日記

■2021年08月31日(火)  戦争馬鹿に自給自足経済なんか作れるものなのかね
タリバン「完全な独立」を宣言 最後の米軍機が飛び立つ
完全な独立は結構なんですが、その前に鎖国する準備はできているのでしょうか。今さらたいして権益もない地域だと思うので、ロシアが南下して来たり中国が西進してきたりという心配は少ないのかもしれませんが、利権に絡まないということは放っておかれるということで、経済援助や人道支援も積極的にしてもらえないということですから。イスラムの教えに従って清貧に徹することを止めはしませんが、餓死者は相当数出ますし、医療水準の低下による(多産)多死型社会に転換することになります。後で植民地にしてもらうような羽目になっても知りませんよ?

アフガニスタン、人口の97%が貧困化も 国連機関が食糧危機に警鐘
誰に対して警鐘を鳴らしているのでしょうか。事実を指摘しているのだとして、住民の貧困化なり食糧危機なりに対して責任を負うのは現地の政府です。その政府が、住民が飢えることよりもイスラムの諸原則と米帝の排除が大事だと言うなら、それを排除するためには戦争を仕掛けて政府を崩壊させないといけません。あるいは他国がアフガニスタンの住民への支援は政府がイスラム原理主義とテロリズムを放棄することを証拠立てることが前提だと言う、それに対していや、テロリストと握手することになっても人命の方が大事だと言うならそう言うべきでしょう。
そもそもアフガニスタンでの紛争についてはソ連が侵攻した当初から国際連合は全くの役立たずであり、食糧危機だ医療危機だと言う権利など欠片もないのです。

■2021年08月31日(火)  生命だってただの物
生命に優劣はあるか 福岡伸一さんがつづる虫たちの選択
優劣はあるものではなく付けるものだと思います。ローカルな生態系のありように即して適応しているかどうかは問えますが、優劣などという考え方はそれこそ人間主義的でしょう。仮に優劣を論じられるとしたら、それは人間にとって役に立つ性質を備えているかどうかという観点しかありえません。そしてその観点が産業の視点からの便宜的なものでしかないのは明らかです。
一方で、人間にとって都合の良い環境を維持し、広げていくという観点から生命を評価分別することは、人間の生存戦略として当然です。もちろんそうしないといけないというわけではないにしろ、そうしていけないということはありません。もちろんその結果Homo Sapiensが他の生命を巻き込んで絶滅することもあり得ますが、それはそういうもので、そうならないようにすればよいというだけのことです。Homo Sapiensがいつまで種として継続するかもわかったものではありませんし。その意味でゴキブリやハエを絶滅させて良いかどうかというのは議論してかまいませんし、その方が都合がよいとなれば実行してもよいわけです。もちろん、問題は出るかもしれませんけどね。それは人間や人間に都合のよい生物が生命として優れているからではなく、他の生命を滅ぼすことも含めて生命としてのありようだからです。というか、そもそも生命なんて化学反応の場の一種でしかないでしょうに。

■2021年08月31日(火)  そこに集中する方が悪い
気がかりな若者の部活離れ サッカー合宿の街から悲鳴
そりゃ、生活必需品でもないものに依存していたら流行が変わっただけで大打撃でしょうよ。サービス業に依存しているという点であまり同情できません。
たとえば宿泊業者が通年での経営安定化の一策として合宿需要に対応するというなら、その需要が消えた場合の方策も立てておくことを前提として経営方針としてありだとは思いますが、「神栖市には、市と民間のサッカー場が100面以上あり」という時点で度を越えた集中投資であり、先のことを考えていなかったツケと判断するしかありません。10年程度サッカー合宿需要を基盤にするにしても多角化なり代替事業なりの方策を考えておかないといけなかったのです。部活なら流行り廃りも少ないだろうなどと考えていたのだとすれば甘すぎです。そういえば奈良や京都の修学旅行需要を基盤とした業者はどうなりましたかね。そもそも観光自体が吹っ飛んだので部分集合どころではないのかもしれませんが。
「ラグビー合宿の聖地・菅平(長野県)など、全国5カ所の合宿地の宿が連携して、国に苦境を訴えにいくことも考えている。」などというのは論外で(いや、合宿がNIMBYなので集約したとでも言うなら別ですけど)、8月に合宿需要をさばいたら休業して他所で別の稼ぎをするくらいの話を作って事業多角化融資の相談に行き、その上で学生文化としての合宿の保護を主張するレベルでようやく話を聞けるというものです。

■2021年08月31日(火)  苦手感のある例や学習の習慣のない例のサポートが大変そうです
親が在宅勤務できるかで格差 全国学力調査、識者が指摘
まあ、わかっていたというのはその通りで、ましてや学歴の高い親というのは教材や学習の質を見極める目もあるのが普通ですし、出勤している場合でも空き時間に対面で子供の学習指導をする程度のこともできるでしょうしね。
もっとも、当面学校が十分なことができるかというと、「そういった子たちに学校を開放して、学習が継続できるような追加的支援が必要だ」では済まない気がしています。親なら家族感染しても隔離入院で済みますが、学校で感染したとなれば責任問題です。現時点でも親からは学校での「預かり」を希望する声がありますが、おそらく一度感染が出れば吹っ飛びます。感染防止措置が十分できないうちは及び腰になると思います。
コメントにあるように、家庭で学習のサポートができないこと、そのために学習の進度が低下したことをスティグマにしてはならないことは大前提です。
その上で、例えば少人数について集中的な指導を交代で行う(つまり、登校日自体は減らすが30人学級であれば8人づつ4日に分けて一週間分の指導をする)といった形がありうるように思います。教材さえ準備できれば自主学習のサポートという形への移行はできるはずです。中学高校の場合は、ある程度重複する科目を統合したうえで20分なり30分なりの中で1教科分を見る形で、対象科目を変えて週二日でしょうか。もちろんそれでは学習が進まない児童生徒も出るとは思いますが、そういう児童生徒はそもそも授業を聞いても理解できていないのではないでしょうか。別に手当てが必要だと思います。まあ、本来夏休み中にそうした方向への対応が進むことが望ましかったわけですが、どう見ても予算不足もあって漫然と新学期を迎えた感じです。まあ、それこそオンライン指導の体制整備の場合も含めて9月いっぱいで何とかできなくもないかなと思わないでもありませんが、過労死くらい出るかもしれませんね。
まあ、教科書と副読本を眼光紙背に徹するまで読み込めばよいと言えばそれまでなんですが。

■2021年08月31日(火)  こうして中小商社がロシアから海産物を輸入できなくなったりする
マネロン対策「日本は不十分」 国際組織が改善促す
こういうのは地銀いじめですね。地銀の役割がどんどんなくなっていき、十分な制度的な保障(を行う資金力や組織力)の上で国際展開を行う大規模行だけが送金や決済の業務を実施できる形になっていきます。まあ、ユーザーとしては代替の決済・送金手段が出てくればかまわないわけですが、一方でマネロンに使われるということ自体銀行間送金が普及した国際的なインフラであるという証明であり、そこからユーザーを排除するような施策には疑問を感じます。
ついでに言えば、現行のマネーロンダリング規制自体、本人確認を通じて柔軟で自由な低コストの送金や決済を阻むものであり、やり方を改善するべきだと思います。

■2021年08月31日(火)  だから正しく二酸化炭素排出税と呼ぶべきでしょうに
炭素税導入を要望 企業の二酸化炭素排出削減で 環境省
二酸化炭素排出税ですよね?炭素を二酸化炭素排出に置き換えて削減の前の二酸化炭素排出を省略すればむしろ2文字節約できます。排出だけ残しても文字数は同じです。
「炭素税」などと言うのであれば、本来は炭素取引税とでもいう形であるべきでしょう。つまり、内容を問わず、つまり食品や衣類も含めて、取引に際して含有する炭素1molにつき1000円といった税を取引の両者に課す形です。せっかくなので権利取引についても権利を保障する書類の重量についてこの税を課せば、デジタル化を促進できるかもしれません。もちろん紙幣にもかかるわけで、ATMで紙幣を引き出すと税金も引かれるわけです。両替も通常紙幣の売買ですから、この税がかかります。しかもこの場合、持ち込んだ紙幣と両替の結果受け取る紙幣の両方にかかります。一般の取引でも、紙幣を使った場合は同じことです。この場合例えば購入した石油を燃やして熱なり電気なり動力なりにしてしまうとそれ以上税が発生しなくなるわけですが、どのみち二酸化炭素排出税自体は排出量の申告から推計せざるを得ないわけですから、申告の妥当性は購入した炭素含有品の量から検証することになります。つまり、例えばこの人は灯油500Lを燃やして相応の二酸化炭素を排出したと申告しているけれども、灯油1000Lを購入したことが明らかで保管してあるのが100L、転売した記録もないのだから900Lは燃やしたに違いないという考え方です。ならばそもそも、灯油1000Lの購入に十分な額の税をかける方が単純でしょう。
最近は二酸化炭素排出規制が問題になっていますが、そもそも石油自体消費を抑制すべきものですし、原油由来の炭素含有材料を加工した合成樹脂、合成繊維の排出も抑制が望まれます。もちろんだからといって木綿や絹などの消費が増えても色々な意味でまずいわけで、そうなれば需要抑制と非炭素系代替材料の開発しかありません。

■2021年08月31日(火)  楽曲の引き上げが起きたりして
アップル、クラシック音楽ストリーミングサービスPrimephonicを買収 Apple Musicで提供へ
楽曲提供側は納得しているのでしょうか。クラシック業界にデジタル配信のアンチは多いとしてもAppleのアンチは少ないと思いますが、そもそもデジタル配信に抵抗がないのならApple Musicへの楽曲提供は普通に考えるはずです。そうでないプラットフォームを選んでいた理由が機能的なものならよいですが、Appleも含めて嫌だから、提供条件が引き合わないからといった理由だった場合、楽曲引き上げの動きが出てくる可能性もあります。
そもそもこの手のプラットフォームの買収は、通常のコンテンツ流通の買収に比べてリスクが高いと思います。買収直後でないにしろ提供条件の調整が予想されることもあり、今までストリーミングで聞けていた曲が聞けなくなるという消費者にとっては踏んだり蹴ったりな状況になる可能性もあるわけですから、企業買収によるライブラリの拡充には慎重であって欲しい気がします。

■2021年08月30日(月)  撤去保管料収入をあてに事業をするのは本末転倒
放置自転車の撤去保管料2500円は適切? 悩む自治体
いや、それ以前に放置自転車対策事業自体が適切かどうかを問題にするものでは?赤字を問題にするということは保管料で事業費を賄う、放置自転車が減れば事業費は減るはずということが前提なのだと思いますが、コストは増えているのに放置自転車は減っていないということでしょう。自転車に代わる簡便な移動手段がない、駐輪場が足りないか(駅ごとに適切な容量を提供しないと意味がない)場所が悪いか(自転車を置いてから徒歩十分では使う気になれない)使用料が高いか支払いの手続が不便で利用されない、それでは保管料を上げたところで安価な自転車(もしかしたら中古)を乗り捨てるだけでしょう。持ち主はむしろ、撤去されたことを運が悪いとでも思っているかもしれません。放置と言ったって、駐輪禁止エリアに駐輪してあるというだけではないでしょうか。仮に盗難車が乗り捨ててあるのだとすれば、逆に持ち主が引き取った場合盗まれた挙句に管理不行き届きというだけで2500円取られるわけで、10万円くらいはするものでもなければ引き取る気も失せようというものです。むしろ撤去されてセコハン市場に回った自転車を買う方が安上がりなのではないでしょうか。
監査委員の見識を疑います。
ついでに言えば、放置が問題になるようなところで自転車の走行を認めるのは危険です。おそらく歩道の走行や逆走、過剰積載による危険運転が多発していると思われます。軽車両を含む車両の入域規制を検討するべきです。

■2021年08月30日(月)  叩いて済んでいたのは30年前まで
GAFAにモノ申した男 無料サービスの裏に「情報」
公取の実績を称賛するのはやぶさかではありませんが、GAFAの前に潰すべき相手がいるでしょう。まず新聞社。配達や景品の配布と称して個人情報を収集しては目的外利用しています。次にクレジットカード各社とその周りの金融屋。罪状は同じく。広告屋。同じく。またITプラットフォーマーでも、楽天やソフトバンクがそっちに走り、自分たちがメジャーになりそこなったために愚痴を言っているのは周知のことです。携帯電話キャリア。総務省の度重なる規制にも関わらず、店頭での無暗なオプション契約と個人情報の収集、目的外使用が後を絶ちません。それ以外にも家族割のような関係者を巻き添えにする商品やNTT関係者の「〜の方から来ました」商法など、消費者庁と組んで摘発すべきことがたくさんありますが、どれもできていません。GAFAなど、出版業界の殿様商法に比べればよほどかわいいと言えます。
もちろん根拠法が私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律なので、独占に目が行くのは仕方がないと言えます(とはいえそれを言ったらNTTはどうなるという話ですが)。とはいえ、公正取引の確保というならAppleに対立しているゲーム屋にしろ大手には違いなく、不公正の是正というよりは寡占のパイの分捕り合戦です。GFも苦情を言っているのは中抜きをする広告卸業者であり、中抜きの工夫がしにくいという舐めた苦情を申し立てているにすぎません。Amazonが消費者にとって近所の書店よりはよほどできた小売であることも明白です。情報の扱いなら楽天の方がよほど粗雑です。
課税回避が問題と言いますが、それこそソフトバンクはまっとうに税金を払っているでしょうか。国家に対峙するのが問題というなら、GAFAのいずれも対応はまだしも真摯であると思います。役所に噛みつくにしても、それなりの筋は通しています。むしろ役所の方が、穴だらけの計画をごり押ししようとして国家主義の悪弊に陥っているように見えます。
Appleなど、所詮大口顧客にしてローンチカスタマー大手に過ぎません。それよりも、例えばTSMCやSamsungの半導体部門が機能統合集積回路生産の過半を握っていることの方が問題です。メモリチップメーカーも10年前に比べて減っています。そういう崩すべきところを崩してGAFAの対抗が出てきやすいようにすることも、市場規制のあるべき姿だと思います。これは、金融庁の管轄とはいえ、金融寡占の排除にも通じることです。

公取委、米アップルに対する違反調査を公表 改善策の申し出受け終了
アップルが公正取引委員会と和解、リーダーアプリで外部リンクが可能に
こういう半端なところで追及を止めてしまうくらいなら、しない方がましだと思います。それが適切かどうかはともかくとして、Apple税やコンテンツ決済の制約よりも、Appleが審査承認したアプリ以外iOS上で実質的に実行できないことの方が制約的かつ優越的地位の濫用でしょうに。それを規制するなら、「セキュリティなどベンダーの気にすることではない。それよりサードパーティーアプリに対する実行制限やジェイルブレイク規制を廃止しろ。」と言うのが筋です。もっとも、今時セキュリティなど気にするなとは言いにくいでしょうけど。

高い「アップル税」めぐり粘り強く調査 公取委、異例の譲歩引き出す
どう見ても粗利益率の低い大手ベンダーの保護に見えるんですけどね。零細開発者にはメリットがないです。
それでもデータ系のアプリは元を取りやすくはなるのでしょう。この場合お金がかかっているのはアプリの部分ではなくデータを収集する部分ですから、独自決済でサブスクリプションにしないとやっていけないと思います。ただ、そういうサービスをiOSに持ち込む必要があるかどうかは疑問で、サードパーティーが無料利用枠の中で小遣い稼ぎをして、普遍的に必要となったらAppleがデータ配信サービスについてプロバイダーと包括的な連携協定を結ぶか、Appleが買収するというモデルもある気がします。

「譲歩」したアップル、利用者には手間の壁も 決済の選択肢は拡大
なんか西田さんがコメントしてますが、まあ、零細開発者にもユーザーにもたいしたメリットはないわけです。そもそも零細開発者には、Appleの外部の決済を使うという選択肢がないわけですから。

アップル、動画や音楽アプリ内に外部サイトへのリンクを許可。30%手数料の回避が可能に
「発表された「リーダー」アプリに関するポリシー変更は、開発者にとってより大きな勝利と言えます。」
これはおかしな言い方であって、開発者ではなく大口コンテンツプロバイダーの勝利です。この意味では、いずれニュース配信事業者や電子書籍配信事業者にもポリシー変更が適用されていくのではないでしょうか。一方で開発者の大半についてはおそらく何の意味もありません。コンテンツプロバイダーも含めて、配信の単位ごと(まあ、記事とか動画とか)に決済用リンクを設け、サードパーティーのリーダー・ビューアーでもそのリンクを標準の技術なり手順なりに基づいて処理することで決済できるようにならないと、開発者の勝利というのはサーバーとコンテンツを揃えられるような大手事業者に限られます。
とはいえ、ユーザーから見れば閲覧のために事業者固有のアプリが必要になるうえに決済までワンストップどころかツーストップ、スリーストップが必要となるため、勝利かどうかは疑わしいでしょう。

■2021年08月30日(月)  自分でやればよいと思うのですが
自治体にGIGA支援センター設置へ 文科省概算要求
なんで半額で補助なのでしょうか。もちろん教科の内容については文科省が決めるわけですから文科省が概算要求すること自体は正しいわけですが、そもそも自治体に指導のノウハウがあるわけでもない以上、むしろ文科省が直轄事業として、外注でも何でもするべきだと思います。もちろん半額補助などと言わず、全額国費で賄うべきです。

■2021年08月30日(月)  むしろ二輪車は高速を使うな
首都高1000円上乗せで露呈! 高速料金は「柔軟で弾力的」に簡単に決められる!?
まあ、役人のへ理屈は今に始まったことではないですが。
しかし、そもそも何で二輪車を自動車より優遇しないといけないのでしょうか。高速道路料金など、貨載重量1t以上の貨物輸送用自動車と20人乗り以上の旅客用自動車以外は10,000円/kmでよいと思うのですが。道路が壊れるなどというのはまさに屁理屈であって、本来は何を高速道路で運ぶべきかという話です。自動二輪車はお呼びじゃないのです。ついでに言えば軽自動車を含む普通乗用車も軽トラもお呼びではないのであって、高速道路を使うくらいなら新幹線でも使って欲しいものです。自動二輪車なら、分解なり梱包なりして飛行機で輪行すればよいでしょう。空港の運送屋の窓口で受け取って組み立てて、後は一般道を走ればよいのです。もしどうしても愛車を預けるのが嫌ならば、一般道路だけ走ればよいでしょう。業務上使うにしても、自動二輪車が望ましい状況なら高速道路は必要ないはずです。
それとも、北海道あたりだと一般道だけでは行けない場所というのがあるのでしょうか。

■2021年08月30日(月)  現状では死のうにも死にきれないかもしれない
結局、「漫画村」は死んでないのではないか
なんというかIT大作戦なのかそうでないのか…実はアナログなところに問題があるというのがわかりやすい話ではありますけどね。
私なども電子ブックリーダーだけで4つもインストールする羽目になっているわけで(というかそもそもプリインストールされていたiBookを入れれば5つです)、しかもどれもこれもなにがしか使いにくい。とくにPC用アプリは本当にPC用かと思うほど、使い勝手が考慮されていません。マンガを読む程度ならあまり気にしないのですが、Kindleのように漫画以外も読む場合はかなり情けない思いをします。ついでに言えば、アプリによっては起動しているだけでスクショをブロックしてくれるため、うっかりウインドウの裏にリーダーのウインドウが埋もれた状態でスクショを取ろうとすると引っかかります。ウインドウを特定してのスクショでもブロックされます。あんたのことだ、ebookjapan。もちろんCOCORO BOOKSのフォーカスを外すと白地になる機能も、資料として参照できないじゃないかという問題があります。認証や印刷禁止の問題があるのはわかりますが、本やパソコンを何だと思ってるんだという話で、たしかに紙版を買えば済むんですけどね。買おうとしても売ってないことがあるけど。
もっとも不正配布サイトの問題はこのあたりとは別で、むしろ何がどこにあるのかわかりにくいのと何かと登録をさせられることではないかとは思います。角川系は自社系列とKindleしかないことが多いですし、COCORO BOOKS (旧Galapagos)も一部出版社のタイトルのリリースが遅くなることがあります。それもシリーズ物の半分くらいで続刊がリリースされなくなったりするので、泣く泣く全巻出ているところを探す羽目になります。しばらくするとよそで買った巻が続刊案内に出てきたりしてさらに泣けます。当然、複数のところを当たろうとするとその分だけメールアドレスとクレジットカード情報を登録することになるわけで、大変面倒ですし気持ちもよくありません。
また、現状電子書籍はハードを変えるとダウンロードし直しになります。漫画のような画像中心の書籍の場合サイズも一冊数十〜百メガバイト以上になるわけで、単行本一式を再ダウンロードするとなるとあっという間にギガが飛んでいきます。PDFならSDカードにコピーするだけで済むのにと思うユーザーは少なくないでしょう。
当然貸し借りもできません。まあ、する方が悪いと言えばその通りなのですが、「こんなの出てるよー」って自分の端末を他人に渡さないといけないのでは気持ちが悪くて仕方ありません。
まあ、出版物流通はそもそも50年くらい前から本を作る部分以外はやる気がまるでなく、工夫のかけらもない書店の品揃えや在庫があるのかどうかすらさっぱりわからない店頭注文など、本気で売りたいのか不思議に思っていましたし、その合間を縫ってアマゾンが成功してしまった面があります。日本も酷いですが海外はなお酷いようで、書店にはろくな本がなく、まだしも学術機関の近くの古本屋にでも行く方がましだそうです。書店は文化だとか言いますが、これのどこが尊重されるべき文化だというのでしょうか。本屋の店主がカウンターで転寝しているマンガのクリシェの方がお似合いです。

■2021年08月30日(月)  全員非常勤ならフリーアドレスでもいいんですけどね
大学のフリーアドレス化で「研究に支障」 教員ら提訴へ
経営者の独断専行でしょうかね。
文系の場合は別に大学の施設で研究(や問題作成や採点)をする必要はないわけで、その分広い家に住めるような給料を払っておけば済む話ではあります。もちろん会議室の類は相当数必要でしょうが、学生のたまり場が必要かどうかは考え方の問題ですし、教員に用があるのであれば随時に会議室を確保できれば済むでしょう。教材も、教員の資料の原本に当たる必要は、学生であれば余計にないはずです。あれば機会を設けて持ってくるだけでしょうし。
とはいえ、オープンのフリーアドレスにした場合、おそらく教員は用を極力まとめて、それが終わったら帰宅して研究を始めてしまうでしょう。フリーアドレス化や雑居部屋というのは、そこが単にコミュニケーションの場であり、拠点ではないのだということです。
コミュニケーションの促進というなら、体育館みたいな広いフロアに事務方や図書館司書まで同居して声をかけられるのでないと、教員と学生だけでは意味がありません。話していて必要な事務手続が生じたときにすぐに事務方に声をかけられる、あるいは資料が必要になったときに司書に声をかけて手配できるくらいの便利な空間でないと無意味です。またフリーアドレスだとしても完全オープンはなしであって、せめてレンタルオフィス程度のブースはないといけません。
しかし、大学である以上学生だけで最低数百名いるはずで、それを収容できるようなフリーアドレスで意味を成すのでしょうか。声をかけると言ってもワンフロアぶち抜きの数十メートル先の人に声をかけられるとも思えません。まさか教員だけのフリーアドレス雑居部屋だとしたら、そもそも馬鹿げています。

■2021年08月30日(月)  看板閣僚ってその平井さんですか
看板閣僚VS「総理になれない」野党議員 うどん県対決
「ガバメント・アズ・ア・スタートアップ(Government as a Startup)」
いや、これをやるんであれば「Government as a Service」になりませんか?スタートアップだと夢いっぱいだけど多分こける印象になるので、必要に応じて、適切なサービスを、政府機能としてユーザーが選択できる方が夢があります。
そもそも看板は看板でも看板倒れだと思いますが、街宣をオンラインでというのはその意味で似合いではあります。街頭が議論の場でなくなってから、そろそろ60年にはなるでしょうか。人の集まる場ではあるとはいえ、それは大型乗換駅と同じで通り過ぎるために集まる場所であり、放送の宣伝番組と同じで一方的な言説が行き交う場所でしかないのです。そこで双方向のオンライン政見放送とは、なかなか奇抜です。

