日記

■2020年05月31日(日)  金持ち白人の勤め先と思われているのでしょうね
黒人死亡事件への抗議広がる デモ隊がCNN本社を襲撃
この記事、一見すると意味が分かりません。FOXニュースあたりならともかく、CNNの本社社屋が襲われるというのは、何も知らなければCNNが保守系の媒体と誤解するところですし、記事の補足にあるようにCNNがリベラル系の媒体だと知っていればそれがなんで黒人のデモ隊に襲われるのかわからない、あるいはデモをやったのは保守派白人下層階級か、デモ隊が見境なしに暴動を起こしたかなどと思うところです。
おそらくですが、リベラルな姿勢で知られるとはいえ、CNNは高給取りの白人知識人層の勤め先と思われており、既得権に安住して黒人貧困層を突き放すスノッブ白人の象徴と思われたのでしょう。そうであれば抗議デモで襲われもするというものです。まあ、暴動で教師や下級聖職者、文人の住宅が都市貧民に襲撃されるのは仕方ない、いい服を着て高給を取っている日頃の行いが悪かったとあきらめてもらうしかないかもしれません。

■2020年05月31日(日)  そもそも庶民は三食食べない
3食つくるのは僕でもしんどい コウケンテツさんの発見
まあ、そうでしょうね。というか、そもそも日本は三食しっかりしすぎでしょう。庶民の食卓でも、品数が多く、食材も鮮度にこだわりますし、冷凍食品を使うと手抜きと批判されます。本来日本でも、朝食をしっかりとるのは下男やお手伝いさんが料理を作る家くらい、昼食は前日作っておいた具なしの雑穀おこわ、夕食でごった煮の汁物が出るくらいです。まあ、朝食をしっかりとる利点は理解しないでもないのですが、本来調理というのは竈の火種の管理から始まる手間のかかるもので、朝からするものではないのです。フルブレックファストが味付け済みの食材を焼いて簡単なソースと合えるだけのお手伝いさんの作る手抜き料理(トーストだっておそらく前日の残り物のパンを焼いて風味を良くしたのが起源)であるというのが、このあたりを象徴しているのではないでしょうか。まして下層の都市住民など本来料理をするものではなく(なにしろ迂闊に長屋に竈など作ったら火事の原因になりかねないのですから)、露店の軽食や工場の従業員食堂、日中軽食を提供するカフェが発達したのはこのためです。つまり、メインの食事は外食し、自宅では食事は作らないのです。集合住宅にキッチンがつき、料理とは言わないまでも買い置きのパンくらいは切るようになったのは、20世紀になってからです。日本でも、江戸時代に長屋に野菜屋や魚屋が振り売りに来るなどというのはうそもいいところでしょう。あれは料理も担当する女中さんのいる商家や料理番のいる武家屋敷を回っていたので、長屋の住人は長屋を設置している雇い主の食堂で食べるか(長屋というと賃貸住宅のイメージがありますが、本来は武家や御用商人の従業員下宿でした)、露店や軽食屋で食事をしていたはずです。食品保存技術が乾燥や塩蔵に限られていた時代、個別に調理するよりは、大量の食材を仕入れて調理するほうがコストが安かったのです。今でも、冷蔵庫を置いて真面目に調理するよりはコンビニでおにぎりでも買った方が、あるいはスーパーで見切り品の総菜や弁当でも買った方がさらに、安上がりです。日本はまだ、小規模家族向けの食材供給が豊富な方なのですけどね。
洋の東西を問わず伝統を捏造した文化人は呪われてしかるべきでしょう。とはいえ都市への食糧供給の安定が損なわれると食糧の自給が問題となります。また栄養状態の面でリファレンスとされた中産市民の生活では「家政婦による」自宅での調理が前提です。食材の自給や備蓄の道を閉ざされ、親族という親密圏に閉じこもった現代家族の矛盾は主婦の負担とキッチンの外部化によって隠されてきたものの、この度の騒動で矛盾を露呈したと言えます。欺瞞に満ちた家庭菜園経営の伝統家族に「帰れ」などと言うならともかく、これまで食品産業の宣伝と唾棄されてきた「外食」、「中食」や一食集中型の食事を再評価すべき時期なのかもしれません。

■2020年05月30日(土)  そうまでしてペットを飼いたいですか
ネコも、デジタルガジェット好き
その前に面倒を見切れないならペットなど飼うなと言いたい。まあ、捨てないだけましではあるのですが。

■2020年05月30日(土)  満員電車の中で記事を書く気でしょうか
モビリティは持ち運びやすさと取り出しやすさの両立
まあ、隙間時間を活用するためには取り出しやすいに越したことはないのですが…
バッグを肩にかけたままPCを取り出す状況というのはなんでしょうか。運行者側で乗客がPCを使うことを想定しているのは、鉄道で言えばクロスシートやボックスシートの場合であって、ロングシートに着席してPCを使うことは想定していないように思います。ネットの情報へのアクセス手段がPCしかなかったころならいざ知らず、このご時世、スマホやタブレットとPCの使い分けは浸透したはずです。ロングシートで、しかもバッグを下すこともできない状況でPCを取り出すことは考えにくいのではないでしょうか。
むしろ、現代の客車が手荷物の持ち込みを考慮していないこと、その状況でいかに手荷物を取りまわすかの方が重要だと思います。なにしろ、満員電車に背負い荷物で乗るななどというマナーが喧伝されるご時世です。JR東海は新幹線へのスーツケースの持ち込みすら規制する姿勢を見せています(その割には、乗車時に荷物を預けて降車時に引き取ることすらできないのですが: まあ、乗り換え時間5分でそんなことをやらされたら精神的に相当打撃を受けそうですし、途中下車自由が原則の乗車券とは相性が悪そうです)。便利なバックパックを持ち歩いてうっかり後ろの乗客の顔に当たるようなことがあったら、賠償責任保険にお出まし願うことになりかねません。
もちろん、例えば遊歩道を歩いていてベンチでおもむろにPCを開くというのはありうる状況です。ですから、バッグの中で荷物がごちゃごちゃにならず、かつテーブルやベンチに置いた状況で簡便にアクセスできるというのは必要な機能です。一眼レフカメラを持ち歩いて、替えのバッテリーやフィルターを探してカメラバッグを探りまわした経験のある方は少なくないでしょうし、PCと言わずともタブレットが冊子に紛れてバッグをひっくり返す羽目になった人もいなくはないと思います(ハンドバッグの中でスマホを見失っているのは話が別かもしれません)。マガジンや散弾のカートリッジくらい容易にアクセスする工夫があってしかるべきです。その意味では、特に小物は、バッグなどと言わず、ベストやコートの裏に収納すべきかもしれません。あるいは、飛行機搭乗時の保安検査への対応のため、カメラ、PC、タブレット、スマホをインナーバッグごと個別に取り出せるとよいかもしれません。小物はベストやジャケット、コートに収納しておけば、脱いでトレーに載せるだけで対応できます。インナーバッグのように、フックやベルクロでポケット付きのインナーを自由に付け外しできると、その日の用途に合わせて装備の入ったポケットを一括して装着できそうです。
とはいえバッテリーやUSBデバイスでもなければ手荷物はいったん下ろして必要なものを取り出すのが筋なので、移動しながらPCを使うようなことはあまり考えない方が良いと思います。

■2020年05月29日(金)  まあ、居残っても戦いようがないかな
「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし
引用した田畑氏が「正直なところなにがどう問題なのか、すっきりと分からない。」とコメントしている部分は、確かに後段での受け方とうまくつながりません。訳文通りならむしろ「ご苦労様」と言いたくなる話で、彼らも頑張ったのだという反論に違和感を感じます。とはいえ、持ち場を守らずに春節に帰省してくるのは感心できないとか、国内が危機的な状況ならむしろ国外から家族を支援すべきだったという感情があるようであることはわかる気がします。

■2020年05月28日(木)  生協と単純に比較するのは気の毒だと思いますが
生協だけが売り上げ伸ばし、他は減少
これ、生協、つまり消費生活協同組合と単純に比較するのは少し気の毒だと思うのですよね。スーパーマーケットも含めて、衣料品や日用雑貨などの利益が出しやすい商品に移行している傾向があったわけで、一方で生協は、特に個別宅配はこの傾向からは一歩引いていたと思います。つまり生協は減る理由がない状況で増えた、他は減るのが当然の状況だったということで、それこそスーパーマーケットが運送部隊をちゃんと組織してネットスーパーに乗り出していたら傾向が違っていた可能性があります。
とはいえ、個別宅配が持続可能かというと、難しい部分はあると思います。受注のハードルはだいぶ下がったとはいえ、スーパーマーケットも物販だけでなく来てもらってなにがしかお金を落としてもらう収入構造になってきている部分があります。各家庭に大きな冷蔵庫を置いて二週間分まとめて宅配してもらうような形になればまた別でしょうが、毎日の買い物をネットスーパーでされたら配送がパンクする可能性もありますし、それ以前に今日の特売といったとにかく毎日来てもらうための仕組みに慣れすぎています。店に行けるようになってしまえば個別宅配というのはニッチなニーズでしかないわけで、それこそITシティの前に自動配送システムの整備された70年代風未来都市にでもならないと、どこかでパンクするのではないでしょうか。

