対応するのが経営者の責任です。それができないならおとなしく勤め人をしていればいいのであり、無理をして町工場を経営するよりは大手に事業を売り払うべきなのです。大資本が経営環境の変化に規模故のタフさで耐えるのであれば、中小企業は柔軟性や迅速な対応で耐えるものとされます。コストが変化したら迅速に価格に転嫁し、例えばそれが理由で客離れされないような緊密な関係を常連客との間に構築している、あるいは業態や取扱品目を素早く調整して切り抜けるというのが中小独立企業の存在意義であり、二カ月あって対応できないようでは若い経営者とはいえ経営能力がないと言われても仕方ありません。
もちろん、大手電力との価格の差を疑問に思わない、契約書をちゃんと読んでいないというのも、問題です。契約書には価格急変時の解約条項が書かれているはずで、それがあるからこそ一通の通知で年間契約について給電条件の変更と不承諾時の契約解除を通告できています。適切なリスク管理ができるというのが経営者としての最低条件である以上、知らなかったでは済みません。それで済むのは保護された無知で従順な大衆だけです。

■2022年06月20日(月)  そりゃ就職先がないから兵隊として軍隊に入るんだもの
低賃金の地域出身・若者…ロシア軍死者に目立つ 独立系メディア推計
これ自体はよくあることで、就職先がないから軍隊に入るわけです。その結果人口比率に対していわゆる貧困地域出身の死者が目立つことになります。またいくら指揮官が過度に危険を避けていては士気に関わるとは言っても、指揮官がぽろぽろ死んでいては統制上困るわけで、どうしても階級が下であるほど戦死率は高くなります。士官学校に進学を考えられるほど経済的に余裕のある地域と士官学校を受験するための教育すら支えきれない地域との差は出ます。
その前提の上で、そのような兵ばかり出す地域と軍人を出すにしても士官が中心の地域の格差がないかという視点はあり得ますし、またそのようなバイアスがあることを認めたうえで、そのバイアスを超えて特定の地域に戦死者が偏っていないか、つまり軍の中に地域閥ができていてそこに属さない者を前線に送り出している傾向がないかという視点もあり得ます。とはいえ、だからといって貧困地域の兵の犠牲の上にモスクワの若者が生を貪っている的な発想は、もしあるなら変だと思いますが。

■2022年06月20日(月)  目立ちやすくなったとはいえ昔からこの手の他人を囃して喜んでいるようなガキっぽいのはいたからなあ
「新・破産者マップ」が出現 掲載取り下げにビットコインの支払い要求
こういう嫌がらせ兼たかりはだから何だと開き直っておくしかないので、メンタルの強さとネタを弱みにさせない工夫が求められるわけです。今時村八分程度で生活が行き詰まったりはしにくいので、ご近所のうわさなど気にならない日常生活とか、昔のことを蒸し返されてもそれはそれ、今のこの人は一緒にやっていけると言ってもらえる信頼関係を要所と築いておくのですね。
その上で、どうでもいいことを蒸し返して他人を誹謗し金を毟ろうとする犯罪者だと、相手を訴えることが望まれるわけです。少なくとも金を払って情報を削除して貰おうなどという発想ではどうにもなりません。無視するか、対するなら強気あるのみです。

個人情報保護委員会、「新・破産者マップ」調査へ 「事実確認の上で適切に対処したい」
まあ、本来公表される情報なので、「忘れられる権利」との抵触程度の問題ではあるのですが。むしろ遊び半分でたかり行為をしている点に、コレクション目的で鉄道車両の方向幕を盗んでいくような倫理観の欠如を感じます。つまり、公表されたら嫌ですよね、お金を払えば消しますってのが公開情報の活用の仕方として品性に欠けると思います。素っ裸で闊歩しているのと同じで、あまりに品性に欠ける行為は公に行われるべきではないと思います。
とはいえ「公示」という制度が無用に情報を時間空間的に拡散してしまう面が強く出ている事例ではあり、名簿の作成と同様に制度の変更を検討するべきなのかもしれません。

破産者DBサイトまた出現、苦情400件 停止命令に運営者反発
破産者の情報を転載、なぜやめない? 運営者の言い分は
「返すつもりがないのにお金を借りまくり、弁護士に相談して自己破産する、というようなあくどい破産者がいると思っているからだ。安易に破産を認めるべきじゃない。」
こういうあほな主張は措いておくとして(だいたい返すつもりがないのに借りまくれるほど金を借りるというのは簡単ではありませんし、そこの審査をしない金融事業者は一定率で破産されることを前提にしています)、破産した本人が破産したことをスティグマだと思っていたら話にならないと思います。どのみち官報で公表されているのに転載できないのはおかしいという主張自体は道理で、一般的な慣習としても公示後5年程度はブラックリストが出回ることは避けられません。永続的に掲載し続ける場合には問題になりますが、正直その手の公表情報ベースのライフログを規制することは容易ではありません。規制側として公示後一定期間を経過した情報を組織的に整理することは制度として想定していないと対処することはあってしかるべきにせよ、破産者側としては何が悪いと言っておくべき筋だと思います。
ルーズな貸借という点ではむしろ破産者を出すような金融機関に経営上の問題があるわけで、この業者は貸出先何万件、貸出実績何億円中破産何万件、破綻処理額何億円と、できれば個々の担当者やその受け渡しのレベルで調べて公表すると、本人には不都合でしょうが、借り手や融資営業を受ける側には便利でしょうね。

■2022年06月20日(月)  会社に連帯保証でもしているというならともかく
「日本の社長は給料低すぎ」 ロシア撤退決断のトップが説く経営論
現状の給料を合理化するだけの仕事すらしていないと思いますが。もちろん株主団がそれでよしとするなら報酬をいくらにしようが勝手というもので、50倍が100倍でもかまわないと思いますが、それはそこまでの信認を株主団から得られていることが前提です。代表取締役が例えば2億5千万円の報酬を求めると言うなら、個人的には別の人を探すか株を売り払うと思います。

■2022年06月20日(月)  むしろ特権的な異性間婚姻制度こそが違憲だと言うべき
「婚姻類似の制度」では差別と同じ… 同性婚訴訟判決に原告が怒り
同性婚を認めないのは「合憲」 大阪地裁の判決要旨は
怒る筋合いはないと思いますし、司法府としてはごく常識的な判断だと思います。
もちろん、現行の戸籍制度下での同性婚制度の設計においては戸籍の統合を含めることが妥当でしょうし、その手続が婚姻届の提出であっても差し支えはないでしょう。とはいえ婚姻自体が重すぎる制度として忌避されつつある状況の中で、婚姻できないのが憲法違反だと言われると違和感を感じざるを得ません。これが憲法問題でも民法から婚姻の規定を無くし、憲法の規定を婚姻における原則から家族の編成原理に変更するというならわかりますが、婚姻できないのが差別だというのは、どうも保守反動に聞こえます。もちろん異性間なら婚姻できるのに同性間では認めないのは差別だという主張自体はわかります。またカップルとして婚姻した異性カップルと同じ扱いにして欲しいというのも理解はできます。ただし、そこで現行の民法および戸籍制度の下での婚姻にこだわる理由は理解しかねます。個人的には、婚姻は権利や自由ではなく家族関係を規定する便宜的な制度に過ぎず、その原理が当事者の合意と対等性に基づくというのが憲法の宣言だと思います。婚姻の内容自体は憲法に反しない範囲で法律として定めることができ、もちろん家族制度上婚姻という枠組みを作らなくてもかまわないと思います。判決要旨を読む限り判決は同性婚の制度がないことが24条1項に照らして違憲ではないと言っているだけで、むしろ同性婚は公序良俗違反には当たらないと判断している点で、おそらく幸福追求権との関係で同性婚の家族制度への取り込みを促していると理解できると思います。
まあ、控訴も上告も権利ではあるので、その気があるならすればいいと思います。国会が制度化に動こうとしないから裁判に訴えたという面は確かにあるのでしょう。とはいえ、正直憲法24条1項自体、婚姻制度自体の合理性を、事実上女性の自己決定権と個人が家族を編成する権利を損なっていると否定する方が楽だと思います。

同性カップル保護、判断に差 大阪地裁「婚姻以外の方法で解消可能」
そこが問題なのでしょうか?
そもそも憲法24条を「「婚姻の自由」を保障」と表現することが不思議です。たしかに旧来の家制度から見れば自由なのでしょうが、婚姻自体についてはどちらかといえば結婚は人生の墓場というのが正しい理解でしょう。家族制度において核家族を基盤とすること、当事者の合意以外の事情で拘束されるような家族制度を構築してはならないという趣旨に解するべきであって、つまりは結婚を強要してはならないという趣旨です。憲法に婚姻とはどんなものであるか、その中で配偶者なるものがどう位置づけられるかの定義はありませんから、憲法はその制定の時点での社会通念を参照していると理解するしかなく、それがそのままでは両性の一方について差別的なものとなりがちなのでそうならないように制度的に保証すべしと言っているにすぎません。つまり家族制度における大家族制度と戸主制度の否定です。そこに核家族の夫婦を構成する当事者の間での配偶者選択の自由が含まれるにせよ、制度を構築するとすればそのようなものでなければならないということであり、そのようなものでない家族制度は解体廃止されなければならないということであり、家族の編成自体を積極的な権利として認めたものではないと思います。

「同性愛者は差別してもいいということか」 全国から憤りの声
むしろ、結婚こそが黄色い星の印であり、既婚者こそ封建的制度に甘んじている差別されるべき人たちだということだと思いますけど。

■2022年06月20日(月)  考えてみればマネーサプライが1.5倍になるだけ
ふと思い立って計算しましたが、国民一人当たり年間120万円を支給したとして、200兆円程度のマネーサプライになります。現在日本のGDPが500兆円というところですから、1.5倍にお金が増える、逆に言えばそれ以上は増えないということになります。生産が全く増えないとすれば50パーセントのインフレになりますが、すでに値上がりしている燃料費や小麦価格、一部の食用油価格はともかく、役務価格や国内調達可能な商品の価格は供給量が増えますから、例えば米価格なんかはあまり上がらないはずです。当分は遊休設備が稼働するだけだと見れば投資も増えないわけで、さらにはおそらく需要喚起策などの実体のない支出に使われていたリソースが実体のある需要に回る形で労働生産性が高まり、支給で賃金上昇圧力が緩和されることもあってあまり価格の上昇は起こらない。つまりマネーサプライ50パーセント増で実需50パーセント増でそれが有休リソースの動員で食いつぶされて消費者物価は10パーセント上がるかどうかというあたりになるのではないでしょうか。もちろんこれは支給分が丸々消費に回った場合で、当分は貯蓄、それも豚積みという箪笥預金と並んで最悪の貯蓄に回るわけですから、その分実際のマネーサプライが減り、消費者物価も数パーセント上がるかどうかということになるはずです。
そう考えると、ハイパーインフレになるなんて言い出したのは誰だということになりますね。もちろん支給を継続していくとその分貨幣は増えていくわけですが、インフレーションはあくまでも年率の問題ですから、固定額の支給では物価に与える影響は徐々に薄まっていくことになります。一方で貨幣が増える分は成長ということになり、その分税収は増えていきます。もちろん支給分のうち所得税や消費税として取られる分はマネーサプライの増加に貢献しないわけで、民間での貨幣創造ゼロというのが当面妥当な仮定だとすると、当分は国の負債が積みあがっていくことになりますが、消費が堅調であれば通貨の信用を棄損することはなく、その負債は日銀が引き取ってしまえば永久債扱いです。税収が増えてくるまで好きなだけ積んでおくことができます。潜在需要を使い果たした場合、供給過剰で消費者物価がある程度低下しつつなにがしかのバブルが発生するのだと思うのですが、顕示的消費に走るのか資産投資に走るのか、そこはわかりません。とはいえなにがしかの経済動向の変化となって見えるはずで、需要と供給が落ち着いてしまい貯蓄が増えるとスタグフレーションと資産バブルの発生ということになりそうな気がします。もしそれでいいのだとすれば、検出は容易で、金融引き締めなり支給の縮減(この場合マネーサプライの追加が必要ないほど金回りが良くなっているので支給を減らしたところで影響は小さい)なり増税なりの対応を講じることができるでしょう。
とはいえいささか不思議なのは、政府と日銀の役割が価格安定策と景気安定化策で逆転しているように見えることです。通常は中央銀行が金融政策で通貨価値(この場合消費者物価)の安定化を図り政府が財政政策で景気の安定化を図り、共同で景気循環を均していくのだと思うのですが、現状日銀が金融緩和で景気刺激を唱えつつ通貨価値の下落を無視し、政府が財政出動を控えて個別的な価格統制策(まあ、燃料価格安定化ですね)を実施しています。このあたりは財務省を中心とした財政再建論が生み出している矛盾という気もしますが、そもそも景気が収縮すれば税収が減って財政再建など覚束なくなることを考えていないように見える財務省サイドの頭の悪さは昔からとして(それが原因で金融政策に無理がかかって1980年代の低金利政策でバブル景気まで生み出したという説すらある)、超低金利下で株価が上昇する時点で金融を通じた投資需要がないことは明らかで、需要がないのに金融に通貨を突っ込んだところでお金は必要なところには回りません。仕方がないから金融政策を転換して高金利にして倒産の頻発と失業率の上昇を物価の低下と給付で補うにせよ、市中金融に流している通貨を国債引き受けに回して証券市場を急冷しつつ財政出動を拡大して実需の拡大を図るにせよ、本来想定されている役割分担への復帰を図るべきではないのでしょうかね。