■2021年08月29日(日)  やってることは電磁的記録不正操作
ベラルーシのハッカー集団、ルカシェンコ政権打倒のために連携
いや、何か格好良さそうなことを言われても、結局のところ1943年ころの米軍に協力するシシリアンマフィアと同じではないでしょうか。あるいは、ソ連のアフガン侵攻に対抗したムジャーヒディーンからアルカイダやタリバーン、あるいは各地の軍閥が生まれた件でもよいですが。犯罪者は犯罪者です。
もちろん政権を転覆すると犯罪者が犯罪者でなくなることはよくありますが、どのみちいずれ馬脚を現します。
本当にハッカーだというなら、独裁政権など無視してアイスランドあたりでベンチャーでも立ち上げていればよいのです。政治勢力への肩入れなど、ハッカーとして最も忌避すべきことでしょう。

■2021年08月29日(日)  敢えて見ようとしない限り見える世界なんて狭いものですが
LGBT運動はなかった? 「検索ゼロ=存在せず」の罠
いや、それはむしろ調査技術の基礎として教師が指導すべき事例ですよね?
もちろん、LGBTという言葉の由来さえ考えればレズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーといった言葉に行き当たるわけで、そこまで行けなかった時点でレポートとしては落第点です。また、通常の検索エンジンでLGBTを検索した場合、これらを併記した頭字語であるという説明が出てくるはずです。「世界中に網をかける検索で出てこなければ、あたかもこの世に情報が存在しないかのように思える落とし穴だ。」などという前に、まず検索結果をちゃんと見たかというレベルです。
このレベルのミスは、それこそ非常に伝統的なもので、ネットどころかコンピューター検索すらなかった時代にやらかしたレポートが結構あります。例えば教養市民系の媒体には掲載されないような内容について図書館の蔵書を当たったらそもそも蔵書がなかったというレベルです。国内の媒体を網羅するような蔵書を持つ図書館や書誌索引が出現したのは、それほど古いことではありません。それにまあ、学生というのは一回くらいは、この手のミスをするものです。昔は人間というのはバカだで済んでいたわけですが、昨今はデジタル文化バッシングに走る傾向があるので油断できません。一応リテラシーの問題ではあるのですが、相当広範な調査技術レベルのリテラシーの問題であり、コンピューターによる検索だから問題という話ではありません。

■2021年08月28日(土)  役所の失策でもあるまいし、昭和の愚行をぐちぐち言っても仕方ないと思います
淡路島の「観音さん」が解体へ 国が8億円超の税金かけ
まあ、20年前後役に立って9億円なら割は合うのではないでしょうか。どうせ固定資産税もかけていたのでしょうし。解体に税金と言ったって長期では地方税収入にはなっていたわけで、そこを通算して考えないとアンフェアだと思います。自分で解体している地主に対して不公平だというのはその通りですが、そもそも国が解体する時点で没収なり現物納付なりになっている、あるいは地主に後で請求が行くわけで、淡路島の土地などさして値段はつかないでしょうが、解体費丸損でもないでしょう。
とはいえ建てて放置するというのも問題ではあるわけで、開発事業などどうでもよいということなら、建築時に解体費用を見込みで積ませ、立っている間は適宜再評価して必要なら積み増しさせたうえで、持ち主が放置した場合、あるいは再評価で積み増しを拒否した場合、それを原資に解体するような制度にすれば済むことです。マンションなどでは修繕費積立金や建て替え積立金の制度がありますが、あれとは異なり(というか月々の支払いお家賃以下とか言ってマンションを売っておいてその手の支払いがローン返済と同額というのは詐欺に近い話だと思います)、施主が一括して支払い、その分は価格に上乗せされ、つまり諸経費が増えるのではなく不動産価格=月々のローンの支払額が増えるわけです。賃貸の場合家賃に上乗せされることになりますが、後で返ってくる費用ですから、開発事業者がとりあえず費用を取り戻さないといけない分譲マンションの価格よりは上がりません。もちろん持ち主が自己負担で解体した場合は、積んである分を上限に解体費用を払い戻すべきです。自治体の資産として積んでおけば金利も付くし債券発行の担保にもなります。譲渡先も安心して受けられます。これだと開発費用も建築物の維持費も高騰するので、開発も再開発も滞る可能性が高いですけどね。
なんかバブリーなプロジェクトの後始末も含めて、損切をしているだけです。いまだに終わっていないという点でゾンビなのですが、そもそも不動産の場合損切の処理が制度化されておらず耐用年数も長いため、時限爆弾のように資産整理や相続のタイミングで問題が出てきます。1990年ごろの不動産に絡む問題は今まさに出てきているタイミングですから、1960年代以前の生まれの連中がバカをやりやがって、年金を減額してやると愚痴りながら処分するしかないのです。

■2021年08月28日(土)  一人の逃亡者は稀人でありえても、居ついた人や総体としての難民は脅威
「映画のワンシーンではない」 漂う命に私は目を疑った
古人曰
「亡命してきた友人たちに、迎える側がクセノスの顔を見せて優しくするのは一日だけと言いますからね」
まして大挙して現れたともなれば、クセノフォンたちを見つけたコテュオラの人々のように対応するのも止むを得ないでしょう。

■2021年08月28日(土)  従業員を評価するのにAIを使って悪いわけがない
牛丼大手にも広がるAI面接 評価に踏み込む日は来るか
そりゃまあ、従業員は事業実施のための道具と考えるのが本来の在り方ですし、職場の人間関係というのは本来人を集めることのおまけでしょう。人間がするのであれ機械がするのであれ、評価に納得できなければ他に行くだけのことですし、相互の親密な関係性を重視する状況で評価を機械に頼るのがばかげていることは普通にわかることです。まあ、AIお見合いなんてものが出てきかねない世の中でそうも言っていられないかもしれませんが、そもそもお見合い自体が関係性重視のロマン志向とは相いれないものでしょう。
ですから、間に機械を挟んでよい程度の関係であれば、機械での評価はどんどん取り入れるべきです。事業組織などはその典型例で、対人技能にしろ作業技能にしろ機械での評価が可能です。一方で、主観的な人間による評価に頼ることは公平性や開放性の観点から否定されがちです。もちろんだからといって機械での評価を取り入れることは絶対ではなく、あえて個人的な知り合いだけを集めて事業を行うことも問題視されるべきではありません。ただし、それこそルールベースの評価を取り入れるくらいなら機械に評価させた方が良い、また評価が偏ったものになるのは人間も機械も同じということです。
大事なのは、そのような評価で全体を塗りつぶさないことです。機械での評価であっても、評価点は場合によって異なります。牛丼屋チェーンの現場マネージャー候補と製造機械のセールス候補の評価が同じだと思う人はいないでしょう。職場や事業組織を主要な対人関係の場にしないことです。それこそサラリーマン同士でばかり話していると発想が腐ります。同窓会、同職組合などに引きこもっているのもよくありません。楽ではありますが、どんどん考え方がイージーになります。何かをしようとしたときに、これはおかしいのではないだろうかと考えるきっかけが失われます。
また一定の状況では、AIがどうこう言う以前に評価自体が問題視されることもあります。例えば産別組合との労働協約により従業員(というか作業員)の供給を受けている場合、従業員を個別に評価すること自体が組合に対する侵害行為でしょう。そこはAIだなんだという以前の話です。

■2021年08月27日(金)  最新兵器というのは国家がシステムとして運用するから使える…アフガニスタンには長期運用不可能
ヘリに車両、武器弾薬も 米軍最新兵器がタリバンの手に
ごく短期的に、つまり向こう数カ月から半年程度強化されることは否定できませんが、長期的には混乱するだけでしょう。小銃や歩兵携行用ミサイルを含めた使い捨ての武器ならともかく、米軍の装備というのは(というかふつうそういうものですが)相当手厚い保守整備と後方支援が前提になっています。政権交代時点で米軍の最先端装備を入手した点ではイランイスラム共和国がまさにそうですが、ごく短期間で交換部品の入手ができなくなり、共食い整備を経て運用が止まっています。アフガニスタンの場合も、米国が部品供給を認めない限り、裏ルートで入る素性のわからない部品がせいぜいであり、また買い入れる資金にも限界がある以上、数か月以内に稼働率が大幅に落ち込んでいくものと思います。
調べて模造品を作るにしても、材料や加工設備などが特殊な場合も多く、仮に非常に優秀な技術者がアフガニスタンにいて解析ができたとしても、その結果なり鹵獲兵器自体なりをロシアなり中国なりに売り飛ばすのがせいぜいです。そして他国が米国に劣っている最大の要素は生産技術であり、これは兵器自体を解析しても直接にはわかりません。そこですぐに真似られてしまうのであれば、その兵器自体陳腐化直前だったということでしょう。

■2021年08月26日(木)  まあ、来年の夏くらいでないとそれなりの結果というのはわからないでしょうね
接種から3カ月後「抗体」4分の1に 予防効果は持続か
まあ、ある意味ではその抗原が入ってきたときに抗体を作る癖が付けば重症化は抑えられるはずなので、無意味ということはないと思います。
後は今後どのように変異するかと、変異に合わせたワクチンを供給していけるかどうかでしょう。もちろん、より効果の高いワクチンの開発は続くと思います。

■2021年08月25日(水)  そもそもひとり親に支給という発想自体がハラスメント
「妊娠してますか」受給者への「ハラスメント」後絶たず
マニュアルに従ったルーチンの対応ということではないかとは思いますが、訊かれてうれしいものではないですし、時流からしてハラスメントには当たるのでしょうね。もともと役所の福祉担当者というのは受給者の個人的な事情まで把握したうえで適切な対応をすることが期待されていたわけで、また「ひとり親」の支援である以上ふたり親に該当しうる状況になれば受給資格はなくなるものです。
福祉担当者のパターナリズムを規則レベルまで払拭することと合わせて、支給に相当する事例に対して支給するという発想を改め、書類レベルの客観的な調査のみで適格性を判断するような発想にするべきでしょう。

■2021年08月25日(水)  席取りゲームじゃないのだから
国連機関「万国郵便連合」トップ、初の日本人就任へ
経歴から言って順当ではあると思います。一部地域で国家の崩壊が多発し、運輸も混乱するといういささか厳しい時期の就任ではありますが、国際郵便というまだまだだいじな通信・輸送手段の切り盛りや加盟国間の利害の調整に活躍されることを期待します。
それはそれとして。「日本政府は、中国が国連食糧農業機関(FAO)など三つの国連専門機関でトップを占めていることなども意識し、今年に入って省庁連絡会議を設けるなど、国際機関での幹部ポスト獲得に向けた取り組みを強めている。」なんですか、このアナログならぬアナクロなキャンペーンは。日本の利害が関わる機関でのトップ就任ならともかく、どこでもいいから日本人のトップをなどと言っているようにしか見えませんが、この状況で国連難民高等弁務官に日本人が就任したら、就任した人が思い切り恥をかきますよ?UNRWAあたりも、篤志の日本人がトップに着こうとした場合に日本政府が支持するべきかどうかは微妙でしょう。大国ぶってみても足元を見られるだけですから、外交上押さえておきたい機関に絞ったキャンペーンをするなどの方が良いと思います。

■2021年08月25日(水)  作品の断罪というよりは発注者責任ですかね
東京五輪「辞任ドミノ」 作品は断罪されるべきなのか
個人的には、作者と作品は組織委員会の発注者責任の生贄になったと考えます。
哲学的には、作者と作品は原則として分けて考えるべきでしょう。美学的には、作品は作品として評価されるべきです。だれそれが作ったからよい作品だ、鑑賞の価値があるなどという考えはナンセンスです。
とはいえ、作品の中でも実用作品、つまり誰かから依頼されて作成される作品については、発注者に発注者責任が生じます。特に公的団体や公的イベントについて、素行や主義主張の面でふさわしくない相手に発注した場合、作品が基本的には作者の表現である以上、その団体なりイベントの主催団体なりは少なくともその作者に依頼した点について説明責任を負いますし、場合によっては責任者が引責辞任し、作品の公開が取り下げになることもあり得ます。このため、依頼側は依頼先の背景について十分事前調査を行うことも求められます。これはコンペティションでも同じで、良い作品であってもこの作者の作品はこのような場で公開することはふさわしくないとされることはあり得ます。完成した作品がその場での公表にふさわしいものだと判断することは可能ですが、その場合、その作品がふさわしからざる作者の表現である点について、選定者が責任を問われるわけです。この点が、作者本人が自発的に作成し、自己の責任をもって公表する作品と異なります。
今次東京オリンピックについては、組織委員会が例えば小山田氏に開会式の音楽の作曲を依頼したわけですが、スキャンダルとなった以上基本的に依頼の際の背景調査が不足していたか、情報はあったにもかかわらず不適切と判断しなかったということになります。いずれにせよ、組織委員会の失態です。失態の責任については今後明らかにされることを期待しますが、いずれにせよ開会式における公開にふさわしくないと判断された以上、取り下げは必須となります。この点で、そもそも作品自体とは関係ないところで判断がなされるに至ったことがこの作品の不幸でしょう。もちろん取り下げをもって組織委員会なりが曲の権利を放棄し、小山田氏にその意欲があれば、別の機会に日の目を見る可能性があります。音楽史上そのような作品はいくらでもあります。とはいえ、組織委員会の失態で、何より作品が、そして準備を重ねた公開をドタキャンされた作者が、割りを喰ってしまったのは確かなのです。
一方で、完全に民間ベースの商業作品については、あえて良作を用いるという判断はあり得ます。批判されたとしても、私的な事業だけに、「でもよい作品でしょう?」とは言えるのです。また仮に問題のある表現であったとしても、コメディだと主張することはできます。問題のある作品など放送番組にいくらでも見つけることができますが、批判はあったものの、特に民放では誰も責任など取っていません。まして、それこそストラヴィンスキーの春の祭典が音楽であるかどうかは議論になりましたし、それをパリ音楽院のコンクールの課題曲にするなどと言ったらその当時は問題になったでしょうが、あるいは一般向けイベント(あれはロシアバレエ団の劇伴なので、通向けのイベント用作品)の序曲として演奏したら生卵が飛んできたかもしれませんが、公演することが道義的に問題だなどと言う人はいないでしょう。

■2021年08月25日(水)  JICAまだ残ってたんかい
「とにかく急がないと」 迫る米軍撤退、退避作戦に限界
まあ、せっかくなので第一空挺団と徴用した400人クラスの旅客機を使って実力で一気に救出拠点を確保、最小限の戦闘を行いつつ分隊単位で要救助者を制圧した拠点に移送して旅客機に収容し、速やかに脱出、というわけにもいかないのでしょうね。全力規模の空挺降下作戦なんて、そもそも訓練しているかどうかさえ怪しいですし。現在の定員1900人、このうち空挺要員1200人としても、C-130Hクラスが20機必要ですし、補助要員や機材の運搬にもう数機必要、さらに航続距離の問題で中継拠点も必要になります。この点では巡航時の航続距離に優れる民間機の方がよほど優秀です。いやまあ、C-130Hは戦術輸送機であって、戦略輸送機の母体になるような民間旅客機と比べる方がおかしいのですが。
どうせアフガニスタンには日本まで報復に攻め込んでくるような軍事力はないので、仮に要救助者がカブールにはいるというのであれば、空挺作戦で目的を達して、後はテロ防止策で応じるというのには一番適した事情なのですが。

アフガン派遣の自衛隊撤収へ 退避できたのは日本人1人
正直現場はもちろん政府も、制約の多い中でよくやったとは思います。もちろんもう少し行動が早ければとかもっと早い時期に退避の指示を出していればという話はあるでしょうし、結果としてどこまで役に立ったのかという評価はありうるにしろ、やれることがあったという時点でまだましなのですし、やったことで次回につなげる教訓は得られたはずです。
一方で、現地武装勢力との交渉の行き先は未知数です。治安すら確立していませんし、国家承認の是非の議論もこれからです。そもそもタリバーン自体地域の相当部分から旧政府軍を排除したというだけであり、北部軍閥系武装集団やタリバーン内の諸派の動向次第ですが内戦が続行する可能性は非常に高いと思います。交渉と合わせて、現地状況の確認、つまり迎えの飛行機が着陸できる状態なのかとか、救出対象者を空港まで連れて来れる状況かという問題があります。

■2021年08月25日(水)  どうせ自動化するなら航続距離5000kmは確保しましょうよ
ノルウェー企業が「線路検査ドローン」を開発中。列車接近すると浮上して回避
いやまあ、日本で使えるとしたら赤字転落を恐れるローカル線ででしょうけど。喜ぶのはJR北海道くらいかなあ。でも200kmがせいぜいというと使いづらいかもしれません。一駅進むごとに充電で、せっかく無人駅にしたのになんて話になりそうです。また反応速度にもよりますが、東海道新幹線で使ったら脇に降りてばかりで検査が進む前にバッテリーが切れると思います。また部材の交換などはどのみち保守間合いを取ってすることになるので、どこまで意味があるのかという気はします。まあ、点検のスケジュールが詰まって休暇が取れないなんて話には効くかもしれませんね。

■2021年08月25日(水)  できることからやってますと言うべきじゃないのかね
秋田県、河川敷でのBBQ禁止 知事「声が大きくなる」
積極的な理由の説明というのも問題がありそうですね。「屋内外を問わず集まってのイベントは感染防止の上で問題で、可能なものから順次規制を進めるが、まずは河川敷でのイベント規制を行った」とでも言うべきだったかもしれません。いやだって、なんでBBQだけだめなのか、鍋パやイモ煮、月見は良いのかという話になりますよ、これ。

■2021年08月25日(水)  失言を打たれると痛いですよ
尾身氏、バッハ氏再来日に「なぜオンラインでできない」
「勉強はきょうできなくても2週間後でもできる。(学校を)始める時期をある程度伸ばすことは各自治体の判断で検討する方がいい」
いや、休校措置は構いませんが、二週間後でもできるというのは嘘ですよね。言うのなら、学校の勉強などしっかり宿題を出しておけばよいとでも言うべきでしょう。先生の演説など聞かずとも勉強はできますが、今日の勉強を二週間後に回したら問題は確実に出ます。それで昨年も年も押し詰まったところで辻褄合わせに苦労したわけでしょう。別に今日しなくてもよいのは、いわゆる「やらせてみせる」の科目、つまり体育、図工、音楽などの、現時点で勉強になっていない科目です。これは、今のままなら廃止してもかまわないくらいですし、その習得状況が問われることもありません。しかし国語や算数など、あるいは体育や図工、音楽でも理論や背景史、方法論といった座学の部分は、実践の基盤になるだけに習得していなければならないのです。
というかただでさえ出る杭呼ばわりされているわけで、言動に気を付けないと肝心な時に排除されると思いますけどね。

■2021年08月25日(水)  こんなこともあろうかとは無駄の積み上げ
ワクチンの泥縄 供給軽んじた戦時の過ち繰り返すのか
いや、そこで第二次大戦の海防艦や防空戦闘機の話を持ち出したら、1960年代に日本の供給能力の、1970年代に流通や運輸の改善を進めた企業家や土木企画屋の皆さんが「一緒にすんな!」と怒る気がしますけど。
そうしたインフラ整備の上に、日本も世界も普通に動いている限りは先進国で物不足は起こらないようになりました。スーパーに商品がないなどという事態は想像せずともよくなり、一週間前に発注した部品が届かないなどという事態も想定する必要がなくなりました。今の状況は、そうした環境での平和ボケと言えます。もちろん、パニックして備蓄に走るよりはよほど望ましい状況ではあるわけです。生産者や流通業者も過剰在庫の不安からある程度解放されました。現在をもとに将来を予測して個々の判断が合成の誤謬に陥りにくい、保険を外に括りだしても成り立つ状況が成立しました。だからこそ、発注したものが届かないとは考えられない、発注に応えられないのは弛んでいるからだなどという戦前の高級軍人の発想とは違う、現実に裏付けられてきたボケです。リスクヘッジのコストを減らして物事を滑らかに回そうという意図のもとで精緻に組み上げられてきた仕組みへの信頼がもたらした怠惰です。供給や流通を軽んじたわけではなく、サプライチェーンを過信したのです。
では、ここでかつての貯め込みシステムに戻れるかというと、戻れなくはないでしょうが、その代償として日本経済の効率は極端に悪化するでしょう。そこで統制などすれば、それこそ社会主義圏の経済学者が論じた不足の経済が発生しかねません。効率が悪く、その中で必要に応じた生産を行うために保護統制されている以上、問題になるのは指示された規模の生産を行うための備蓄の確保でありあるいは設備の確保です。

■2021年08月25日(水)  事業の閑繁に応じて人員調整などという悪習を無くすためにも全面自動化を
JR東海、再び一時帰休9月実施へ コロナ感染拡大うけ
こういう状況で一時帰休をするか乗務などの回数を減らすかは考え方ですけどね。とはいえ鉄道の場合回数はまだしも乗務時間は減らしにくいことが多いですし、列車と同じく人員も動かし方を工夫する必要があるので、人の回し方を変えずに一時帰休対象者の関係する便をまとめて減らす方が簡単ではあるのかもしれません。
とはいえせめて年間の予定がちゃんと立っていればともかく、使用者の都合で休めの出てこいのと言われては拘束されているのとあまり変わらないため、やはり基本は全面自動化であるべきではないでしょうか。

■2021年08月25日(水)  雇用は経営者にとってもall or nothingであるべき
青森の百貨店、従業員7割に解雇通告 労組が説明求める
解雇通告はともかく解雇理由についてちゃんとした説明がないというのは問題ですし、それなりの数になる以上一部解雇で事業を継続というのは経営方針としておかしいと思います。事業を清算して全員解雇か、雇用を維持して経営権の引き取り先を探すかということになるでしょうが、どのみち再建の際に解雇は免れないでしょう。そうであれば事業自体を清算してしまうのが筋だと思います。
雇用の維持などという不可能事を要求するのは不当ですが、経営危機を一部解雇で乗り切ろうなどというのはもっと不当です。経営の失敗の責任は、経営者と社員が事業を清算した残債務を履行して取るべきでしょう。まあ、どうせ株式会社だと思うので、経営者保証がないのであれば債権者に全て押し付けて清算してもよいですが。

■2021年08月24日(火)  やはり名古屋人というのはものを考えないのだろうか
名古屋市、返礼品競争へ本腰 財源流出が100億円超に
いや、そもそも都市部から地方への財源移転策の一環なのですから、名古屋市のような典型的な都市部が出超になるのは当然でしょう。ついでに言えば、住民税によって維持されている政策にふるさと納税を検討する程度に富裕な納税者が納得していないということです。
そもそも財政規模が大きいために地方債などの財源を頼ることが容易な都市部と異なり、小規模自治体は何かやろうとすると簡単に財政難になってしまうため、一方で一つのプロジェクトの効果が必要な資金規模に比べて大きいため、ふるさと納税のような「赤字」を増やさない仕組みというのは極めて有効です。対して都市部は債務への耐性が高いので、そうした財源移転措置で発生した財源不足を地方債で補うことが可能ですが、一方でふるさと納税のような仕組みで得られる数千万〜数億円の資金では有益なプロジェクトは実施しにくいことになります。まあ、百億円稼げないというわけでもないのですが、多分コストの方が大きくなるんじゃないですかね。
もちろんふるさと納税自体が合成の誤謬をきわめて生み出しやすい仕組みであることは確かですが(ペナルティなしで控除が受けられるのではモラルハザードを生み出すのが当然です)、そのバランスは自治体収支全体のバランスの中で取るべきものであり、名古屋市であればふるさと納税などよりはましな方法があると思います。年金の代わりと銘打って名古屋市民向けに10年後以降年額千円のクーポン付きの譲渡制限付き永久市債を売ってもかまいませんし、なんなら、河村市長がノルマ百億円で寄付を集めてくるのでもよいと思います。

■2021年08月24日(火)  メールなんて丸見えなのが普通だしね
アップル、iCloudメールに児童虐待画像が添付されていないかスキャンしていたと認める
いやまあ、メールアドレスなんて今時、理由さえあれば全数スキャンされるものですけど。むしろ他人に見られてはやばいデータを本文に書いたり暗号化もせずに添付したりする方がセキュリティ意識が低いと言えます。
逆に言えば、最低限の措置としてメールをスキャンすることは意味がないとは言いませんが、見られてはまずいデータはほぼ確実に暗号化の上添付されていると思うべきです。つまり、やらないと本当に問題のあるデータのやり取りの温床になりかねないがスキャンしたからといって防げるわけでもないということです。
もちろん犯罪行為の証拠収集のための盗聴行為は裁判所での適正手続の下に与えられる令状に基づいて捜査機関が行う筋合いのもので、たかがISP如きがやって良いものではありません。その意味で苦情を言ってきた児童保護団体の正気を疑うわけですが(このため市民的自由を重視する側から反発が出ているわけで)、一方で、メールサーバーが通信の秘密の保護については極めて脆弱であることも、ユーザーは認識しておくべきだと思います。「大規模な監視計画」と言いますが、そもそもSMTPは中身が丸見えです。だからこそ、1990年代にメッセージ自体を暗号化する話が出てきたわけです。暗号化の手間や鍵の管理が面倒なのでまったく普及しませんでしたけど。とはいえ、今時のパソコンどころかスマートフォンであっても、メールの暗号化程度は迅速にやってのけますので、サーバーレベルで何とかしようなどとはせず(つまりメールをクラウドに置こうなどとしないで)、端末ソフトによる暗号化サポートを促進するべきでしょう。