■2020年05月28日(木)  これを「いまさら」とは言えない
「ペダルでスクショ!」を実現するUSBフットペダルスイッチを衝動買い
いままでなかったんだ。
発想がシンプルでも有効性は高いと思いますが、残念なのはスクショがいささか肩身が狭くなってきていることでしょうか。著作権保護の関係らしいですが、PrtScを押してもブロックされたりエラーが出る状況が散見されます。だいたいコンテンツビューアーを使っているときで、「引用したけりゃ手で書き写せってか?」と最初のうちは落ち込みましたが、慣れてきたのか受け流せるようになりました。
とはいえ、「これ!」と状況を示す絵は大事なわけで、たとえデジカメで接写に先祖返りしても、スクショの重要性はなくなることはありません。それを補助するこの製品は、手堅いニーズを踏まえていると言えるでしょう。

■2020年05月28日(木)  余裕っぷりと受け取っておきます
ランボルギーニのパスタでテレワークを駆け抜ける
馬鹿丸出しの記事は措いておくとして。
なんか倒産とか経営危機とか「コロナが来てなくても危なかったんじゃないの?」という話が相次ぐ中で、こういう話は良いですね。もちろん宣伝の一環ではあるわけですが、ちゃんとタリアテッレで意味が通ることも含めて(ボロネーゼっぽいソースで食べるタリアテッレはランボルギーニ所在のエミリアロマーニャの郷土料理のはず)、パスタのレシピだけでなくチーズもご当地ものであろうことも当然含めて、なんか新潟コシヒカリを送ってくる東京の会社に比べてうらやましいとか、顧客のフォローに経費をかけているという憎いアピールがうらやましいです。この余裕が素晴らしい。いざ故郷納税でお金を集めようとしたらアピールできる地場産品がなくて困ってしまった自治体関係者には垂涎の宣伝グッズでしょう。

■2020年05月28日(木)  インターネットの時代にそれですか?
中央省庁の通信回線を統一へ テレワーク推進で
「新型コロナウイルスの感染拡大後、省庁をまたぐウェブ会議ができなかったり、テレワークに支障が出たりする課題が浮上。回線の統一で、省庁間の情報共有や連携をしやすくし、コスト削減もはかる。」はい?ネットワークが相互接続しているのが当たり前のこの世の中で?日本の片田舎の住人とSFの住人がビデオ会議できてしまうのに?
もちろん、セキュリティ確保のために外部と接続したくないというニーズはあると思います。それこそ住基ネットがインターネットから入り放題なんてことになったら大問題でしょう。でもそれと省庁間のテレビ会議とかリモートワークとかいうのは別問題で、中継点を挟みつつも相互につながっている端点間でエンドツーエンドのセキュアな接続をするために暗号化した仮想回線なんて話をしているわけですよね。まあ、専用回線を使ったテレビ会議システムのリプレースに合わせて仕組みを一新したいというなら止める筋合いではないのですが、リモートワークのために通信回線を統一化などと言われると、うっかり閉鎖しておくべきネットワークを無防備に外部につないでしまってセキュリティクライシスを招くのではないかと心配になってきます。むしろ、国家機密レベルの会議をネット経由でできるようなシステムを整備するくらい言いませんかね。実態が既存製品の検証であってもよいから。

■2020年05月28日(木)  やはり論の立て方が間違っているような
「新しい日常」に芸術は必要か? 田中功起さんに聞く
芸術が必要か不要かと言われれば不要とは言いにくいわけで、やはり論の立て方が間違っているのではないかと思います。ニーズ自体はもちろんあるのです。それが今の形でないといけない理由はないですけどね。
もちろん、現在の芸術産業の在り方がコロナ騒動で大きな傷を受けたことは確かでしょう。正直商機でもあったとは思いますが、それを生かす条件が整っていなかったところはあると思います。ともあれ、人を集めて見せるという芸術産業の問題点を露わにする状況が久しぶりに起きたことは確かです。歴史的には、伝染病に伴って劇場や展示会場が閉鎖されることは珍しくありません。そのたびに劇場関係者などから苦情が出てはいますが、喉元を過ぎればすべて忘れてきたわけです、我々は。
そこで「新しい日常」と言うのであれば、集まることのリスクを踏まえたものであるべきです。事態が収まって、やはり便利だから、効率が良いから集まろうというのでは、復古でしかありません。自らの食を賄うという生産から切り離された形で集まって他人が使うための財の供給に従事するという都市の経済的利点、そしてそれが基盤とする食料の収奪に便乗すれば食い詰めないで済むという利点はさておいても、またすでに集まっている人々にアピールする方がアピールするために人を集めるよりは楽だという部分はさておいても、人が集まっている場というのは芸術にとって重要な意味を持ちます。自宅のオーディオルームで見るオペラとオペラ劇場に行って他の観客と一緒に見るオペラでは、少なくとも観客の精神状態は違うでしょうし、一人で見たときはどこが良いのかわからなかった作品でも大勢で見ると違った見え方をするということはあり得ます(周りがわかったような挙動をしているのでわかったような気になっていることは否定しがたいにしても)。そういった精神状態を動員するテクニカルな議論は別として、フルダイブVRで作品を完全にモデル化し、疑似的に全感覚で味わえるものとしたとしても、都庁前広場なり国立美術館なりで展示されているものを見るのとは違って見えることは大いにあり得ます。劇は集まって見てほしいという話はあって当然です。その上で集まるリスクを踏まえてプレゼンテーションを考えることが、不特定多数の公衆に訴えることを望む芸術家に求められることではないでしょうか。製作費が欲しいなら、クラウドファンディングで募ったって良いわけです。資金集めを含めた広告宣伝の方法論はこの50年でずいぶんと発達しました。無名の制作者が識者とやらをバイパスして動画サイトで不特定多数に訴えてネームバリューを得る部分だけが発達したわけではないのです。視覚だけでよいなら今だってVRは可能です。実績が欲しいなら自分で著名なキュレーターに作品集の解説でも依頼すればよい。でもそれは、メトロポリタンで展示会をするというのとは違うでしょう。

■2020年05月28日(木)  ILOよ、お前もか
世界の労働時間、3億人分が減少 ILOが対策を訴え
労働時間が減ったというなら喜ばしいことで、むしろ減って残った分をどう分配するかが問題でしょうに。
そもそも外出規制程度で減った分というのは、基本的に不要不急の労働でしょう。医療機関では労働量が増えていたでしょうし、もしかすると治安機関などでも増えていたかもしれません。ここまでいろいろあると、コントロールを担当する役所でも増えていた可能性があります。一方で生産はそもそも過剰気味で、それこそ売り込まないと消費につながらないくらいだったのですから、労働供給はこの程度でよいのだということでは?

■2020年05月26日(火)  どこで遅延が生じているのやら
貨物の配送状況をチェックしたいことは少なくありません。大半の郵便物のように勝手にポストに突っ込んでいくならともかく、受け取り確認が必要であるとか、そもそも貨物自体が取扱注意で鍵もついていなければ保温機能もないポストに突っ込むわけにはいかないといった場合、何時ごろに受け取り可能な状態であればよいのか見当をつけておかないと、行動が過度に制約されてしまいます。まあ、最寄り拠点に貨物が届いたと連絡を受けて気軽に取りに行ける範囲に拠点がないのはある意味運送業者の都合ではあるわけで(そんな不便な所に住むなという話はあるにしても)、局留めと荷物預かり通知がもう少し気楽に使えると嬉しいのですけども。
その場合、通販サイトや運送業者の配送状況通知を使うことになるわけですが、どう考えても配送担当者の拠点出発が9時前なのに配送状況が更新されるのが9時過ぎ、更新のタイムスタンプも9時過ぎであるとか、そのわりに配達時刻の見通しが10時前であるとか、情報伝達が現状を把握できるものではあっても受取人がそれを元に行動を決めるには致命的な遅延が発生しています。程度問題ではあるにせよ、当日午前中の行動であれば朝6時くらいの情報を元に決定されると思ってよいでしょう。逆に言えば、その日の午前中に家にいて荷物を受け取って欲しいのであれば朝6時にはその時間帯に必ず配達に行くとわかっていることが望ましいわけです。もちろん再配達のリスクを許容するなら別ですし、現在はそういうモデルで仕組みを作っているわけですが、そのリスクが実現したことによる不効率が明らかに問題になっており、解消しないまでも実現確率を下げるだけで効果があるという話になっているわけですよね。さらに、運送業者としては時間の制約をできるだけ避けたい、つまり運送業者の都合のよい時間帯に受取人に家にいてほしいわけです。それが、だいたいの人がとっくに家を出た9時過ぎに配達に出たと通知が来るのは、そもそもプロセスを改善する気があるのかと言わざるを得ません。もちろん発注時、発送時に時間指定をすべきですし、発注時点で発送日が、発送時点で配達日時が予想できてしかるべきですが、発送作業の都合でしょうが、配達日時指定には追加料金がかかるとか、そもそも指定できないという通販業者も多いですし(しかも配達地域ごとに特殊事情があるのに、運送業者レベルではわかっているはずのそれを考慮した指定の仕組みがない: 本来運送業者側のWebサービスの一環として実装されていてもおかしくないのですけど)、運送業者としてはたぶん荷物を止めないほうが大事なわけで、指定の配達日時を守ってもらう、あるいは最寄りの受け取り窓口を指定するためには別料金がかかったりします。まあ、配達を含めてのサービスなのでそういう仕様だと言われればそれまでなのですが、仕様に問題があるのにユーザーに辻褄合わせを求められても納得はいきません。
朝集配拠点に届いた荷物の配達は午後一以降にしろとまでは言いませんが、例えば午前2時には集配拠点に届いていると思われる(まあ、意図的に午前7時くらいに届くように調整しているのかもしれませんが)貨物のチェックインが午前9時過ぎという遅延は、何とかして欲しいと思います。
6/20 今日も配達を待っていましたが、なんと前日夜に最寄り営業所到着のログはあるのに最後まで営業所保管中のステータスのままで、16時半に問い合わせの電話をかけた後行き違いで配達されました。遅延というか、これ、絶対持ち出し時のチェック忘れですよね?