■2022年06月20日(月)  そういうなら借金を作り出す政治をしている人が借金を背負うべき
安倍氏ら積極財政派を牽制? 首相「財政は国の信認の礎」 令和臨調
財政再建はまあ、政策としてあって悪くはないと思いますが、それで財政政策を否定するのはどんなものでしょうか?いっそ報酬を全部社会保障給付と統合します?つまり公務員に給与を支払うのを止めて、給付だけで済ますわけです。もちろん給付手続もしてもらいますが、どのみち収入は無くなるわけですから、親戚に富裕な人がいるというのでもなければ通るでしょう。そこまでやって初めて、必要な人に緊縮を強いる、必要な事業も含めて切り詰めるということができるのだと思いますが。
またプライマリーバランスが達成されることが前提になりますが、国債を全て閣僚と国会議員に付け替えてしまえば、国としての債務はゼロになり、辻褄合わせの短期債だけ発行して次年度初めに収支ゼロということになります。財政健全化=国が債務を背負ってはいけないというのはその程度の覚悟でするべきことでしょう。もちろん財政のアンバランスの是正自体は政策として可能なものですが、そもそもプライマリーバランスを達成する時点で相当大きな痛みが発生しており、そこにさらに債務の償還を上乗せされたらたまったものではありません。どのような意見があったにせよ国として債務を背負うことを決めたのは国民の代表である国会議員、そしてその国会から一般行政管理を委ねられた内閣であったわけですから、昔の人たちの責任であっても今の人たちが手直しするべきと判断する以上その人たちが背負うべきです。そうでないと、国会議員の勝手でまた債務を発言権に乏しい人に付け回すようなことが起きかねません。

■2022年06月19日(日)  むしろキャリアがいい加減なプランを乱立させることを規制するべき
楽天モバイルとpovoのゼロ円プランは価格圧搾なのか――MVNOがゼロ円を展開しているので圧搾にはならない?
そもそも圧搾って何だという話はあるのですが、少なくとも相対的、つまり通信事業への投資額あたりに比べての通信料金が日本では高い、もっと下げろという話は聞いた記憶がありますが、ある目標水準があってそこまで下げろという話は聞いた覚えがありません。個人的にはデータ通信容量無制限で月1000円が適切な目標であり、通信各社はそこで黒字が出るまでコストを下げるべきだと思いますが、これは公衆移動体通信を社会基盤と見做したときに可処分所得から納得できるだろう額ということで、それこそ可処分所得が変動すれば増えも減りもします。現状可処分所得は減っているわけですから、目標額は減っていると思うべきでしょう。
政府側が主張してきたのは、それこそ一キャリア一価格あたりを理想とする比較可能で単純な価格体系と、価格体系の選択において回線設備以外の要素(例えば端末価格)を考慮しないことです。この点ではMVNOがかなり不利な状況にあり、少なくともMNOの価格体系に国が首を突っ込む必要はまだまだあると思います。また理想であるデータ通信容量無制限にも程遠い以上、制限をかけて設備コストを下げて料金を下げるような発想の価格体系はMVNOを含めて規制する必要があります。もちろん何をどうやっても無理なコストカットを強要すれば民間事業としては全滅するかもしれませんが、国有化してでも公衆移動体通信へのアクセス権を保障するというのであればそれはそれでいいわけです。また一定の補助政策と組み合わせてどこまで1回線当たりの事業コストを下げられるかはモデル計算ができるはずで、そこまでは公定価格として下げさせてしまってもいいでしょう。もちろん付加的サービスだの契約者情報を変に活用するような副業だのは例えそれで価格低減が見込めるとしても原資に算入してはいけませんし、モデル計算自体は回線網の維持コストを切り詰めることだけを前提で行うべきです。これは市場を歪める行為ですが、そもそもインフラストラクチャーなど市場を歪めることなしに達成はできないわけですから(便益が不足するから届かなくてもいいことにしてしまうのではインフラストラクチャーとは言えません)、その事業分野の市場は歪めた上でそれを利用する他の市場が歪まずに発達できることを目標にするものです。

■2022年06月19日(日)  頭腐ってないか?
性的マイノリティー「元に戻らないのか」 山梨県議が発言、謝罪
好ましくないと思うなら元に戻らないのかという考え方自体はありだと思いますが、それ以前になんで性的マイノリティーであることと犯罪が結びつくのでしょうか。理屈がさっぱりわからないというか、そもそもむしろ性的マジョリティーであることの方が犯罪を発生させる条件になっており、全員去勢して性行為が不可能な状態にしてしまえば確実に性犯罪は減るはずです(痴漢や性的ハラスメントは減らない気がしますが)。そう考えた上でそのデメリット(まあ、子供ができないとか、個人の人権を過剰に侵害しているだとかですね)を検討するというのが理屈というもので、党の綱領とか共生社会とかいう以前に論理的な思考ができていないのではないかと思えます。党員としてはともかく、異性愛者として性交を望まないと子供ができない、それは良くないことだという主張自体は、子供の数を増やすべきだという価値観を受け入れる限り理屈としては合っています。もちろん人間は子供を産み産ませる機械じゃないし性別に関わらず好ましい相手とカップルになるのは幸福の追求としてありうるだろう、変な価値判断をするなというのが私の価値観ですが、一定の政策の追及において相手の賛同が欲しいなら、そこで喧嘩をせずに、例えばどんなカップルでも幸福を追求できるように制度を整えることで、ストレートなカップルも幸福になれる可能性があるし、そうなればさらに幸福を追求して子供を作るかもしれないし、何かあったときにホモセクシャルなカップルが子供の養育を引き受けてくれる可能性だってあるじゃないか、そういう可能性を増やしていくことが必要だろうくらいの妥協的な主張は弄するわけです。その意味で相手の理屈に合った主張は排斥しない方がいいわけですが、さすがに意味不明なのはいけません。

2022年06月19日(日) 
「産まない方がよかったんじゃ」 警察官は取り調べでそう言った
もちろん留置側に留置されている人の持ち物を管理する権限というのもあるのだと思いますが、そもそもノートを差し入れる際に差し入れてよいかどうかを確認しているはずですし、留置されている人や弁護士がノートに何をしたところで留置に問題は生じないでしょうから、余計な手出しをして取り上げたことはいくつかの意味で被疑者の人権の侵害に当たると言うべきです。
また取り調べに際して言わずもがなの言葉で被疑者を侮辱するのも問題のある行為で、そもそも産まなきゃよかったじゃないかと言われても産んでしまった以上仕方ないだろうとしか言いようがないでしょう。ご近所さんが言ったくらいなら謂れのない侮辱で済みますが、警察職員が言ったら監督責任が問題になります。警察には人権を蹂躙しかねない行為を強権として行使する組織として職員が職務中にあほなことをしないよう教育する責任があります。

■2022年06月19日(日)  むしろ今さらLINE頼みということの方がおかしい
子どもの欠席連絡、LINEで24時間OK 学校の働き方改革にも
LINEだというのがあほかと思いますけども、運用の方向性としてはこれでいいわけです。達成するべきなのは随時の受付と受付の際の保護者と受け付ける学校の双方の本人確認ですから、適当な本人確認手段を講じてコンピューター任せにした方がずっといい。この場合相互の本人確認手段がLINEだということです。もっとましなオープンな手段はいくらでもあると思いますが、LINEが潰れて責任を取れる、LINEのアカウントを持っていない人の不利益にしないというなら絶対だめとまでは言いません。
もちろん座間教委は、サービスが停止した場合の代替手段やそもそも停止を防止する具体策、LINEアカウントを持たない保護者のフォローについて、少なくとも座間市議会で説明する必要があります。滅多に止まらないからいいんだなどと言ったら馬鹿にされると思うべきですが、どうせ何をどうやってもリスクはあるわけですから、ある程度適切な代替手段を講じていればリスク評価の問題でしょう。

■2022年06月18日(土)  その憂鬱は自業自得でしょう
リノベVS静かに暮らす権利? 50年マンション「第一世代」の憂鬱
静かに暮らす権利などというものは、集合住宅にはないですね。欲しければ10年ほどで戸建てを買って転居するべきでした。
もちろん分譲、区分所有という形式を批判することは容易で、あれは開発業者の長期リスクを買い手に移転するものでしかありません。本来賃貸としてしか扱いようのない建築物を、買い手の負担で所有に見せかける擬制です。管理組合という制度によく表れています。
おそらく制度上、管理組合を通して入居者の行動を規制することはできます。入居者は管理規約を承認して入居するわけですから、そこにリノベまかりならんと書いてあればそれを守らざるを得ません。とはいえそれは、管理組合を制圧して初めてできることです。
ごく普通の一入居者としてできることは、永の住まいではないと割り切ることだけです。勤め先や子供の学校との行き来に都合が良く、生活に便利な場所として、職や学校に縛られる暮らしが終わるまで住まい、住み捨てるべきものです。ならばいずれ縁が切れる隣人とは愛想よくかつ顔を背け合ってやり過ごしあうべきでしょう。リノベをするほどに住まいに拘る隣人が現れる前に、閑静な一軒家であるせよ変化自体を厭う死以外では変わらない集合住宅であるにせよ、落ち着き先を探して転居するべきです。

■2022年06月17日(金)  労働者でなきゃいいだけのことだと思いますが
「スタートアップは残業規制の対象外に」 経済同友会の提言が波紋
まず、スタートアップの場合組織構造は比較的フラットなはずであり、そこでどんな立場の人のどのような役割を想定して残業規制がかかると考えているのでしょうか。いくら労働規制が杓子定規でも、社長や取締役に残業規制はつかないはずです。一方で末端の事務アシスタントが残業をする必然性は基本的にないはずです。
正直何でもかんでも株式会社に賃労働制度という発想をして、その上で賃労働制度に関わる規制をどう緩めるかという考え方をしていないでしょうか。スタートアップの場合、有限責任制度は必要であっても、主要な従業員が賃労働者である必要はないはずです。それこそ持ち分会社と同様に、全員が取締役であってもいいでしょう。そして取締役に労働規制が適用されないことは自明です。

■2022年06月17日(金)  横書き書籍は左綴じにするべきです
戦時下ドイツの代用食レシピ
内容としてはしっかりしていると思います。問題は本としての仕上げの部分で、誤字脱字が頻出しますし、綴じ方(つまりページをめくる方向)がページレイアウトと逆です。後者はおそらく電子書籍データを生成する際に設定を間違えているのだと思いますが、校正と違い一度要領を掴んでしまえば設定は使いまわせる程度の問題なので、個人として電子書籍を出す方には気を付けてほしいと思います。同人誌だって、綴じる方向を間違えていたらおかしいと気づくものです。もっとも商業出版社でもこのレベルの問題を出すところがあり、堕落って怖いなあとか、プロダクションとしてやって当然の製品チェックを落とすなんて金返せ、著者の印税分なら払ってやるなどと思うわけですが。個人誌、同人誌なら素人のやることで笑って済ませますが、プロダクションの部分で価格の8割は持って行っている(Kindle扱いの電子書籍でも少なくとも半分は出版社の取り分のはず)商業出版社がやれば著者から見ても信用問題、欠陥商品です←あんたのことだぞ、光文社新書編集部。
せっかくドイツの野戦炊飯車のネタが出ていますので、グーラッシュも欲しかったところですが、残念ながらこの料理は代用食ではないですね。シュニッツェルあたりならデデ肉でもいいのですが、グーラッシュにタラを入れて代用するわけにはいきません。いくつかの記事の元ネタになっている「カブラの冬」には豚肉の代用として煮込み料理に廃用馬の肉を使う例も出ていますが、この場合代用食というよりは別の料理と見做されていたのかもしれません。
ドイツでコーヒー不足で代用コーヒーを使ったという話が出てきますが、実際にはさらに救いがなく、貿易封鎖でドイツにコーヒーが入らなくなった分世界的には余剰が出てコーヒー価格が下落、ブラジルあたりでコーヒー農家が散々な目にあった挙句に、戦後豊作をきっかけとして(コーヒー輸出税を原資として買い入れられた)コーヒー豆が焼却処分となる(ちなみにこの時点でドイツでは世界恐慌のあおりにより代用コーヒーすら贅沢品だったらしい)惨劇を招いています(コーヒーが廻り世界史が廻る、中公新書1095)。市場経済につきものの調整過程とはいえ、現在に至るまで反資本主義思想を呼び起こす業の根深さを象徴する事例と言えます。日本でも20世紀の終わりごろだったでしょうか、豊作でキャベツを廃棄したような例がありましたが、貧乏で買えない恨みだけでなく、余っているのに回ってこない恨みというのもあるのです。またこのコーヒー過剰を原因の一つとして、イタリアや禁酒法下のアメリカで庶民にコーヒーが普及しています。イタリア人がエスプレッソを飲むのはドイツ人が代用コーヒーを飲む羽目になったからだという面があるわけです。
ちなみにヨーロッパの代表的な代用食品としては、甜菜糖が最も普及していると思います。もちろん成分としてはショ糖ですので物質的には代用食とは言えませんが、本来サトウキビから作る砂糖を甜菜から作る時点で、あれは代用食の一種と言えます。