■2021年08月24日(火)  飢えたくないなら戦争などすべきではない
アフガンに援助停止の包囲網 経済まひ、ターバンも高騰
そりゃそうでしょう。毎日飛行機で物資を運び込むような人で軍事的な衝突があるような紛争地域に物を売ろうなどという人はそうそういませんし、国境ほど治安が悪いため陸路も滞るものです。通貨が発行できないというのは別の話ですし、そもそも通貨が出回らないならデフレ要因ですが、むしろ政府の崩壊で通貨の信用が下落しインフレになっています。また今後貿易を再開する際も、アフガニスタンの通貨を受け取ってくれる商人はまず出ないでしょう。物々交換か、借款などで外貨を獲得して輸入への支払いをすることになります。相当の確立で経済的な鎖国になるでしょう。また輸入しても、交通が安全でないならそもそも届きません。
もちろん、先進国や国際機関からの経済支援も期待するべきではありません。タリバーンという時点で印象が悪すぎますし、一応国際的なバックアップで成立した開明政権とされていた前政権を軍事的に排除したことも問題です。武力で占領を排除するのは構いませんが、それでアフガニスタン人民が飢えるのはひとえにアフガニスタン国家の責任です。せいぜい頑張って、中国かロシアからの高い紐付きローンでも獲得することです。もっとも迂闊なことをすると、米国とEU中央が日頃の恨みとばかりに元とルーブルでの取引を拒絶するかもしれません。アフガニスタンの山賊の取引先とは取引しないということです。ちなみに、農産物はどちらも実は輸入国です。
アフガン人民に罪はないなどというのも、まあ、妄言でしょう。

■2021年08月24日(火)  悲鳴を上げるような非効率な自治体行政の方に問題がある
井戸の水位10年分求められ 自治体 省庁調査に悲鳴
これは悲鳴を上げる方に問題があります。そもそも重複を認識しているのであれば同じデータを使えば済むことですし、そもそもデータを探すのに苦労している時点でデジタル化が成っていないと言うべきでしょう。もちろん手書きの調査票を送りつけてくる時点で省庁側もなっていないわけで、そこはコピペできるような形で送ってくるべきです。
本来提出すべきデータを無視して、あるいは本来行うべき調査をせずに、コピペしてごまかすのは問題ですが、同じデータならばコピペするのが当然ですし、また調査の種子に合わせたデータの変換も、コンピューターで迅速に行われるようになっていることがむしろ当然です。もちろん、そんな意図で重複した調査をしてくるとも思えないわけで、ただの怠慢ではあるのでしょう。とはいえ省庁の縦割りというのはそれなりに理由があるものであり、複数の調査で同じ項目が重複している場合でも、他所の部署からデータを引っ張ってくるようなことは考えない方が良いと思います。

■2021年08月24日(火)  10年経つのに緊急避難措置
福島第一の処理水放出、国が水産物買い取りへ 風評対策
まあ、こうなるよね。別に省庁や役場で弁当にして配ったって良いわけで、どうせなら福島県沿岸部の産物全てを買い取ったらよいと思います。
東電の責任というのはあるでしょうが、そもそもそれを追認しているわけなので、国費での処理は止むを得ないでしょう。とはいえ、東電が社債を発行して充当し、そこに全株主と全従業員が連帯保証すれば済む気がします。もっともこの場合、株主としての地位が大きく変わるわけなので、上場廃止にはなるでしょう。ちなみに東電が買い取る場合であっても、電気料金や配当には影響するわけなので、東電が商売をしている地域の人たちや東電の株主が被ることになります。
それにしても10年経つのに緊急避難措置が云々されるというのも因果なものです。まあ、パイプラインを引いて多摩湖にでも流せばいいという気は相変わらずしますけど。

■2021年08月23日(月)  せっかく高い金をとるんだからこの程度のサービスは積極的にお客に勧めて欲しい
ライカカメラジャパン、動作点検と年3回のセンサー清掃を受けられる「ライカMサービスパック」9月1日スタート
まあ、プレミアムコースを普通に選ぶのが正しいライカユーザーだと思います。ニコンユーザーもそうあって欲しいものだと思いますが、三桁モデルを使うような人は入らないだろうなあ。キャノンユーザーなら、年に一回ボディを買い替えるべきです。したがって点検など不要です。
というかなぜかライツ社にはメルセデス社のようなイメージがあって、砂漠のど真ん中でカメラマンが衛星携帯で「どうもカメラの調子がおかしいんだが」と電話をかけると10分後にヘリが飛んできてライツ社の技術者が簡易検査ラボを展開、不具合を確認して修理し、いくら払えばいいのかと聞くカメラマンに平然と「お客様、ライカは故障いたしません。」というね。

■2021年08月23日(月)  子供が反省文書いてるのじゃないのだから
「めいわくをお詫び」河村市長、市職員に直筆謝罪文
いや。もっと他に謝って欲しいことがいくらでもあると思うのですが。
というか、そもそも公職にある者としてしかるべき場でしかるべき態度を取れなかった(この場合セクハラということになるでしょうか)ことは謝罪などで収まる問題ではありません。自治体首長として市民にハラスメントに及んだことについて名古屋地検に自首して立件してもらい、裁判でちゃんと刑を課してもらう筋の話です。私的に済ますのであれば頭を丸めて全財産を寄贈して隠遁でしょうか。
ただし、市長である以上市民から市の行政を任されているわけで、それはこの手のハラスメントをする資質とは違う部分を評価されており、投げ出すわけにはいかないということもありえなくはありません。百歩譲って名古屋市民がそれでも河村氏に資質を認めるというのであれば、それこそ判決だけ出してもらって服役は退任後ということも不可能ではないでしょう。
ともあれ、小中学生でもあるまいし反省文を出して回覧して済むなどという話はありません。風儀の悪いセクハラジジイという烙印を一生背負って生きていかれるとよいと思います。まあ、一人じゃないですから寂しくはないですよね。

■2021年08月23日(月)  児童生徒に勉強しろと言いつつ自分は忙しいから勉強したくないという教師
教員免許の更新制廃止へ 人手不足や負担増の一因と不評
更新制廃止は「大臣の意向」安倍政権の改革、現場に弊害
負担重すぎた更新制 教員不足に拍車、廃止歓迎の声多く
萩生田氏「中身が十分に伴わず」 教員免許更新制廃止へ
負担が重いって、これで重いならとても専門性の高い資格職とは言えないと思いますが。そもそも負担が重いのではなく、更新に対応できるだけの処遇をしていないのが問題なのでしょう。規制改革を言うなら、業務負担を軽減するなり人員を増やすなり(まあ、10年で見た給料も増やすべきだと思いますが)、処遇を改善するべきでしたし、研修が無意味というならどんな研修なら前向きに受けられるのかを検討するべきでした。日本の労働風土に合わないというなら、規制改革側はその風土自体を変えようとする立場だったはずです。所詮は理屈倒れでなければ労働強化のための規制改革でしかないということですね。それなら学校など廃止して課程修了の学力テストに置き換えてしまえばよいと思います。不就学というか年齢相応の課程を修了していない子弟については保護者に懲役5年も課せばよいでしょう。そうすれば、新卒就職市場にからむあれこれや普通教育課程と使用者側の技能ニーズのミスマッチを気にする必要もなくなります。不登校だって別に学校など行かずにするべき勉強をすればよいわけで、問題自体を根絶できるというものです。
そして発展的解消と言いますが、せっかく外部研修の方向性を出したのに日常的な部内研修やOJTに逆戻りですか。中身が伴わないというなら中身をちゃんとすればよいわけで、そもそも現場に研修を行う実力がなく、一度就職したら太平楽で教科書の指導書を読み上げるような授業をしていれば済むから外部研修して免許を更新という話になったわけでしょう。もちろん日本には免許を更新するにあたってしっかり研修を行うという習慣はないわけで、自動車運転免許を筆頭に、更新など形骸化しているのが実情です。それではまずいからこその、改革だったと思うのですが。定期的な外部研修というのは、使い方次第で非常に有効な能力向上策、人事流動化策なのですけどね。
それこそたかが現場の愚痴に押されて免許更新制度を廃止するなど、全く馬鹿げています。もちろん廃止を求める側も、それでは既得権益丸出しというものです。教師のくせに勉強しろと言われて愚痴を言うなど、資質に欠けるとしか言いようがありませんし、それで児童生徒に勉強しろなどとどの口で言うのでしょうか。

■2021年08月23日(月)  隙間なんだけど嫌な感じに問題が出ました
がん発症のペルー人、保険医療求めて在留特別許可を申請
というか、観光目的の滞在で入国して居座ったというのでもなければ入国時の就労先で健康保険には加入していたと思います。もちろん不法滞在がらみで退職してしまうと国民健康保険には加入できないわけですが、稼げるうちは保険と称して金を取っておいていざ必要になると加入できない状況にして切り捨てるような形になっていそうで、気持ちがよくないですね。もちろん制度側としてはそのつもりでしているわけではないのですけども、結果的に隙間がこういう形で出てしまった。かと言って外国人なら健康保険に加入させなくてもよいなどという制度にすればどうなるかは明白で(もちろんコストが安く済むから外国人を雇うわけです)、人道面からも問題があります。皆保険というならちゃんと納得できるような制度設計を、今からでもよいからして欲しいものです。

■2021年08月23日(月)  口が悪いのは資質に欠けるとは言わないんだろうか
政府の規制改革会議議長に夏野剛氏、五輪巡り不適切発言
IT庁の人事の時も思いましたが、少なくとも関係方面の実績には不満はありませんが、口が悪いのは気にしないんでしょうかね。20世紀の終わりくらいならそもそも規制改革に通じた人材はまだ少なく、口が悪かろうが(というか規制維持側がエリートで外面が良く、規制改革側はそこに挑みかかるアウトサイダーであることが多く、とにかく口も風儀も悪かったですが)使わざるをえなかったかもしれませんが、いい加減剛腕に頼らずとも手際よく物事を進められる能吏くらい出てきていると思うのですけどね。審議会系に口の悪い人や直情径行な人を置くと何が起こるか、それこそ最近では新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の議長や原子力規制委員会の議長が起こした騒動で、現内閣の皆さんはよく知っているはずですが。口が悪くてもいいなら推進「会議」になどせず推進本部にして、本部長に北野武さんや堀江貴文さんでも据えておけばよいでしょうに。きっと悪口雑言をまき散らしながら遮二無二突進してくれますよ。
どうにも人事が下手としか思えません。

■2021年08月23日(月)  テレビはオワコン - でも動画制作はそうではない
今後のテレビのありようを模索するテレビマンの叫び、そこから予見するテレビの明るい未来
いや、色々な意味で太いチャンネルで一方的に動画を垂れ流し、チャンネル選択程度の余地しかない状態でそれを視聴するテレビ放送という文化がオワコンなのは疑いないでしょう。その上で、放送用の電波という資源を公共性の名の下に寡占させていることの是非が問われています。ケーブルテレビの時代にも言われていたことですが、ケーブルテレビも含めて電波放送とは比べ物にならない数のチャンネルを提供できます。逆に言えば電波放送というのは、そうした多くのチャンネルに個別に割り当てられるべき資源(資金、つまり番組制作費も含みます)を無理矢理少数のチャンネルにまとめてしまっているわけで、その時点で、その必要がなくなればより適切な技術に取って代わられるべきであることは明白なのです。どれだけ良質な番組を作ろうが、だったらそれをネットで動画配信すればいいよね、でなければ特権的な地位に任せて別の番組に落されるはずだった資源を強奪しているだけでしょうということです。
テレビ放送の盛期ですらマイノリティーではあるにせよビデオのパッケージ販売があったように、動画というメディアに適してはいるが、強制的な視聴を認められるほどの一般性は持っていないと判断されるコンテンツはあるし、公共性というならそうしたマイナーなコンテンツも含めて流通を可能にすることの方が公共性が高いと思います。独断でこれはみんなが見るべきだなどと押し付ける特権的芸術家の時代が終わりつつあることこそが、テレビがオワコンである理由です。

■2021年08月23日(月)  何のためにキャリア独自スマホを作るのか
SIMロック原則禁止 スマホ値下げ競争に期待持てるが、キャリア独自スマホはなくなりかねない
別にいいんじゃないでしょうか。そもそもキャリア独自の端末モデルを作る意義は、そのキャリアにしかないからそこを使うという話は棚に上げておくとして、キャリア独自のサービスを取り込んだ端末を提供するためでしょう。実際、キャリア独自端末というのは、各キャリアが互換性のない方式で回線を提供していたころに発達したわけです。例えば3Gでは、W-CDMAとCDMA2000には互換性がありませんでした。もちろんPHSなど互換背があるわけがありません。また送受信処理でハードウェアに頼る部分も多く、必然的にキャリアに固有の送受信機能を搭載しなければなりませんでした。しかし現在、キャリア間の回線仕様にどれだけ違いがあるかというと、まあ、SIMロックフリー端末などというものが4Gから出てきた時点で、一部の利用周波数帯くらいしか違いがないわけです。ではキャリア間の違いはというと、一つは回線の可用性で、これはDocomoが圧倒的に高いのです。もうひとつはアプリケーションレベルの各種サービスで、例えばiDを使おうと思えば今のところDocomoしか選択肢がありません。もちろんメールアドレスで作れたりもしますし、一度作ってしまえば回線契約とは別に維持はできるようですが、そうなってきたとはいえキャリアの回線契約においてはその点は押し出していません。回線の可用性はキャリアとして本来売りになる点であり、実感以上の客観的な評価さえあれば、そこを売っていくことができます。とにかくほぼどこでもつながるという安心感からDocomoを使っているユーザーは少なくありません。一方で、都市部や鉄道、大型道路の近くであれば、どこのキャリアでもたいした差はなくなってきています。
そして、アプリケーションレベルのサービスというのは、本来は回線とは切り離して提供されるべきものです。
メールも、3Gのころにキャリアがそれぞれ独自方式でインターネットとのメールゲートウェイサービスを用意してしまった関係でなぜかキャリアのドメインのメールアドレスを持ち歩けるかどうかなどという馬鹿げた話になっていますが、本来総務省が割り当てる、例えば自動車の登録番号のようなものである電話番号をキャリア間で持ち歩く(MNPですね)のと違い(まあ、自動車の登録番号だってよほど手管を弄しないと個体の登録ごとに変わってしまうのですが)、メールアドレスの@以降の部分というのはメールサーバーを表すもので、これをメールサーバーをまたいで持ち歩くなどと言われると、じゃあそのうち住所も自治体をまたいで持ち歩けるようになるのでしょうかという話になります。実際には住所が家屋のアドレスであるのと同じく、メールアドレスもメールスプールのアドレスなのですから、持ち歩けない方が普通なのですけどね。一方で、それこそyahooメールやgMailを使っていれば、それがどのキャリアの端末からでもPCからでも読めることはごく普通です。この場合は回線や端末の供給者とメールというサービスの供給者が分離しており、WebブラウザでアクセスするなりgMailアプリを使うなりというふつうの方法を使うことができるわけです。
いずれにせよ、特段他者と仕様上の違いのない回線とアプリケーションレベルのサービスとをバンドリングするのは、その方が間違っています。これは、インターネット接続事業者がメールサービスを抱き合わせにする程度には間違っているのです。
そう考えれば、今の日本でキャリア独自の端末モデルを出す意味というのは全くないと言って差し支えありません。捻った端末を出したいなら、ファブレスメーカーが企画して出せば済むのです。キャリアであれば大規模な投資を企画しやすいということはありますが、キャリアは資本力と組織力を活用して土管屋をしていればよいのであり、1980年代までならともかくアプリケーションサービスや端末の開発などという些末な事業を営むべきではありません。

■2021年08月23日(月)  そもそも近代市民社会に基づく公私や私の概念の方に問題がある気がする
脱=私へ、田舎と都会の二項対立ではなく 斎藤幸平さん
SDGsが胡散臭いのは全く同感ですし、大量生産大量消費のシステムに問題があるというのも同感ですが、公と私とか脱−私といったキーワードでは問題を解けない気がします。

■2021年08月21日(土)  製品だけ紹介しても仕方がない
夏の停電対策に大切なこと
できることやできないこと、やっても割が合わないことというのは確かにあるのですが、さすがにこの記事は間が抜けています。
もちろん最終的な結論というのはおかしくはないのですが、まず大切なことというのは、停電の時に何を守り、あるいは電源を維持しないといけないのか、それはどの程度の時間にわたってなのか、プランを立てることです。事業継続計画とでも言いましょうか。PCサーバーにUPSを繋ぐ場合当たり前のことですが、何がどうなろうと外部の待機系に引き継ぐまでは落ちてはならないものについては十分な容量のUPSと停電しても落ちない通信回線(携帯電話回線や衛星回線)が必要ですし、UPSだって限界がある以上、電源の喪失をトリガーとして外部の待機系に自動的に引き継ぐような仕組みも必要です。ワークステーションだとしても、例えば停電したらWi-Fiとルーターが落ちてNASにつながらなくなるとかクラウドが使えなくなる可能性はあります。とりあえず、正常に終了するまではNASにしろルーターにしろWi-Fiにしろ動いている必要があります。UPSはそこまでカバーしないといけないわけです。あるいは空調も落ちたらまずいかもしれません。さすがに個人宅で空調をバックアップするのは現実的ではないので、この場合一度ノートパソコンの電源を切ってから時間借りのオフィスブースなどに避難することになるでしょう。ポータブル電源やクーラーボックスなどその後の話です。逆に飲食店などで何があっても冷蔵庫・冷凍庫の中身を維持しないといけない場合は、冷凍庫に保冷剤を常にストックしておき、停電になったら速やかにクーラーボックスにその日の食材と保冷剤を突っ込むのが正しい対応です。また、店舗や事務所の場合、受電設備にバックアップのある建物を選ぶという方法もあるでしょう。

■2021年08月21日(土)  少なくとも普通に高校を卒業した人を一括で採用する気にはならないと思う
高卒には「職業選択の自由」がない? 大卒より高卒の採用が難しい理由
こういう論の立て方には問題があるのであって、そもそも日本には就「社」活動はあっても就「職」活動というのはありません。というか、就職活動に相当するのが、一般的に専門学校なり大学なりです。では高校の就職部というのは何をしているのかというと、それこそ記事にあるように、とにかくどこかの雇い主(現在は一般に会社)に押し込む作業です。中学・高校レベルで就職活動というと、公務員試験の受験を除けば、とにかくしたいことがやれそうな小規模事業者(個人経営の製造業などでも飲食店兼イベント施設などでも)をコネを使うなりして訪ねてみるという形でしょう。とはいえこういうことをしようとすると、先生はあまり良い顔をしません。採用リスクがどうこう言う以前に、単純に給料がまともに出ないからです。というかむしろ当たり前だと思うのですが、なにがしかの業務資格のひとつもなしでお金を払ってもらおうということ自体、間違っているわけです。最低賃金レベルのアルバイト料でできる仕事をして、より稼げる仕事を見つけてゆくというのが、普通教育修了程度、あるいは普通に工業高校で取れる程度の資格しかない人の就職活動でしょう。
なぜそんな、とにかくどこかの雇い主に押し込むような形(大学での就職も大して変わらない)になるのかというと、本人も「職」を具体的に考えていませんし、学校も職のイメージがなく、雇う方にもこういう仕事ができる人が欲しいという具体的なイメージがないからです。もちろん大量雇用のブルーカラーなり事務員なりならば採用してから仕事を覚えてもらう余力があるのでそれでも良いわけですが、これは「就職」ではありません。「IT業界」に就職したいではおおざっぱすぎるのであって、とりあえず情報処理安全確保支援士の資格を取ってヤマハのルーターは一通り扱えるので、セキュリティ担当者として雇ってくれませんかと中小企業を訪ねてみるくらいの話でないと、就職活動としてはお話になりません。もちろん採用側も、どういう人が必要か細かく詰められないから新卒一括採用などという話になるのであって、本来はこういう作業をさせるのでこういう資格を持っていて欲しいという程度のことを求職票に書かないといけないのです。が、少なくともハローワークに出てくるようなまっとうな求職票にはそこまで書かれていません。
職業選択の自由というならそのレベルの話をするべきなのであって、合同説明会でジョブマッチングなどというところがすでに間違っているわけです。

■2021年08月21日(土)  わかるけどいつまでもそれでは進歩がない
2021年8月20日
本当はそれではだめなわけです。道具というのは説明書通り使えばそのように動かないといけないものであり、対話が必要なようでは本来道具失格です。それでも道具が完全でないがゆえに適切な対話ができる人が使い上手とされてきたわけですが、これは仕方なくであって、理想ではないのです。つまり、いつまでも道具と対話している、あるいはそんな擬人化に入れ込んでいるようでは進歩がないということですね。

■2021年08月18日(水)  場所だけあっても仕方ない気がします
「野戦病院」設置、政府に提言 関経連、医療の逼迫で
地元から治安出動の要請でも出たのかと思いましたが、臨時医療施設の設置を求めただけだそうです。いっそ近畿六県に治安出動させて自衛隊の軍政下においた方が良くはありませんかね。そうすれば防衛医官だろうが衛生兵だろうが使いたい放題ですが。
というか、医者や看護師をどこから持ってくるつもりなんだろう。

■2021年08月18日(水)  誰が観察するんだか
「自然栽培」、農薬の代わりは毎日の観察 JAも協力
そりゃ、やるやらないは各組合の決めることだと思います。自然栽培の場合収量は低下するのが普通ですし、よくできた品種の中にはそもそも自然栽培では育ちにくいものもあります。家庭菜園で自給自足するというなら自然栽培でも問題ないでしょうが、換金作物として考える場合自然栽培ですべて賄えるなどという考えは妄想でしょう。高級ブランドとして成り立つというならともかく、コストを度外視して作ったものを消費者に受け入れてもらうというのは大変なことだと思います。

■2021年08月18日(水)  完全装備で客も店も威圧してしかるべき
「ガサ入れか」ワイシャツの4人、時短応じぬ店に突然…
いやまあ、威圧しているのでしょうから当然ですけども。店が客と結託して、威圧されても仕方ないことをしているわけですし。
とはいえ、ワイシャツ姿で行ったのはどうかとは思いますね。ちゃんと防護服を着ていかないと。そうでないと、都の指示に従わない以上この店は危ない店だということが、意識の低い客に伝わりません。

■2021年08月18日(水)  公に対する言論にはサンクションがあってもよい
韓国で論戦「メディア懲罰法案」 大統領選を控え火種に
あまり筋の良い話ではないとは思いますが、メディアというか公的言論への規制というのは、それこそ動画配信サイトやSNSがでてきているからこそ必要な気がします。特に、訂正や謝罪の報道を十分な水準で義務付けることは十分議論に値するでしょう。義務的な訂正記事・謝罪記事で他の記事や番組、広告を掲載する余地がなくなる程度まで行かないと、不適切な報道がなくなるようには思えません。これはもちろん、配信プラットフォーム上でも個別のチャンネルごとに適用されます。つまり先日問題になった浮浪者より猫を救うべきといった意見を流した場合、今後数年間番組の前後に義務的な撤回動画を本編部分を超える長さで付け加えるといったことを強制されるわけです。それでそのチャンネルが経済的に立ち行かなくなるかもしれませんが、それは自業自得というものです。もちろんプラットフォームはただの場を設けているだけという建前ですから、何を言う権利もありません。

■2021年08月17日(火)  買い物の回数を減らすからといって腕力が倍になるわけじゃないんだよ
緊急事態宣言の延長など諮問 西村氏「買い物を半分に」
何が具体的ですか、回数半分にと言ってもではそれで不足する物量をどうするのか、一回当たりの買い物量を増やすにしろ、買い物が必要な物資の消費を減らすにしろ、相当に悩ましい問題です。店舗を一律にウィークデーの三日間のみ開店と規制する方がまだしも筋が良いでしょう。もっともその場合、三日間に客が集中するのでかえって密になりかねませんが。
それこそ国務大臣の皆さんが、官僚に降ろしている仕事を全部自分でこなしてくれれば、官僚の皆さんは一律出勤禁止で済むんですがね。
もうちょっとこう、頭を使ってもらえませんか?脊椎反射だけで行動されるのは大変に迷惑です。