■2020年05月26日(火)  理解できるとはいえ変な挙動ではある
安全で高パフォーマンスなプログラムのためのイミュータブルな変数と所有権(原 旅人, ソフトウェアデザイン 2020.6)
イミュータブルや所有権というのも、変数というかラベルと、ラベルに結びつけられた記憶領域と、値の関係というのも、まあ、わかるのです。突飛なことをやっているとは思いません。
しかし、
let s = 1;

let s = "Hello".to_string();
が違うというのは、事情は理解できるにしてもおかしいとは思います。
一般的なCPUアーキテクチャにおいて整数と文字列の扱いというのは全く異なります。整数が、その値自体がレジスタにコピーされ、その値が書き換えられていくことが多いのに対し、文字列は終始一貫して主記憶上にあります。主記憶上での占有サイズもそれこそ桁違いで、文字列の方が巨大です。整数はコピーが低コストでできますし、主記憶上の値を書き換えるよりもレジスタの値を書き換えていった最終結果を主記憶に書き戻す方が低コストですが、文字列はコピーにしろ書き換えにしろ高コストで、CPUには文字列というオブジェクトを操作する機能自体がそもそもありません(メモリブロックの操作を効率的に行う機能はあったりしますが)。C言語で、整数や浮動小数点数の操作には演算子を使うのに文字列の操作ではライブラリ関数しか提供されていないというのも、こういう理由です。それを、整数や文字列をオブジェクトとして一括してしまって、それにたいしてコピーのような操作を定義するために、つまり低レベルでの実態と高レベルでの見え方が乖離してしまうために、同じ構文を使って概念上は同じ操作を行っているはずなのに結果が全く違うということが起こるわけです。
もちろん高水準言語はこの手の、ありていに言ってごまかしをするために使うものですが、実行効率とのバランスの調整とはいえ、見た目は同じことをやっていると強烈に主張しているのに、実際には、例えば値の実装によって挙動が想定と異なる、値の実装から挙動を推測していかないと思っているのと違うことが起きるというのは、もちろんプログラマはそういうことに慣れているものの、少なくとも親切とは言えません。ある程度実行効率が問題になるようなプログラムを書くための高水準言語としては仕方ないのですが、正直そこまでして高水準な機能を使いたいかという気はします。=や:=ならわかりやすくてs.copy_from("Hello".to_string);はわかりにくいというのは、偏見ではないでしょうかね。もちろん、let s = "Hello".to_string;の方がキータイプの量は少ないでしょうけど、とはいえ今はエディタに入力補助機能があったりしますし、中身をわかってやるのであればマクロ置換でs = "Hello".to_string;をs.copy_from("Hello".to_string);に自動的に置き換えてもよいわけです。
もちろん、例えばRustの所有権は色々と考えた結果作り上げられた「所有権」という概念であり、型の拡大に関わる機能が不十分だったりスコープやライフタイムが大域変数と局所変数の間で差がありすぎる(そこを埋めるためのヒープ、つまりmalloc()系ライブラリ関数で扱うあれですが、ただでさえ鬼門とされるポインタがらみなのに、記憶領域のライフタイムがスコープのライフタイムと合わないために取り扱い注意になってしまっている)C言語や、プログラマの目に見えないところでGCが働くために実行時性能の予測が難しいJavaに飽き足らない部分を埋めているとは言えるでしょう。プログラムで使う1kBに満たない小さな記憶領域の頻繁な確保・解放とOSがサポートしているメモリ管理モデル(だいたいはリニアなアドレスに数kB以上のサイズのブロックを割り当てる)の齟齬を埋める試行錯誤のひとつとも言えます。とはいえ小手先の小細工だという指摘を否定する人はたぶんいないのではないでしょうか。いい加減、高水準言語というそもそも色々ごまかしている道具を使って実行効率を求めるのをやめた方が、建設的ではないですかね。

■2020年05月25日(月)  普及しかけてみると実は恥ずかしいものだった夢もありますが
自宅リモートワークのためにデジタル機器を買う
そう、在宅ワークって、80年代あたりの、パーソナルなコンピューターが出てきた時期からの夢ではあるのですよね。当時の通産省は少なくとも、産業のIT化(当時はそうは言いませんでしたが)に前向きなフリをしていましたし(実際には迷走していたのも事実ではある)。トロンプロジェクトとかもこの時代の産物です。
それが何でこうなっちゃったかというのはいろいろ要因があると思いますが、仕事の仕方を変えずにIT化だけしても仕方がないというのは確かではあるでしょう。
なお、在宅ワークより昔からの夢に音声入出力がありますが、これは普及してみて問題が大きいことが分かった類だろうと思います。スマホ向けサービスがいろいろ出てきたこともあり、とにかくアンテナが立っていないと困る状況になってきましたが、一方でコミュニケーションは音声からテキストに変わる可能性がまた見えてきたように思います。TwitterやLINEの系譜が普及する一方で、混んだ車内での音声通話や音声操作はご遠慮くださいという形になっていく…かな…といいな…と思います。というか、JRも携帯電話はデッキでとかトランクを積むなら追加料金を払ってとか言ってないで、新幹線で追加料金でブースでも提供したらよいと思うのですが。グリーン席のようにSuicaで認証すればよいわけですし、さすがにブースを使うためにわざわざ新幹線に乗る在宅ワーカーはいないでしょうけど、新幹線を頻繁に使うビジネスパーソンであれば防音のブースの提供は歓迎すると思うのですけどね。移動中にそこでテレカンをやったって良いわけですし。

■2020年05月25日(月)  印象を悪くしているだけでは?
「バンダイチャンネル」が実践する解約防止術
そうか、お前らか。
いや、解約して欲しくないというのはわかります。とはいえ、むしろ購読も解約も簡単で後腐れがない方が、ユーザーの印象は良いのではないかと思うのですけどね。バンダイチャンネルの場合はコンテンツごと視聴権購入の一般会員とは別に一部のコンテンツについて定額で見放題の有料会員制度があります。運営側の意図としては見放題会員制度は一定以上の頻度で同じプログラムを何度も繰り返し見る、あるいは見るプログラムを広げていく層を想定しているようですが、アニメ作品が時間消費型の娯楽である以上、ライフサイクルの中で定額見放題制度のメリットを見出せる時期とそうでない時期があることは当然です。正直あの月額料金であれば、おそらくシーズンの新番組のタイムシフト視聴だけでもある程度元が取れます。必要に応じて定額見放題オプションの付け外しができるという形で会員登録を訴求していった方が、ユーザーの印象は良いと思います。逆にコアな層により訴求したいのであれば、ラインナップの充実、特に新番組の調達を強化すべきです。バンダイビジュアル系作品の卸元で自足するなら別ですが、あのラインナップでリコメンデーションをされても3年もすれば飽きが来ますし、新番組が、しかもバンダイビジュアル作品であるにもかかわらず、見放題を外れる例が出ています。旧番組でも、見放題を外れ、しかし個別の視聴権は売られているものがあります。リストから消えてしまったというなら、そもそも権利者が売る気をなくしたのだろうとあきらめもするのですが…でもその場合は買い取ってでも提供を継続して欲しいものですけどね(以前見て気に入ったプログラムが提供中止になり、最近パッケージを見かけて購入した立場から言います)。気になるプログラムが見放題で見れて、せっかくの定額会員なので他の番組も見てみようと思えるような、アニメ作品を見るのは一日一時間といった層以外に訴求するサービスになりたいのなら、解約検討時のフォローアップではなく、とにかく気になった番組が必ずある状態を作ることこそ重要ではないでしょうか。いや、もちろんやってはいるのでしょうけど、努力が実っているようにはどうも思えませんし、それで解約防止とか言われても生暖かい目にはなってしまいます。
また、バンダイビジュアルというパッケージを売っているビジネスが主体だということもあるのでしょうが、パッケージ販売の補完に留まっている感があります。例えばテレビ放映作品や上映作品をパッケージ化して販売する場合、よくパッケージ特典コンテンツがついています。よく見かけるのはキャストコメンタリーですし、番外編や補足的な紙芝居物も見たことがあります。そしてそういった特典コンテンツが人気を博していることもあります。例えばアリア ジ・アニメーションの「さとじゅんのベネツィアごめん」やガルパンシリーズのミリタリーコメンタリーがそうです。これらはバンダイチャンネルのコンテンツとしては、私の知る限り提供されていません。もちろんそうしたコンテンツを見たいのであれば収録されているパッケージを買ってほしいというのは、パッケージを売っている側の考えとしては理解できるのですが、そもそもパッケージ自体が本来初回生産分の売り切りを前提に提供されるもので、発売後一定以上の期間が経過してしまうとセコハンでしか手に入らない、セコハン自体をどうこう言うわけではありませんが、入手性に劣るわけです。個別の視聴権購入ではなく、有料会員向けの特典コンテンツという形であれば、旧作品のパッケージ特典の視聴というのは悪くないサービスではないでしょうか。有料会員になってもっと視聴範囲を広げてほしいというなら、本編と番外編だけでなく、こうしたおまけを提供して水を向けるというのはまっとうな企業努力のうちだと思います。
ちなみに、おまけ部分を本編に突っ込んでしまったのがらき☆すたのエンディング(パート的にはエンディングのひとつ前から)ではないかと思いますが、クオリティ自体がいささかあくが強すぎですし、かと言ってあれでは意図的にカットしないと勝手に流れてくるわけで、正直本編の繰り返し視聴を避ける要因になってしまっているのではないかなあと思わないでもないのですが…一度くらいは見ておきたい部分ではあるので(ゴトゥーザ様の出る回とか面白いですし)、パッケージのAppendixとして入っている分には良いと思うのですけどね。