■2022年06月16日(木)  追悼して済むならとっくに片付いてるという気がする
Internet Explorer終了でネットに追悼の声 愛なのか怨嗟なのかよく分からない複雑な思いが入り交じる
イベント的に追悼して安らかに眠ってくれるものじゃないから質が悪いんだと思いますがね。それで終わるものならとっくに終わっていたわけです。
おそらく現状残っているIE11依存サイトはちゃんと更新されません。つまり踏むとちゃんと動かない、表示がおかしくなるという状況は減りません。見ずに済むサイトなら無視すればよいですが、サービスを作り直す費用が捻出できないのでそのままになっているサイトがどうなるのかです。競合があって直さないと事業の信用に関わるような状況であれば、サービス自体を廃止するなりの対応策が取られるでしょうが、ないと困るけれど動いていれば文句はあまり出てこないレベルのサイトであればずっとそのままでしょう。
ベンダーがこれに懲りて、統合フロントエンドにやたらと独自機能や新機能を実装するようなことを避けてくれるといいのですが。特にクライアント側でデータだけ受け取ってごちゃごちゃ処理するような機能は負荷を下げ応答性を改善する代わりにアプリケーションが一旦放置されると仕様変更への追従がないがしろにされがちですから、非を認めて極力サーバー側に戻していくことが望ましいと思います。独自機能を実装し続けるクライアントは、負動産を生み出す公害プラットフォームと言うべきでしょう。

■2022年06月16日(木)  どうしろっていうんだって感じですけど
食べログの独禁法違反認定 口コミ評価点の計算方法めぐり 東京地裁
食べログ点数、説明必要? 「チェーン店引き下げ」訴え、判決に注目
「食べログ」運営会社に3840万円の賠償命令 アルゴリズム変更→点数ダウンで客足減 東京地裁
「大変です」食べログ点数、突然の急落 評価の秘密に自力で迫った
いやこれ、これだったら学校だって独占禁止法違反じゃないですかね。
チェーン店の評価を下げるというのはありうる基準だと思うのですが。もちろん明示されていたかどうかという話はあるわけですが、そもそも評価基準を利用者が見ないのは普通のことでしょう。星が付かなかったから、星が落ちたから訴えるというのは、そもそも公正な基準などない評価への対応としてどうかと思いますし、それで優越的地位の濫用を認定するのもおかしいと思います。消費者保護の観点からそもそも評価として全く信頼に値しないものであることを周知すべしというならわかりますが、評価基準を設定変更すること自体を優越的地位の濫用というのでは、賠償請求にしても差し止め請求にしても評価という事業そのものを敵視しているとしか思えません。

AI評価の「ブラックボックス」に警鐘 食べログ判決で見えた課題
評価に本質的に公正さなどないというのが現代の前提だと思うのですが。どれだけ客観的なものであっても、それは特定の視点、価値観からなされるものであり、一般性はないわけです。
もし説明責任を認めるというなら、それこそすべての判断に十分な説明を要求することになります。例えば新聞記事の一つ一つに、なぜその記事をそのような形で掲載し、その記事につながる取材を行い、それぞれのニュースソースはどのように取捨選択したのかを明示することになります。新聞記事が報知やデータも含めて公共性がないとは言えませんし、私人が公共に関わる判断を(それも特権的に)行う以上、原理的には説明責任があることになるでしょう。もちろんどう見てもおかしい記事も一定の確率で見られるので、根拠が明示されることは望ましいと思いますが、それでビジネスが成り立つのか。公平に見てナンセンスだとしても、自分の価値観に近い基準での評価には個別的な意味があります。それを検証するには、いくつかサンプリングして自分の評価と突き合せてみればいいわけです。合致するようなら、未知の対象に対する評価も自分のそれと一致する可能性はそれなりにあるでしょう。厳格なルールベースの、一貫した評価というのは、そのような検証可能性があります。むしろ常にずれていく人間による評価の方が怪しげです。
そして問題は評価の変化によって評価された側に損害が発生した場合に評価した側が責任を負うのかどうかということですが(これに対して評価によって評価を用いて判断を行った人に損害が発生した場合の責任というのもあります)、これは本質的に責任を負うべきではないと思います。投資家が株を売って株価が下がった場合、発行企業は売った投資家に責任を負わせるでしょうか。投資アナリストが株価を過大だと評価した場合、発行会社は投資アナリストの責任を追及するでしょうか。仮にそんなことをしても、誰も相手にしないと思います。そもそも判断基準自体それぞれであり、一定の判断を行ったこと自体は正当だからです。不当でありうるとすれば、評価された側に損害を与えたからではなく、誰かの利益のために判断基準を歪めたからでしょう。つまり相場操縦です。

ブラックボックスの「ご託宣」 アルゴリズムの透明性が欠かせない
AIに透明性を求めるなら、人間の関わる決定にも透明性を求めるべきです。つまり厳密かつ明確な規則を定め、人間の判断ではなくただその規則のみによって決定を行うわけです。当然、規則の制定や改訂にあたってはとんでもない規模の事前評価が要求されます。まあ、簡易にやっても1年では終わらないでしょう。もちろん国会や閣議も含めたすべての判断主体に対してそれが要求されます。人間が(議論をして)判断するのだからリーズナブルであるに違いないなどといういいかげんな発想は許されません。また判断や決定の過程については厳格かつ精密な記録が要求され、それは相当期間保存され、かつ決定の直後までに公表されないといけません。そうでないと、その決定によって不利益を受けた人が回復措置を求められないからです。もちろん判断規則の制定にあたっても同じことが言えます。
近々参議院議員選挙が行われますが、その投票についても同様に扱われることが望ましいでしょう。つまり全ての有権者は、棄権を含む投票行動について、事前に投票基準を定めて公表し、かつ精密に判断過程を記録し、実際の投票行動の事実と合わせて公表する義務を課されます。国会議員選挙での投票という極めて政治的に重要な行動における判断ですから、この程度は当然ですね。
「透明化」というのはそういうことのはずですが、そういう認識はあるのでしょうか。もちろん会社の取締役会や行政機関での決定のような、本来十分な責任を負えない立場の人が客観的に検証可能な形で判断を行い、その情報を本来判断の結果について責任を負う人たちに事後的評価の資料として報せる場合はこのような透明化が図られます。判断過程の記録から判断の妥当性を検証する利便性が透明化のコストを上回るとされるからです。仮に例えば補助金支給の可否の判定をAIというかプログラムで行うことにするのであれば、そのアルゴリズムについて十分な情報が公開されるべきですし、また判定において各基準についてどのような資料についてどのような判断が行われたかの記録も残されないといけません。正直機械というのは、この手の記録を確実に残す点では、記録を残す仕組みを仕込むことが原理的にできない人間よりはよほど確実に追跡可能で信用できるはずです。時間と記録容量についてコストを度外視するのであれば、非常に細かい粒度で記録の作成を仕組みとして仕込めるからです。動作ログを取るプログラムを組んだことのある人なら、実感できるでしょう。またプログラムの動作というのは動作しているコンピューターごと押収してしまえば客観的な記録として検証できるので、記憶に基づく証言や記録としてしかデータを取れない人間よりはよほど検証可能性は高いのです。さすがに人間の脳のダンプリストを取るわけにはいかないのですから。そういう前提の上で、それだけのコストをかけて透明化するに値する判断は何かというのが、決定過程の透明化を要求する際に問われるわけです。いくら消費者の動向において重要と見られるからと言って、私人による商品やサービスの口コミ評価のまとめにそこまでの重要性があるかどうかは、むしろそのような評価を提供するサービスがその評価をどれだけ信頼性があるものとして訴求していきたいかに依存することではないでしょうか。単なる参考情報だという立場を主張するならば、検証などしなくてもいいのです。総体的な傾向については出力された評価から検証できるのですから、リサーチとしてはそれで十分ですし、そもそも参考でしかない以上その評価が信頼できるかどうかの判断はいずれの側にしろ利用者に任されます。評価される側になにがしか権利を認めるとすれば、せいぜいが、評価を受ける側がうちについては評価対象から除外せよと要求する程度ではないでしょうか。評価対象から除外されることによって評価を伴うメディアを介した利用者へのリーチからは外れてしまいますが、メディアの基準によって評価されることを含めて掲載への同意である以上、それは当然のことです。

アルゴリズムの開示、何をどこまで 食べログ判決が生む二つの余波
そもそもなぜ、機械的な審査にだけ透明性を求めるのでしょうか。もちろん支配的なプラットフォームという要素はあるのでしょうが、それを言うなら某タイヤメーカーのグルメガイドや某経営読み物出版社が出していた旅行案内も同じでしょう。正直チェーン店であることを問題として店をディスったことを、公平であるとは思いませんが問題だとも思いません。ましてそれで機会損失が生じたなどというのは店側の問題であり、宣伝とプラットフォームの使い方が下手なだけでしょう。

■2022年06月16日(木)  だって見世として役に立たないんだもの
「赤坂から書店が無くなる」 閉店する文教堂、貼り紙に込めた思い
だっていらないもの。
かつて書店の不便さを実感した者として、書店という業態が都市ですら成立しがたいものであること、なくなっても全くおかしくないことは、強く主張したいと思います。
まず書籍という商品は消耗品化しています。昔ならインフレ前の1000円で買うに値すると思えていましたが、今ではこんなものにインフレしたとはいえ1000円も払えるかと思わざるを得ないものばかり並んでいます。消耗品ということは、一読したら捨てるかセコハンに売るかです。発売から数日すればセコハン書店に並んでいるのであれば、新刊として買う気にはあまりならないでしょう。そして昔は価値の高い書籍の代表例といえた資料集は、今や原資料がネットでダウンロードできるようになりました。解説もブログやネット配布の同人誌として転がっており、むしろ刊行される解説書のレベルが落ちていると感じられるくらいです。これでは書店など行くよりもパソコンの前に座っている方が有意義です。まあ、昔だって、買って残念に思った本はたくさんありますし、立ち読みや図書館の利用という形で消耗品的な扱いはしていたわけです。とはいえ一般書店で売られている本を買うくらいならブログを読む方がまし、それ以上はアマゾンで専門書を買う方が手っ取り早いというのは時勢ではあるのでしょう。
次に書店では品揃えが追い付きません。読み捨てるもの以外で読者のニーズに応えるには専門書を揃えるしかないのですが、専門書の出版点数すら相当の規模になっており、大学ですら扱う分野が広すぎて、真面目にやろうとすると扱うべきアイテム数が多すぎて、アマゾンに勝てません。書店という業態は、専門学校の周りくらいでしか成り立たなくなっているのではないでしょうか。これでは店(見世)の体を為しません。かつて書店の優位点だった現金決済も、ギフトカードがコンビニで入手できるようになるなどして問題にならなくなってしまいました。
そして、書店ではそこにない本が手に入りません。アマゾンが便利なのは品揃えが豊富で必要な書籍を特定できるだけのカタログが完備されあるものは手に入るようになっているからであり、書店によくある、行ったら在庫がなかった、こんな本が欲しいと言ったらわからないと言われた、出版社とタイトルを示して発注しようとしたらいつ入るかわからないと言われた、発注してもいつになっても入ってこない、入手可能なのかどうかすらわからないということがまずありません。扱っているなら外国の書籍ですらそうです。これではまず書店に行こうなどとは思いません。
一応もう一つ、まとまった数量の発注において中間流通が忌避されるようになった、発注や運送、決済が簡便化して中間流通を通す必要がなくなったということもあるでしょう。この結果、中抜きして出版社から直接購入する形が増えました。大商いが確実にはける形はリスクが小さい上に利幅は小さくとも1冊あたりのコストが低い結果全体では利益が大きく、店頭での小商いで培った信用に支えられて、リスクが大きく一回の売り上げの利益が小さくコストがバカにならない店頭販売を支えるものだったようです。
これだけ状況が変わったわけですから、業態が変わらないわけがありません。初めて本を見る場所は、自宅や学校でなければ図書館なり単価の高い喫茶店やカフェなりに変わっていくのではないでしょうか。