■2021年08月17日(火)  まあ、勉強もせずに何やってんだという気がしないでもないですが
東北学院、夏の甲子園2回戦を辞退 選手1人の陽性確認
何ともお気の毒なことですが、まあ、英断と評してよいと思います。東北学院という時点でまず県大会決勝進出自体が珍しいことであり、甲子園でとにかく一回勝ったという時点でよくやったと評してよいでしょう。辞退ということになったのは、時節柄仕方がないと思います。
むしろ東北学院の方が、よくやった生徒や指導陣を誉めてあげて、その上で元々の本分である学業に一層励んで欲しいものです。これで舞い上がって野球部の後押しなんかしたらただの馬鹿ですからね。

■2021年08月17日(火)  あれを見ずに済むというのは朗報ですが、その分バスや鉄道の実入りが減るとなると問題です
週刊文春、中づり広告を終了へ 「一つの文化だった」
週刊新潮も中づり広告を終了へ 薄れる購買モデルの効果
まあ、目を背けるようなものでも文化には違いないですね。
とはいえこの場合、出稿者よりも広告を募集している公共交通事業への影響の方が問題です。運賃収入だけでは経費を賄えないというのが広告募集の理由なのですから、後がまとして同程度のボリュームの広告が出てこないと、それこそ地方路線バスの中づり広告みたいなことになってしまいます。利用者としてやらない方がましと言うことは簡単ですが、それで運賃が高くなるのは良し悪しでしょう。

『文春』と『新潮』が中づり広告から撤退、それでも車内広告に未来はある
「その割にはうまくまとまってるんじゃないか。」
いや、うまくまとまったというか、そもそも何が終わったのかということが問題なのでしょうに。
もちろん車内広告自体に使い道はあるわけです。ただし今時の広告というのはそもそも笊みたいなもの、つまり見た人の中で購買行動に結びつく確率は高くないというよりは低いと言うべきでしょう。車内広告を出すのと位置情報と組み合わせたスマホ広告を出すのとどちらがコストパフォーマンスが良いかといった議論の下で、見込み顧客が車内広告にお金を投じるかどうか、そして車内広告が鉄道会社にとって有益なものでありうるか、つまり車内広告を集めて掲出して片付けるという手間をかけてまで儲かるものであり続けるかという点が問題だと思います。文化だなんだというのはその後の話です。
それこそ鉄道会社と地域の観光協会のタイアップ広告ばかりになってしまうと、乗客の目からの眺めはさほど変わらずとも、車内広告の意味合いが全く変わってしまいます。こちらの方が乗客としては鉄道会社がこういうイベントなどを売りたがっているのだなと納得しやすい眺めではあります。しかし、他人の広告を掲出して儲けるか、それとも自分の宣伝をして宣伝されているものに絡んで路線が利用されることで儲けるかは、スキームとしては大きく違うでしょう。

■2021年08月17日(火)  必要で緊急だからいいというものではない
「会食ではなく打ち合わせ」二階氏、5人で日本料理店へ
打ち合わせが不要不急だとは思いませんけれども、だからといって会食形式にする必然性は認められません。政権中枢にいる人なら率先してオンラインミーティングにするべきでしょう。
もちろん会食という形式をとることで醸し出せる雰囲気があることはわかりますが、現状においてオンラインミーティングで必要な打ち合わせをこなせる程度の信頼関係を、多くの人と築いていることこそが必要なタレントだと思います。

■2021年08月16日(月)  アマゾンもいい加減訳が分からなくなってきましたしね
どうも実家宛に、お中元関連で送り主のわからない荷物が何度か届いたらしいのですが。
もちろんアマゾンにはギフトラッピングというシステムがあり、これを使うことで、米国であれば誕生日やクリスマスのギフト、日本であればお中元やお歳暮を送り主表示やメッセージカード付きで送りつけることができます。知っている人にとっては、それを使えばよいことは自明の理です。
しかしこのギフトラッピングというのは、アマゾンが発送する場合に使えるものです。アマゾンで扱っている商品には大きく三通りあり、まずアマゾンが売っている商品、次に外部の売り手の商品の在庫管理や発送をアマゾンが引き受けている商品、そして外部の売り手の受注業務をアマゾンが引き受けている商品ということになります。アマゾンが売っている商品であれば当然ギフトラッピングが使えますし、在庫管理や発送をアマゾンが引き受けている場合も一般にギフトラッピングが使用できます。しかし、アマゾンが引き受けているのが受注だけで、発送は外部の売り手が行っている場合、ギフトラッピングへの対応はまちまちです。もちろんどの商品にギフトラッピングの適用が可能であるかはきちんと示されているはずですが、そもそもギフトラッピングというシステムが存在することすら知らない人に見分けろというのも無理な話でしょう。
また商品として贈答に使うことが予定されているようなものであっても、アマゾンの管理においてはあくまでも普通の商品です。そこに贈答品として特別扱いのオプションを指定するのは、あくまでも購入手続をしているユーザーの責任なのです。しかしそれを、すべてのユーザーが弁えているわけでもありません。お酒のギフトセットを贈り先指定で発注した人が、熨斗紙が付くものと思ってしまうこと自体は避けられないのです。百貨店の贈答品コーナーよろしく熨斗紙が付くことが前提になっているような売り場が設定されるわけでもありません。
おそらく、通常の購入手続とは別に、贈答品専用の手続を設定することは可能です。アマゾンとして可能であるならば、少なからぬ割合を占めるに至った情報弱者系ユーザーのために、あらかじめギフトラッピングを前提とした手順への入り口をメニューなりに用意して欲しいとは思います。とはいえそれはアマゾンが判断することであり、習慣から外れた贈答を行うことのリスクは、本来ユーザーが自身でサービスを調べ出すことで回避するものではあります。
それにしても、揃いの良い本屋がよくもここまで、何でも似たような手順で買えてしまうため、商品ページやチェックアウトの情報をよく読まないとみんなアマゾンが提供している商品だと思ってしまうようなところまで来たものです。最初にマーケットプレイスの商品を買ったときはチェックアウト時の警告表示が脅迫のように感じたものですが、率直に言って学会の展示ブースで発注する方がよほどリスキーです。とはいえ建て増しを繰り返した旅館みたいな部分はどうしても出てくるわけで、どうにかならんかなと思いはします。皆が皆、私みたいに、店員に問い質すよりもオンラインドキュメントを読む方が楽と感じるわけではありませんからね。それに、探すよりはわかっている範囲で使う方が楽という状況は少なからずあると思います。

■2021年08月16日(月)  本当は集まること自体がリスクだと言いたいですが
大型化するイベント、「適正サイズを」 石川智久さん
おわコンだというのは、感動を消費するためのイベントそれ自体ではあるわけですが、つまり昨日千鳥ヶ淵でやっていたようなイベントやここしばらく甲子園でやっているようなイベントも含めての話ではあるのですが、それはそれとして、イベント自体のリスク管理が必要、実施において柔軟な対応を組み込んでおくことが必要という話は認識するべきでしょう。もっとも、ありうべき事態が想定できてしまえば、そこから最大限の効果や利益を引き出せるよう対応策や事前に設定しておく条件を立案すること自体はさほど難しいことではないわけで、ここしばらくで非常に制約の厳しい事態に直面したことは大きな糧になると思います。
将来的に残る制約としては、イベントのコストでしょう。会場の設備を整備するとなれば会場費の上昇が見込まれますし、柔軟な対応それ自体がそれを可能にするためにコストがかかります。また柔軟な対応をした結果発生する機会損失もあるという点は今回改めて思い知らされたとも言えます。記事にある適正なサイズというのも、それこそ柔軟に対応する際に変化するものであり、イベント開催ギリギリの時点まで変化すると考えないといけない以上、リスク管理やそのコストが今まで以上に重要になってくるでしょう。

■2021年08月15日(日)  浴衣にジャケットはともかくスカーフはどうなのでしょうか
ロードエルメロイ二世の冒険 2 彷徨海の魔人 上
式さん逃げましたか…まあ、あの人が出てくると収拾がつかなくなりそうで、出るなら最終段階にある種のデウスエクスマキナとしてですかね。理屈の上ではアトラス院でも彷徨海でも切れそうだし。
ところで幹也君には魔術師紛いの妹さん(蒼崎燈子の弟子)がいたはずですが、凛ちゃんとタッグを組んでくれませんかね。それと幹也君は両儀家の会計士だそうですが、これは一応マフィアものを踏襲しているのだと思います。当主か後継者の配偶者でというのは珍しいですが、映画などのマフィアの場合外部から入ってきた者に娘を娶せたり養子扱いで身内として処遇する際に「会計士」のポストをあてがうイメージがあります。典型例を知りたければゴッドファーザーでも見てください。
ヤクザと芸能の民の結びつけは文化論でよくある形ですが、そうだとすれば豪族と言っても古代豪族というよりは中世武士の系譜のように思います。一応「ご神体」からのつながりだとは思いますので、つなげられないわけではありませんが、さすがに能面との接続は牽強付会でしょう。神事の芸能で面を用いる例自体は取り出せるにしても、その面には中世芸能、つまり能楽や猿楽の影響が強く出てくるため、手順として変質を来しかねません。事件簿1巻の山岳信仰の方がまだつなげやすいと思います。まあ、14世紀ごろにまちがってつながっちゃったのかもしれませんけど。もっともそれを言うなら遠坂家や衛宮家だって時計塔とのつながり以前から神秘に関わる家ではあるはずです。魔術刻印が西洋魔術の流れを汲むものだとすれば16世紀以降に導入したものということになりますが、それこそ魔術刻印という仕組みの源流を古代のエジプトなりペルシアなりに求めるとすれば6〜7世紀に入ってきていてもよいことになります。その意味では、日本土着の神秘への接続がご神体を介したものであるというよりは、魔術協会や道教教団の影響が限定的だったために様々な流儀が土着化しつつ同居しているということでしょう。
なお祭礼の門前市をヤクザやそれに類する社団が仕切ることが多いのは香具師のような芸能民が平民として地域の興行団体に組織された明治から敗戦の混乱の中で闇市や青空市を兵隊上がりの地域の顔役が牛耳った昭和中期に成立した形態ですが、この面での暴力団排除運動の経緯はともかくとして、両儀家もテキヤとしての歴史はさほど長くないと思います。
ところでロードは一体浴衣の中に何を着けているのでしょうか。おそらくネクタイ系のスカーフだと思うのですが、さすがに貰い物の浴衣だけでは不安で礼装も着込んでいるのでしょうかね。その意味ではジャケットも礼装の可能性があるのですが、ロードがそういう格好をしていると大正時代の無頼系文士みたいです。夏だからトンビにハンチングというわけにはいかなかったとかですかね。紙巻を吸っていたらまさに大正時代のインテリヤクザか成り上がりの実業家でしょう。
また本巻初登場時の未那の服装が本文には着物姿と書かれているのですが、さし絵がワンピースです。「自分たちと同じ着物姿に、長い黒髪が似つかわしい。」という文を仮想と見做したのでなければさし絵発注時のミスでしょうか。

■2021年08月14日(土)  サルシッチャ - それなりに庶民的な高級品
期間限定Amo!ITALIA
正しくはAmo! L'Italiaではないかと思うのですが、それはさておき。
伊達豚ホームランサルシッチャ。焼いた豚肉の腸詰です。焼いた腸詰がでんとプレートに乗っているだけではあるのですが、妙におしゃれ感を醸し出しています。おいしいですし、スーパーの三袋380円のソーセージより大きいため、肉感はなかなかあります。もっとハーブ感を出したりスパイシーだったりホットだったりしてもよいかもしれません。salsicciaという綴りで、まず間違いなく肉の塩漬け(salatura)加工品が語源ですが、現代語としては腸詰が前提です。
広義ではサルシッチャはソーセージ、つまり腸詰食品の同義語ですが、イタリアでソーセージという場合燻製品を指すようです。もちろん他地域でソーセージとして燻製など加熱をしていない食品を指す場合もあります。腸詰であるという以外に条件がないため、下手をすると家庭レベルで違いが出かねない食材です。まあ、所詮焼き腸詰なので、本場では屋台でごろんと紙袋に入って売っていたりします。また腸詰自体はヨーロッパのほかの地域と同様、茹でたり煮たり、ピザやパイのトッピングにしたり、細切れにしてスープやソースに入れたりします。
もちろんイタリアの中でも地域差があります。イタリア半島南部に共通する嗜好として、唐辛子の偏愛があります。パスタのペペロンチーノソース(salsa aglio olio e peperoncino)などもそうですが、つまり南イタリアでサルシッチャを食べると辛いことが多いらしいです。またハーブも使われるため、臭み消しなどとしてバジルが入っているようなこともあります。おそらく魚肉でも腸詰であればサルシッチャなのですが、日本の魚肉ソーセージ(というかプラスチックフィルムのケーシングに入ったかまぼこ系食品)はケーシングが元々合成樹脂であるため、サルシッチャに分類されるのかどうかは不明です。そういう意味では豚の小腸に笹かまの原料を詰めるという選択肢もあったはずなのですが、やはりそれではイタリア風とは思えないのでしょう。

■2021年08月14日(土)  何でお座敷芸に年額1800万円の年金を税金から出さないといけないのか
お粗末すぎる日本の五輪褒賞金
前から思ってはいたのですが、この人はリベラルというよりは福祉国家主義者ではないでしょうか。
ヨーロッパ的なリベラルであればスポーツをやりたければそのお金は自分で稼げという話になりますし、アメリカンリベラルでも基金(財団)を立ち上げてそこからという話になるはずです。それを財源を気にせず年金の額だけ見てお粗末というのは、社会主義スポーツを前提にしているとしか思えません。
もちろん何かを極めるというのは難事ですし、称賛されてよいことだとは思いますが、所詮お座敷芸です。私は自分の税金がお座敷芸を極める補助金に使われて欲しいとは全く思わないのですが。まさかこの人は、自分の大学教授というポストが学問を究めるためにあるとでも思っているのでしょうか。大学教授のポストは講義をすることを前提としています。今ならゼミや実習も入るでしょう。ではスポーツ選手においては何が求められるでしょうか。意味不明の国際競技会とやらに出て国威を発揚することでしょうか。そんなことに使うくらいならもっとましな使い方というものがあります。というか国威の発揚などと言っている時点で時代遅れの国家主義です。そういう話とも思えないので、だとすると自分も含めてお座敷芸で政府財政に寄生する文化人の正当性の主張でしょうか。私企業に寄生するならともかく、政府財政は困ります。

■2021年08月12日(木)  上場企業が上場4年目で初黒字!
メルカリ、初の黒字 「巣ごもり」でフリマ活況
マザーズでは仕方ないのかもしれませんが、新興企業市場とはいえ上場企業が赤字上場で2016年以来ようやく二度目の黒字というのはどうなのでしょうか。日頃苦心して利益を絞り出している一般企業からすればなんであいつらだけと思われても仕方ないでしょう。そもそも赤字だったとすれば配当も出ていないはずで(実際株価評価サイトに配当利回りが書かれていない)、将来性の評価だけによる、ファンダメンタルズからの評価など薬にしたくともない、見事なまでの投機株、ジャンク銘柄ということになります。

■2021年08月12日(木)  落書きをするならそれが反抗であることを自覚して欲しい
「自分のモチーフ広めるため」渋谷のポストに落書き容疑
いや、モチーフを広めるとして、それが猥褻なサービスのチラシと同じ類と認識されてもかまわないということなのでしょうか。
仮にも他人の物品に何かを書き込むというのは、所有権に対する重大な侵犯であることを自覚し、書き込み行為によって何らかの主張を、所有に対する反抗として行うという自覚性が必要だと思うのですが。芸術性がどうこうというのはその先の問題です。それを、犬の放尿とか公衆電話ボックスや電柱のチラシの延長線上で語られるというのは、違和感があります。暴走族の落書きだってもっと主体性があるでしょう。

■2021年08月12日(木)  フォロー自体廃止すればよいのに
TwitterがUIを変更。フォローボタンの意味が真逆に
やっとフォローは問題のある操作だということに気づいたのかと思ったのですが、そうでもないのですかね。

■2021年08月12日(木)  あまり意味があるとは思えない法案の提出はともかくとして日本語がおかしい
米議会、アップルにサードパーティ製アプリストアやサイドロード許可を義務づける法案を提出
この人も直さないね…いや、アップル規制法案が米議会に提出されること自体は報じる価値があることなのですが、米議会は法案を提出したりはしないという点です。「、」ではなく「に」とすればよいだけのはずなのですが、もしかして日本のどこかに、助詞を省略した場合「に」をあてはめるという方言でも存在するのでしょうか。普通は「は」か「が」をあてはめるものですし、「、」を使った場合直前の名詞には普通助詞「は」が付くと思うのですが。
それにしても、米議会も実効性などありそうにもない法案を提案している暇があったら、電子計算機の不正操作は理由を問わず、軍人や外交官であっても懲役30年くらいの法律を制定する方が良いと思うのですが。そうすれば、法執行を理由にロシアにでも中国にでも侵攻できるのですけどね。

■2021年08月11日(水)  国公立だけ受ければよいだけでしょう
入らない大学に入学金、変だ 問われる受験の「常識」
変だと思う方が変です。形式的には入学を希望して入学金を払い込んだ後で希望者都合で入学を取り止めているわけなので、それが嫌ならそんなところは受験しなければよいだけのことです。
そもそも私立大学こそ選んで入るところで、別にそこにする理由がないなら受ける必要はないわけです。いくら払ってもよいからそこの教育を受けたいという人のためのものです。それを国公立の滑り止めにするのは受験者側の勝手ですが、せめてお金くらいは落としていってもらいますよという、ある意味生々しい話が入学金がらみでしょう。神学や芸術のような私立しか選択の余地のないコースで学費が高いという問題と比べてどうにもみみっちい気がします。それで滑り止めに受かったところで、卒業後評価されるわけではないならなおさらです。
ストレートで学校課程を終えましたと言いたいがために滑り止めを受けるというのもありですが、その場合入学金はある種の保険料でしょう。国立大学の半期分の授業料相当の保険料であれば、高いとは言えないと思います。
もちろん教育を受ける権利というのはあると思います。ただし大学教育の場合、それを受けるだけの学力を持つことを証明した者のみが権利を主張できるというのが建前です。今の大学入試でどれだけ能力の証明になっているかという話は別として(上位20パーセントを除きほぼくじ引きみたいなものだという意見はあって当然です)、安全策を取るならAないしはS判定の中から選ぶことはもちろん、募集定員が少ないために確信を持って受かると思えないようなところも避けるべきです。その上で、通常の試験を受けるか推薦入試に回るかを考えるものでしょう。「長年続く慣習は、変わらないのか。」と言うなら、入学金を払う気にもならないところを滑り止めとして受けることこそ廃棄されてしかるべき悪習だと思います。

■2021年08月11日(水)  収入減をものともしないからジャイアントは怖いわけで
ドコモ一人負け? ahamoヒットで収入減
一人負けかどうかは各社の目指すところによって変わってくるので、特にDocomoのようなバックに特殊なのがついている場合は、他社とは違うゴールを目指している可能性を考慮する必要があります。
NTTグループの場合シェアの増大と長期的な囲い込みが目的の可能性はあるでしょう。特にソフトバンクあたりと比べれば長期的かつ総合的な判断を優先することが可能なので、とにかく赤字覚悟でシェアを獲得し、その上で他社の排除を狙ってくることはあり得ます。その結果5G移動体通信事業としてはボロボロになるかもしれませんが、NTTとしては5Gにぺんぺん草が生えても将来6Gで独占市場を再構築できればそれでよいのです。まあ、さすがにこの期に及んで公社時代の電電グループで機器市場を制圧しようとは思っていないと思いますが。

■2021年08月11日(水)  制服自弁制や学校活動に即しているとは思えないデザインなどの方がよほど問題です
女子用制服にスラックス、進んだ? 「制服」への違和感
違和感というなら、制服というのは本来着せる方が着る方に支給するものです。この場合親がではなく学校が、雇い主が、です。その上で、制服など着せておいていいのかというのが違和感のはずです。仕事での制服にしても、作業着と事務アシスタント用であり、本来事務アシスタントの仕事に制服が必要かという論点でないといけないはずです。さすがに作業着は支給の形を取らざるを得ないでしょう。この点では学校での運動着も体育の授業における要求から制約を設けざるを得ません。走り幅跳びをするのに半ズボンで来られて足を擦り傷だらけにされては先生の方がたまったものではありません。しかし、座学用や事務用の制服など不要であり、常識の範囲内で着るものでしょう。
その上で、どうしても生徒のファッションポリシーが信頼できず、制服を制定したいというのであれば、それは長袖長ズボンだけにするのが合理的です。性別がどうであれスカートなど履かせてはいけません。その場合教員も基本パンツルックで半袖不可でしょう。当然、できれば教員も含めて、学校としての活動に従事している際の服装については学校支給であるべきです。ラディカルに考えるのであれば登校時に着た制服を下校時に脱いで学校が回収し、洗濯するべきです。

■2021年08月11日(水)  全額雇用者側負担が望ましい
雇用保険料、来年度は2倍の可能性 コロナで積立金払底
今までが低すぎたという気がしますが。
そもそも、二事業のいずれにしても、企業側が雇用の維持という社会的責任を果たせていないことによって発生します。これは、そもそも後日失業を発生させるような雇用をなすべきではないという点も含みます。であれば雇用保険は雇い主が雇用関係を維持できないリスクを補填するために設けられるものであり、全額雇い主負担とするのが筋でしょう。
逆に労働者が失業という危険に備えるものとするならば、それは本来労働組合が実施するべきものです。この場合、失業だけでなく、賃金の遅配や無給の待機指示や争議に伴う無給期間も補填しなければなりません。場合によっては、補填によって発生した支出を雇用主に賠償請求することもあり得ます。未組織労働者の問題は、そもそも雇用自体が労働組合の関与の下で行われることにすれば解決します。一種のクローズショップ制ということです。これで人を雇わないとどんな事業も成り立たないというのであれば制約がきつすぎますが、近年各種のアウトソーシングサービスの発達や自動化技術の進展、マッチングサービスの発達によって、コアの部分さえ握っていれば外注と自動作業で済むようになりつつあります。この場合、コアの部分というのは経営者(パートナーシップ経営であれば社員が)が自分でこなすわけです。この場合、そもそも雇用という仕組みに頼る必要がないはずです。雇用をして組合と付き合うか(メリットとしてはおそらくコストが安い)、外注と自動化を駆使して身内だけで事業をするかを選べるのであれば、雇用における供給を組合が握ることは問題になりません。

■2021年08月10日(火)  デスマーチしてクソゲーを作ってしまうところまで真似しなくてよいのです
デスマーチからはじまる異世界狂想曲EX2
新規書下ろしと単行本未掲載の短編に1430円払う価値があったと思うかで評価が分かれると思います。率直に言って、本編に比べてぼってるだろうという気がするのですが…
まずロードマップですが、ここまでの本編をちゃんと読んでいる限り全く新味も工夫もありません。マップと言いつつ地図がないのは、ロードマップという場合IT業界やプロジェクト管理業界では通常文書であることに倣ったのだと思うことにします。行程表ですから、進んでいく経路に沿っていつ何があるか、何をするかを書いたものなので、グラフィカルではそもそもないのです。ただし、記述が本編の抜粋ベースでしかないのはいただけません。そんなものはWikipediaかファンの解説でも見れば載っていることなので、編集者なりの人月を使って作るものではないのです。また編集の方向性もおかしく、そもそもサトゥーたちの行くところというのは半分くらい変なところ、普通の人族は行かないようなところなのです。セーリュー市周辺でも、例えばトラザユーヤの揺り籠などそもそも近隣の人族は近寄らないはずです。どうも事件後塩鉱山として用いられているらしいのですが、それにしても鼠人が採掘して売る程度ではないでしょうか。迷宮都市のサトゥーの迷宮別荘も、おそらくまだ関係者しか知らないのではないでしょうか。サトゥーは別に第三者が使っても気にしないでしょうが、サトゥーのチームペンドラゴン以外の関係者のほとんどはそれがどれだけ非常識なものか知っていると思います。サトゥーにしろ目立たない場所に作る程度の配慮はしているわけで、ぺんどらが迷宮都市到着時点のセーリュー伯領軍並みのレベルになってからでないと、噂にすらならないと思います。もちろんボルエナンの森にしてもセダム市近郊の魔女の森にしても、一般的には噂以上のものではないはずです。観光案内風に書くのであれば、そのあたりの整合性程度は取っておくべきです。網羅性を重視するならサトゥーかアリサあたりの日記風の方がまだましだったでしょう。
あやめぐむ氏の四コマは、まあ、コミックスの宣伝も兼ねてでしょうか。料理系スピンアウトも出るようなので、できればそちらの紹介もあった方が良かったとは思いますが、とりあえず読んで面白いレベルです。
単行本未掲載短編集と書き下ろしはちゃんと読めます。とはいえ、セダム市でのエピソードを見ると、EXに掲載されていたイネ師匠の甘い魔力回復薬レシピ開発の話(魔女の弟子のイネニマアナちゃんの後日談)と引っかかりかねないのですが、個人的な寄贈レシピということで伝授してもらえなかったのでしょうか。サトゥーが作るまでなかったということは、甘味を加える工程にそれなりの工夫があるはずです。