■2020年05月25日(月)  条例自体を違憲とする訴えができるわけではないわけで
香川県弁護士会、ネット・ゲーム規制条例の廃止求め声明 「根拠が十分でない」「憲法や条約に反する」
「声明」とはまた生ぬるいとは思いますが、不当性自体を訴えるというとどうしてもこうなるのでしょうね。少なくとも日本の違憲立法審査制度は具体的な事件に関連して行われることになっており(警察予備隊違憲訴訟)、法律の違憲性自体の審査を求めて裁判を起こすことができません。また条例の性質上、県に賠償責任を求められるような不利益は生じにくいと思われます(絶対生じないとは言えませんが: ISPが条例を根拠に接続制限(例えばゲームサーバーと特定されているアドレスへの接続制限)を行った場合に、接続制限を解除せよという訴訟を起こし、その根拠として条例は違憲無効だ、よって接続制限も不当だと主張することは可能かもしれません)。
廃止運動が成功するかどうかは、この件が他の懸案に比べてどの程度深刻と見做されるかにかかっていると思います。

■2020年05月25日(月)  大学と映画館が同じ扱いで博物館に劣る(笑)
緊急事態宣言、全国解除が正式決定。「日本モデルの力を示した」
このタイミングでの解除が適切であったかどうかは、現時点での判断は難しいでしょう。また解除するからと言って規制期間中に経済活動に生じた問題への対処は必要です。
というか、東京都の示したロードマップで、博物館や美術館がステップ1、映画館や大学がステップ2だそうですが、ステップ1が「都民の文化的・健康的な生活を維持するうえで必要性が高い施設」なのだそうです。大学の位置付けが知れるとでもいうのでしょうかね。確かに、都民であるかどうかも怪しい大学生が使う施設ではあるのですが。映画館や劇場の扱いが博物館・美術館に劣るのは、観覧の仕方の違い、つまり観客が密集状態になるか個別に展示品を見て回るかの問題の可能性があり、関係者が自分を慰める余地があるかと思います(実際には、映画館や劇場も都民の文化的生活を維持するうえで、博物館や美術館と同程度には必要性が高い施設ではあると思うのですが: もしかしたらテレビで代替できる程度に無用の施設である点が共通するのかもしれませんけど)。

2021/5/9現在、ちっとも改善していません。もはや明白に、上記の時点での解除は不適切だったと判断すべきでしょう。

■2020年05月25日(月)  政府は生存を保証せよ
「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし
引用の趣旨とは違っているかもしれませんが、自分たちは外出禁止に応じる、しかし生活はしていかなければならない、政府は生存を保証せよ、外出禁止は感染の蔓延を防ぐためで、民を害するためではないはずだというのは、まっとうな主張だと思います。中国ならなおさらでしょう。日本なら収入途絶に備えていなかったのは本人が悪いで済みかねませんが、中国の場合一応「共産主義」を信奉しているので、一般論として生活が成り立つように計らう責任は政府にあります。普通にしていれば生きていけるというならともかく、支払いで金が出て行くのに外出禁止で仕事に出れないから金が入ってこない、食べれば食料がなくなるのに物資が入ってこないというのは政府の責任であり、そもそも備えるというほど過剰な蓄積を個人がすること自体問題視されかねないのであれば、なおさらです。将来不安も、そもそも政府が何もしてくれないのではないか、十分な手配をしていないではないかという不満の裏返しとも言えます。
まあ、一市が滅びて世の中が安定するというのも政治ではありますが、そもそも生きていること自体は非難されるべきことではないのですから、それが脅かされるとなれば苦情を言うことは当たり前です。切られて痛い思いをするのは馬謖の方です。中国政府には(中国以外の政府にも)とりあえず生きていけるだけのことをするなり、見殺しにすることを正当化して秩序の維持を図るなり、すべきことをして欲しいものです。

■2020年05月24日(日)  得体の知れない他人がいるはずのところに無警戒に出て行くことの方がよほど「大丈夫」じゃない気がしますが
新しい生活様式、ヒトとして大丈夫? 動物学者に聞いた
まあ、意識的に生きていないのは確かですよね。常に警戒し続けるというのも負担がありそうですし。
とはいえ、そもそも警戒しないことの方が、ヒトの本来の姿から外れているような気もしますが。都市生活など、見知らぬ人に会わない日を探す方が難しいですし(意識してはいないでしょうが)、そんなところに無警戒で出かけていけることの方が、何か教育・訓練によって無理に身につけさせられた行動ではないかと思います。まして「ホーム」よりもそんな他人のいるところの方が安心できるというのは、病的ではないでしょうか。

■2020年05月23日(土)  運用コストが気になります
ロボットが窓をピカピカに!窓拭きロボット「LUOFUER」
窓拭きの自動化に3万円払いますか?それも窓から窓への移動は自分でやらないといけないのに。
まあ、購入費用として3万円はびみょうなところですが(掃除機だってそのくらいはするし)、むしろ運用コストが気になります。子供にお駄賃を払った方が安上がりだったなどということがないとよいのですが。というか、今時集合住宅の窓掃除なら1回5000円も払えば来てもらえるのではないでしょうか。

■2020年05月23日(土)  あるものを使えばいいよね
ウェブカメラがないならスマホのカメラをPCに繋げばいいじゃない
もちろんあるものを使うというのは急場をしのぐときの鉄則です。
しかし、「設定画面から、「完全版を購入します」をタップし、1220円の決済をすればいい。ウェブカメラを買うことを考えれば安いものだし、はるかに高画質。」あれ?安いUSBカメラってこんなものじゃなかったっけ?まあ、スマホのカメラの方が高画質なのは事実ですが(スマホの価格の中でカメラの占める部分は1000円じゃきかないでしょう)。
まあ、必要になったからって慌てて電気製品の量販店に走るのは消費社会に毒されすぎているわけで、売り切れを目にするのが目に見えています。いるものを買うのではなく、あるものを使う。そして半年先を見据えた高速回線の整備とカメラシステムの拡充を粛々と行う。それが大人の消費者というものです。
ところで柳谷さん、著者紹介の写真はいつものでしょうか。1972年生まれということで、実は記事中の写真が今の姿なのではないかと思うのですが。ひょっとすると10年以上前の写真ですよね。まあ、22歳のころの写真が社員証にそのまま使われているという話はよくあるわけですが。

■2020年05月23日(土)  まず洗おう、覚悟をしたうえで
マツダ ロードスターRF、クイックルでウイルス対策
オチがなかなか秀逸だと思いますが、そもそもJKワイパーでも買って台所用洗剤を薄めて含ませて拭けばよいだけではないでしょうか。まあ、気付いたら拭く、最低一時間に一回拭くといった状況では、ウェットティッシュタイプの方が便利だとは思いますが。
こういうことをして怖いのが最初の回で、拭いたのが真っ黒になってしまって恐れおののくことがままあります。そこで過去を反省して徹底的に掃除し、以後こまめな清掃を心がけるか、見なかったことにしてしまうかが問題です。
というか、超音波洗浄機を買うべきだろうと思っているうちにそもそも腕時計をしなくなってしまいました。大学生当時、ノリで腕時計のバンドを超音波洗浄をしているのを見た印象が忘れられません。水が真っ黒になるのですよ。