■2022年06月16日(木)  そもそも秋葉のメイドコスは健全か?
「秋葉原を安心安全に」 メイド40人が駅前でちかん防止を呼びかけ
何かおかしくありませんか?
もちろん痴漢はよろしくないことですし、それを呼びかけることは良いことだと思います。
ただし、現在の秋葉原はメイド喫茶などを始めとした性風俗業が立地する歓楽街であり、そこでメイドコスチュームを着るということは性的関心の対象として見られることを引き受けるという意思表示と理解するしかありません(引き受けることの是非は措いておきます)。それが「痴漢防止の呼びかけ」?まあ、相応の施設の中でならともかく街頭や車内では見るくらいならともかくお触りは望ましくありません、そのくらいの分別はつけましょうというのは筋なんですが…
以前秋葉原に行くと言ったらメイド喫茶かと言われて不愉快になった立場として、メイドコスチューム(それこそ水着アーマーコスチュームやイベントのコンパニオン風衣装でも同じですが)を着た女性が闊歩することが秋葉原の安心安全をそもそも損なっていると主張したいくらいです。秋葉原は水着アーマーコス女装の隣を白衣にぼさぼさ頭瓶底メガネの男性がケーブルとOMRONの段ボール箱を担いで闊歩していても気にされないくらいには懐の深い街ですが、イベントコンパニオンやメイド喫茶などという業態が出現している時点でコンパニオン風衣装や(正直今時そんな服装で家事雑役はしないだろうというレベルの)メイドコスでの公的空間への登場は業務従事中のいわゆる玄人女性としてのシグナルを発する行為であり、そのようなシグナルを認識した一定の趣味嗜好の人が本来不適切な場で一線を越えた行為をすることを誘発しかねない、安心安全に反する行為と考えます。
まあ、本来そんな余計なことを考えず、装いを穏健な娯楽として楽しめる場で(も)あることが望ましいとは思いますけどね。その意味ではノータッチというのは落としどころではあるのですが。

■2022年06月16日(木)  学校の部活として発想する限り改革にはなりえない
部活改革に今こそ必要な視点と大きな議論 「つけが回ってきている」
アクセス権を強調するあまりする権利ではなくする義務になっていることの方が問題だと思いますが。その意味で学校の部活というのはすでに改革の対象ですらなく廃止されるべき害悪です。
まず「スポーツをする権利」というのは子供だけのものではありません。発達段階において考慮されることは望ましいにせよ、大人の権利と別個に議論されなければならないものではありません。身体条件や精神的な発達状況について考慮されなければならないとはいえ、本来それは大人でも同じです。成長の特定の段階で特定の様態のスポーツに関わることが重要だという意見はあり得るでしょうし、その場合にのみ子供固有の権利としてスポーツへのアクセスの確保が議論できますが、個人的にはそんな意見は合理性がないと思いますし、仮に合理性があるとして、必ずしも学校の中で保障しないといけないものでもないでしょう。むしろ大人の権利と一体として、その中で特別の配慮を必要とするものとして確保していくのが筋ではないでしょうか。
そして、学校というのが設備を集約するのに都合が良い、良かったというのはその通りです。この点は公共施設の有効活用の観点から、少なくとも既存設備の活用という形で建設的に考慮されるべきです。むしろ学校という法人、教師という事業者が子供の教育という事業を目的として必要な範囲で学校施設という公共の設備を利用する、利用の資格は利用の目的に基づいて優先順位をつけて学校という法人、教師という事業者以外のものにも認められる、管理は学校とは別の主体が行うという発想であるべきではないかと思います(もちろん私立学校事業が固有の設備を占有することは認めてしかるべきだと思いますが、その維持費はその私立学校事業が負担することになります)。授業が終わったのに学校施設とはいえ子供が無暗にたむろしていることは許されるべきではないでしょう。居場所がないというのは別の問題で、便宜上学校設備と一体化するにしても、目的をもって申請すれば利用できる施設、あるいは特に目的はないけれども子供に限らず平穏に滞在できる施設というのはあってしかるべきです(後者は自宅という話があるわけですが、自宅ではその要求を満たせないから問題になっているのですし、目的もなくぶらぶらしていることなどありえないといった偏狭な発想が通用しないことも明白です)。ただし、その学校をもってすら効果の点で整備が難しい部分がある現実は考慮せざるを得ません。雪も降らず平滑な傾斜地もない場所でスキーをしようとすれば相当な無理をすることになります。ヨットやボート、馬術、周辺に損害を与える可能性のある球技、実施中一定のスペースを占有することが前提の競技、弓射や射撃など、コストが問題になるスポーツはいくらでもあります。整備の優先順位や施設利用の調停は理想論では済みません。
そして指導者ですが、もちろん授業を担当する前提で配置された教員、学校事業の運営管理を目的として配置された管理職、関連事務への従事を目的として配置された事務職や設備の営繕管理を担当する職を安易にスポーツなりの課外活動の指導に職務の一環として従事させる悪習は改善されるべきです。学校内の課外活動だから教員が指導する、管理して責任をもつといった発想はもう通用しません。例え教員であっても、担当する授業以外の目的で学校設備を使用する時は適切な利用申請をするべきです。その意味ではいわゆる居室や研究室も学校設備ではなく自宅や社宅として整備する発想に転換するべきでしょう。教員は授業(と拘束時間内の個別指導や担当生徒の達成度評価)と最低限の打ち合わせ、授業計画の作成と提出が終わったらさっさと帰宅し、教科研究や指導法研究は自宅で自己負担(給与の算定において個人研究費や研修費を考慮することは問題ありませんし、望ましいでしょう)で行うべきです。拘束時間内の空き時間、待ち時間に何かをすることはあり得ても、教科研究や指導法研究の資料を学校に置きっぱなしにすることは、生徒が教科書を置きっぱなしにする以上にありえません。もちろん趣味の帆船模型やフィギュアを置くことなど論外です。当然、雇い主が適切な用もないのに教員を拘束することも害悪であり、8時から17時まで拘束してその間に何かしらやらせておけなどという工場労働者を扱うような発想は非難されてしかるべきです。また運動会や修学旅行のようなイベントは、そんなことをする余裕が学校事業にしかなかった昔ならともかく、もはや任意の活動として学校事業とは切り離して行うべきです。教員個人がそういったイベントに関わることは否定されるべきではありませんが、それは見識や専門技能、篤志を持つ地域住民としてであるべきで、学校教員という身分であってはなりません。当然、こういう価値のあることをするから予算補助が欲しいという呼びかけや申請も、学校とは切り離して個人として行うことになりますし、事業に対して公的補助を受ける以上事業の実施について適切な管理や報告をするのが当然です。補助主体の方はそれが適切に行えるようなサポートも提供するべきでしょう。補助申請の様式を整備し希望者に配布するくらいは当然です。
こういった意味で、実施を学校事業と切り離すこと自体は適切ですが、実施を前提として地域に実施主体を移行する、学校の設備からも強制的に切り離すというのはおかしいわけです。学校事業として行うことに無理がある以上それとは別に一定の公的な支援や補助を確保することは当然ですし、公的な施設なり予算なりを利用する時点で適正な手続と調整の手順を整備する必要が出てきます。もちろんそこには、子供がこういうことをやりたいと指導者の斡旋や各種手続の紹介を求める窓口が含まれるべきでしょう。10歳にもなればその程度の手続利用は想定してしかるべきですし、子供だけでは問題があるというなら大人と一緒に来てくださいと言えばいいだけのことです。そのような大人が周囲にいないという想定の方がおかしいでしょう。

■2022年06月16日(木)  立場なんて結構不本意なものではあります
「難民になりたくてなってない」 家も職もない祖国へやむなく戻った
もちろんそれはその通りで、今居る場所で平穏に暮らすという既得権をないがしろにした点でウクライナとロシアの大統領に原因があるとは言えます。
とはいえ「これからどう暮らせばいいか。」という問いには、あえて答えるなら、誰もあなたに暮らすことを求めていないと言うしかありません。既に平穏に暮らす既得権は無法にであれないがしろにされたわけですから、暮らせるかどうかには他人は関心を持っていないのです。権利として暮らすことを主張するなら、自分に抵抗できない者を虐げてでも、実力をもって暮らす場を確保するしかありません。祖国でロシア軍とウクライナ軍を排除するのも、ポーランドやドイツあたりで空き家を占拠するのも、そのあたりで難民として権利主張をし審査中の一時的な保護を要求するのも同じことです。気合いと根性と周囲の支援で日本くんだりまで来てどこかに住むのもその意味では問題ありません。その上で、不利益を被った側との摩擦が発生するだけです。

■2022年06月15日(水)  別に現状の旧ソ連製装備で不足があるとも思えませんが
ウクライナの武器を「NATO化」へ 旧ソ連時代製を高性能の装備に
今みたいなレベルの低い叩き合いをやっているなら別に最新鋭の高性能兵器でもたいして変わらないと思いますが。都市部で軍事目標だけを叩くとかレーダーサイトを上手に潰すとかいう目的で高度化しているはずで、ウクライナみたいなまっ平らなところで敵が攻めてきている状況では性能はたいして影響はないと思います。セバストポリにミサイルを撃ち込むとでもいうなら別でしょうが、陸上から撃つにしても、正直トルコ、ブルガリア、ルーマニアあたりから撃った方がましでしょう。
むしろNATOとの相互運用性の確保に重点があるのだろうと思いますが、そもそも装備の転換に半年程度は時間がかかるように思いますし、正直ウクライナが2000年あたりまでのロシアの最新鋭兵器の製造技術を持っていたことを考えると、NATO諸国から輸入するような形が本当にいいのかどうかは即断できません。現状国内での製造が難しいとはいえ、せっかくの先端産業が戦後復興し損ねたなどということにならないといいのですが。だいたいNATOといっても米英仏独伊で軍用機や装甲戦闘車両の相互運用性は限られているわけですし(相互運用性が確保できていれば航空自衛隊にF-35ではなくタイフーンが導入されていた可能性もわずかながらあります)、ミサイルや爆弾ならまだしも完全に相互運用性がある弾薬のレベルではソ連製、ロシア製と大した性能差はないはずです。またウクライナが提供を希望していると思われるATACMSは現状外国への輸出例が韓国しかなく、NATO共通装備とは言えないと思います。
正直旧東側諸国とドイツ連邦(つまり旧東ドイツ軍の装備)から旧ソ連の兵器をかき集めて渡した方が即効性があるのではないかと思うわけですが、これはもう手がついていますし、消耗した場合補充が難しいことを考えると、米国製への移行を考えること自体は妥当でしょう。ただし提供できるものには限りもあるでしょうし、性能で圧倒するようなことにはならないと思います。

■2022年06月15日(水)  企画担当者の資質かなあ
性風俗店の無料案内所模した案内展示に苦情、急きょ撤去 福岡パルコ
福岡パルコが不快な展示を謝罪、撤去へ 「無料案内所」風のデザインに苦情
来場者はともかくとして、出展者には企画段階で話を通しておくべきだったでしょうね。品がない企画があっさり通るのは問題ではあるにせよ、品性に欠けること自体は必ずしも問題にはなりません。そういう趣旨の企画であればかえって適切なこともあるからです。まあ、パルコでやるのに適切かという問題はあるわけですが、そもそもそういう発想が通る時点で福岡パルコというのはそういう趣旨の場ではあるのでしょう。ただし出展者としては、出展先のイメージが自分のイメージに跳ね返ってくることになるわけですから、想定と合わないことをされると困ります。これは例えば、前衛的な作品を集めると言われてチャレンジングな作品を出したら全体の雰囲気が高踏的なものだったという方向のミスマッチだってあるわけで、企画側の見識が問われます。イベントを企画する資質を疑われるに足る事例だと思います。

■2022年06月15日(水)  学校の外に出てくるなら一人前の大人として行動してほしい
高校生が金もうけ考えたらダメ? 農産物販売中止→反対で当面認める
高校生としては駄目なんじゃないですかね。
というか、そもそも金儲けを考えてはいけないというよりは、学校の運営経費を学校での活動で生徒が稼ぐとか、その結果利益を上げることだけを重視して一般的な商業活動において要求される品質管理を疎かにしたということが問題だったと思います。学校内で農産物を商業的に栽培するとかそれを売って学校運営費を稼ぐというのは学校としての活動ではなく、当然一般の事業と同じ基準で規制に対応しなければなりません。学校だから甘く見てくれてもいいじゃないかという論理では、学校としての活動とは言えないからダメ、予算は出さないし施設も使わせないと言われれば終わりなのは当たり前です。販売までやりたいなら、ちゃんと学校の外に農地を借りて、各種の検査もちゃんとやり、適切な販売ルートを通して行うべきですし、収支は学校とは別に管理するべきです。それを学校の先生に指導してもらうことはあり得ますが、それが必須とは言えないでしょう。むしろ適切な事業顧問を招くべきです。

■2022年06月15日(水)  「日本」を行為主体にする論こそが怠慢
進む円安・インフレ、日本は何を怠ったのか 本質は金融政策じゃない
確かに金融政策は本質ではないのですが、中立的な経済政策は金融政策でしかありえません。金融政策以外の経済政策は全て恣意的なものであり、経済を歪めます。本質論をするなら、歪んで悪いのかという観点に立つしかありません。
また、経済政策の本質論を人やイノベーションから展開することには無理があります。どちらもミクロな議論でしかないからです。人やイノベーションから展開できるのは産業政策であり、基本的には個人が何を選ぶかという話にしかなりません。そして国民経済に関わる政策として産業政策が成り立たないことは、とっくに明らかになっていると思います。
日本を行為主体として設定すること自体が論としておかしく、それは論者の知的怠慢でしかありません。