■2021年08月07日(土)  しかし誰も気づかなかったのかねえ
「飲食店でお酒が提供できない為、一升瓶のお酒が売れません!!」醸造会社が窮状訴え 農家にも影響する問題を詳しく聞いた
というか、それで売れてしまうというのは酒販店がまともに仕事をしていないということでしょうかね。もちろん火入れしたお酒なら開栓後も常温で一週間程度は持つため、一升瓶程度なら普通に使い切れます。普通に飲んでよし、小分けして冷やして飲んでよし、熱燗もよし、料理に使うのもよしです。さすがに6本抱え込んだときは始末に困りましたが、3本程度なら普通に独身男性で使い切れます。
醸造のサイクルは通常秋に始まって春か初夏に終わるため、今売っているものは2020年9月あたりの時点で見通しが立たないと生産量を調整できないことになります。安倍さんか麻生さんあたりが家が造り酒屋だったはずですが、わかっていながら希望的観測に頼って国民に迷惑をかけたわけで、罪作りなことです。
ではコメだけ買って保管するのかというとそうもいかないのも確かで、サプライチェーンの一カ所で問題が起きるとそれこそ連鎖的に波及する良い例です。本来ならここで卸が倉庫代を持ちつつ売り時を見計らうのですが、平時のサプライチェーンの最適化によって卸が機能を劣化させてしまっています。これはこれで危機管理の問題で、在庫コストの見積もりや生産量の決定と合わせて経営管理の練習問題の良い題材になるのではないでしょうか。もちろん、最悪の場合ツイッターで嘆くというのは落第です。

■2021年08月07日(土)  まずオーラルコミュニケーションを廃止するべし
コロナ禍がもたらしたパーソナルバブルのニーズ
いや、誰ですか、外と隔離された環境のことをバブルだなんて言い出したのは。コクーンやセルとでも言えば済んだことでしょうに。もちろんバブルカーなんて言葉もありますし、接触しつつも壁で隔離され、それが生成消滅してている様子は泡が集まっている様子に近いですけれども、パーソナルバブルなんて言われると、給付金で家計が潤ってるみたいじゃないですか。
それはそうとして、IT系メディアの記事で外部から自分を遮断するガジェットの話はよく聞きますが自分とその時つながっている相手をもろともに外部と遮断するガジェットというのは、聞かないか非常に残念なものがほとんどです。ほんの3年前までは情報漏洩が問題になっていましたし、今でも漏洩事故はよく聞きますが、情報セキュリティの面では個人のウェアラブルデバイスというのは悪夢です。何しろ携行可能ですから物理的隔離の点で不安がありますし、その割に心理的な隔離感は作ってしまうので、それこそ電車や喫茶店で携帯電話を使っている人のようなことが懸念されます。リモートワークと言って自宅や喫茶店でやるような人は、ほぼ情報セキュリティについて意識の低い人だと言ってよいでしょう。独身者であっても日本の住宅の壁の防音効果などないに等しく、家族持ちであれば家族が身近にいるわけです。真面目な情報管理担当者なら、家族全員から機密保持の誓約書でも取りたくなるかもしれません。隔離というならせめて防音の壁くらいは用意するべきです。
「生活様式の変化がこんなところにも影響を与えるのだから本当にコロナ禍というのは怖ろしい。」というのは同感で、それこそパーソナルスペースというのは今回の感染症対策が出てくるまで仕事の環境としてはほぼ無視されてきました。いいところパーティションですし、コミュニケーションの促進と称して詰め込み雑居部屋に走る向きもあったくらいです。それが、とにかく仕切りくらいは欲しいよねという話になりました。本当は防音ブースくらい用意するのが当然で、音がつうつうだと取引先と電話するのすら気が引けます。イヤフォンなどしていようものなら怒られました。それがこの状況になったわけです。でも、ある程度収まると元に戻るんでしょうね。

■2021年08月07日(土)  公共圏で使ってよい言葉だとは思いませんけどね
「音楽は不要不急」 音楽家の僕はその言葉でホッとした
そりゃまあ、生活に必須なんて言われたら不真面目にやるわけにはいきませんからね。それで音楽なんて不要不急だからまじめな仕事をしろとでも言われるならともかく、今の日本は実績さえ伴えばそのあたりは緩いですから、忘れられない程度に露出をするためにあえて実験的なことをやってみるという考え方は十分ありです。
もっともステージパフォーマンスにこだわる人にとっては「不要不急」の一言で引き籠りを強いられるのは非常に納得がいかないことだとは思うので、政策を説明する人はあまり刺激的な言葉を使うべきではないと思います。またまずもって食っていけることが大事なので、本来そこの手当てがまずあるべきでした(例えば前日銀副頭取の岩田氏もそう言っています)。CDや配信の権利収入だけで食っていける人ばかりではないのです。