■2020年05月23日(土)  コンピューターネットワークは本来ローカル
「低コストで公衆5Gとそん色ないレベル目指す」――東大とNTT東など、ローカル5G普及に向けた研究会設立
公衆網よりもむしろこっちが本命かな、と思わないでもありません。
電話というのは公衆網がメインです。内線電話が主体というのは相当初期の話で、外部とつながっていてこそ電話の価値があります。電信にしろ電話にしろ、遠距離網と近距離網が同時に発達しています。まあ、電信なんか近距離で使おうとは思わないですよね。
一方コンピューターネットワークというのはローカルネットワークが基本で、それをつないでいくことで「インターネットワーク」ができた経緯があります。そもそもpeer-to-peerで遠隔地とつながらないといけないと言うとNATなど問題外であるわけで(インターネット系のネット屋さんは思想的にこの傾向があります)、建物の持ち主が責任をもって各端末までの通信回線を提供する話になりかねません。部屋ごとのネットワークをつないで建物内のネットワークを作る、それをさらにつないで地域のネットワークを作る、さらにそれを遠距離回線でつなぐという発想は、公衆電話回線網からヒントを得てはいるにせよ、携帯電話網のような見かけ上平坦な形状からは出てきません(携帯電話網も通信事業者から見ると局所ネットワークが多数つながった階層構造ですが)。
日本の場合そもそも官設の通信網という形で電気通信サービスがスタートしたこともあり、通信ネットワークがユニバーサルに全国展開しているのが当たり前ですが、通信事業の性格からして顧客通信網をゲートウェイを介して事業者網につなぎ、事業者の地域網を遠隔通信回線を介してつなぎ、事業者間をゲートウェイを介してつなぐというのはむしろ当然です。一つの事業者が全国展開している方がむしろ異常なのです。ネットワークが地理的に限定されたものである以上、地理的に移動する端末がネットワークを切り替えていくことが自然です。ハングオーバーはこのような目的の技術のひとつですし、ローミングも他のネットワークに本籍を置く端末の扱いについての技術(通信技術と合わせて契約面の技術)です。昔の日本のような事業者間接続というと国際電話くらいしかない状況ならともかく、事業者網をまたいだ通信を前提として「通信の自由化」を言うのであれば、回線契約への課金と回線の利用を分離するのが筋でしょう。自社回線網に固執するほうがおかしいのです。当然全国ネットワークの強制もユニバーサル通信料などという課金制度も理屈に合いません。地域は通信ネットワークが必要なら自分でそれを引けばよいし、通信事業者は経済的に割の合わない地域については地元のネットワークを使用料を払って使わせてもらえばよいわけです。料金を他社網の利用をはじめから組み込んだものとするか、他社網を利用する場合加算が発生する形にするかは別の問題です。昔は端末番号とか回線番号というのは事業者ごとにあるものでしたが、今はそのあたりを仮想化する技術も確立しています。
道路などの見通しの良い場所は地域の通信事業者が、敷地内、建物内はその敷地の持ち主が、通信網を整備し、その通信網をMVNOが仮想的につないでいくという形の方が、今後の本命ではないかと思わないでもありません。

■2020年05月23日(土)  孤独を受け入れる覚悟の方が容易いのでは
コンビニやスーパーのレジで暴言 妻に先立たれた61歳元部長がクレーマーと化す現実
偉い人が説いてきた理想の老後の現実がこれというのは認識した方が良いですが、そのために今の仕事を外れてからの人間関係を築くべしというのは、現実性があるのでしょうか。むしろ定年制を禁止し、一生会社の中で過ごせるように(雇う側がそれを保証できないなら仕事にのめり込むような生活をさせないように)すべきでしょう。個人の生き方の問題にして、それで今の年金や保険まで雇い主頼み、他のことは忘れて仕事に打ち込んでください、後は雇い主が保証しますというような制度のままで、さらに人間関係のペンションプランまで課すことが妥当なのかどうか。
高齢者をそのままは雇えない、そのため定年後への考慮が必要であるならば、むしろ定年後高齢者が孤立することを前提にし、物理的に隔離してしまうことの方が容易いかもしれません。人間的な扱いかどうかは問題でしょうが、そもそも周囲の人の人権の方が大事なはずです。そうなるということを明示して、そのための心構えだけはさせておくのが、最もコストが少ないかもしれません。高齢者の自殺が増えるかもしれませんが、社会的パワハラよりはましでしょう。そもそも縦社会の方が適応しやすいから仕事の人間関係に耽溺してしまうように思います。
それはおかしいというのであれば、まず仕事に基盤を置いた社会の方を改めるべきです。地縁の中で生きていくことを基盤とし、住処の周りの人々と安定した関係を築き、その上で稼ぐ形です。退職したら郷里へ帰るとか田舎に引っ込むなどとコミュニティを変更することを考えず、とにかく今いるところで穏便に過ごすことを考える。転勤などもってのほかです。移動の自由を前提にする今の経済社会とは相当違った形になりますが、ある意味では文学作品的理想のひとつとも言えます。
ある意味ではディストピアかもしれませんが、ジキル博士とハイド氏を演じることを前提にする居所と仕事場の移動を基盤とした社会とどちらがましか。「個人の人格的完成」という理想よりも、むしろこういう論の立て方が適切ではないでしょうか。

■2020年05月23日(土)  でも壁の中はいじれない
先従隗始、まずは宅内ネットワーク
光のサービスになると宅内回線の品質がボトルネックになりかねないため、宅内ネットワーク、それも有線が必要というのはその通りです。無線LANが高速になったと言っても、有線のスイッチングハブのようにポート間の独立通信が可能なわけではないため、デバイスの数が増えてくると実効速度の低下が激しくなるはずです。アクセス回線を経由して外とやり取りする部分は遅くなっても仕方ないですが、内部で完結するNASやプリンタへのアクセスまで遅くなるのは問題です。このあたりはスイッチングハブが出てくる前のイーサネットですでに起きていた問題で、共有部分が混むため遅くなるわけです。
とはいえ、個人向けの住宅というのは壁の中をいじるような構造になっていません。PSやESといったところでメーターやバルブをいじれる程度で、末端の配管をいじるとなると一度壁の飾り板を剥がすという大事になります。商業用の建築物だと、配線や配管が天井か床下からいじれるようになっていたり、そもそも壁の中に作業員が入れるようになっていたりするのですが、集合住宅であっても個人向け住宅ではそんな配慮はなされていません。必然的に、ネットワークケーブルを壁に埋め込んでしまうと老朽化しても交換できないことになります。埋め込んでいない場合でも、家具の後ろを這うネットワークケーブルを一度に交換するのは容易ではありません。古いケーブルが原因でスイッチングハブやネットワークアダプタの性能を発揮できていないケースも、結構あるのではないでしょうか。
真面目に有線LANを宅内で扱うのであれば、最低限個人向け住宅の床をフリーアクセスにする必要があるでしょう。家具と言っても11インチラックほど重くはないので、強度的な問題はありませんが、カーペットやラグはともかく畳は今のところフリーアクセスの床に対応していません。敷けないことはないと思いますが、敷いた結果どうなるかについてまともな検討をしている住宅メーカーはないのではないでしょうか。また1畳というかなり広い大きさの畳をよけて床下にアクセスするというのは、通常の床タイルに比べると不便です。個人向け住宅の床には床暖房やクッションなどが埋め込まれていることもあり、これらとの相性も不明です。また、ネットワーク家電の中にはキッチンや洗面所に設置するものもありますが、キッチンや洗面所の床をフリーアクセスにした場合水濡れ対策が必須になります。お茶を零すどころではないのです。
住宅メーカーはインテリジェントハウスなどと銘打って色々壁に仕込んだ建物を考えますが、正直長期運用(と言ったって10年かそこら)に堪えるとはとても思えません。ならば割り切って無線LANと5Gというのも、最適とは言えないにせよ妥当な解のような気がします。

■2020年05月21日(木)  そういう街「も」あってもよいが
与党急ぐスーパーシティ法案 規制緩和だけではない問題
そこに住まなければいけないとしたら理不尽でしょうが、その程度の理不尽は世の中普通に転がっているとも言えます。そこまでして便利を追求することもできるようになっているべきですし、一方でその手の便利を拒否することもできてしかるべきです。とはいえ便利にする方がお金を突っ込みやすいわけで、突っ込まれたお金の分経済が活発になり、仕事が欲しければそこに行かざるを得ないような状況が出てくるかもしれません。そうでない環境で成り立つ現代的な経済というのも可能だと思うのですけどね。とはいえそちらはともすれば道徳的共産趣味の組合村になってしまいがちでしょうし、なかなか有象無象を飲み込んで膨れ上がっていくという発展の仕方にはならないのかもしれません。
今いる場所にいたいというのも含めて、なかなか好みのライフスタイルを保つというのは難しいものです。

■2020年05月21日(木)  有害かもしれないが慰めにはなる
「完璧な過ごし方」 世界に広がる「あつ森」現象を解説
まあ、ないよりましです。接触への欲求を否定するつもりはありません。ないのですが…コンピューターやネットワークの界隈でそれをやられると妙に不愉快です。いや、完全に個人的な好悪の問題なのですが。なのでまあ、それで慰められる人はそうしてくださいと、そうは思うのですけどね。嗜好としては、みんなもっと孤独を楽しもうよと思ってしまいます。