■2022年06月15日(水)  そもそも長期の雇用と整理解雇の容認が矛盾している
氷河期支援、正規30万人増めざす→実績は3万人 国の施策が機能しない根本的な矛盾とは?
まあ、10年で雇い止めするというのは任期雇用制度の濫用ではあります。3年なり5年なり10年なりでポスト自体がなくなるのだというのが、任期雇用制度の大前提です。その証明責任は使用者側にありますし、そのように制度を設計しないといけません。それができていないのに期限の定めのない雇用への転換を避けるなどと言いだすから、非常に胡散臭いわけです。
とはいえ、事業の整理自体が雇用の整理を伴って発生しうる状況で解雇権を制約されたくないという発想自体は合理的と言っていいでしょう。雇用自体が永続性を持ったものではないという形に雇用政策の発想を転換しないといけないわけです。定年制や新卒一斉雇用を含めたエイジズムの否定もその一環でしょう。この場合雇用の確保は数年程度の継続性の形態の総量という形で行われることになります。在職見込期間が全ての人について平等であり、再就職先が十分にあるのであれば、賃労働者にとって雇用の喪失はリスクとなりません。ただしその場合、事業組織の永続性も合わせて否定しないといけません。整理解雇をするなら事業の清算と全従業員の一斉解雇が前提ということです。あの従業員とこの従業員を区別するというのは許されません。事業組織の永続性を否定する以上、会社などについても存続期間の制限を設けるか、設立後の組織改変を禁止することになります。補助職以外の賃労働を想定しない(必然的に持ち分会社である)人員規模の小さい持ち株会社・投資会社か法人格のない組合が事業会社をスクラップアンドビルドするというのが、人事の基本になります。身分としての安定した就業は、立法行為による特例として永続を認められた公的組織(この場合根拠法の改廃はその都度の組織の解体を意味することになります: 警察も、現状の大組織ではなく、警察署や交番や駐在所単位の警察官任用資格者の採用になるわけです)への就労か、スクラップアンドビルドする側に仲間として認められるか、いずれかによってなされることになります。

■2022年06月14日(火)  歴史的といってもせいぜい40年
1ドル=135円、歴史的な円安どこまで進む? 専門家に聞く
1米ドル=400円くらいまでは容認していいと思いますけどね。なんなら1米ドル=1000円まで下げた上で1000円=1円でデノミネーションし現物貨幣としては硬貨を全廃して紙幣のみに切り替えるとか。1000円に満たない単位での決済は電子通貨専用にするという感じですね。

■2022年06月14日(火)  人工知能だから、何?
アマゾン配達員が労組結成 「アプリが管理、1日12時間以上労働」
AIに管理される働き手をどう守る EUでは画期的法案、米国も模索
アマゾン配達員「荷物量が異常」、AIで決まる激務 労組結成の背景
人工知能による業務指示などと言っても、それは経営陣の方針の反映でしかありません。契約類型が労働契約ではないのも、法律の範囲内でひたすら効率よくタスクを詰め込むというのも、もちろんそれが作業者として達成に困難を感じるような計画になることも、人工知能の問題ではなく経営方針の問題です。つまり古典的な労使交渉モデルで単純に解決できるということです。実務経験に乏しい大卒経営アシスタントが机上の空論として構築した業務計画にツッコミを入れるのと何ら変わりません。構築物としての合理性はともかく、実際の制約条件との間の矛盾を突くことは比較的簡単にできるのです。些細な齟齬 - それが実作業上大きな障害になることはよくあります - についてこれおかしいでしょう、なんで?と訊いてしまえば、反論の責任は経営側に転嫁できます。
もちろんそのためには労組のような交渉団体としてまとまって作業者としての衆知を結集し、闘争資金を集めて代表者や交渉担当を立てないといけません。できれば経営側が別の人と契約しようとしても相手にしてもらえないくらいの組織を作るべきです。とはいえそれは、労働者として当然の行動であり、権利です。それこそ正当性の背景としては、中世職人組合の労働条件統制すら援用できるでしょう。合理的な計画だから作業者は黙って従えなどというのは、1980年代ならともかく1990年以降は通じません。その合理性自体が限定的なものでしかない、現実と矛盾があれば計画の方に不備があるというのは常識です。制度や法規制にだって不備があり、制度が法規制に形式的に適合しているからといって問題が出ないとは言えない、労働者保護、役務契約における優越的地位の乱用という民事の紛争については必ずしも経営者や発注側の盾になるわけではないというのだって常識です。ついでに言えば、1970年ぐらいまでならともかくもはや業務や経営の管理権についての争いは労使の間になく、経営側の管理権を是認したうえで労働の単価や労働密度、就業条件、人事制度の運用が不当である、人間を扱う水準ではないと主張するのが現在の労働運動です(逆に不当な労働条件になるのは労働側に経営管理権がないからだ、寄こせというのが自主管理闘争を始めとした古の労働運動でしたが、経営管理権になど興味はないと組合員にそっぽを向かれました)。また役務提供契約であり労働契約ではない、契約自由の原則に基づいて当事者は自由な合意に基づく契約やその契約に基づく指示を守るべきという理屈も、労働契約の水準から見て契約条件はダンピングであり無効だという理屈は立てられるでしょう。一方で「配達員に人間らしい働き方を」という主張は、労働条件が悪いというなら就業しなければいいでしょうと反論する余地があります。つまり、現状の経営条件ならともかく、労働コストが増えるのであれば、そんな儲からない事業は止めますと言う余地もあるわけです。配達員が働かないと食っていけないのはアマゾンの責任ではありません。
正直アマゾンを含めた現代的な企業は屁理屈が上手でドライなだけで、振ろうにも袖がない中小零細企業よりはよほど話が通じる相手だと思います。面倒なことは徹底的に回避しようとするでしょうが、回避できないとなれば適切な対応をしたうえで損切りしてきます。つまり受注していた仕事自体は撤退によって消滅するかもしれませんが、不当な業務実施に伴って発生していた損害についての補償金は払うということです。中小零細企業のように、金銭的解決を裁判所が強要したら破綻してしまい、清算で税金を払ったら経営者も含めてすっからかんになって、労働債権の回収すらできなかったなどということにはなりにくいでしょうし、だからこそプラットフォーマーは間に捨て駒を立てようとするし、配達員は直接の雇用主を飛び越えてディープポケットを狙うわけでしょう。みんなで貧乏になろうという道学者的労働ユートピア論よりはよほどましではないでしょうか。

■2022年06月13日(月)  客が入ることにびっくり
フィリピンパブに「タレント」戻るか ビザ発給、直近20年で最少に
ビザ発給がどうとか言う前に、フィリピンパブ自体に需要があるのがびっくりなわけですが。人間のお祭り体質というのはそう簡単には減退しないということでしょう。例えどれだけ無駄な消費であっても、誰かが提供してくれる祝祭的なイベントで受動的に浮かれ騒ぐことを好むわけです。正直国内でフィリピンパブなど行くよりは、一週間ほどフィリピンに旅行に行ってショーでも見てきた方が、トータルでは安上がりで年間の休暇日数も消化できてメリットが大きいはずです。まあ、ぼったくりショーなんかで命の危険に曝されるリスクはありますが、外国人のダンサーを買って来て水商売をさせているような業者は日本だって筋の悪い立ち位置で、観光客にはお金を落としてもらって気持ちよく帰ってもらい、安全で楽しい場所という評判が立つことが地元のメリットである以上、過渡的にはともかく比較して極端に危険が大きくなるとも思えません。
もっとも本質的に需要がある以上供給面で絞っても歪むだけですので、税制などでそういった形での消費が不利になるように(つまりそういった浪費をする人には思う存分政府財政に貢献してもらうように)計らうしかないでしょう。この点で適格請求書の活用は望ましいと思います。

■2022年06月12日(日)  これができる以上必要十分に自由ではあるとは思います
所ジョージ、YouTubeチャンネルの閉鎖を発表 チャンネル登録者数17万人超えも「今日でおしまい」
まあ、YouTubeというか動画配信サービスの使い方って本来こうではあると思います。嫌だと思ったら退出していいし、乗り換えていいわけです。
ただ、サービス事業者としての都合はもちろんあって、やはり設備維持を含めた事業の維持のためにも収益化を考えざるを得ない場合も出てきます。つまりサービス提供条件の変更という場面はどうしても出てきます。その時に事業者と配信者の間に拘束的な状況を発生させないことが、それこそ広告販売条件の自由化などよりもよほど重要だと思います。当面はキャッシュベースの配信効率化技術を乗り越えるあたりが目標ではないでしょうか。

■2022年06月12日(日)  自由か、回線事業者の入れ替わり促進という意味での流動化は一貫して欲しいですね
総務省が「キャリアショップの評価方法」にイチャモン――流動性を上げ、新規契約を促したのは総務省ではないか
一貫性というのはどこを見るかで変わってくるわけで、インセンティブによる代理店統制の否定という面では一貫している気もしますが。つまり、キャリアによるキャリアショップの設定や管理自体を否定したいわけです。
もっとも一貫して欲しいという部分は当然あって、本名での契約や契約時の本人確認というのは、流動性を確保するならあってはならないでしょう。自動販売機で千円札一枚で誰でも手続なくプリペイドSIMが買えるというのが自由化の正しい形です。また番号やキャリアメールの移転という発想も、仕組みの部分でおかしいところがあるでしょう。そこは、識別情報の回線事業者からの切り離し、自由化という部分で一貫して欲しいと思います。また回線使用料の低減、通信事業設備や事業自体の効率化の推進も一貫して行うべきです。これは5年程度でバイト単価半減とか、しっかりした数値目標を設定してよいくらいです。回線卸売価格の低減や卸売条件の緩和も同じです。そもそも現状が高過ぎ、拘束的過ぎであり、キャリアによるユニバーサルサービスを解体する方向性が、これも自由化策の行きつくべき点として一貫して志向されるべきです。10年もすれば自前設備を運用する回線事業者が資本として完全に入れ替わる、それによって設置済みの設備が適切に減価する、それでもユーザーには何の影響も出ないというのが自由化としてあるべき姿です。

■2022年06月11日(土)  痛みを感じてまで生きたいですか?
「無痛文明」に生きる残酷さ 問い続ける哲学者・森岡正博さん
「私たちの社会は痛みや苦しみや不快を取り除く方向へ進んできました。」と言いますが、取り除こうとしたのだとは思いますが、取り除いてはいないと思います。というか、麻酔や感覚の飽和によって痛みや苦しみや不快を感じないように麻痺させてきたというべきでしょう。麻酔や鎮痛剤、抗炎症剤以外にも、鍛錬や鈍感力、克己、集中、埋没、無視など、発生するべき痛みや苦しみ、不快を抑え込んでそれらがなくなったと思い込んできたのですし、「無痛文明」と言うならその「無痛」は痛みを無くすという意味ではなく痛みを感じさせないという意味でしかありえません。感覚を麻痺させている以上痛み以外の感覚も麻痺してしまい、「そこでは「生きる意味」がどんどん見失われ」ていくのは当たり前のことです。それを痛みがないからなどと言い募り、生きる意味とやらを感じさせるために痛みが発生することを容認するならばそれはサディズムです。
また、そもそも存在しないもの、例えば「生きる意味」のようなものを普遍的に存在すると思い込む観念至上主義、実在論、反唯物主義は哲学の根本的かつ深刻な欠点と言うしかありません。そんなものは存在しない以上、欲しければでっち上げて発見するしかありませんし、よほど意図しなければ見いだせないのは当然です。痛みなど感じたところで生きさせられている苦痛を感じるだけでしょう。それは生きる意味とやらとは別のものです。
もちろんそれで生を実感し快を感じるというなら、上半身裸になってそこに革鞭を振り下ろしながら行進することを止めはしませんが、普通はそれはヒステリーの一種だと言いませんかね。

■2022年06月11日(土)  終焉するかな?
ウィンドウ最大化時代の終焉とモニターの使い方
確かにタイル配置自体はもっとサポートが充実してほしい気がしますが、そのあたりってMSの方向性と合うんですかね?どうもここ20年近くは、最大化したウインドウに必要に応じてて端っこに出てくるウインドウを組み合わせる流儀ではないかと思えます。あれが使いやすいかどうかというのはまた別の話ですが、スレートデバイスと同じで一度に見るのは最前面ウインドウだけという発想ですね。あれは理念があってやっていることに見えますから、ユーザーが慣れればこっちの方がいいと言ったところで当分変えてくれない気がします。

■2022年06月11日(土)  安全性は大丈夫なんでしょうかね
明治生まれの「111歳」の木造車両 路面電車の日に3年ぶりの運行
事故ったら燃えませんか?木造車両の火災事故は国鉄あたりがさんざんやって、日本の鉄道関係者は懲りてると思うんですが。長崎県警の機動隊が路線を徹底警備して周囲の自動車を排除した方がよくありませんかね。