■2021年08月07日(土)  そもそも民間のコスト感覚をわかっているのかが気になります
「日本型格差社会」からの脱却
こういう、著者がある意味憤懣などを叩きつけているような著書だと、いささか独善的で傲慢な印象を受けはするものの、誠実で良心的なお人柄が垣間見えるように思います。
基本的には一貫した現代マクロ経済学サイドの政策提案の書です。国会の運営や制度改革への抵抗にケチをつけているところはいささか品がないですし、国会における力学について学者や実務家らしく勘違いというか変な理想を押し付けているところはありますが、それだけ、改革の提案が与野党の政治力学、あるいは官僚の抵抗の中で押しとどめられてしまうような経験をされたのでしょう。理想主義者が改革を実施する立場に立つとよく経験することだと思います。だいたいこの手の理想主義者が実務に手を染める羽目になるのは事態が切羽詰まってからですから、混乱も相まって物事がうまく進まず、いらいらさせられて執政機能の強化を目指すことになります。インテリ系の独善的強権主義というのが出てくる由来でしょう。
規制改革関連は基本的に自由主義に基づいた議論がなされており、経済的合理性とそのベネフィットが前面に押し出されています。それ自体は正しい議論だと思います。一方で労働法制や実務についてはありがちではあるがおかしな勘違いをしており、概念や用語の混乱、思い込みも少なからず見られます。専門がマクロ経済学とはいえ、仮にも本を売るなら下調べはちゃんとするべきです。
とはいえ、ところどころプラトニックな滅菌パックされた都会的洗練への志向、ないしはモダニスト臭が鼻につきます。岩田氏だけの問題ではなく、自由主義系の規制改革というのはそういう背景を基本的に持っているのだと思います。タクシーの台数規制改革の話なども、確かに都会的に洗練されたサービスとして安心して使えるように改善され、都市部のドライバーやタクシー会社の既得権が崩れて業界全体の体質改善(全体としてのドライバーの収入水準向上も含む)や利用者の便益につながったわけですが、既得権の確保に汲々とし、ある意味妙な粗暴さを剥き出しにするのは土着的な人間性として肉体労働者にごく一般的に見られるものであり、それを矯めてしまうのは痛々しく感じもするのです。そんなことをするくらいなら機械で代替すればよいだろうと感じもします。土着的なコミュニタリアニズムからの反論も、昔のラッダイト的な素朴なものを乗り越えてそれなりに洗練されたものになっているわけですから、小著とはいえ政策提案である以上そこに対する視線もあってよいと思うのですが、内容的な充実は見られるにしてもセーフティネット以上のものにならず、とにかく都会的洗練で世界を塗りつぶして恥じない押しの強さには普通の人は反感を感じるでしょう。まるでネイティブアメリカンを居留地に押し込めるように、自分の認める都会的洗練以外のものを滅菌パックして観光用に民俗博物館に保存して良しとすることだけが進歩だと押し付けてきているように感じるわけです。しかもそこで「抵抗勢力」と非難してしまうところが、個人的には時代遅れに感じます。中学生の家庭教師をしていた時に、社会科で比較優位説を教えていて、「そんなのは人の心がない!」と反感を露にされたことがありますが、岩田氏はそのような反感を「消費者全体の利益を考える視点」に立っていない抵抗勢力だと排斥し、「理由に関わらず所得が低下した人を支援するセーフティーネットを整備することが不可欠である。」で済ましてしまうのです。ちなみにこの「消費者全体の利益を考える視点」というタイトルの節はまさに交易に基づく相互の比較優位の追及による相対的「豊かさ」を主張しています。なんともモダンな立論であり、昨今の文化人からは非難されうるでしょう。もっとも、それ以前にその文化人もそのまさにモダンな豊かさに浸ったうえでものを言っているだろうという再反論も正当ではあるのですけどね。こうしたモダンなシステムについては、脆弱性の観点から批判が可能だと思うので、それは後述します。またこのモダニスト的態度は、それこそ昨今の温暖化ガス排出権取引や情報銀行などに感じるような胡散臭さや1960年代に労働組合に対峙したエリート経営者のような傲慢さを伴ってもいます。風俗論としてはこのあたりの胡散臭さや傲慢さが都会的洗練に必然的に伴うものなのか、それとも都会的洗練の中に残された土俗性なのかは興味深いですが、それはそれとして、ピッツバーグや今治タオルの事例紹介といい、通俗コンサル的で大変胡散臭いです。
1.0.0
「どうやら予算委員会とは名ばかりで、予算を審議する委員会ではなく、政府のスキャンダルを追及する委員会のようである。」
これはよく皮肉として言われますけれども、認識違いであり、予算委員会では質問の内容を制限しないという制度になっているだけのことです。何しろ予算案を提出できるのが内閣だけなので、審議内容を予算に限ると内閣に都合の悪いことを審議できなくなってしまいます。また日本の国会は両院とも委員会制度を取っており、スキャンダル追及も含めた包括的な審議を行う場がありません。本会議も、院全体に関わる一定の議案を除き委員会審議を経たうえで本会議に持ち込まれるのが普通です。このため戦前の、政府提出予算案を国会が否決できるため予算審議が政府の信任に関わるような意味合いを持っていた伝統から、予算委員会では議題を制限しないという制度になっているのです。そこを変えるのであれば、内閣としての法案提出権を、予算案も含めて禁止するのが筋です。つまり議院内閣制度に基づき内閣総理大臣や閣僚も所属する院に法案や予算案を提出できるけれども、閣僚でない議員も自由に(複数の議員の連名による程度の制約で)法案であれ予算案であれ提出できるという制度にしないといけません。もちろん会派でないと提出できないなどというのはもってのほかで、法案毎に議員が自由に集合して提出できないといけません。これだと国会に議席を持たない閣僚は政策実施に制約ができることになりますが、それは行政府が立法府の信認に基盤を持つ以上当然でしょう。
「スキャンダル追及専門委員会とでも言うべき委員会をつくって、そこで徹底的に追及すべきである。」と毒づいていますけれども、野党のスキャンダル追及は内閣の政策批判と一体となっているのであり、ある意味あれは、実施すべきでない政策の実施を阻むための手段なので、予算委員会というある意味内閣の死命を制しうる委員会で行うことに意味があるとも言えるのです。スキャンダルの追及だけなら、東京地検特捜部にでも詳細な調査結果を添えて告発し、不起訴になったら検察審査会にでも持ち込めばよいのです。
政策議論に軸足を移すべきと言いますが、そもそも野党だけでなく、内閣も与党も政策論をしようとしていないでしょう。とにかく議論はすっ飛ばして多数決という見識を共有しているから、国会ではまともな議論が行われず党議拘束などの組織活動ばかり目立つし、政府機関も個別の議員を説得しようとしないのでしょう。いかがでしょうか。
政策立案を行う立場から牛歩戦術を呪う気持ちはわかりますが、予算審議というなら国会に1円単位で記された詳細を提出するのが筋であり、かつ個別の支出についても修正を認めるべきなのです。とにかく良い案を出したから一任してくれと言わんばかりの毒舌は不見識です。それを言うなら、ご自身で参議院議員選挙にでも立候補し、議員として政策提案をなさってはいかがでしょうか。
「予算が決まっても、執行システムが未だにアナログで、実行に移されるまでに大変な時間と労力がかかる」
アナログであることにたいした問題はありません。むしろ執行書類の発行に階層的にやたらと人が関わっていることが原因であり、もちろんデジタル化も一案ではありますが、執行組織のフラット化の方が必要でしょう。またこの段で出てくる定額給付金がらみの事情も、デジタル以前に本人確認、口座確認で時間がかかっているわけで、それこそ後述のように決済口座を日銀に置かせることで解決できることです。どこぞの閣僚が「一生ものの口座」などと馬鹿なことを言っていましたが、単に支給するだけならプリンターとスタンプマシーンを使って小切手でも発行すれば済むことですし、口座が必要ならそれが存在する保証を制度的に確保するのが筋です。すぐにデジタルデジタルと言いたがるのは技術音痴の証であり、そもそもデジタルを活用できる制度を整えないといけませんし、そのような制度は、政策実施レベルではアナログでも効率的に運用できると思います。
1.1.0長期デフレによる日本の経済悪化
図表1-1
どう使うかはともかくとして、この表は相当意図的に期間を区切っているように見えます。これでは、著者が「日本はアベノミクスで経済状況が改善した」と言うためにこの表を引っ張ってきたと思われても仕方ありません。少なくとも数字を扱うことに慣れた普通の研究者であればまず原典を確認しますし、この表になった元の数字で計算しなおすまでは安心できないと思います。
1992-2019について日本の成長率が落ち込んでいるという結論は問題なく導けますが、期間平均値の表ではなくグラフにすべきでしょう。ちなみに理系の場合いわゆる誤差を付けることが当然なのですが、おそらく99.7パーセント信頼限界で±0.1程度であり、かつ煩雑というか読みにくくなるので省いたと思われます。数字の差が有意であることは一応確かめられていると想定します(少なくとも5倍の差が有意にならないほど酷いデータだとは考えたくありません)。次節冒頭での1998.7-2013.4までデフレが続いたという見解はそういうことでしょう。
1.1.1長期デフレによる失業率の上昇と就職難
デフレの影響としてはその通りなのですが、そもそも投資が経済成長に結びついていたかどうかについては異論があります。1980-1991というのはおそらく日本史上希に見る無駄遣いの時期であり、総体としての経済成長が設備投資の効果がさして高くない金融やサービス業に牽引されていた可能性があります。また1950-1980の期間も単位設備投資額あたりの経済成長率で見るとたいして高くないのではないかと思うのですが。もちろん、この本としては焼け太りでもよいから金を流し込んで成長軌道に乗せろ、効率性はその上でのことだと言いたいわけなので、
1.3.1規制緩和に対する誤解
非正規雇用の増加は、確かに小泉政権下での雇用制度の規制緩和に対応するものではないと思いますが、1980年代後半の行政改革や制度改革(いわゆる労働者派遣制度の創設や業務委託の規制緩和)の影響ではあると思います。1980年ごろの時点で経団連や同友会あたりが雇用の硬直性を言い出し、しきりに柔軟化を提言しています。いわゆる雇用の三類型の提言などもこの時期です。
岩田氏の主張するように、そもそも好景気による人手不足であれば制度の如何に関わらず雇用は維持できます。個人的には2010年あたりにEUの財政規律重視の政策下でスペインの景気が悪化、日本を上回るなんと任期制雇用の任期上限を三ヶ月とするという規制下で三ヶ月で雇止めになるという愚痴をスペインの自然科学研究者から聞いたことがありますが、景気さえ良ければむしろ高度専門職を正規雇用で確保するメリットの方が大きかったはずです。正直あの任期終了時の期間制限なしの雇用への義務的移行措置というのは馬鹿げていて、それこそ昨今問題になっているように雇止めを発生させることは必然です。むしろ規制を無くした方が好況時に限るとはいえ雇用更新の促進につながり、その分景況の維持なりオフジョブを含めたキャリア展開の機会の提供なりに努めた方がましだと思います。
ただし、個人的には任期制雇用だけでも一定の規制は必要だと思います。もっとも重要なのは、雇用時および更新時の説明責任です。これは被用者に対するものと監督機関に対するものがあるでしょう。いい加減なジョブディスクリプションで任期制雇用をして、「現在の」定年制雇用と同じように仕事をさせる(つまり任期とは全く関係ない期間のプロジェクトに投入し長期的な社内キャリアアップを前提とした運用をする)というのは止めさせるべきです。本来雇用は完全にジョブ型とするべきだと思いますが、日本の場合外部からの要職の登用に抵抗感があるため、一定数の学卒から年金支給年齢までの雇用を前提としたキャリアパスを廃止することは簡単ではないでしょう。ただし株式会社と公的機関については被用者は管理職や経営スタッフを含めてジョブ型を義務付けた方が良いと思います。ジョブ型雇用で経営できないような組織は、今時公共性のある事業(株式会社として広く有限責任の資本を募るという時点で一定の公共性があると考えるべき)には適合しません。もう一つは、任期制雇用の任期を被用者を投入するプロジェクトの節目と対応させることです。これは説明責任に基づき監督機関が審査と指導を行う形とするべきでしょう。こうしないと、ジョブというシステムがまともに機能しません。本来こういった話は労働組合と株主が筋を通すものなのですが(変な時期に雇用を終了するなという労働組合の主張はもちろん、株主にしても被用者が担当するプロジェクトに責任を取れないような雇用をされては困るものだと思います: 経営者に規律を与えるという点ではどちらも同じ側にいます)、どちらも日本ではまともに機能していません。そしてもう一つ、採用に際しては原則としてジョブディスクリプションに即した組織外で取得可能な資格のみを選考基準とするべきです。それ以外は選考時のハラスメントや内部採用の優遇につながる可能性があるため、例外的に考慮する場合は具体的な必要性について監督機関に説明をして指導を受け(もちろん資格の点で甲乙がつけられない候補者から一部を選ぶ場合でもそのような事態を想定して選考基準を作成し、手続をしておくことが前提です)、募集時にも明示するべきです。
岩田氏はタクシードライバーについて個人的な経験談を披露していますが、それを言うのであれば規制が緩和された国際旅客航空便のサービスレベルの低下は反例でしょう。運賃は確かに下がりましたが、その代わり搭乗する空港から延々20時間近く、物売りに悩まされる状況になりました。どの航空会社も同じなのですから選択のしようがありません。機内食がたいしておいしくもない蕎麦かたいしておいしくもないマカロニかを選べる程度です。また規制緩和の典型例と言える大店法の廃止は、価格の低下や品揃えの拡充を消費者にもたらす一方で都市計画を破綻させています。
2.x雇用を守るのは政府・日銀の仕事である
これは全くその通りなのですが、1950年ごろまでの日本政府にはその能力がなかったことも確かです。現行の労働規制のほとんどがその時期にできた点は、見落とすべきではないでしょう。
図表3-1一人当たりGDP、労働生産性上昇率、就業率の推移
これはまた酷いグラフですね。就業率と労働生産性上昇率のトレンドを分けるためにあえて右軸をパーセントにしたのかもしれませんが、節のタイトルのような議論をするなら平均値と標準偏差で規格化するべきです(まあ、偏差値ですね)。就業率が60±3パーセント程度で緩やかに変動しているのに対して、労働生産性上昇率は2±2パーセント程度で上下していますが、このグラフでは一見してそれを読み取ることが困難です。どちらも、何だたいして変動していないじゃないかと見えるのです。実際には労働生産性上昇率は平均値に対して100パーセント以上変動しているわけで、まさにころころと変わっています。推移のパーセンテージの絶対値に本質があるならともかく、この場合変動幅に問題の本質があるわけですから、そのようにグラフを作らないといけません。
3.1.8 1980年代 - バブルとともにあった労働生産性
タイトルは大変良く納得できるのですが、実質GDP変動の原因は「総需要」なのでしょうか。実質GDPといえども貨幣を単位としてあらわされるわけで、その貨幣が増大したために実質GDPが増えているように思えるのですが。もちろん貨幣が増大するということは何らかの形で需要が拡大しており、そこが総需要になるのですが、バブル期に貨幣が集まったのは資産市場です。マクロ経済学としては間違っていないにしろ、貨幣の過剰供給と資産市場への滞留による資産価格の上昇が原因、と言うべきなのではないかと思うのですが…まあ、そこでバブル潰しをやったのはともかくとして、潰れて以降もその金融政策を変更しなかったことが問題という点は、その通りだと思います。
3.1. 正規社員の解雇が難しすぎる日本
この手の議論を見るたびに思うのですが、なぜ人員整理による事業の再建に固執するのでしょうか。負債が少ないなら破産させてしまえばよいですし、負債が大きいなら事業を(それこそ従業員も含めた)他人に譲渡してしまえばよいでしょう。あるいは、個人事業や合名会社、合資会社(あるいは経営者が債務を個人保証している株式会社)ではそもそも破産させた場合に自分が債務負担に耐え切れないほど債務を積むことに経営者として問題があります。株式会社や合資会社なら経営者個人にはそもそも債務を履行する義務はないのですから、それこそ破産させてしまえば済みます。それとも日本の裁判所は、経営者が不正な行為なく株式会社を破産させた場合に、会社の残債を経営者に請求するのでしょうか。あるいは雇用を維持するために破産手続を拒否するのでしょうか。
敢えて言いますが、解雇など本質的に簡単です。事業を清算して全従業員を解雇したうえで、その気があるなら投資を募って事業を再開すればよいのです。そこで解雇した従業員を全員雇えとか不当解雇だなどと主張する人は、偽装倒産と判定されればともかく(残債を清算したうえで投資を募りなおしているのですからそんな判定はあり得ないはずですが)、少なくとも実務法曹にはいません。現在の解雇規制は、判例に基づく基準も含めて十分妥当です。
3.1. 経営者が置かれたマクロ経済環境の日米比較
「従業員という人的資本を労働生産性が向上するように最適に配分することができない」のに事業を終結しないことのどこが「合理的に対応」なのでしょうか。
この点を議論するなら、法務倒産の容易性も要素として挙げるべきでしょう。承知の通り米国では連邦破産法11条の適用が比較的安易に選択されます。この結果、財務の健全化や人的資本の規模や構成の最適化が容易になります。一方でこの場合経営「者」は従業員や社員(出資者: 倒産により当面の支配権を失い、100パーセント減資により事業から排除される)同様事業から排除されることがありますが、事業としては新たに適任な経営者と健全な財務、適切な資本構成をもって再建されるわけです。
この種の法人実在説的処理は個人的には忌避したいところですが、あくまでも経済学なので従業員や経営者、出資者よりも事業が大事だと言うなら、不適切な人員構成が発生し、人員の再配置と再教育だけではそれに対応できない場合の対応策として法的再建が可能かどうかも考慮するべきです。むしろ日本の慣行が不適切なのがこの点で、経営者には従業員解雇よりも厳しいスティグマが貼られます。
会社なんて、できたりなくなったりするものなのですけどね。
そして、「六重苦」((1)円高、(2)高い法人税率、(3)厳しい労働・解雇規制、(4)経済連携協定の遅れ、(5)厳しい温暖化ガス削減目標、(6)電力不足なのだそうです)などと馬鹿げたことを言っている経営者がいたというのも酷い話で、これこそ単純に経営者の無能の証明でしょう。もちろん、例えば米国に比べてこれらの点で不利であったということは言えると思いますが、EUと比べたらどうでしょうか。ユーロも米ドルに比べて高値で推移していたと思いますし、温暖化ガス削減目標も厳しかったはずです。所与の条件で最善の結果を出すのが経営者の機能であり、適応できないなら無能です。その点で、事業として所与の条件への適応が不可能であると判断すれば、経営者は事業の所有者(通常は出資者)に事業の終結を提案できます。何しろ所与の条件からは事業自体が比較劣位なのですから、終結するか、優位な分野に転ずるしかありません。いずれにせよ事業としてのお先は真っ暗なので、一度清算して抱え込んでいた資源を解放することが適切なのです。
3.1. 個々の会社の経営がデフレを引き起こすことはない
その通りです。ついでに言えば、総務省の政策もデフレを引き起こすことはありません。デフレとはあくまでも、貨幣供給量の縮小が原因で起こるものです。というのは、どこぞのバカが同一カテゴリーの製品全体の価格低下はみんなデフレだと思って総務省が携帯端末デフレを起こしたとか回線使用料デフレを起こしたとか公衆移動体通信業界がデフレを起こしたとかアホなことを言ったからなのですが。
一方で、「日本の中小企業は社長が借金返済を個人保証しているケースが多く」というのは実態としてその通りなのですが、先に住み慣れた土地に住み、慣れた稼業で生きる権利を否定した人の心のない岩田氏に、個人レベルの不幸を云々する資格はありません。例えば2016年時点の中小企業の数は中小企業白書によれば360万社ですが、家族を入れて1000万人として、同年次の就業者と家族一億人が解雇で受ける不幸に比べれば十分許容できる、と、やはり人の心のない私は思います。そもそも、どのようにセーフティーネットを整備しようが再就職支援をしようが解雇による不幸は発生しますが、中小企業の借金など政府が無利子で貸し換えれば、あるいは破綻させて代済するか免責すれば済む話ですし、たまたま雇われた事業の経営者が無能か不運だったことに比べれば、納得して個人保証した事業債務の責任を負わされるくらいはたいした問題ではありません。そもそもすべきでない借金をしてまで事業を継続したことに経営者の資格を問われる理由があります。この場合、個人保証を拒否すれば借り入れができないわけですから、事業終結という話になるわけです。もちろん、借り入れでなく出資を受けることができれば話は別ですし、そこも経営者としての才覚、資質だとは言えます。言うでもなく、個人保証でもしないと借り入れができないような事業を会社組織にしたことも重大な罪です。
まあ、それにしても昨今の株式会社の財務的空洞化というか創業経営者のモラルのなさは問題だと思いますが。出資金を使って雇用と賃貸で生産手段を調達しようなんて思うなよ…と。出資の法的な前提を学んだときに出資を受け入れた場合その額に見合った金融資産と現物資産を保有することが会社の前提だと知ったわけですが、実務においてはその資本金を賃金と不動産と機材の賃貸料に払うと聞いて頭を抱えたものです。それどころか出資を受けて債務を返済するという話で、出資者が気にしないのであれば良いのではあるがと思ったものです。これに比べれば、国債の日銀引き受けなど些細な問題です。
とはいえ、3.2で再論されているように、不景気(これがデフレ政策のせいで続いている)においてはこの種の「創造的破壊」は起きにくいというのは全くその通りです。まあ、そこを何とかするのも経営者というか創業者の腕なのですが、政府(いわゆる統合政府の意味で中央銀行を含む)の役割は経営者にしろ賃労働者にしろ、その機能を発揮できる状況を整えること、そして機能を発揮する上でろくでもないことをさせない規制を整えることです。加熱しない程度に景気を良くするというのは十分その役割と合致します。
3.2. 正攻法は保護政策の縮小・撤廃
一つだけ異論があります。現在環境規制や廃棄物取扱規制が強化されており、つまりは設備コストや事務コストが著しく上昇しています。これはIT化である程度解消できることですが、それにしても制度的にIT化に適しているわけでもありません。また電子帳簿法なども無暗に事務コストを引き上げています。こうした事業にとってのデッドウェイトコストは規制をリファインすることで減少させられますが、言うまでもなく中小企業にとって不利な要因になります。この点は、規制の実効性を維持したうえで、資本装備率の低減や事務コストの低減につながる制度の整理と、その制度の実施後一年を目途とした保護政策が必要と思います。これはもちろん、規制に対応せずに廃業する場合の整理資金も含めての保護であるべきです。情けない話ですが、資金が尽きて清算処理すら行えず、廃棄設備を買い手や地方自治体が処理する事例が出ています。おおむねインフレターゲットが達成された段階で、この種の改革を行うべきでしょう - 規制対応のための投資を伴うのですから不況下で実施するべき策ではありません。
「預金保険制度を撤廃すれば、たちまち銀行取り付けが発生し、システミックリスクが顕在化しかねない。」
銀行取り付けだけが問題なら、制度的に預金を日銀で引き取ってしまえばよいだけだと思います。この場合銀行法を廃止し、出資法に日銀以外の保証預金受け入れの禁止規定をおくことになるでしょう。市中銀行は、日銀に口座を持っている一般企業や非銀行金融機関と同じ位置付けになるわけです。どうせ融資以外の分野での市中銀行制度の賞味期限など尽きているので、普通に資金を借り入れて融資をする金融機関にでもすればよいことです。もっとも、統廃合で営業圏を縮小して事業効率を高めたところで、預金の受け入れと預金口座を用いた決済という特権を失った銀行がどこまで事業を継続できるかは知ったことではありません。一定の送金業務を手掛ける銀行や資金運用に長けた銀行(証券投資で食っているようなところは問題外)は生き残ると思いますが、都市銀行も含めて相当数が廃業するでしょう。
3.2. なぜか控除される中小企業の交際費
「常識的に考えれば、これらの費用を税金から控除すべき理由は見当たらない。」
では岩田先生は学会参加費は全額自己負担を通していたのでしょうか。
と言ってしまうとけんか腰になりますが、歴史的な経緯としては納得できる話ではないでしょうか。事業において要路のコネが重要だった時代があり、そのころはそのコネを獲得し、あるいは維持する費用としての交際費は十分経費の名に値したと思います。というか、あの経費控除というのがそもそも意味不明であり、ありていに言って利益率の低い事業に対する補助でしかありません。交際費に限らず、経費の控除は認めないでもよいと思います。とはいえ例えば固定資産の減価償却のような事業の実態に即した課税を行うという趣旨であれば、「控除すべき理由は見当たらない。」などというのはそれこそ道学者的な商売への無理解でしょう。むしろいかなる支出であれ、所得の計算に際しての控除の拒否は徴税側が立証責任を負うべきです。もちろん徴税側はそれを判断するために必要な資料の提出を納税側に求める権限を持つべきです。これは、マイナンバーや法人番号を用いて個別の、例えば交際支出発生時の把握をITで行い、控除を申告する際は個別の支出についての資料を電子情報として提出させ、AIでも使って不審な事例を検出したうえで双方への聞き取りなどの調査をすれば済みます。原理としては消費税のタックスインボイスと同じです。
3.2. 開発を促進するアメリカの中小企業政策
「このような厳しい審査を伴った開発研究資金獲得政策を採用すれば、無駄な税金の使途を防ぐとともに、起業に成功した企業とその企業と取引する企業からの税収も増えるであろう。」
いや、少なくとも日本では無理じゃないですかね。科研費や各種のプロジェクト研究費の状況を見る限り、無駄遣いで終わると思います。アメリカの例でも、そもそも資金提供を受けたとしても失敗する企業は少なくないと思います。日本でこれをやったら即「無駄遣い!」とツッコミが入りますが、どんなに実質的で厳しい審査をしたとしても、失敗のリスクは残ります。一方でリスクだけ低減しようとすると、それこそ実績ベースという起業におよそふさわしくない基準が出てきてしまいます。
やるのであれば、厳しく実質的な審査を行ったうえで、それでも90パーセント程度の失敗もしくは不成功は許容することが不可欠です。これがないと審査担当者が保身に走りますし、提案側にしても安全側に振り過ぎた研究開発の名に値しない提案しか出さなくなります。また資金拠出後のソフトウェア的支援(開発の進め方の指導や問題が起きたときのコンサルティングなど)も不可欠ですが、これはもちろん想定しておられると思います。ある程度はベンチャーキャピタルファームが補完してくれるはずですが、あまり頼りすぎるのも問題でしょう。また、少なくとも最初の5年はろくな結果が出ないと思うべきです。部署もベンチャーも慣れていませんし、評価にしたところでノウハウがないのでは、民間企業での経験者を取り込んだとしてもまともにできないでしょう。
とはいえ、うまくいけばそれこそ100年活用プランにはなります。
3.2. 変わり始めた日本の中小企業政策
「これらのサービスは無料・安価で利用できるサービスが多い点に特徴があり、中小企業にとって、始めやすいマーケティングツールであると考えられる。」(中小企業白書2018)
どこの馬鹿ですか、こんなことを書くのは。状況など変わるものですが、2016年時点でこれらが企業のツールとしては極めてリスキーであり、受信したデータの分析はもちろん、発信の際の適切性審査に大きなコスト(内部で行えば人件費になるし、外部に委託すれば経費になる)がかかることなど明らかになっていました。大企業のように迅速に厳格なチェックを実施できる体制を築けるならともかく、中小企業では、特にマスマーケティングやパブリシティには手を付けるべきではありません。動画配信専門サイトの利用など論外です。炎上すれば下手をすると会社が潰れます。
これらのツールが活用できるとすれば、既存顧客との連絡の維持と既存顧客を介した人脈の拡大です。LinkedInなどのそうした目的に特化したSNSもありますし、Facebookでも適切な公開設定をすれば活用は可能でしょう。ただし、そもそもお互いにそのツールを使っていないと話にならないことは認識しておくべきです。ついでに言えば、ホームページにSNSのアドレスを書いておくとまず確実に業務妨害に会います。担当者直通のメールアドレスにしろSNSのアドレスにしろ、確実に相手と知り合った状態で初めて交換すべきものです。というか、「ホームページ」にごみメール用のアドレスを書いてフィルターにかけるのって常識ですよね?
「しかし自社のホームページを使ってECを活用すればコストを削減できる。」
これは大変不見識です。決済をどうするのでしょうか。クレカですか?どのみち決済仲介業者と契約することになりますし、もちろん決済仲介業者の審査にも対応する必要があり、決済仲介業者自体の信用性審査も必要です(でないとECの決済で不正請求や顧客の機密情報の漏洩が起きます)。そうなればトータルのコストはさほど変わりません。大手通販サイトは、そのあたりの信用が一定程度担保されているから大手でありうるのです。
もう一つ、グローバル化への対応を促進するのであれば、JETROの機能は強化すべきです。少なくとも世界展開や海外展開において基礎調査を行える程度の情報は簡易に入手できるようにしておくべきですし(つまり調査部門も拡充する)、初歩的なコンサルティングも充実すべきです。さすがに海外進出の評価でコンサルティングファームに億単位の報酬を支払える中小企業はないでしょう。単なるレビューだけでなく、実データも分析のために入手できるようにし、かつ基本的に無償かつ無条件で配布すべきです。最低限、海外進出のサポートを提供する経営コンサルティングファームが事業妨害を訴える程度には充実しないと、リスクを低減できません。
3.2. 生産性向上のための事業承継のあり方
「地域金融機関の怠慢」
それはそうなのですが、金融機関にそんな期待ができますか?
とはいえ、事業承継自体を重視する必要はない、買う価値のある事業であれば買い手が現れるから、そのマッチングを重視すべきだというのはその通りだと思います。もっとも頑張った挙句にサドンデスという事態は発生しうるので、その時に臨時に事業を管理し新しい経営者に渡す仕組みはあってもよい気がします。そんな事態を起こすこと自体経営者として怠慢ですが、この種も含めて危機管理は公的機関の役割ですし、中小企業の場合危機管理能力はさほど高くないでしょう。地裁か自治体の管理する仕組みということになると思いますが、相続人なり関係者の申し立てに基づいて、倒産に伴う再建と同じで管財人的なものを選任して相続人や生きている出資者(合資会社の場合有限責任社員ということもありえます)、債権者と協議しつつ経営者候補を探し、承継を進めるわけです。もちろん希望があるなら事業買収もあるでしょう。無理という判断になれば、そのまま管財人の下で清算手続に移行します。
4.1.1 生産性は低いが賃金は高いという矛盾
「年功序列賃金制は、…生産性が低下した高齢社員の賃金に移転する仕組みである。」
いやまあ、定年近くまで勤続によって生産性が向上する、あるいは少なくとも低下しない場合は正当化はできますけどね?事業の特徴からしてそう言えるのであれば、変な評価のコストをかけるよりは制度として固定してしまった方が安上がりですから。
なので、労働法制としてはともかく、個別の事業組織における制度としては非難するいわれはないと思います。そして、現行の狭い意味での労働法制自体には長期勤続を優遇する制度はありません。それがあるのは慣行と税制においてです。
4.1.2 派遣3年ルールの存在理由はあるのか
「非正規社員の仕事を通じた熟練化を妨げる原因になっている。」
これはばかげた話です。そもそも派遣先での仕事を通じた熟練化が必要ないからこそ(派遣元などの外部組織なり外部機関なりでの習得によって必要な技能水準に達していることが前提)派遣を認められているのだと思います。もちろん派遣3年ルール自体には存在理由はないですが、派遣元の都合で別の人に変えることも可能なので、熟練が必要なのなら任期付きでもよいので正社員として雇うべきです。ちなみに任期付き被用者にも3年ルールや5年ルールがあります。
もちろん、労働者にしろ実質的雇用者にしろ、派遣元というバックアップがあることを望むことはあり得ます。労働者にしろ、事業終結に伴い解雇などというのはあまり想像したくなく、それなら労働者派遣事業者に雇用されて派遣された方が良いという判断はあります。しかし本来、そのような仕組みとしては職業安定法の労働者供給事業があるわけです。労組のあほたれどもがまじめに仕事をしていないにしても、基本的には職業別ないしは産業別労働組合地域単組の方が、労働者派遣事業という企業体よりはましなバックアップになりうると思います。
「非正規社員のスキルがアップして、自らに取って代わられることを防ぐ」というのは、少なくとも労働者派遣については曲解もいいところです。これが任期制従業員の更新制限の話であればそう理解する余地がありますが、派遣と言ってこれは法学部の大学院にでも行って労働法制と実務を勉強してこいというレベルの間違いです。「名誉教授」のタイトルで政策提言をするなら最低限制度面の知識は十全にしておくべきで(だってそのあたりの知識についてはいくらでも解説本が出てるのですから)、そこらの経営者団体のトップのレベルの知識でどうこう言うべきではありません(もちろん経営者と名乗る人たちがいかに無知であるか、物事を勘違いしているかと言っているわけです)。もちろん任期制従業員についても、「一定の事業の完了に必要な期間を定めるもの」という設定があるわけで、事業が完了した時点でスキルであれ何であれ事業の全体でその労働者が必要であるならば期間の定めのない雇用に転換すべきということです。そもそも現行法制度における期間の定めのある雇用とは労働契約において一定の期間の経過後労働契約が当然に終了する雇用のことで、使用者にしろ被用者にしろ任期内の労働契約終了を形式的に規制するものですらありません(任期制雇用と言う場合、任期内に解雇ないしは退職するとペナルティがあるイメージがありますが、ないのです: 任期内の解雇については、当然判例上の解雇原則が適用されるでしょう)。そして期間の上限は、自動更新も含めて長期にわたる拘束的な雇用を避けるためにあります。制度上は、解雇は自由なのだから、任期を更新するなら期間の定めのない雇用にしてくださいということになっているのです。つまり、判例上の解雇原則だけ置き換えればすむのです。
また派遣切りの個別事例を持ち出していますが、当然ながら個別事例の印象論に基づく安易な批判は避けるべきです。事務室で仕事をせずに終始ダンスを踊っているような従業員を解雇せずに派遣切りをしたのは、ある意味大学経営部の怠慢です。もちろんそうした職員も含めて長期の雇用を提供する条件があるというなら別に解雇する必要はないのですが、それこそ財務的な制約から職員全体に長期の雇用を提供する状況にないというのであれば、それなりの適切な手順を踏めば解雇自体は可能ですし、単に監視がないから怠けているというのであれば他の正規職員の目のある部署に配転すればよいだけのことでしょう。どう見ても経営者の無能の事例です。それを解雇規制の問題にするのは、不見識だと思います。端的に言って、学長か事務長あたりにチクればいいじゃん、それで解雇できないというなら学長や事務長、理事長が無能なんだから理事や他の教授に訴えて解任して、まともに仕事をする経営者を招けばいいでしょ、ということです。このエピソードに関しては、あなた教授とはいえ従業員だから経営には責任はないとか思ってたでしょ、そんな無責任な人が何を言うのかな、と思います。
というわけで、派遣雇用の期間制限の撤廃は全く不要です。整理解雇四条件の撤廃が前提になりますが、運用、つまり紹介予定派遣と任期付き雇用および期間の定めのない雇用の組み合わせで解決できます。また整理解雇四条件が撤廃されない場合でも、一定の合理的な事業期間を設定することで任期付き雇用で対応が可能です。むしろ必要なのは、収入以上に大規模な組織が必要とされる事業の整理でしょう。大学の例であれば、学部や学科、あるいは教員や学生の数を減らせば正規の事務職員だけで事務を賄うことは可能です。あるいは事務手続を簡素化してもよいし、IT化してもよいでしょう。また教員を補助する事務職員については教員が外部資金で賄う(つまり教員に任免権もある)こととしてもよいでしょう(とっくになっていそうな気がしますが)。米国などまさにそうなっています。金食い虫の割に外部資金の稼ぎ(=本部への間接経費の献上実績)が悪い学部や学科は廃止にし、教員は解任するわけです。学問の府としてどうかとは思いますが、それだって事業体ではあるわけで、授業料だけでは全く足りない以上ちゃんと稼いでこないといけませんよね。それが嫌なら、基金が豊富で稼ぎが悪くても十分な環境を提供してくれるところに職を求めるべきですし、それが雇用の流動性というものです。
整理解雇四条件は確かに厳格に過ぎるので、撤廃というか、判例変更なり解雇条件の条文化が望ましいでしょう。とはいえ、その場合バランスが取れるような解雇手順と金銭的補償、解雇という望ましからざる事態を発生させることに対する社会に対する保険が必要です。金銭的補償についてはすでに議論もありますし、岩田氏も触れています。また雇用保険側での解雇乱用防止策や解雇一時金の確保にも触れられています。しかし解雇手順については触れらていません。冷静な経営者なら、従業員に適宜経営状況や事業方針を報せつつ事業規模の縮小や事業の転換によって発生する余剰人員について適切な条件で希望退職の募集や転職先の斡旋をすることもできるはずですから(本来の意味でのアウトプレイスメントサービスになります)、それがない状況で整理解雇というのは経営者に責任があります。解雇の順序を内規か労働協約に定めておくことはもちろん、監督当局に適切な報告をするべきです。米国なら普通にやっていることです。個人的には整理解雇を行う時点で全従業員を一律に解雇すべきだと思います。それが嫌なら、法的な事業再建手続を取るべきでしょう。ちなみにリベラルの経済に関する無知を言うなら岩田氏については労働法制に対する無知を非難せざるを得ませんし、従業員を雇って(つまり経営者の指揮監督下で動く役務提供者を使って)事業を行うことを当然視している時点で、古色蒼然、時代遅れというしかありません。今時は物も役務も中で賄うものではなく外から買うのです。役務提供側でそうすることに意義があるというなら別ですが、時代遅れの自前雇用モデルにしがみついている経営者など、致命的なことになる前に事業を売り払って退場するべきでしょう。
次節の余談についても、コアな業務について自分と信頼できるパートナーや補助員(これは雇用でしょう)で当たり、どこかで削減するかもしれないようなことは外部サービスを利用すれば、余談にあるニュージーランドの借家と同じ条件になります。その分の雇用はサービス提供者の方で適切な規模で賄われるわけですから、それなりに安定した雇用が発生するでしょう。派遣労働など必要ないというか、一時しのぎをするための最後の手段です。
労働契約の自由化は、労働協約が前提と思います。つまり個人としての労働者ではなく職種労組、産別労組と労働協約を結ぶのでなければ、自由化すべきではありません。もちろん職種労組や産別労組は、時間単位を含めて適切な労働者供給条件を明示する必要があります。これは法制化すればよいでしょう。もちろん労働組合「等」については法律で厳格な規制をかけ、それこそ戦時法制反対ストライキなどということができないようにしないといけません。別に労組と反対運動で人員が被っている分には構いませんが、目的をごちゃまぜにすることに問題があるのはすでに明らかになっていることです。どうもこの種の議論を見ていると経営者は労働者を身内だと思っているように思われるのですが、労働基準法が解雇自由の立場を取っていることからわかるように、労働者は事業の外部のステークホルダーです。そもそも身内を整理解雇するという時点でありえないわけで、整理解雇ができる以上身内ではないのです。であれば労働契約は労働者が十分なバックアップを受けた状態で行われるべきで、そこらから適任と思われる人を引っ張ってきて労働契約をするなどという方がおかしいのです。外部から確認できる労働者供給条件と明確な労働協約があれば、人員の入れ替えや増減、あるいは労働者供給の終了についての予見は可能でしょう。裁判に任せるからおかしなことになるというのはその通りですが、本来整理解雇四条件が判例として成立した時点で法律に取り込まないといけなかったのに、それこそ正当事由や解雇避止義務をルール化することを嫌がってサボってきたからそんなことになったのです。経済研究者としてはともかく、政策提言者としてなら岩田氏にはこのサボった件について一定の責任があります。アベノミクスに解雇規制の透明化を入れておけばよかったわけです。もちろん労働側が反対した面もありますが、経営側だって条件を譲らなかったわけで、ここで経済がわかっていないのなんのと言っても仕方ありません。というか、おそらく岩田氏もご存知の通り、問題が顕在化してから最低30年経っているわけです。経営者側からの提言から数えれば40年でしょう。政労使がいかに無策で意固地かわかろうというものですし、そこで規制改革と称して使の立場で強行突破を図ってきた政がどれだけ労側のエージェントや普通の人の信頼を損なったか、労やリベラルを馬鹿扱いした経営者側エコノミストがどれだけ問題の解決を阻害してきたか、学者でなければ容易に理解できるというものでしょう。企業と職種労働組合が労働協約を締結し、それを公権力が監督することで、経営の自由度を確保しつつ労働者の保護を図ることができるはずです。
また、明文化されるような客観的な技術開発ならともかく、労働訓練は本来企業の分担ではありません。職業訓練機関や職種労組の分担です。そこを企業に任せると、せっかくの労働のノウハウが企業内に固定化されてしまいます。これは技術の進歩を阻害しますので、企業は労働組合と協議して希望する訓練を明文化するべきですし、労働組合はその基準に適合した労働者を企業に供給するべきです。この点は労働者派遣契約や業務委託契約で当然に行われることです。できない理由がありません。管理職についても、職種労組や専門職組合であれば管理職向きの人材もいるはずです。
どうしても労働組合を介さない身内として迎え入れたいなら、パートナーなり経営幹部扱いなり、方法はあるわけです。なんちゃってであれ株式会社で株主が取締役を任じて問題があるわけがありません。唯一問題がるとすれば個人事業で番頭を据えるケースでしょうが、それはそれで専門職組合の担当という気もしますし、身内の番頭が必要なら上手に切り分けてパートナーシップにするのでもよいわけです。この意味では、会社法か民法を改正して、法人の類型に社団、財団、組合と並んで(有限責任)パートナーシップを加えるとよいかもしれません。もちろん、ちゃんと整理できるのなら合同会社で構わないでしょう。
基本的には、労働を売るという歪んだ形は消滅させる方向で考えるべきだと思います。自由契約というなら、役務の請負契約で十分ですし、市場原理も働きます。単純に委託側の経営者が無暗に指図することができなくなるだけです。それこそ新型コロナウイルス感染症対応でリモートワークなどという話が出ているわけですから、対応は可能でしょう。そもそも大学教員など授業に対する業務委託契約でよいわけで、そこで週何コマで設備としてこれを提供するで済みます。これなら大学に間借りする教員が秘書を自前で雇って連れてきても問題ないでしょう。外部資金の獲得についても契約の中で定めておけば済みます。そして、これならわざわざ休暇願や出張申請など出さなくとも(休講の告知はしないといけないかもしれませんが)、調査でも発表でも自由に行けます。その代わり、教授会はなくなりますし学部長選挙もなくなります。教員は自分たちで教員団体を結成して、理事会と交渉することになります。また労働条件規制についても、全労働を一律に規制することが不適切であることは明らかになっているわけで、専門職団体が監督当局と相談しながら緻密な積算基準を整備したうえで、受託側が引き受ける業務の見積もりをすれば事後対応で十分です。
これが適用できないのは単純労働ですが、将来的には機械に任せるとして、当面は雇用契約で対応することになります。とはいえ事務が外部委託された状態での単純労働なので、制度面では非常に簡潔になるでしょうし、規則に基づく運用も容易になるでしょう。組合組織だって既にあります。つまり米国大企業のマニュアルワーカーの形態です。
4.2. 監督
この話が出てくるのが岩田氏の誠実さであり、適正な規律に基づく合理的によく監督された自由競争ということになります。
例によって驚いた話として有数の大企業ですら労基の調査が入るまでサービス残業が一般的だったと聞いたというのが出てきますが、むしろ大企業の本社を含めたサービス部門でサービス残業が一般化していました。普通のマニュアルワークの場合、法律に則った労働管理に習熟しており、また作業標準化が高度に成されているため作業時間の見積もりも正確です。またシフト制を敷いている場合などは、とにかく交代して配置を空けないといけませんし、通勤手段もシフトに基づいて提供されていることが多いため、時間に正確になるでしょう。これがサービス部門では全く成り立ちません。労働管理自体は認識しているわけですが、作業時間の見積もりが全くあてにならず、かつサービスということで割込みもよく入ります。つまり、通常の勤務時間中に仕事が進められないこともあるわけです。本来これに対応するのが裁量労働制なのですが、導入にはそれなりの手順が必要なこともあり、積極的に対応したところ以外は導入が遅れたようです。また裁量労働制と言ったところで深夜勤や早朝勤を勝手にやってよいわけではないのですが、労働者側の理解が欠けていた事例もあります。つまり、午後11時ごろの退室記録が残っていて問題になるといった事例です。また裁量労働とはいえ月単位ないしは期間(例えば繁忙期間)の中で労働時間や出勤日数のチェックは行われるのですが、このあたりの認識が欠けていた事例もあります。また休日出勤の代休未取得が問題になった事例もあります。ろくでもないのが、そもそもワンオペ状態であるために定休以外の休みが取れないパターンでしょう。
こういうことがあるので、政府系機関も含めて労働実態の監督は極めて重要です。働き方に規制がかかるため裁量の広い労働者からも評判が悪いのですが、これはどちらかと言えば、そう思うのなら業務受託で死ぬまでやってくれ、労働契約という形を取るなという話です。また一時期問題になったように、超過労働は一種の労働ダンピングです。競合にとっては同じ給料で倍の時間働く従業員のいる相手は悪夢でしょう。おなじ労働時間で生産性が高いだけならまだ納得するでしょうが、時給が実質半分になるのでは競争の条件がおかしいとも言いたくなります。そこを監督機関が統制することで、正常な競争環境が成立します。当然、変な条件で労働しようとする労働者も監督の対象です。
もっとも日本はどうもリーダーの風儀が悪く、研修を受けているはずなのに深夜作業や長時間労働に忌避感がありません。個人的な経験では、「だって人員の割り当てが他にないんだからその人にやってもらうしかないでしょう」と言われたことがあります。だったら追加の費用を上長や経営者と交渉するなり外部資金を取ってくるなりして自分で取って来いという話です。しかもこういう輩に限って、監督側と会うのを嫌がり、仕事にかこつけて逃げ出します。挟まれた側の身にもなって欲しいものです。
5.1.3税逃れはマイナンバーで防ぐ
著者の岩田規久男氏は本来エコノミストなので仕方ないのだと思いますが、マイナンバーだけでは「所得」の把握、つまり税逃れの防止は困難だと思います。もちろん高額の決済は銀行口座を通じてなされることが多いのでマイナンバーで把握できることが多いでしょうが、税逃れの場合現金を媒介とした取引も無視できません。また口座での決済やマイナンバーの活用は、現状参加者のコスト増が忌避されていないでしょうか。
マイナンバー制度を公正な徴税に活用するなら、市中銀行口座からの納税を禁止し、マイナンバーおよび法人番号と紐付けた日銀口座を全ての決済に使用できるようにすることが必要だと思います。もちろん政府からの給付もこの口座に入ります。現状銀行振込で行われている給与支払もこの口座に集約します。現金で支払うが特例として銀行振込を認めるという制度を日銀納税口座への入金のみとするだけです。すべての決済という以上少額決済にも使うわけで、決済手数料は課すべきではありません。市中銀行が営利事業の一環として行う決済だから手数料を取ることになるわけで、市中銀行でも十分なメリットがあれば資産管理パッケージの一環として手数料なしは実現できていますし、それが中央銀行であればコストは政策経費として賄うことができます。税金として取るか、手数料として取るかの違いしかありません。外国との取引には適切な市中銀行口座に資金をプールないしは移動することが前提になりますが、このプールや移動、あるいはその後の資金の動向は把握できますし、貿易商でもない限り手数料のかからない決済手段がある以上小口取引や資金移動に手数料のかかる市中銀行口座の利用は避けると思います。