■2020年05月21日(木)  中期的にはサーカスだって必要
おしゃれは不要不急? プロが語るコロナとファッション
アパレルはともかくファッションは不要不急どころか見せびらかしの消費だとは思いますが、それが心の安定に寄与している面は認めるべきでしょう。たとえそれが、見せびらかしを前提にした社会制度によって刷り込まれた反応によるものだとしてもです。例えばある服を着て他人に見られる自分を想像して気持ちが楽になるなら、それは必要なものと言ってよいと思います。もちろん、ひたすら着るのが楽な服、というか何なら寝袋でもよいので、くるまれて安心できるというのも否定して欲しくはありませんが。一か月人に会わずに済ますという段階ではファッションは棚に上げておくべきですが(もちろん、自宅で服をデザインしてネットのデータシートで素材も検討してにやにやするのは全く問題ありません)、数か月のスパンでは奢侈であれ余興であれ無視できません。数日一人で家に閉じこもっていられないというのは病的でしょうが、一ヶ月他所の人との交流を制限されて精神に不調をきたすのは不思議ではないと思います。たとえそれが習慣づけによって生じた病であっても、慰めは必要です。不要不急の一言で切って捨ててよいものではありません。だからといってそういう慰めは自分には不要と言う人を異常者扱いして欲しくはありませんが。またそもそも、数か月のスパンだと服を一切買わないというのは難しいでしょう。補強部分はへたって来ますし穴も空きます。その意味では服飾自体を不要不急とは言えません。
とはいえ、半年くらいのスパンであれば、ある程度は代償行為で済ませることを考えるべきかもしれません。自分の写真(なりモデリングしたバーチャルマネキンなり)で着せ替えをするサービスというのもありでしょう。
なお、個人的には着心地や機能性とファッションなりおしゃれなりを一緒にして欲しくはありません。動きを阻害しないとか肌触りが良いとかいうのと見た目がどうこうという話は、区別はしにくいものの、デザインにおいては独立した項目です。人間という動物が着る服である以上、また一定の機能を果たしている以上、機能とファッションの間には一定の関係性があるはずですが、時として背反することもあります。例えば冬のヨーロッパで絹の単衣を着て外を歩くのだってファッションですし(ここまで極端ではないにせよ、例えば3世紀のフランスでは冬であれウールのチュニックとトーガを着るのがおしゃれだったと思われます: ウールの長袖シャツと長ズボンなど着ていたら、野蛮人風のダサいファッションだと笑われたのではないでしょうか)、肌を保護するという機能性からは半袖やミニスカートなどもってのほかです(が実験室見学や野外観察会にその手の服を着てくる人がいるのですが: 半袖Tシャツに短パンの上から白衣を羽織ったような学生がいると示しがつかないのですけどね)。

■2020年05月21日(木)  買い物に行けないからかも
テレワークになってから買い物が多くなったのはなぜなのか
「アスキー編集者が物欲なくなるなんて……。」うん、そうだよね。買い物情報誌だもんね。
それはともかく、つい通販サイトを見てしまうというのは、通販で買わざるを得ないものが出てきたためかもしれません。通販サイトである以上ユーザーの物欲を刺激するような作りになっているわけで、それに抵抗するには見ないのが一番です。しかるに、リアルでの買い物、これは店の品揃えや手持ち現金、同行者などの制約により衝動を抑えている面があるわけですが(したがって、一人で目的もなくクレジットカード装備でショッピングモールになど行くとえらいことになるのです)、これが規制されてしまい、買い物と言うと一人で通販サイトを見るようになる。時間の制約もないから頻繁に見る。見ることに罪悪感がなくなってしまう。これは買い物が増えて当たり前ではないでしょうか。

■2020年05月21日(木)  2日しかもたないというべきでは?
子供やペット、高齢者の見守りにSIM内蔵「どこかなGPS」を衝動買い
たいていのところが携帯電話の圏内になって、この手のサービスが使えるようになってきたわけですが(その前は通信機部分が大きすぎて実用的とは言えなかったですから)、ひとつ疑問があります。見守りということは行動をモニターしていないといけないことを前提にしていると思うのですが、その機材が充電という、見守りの対象から外す保守作業を前提にしているのはどうなのでしょうか。見守りサービスであれば想定されている生活圏から長期間離れることは前提にされないので(むしろ離れたら異常と判断すべきです)、「帰ってくる」という発想自体は良いですし、帰ってくるまで2日ももてば十分だという考え方も理解はできるのですが、帰ってきたところで機材を対象から外して充電しないといけないわけですよね。それこそ携帯電話でよくある通り、充電して忘れて外出するわけで、見守りサービスの端末のように本人に直接的なメリットのない機材であればなおさらでしょう。「ベストバイ」というよりは「ないよりましだが改善の余地大いにあり」ではないでしょうか。

■2020年05月21日(木)  そういうもの
コロナ禍で露呈 あなたは「人間性を疑う」上司やパートナーと居続けるべきか
問いの立て方は悪くないのですが、論の進め方には少々疑問があります。
現代どころかとりあえずすべての文明は、逃げられない社会に基礎を置いています。この点は筆者の指摘する通りです。時折移動し続ける(というよりは長期の定住や固定した集団を前提としない)文化に憧れを抱くものの、おおむね定住しない社会を「野蛮」の一類型として排斥しています。したがって、「今日的な「遊動者の知恵」とは、フランクルの警句に従えば、「裸の実存」を物事の判断の中核に据えて、尊厳を損なうような場所から、実りのない関係性から、素早く見切りをつけるフットワークのことです。」と言ったところで、どこに行っても尊厳は損なわれ、実りのない関係性ばかり見出すことになります。個人の選択に還元したところで何も解決しません(行動基準を含めて、選択の余地を作り出すことは無意味ではないかもしれませんが)。もちろん、だからと言って個人の人格の陶冶を訴えたところでやはり解決はしないわけで、まあ、下層民に強いストレスをかけることで上層民の衝動をシステマティックに解消する形にしかなりようがないでしょう。
むしろ、システマティックに人の間の距離を確保しようとしてきた工夫を見ていくべきではないかと思います。コロナ騒動の例も、むしろこんな要素の集合でありながら、コロナ以前はなんとなくやってこられたわけで(それでも色々歪みが出ていた印象はありますが)、それこそ「一緒にいない」、「我慢できる範囲で付き合う」、「保護したり保護されたりしなくてよい」制度が、「人間性」などというドグマにもかかわらずできつつあったのではないか、そういう論の進め方が必要なのではないかと思います。
このような観点からは、例えばシェアエコノミーも、シェアを新しいとする見方ではなく、疎遠な形でもシェアができるようになったという観点で見ていくべきなのかもしれません。まあ、シェアはシェアでもストックシェアはいささか間違った方向に進んだような気がしますが。

■2020年05月21日(木)  資格認定機関としてすらそっぽを向かれるよりはよいわけですが
学校再開後もオンライン活躍?「積極的不登校」にも備え
「積極的不登校」で、一瞬、「授業に出ずに自習して試験だけ受けて卒業資格を貰う、余った時間で資格や発展的な内容の学習をする」というのを連想してしまいました。
まあ、人を集めるというのがそもそも貧乏くさい話で、高等教育を除く学校というのは、本がない、本が買えない、本を売ってくれる店もないところで字や話し方を教えるための仕組みではあったわけです。学校で使われている教材を全て買う費用が一人年間10万円までは行かないでしょうし、物流と決済手段の発達により通信販売が実用的になった以上、特定の場所で特定の時期でないと手に入らないということもありません。設備はまた別ですが、そもそも体育館とプール以外の設備を活用できていないと学校が批判されているわけで、一方で体育館とプールは主に課外活動で取り合いになっています。学校の敷地に生徒を集めて管理するというルーチンワークが働かなくなった際に全く状況に対応できなくなっていた点から見て、あまり学校を前提に将来の話をしない方が良いのではないでしょうか。
それでも法的な制度として○○学校卒という資格だけは残るわけで、学校の堕落した姿が資格の発行機関と言えますが(なにしろ教科書や教材の作成という機能はすでにアウトソーシングしてしまっているわけで)、これだときっちり本人確認をして試験をするだけでよいという、ICT活用の極北に至ります。正直これでよいとはあまり思えないのですが、学校でのICTの活用を論じる前に、教育の普及、教育における機会の均等という目的にICTをどう活用していくかという議論をしないといけないのではないでしょうか。

■2020年05月20日(水)  相手が寡占企業だというのが
5G展開の携帯大手へ減税 決定までの異例の展開とは
減税ですか。あの三社ないしは四社に。
正直コロナ後対策よりもよほどスキャンダラスだと思います。要は機器ネットワークへの設備投資の促進であるわけですが、キャリアが現状ではできないと言うなら事業団でも作ってハード部分を作ったうえでキャリアに貸し出せばよいでしょう。民間でやった方が良いのはリスクがある場合です。5Gの場合、5Gが来るかどうかではなく、どのキャリアの5Gネットワークに客がつくかがリスクなのですから、オペレーターが設備を共用できるようにすればどう転んでも展開した設備は使われることになります。この場合鉄道や道路にも増してカバレッジが問題ですから、僻地に設備を展開する正当性もあります。赤字ローカル線のようにそもそも誰も使わないなどということはないのです。
むしろ問題は保守にあり、機器の置き換えや5G後への対応で支障が出る可能性があります。そのあたりを経済合理性に照らして進めていけるのは民間企業ということになりますが、そもそも経済合理性に照らすと迅速な投資と設備の展開ができないというのですから、それこそ2035年くらいで捨てると割り切って5Gへの投資を引き取り、格安で使ってもらって、それこそ6Gへの研究開発投資と設備投資財源の確保を進めてもらう方が良いとも考えられます。
正直あの連中を優遇するような類の公共性があるとは思えないので(あるならむしろ国営化して公的独占にすべきでしょう)、楽天みたいな無様な参入にならないように、また競合キャリアから設備を借りて揉めるような話が起きにくいように、より実効性のある形で参入のハードルを低くしていくべきと思います。