■2022年06月11日(土)  ATACMSは無理だと思いますが
「ロシアの火砲10基に対し、ウクライナは1基」 欧米に支援求める
米国から後払いで借りればいいのでは?NATOの需品が欧州か中東に備蓄されているはずです。MLRSはともかく、牽引式の155HとRAP弾くらいならあるでしょう。物がない、金もないので支援してほしいでは支援する方も困ります。それにロシアに勝ちたいから支援してくれだって困ります。砲の次は戦闘爆撃機、その次はモスクワまで届く戦略核兵器ですか?ウクライナの防衛はどうでもよく、基本的にはさっさと停戦して欲しいという国だって多いのです。クリミアとドンバスを渡してロシアが納得するならそこで手打ちにする方が安定するという話は、それこそダボスでキッシンジャーさんが言った通りでしょう。100年前同様にポーランドに併合してもらったっていいはずです。また本気でロシアを負かす気なら、ウクライナ方面は双方共に出血でじり貧にでもなってもらって、他の方面が弱体化したところをバルト三国とポーランドとフィンランドあたりから攻め込んだ方がましでしょう。そもそもロシアのドクトリンなどわかりきっているわけで、戦車で圧倒できなければ撃ち合いになるのは当たり前です。遅くともクリミアが落ちた時点で金に糸目をつけず手配しておくべきだったでしょう。構わないからどうぞ負けて、ロシアにドニエプル川以東を明け渡してください。それでプーチンさんも面目が立ちます。
と思う人は多いと思うんですがね。うちが戦ってるんだからどんどん支援を寄こせや、物で済むなら安いもんだろうとでも言わんばかりの主張は反感を買いませんか?もちろんこの際だからロシアを潰したい人もいるわけですが、それにはまだ準備が足りないでしょうし、むしろお互い引っ込みがつかない状態で膠着してくれた方が、ロシアの出血を見込めるという点で有り難いでしょう。
まあ、日本政府もどうせ内政面での信用などなくなっているわけですから、100年ローンとドンバスあたりの資源の権益とオデッサの治外法権付き長期租借権あたりを片にしてF15と海上自衛隊以外はものは全部たっぷりプレミアムを取って貸してあげたらいいと思いますが。今さらロシアへの対抗措置として死の商人になったところで政権は潰れないでしょうし、国債発行の言い訳も立つでしょう。

■2022年06月10日(金)  まあ、裏稼業だよなあ
ふるさと納税で現金バック、金子総務相「制度の趣旨大きく外れる」
ふるさと納税で現金バックの「キャシュふる」、サービス終了 金子総務大臣の「趣旨に反する」発言受け
まあ、パチンコの景品換金みたいなものというか、そもそも返礼品を何かの形で売れば同じことなわけですが。ただまあ、大手を振って存在を主張できる事業ではけしてないんでしょうね。
ただふるさと納税制度自体が極めて変な制度ですので、個人的には長期的には解消の方向を目指すべきではないかと思います。地場産品の販売促進なら本来民営化して(当然事業収入に課税して)しかるべきですし、税外収入の獲得なら地方債を使うのが適切でしょう。また本来地方自治体に寄付をすればその分は所得控除の対象になるはずです。特定目的債や特別会計への寄付制度を整備すれば足りるはずです。

■2022年06月10日(金)  間違う方が悪い
葛飾区が誤支給 4年で数億円か 私立保育園の補助金、返還依頼へ
またこうやって、還って来ればなかったことにできるというわけでしょうか。申請側が補助金額について意図して不正を行ったというならともかく、この場合補助金額について補助を受ける側は裁量がないわけでしょう。当然額が間違っていたとしてもそれを指摘する筋合いはありません。金額が補填される必要があるなら、むしろ区政に責任を持つ区長と区議が個人として責任を持って補填する筋合いではありませんか。
官僚に対する指揮権と監督責任は政務官にあり、したがって官僚の過誤の責任は政務官が取るという原則を改めて確認するべきです。

■2022年06月10日(金)  地元が潤っただけでは仕方がない
突然の「廃駅通告」に地元困惑、どうなる最北の秘境駅 北海道・稚内
それはまあ、地元「自治体」に頼るようでは廃止もやむを得ないというか、打つ手はないでしょうね。市など無視して法人を設立して駅を買い取り、ちゃんと稼げば済むことでしょう。そのための民営化ではありませんか。停車する列車も含めた維持費が出るならば廃止などという話は出てこないものです。「利用客数は少ないが知名度は全国区。観光にも十分役立つ」と言うならば、訪れた観光客が落す運賃なりテナントの駅利用料なりの形で金額として駅や列車を賄うだけの儲けがJR北海道に出ないといけません。繰り返しますが、JR北海道が儲かることこそが基本で、いくら地元が潤ってもそれなしでは持続できません。健全財政、黒字運営とはそういうことです。「駅の利活用へ向けた取り組み」というのはその形で結果が出ていないといけません。協議だの評価だのはそれを示す場でしかありませんし、それこそ観光なら、千歳駅と稚内駅の間で抜海駅にのみ停車する列車を20分に一本走らせて利益が出ればすむだけのことです。

■2022年06月10日(金)  こういう発想も時代遅れじゃないかな
加害者が精神疾患、被害者の権利は 15日に東京でシンポジウム
そもそも加害者が処罰されることは被害者の権利じゃないです。仮に被害者が加害者の処罰を望んでいないとしても法律上しかるべき範囲での処罰はしないといけません。逆も真です。加害によって受けた損害について被害者が国家から何らかの救済を受ける権利というのはあってもいいでしょうが、加害者への応報を求めるものとしての被害者が犯罪行為の処理過程から疎外されるというのは近代刑法・刑事訴訟法の大前提です。
もっとも、加害者を処罰することによって被害者を含めた被治者の統治への納得を引き出すという面は全くないとも言えないのですが。公益的な機能としては犯罪の処罰は国家が独占し果たすべきものですが、それを十分に果たしていると認められることで国家が存在する正統性が承認されるという支持の回路もあるでしょう。

■2022年06月10日(金)  官物をちょろまかすなんてのはよくあることですが
「小腹すいた」留置人の弁当のサンマつまみ食いした疑い 巡査が退職
気持ちはわかるけどつまみ食いはねえ…役人のやることなんて1000年前からさほど変わらないということはあるんでしょうが。とはいえさんまであれ給付金であれ問題としては変わらないわけです。

■2022年06月10日(金)  むしろ既卒と第二新卒に重点を置いた方がいいのではないか
「霞ケ関離れ」を食い止めろ 国家公務員採用試験、1カ月前倒しへ
既卒者の採用を広げればいいだけだと思いますが。
それに国家公務員採用試験という形で一定のレベルはキープできているはずで、むしろぎりぎり試験に受かったようなのを優秀な官僚に育て、勤続20年くらいで民間にいきなり管理職として出してこそのメリットシステムでしょう。

■2022年06月09日(木)  保険事故になるような訴訟でも起こせば済むことでは?
アジアの石炭火力、国内損保大手が多額の保険引き受け NGO調査
引き受けて悪いなんてことはないと思いますが。保険会社は危険を金銭的に引き受けるのが事業ですので、保険料と勘案して相対的に儲かると思うから引き受けることに問題はないでしょう。逆に言えば保険事故が多発して払ってもらえる程度の保険料では負担を賄えないとなれば保険会社が潰れるか撤退するかです。石炭火力発電自体が社会的リスクだというならば訴訟なりなんなりしてそのリスクを顕在化させればいいだけのことでしょう。発生する悪影響の是正費用として一カ所につき二兆ドルも補償させれば、発電事業が立ち行かなくなるか損害保険が立ち行かなくなるかどちらかだと思います。

■2022年06月09日(木)  ポンチョ
ポンチョが届きました。傘のあまりの使い勝手の悪さに移行を画策したわけですが、さすがに7000円もするだけあってなかなか丈夫そうです。触ってみて絶対これ、伸びるか穴が空くかするだろと思えるコンビニポンチョとは比べるべきではないでしょう。またさすがに傘じゃあるまいし、強風で骨が折れて3000円が一瞬で消し飛ぶようなことも起きないと思います。ただ、出し入れしていて穴が空くくらいはあると思いますし、基本的にはワンシーズンで買い替えるものではないかという気がします。
さて、ケースもついてきたわけですが、なかなか太いケースで、これを使った場合常用しているショルダーバッグの折りたたみ傘ポケットには入りませんでした。ポンチョを詰めた場合直径が5cmにはなるので、当然ではあります。しかしこれはポンチョです。丸めた感じ締まりそうではあるし、ひょっとするとケースに入れずに巻き締めれば入るんじゃないかとやってみたところ、入りました。10年ほど前にASCIIの通販で買ったショルダーバッグですが、それなりの値段はしたものの丈夫だし収納スペースは多いし、常備重量についてアンビリーバボーと言われるのと重すぎて肩からずり落ちてくるの以外は荷物が多いと呆れられる私が使ってすら一泊くらいまでは対応できる優れものです。これごと雨から守りたくてポンチョを買ったわけで、とりあえず成功と言えます。
とはいえ雨具のメーカーさんにお願いしたいのは、雨具なんて晴れていれば使わないわけですから、携行に支障が出にくいようにしていただきたい。雨具としての性能は当然として、重さと大きさもしっかり考えるべきです。折り畳み傘のサイズというのは充分基準になるでしょう。例えばその大きさであれば、ショルダーバッグでもハンドバッグでも、たいていの鞄の底に忍ばせておくことができるわけです。どう考えてもデイパックがミニマムだろうというサイズではいけません。

■2022年06月09日(木)  いいご趣味です
イタリア人男性はロングソックスがお好き?
敢えて言いましょう。ショートソックスや日本でいうビジネスソックスやハイソックスはマナー違反であると。膝下ロングソックスとニーハイ、オーバーニーこそが文明です。近代服飾においては男性ファッションにおけるソックスとは長ズボンの代替品です。踝や脹脛の肌が見えているなど、野蛮人の格好でしかありません。女性のミニスカート+サンダル履きとは違うのです。どうしても肌を見せたいなら、ソックスを履かずサンダル履きにしてハーフパンツやショートパンツにするべきですが、服装のマナーとしてはその場合もロングソックスで肌を見せないのが基本です。ソックスがずり落ちて丸まっているのが許されるのは女性だけです。
日本では足元まである着物と袴の着用が男性ファッションでも基本でしたので、薩摩あたりの野蛮な下級武士が出てくるまでは足袋に草履を履くのが基本でした。着流しや短いぶっさき袴に素足に足駄など旧制高校か帝大あたりのバンカラ風俗、つまり後世で言えば長ランや短ランに剃り込みとかリーゼントとかと同レベルの風俗です。
なぜか日本では探すのが大変な薄地の膝下ロングソックスですが、フォーマル系のファッション関係者は是非とも普及をお願いしたいものです。カジュアルでは…別にソックスを履く必要ってないですよね?

■2022年06月09日(木)  IllyのIntensoは拍子抜け?
Illyのダークローストを買ったのですが、なんだかコクや香りに乏しい気がします。次回はClassicoに戻してみるつもりですが、苦みはそれなりに出ているようには思うのですが、それでも拍子抜けな感じです。混ぜるのかなあ。
Illyはトリエステの焙煎所ですが、ナポリのKimboも気にはなっています。

■2022年06月08日(水)  小規模な事業が賃労働に頼らないというのは正しくはあるのですが
厚生年金の適用拡大を検討 企業規模要件を撤廃、飲食や理美容にも
まあ、人を雇っているのに使用者負担を渋るような雇い主を慮る必要はないと思うのですが、それ以前に厚生年金は事務コストが大きすぎます。そこは何とかしてほしいものです。
もちろん雇用は度外視するというならそれはそれでいいとは思います。個人事業は本人と家族従業者だけで行う、現状の従業員が解雇されることはやむを得ないというなら構わないわけです。でも厚生労働省がそれを言うのでしょうか。

■2022年06月08日(水)  閉じるなら物理的に閉じないと
「閉じられたネット」病院を取り巻く安全神話 身代金ウイルス被害
「パソコンのウイルス対策ソフトなどセキュリティー対策の機能が意図的に止められていた」
ありがちではあるのですが、費用ケチっただろ。
単発の開発では特に、アップデートに伴う仕様変更で問題が起きないように、セキュリティに穴をあけることがあります。本来は十分な員数のシステム管理担当者を置いてユーザー側でメンテナンスを行うべきなのですが、中規模以下の病院のような支援部門が硬直化した組織だとそんな対応ができないことは珍しくありません。もちろんそんな状況では境界防御すら思うに任せないことになります。またクラウドを使おうとしても、今度は運用をクラウドサービス側に合わせる必要が出て来て、内輪の理解が得られないことにもなりがちです。
本来そんな状況でインターネットにつなぐべきではないわけで、この場合下手なアップデートがトラブルにつながる基幹システムとネットにつなぐような使い方をする機材とを同じLANに繋いではいけないのです。その意味でもケーブルを引く金をケチっただろうという話になるのですが、まあ、隔離したらしたでUSBメモリあたりから侵入されるだけではあるんですよね。なんか去年アメリカで石油だかガスだかのパイプラインでそんな事例があったと思いますが。