行政実務家としてはあまり問題ないと思いますが、少なくとも岩田氏には政治家の適性はないと思います。プラトンやアリストテレスの時代ならともかく、現代の政治は議論ではなく説得と調整が機能です。自民党や民主党(当時)の政治家に自説を説明して、理解できたのが安倍晋三元首相だけだったという話が出てきますが、書いてある内容を見ると説明ではあっても説得では全くなく、平易ではあってもひたすら合理的に自説を主張している、あるいは学者的なシンポジウムをしているだけのように見えます。これは現代政治の実践において説得とは言わないのです。正解があってそれを理解できないのは頭が悪いと決めつけるのでは、官僚は務まっても経営トップや政治家は務まりません。
もっとも、岩田氏が設定したシンポジウムを聞いて、そこでわからないと投げ出した石破氏の対応が事実だとしたら、さすがに問題はあります。これをやってしまうような人だとすると、理解できない話が出てきたときにスタッフ、ありていに言って担当省庁の官僚に丸投げしてしまう可能性があります。わかるように説明しなおさせるべきです。とはいえ、石破氏としては、その時点で経済対策の重要性を意識していなかったのかもしれません。そこは、前提として経済対策の必要性から説かないといけなかったのかもしれませんし、それこそ岩田氏がにおわせているように不見識だったのかもしれません。とはいえ、「ロケットモーターが落下してはいけないなどという話は聞いていなかった」レベルの不見識は今や蔓延していますので、そこで苛ついてしまう岩田氏も大人げないとは思います。とはいえ専門家にはままあることですね。

最低賃金の話ですが、確かに最低賃金というのは生存に必要な程度に達しない水準の賃金を禁止する目的の制度です。しかし一方で、雇用によって事業を営むのであればどのような労働者でもこの程度の生産性を実現できるだけの条件を整えよという話でもあります。そもそも条件を整える前提が成り立たない不況下はともかく、最低賃金を上げることは適切な水準に達しない労働に基づく事業に生産性向上の規律を与える、あるいは雇用以外の形態に移転する効果はあると思います。もちろん実体としては雇用の減少につながるわけですが、安く上げたいなら今時アウトソーシングの方法はいくらでもありますし、人を雇う条件にないなら一人で事業をするのは当然です。それこそ機械でも役務でも買ってきて使えば、今なら社長だけで事業をすることも可能でしょう。逆に雇用のある事業が最低賃金レベルを割り込む賃金しか払えない場合は、そもそも事業としての生産性が低すぎます。部分的な解雇で人員調整をしてもよいですが、基本的には全員を解雇して個人事業とするべきでしょう。高卒初任給が時給換算で千円程度のようなので、ここまでは全国一律に上げるべきです。その上で、5年程度の期間で時給3000円まで上げる余地はあるでしょう。それ以下、つまりフルタイムで働いて年収600万円に届かないような低賃金は、雇用として満たすべき水準に達していないと思います。それで「完全雇用」に達したとしてもそれは不備のある劣化した雇用です。労働者には速やかに転職を斡旋すべきですし、経営者は事業を続けたいなら機械でも役務でも何でも使うだけのことです。まあ、こういうことを言う私は人の心がないわけですが。

グローバル化に伴う本質的なリスクは、2020年後半に顕在化しました。つまり、シングルポイントオブフェイルアーが多いのです。典型的なのが2020年に発生した半導体枯渇ですが、もうひとつ、2020年にはコンテナ不足が発生しています。つまり、詰める荷がないのでコンテナが動かず、本来他所から送られてきたコンテナを利用するはずだったところでコンテナが足りなくなり、発送できなくなったわけです。移動と通信が安定的に確保され、場合によっては遠隔地の製造者が稼働していることがグローバルサプライチェーンの前提ですから、例えば感染症の流行によって工場が稼働を停止したり航空機の搭乗員や船舶の乗組員が上陸を拒否されて動けなくなると、全体が滞ります。今回は世界的な流行でしたから、代替経路もありません。まさに事業が止まります。
それこそ食糧自給論者の類はこの類の問題を重視します。何かあって供給が途絶えたら困る、だからアウタルキーができる状況を作っておくべきで、貿易への依存などもってのほかというわけです。個人的にはそこは危機管理制度の問題で、当座の危機をしのげるようにしておいて中期的な対策を考えればよいという点では岩田氏に同意しますが、貿易途絶くらいで日常が破壊されてはたまらないというのもまた見識ではあります。岩田氏の指摘の通り、そうなると日常はどうにも貧しいものになる気がしますけどね。まあでも、極論すれば井戸を掘って太陽光発電パネルでも置いて家庭菜園で主食をイモにして自給自足というのも考え方ではあるわけです。
だいたいにおいてモダンなシステムというのは精密機械のようなもので頑健性に欠けます。それこそ頭の良いど素人がよくそういう冗長性のないシステムを作るのです。システム設計論にはそういった頑健性を評価するための知見もあるのですが、実際に作り込むとなると頑健性を重視すればコスト的に引き合わないことも少なくありません。そこで緊急対応措置や縮退運用などを用意しておいてとにかくやり過ごしつつ挙動を正常化したうえで、事後的に原因究明を行い、必要なら新たな対応手順を整備します。近年はBCPやDRを策定する組織も多く、一定の知見は蓄積されていると思うのですが、時間もコストもかけられないのでとにかく作りましたというものもよくあり、読んだだけで役に立たなさそうなのがわかったりします。この点では外部委託というのはフラジルで、委託先のトラブルで大騒ぎになることは想定しておかないといけません。例えば日立とNTTデータが先日トラブルを起こし、クライアントが大迷惑を被りました。AWSもたまにトラブルを起こしています。漫画家やイラストレーターのパソコンがとんで入稿が遅れるというのもこの事例になるかと思います。
また国会が官庁をブラック企業化しているという批判がありますが、そもそも与党側が野党を無視するのが通例になっているために質問通告がらみの嫌がらせなどを受けるわけですし、質問通告を受けてから官僚に相談しているような大臣がおかしいのです。まともな職業人なら打ち合わせなどに際して想定問答集くらい作るものですし、官僚が関与するべき(つまり省庁の公式見解として調整を行うべき)重大な内容であれば質問通告を受けないとわからないなどということはないはずです。一方で深夜まで拘束される警備員や速記者は気の毒ですが、こればかりは代休あげましょうねとしか言いようがありません。もちろん質問で重大な問題がわかって大騒ぎということはあり得ますが、その時点で官僚としてはミスをしていることになります。公式見解が必要になるような重大な問題を見落としていたわけですから、良くて訓告の上降格でしょう。もちろん、閣僚のスキャンダルについての質問であれば官僚が答弁を作成するのは筋違いです。つまり仕事の進め方を間違っているわけで、勝手に野党はルールを守れと言っても仕方がありません。また関係して、霞が関がらみの残業については、官僚の無能が明白な原因です。彼らは仕事の段取りが非常に悪いのです。このため、例えば先日、「休日の営業規制を金曜夕方に出すな、もっと前もって出せ!」と小売業者などが苦情を言いましたが、その程度のことすらできず、まして自分たちではできないような高度な調査をコンサルタントに発注する場合も、報告書のドラフトが出てきた日の午後5時前後に「この点について補足して今日中に」などと指示するのです。総務省すら、地方自治体が業務についてどの程度の処理能力があるのかを把握していませんし、事前に相談する機知もないようです。仕事の段取り方と言えばそれこそ新人研修でガイドラインを教わるようなもので、事務官としてそれができないのでは勉強はできても無能としか言えません。この点については、働き方改革以前に人事院は公務員試験の内容と公務員の初期研修の内容を見直すべきです。
このような、社会人として常識でわかるような話から正当事由という考え方が出てくるわけで、それをどう書くかは法技術の問題です。常識でわかるでしょでもよいわけですし、その時点での合理的な落としどころをきっちり書き込んでもよいでしょう。それこそ米国の著作権におけるフェアユース規定みたいな考え方もありなわけですが、現状では審議会でしっかり揉んだうえで書き込む方が良い気はします。
ちなみに岩田氏は正当事由の予測不可能性を批判しますが、米国著作権法のフェアユース規定とその運用は非常に見通しが効きづらいことで有名です。もっとも、だからこそ大事な局面での確定判決が重大な意義を持ちます。英国の憲法的法律と同じで、時代によっても変わっていきます。
国会に関して迷惑なのは、年度当初予算案の審議が3月までに終わらないことでしょう。とはいえ、確かに野党がごねるためではあるのですが、そこをうまく落として期限内に通過するような予算にすることも内閣の仕事です。どうしても全体が通らなさそうなら、与野党協議で補正予算審議で対応することにして通せるものを通すことも可能なはずですし、その交渉は通常国会開会の時点でできるはずです。つまり2月初めには落とす項目の影響を受ける関係者に連絡して、年度途中での対応ができるように準備させておくのが筋です。時間切れを狙って強行採決しているようでは、野党の時間切れ廃案狙いの審議遅延策と同レベルです。

■2021年08月07日(土)  選手賭博でも露見したのかと思いました
野球、金かけ米国と決戦 新体操やレスリング 7日の放送予定
「野球、金賭け米国と決戦」かと思いました。そう、金(きん)メダルをかけて決戦ではなく、日本チームのスポンサーなりチーム自体なりが金(かね)を日本の勝ちに賭けたと読んだわけです。

■2021年08月07日(土)  不当労働行為に対する規制も入れるべきではないですかね
上場企業の取締役「1人は女性に」 ナスダックが新規則
上場企業に対する規制なので、これはありなのです。さすがに会社たるもの須らくバランスの取れた経営組織が必要だなどと言われたら馬鹿かと思いますが、上場して不特定多数から資金調達をする、あるいは経営が不特定多数からの関心の対象となることを選ぶというのであれば、それなりのバランスは考慮する必要があります。
とはいえナスダックの位置付けからすると、取締役会に労働組合からの代表を加えることも原則化した方が良い気がします。さすがに最近のテック企業のおいたは目に余ります。

■2021年08月07日(土)  公共の場の安全確保は代替策がない限り合憲
ワクチン義務化「合憲」、仏で司法判断 飲食店の客にも
法技術的には合憲とするしかないと思います。本来店単位で入店コードを明示させることが望ましいと思いますが、それは店という空間が経営者のプライベートなものになることを意味します。つまり嫌いな国会議員は入店しようとしたらつまみ出してよいということになりかねないわけで、支払さえ可能なら誰でも入れるというパブリックな場として維持することを考えると、義務化は止むを得ないでしょう。
とはいえ、変なところでバランスを取られても困るわけで、フランス政府はデリバリーの強化をするべきだと思います。それも置き配系です。配達人が感染したら困りますからね。ワクチンを打ちたくない人といえども生きていく権利はあるわけで、都市部で店、飲食店にしろ売店にしろ商店から排除されたら、生きていけません。公共の場に出入りする上でのワクチン接種の義務化は反対派を公共の場から排除することになるので、必要最低限の環境整備は必要です。コミュニケーションだけなら電話でもネットでもよいのですし、決済も電子的にできますが、購買だけはどうにもなりませんのでね。

■2021年08月06日(金)  場の効果としては逆じゃないですかね
言葉に支配される人間 体の共鳴、情報技術に明け渡すな
「人と会えない不満がたまりつつある。」
これはさっぱりわかりません。とはいえ
「心を読むのに言葉は要らないということだ。」
というのはある程度分かります。それこそ日本語で空気を読むなどと言いますが、そのあたりも含めてノンバーバルコミュニケーションというのはあるわけです。
とはいえ「体の共鳴」ではあまりにオカルト的です。というか、むしろ雰囲気に酔って踊り狂っている様子が浮かびます。それよりはネットの技術討論サイトの方がよほど冷静でしょう。声でも、多数に向けた声というのは過激化しやすい気がします。古今東西の政治演説を見ればわかるように(いや、最近の日本の閣僚の国会答弁は例外でしょうけど)、過激なデマゴーグ、そしてその結果として言葉による支配のオンパレードです。これこそが体の共鳴というものでしょう。むしろこれを感覚として覚えているがために、文字として客体化された言葉ですら魔術化されるのではないかと思います。

■2021年08月06日(金)  だから40年も失う羽目になる
トヨタ「カイゼン」習得法 ワクチン接種にも活用
こういう話をしているからいつまで経っても景気が良くならないし労働環境も改善しないのだと思います。
カイゼンメソッド自体は技術的に作業標準化活動の成果を踏まえたものであり、技術としてはまっとうで、だからこそ効果が上がります。問題は、カンバンシステムと合わせて柔軟性を導入したことと、過度に現場作業を最適化するために産業全体の標準化から逸脱してしまったことです。このため労働力の企業間移動にハードルが出ますし、作業者の負担も増えます。そもそも経営側の要請する最適化に従属するため経営と組合が癒着しがちです。つまりある意味ブラック企業は軽率にカイゼンメソッドやカンバンシステムを誉めそやした経営評論家が生み出したとも言えるわけで、遠からず残念な技術として断罪されることになるでしょう。産業心理学から発達した残念技術であるメンタルマネジメントと併せて、個人的にはこんなはずじゃなかった技術ランキングのトップ5に入ると考えています。おそらく残念さで言えば原子力よりも上でしょう。失われた40年の元凶の一部です。

■2021年08月06日(金)  そりゃまあ、アメリカの貧民街で子供がやってるような遊びなんですし
危ない、うるさい、壊れる…スケボー金メダル連発で公園は変わるか?
とはいえ危ないのは事実ですからね…自転車やジョギング、ボール遊びだって公園では規制されるわけで、プレイヤー側でスポンサーを募って利用のハードルの低い施設を整備するしかないと思います。スケボーの競技者層があまり評価されていないのは出自が下層階級の遊びであるだけに仕方ないので、これも競技者側で反例を示すことが求められるでしょう。
というか、近代オリンピックって野球だのサッカーだのから始まって競技が全般的に貧乏くさいというか、貧乏人臭いと思います。金持ちの遊びから発達した馬術障害や弓術、射撃などはあまり着目されませんね。
なお、AI(と最低生活費保障: BI)によって労働が必要なくなっても「他人から認められたいという「承認欲求」もまた消えることはなく、人々は労働によってではなくスポーツなどのゲームに勝つことで承認欲求を満たすことになるだろう。」というのは井上 智洋氏「AI時代の新・ベーシックインカム論」からの引用ですが、言うまでもなく勝つことで承認欲求を満たすのは実際にプレーをする人であり、評論家は言うまでもなく観客もその主体ではありえません。つまり他人のプレーに入れ込んでカタルシスを得るなどというのは下賤な趣味として排斥されるのです。プレーヤーの妙技に感心するのとは全く異なるものです。サッカーの観衆が対戦相手の応援団と乱闘したり国際大会でことさら「がんばれニッポン!」などと叫ぶことがどちらかは、言うまでもありません。というか、スケボーでも技を磨きあげて自らが認めた他のプレーヤーに認められることが承認なのであり、そのために技を磨くための設備が必要なのです。スケボーの練習をしていて、公園でしゃがみ込んでアリを観察している生物研究家を轢いたりしたら目も当てられないので、ローラーブレードなど他の種目と共同してでもよいので、是非各地に多くの人が自由に使えるグラウンドを整備してください。
というか、日本語はどうも適切な言葉がありませんね。私の語彙が貧しいこともあるのでしょうが、自らの関心の赴く先として特定の種目に関して技を磨くわけなので、これは本来競技ではなく自己の発達です。ところが、現代日本語ではそうした自己充足的な行為すらも「競技」、つまり技を競うと名付けてしまいます。施設だって競技場です。競うことが本質ではないのですけどね。かと言って体育でもないでしょう。そこまでまじめなものでもないわけで、それこそ字義通りの音楽のように、曲を奏でることで自らが楽しむ、同じように運動をすることで自らが楽しむという視点が「体育」という言葉には決定的に欠けています。「運動」ですら道学臭が漂うことを否定できません。施設に関しては、運動場はまだましですが範囲が広すぎ、競技場では目的がずれ、スタジアムなどなお悪質で少なくとも日本語の単語としては観客席の存在が前提になります。

■2021年08月06日(金)  あれだけ株価が高騰すれば黒字にもなるでしょうよ
厚生年金・国民年金の収支、昨年度は過去最高の黒字
そりゃあれだけ株価が高騰すれば運用益は相当出るでしょうね。国内運用分については日銀様様でしょう。
とはいえどう見ても過大評価なので、景気が良くなり始めた時点で下落するものとしてヘッジをしておくべきだと思うのですが、まさかそのまま指数連動型投資信託で持っておいて市場と心中などしないでしょうね?

■2021年08月05日(木)  厚労省の政策の結果不足してることを理解していますか
厚労相、入院制限の撤回応ぜず 「医療、無尽蔵でない」
「医療、無尽蔵でない」
これは厚生担当閣僚の言葉としてはおかしいのであって、必要なだけの医療の規模を確保することこそが厚生労働省の責務のひとつでしょう。ここ40年ほどそのあたりを倹約して、その結果見事に失敗したのにこの言葉が出てくるというのは、もちろん当面の政策という面はあるにしても、担当閣僚として無責任でしょう。新型コロナウイルス感染症対応については経済や民心を懸念してまさにその医療を無駄遣いしてきたのがここ2代の政権の施策です。反省もない、責任感もない、これでは叩かれて当たり前です。きっとサンドバッグのように頑強な神経をお持ちなのだと思います。

■2021年08月05日(木)  この状況で脇の甘い人を据える場合、よほど周囲が気を使わないとスキャンダルで火だるまになりかねない気がします
デジタル庁事務方トップ、伊藤穣一氏で最終調整
デジタル庁事務方トップに伊藤穣一氏を起用か MITメディアラボ元所長、性的虐待疑惑の富豪から資金提供受け辞任の過去も
MITである意味甘やかされてきた人が、日本の省庁で事務方のトップが務まる気はあまりしませんけども。というか、このタイミングでこの起用というのは、要は仕事ができればスキャンダルがあろうがかまわないという発想なんですよね?