■2020年05月20日(水)  だったら自分でやればよい
大阪の吉村知事、甲子園中止に「考え直してもらいたい」
こういうことを、選手ではなく政治家や有名人が言うのは感心できません。高校生の野球大会は、それこそ高野連と関係諸団体がきちんとテンプレートを確立してきたイベントです。高野連がやらない、できないと言っていて、それに反対するなら、リスクを負うべきだというなら、自分で有志を集めてやればよいでしょう。大変なのは参加者を集めるところだけですし、自治体の首長が賛同するならそれだって方法はあるでしょう。新人歌手のコンサートを開くよりはよほど容易なはずです。評価にしたって従来のイベントと同程度に統制された結果であればよいわけで、別に高野連主催の大会でないといけないとかは、ちゃんと開けていれば評価する側は言い出さないはずです。入学試験自体の中止とは話が違います。
言うだけならただ、それで中止が撤回されたら儲けものではありますが、事が会場治安に関わる責任の問題である以上、特に公人の発言は慎重であるべきです。するなとは言いませんが、無責任で非建設的な発言は問題です。アナウンス効果って、有象無象の投資家に向けた日銀の市場誘導策だって雰囲気の誘導というまっとうな目的があるわけで、正当化できる目的に即して相当計算したパフォーマンスをやっているのです。私はあの手の公立イベント屋は大嫌いですが、それでもこういう形で責任者をいじめるのはおかしいと思います。たとえ中止によって大阪府がなにがしか損害を受けるのだとしてもです。何様のつもりなのか、何様だというならそれにふさわしい行動をもって示してほしいものです。

■2020年05月20日(水)  マスメディアも罪作りな…
新型コロナと5Gを関連付けたニュースが実際に被害を発生させている欧州
信憑性がどうこう以前に、読者投稿ならともかく記事として報じる内容ではないと思うのですが、コメントを取った記者は何を考えていたのでしょうか。いや、というか、5Gの基地局ってそんなに怪しげなのでしょうか。欧州でも携帯電話自体はしっかり根付いているはずで、そのインフラを攻撃するというのが驚きです。以前からの電話嫌い、携帯電話反対派とでも言うなら理解しますが、そんな人が今時そうそういるわけもないと思えるのですけどね。
正直これでも市民の示威行動というのを肯定できるのか、市民運動家のコメントが欲しいところです。集会禁止、外出禁止の方がまだましではないでしょうか。もちろんアホがバカなことをやるのまで責任は取れないでしょうが、示威行動をする自由があるということはこの手の破壊活動をする自由もあるということです。自由でオープンな議論の場というのはこの手の馬鹿な発言やそれを受けた馬鹿な行動を必然的に伴います。バカの面倒まで見られるかというのは、自由でオープンな議論の場を権利として要求する側としては無責任な意見だと思います。
医者のコメントを新聞が報道ということで妙な信憑性をもってしまった部分があると思いますが、そんな責任は負いきれないにせよ、罪作りなことになったものです。
英国で「5G電波の害から保護」うたうフェイクUSBデバイス発売中。価格数万円 実態は128MBのUSBメモリー(650円相当)
うわあ。いやまあ、健康被害が絶対にないとまでいう気はないんだけど…フェイクかどうかまで判断する気はないけど…宣伝文句が思いっきり中二病臭くて胡散臭い…私が高校生だったころの子供じゃないんだからさ…それと「5Gはすべてを監視しコントロールするための手段だ」って、それは対策の取り方が違いますよね?ひょっとしてテレビもラジオも嫌いな人です?自治体の議員さん。
うわあ。

■2020年05月17日(日)  賃労働者というのは度し難い
旅行や花、いま必要? 「コロナ後」に重き置く補正予算
確かに役に立たない公共事業や給付はダメといったのは国民なのですが…わかってはいましたが、こういうドレッセをやるのですよね。
経済活動を再開するにあたって、円滑な再開を心がけることはわかりますし、まずは需要を確保するということ自体は間違っていません。数か月後を見据えた対策は必要です。それを、緊急対応ではないとけなすのはどうかと思います。今年度の予算審議にしても、すでに5月なのですからどのみち補正予算とするしかないでしょう。とはいえ、緊急に必要な内容が出てこないのであれば、それも問題でしょう。本来そのあたりは、政府の取りまとめなど待たず、国会議員の間でアイデアを出し合い、法案として提案していくべきです。裏工作は褒められたことではないとはいえ、方針について討論を待っていられない程度には緊急でしょう。角を突き合わせていないで、合意できることからだけでも進めていく柔軟性が欲しいところです。幸い経済統計や消費者統計に大きな漏れが疑われるような状況ではないわけで、ここまで全体を見なければならないような状況では悪くない精度で入り口と出口がどうなっていなければならないかを過去の状況から推測できます。問題も、自治体や福祉事業者、生産者団体が報告してくれます。とりあえずは向こう半年くらいのスパンで、過剰在庫を処理し、餓死者が出たり債務不履行が多発したりしないように辻褄を合わせておけばよいのです。これなら官僚でなくとも政策提案は可能でしょう。
一方理屈をつけてコロナ後の需要喚起策を打ち出してきたことについては、正直このあたりは、「改革」派が理由をいろいろごちゃ混ぜにしてケチをつけすぎた影響があると思います。需要喚起策であれば後日ケチをつけられにくい、下手に直接支援策を出して事業仕分けなどされたらたまったものではない、行政担当者がそう思うのは、やむを得ないと思います。そういうしつけをしてしまったのは、それこそ民主党政権と、蓮舫さんや小泉元首相を支持した国民であり、この程度のボケなら自業自得です。業界団体にしても、後から後ろ指を指されるような提案はしにくい以上、差しさわりのなさそうな感じに飾ることは理解できます。ならば、これも議員の皆さんこそ、筋の通った提案をすべきです。元に戻すのか流れに任せるのか、役人はこういう状況では元に戻すという発想しかしませんから、元がおかしいというならそう言うべきです。ただしとにかく状況の変化に対応していける状態にはしなければならないのですから、目先の支払いに追われる状況だけは解消しないといけない。それで不当に救われてしまう人も出るでしょうが、そのあたりの可否の判断を背負うのが国会の役目でしょう。

■2020年05月16日(土)  通俗歴史系売文業者も近代国家史観の徹底的な反省をして欲しい
歴史教科書通じて隣国と対話 排外主義高まる今こそ
歴史というか史観というのは揉めやすい、難しい問題で、それこそ学制当初キリスト教天地開闢史観の世界史(万国史)の教科書と衣替えした皇国史観の日本史の教科書が日本の学校で同時に使われていたなどという話もあるわけですが、歴史学の専門家ならある程度客観的な装いをこらす訓練は受けているものの、教師レベルだと学界ではすでに相手にもされなくなった古い歴史観を平然と講じてしまうことが少なくありません。記事にある国際歴史教科書対話は書いてある通り第二次世界大戦を受けた活動で、ナチスドイツの扱いはもちろん、普仏戦争、ナポレオン戦争、ポーランド分割、東方植民といった内容まで議論しています。実は東洋史の方が問題が根深く、それこそ中国の範囲(現在の南部沿岸地域などベトナム北部と政権がかぶっています)から隋や唐の朝鮮半島への干渉、倭人と広開土王の扱いや大和朝廷の百済遠征と白村江の戦い、モンゴル帝国、倭寇、豊臣政権の外征など、近代日本の侵略のほかにも問題が山積しているのですが、各国それぞれ、自国史観の中に閉じこもっています。専門家の間で近畿の朝廷の範囲、つまりは日本の歴史的領域が問題になったのは1980年代以前からですが、日本が本州北端に達したのはどう早く見積もっても12世紀、沖縄が日本に含まれるようになったのは近代以降という認識が浸透したようには思えません。
もっとも、ここまで深刻ではないにせよ、プチ歴史の偽装とでも言うべき言説はそれこそ蔓延しています。例えば京都。平安千年の都などというキャッチフレーズが宣伝目的の嘘っぱちであることを知らない人はさすがにいませんが、現在の京都の原型が平安京から東南に移動しており、政治的には核とも言うべき内裏すら平安時代の中期(源氏物語などの舞台であり、我々が歴史読み物で親しんでいるところの京都)には荒れ野と化し、天皇の所在地が姻戚の有力貴族の屋敷地を転々としていたこと(御所というのがそれです)、ごく一部の寺社を除き、現在の京都の直接の原型は豊臣秀吉以降のものであること、中世以降の京都町衆の文化にしても、基本的には応仁の乱以前には遡れないことは、教科書には書かれていません(もっとも副読本の地図などを見ながらちゃんと読めば一目瞭然ですが)。そこを旅行業者が利用して、観光客を呼ぶキャッチフレーズになっているわけです。少し考えれば、京都御所の位置や教科書で平安京では寺社は周辺部に配置されたといった記述と今も残る東寺の位置から、おかしいとわかるのですけどね。もっともこれは中国やヨーロッパも同じで、北京も南京も整備されたのは明以降ですし、成り上がり王家の新興都市であるベルリンはもちろん、パリもロンドンもごく一部の歴史的建造物以外は18世紀以前には遡れません。シテ島周辺以外のパリの主要部が整備されたのはフランス革命以降ですし(ですからエリゼ宮やチュイルリー宮、ルーブル宮などは当時はパリの外縁部、外れだったわけです)、ロンドンは19世紀まではイングランドの首都ではありませんでした(現在は大ロンドン管区内ですが、国会議事堂のあるウェストミンスターは本来ロンドン(いわゆるシティ)の隣町で、いくつかある王宮もこの周辺です: というか、だからこそシティは王家立ち入り禁止という話になるのです)。ウィリアム一世も、意図的にロンドンの外にいわゆるロンドン塔を建てて、嫌がらせをしているわけです。それこそ東京(江戸ではなく)とさほどの違いはないわけです。三千年の歴史を誇るローマは中世に歴史的建造物を解体してキリスト教建築物や聖職貴族の屋敷を建てるという蛮行の上に成立していますし(コロッセオも、あれは時が経って壊れたとか戦争で敵国に壊されたのではなく、ローマ市民が壊して家を作るのに使ったので欠けているわけです)、アテネなどアゴラのあまりの不便さに元首制時代のローマ皇帝が新市場を建築し、19世紀にはイギリスやフランスの手先が古典時代の遺物の粗雑な扱いを嘆いて略奪に走る有様でした。このあたりの偽装は全て、近代の国家史観の産物です。
北方領土は日本の歴史的領域などという謬説も含めて(自宅を追われた旧島民には同情しますが、それと歴史認識は別です)、観光などの周辺産業を含めて、出版業を中心とする文化産業は、近代の侵略主義的歴史認識の問題を、歴史認識を肯定するにしろ否定するにしろ踏まえてほしいものです。