■2022年06月08日(水)  いっそ交流のコンセントも全廃して欲しい
EU、スマホ充電端子「USB-C」に統一へ アップルは懸念表明
欧州、2024年までにスマホなどでType-C充電を義務付け。ノートPCも40カ月後に対象へ
いっそ電気系の端子は全部USB-Cにしてくれませんかね。それこそホテルに泊まってもアパートを借りてもAirBusの飛行機に乗っても壁や席にはUSB-Cしかついてない。髭剃りからパソコンから掃除機から冷蔵庫から洗濯機から電気自動車から照明から、とにかくなんでもUSB-C。分析装置も印刷機もUSB-Cでつなぐ。当然室内給電もUSB-Cで直流なので、交流配電をするにしてもどこかで直流に変換するわけです。それができる程度には汎用的な規格のはずですし、スマホだけとか半端なことをするよりも、ドライバーICの域内での需要も増えるでしょうし、電源周りや機器自体のインテリジェント化も進むでしょう。家電をEUに輸出する場合はUSB-CなりUSB-PDなりへの対応が必須になります。もちろん国ごとに変換プラグを用意しないといけないとか、コンセントに繋いだら火を吹いたとか電圧が足りなくて動かないとかも起こらなくなります。その代わり三相交流は使いにくくなるわけですが、元々大容量の特殊用途ですから問題にはならないでしょう。

■2022年06月07日(火)  たしか大戦略の東側諸国に徴募兵とかのユニットがあったような
ロシア軍、招集兵を通常はありえない第一線に派兵 ロシア報道
確かに現代の軍事常識として招集兵は技量も士気も低いのでせいぜいが後方警備なのですが、これはそもそも派遣を受けた前線指揮官も困ったのではないでしょうか。送り返したのも、招集兵を前線投入して死なれたら困るというよりは、そもそも前線では使いようがないからではないかと思います。据えものの肉壁にしようにも簡単に混乱して前線を崩壊させそうですし。責任問題というのも、本来送ってくるべき十分な訓練を経た兵ではなく訓練不十分な兵を送ってきたので前線指揮官が抗議したのかもしれません。
ちなみに80年ほど前は招集兵が前線に送られることは普通にあり、60年前くらいでも米国の大学生が前線送りを免れようとして州軍に志願したりしていますので、事情というのは色々変わっているわけです。

■2022年06月07日(火)  むしろラフな格好をして邪魔しに来るな、儀礼が必要ならちゃんとした格好をして来いという話で
クールなビズは、涼しいだけでなく「カッコよく」 仕事の夏服最前線
「仕事内容や相手を考えて、必要ならばジャケットを着用してネクタイを締める。そういったビジネスウェア本来の着こなしが、取り戻されつつある。」
JTCと格下とベンチャーとで服装を変えるのも含めて、これは正しいわけです。そもそも一緒にデリバリーピザを囲んで長時間の実務打ち合わせとでもいうならともかく、半袖開襟シャツでコーヒーを飲みながら商談をしたところでちっともクールではありません。距離がどうであろうがメールで十分です。

■2022年06月07日(火)  暇なんでしょうか、公取
有明産のノリ、漁協からの出荷を強制した疑い 公取委が立ち入り検査
地域の生産協同組合が組合員からの出荷ルートを独占するのはむしろ当たり前だと思うのですが。生産管理、資源管理もそうですが、ブランドの維持だってカルテルが前提になるわけです。漁業協同組合に漁業権を介した生産管理、資源管理の主体という面がある以上非組合員に対する加入勧誘だっておかしいとは言えないでしょう。
協同組合を反競争的とするなら、それは生産者組織全体、協同生産自体の否定であるべきです。現に零細生産者の協同組合自体が認められている以上、これは公正取引委員会の任務ではありません。何かやるとすれば、公衆通信や電波放送、証券取引市場程度の広域ないしは全国的な寡占が生じた場合で、手段は協同組合自体の解体ということになるでしょう。

■2022年06月07日(火)  そもそも枠の方がおかしいわけですが
ピアニストで数学研究者の中島さち子さん 「文系・理系の枠超えて」
まあ、音楽は本来厳密には理系なんですが。ヨーロッパの中世大学では音楽というのは数比例についての学問であり、つまり算術、幾何学、天文学(というか占星術を含む暦法、天体の運動などの天界の秩序についての数理)と並んで数学系の一科目なのです。職人芸化の傾向が強くなったのはルネサンス以降、表現に重点が置かれるようになったのはそれこそフランスのコンセルヴァトワール以降ではないかと思います。
もちろん文系の理系のという区別がナンセンスというのもその通りで、元々言語についての学問と数についての学問の両方を収めることが高等教育の基礎部分(発展部分が法学、神学、医学-薬学)です。法律と財政を修めるのが官僚の基礎教育でもあります。今時数学もできない人が大学に行く方がおかしいでしょうし、哲学においても数学をモデルにする方向は傾向として強まりこそすれ弱まることはないと思います。もちろん精神科学や社会工学の数理モデルのようなオカルト思想は廃れていくでしょうが、数量的把握や厳密な定式化は数学をモデルにするしかないでしょう。

■2022年06月06日(月)  とりあえず耐えがたきを耐え忍び難きを忍ばざるを得ない哀れなロシア
「あり得ない」ロシア外相、セルビア外遊中止 隣国が上空通過を拒否
自業自得の面があるとはいえ愉快な状況になっています。外交慣例上は上空通過を容認することが常識なのですが、一応判断の権限は各政府にあるので、拒否したということは各国はもはや現政権の支配するロシアは友好国ではないと言っていることになります。なかなかの侮辱です。とはいえそれで外遊を断念するということは、外務大臣を犠牲にしてまで全面戦争をする気はロシアにはないのでしょうね。やる気なら、無害通航を宣言して領空に侵入、迎撃されたところを外交使節に対する通行妨害を敵対行動と主張して最後通告、期限切れをもって攻撃を開始というのが手順です。まあ、ブルガリア相手とはいえそんな余力はないのでしょうけど。逆に言えばそこまでの拡大をする意思はないということで、おそらく同程度に戦争拡大の要因となりうる戦術核兵器の使用にも抑制的と考えられる気がします。
ところでなんでブルガリア、モンテネグロ、北マケドニアなんでしょうね。黒海まで南下してから西進して南からセルビアに入るルートのようですが、モスクワからならベラルーシを経てポーランドあたりからスロヴァキア、ハンガリー、セルビアと南下する経路もあると思うのですが。こっちも断られたのでしょうか。それとも黒海経由でセルビアに入ることに何らかの意義を見出しているのでしょうか。

■2022年06月06日(月)  三角関数という扱いは良くないかもしれない
「私は三角関数の不要論者ではない」 維新・藤巻議員の真意とは?
まあ、一定レベル以上の金融経済分析を学ぶ際に三角関数と微分積分は必須ですけどね。習字や道徳や運動競技よりも金融制度を学ぶべきと言うならまだわかりますが。少なくともそれで、管理通貨制度下の財政運用と通貨価値制御への庶民的金融制度観の適用などというナンセンスは減るのでしょうし。
もっとも、現在の学校数学の扱い方だと三角関数は非常に躓きやすいので、わからない、使わないと思う人がいることは仕方がない面があります。個人的にも、単振動と物理でようやく使い方がわかり、フーリエ展開でなくてはならないことが理解できた感じです。対数や指数、行列もそういう部分があり、確率や統計と合わせて金融理論も含めた現代応用数学には必須なものですから、ひょっとしてふるい落とすためにわかりにくく教えているのではないかとも思えるほどです。身近な物理現象や社会現象の分析から入るというアプローチはあり得るかもしれません。三角関数も大事だ、人類の英知だと言うなら、ツイッターで呟いていないで、金融分析から入る周期関数の解説書でも書いてKindleあたりで300円程度で出してはいかがでしょうか。

■2022年06月05日(日)  神社が丑の刻参りを告発するってどうなんだろうね
プーチン大統領の写真?付きわら人形、複数の神社に 器物損壊で捜査
確かにまあ、自分の家でもない神社の木に了承なく釘を打つというのは器物損壊ではあるんでしょうね。逆に言えば自宅の庭木にやった場合何の罪にもならないのだと思いますが。いや、軽犯罪法1条31号違反はあり得るかもしれませんが。
かつて現代魔法使いが丑の刻参りは例え成功しても傷害罪にも殺人罪にもならないと言っていましたが、実際は器物損壊や不法侵入、その他軽犯罪法違反あたりは適用しうるわけです。とはいえ罰するべき事例なのかと言うと非常に微妙な気がします。というかこれって親告罪なのですが、通報した神社は何を考えているのかと思えます。少なくとも懲役刑(この罪は3年以内の懲役刑を科しえる)を科した場合過重な刑罰の謗りを免れないのではないでしょうか。
本当に呪おうとしたのか呪われるような人であるとプーチン氏を糾弾したのかはわかりませんが、やはりあまり変な方法を使うと穴二つでは済みませんので、実行の際はしっかりと法律も条例も調べて、被告人になどならずに済むようにやっていただきたいと思います。

■2022年06月04日(土)  デジタルの導入はともかく事業者のサボりは規制するべき
「目視」「対面」「常駐」 アナログ規制の4千条項、政府が見直しへ
デジタルの導入は別にかまわないのですが、単純にデジタルデバイスに置き換えるだけだと、目視や対面、常駐が前提としている網羅的なチェックが行き届かない恐れがあります。デジタル監視自体についての監視を担当する有資格者の権限と責任を法的に強化するべきだと思います。例えばデジタルモニタリングの場合、担当者は資格に基づいて自身の権限で現場の目視による確認を事業者負担で実施できるものとし、また目視確認に必要なリソースの供給を要求し、それが供給されるまではデジタルモニタリングを停止させる権限を持つべきです。その代わり、モニタリングに関して発生した事故については担当者は事業者に個人的に連帯して責任を負うものとします。

■2022年06月04日(土)  そもそも可愛いなどという形容は公私混同でしょうが
維新・馬場氏「あまりに可愛いので間違えた」 立候補予定者の名前
この人、議員という公職にありかつ国会に議席を占める、あるいは占めようとする政党の共同代表という立場にあるという自覚があるのでしょうか。自分の娘を私的な場で紹介するというならともかく、街頭演説会で立候補予定者を容姿の問題でないとしても可愛いなどと、不謹慎かつ不見識もいいところです。
もちろん見識や品格、公職者としての自覚や責任感など国会議員の要件ではありませんので、だから辞めろなどとは言いませんけれども、こういう人をいつまでも議員にしておくなら、大阪17区の有権者を個人的に軽蔑せざるを得ません。

■2022年06月04日(土)  財政赤字よりは需要不足の方が問題ではある
安倍元首相、1千兆円の借金「大丈夫」
別にこの10倍になろうと円建て債である以上返済できないわけではないという意味では問題ないのです。消費サイドでの通貨需要がある限りは、それこそインフレーションが亢進しても国債を発行した方が好都合なことはあります。
ただし、国債で調達したお金がどう経済を回っていくかについては考慮する必要があります。少なくとも金融や証券投資に滞留するようでは意味がありません。本当は、民間に財政出動を上回る投資需要があることが望ましいわけですが、その投資需要を喚起する消費需要が輸出を含めてないわけですから、民間では金があっても金融で転がすだけで、財政出動による需要創出が主体になるのです。民間の消費需要と財政出動による需要の和が国内の供給余力を使い切る点が当面の財政出動の目標になります。そこまでやったうえで、財政出動の内容として投資補助を行い、効率の悪い状態で過剰になっている生産設備を少なくとも効率の良いものに置き換えていくという話になります。この時点ではサービス産業というのは効率化のしようがないので、補助の対象になりません。効率の良い設備を増設して生産余力を増やすというのはそのさらに先の話で、そこでようやく産業構造の転換という話ができます。

■2022年06月04日(土)  自分で追加のソフトウェアを選択してインストールするのが初心者から一歩踏み出したところだなんて、なんて時代だ
これで脱・初心者。Ubuntuのパッケージ管理入門
「俺は自分でコンパイルしたバイナリしか信じない」
まあ、./configure; make; make installが基本という話はありますけどね。サーバーマシンでXはいらないというのもよくあることですし。
とはいえプリコンパイルドパッケージシステムというのは便利ですので、特定のCPU特有の機能を使っていてコンパイルオプションで切り替えるとか(今の流行りでは実行時にCPUの型番や仕様を特定して切り替える)、前提にするウインドウマネージャをコンパイルオプションで切り替えるとかいうことになっているのでない限りは、パッケージシステムを使う方が望ましいと思います。
それにしても、コンピューターを使う上でソフトウェアは自分で取捨選択するものだったはずで、お仕着せの環境のソフトウェアを意図的に - 意図に関わらず入替させようとする怪しいソフトウェアは結構ある - 入れ替えることが脱初心者扱いとは、酷い時代になったものです。

