■2022年06月26日(日)
これで広告には責任を持たないというのはありなのか?
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6月26日から朝日新聞DIGITALで妙に目につくのが「美人同行事務局」というクレジットの入った広告です。「同行専門の癒し秘書サービス」とのことなのですが、もしかして間違っているのかもしれませんが、きれいな女性を商談に同行させて商談が険悪になったり緊張したりすることを防ぎましょう、その同行者を斡旋しますというサービスの宣伝に見えます。商談などスケベ親父や多情系兄貴が出てくるもので女性の笑顔があるだけで場が和む(もしかするとそれで連れていった側の有利に回せる)という方法論自体は否定するほどの話ではないにしても(というか、これでカウンターパートが新宿あたりの酒場でホストに入れ込む女性だった場合笑顔爽やか系の清潔な美男子でも同行させるのでしょうか)、記事脇のなかなかいい場所にこの手の広告を表示させることが一応正統派であるはずの報道機関として適切であるのかどうかは疑問に思います。特定の性をマスコット扱いすることもそうですし、商談という場をそのようなマスコットが効果を持つ場と規定し、ビジネスパーソンをそのような影響を被る人物像に典型化する姿勢も、高踏的な姿勢での報道とは適合しにくいように思います。さすがにその隣に「米国最高裁中絶の権利を否定」とか「強姦被害者の妊娠中絶に州間移動手段を支援」などという記事がある様子をシュールなコラージュと鑑賞する趣味はありません。 もちろんこういう事業やその宣伝自体は否定まではしませんし、スポーツ新聞はもちろん、これがテレビ広告なら土日のバラエティー番組やゴールデンタイムのスポーツ中継や子供向け番組に入っていてもむしろ公共テレビ放送というメディアの品性に相応しいと思います。私個人について、行動履歴でこういう広告が出やすいプロファイリングがなされてしまっている可能性も否定はしません(プロファイリングのアルゴリズムについては個人的に責任を全否定しますが)。 とはいえ、記事の書き手や出稿責任者が自分の記事がこのような広告と並ぶことを問題ないと思っているのだとしたら、いささか倫理的に問題があるように思います。 | | | |