伊藤穣一氏の起用見送りへ デジタル庁事務方トップ
まあ、そうなるでしょうね。とはいえこれで早速失点一です、平井さん。

デジタル庁の事務方トップ、一橋大名誉教授で最終調整
いやまあ、学術会議の副議長を問題なく務めている時点であまり変なスキャンダルは出ないでしょうけど…こんな本を書く人かあ。まあ、センスに期待はすべきではなさそうですね。政府が税金の無駄遣いをするのはいつものことなので、IT庁とやらが無駄遣いになるのもいまさらでしょう。

「私はデジタルの専門家でもエンジニアでもない」――石倉洋子デジタル監の発言が話題に 質疑での発言全文
管理職なんでわからないことを問いただすだけの基礎知識があれば十分ですけどね。むしろ大臣の迷走を整理するのが仕事になる気がするので。
「プログラミングを学んだ時に、8週間から12週間学んだが、死にそうだった。」
まあ、向かない人もいますから。2か月学んで死にそうなレベルというのは、よほど詰め込んだのでない限りその言語のプログラマーには向いてはいないと思います。同段や次の段落にあるように、わかったところまでとにかく組んで動かしてみる、動かした結果を確認しながら何度もリファレンスを読み返すというのが、基本文法(これは一週間で覚えられなければ適性を疑います)はともかく、ライブラリの扱いを身に付けるコツだと思います。その点では、初期化や終了に大量のコードを書かないといけないライブラリは素人向けとは言えません。最近はメモリ管理の負担を減らすように言語やライブラリが設計されているので、こういう問題は減っているはずです。
まあ、でもお歳からして学生の頃にFORTRANあたりで苦労されたのかもしれないですね。Cよりましですが、FORTRANも結構お約束として書かないといけないスタートアップコードやクリアリングコードがありますから。

石倉デジタル監、有料素材のサンプル画像を無断転載で謝罪 個人サイトを一時閉鎖、Twitterアカウントも一時非公開に
デジタル監の石倉洋子氏、無断転載を謝罪 個人ブログに見本用画像
スキャンダル出ました。ググると引っかかる絵を使ったとでも言うならともかく、会員登録してサンプルをダウンロードしているのでは弁解のしようがありません。
まあ、試作したページをデプロイする時にリンクを直し忘れることはあるとは思いますので、せめて購入だけでもしてあることを祈るばかりですが、どうも「無断転載」ではあるようです。「普通はどこでも使えるようなフリーイラストを使うが、急いでやったやつがいくつか引っかかってしまった。非常に気をつけていたつもりだが、最近急いでいることもあって、持ってきてしまった」とのことなのですが、そもそもサンプル画像が検索に引っかかること、あるいは非公開目的のサンプル画像であることを承認せずにサンプル画像をダウンロードすることはあり得ない仕様のようですし、急いでやったからでは通らない気がします。普通警告が出たら、急いでいるときはまず購入しませんかね。
ところで画像配布サイト側がさらしを謝罪する事態になっていますが、確かに最近SNS以外で連絡の取れない事態が出てきています。まあ、あれだけジャンクメールが来るとメールなんていちいち見ていられない、苦情のメールなんか知ったことかという気分になるのはわかるのですが、事業者としてはサービスユーザーが問題行為を行って連絡が取れない場合さらすしかなくなります。「連絡が取りたい」という声掛けであっても、それこそ学生掲示板の呼び出しの貼り紙と同じで、SNSでやればさらしです。電話などメールアドレスを書かない場合に個人に直通の番号など書くわけもないですし、だからといって関係先の代表番号など書けばそちらに迷惑でしょう。またさらしには変わりないというか、直接の関係先になるだけに印象を気にせざるを得ません。結局封書かメールかダイレクトメッセージ化ということになります。法的な効果を期待していないが迅速な対応を期待する場合には封書はふさわしくないとも言えます。となると、まあ、ダイレクトメッセージを有効にしていなかったのが悪いよねということになります。
もっとも、登録されたメールアドレスなりダイレクトメッセージなりで事業者側の広報ばかり配信されても見なくなるわけで、オプトインにしていると言ってもなんとなくオンにチェックが入っているものをオフにはしにくいものです。連絡手段だけでなく、事業者側にはそのあたりも一定の配慮はして欲しく思います。

デジタル庁「デジタル社会構想会議」有識者委員に元MIT伊藤穣一氏
伊藤氏だけの話なら有識者であることは間違いないので問題ないのですが、むしろその後の列挙に同じ系統の顔が並んでいることの方が問題です。念のためデジタル庁の発表自体を確認したところ、見事に同類ばかり並んでいるようです。これでは審議の前から結論はわかるというもので、むしろデジタル庁の取締役会でしょう。
もちろんデジタル庁の有識者会議ですから取締役会になって悪いということではありませんが、ではデジタル庁なんて金の無駄だという意見はどこで出てくるのか。政策ありきで準備をして、デジタル社会形成基本法の考え方としては違うんじゃないのという意見はどうなのか。おそらく結局は国会になると思います。意見としてはわかりきっているものしか出てこない、国会を説得できるだけの議論もできそうにない、これでは何のために有識者会議を設けるのか、意味が分かりません。この人たちが言いそうなことは、デジタル庁にこの人たちのお弟子さんを、企画スタッフとして持ってくれば十分だと思います。

■2021年08月05日(木)  そもそも事故を起こすような現象が起きない前提だったりして
自動運転のスイカ輸送トラック、人の運転より10時間も早く1500kmを走破
まあ、アメリカですもんね。それこそ1000kmくらいサービスエリアくらいしかない地域だってあるわけで、ならば休まず走り通す方がお得ではあります。

■2021年08月05日(木)  君はもっとできるはず
Leitz Phone 1があると人は幸せになれるのか?
「最近は電話することは滅多になくなりましたが、「今さ、Leitz Phone 1で電話しているんだぜ」って誰かと一度お話ししたかったですね。」
別に、Wi-Fiとモバイルルーターを使って写メでもしたらよいと思うのですが。電話のできるライツ社製品というのは確かに見たことがありませんが、そもそもメールのできるライツ社製品もなかったはずです。USBメモリかSDカードの刺さるものはあるのですけどね。
それはさておき、なかなか意地悪に攻めています。見事に粗の出た、ピンボケ部分が流れた画像を提示してくれました。流れたからといって悪いなどと言うのは今の価値観ではないわけで、味があると言うわけです。
どういう趣旨で企画したのか見当がつかないという製品が時々ありますが、私にとってはこのLeitz Phone 1もその一つで、もう少しスマホの枠から外れた製品の方が良かったのではないかと思います。イメージセンサーの1インチはべつによいわけですが(なにも意味もなくAPS-Cにする必要はない)、この記事ではないですけども、それこそレンズを三つ大ぶりの筐体に入れる技術は確立しているわけで、ターレット式にしてもう1cm、できれば2cm幅を広くし、ついでに側面からキーボードが滑り出てくるギミックくらい入れて欲しいものです(背面がずれるのはキーボードを出さないと撮影ができないので却下ですね)。それはそうとして、今さら単機能のコンパクトカメラはあり得ない。それは理解できます。しかし、プラットフォームはともかく、どうしてスマートフォンでないといけないのか。タブレットではだめなのでしょうか。全面監修という割に、コンパクトデジカメを設計してそれを収められるようにスマートフォンの筐体を弄ったようにしか見えません。どこかでこんなものを見たことがあるなと思ったのですが、写真で見る形や色がまさにベースモデルを開発したシャープがかつて出していたアドエスに似ているのですね。でっかい一つ目のアドエス。アドエスが悪いということはなく、実際使ってもいたわけですが、ここでライカのロゴを付けたアドエスっぽいスマートフォンを出さないといけない理由というのが思いつきません。ちょうどよいサイズだったからスマートフォンに載せてみた程度の印象しか受けないのです。ライカブランドのコンパクトカメラがスマートフォンである理由が見えてきません。別にSIMを付けてデータ通信ができたって良いですが、それがスマートフォンになっている理由は思いつけません。ライツ社ならもっとスマートフォンというプラットフォームを使い尽くした、一見して保守的ではあるものの実際には尖った製品を出せるのではないかと思います。

■2021年08月05日(木)  悔しいのはわかります
「医者は診る」と高をくくる国 五輪下で都内は感染爆発
確かにそう見ているところはありますが、率直に言えば五輪を中止すれば感染爆発を抑えられたかというと、そこは反実仮想でしかありません。医師というのがそう簡単に増やせない職種である以上、五輪対応に出した人手をもって対応できたかどうかというレベルに留まりますし、まして感染症ともなれば設備の問題もあります。医師が足りていても病床が足りずに自宅療養や宿泊療養に留まった可能性もあります。
とはいえ、せめて衆議院議員総選挙の後にでも、では今回のような状況でどうやって医師なり病床なりを確保するかという議論が行われないようなら、その点は政治としては問題でしょう。もちろん呼吸器科を増やせばよいというわけではなく、日々数千人の患者が出て二週間は病床を占有するという状況にどう対応するかが問題なのです。医師にしても大学に合格してから免許を取るまで6年、一人前と見られるようになるまでは8年から10年かかるわけです。またAIだのITだのだけで済む話でもありません。診断はまだしも、アクチュエーターはようやく外科を担当できるようになった程度であって、他の科の診療内容を担当させるにはまだまだ中期的な研究開発が必要です。どんなに投資を増やして加速しても、散々失敗を発生させて10年で済めば早い方でしょう。法的にも、AIの診療の責任を誰が取るのかという問題すらまともに議論されていません。有床病院で試験的に使うのならともかく、大量投入など当面無理なのです。

■2021年08月05日(木)  ジャストサイズを着るのはフォーマルの基本でしょうね
なんかアエラスタイルでポロシャツの着こなしというのをやっていたのですが、そもそもビジネスシーンでポロシャツかいという話は昨今の風潮もあるので脇に置いておくとして、たしかにぴったりのサイズのものを着るというのはフォーマルの基本だと思います。大きすぎてダボっとしているのはだらしなく見えますし、もちろん小さくてぴったりどころか肩が詰まって見えたり袖が腕に比べて短く見えたりというのもいけないでしょう。
フォーマルというのは本来仕立てで誂えるものなので、サイズが違うということはあってはなりません。逆に大きすぎたり小さすぎたりというのが、吊るしの服みたいでみっともないと言われるのです(つまりフォーマルにおいて既製服は格が低いのです)。ですから既製服でもフォーマルに近い服ほど、サイズが綿密に設定され、袖や裾の丈が調整できるようになっています。
しかし、その番組でBad Styleとされていたダボっとしたポロシャツにキャップにチノパンというのは、実は野球観戦の定番スタイルでもあります。少なくともアメリカ西海岸では、そういう格好、あるいはハーフパンツや緩めのジーパンを合わせたいかにも労働者でございというおっさんが、腹だけ突き出して大勢うろついています。もちろんスマートな体にぴったりしたポロシャツとジーンズを着た人もいるのですが、そういう人がいるのはバークレーかサンノゼあたりでしょうかね。ビジネスウェアとしては問題でしょうけど、ファッションとしてはありなのです。そもそもオーバーサイズ気味の方が着るのが楽ではあるので、ビジネスカジュアルと言っても気持ちくらいは引き締めていかないとまずい状況ならともかく、カジュアルファッションとしてはダボっとしているというのは必ずしもまずいことではありません。
結局ファッションや着こなしというのは演出であり、そうである以上カジュアルなアイテムを取り込むにしてもTPOに合わせないといけないということでしょう。

■2021年08月04日(水)  新人女性事務員に発情してる取締役のヒヒジジイじゃないんだから
名古屋の河村市長 五輪ソフト選手の金メダル突然かじる
「最大の愛情表現だった。」
実は反省していないんじゃないでしょうか、これ。まあ、河村市長に反省という言葉は似合わないことは認めざるを得ませんが。
つまり、特に親しい関係にあるわけでもないいい年の爺さんが20歳の女性に対して「愛情表現」というのはおかしいということです。メダリストに対して敬意を表すことは差し支えありませんし、有為の若者の能力に対する好意的評価を表明することも問題ないでしょうが、愛情表現というのはそのどちらでもありません。最大限差し支えなく解釈したとしても、むしろ独裁者がパフォーマンスとして子供を壇の上にあげて親しげにふるまう類です。差支えのある場合は…止めておきましょう。またパフォーマンスとして金メダルを齧ってみるというのは通俗芸能としてはありですが、市長が表敬訪問してきた若いアスリートに対して一方的に通俗芸能を演じるというのは、顰蹙を買うのは当然でしょう。親しみを感じる人というのは少ないのではないでしょうか。旧知の老大家が勲章でも貰って、その機会に表敬訪問する際に事前に打ち合わせてそういうパフォーマンスをするというなら洒落で済むかもしれませんが、メダルや勲章に対する敬意の念が欠けているとは言われると思います(欠片も敬意を抱いていない私が言うのも変ですが)。それを最初から予想できないというのであれば、根本的なところで品性に欠けていると言わざるを得ません。
まあ、品性は政治家の条件では必ずしもありませんけどね。

就活面接で、河村市長的ハラスメントおじさんが出てきたら
何というか認定からまだまだいっぱいいること、対応方法まで、非常にまっとうです。「逆に面接でハラスメント質問などぶつけられた側は、それで社風が理解できます。幹部が堂々とハラスメントを働く社風なのです。「たまたまこの人だけがヤバい人なのかも」ということはありません。会社組織は上位者がその空気感を作ります。ハラスメントを働くような人物が偉いポジションにいられる社風なのだと理解すべきでしょう。」というのはその通りで、その上でさっさと自分から話を切ることで少数ではあるが敏感なコンプライアンス関係部署を動かすべきだというのも理解できます。なにより我慢してそんな雇い主に雇われる必要もありません。というかないようにするのが経済政策や労基の指導です。そこで我慢して雇われたとして、自分が30年後にそんなセクハラ親父やセクハラ婆になるか、就職5年目くらいでハラスメントを苦にして自殺する将来を考えれば、それがどれだけ割に合わないことかわかるでしょう。
ついでに言えば、そこまで我慢して就職なんかしないでもよいと言えることこそ、健全な社会というものです。今のところ死んでからそんな子じゃなかったとか死ぬほど辛いならなぜ辞めなかったのかとか馬鹿げたコメントが出てきますが、そもそも学校の最終学年になったら就職するものだなどという風潮、そこを逃すと色々不利などという制度を作り上げたのがこういうコメントを言っている側の人たちです。高卒ならフリーターをしながら夢を追って当たり前、大卒なら高等遊民をしていて当たり前、その上で基礎教養を付けているときには手が回らなかった資格を取るなり、技能や関心を活かした商売に手を付けるなり、稼ぐ手を考えていけばよいのです。漫然と生活給が出てくる雇われ職場で学ぶものなど何もないというのが正しい在り方です。

■2021年08月04日(水)  まず出版社は縦書きを捨ててほしい
やがて悲しきカタカナ語
「そして現代日本語は、古代やまとことばの経験に匹敵するような変化、つまり語法の基本に変化はないにしても、英語語彙を除いては言語として成立しないようなレベルまで変化を遂げるのではないか。」
口語では英語由来の動詞や修飾語も出てきていますからね。
とはいえ英語は言うまでもなく、主要な近代語は全てそういう影響を経ていると思います。英語におけるラテン語、ギリシャ語、近代ドイツ語由来の言葉もそうですし、フランス語やドイツ語、イタリア語においては英語由来の単語が幅を利かせています。ロシア語においても近代ドイツ語や英語由来の単語が目立ちます。もちろん中国語にも、英語由来の音を当てた語が出てきます。ラテン語はギリシャ語、ギリシャ語はオリエント諸語からの影響を受けています。そのような影響を経ていない言語があるとするならば、おそらく現代ではものの役に立たないでしょう。それにつれて「国民」精神も変わるのであれば、そのように変わっていくのが世の習いなのであって、どうこう言う筋合いではないと思います。
むしろ、明治以降の東京からの各地域に対する言語汚染の方が酷いと思いますね。
とはいえ、そういうカタカナ語を連発するくらいならアルファベットで書けと言いたい気はします。カタカナに直す際の表記の揺れがあるため、元の単語の綴りがわかりにくいのです。当然、縦書きを廃して横書きにすることになるでしょう。もはや縦書きなど、純文学以外では使いません。アルファベット綴りでは縦書きに合わないからカタカナでなどという時代は終わったと思います。

■2021年08月03日(火)  逃げたか?ジェフ・ベゾス
米Amazon、物流センターの組合設立投票を違法に妨害?当局が再投票を勧告
ここのところ労務で香ばしい話が多いAmazonですが、順調に官僚化が進んでいるということなのでしょうね。創業者系のワンマン経営者が組合と折り合いが悪いのはよくある話ですが、首謀者を特定して嫌がらせをしようといったけち臭いことをしようとするというのはむしろ組織が大きくなって官僚主義に走っている状況で下っ端経営幹部か中堅の管理職が事なかれ主義に走って主導することが多い気がします。
さすがにデータセンター業務にその種の小知恵はきくが有能とは言えない輩を配置しているとも思えないので、倉庫管理系統自体がもはや社内では閑職扱いで、予算内でノルマを達成して大過なく勤める方向の官僚主義に毒されているということかもしれません。経営陣が倉庫業務自体はマニュアルワークで仕組みを整えて管理しておけばそれでいいと思っている可能性は高いですが、目端の効く創業者なら似たような香ばしい話が何度も起こる前に規制当局にロビーイングをかけるでしょうし、有能な管理職ならマニュアルワーカーの労働者が米国の労働運動において果たしてきた役割を知らないはずがありません(たぶん経営学の学位を取るための授業で習います)。手の付けられないことになる前に落としどころを考えて運動側の取り込みを図るでしょう。
流れ次第では火の手が上がるわけですが、そのあたりも面倒になって、創業者が経営を押し付けたのではないでしょうか。

■2021年08月03日(火)  容易と言っても40年かかってますがね
地方ローカル線「JRが容易に廃止」 広島知事が問題視
これはある意味酷い言い分であって、JR西日本にしても運賃や稼ぎどころでの競争力の縛りの中で列車を運行しているのであり、民間企業として儲かりもしない路線を維持するのには限界はあるでしょう。インフラを運営する立場でじゃあ止めますということに問題があるにしても、そもそも問題自体は40年前から提起はされているのです。
この点、JR西におねだりすることしかできなかった沿線自治体にも問題はあるわけで、引き取って第三セクターにするなり、せめて補助金を出すなりするべきでした。JR西に補助金などと言ったらなんでまたと反対されかねないとはいえ、引き取ることには支障はないはずです。もちろん、この場合赤字路線を引き取ってあげるわけですから、線路も列車もそっくりタダで寄こして幹線ダイヤとの連携も保証しろくらいは言ってよいのです。地方自治体も色々振り回された40年とはいえ、そのあたりを考える時間は十分ありました。広島県のようなそれなりに稼げている自治体であれば、できることも色々あったと思います。広島市や周辺から抱え込むことに反対が出るにしても、そこを何とかして山間部との間を取り持つことが、県の仕事だと思います。
ちゃんと仕事をしていないのに民間企業に尻拭いを押し付けるような言動は問題があります。

■2021年08月03日(火)  もてなされているのは差し障りのない「客」ですから
「おもてなし」の足もとで 在留外国人が見た東京五輪
まあ、居候におもてなしをする人というのはあまりいませんからね。もてなす側の負担のない範囲で訪ねてきてさっさと帰ってくれる(もしかしたらお金も落としてくれる)客と、公認であれずるずるであれ居座る滞在者では、役所にしろ地域にしろ扱いは違ってくると思います。
「ここは難民を『敵』とみなす国だ。難民選手は大丈夫? つかまらないの?」と言いたくなる気持ちはわかりますが、日本政府も含めて、「難民だ」というだけで迫害したりはしません。日本政府に難民認定を求められる、つまり難民として日本に居住させてくれ、長期にわたって日本で保護してくれというのが迷惑なのです。経由地として利用して第三国にさっさと出国してくれるというのであれば、通り一遍の保護はしますし施設に収容などということもあまりないはずです。この件にしても、失踪はともかくとして三重などに出ず大阪の米国総領事館あたりに駆け込んで保護を求めていれば、帰国を説得されるようなことにはならなかったのではないでしょうか。もっともそれならそれで、申請窓口で第三国公館やそちらへの出国を手助けする団体への紹介なりをすればよいとは思いますけどね。
その上で、「日本で生活する外国人は288万人。工場での弁当づくりや農作業、そして五輪施設の工事など、約38万人の技能実習生らの存在なしでは日常はもはや成り立たない。」という点については、想定するコストでの労働力が不足するからと言って外国から買ってくる経営者は何を考えているのかと思います。それこそ合理化が足りないというものでしょう。人手の労働などその気になればいくらでも圧縮できます。稼得水準の高い地域で働きたいという労働者側の希望にしても、それならせめて行った先の賃金水準を落とさないよう、就業する職種や職場くらい配慮して欲しいものです。機械を導入するより人を雇った方が安いなどと言う経営者のところで働かれては、ブラック企業を淘汰することができません。

■2021年08月02日(月)  この状況で競争的市場を云々する方がおかしい
携帯電話料金「さらに倍の負担減」に言及した菅総理、その真意はどこに
「そうしたことから現在携帯各社と総務省が取り組むべきは、新料金プラン、さらに言えばより各ユーザーに適切なプランへと変更を促すことであるはずです。」
ここまでくると「(各ユーザーにとって)適切なプラン」というのがどれなのか分かったものではないわけで、それでこう言い切れるのはどうにも不思議です。
まずは携帯電話の「ユニバーサルサービス」が間違っていました、民間ではできませんと認めることが第一でしょう。
そのうえで、むしろ楽天とソフトバンクかKDDIを早期に市場から退出させるために赤字必須の料金まで引き下げ、上物サービスも分離させ、超長期的に独占状態を見込まないと釣り合わないような状態として、淘汰と整理の後MVNOをフロントとして市場を再構築した方が速いのではないでしょうか。何も二重投資、三重投資のリスクのあるフルサービスキャリアを競争させずとも、低料金で回線規格の世代ごとに独占を交代させ、競争はフロントのMVNOと回線敷設の負担が少ない地域(まあ、都市部でしょう)でさせれば済む話です。地方については、5Gで構内携帯電話網の目途も立ってきたようですし、地域公営なり第三セクターなり協同組合なりで、それこそ組合員の自宅や社屋にアンテナを置くような形でよいのではないでしょうか。それでカバーできないエリアは、見捨てるのでなければ国土交通省でも防衛省でも自治体でも、業務通信としてネットワークを作り、それを貸し出せばよいはずです。現在の世代更新の状況から見て、今から準備すれば十分6Gはこの制度で進められるでしょう。7G以降に可能ならば広域網をより低コストで構築できるような仕組みを盛り込むことになります。もちろんNTTの光回線網は最終的に公社化なり何なりして召し上げということになります。電話というアプリケーションが陳腐化し、デジタル網も規格化され、IPベースのVPNという形で参入が容易になったわけですから、全国をカバーする民間会社など不要です。地域回線とIPX、単一経路の広域回線の組み合わせで十分対応できます。その意味では、国際回線を押さえるKDDIこそ会社として生き残るかもしれません。

■2021年08月02日(月)  それ以前に出自を問題にされると怒る人もいますね
イギリス人を“English”と呼んではいけない、その理由
「間違っても俳優の故ショーン・コネリーを「English」と呼ばないように。」
もっともこの人はイギリス人役も結構やっていますけどね。
Northern Irelandがあるので、英国人をBritishと呼ぶことにも問題はあるわけです。本人たちのアイデンティティはともかく、地名としてのBritainはブリトン人と結びつきますし(国名Englandがアングル人と結びつくように)、フランスで迂闊にブリタニーと呼ぶとそれはブルターニュ人のことだったりします。ところで、subject of Queen Elizabeth, Her Majestyと呼ぶのはどうなのでしょうか。女王エリザベス陛下の臣民と言うほどの意味になりますが、いささか古風に過ぎるかもしれません。事程左様にグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国や女王エリザベス二世陛下を首長とする諸国の一体性には問題があるので、英国人などと呼ばず、ちゃんと確認してEnglish、Scotish、Walishなどと呼ぶべきなのでしょう。
もちろんアメリカンなどと呼ばず、New Yorker、Californian、Mississippianなどと呼ぶこともできるわけですが、人によっては自分はPeople of the United Statesだと思っている人もいるようで、難しいものです。

■2021年08月02日(月)  またそうやって反応を強制するような仕組みを…
LINE、メッセージに直接「いいね」できる『リアクション機能』提供開始
「LINE」トーク上で任意のメッセージや画像に6つのアイコンでコミュニケーションがとれる「リアクション」機能を提供開始
そして「いつまでもいいねが付かないけどどうしたの?」という話で問題になるわけですね。
いい加減学習して欲しいものです。

■2021年08月02日(月)  変に値切っちゃむしろダメでしょう
ホテル個室を避難所に、快適さと同居の孤独 財政も課題
「コストを低くおさえられれば」って、一般論としてはそうかもしれませんが、この状況下では宿泊業支援につながるので出し渋るべきではないと思いますけど。それに感染症の話がなくても、近所で避難が必要な事態が起きたという時点で宿泊業としてはダメージを被るわけですから、あまりコストを云々するべきではないでしょう。
とはいえ、熱海くらいならまだましかもしれませんが、自衛隊でも出てきたならともかく、今時普通の土建屋は宿泊設備まで持ってきません。その場合避難者と工事をする土建屋との間で宿の取り合いになる可能性があります。今回は仕方ないとして、各自治体はそれぞれに即した対応計画を災害の内容や規模に応じて練っておく必要があるでしょう。まあ、諦めて全員避難し、出先で住民総会を開いて自治体解散という方策も含まれる可能性がありますが。

■2021年08月02日(月)  遺骸や墓など負動産と同じ
「東条英機の遺骨を米軍が太平洋に」…ひ孫の思いを聞く
「ただ、それで遺族による弔いの機会まで奪うのはどうかと思い」
こういう考え方が美化の原点だと思います。それで遺族のところにまで話をほじくり返しに行くのは報道屋の出歯亀根性で済みますが、遺骸がないと弔いができないというのは偏見でしょう。もちろん心情や教理の問題として遺骸を形を保ったまま埋葬するべきとか死者の安息にとって関係者が遺骸の前でなにがしかの儀式をするのが必須であるとか言うなら別ですが、日本にはそんな話はないと思います。それとも遺骸をちゃんと埋葬させて遺族から年間百兆円くらい管理料を取るのが正しいとでも言うつもりでしょうか。

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