■2022年06月04日(土)  被害者は司法府に何を求めているのか
解体工の石綿被害、建材メーカーの責任認めず 最高裁判決
正直解体前の調査を徹底するのが筋で、建材メーカーの責任は問いにくいと思います。もちろん懲罰的に建材メーカーを潰すことを目的にするなら別ですが、それは少なくとも日本では裁判所のすることではないでしょう。基本的には適切な規制を実施しなかった国会と規制当局の責任ですし、建材メーカーの責任を問うならそういう立法を行うべきです。

■2022年06月04日(土)  新分野の趣味に関する記事は軽薄さが鼻につく
「デジタル以上」の解像度 フィルム前、ガラス乾板が映す世界観とは
これ、いったい何と比べているのでしょうか。写真乾板の場合原寸でのベタ焼きが前提だと思いますし、その場合10cm角程度のサイズにはなります。一方民生用のデジタルセンサーは今のところ7.5cm角が最大です。解像度は単位面積当たりの画素数(銀塩の場合粒子数)で決まりますが、引き延ばしが前提になるデジタルは引き延ばし後は当然解像度が悪化します。それを写真乾板のベタ焼きと比べても意味がありません。逆に言えば、金に糸目をつけずに8インチ角のセンサーを作るならば、デジタルの解像度は銀塩の乾板よりも上でしょう。
その上で、安定した平面、広い面積を利用した高い粒子密度(解像感)、狭い被写界深度などを活かせるように被写体や撮影法を選ぶわけです。以上とか以下とかいう問題ではありません。そんなに写真乾板の世界観とやらが大事ならば報道写真だって写真乾板と対応カメラ、レンズを使えばいいわけで、わけのわからない軽薄な芸術論に阿るのは感心できません。実際には、オーボエあたりと同じで写真乾板の取り扱いはかなり慎重を要するはずですが。写真撮影所用がそこらで売っていたころならともかく、今やX線造影用あたりを除けば受注生産か自作になると思います。

■2022年06月02日(木)  人間に外注するべきかどうかは議論の余地があるでしょうけど
家事の外注、なぜためらう 「愛情」「汚れ仕事」という呪縛と労働論
そもそも私宅に外の人が入ることに慣れていないとか、家事を発注する方法がわからない、半端なやり方をすると何をどうされるのか不安があるということもありそうな気がします。家事使用人として常雇いしてしまえばある程度安定するでしょうが、そういう人を家の中でどう位置付けるかについても戸惑いはあるでしょうし、家人の不在中に家に出入りする人をどう信用するかという問題もあります。
とはいえ、少なくとも介護周りについては、積極的にアウトソーシングの活用を図るべきだとは思います。またその際に、安い値段で数をこなさせるような発想はするべきではないでしょう。日毎に行き先が違う程度ならともかく、一日にいくつか掛け持ちさせるような形は望ましくありません。いくらでも「予想外」が起こりうるのが私宅であり、特にユーザーが慣れるまではそうです。家人である専業主婦すら掃除をしようとして家族を邪険に扱って問題になることがあるのですから、「家事」を業務としてする立場の人に過度な負担がかかるような時間的にタイトな扱いをすればそれは覿面にサービス品質に跳ね返るでしょう。
とはいえ、他人を入れたくないなら機械化という選択肢もそれなりにあるわけで、そちらであれば相当主体的に活用の方法を決められるはずです。

■2022年06月02日(木)  たった二カ月じゃなくて5年取るべき
連休と育休重ね「そうじゃないから」 男性取得100%めざす地銀
「今春の大型連休に合わせて育休を申請し、自分の周囲に及ぶ影響を減らそうとした男性がいたが、同室が「そういうことじゃないから」と差し戻し、別の時期に取得するように求めたという。」
そりゃそうだ。とはいえ差し戻すだけじゃなくて、上司も巻き込んで影響を減らすのではなく影響が出にくいような仕事の仕方をしてもらうのが筋ですけどね。脳梗塞で入院して仕事が止まった→急病じゃ仕方ないよね、産休で休むから仕事が止まった→覚悟が足りないではだめなので、少なくとも顧客や社内の交渉相手に対しては、誰かが休んだらせいぜいアポの取り直しで何事もなかったように話を進められる体制を築いておくのが、業務組織としての責任というものです。
もっとも、出産という家族の大事においてのほほんと仕事をしていられる、乳児を抱えた家庭の中枢を育児休暇程度で職場に拘束していいと思うということにむしろ人間性の問題があると思います。

■2022年06月02日(木)  テスラで通じる人なら外に出ても通じるでしょうし、沈むと思ったらさっさと逃げ出すんじゃないかな
マスク氏、週40時間の出社求める 守らなければ「あなたは辞職」
まあ、日本で経営者が言うのとは意味合いが違って、あっちの労働者はできる人ほど、勤め先を切り捨てるのも速いですからね。5年くらい週72時間働いてしっかり評価されて、それで他所からのオフォーを受けて過労死する前に卒業するくらいは考えるわけです。わけもわからず仕事に追われるのではなく納得して状況をコントロールしながら働く分には過労死もしにくいので、それこそ一時期のリクルート社のように、テスラの卒業生が各界で働くなんてことも出てくるかもしれません。
一方でこの手のメンタリティは労働争議を引き起こすことも事実で、会社を過度の拡大圧力に曝さず凝集力の強い組織として維持していくことが、マスク氏の当面の課題ということになります。そしておそらく競合や監督官庁に汚い企業組織として嫌われますから、何かあれば徹底的に叩かれ、おそらく企業としての永続性はなく、マスク氏一代で終わるのだと思います。
日本の場合、他に行く先がない、迂闊に転職すると処遇が下がると思い詰めた状態で心太で入ってきてパワハラに曝されるので、メンタルへの悪影響が大きいのです。具体的にベイルアウトの道筋を示すことが重要でしょうし、またベイルアウトした先が安定したものであることも重要でしょう。中途採用市場でそこまでしっかりした計画的な行動を支えられるとも思えませんし、新卒5年程度で自営に転じるのも難しいでしょう。管理職公務員資格を免許に近い形にして、その代わり課長、部長、局長それぞれの段階でしっかりした採用一次試験を行い、部内からの就任も含めて原則試験による採用にすれば、ベイルアウト先としても悪くない気がします。もちろん本来は、会社に引っ張り上げられるのではなくて、自分で3年目くらいから次のキャリアを探しては出て行くのが、キャリア賃労働者として望ましいと言えます。

■2022年06月01日(水)  100年くらいしてから米国崩壊で終わってくれないかな
「帝国」が崩壊して「冷戦」が終わる ロシアを突き動かした屈辱感
正しくは、米ソ冷戦と言うべきでしょう。既に米中冷戦が別の形で始まっています。

■2022年06月01日(水)  教科教育以外を学校から外すべき
公立中学の部活、休日は学校外部へ 「教員頼み」卒業への第一歩
目標年次を設定して、少なくとも公立学校については「部活動」、いわゆる公認課外活動団体制度は禁止するべきです。授業終了をもって生徒は下校、当然休日の学校設備使用は父兄や団体指導者の監督の下都度通常の申請によるものとし、学校側は施設の管理に留まることになります。

■2022年06月01日(水)  何で妊娠しちゃうかなあ
「妊娠したら強制帰国」信じた末に…元実習生を追い詰めた「無関心」
いや、そんなことを信じていてなんでまた実習期間中に妊娠なんてことになるのかの方が問題だと思いますが。

■2022年06月01日(水)  やはり株式流通市場に通貨を供給するのは良くない
円安・物価高というディストピア お望みの未来、実現のはずが
この人はいい加減にしてほしいというか、日銀が望んでいたのは賃金上昇によるコストプッシュインフレであり、輸入価格上昇によるそれではありません。ある程度の円安程度は織り込んでいたでしょうが、さすがに資源価格がここまで上がるのは想定外でしょう。むしろ家計ではなく資源価格が上がるまで頑固に価格維持を続けた(=労働コストを抑え続けた)産業界がデフレの元凶であることを証明したと言えます。もちろん、ここで日銀がそんな非協力的な産業界に愛想をつかして国債を買い占めた上で株式投資信託を投げ売りしても(=株式投信市場が大暴落してGPIFあたりが大損しても)、それは妥当だと思います。
もっとも、株式の流通市場に資金を供給したところで景気は上向かないということに気付けなかったあたりは、日銀の失態ではあります。これは「貯金から投資へ」などというスローガンも同じことで、流通市場ではなく未公開株式の発行市場に資金が流れるようにしないといけません。ただしこれは非常にハイリスクなので、それこそ分散投資ができるレベルに資金をまとめる投資信託の出番のはずなのですが、現状投資信託は金融工学ベースですので、ハイリスク長期投資を交えたバランス運用タイプ(それこそベンチャー企業への投資を含む形でTOPIX連動程度のパフォーマンスが実現できていることが望ましい)で小口のものがちゃんと出てこないと役立たずでしょうね。

■2022年06月01日(水)  もしかして設置ローンが組みやすいのが再生可能電力のメリットか?
ふと思ったのですが、ここまでエネルギー価格が乱高下すると、再生可能電力には環境規制とは別のメリットがある気がしてきます。地下水汲み上げを伴う地熱発電や河川の占拠が必須の水力発電はまた別ですが、太陽光や風力というのは、設置してしまえば消耗品コストはメンテナンスと交換部品しかかかりません。つまり運用期間中のコストの見積もりがリスクも含めて容易であり、少なくとも自家消費だけを考えるのであれば損益分岐点が相当はっきりわかります。これは、借り入れによる長期の投資が比較的低リスクで行えるということだと思います。売電事業だと電力買い上げ価格が変動することが原則なのでリスクが見積れなくなりますが、自家消費については住宅ローン程度のリスクで貸し出しを判断できそうに思います。問題は電力買い入れ価格とのバランスで、買い入れ価格が低い場合自家発電では設備投資分を償却できません。それでも、電力価格が戸建ての年額で200万円程度まで上がれば、10年の運用で維持費も含めて償却できるように思います。もっともこの場合、おそらく高層建築物ではフットプリントが小さいため自家発電では間に合わないはずで、オフィスやマンションの電気代は暴騰することになるはずです。そうなればそうなったで、不動産屋が郊外にメガソーラーを建てて少しは安い電力を供給して辻褄を合わせるだけだとは思いますが、とにもかくにも太陽光や風力はニーズとサプライのバランスを取る設備のコストが増してくるはずなので(これまではこの点を - もちろん他の発電設備も含めて - 全く考えておらず、このために送電設備への負荷を恐れた送電会社が受電を拒否するようなことになっています)、一カ所集中で大量に発電して供給するよりは必要なところで発電して貯めては消費する方が安上がりではないでしょうか。もちろん価格維持のために電力に課税すると自家発電で迂回できてしまうので、重油と軽油あたりに課税することになります。ガソリンは、現状大型の発電システムに使うのは難しい(だから大出力内燃機関は軽油や改質重油を使ったディーゼルになっている)ので、当面需要が増えはしても減りはしない貨物輸送コストを考慮して現状維持程度でいいと思います。ディーゼルエンジンの運用コストが上がると長距離輸送の損益は悪化しますが、これには鉄道という代替手段がありますし、高速道路の適当な場所に自家発電設備を備えた充電ステーションがあれば済む話でしょう。そしてラストワンマイルは、ハイブリッドと言えどもガソリンが主体です。完全電気駆動になればまた別でしょうが、その場合拠点の自家発電設備から充電すれば済む運送業者はコスト低減の余地がありますし、拠点充電では間に合わないならおそらく土地が有り余っている田舎であり、メガソーラー付きか適当なガソリン発電機を備えた充電スタンドでの充電が期待できるでしょう。もちろん当面はガソリンハイブリッドでスタンド給油でもよいのです。もっともこの場合、充電スタンドにバッテリーを持ち込んで充電する、今の農機やエンジン駆動のチェーンソーや草刈り機にガソリンスタンドで充填したジュリ缶からガソリンを入れるような形態も出てくるかもしれません。それはそれでありではあるでしょう。また小規模運送業者であれば、組合事業として郊外に充電ステーションを設ける形も可能なはずです。

■2022年06月01日(水)  図版間違ってますが
インボイス制度で個人事業主大打撃? 過半数の企業が取引先に課税事業者化求める
まあ、益税分が価格低減の原資になってきた面もあるんでしょうね。この場合インボイスを出させる話ですから、買い手が売り手に課税事業者になるように要求する話だと思います。
ところで、一部の図がおかしなことになっています。簡易課税制度を説明する図かみなし仕入れ率の表なのではないかと思いますが、どうみても為替手数料改訂の図です。著者と編集部のどちらが間違えたのか知りませんが、チェックはちゃんとして欲しいものです。

と思ったら、どうもFirefoxのキャッシュで別のデータがサムネイルとしてロードされていたようです。なんでそんなところで取り違えが起きるのかと思いますが、キャッシュ検索用のハッシュが不幸にも合致したとか、そういう理由なんでしょうね。だからといって読者がデバッグすべきこととも思えないわけで、そもそもそのコンピューター以外で再現させるのは大変でしょう。
簡易課税制度?

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