■2020年05月16日(土)  こういうのがプロを名乗るのはどうかと思います
韓国の企業グループ、防護服3千着を寄付 東京都などに
だから記事のタイトルには気をつけろというのに…
「企業グループ」という単語で何を想像するでしょうか。記事を読めばすぐにわかりますが、この記事で指している「企業グループ」は駐日韓国企業連合会で、つまり国外進出した企業の現地の互助会の類です。しかし、通常企業グループといえば、資本や事業において一定の関係を持った企業の組織、つまり三菱グループと通称される三菱金曜会やソフトバンクグループのようなものを指すはずです。なので、タイトルを見て韓国の財閥が何かやったかとぎょっとしたわけです。
個人のブログでこの手の妙な語用をすることは仕方ありませんが、公開前のレビューを前提にしたサイトや刊行物の記事では用語のチェックは基本中の基本です。寄稿者もチェックを前提に用語に注意を払いますし、そのあたりをちゃんとすることがプロになるための訓練に含まれます。そこをちゃんとやっているから信用もされ、お金も払ってもらえるわけで、新聞や雑誌のようなメディアでこのレベルの怪しげな言葉の使い方をするのは、社長が編集体制の点検を声明するくらいには重大な問題ではないでしょうか。
ちなみにこれも、面白記事の類だとは思いますが、こういう記事に新着コロナ情報のタグをつける神経にはいささか問題がある気がします。問題視されるリスクを負うのは横浜市や議員なので、正直同情を禁じえません。

■2020年05月16日(土)  これで普及するのでしょうかね…
専門家なしでローカル5Gを運用可能に NECが学習型通信分析技術を開発
言い換えれば、5G対応機器でローカル通信網を構築するには専門的知識に基づいた分析が不可欠ということになるわけですが、それこそ業務レベルの無線LANを構築するには現地調査を含めたコンサルティングが不可欠という話はあったものの(真面目なドキュメントはともかく、気軽にそのあたりを知るにはなれる!SE - サイトが消滅した場合のためにWikipediaの記事も - の6巻で工平君のサイドビジネスの顛末を読むのが良いかと)、「従来の手法では設置環境や通信の利用状況が変わるたびに膨大な教師データが必要となった」というのでは、そもそもカジュアルな設置自体が無理筋ということになります。基地局の同時通信端末数を増加させるのは、通信事業者として人口密集状態に対応するとともに、ローカル通信網においてネットワークの最適化の手間を省くためではないかと思うのですが、この記事からするとそうではない、むしろ適宜最適化を繰り返していくことが前提と読めます。サービスインに絡んで色々問題が出てきていますが、こんな話が出てくるようでは5Gの寿命は案外短いのかもしれません。

■2020年05月16日(土)  郵送で手続が済むだけまし
電子の紙の錯覚
手続の本質を考慮せずに形式的に設計を行った部分があるのだと思いますが、例えば本人確認という実はそもそも妥協して済ましていた手続(電話や郵便物の送達をもって本人確認とするというのはぎりぎりのフィクションでしょう)を実装する際に変なこだわりを持ってしまい、しかも前例踏襲で旧来の窓口や郵送での手続はそのままできるようにしてしまったために、ネットでの手続には煩瑣な割に漏れがあり、郵送の方が簡単などという事態が発生してしまったのだと思います。もっとも、この錯誤は役所だけの問題ではないので、どうせ元々いい加減だったのだからなどと言ったら大問題になっていたと思いますが。今考えると行政手続の電子化の議論は全体的におかしな話が多かったので(PDFやワードドキュメントに「記入」なんてのもそうですね)、とにかく手間を省いて紙での手続を踏襲した現状はまだましなのかもしれません。検索可能性にしても、文書ごとに設計を起こさなければならないとはいえ、様式がわかっていればデータベース構築時に柔軟な処理ができる程度にはコンピューターの能力やシステムの対応能力は進歩しています。どうせ見直し必須なのだと考えれば、21世紀初めの時点の認識を元に変な実装をしないでむしろ良かったのではないでしょうか。一度実装してしまったシステムの移行は業務を大きく阻害します。時間をかけて移行できる紙と人間による作業とは違うのです。
そういえば、プリンタがないというのも、箱を備えた組織の中で作業をしている人にありがちな見落としかもしれません。そもそもコンピューターで何かをする人の手元にプリンターがないという事態を想像できないのでしょう。なにしろパソコンで何をするかというと、年賀状作りと写真の印刷だったりするわけですから。もちろん、出力に伴って不特定多数との接触が発生するというのは、そもそも公衆を相互に隔離するような制約を課される事態の想像は難しかったわけで、あまり責めては気の毒だと思います。このあたりはアドビがどうこうと言うより、窓口機関が通信会社に加入者の身元確認や料金引き落とし口座(最近はクレジットカードかもしれませんが、入金可能な口座でないにしてもなにがしか手段はあるでしょう)の確認を求めるような仕組みの方が良いとは思いますが、とはいえそこまで割り切った方法を公的機関が採用できるかというと、疑問ではあります。
なお、個人的にはPDFのフォーム機能というのは行政手続に使うにはばかげていると思います。認証情報をファイルにするという時点で、フォームの外側に何らかの身元確認手段が存在することが前提になります。つまり、ワードドキュメントに記入したうえで公開鍵暗号で二重に署名するような手続と、提出者と窓口がお互いに適切な鍵を交換していることが前提になります。紙での手続なら、印鑑登録(これが鍵の交換に相当する)済みの印影に印鑑証明をつけることに相当します。そもそも鍵や認証システムの運用すら民間に頼っている状態で(政府機関が認証制度を立ち上げても民間の認証機関 - つまりVeriSignなど - に認められなければ信用してもらえません)、まともな仕組みを立ち上げられるわけがありません。
ところで、この記事の関連として、内閣官房の支援策まとめサイトについての報知記事が挙げられていました。どこが関連なのかは微妙だと思いますが、もし意図的に挙げてあるのだとしたら、関連付けた人は冗談のわかる人ではないかと思います。

■2020年05月15日(金)  貨幣の増加と経済成長は別でしょう
GDP信仰と成長崇拝が社会を壊す
「国家破産して、債権と債務が帳消しされるだけのことである。」通常の手順で帳消しにしようがないから法的整理という手続を取るわけで、破産というのは純粋に会計処理の問題です。国民経済計算は結構ですが、国の借金が国民の借金なら借り手も貸し手も国民でしょうに。まして国債を買いまくっているのは日本銀行であるわけで(というか国債だけでは通貨供給が不足するため他の債券まで買っているわけですよね)、会計処理としては問題の起こりようがないのですよ。貸し借りといって何を貸して何を借りているのか。貨幣でしょう。もちろんその貨幣を用いて(たいていは貸主以外の相手と)何かをやり取りしているわけですが、それ自体は借りれるものでも返せるものでもないのです。国民経済計算というのはこの借りれも返せもしないものを貨幣を単位として量っているだけですから、お金が積みあがっているように見えてしまうだけでしょう。
第一、「成長」などというものよりも借方と貸方のバランスと対消滅の方がよほどまっとうな概念です。
また、経済資源の「適正な」分配自体は可能な方法がいくつもあります。貨幣を需要家に配って供給者に支払わせるのも一つの方法です。国債で入手した貨幣で妥当な政策に支出しておいて適切な課税で償還するというのも、分配のひとつの方法です。課税というのは貨幣を集めることですから、所得や取引に対象を限る必要はないのです。むしろ財産税の方が所得税より歴史があるはずです。なぜか左派の方には人気がないようですが、利子課税だってかまいません。証券に課税したって良いでしょう。所得税とか一般取引税にこだわる方が、頭が悪いと思います。それこそMMT論者の方がよほど頭が柔らかいのではないでしょうか。
正直介護のような物的福祉は正当でパチンコもその一つである精神的慰めは正当でないと言うこと自体おかしいと思いますが、仮に需要家の選好が歪んでいるために本来為されてしかるべき支出が需要家レベルでは為されないのだとして(そう言っていますよね)、適正な支出先が介護や教育である、現在行われているようなそれであるという根拠が不明ですし、それが統制経済でしか実現できないとする根拠も示されていないと思います。そもそも何が適正な使途であるかという判断は経済学の容喙すべきものではないでしょう。どちらかといえば、どちらも成り立たせる工夫を導き出すのが技術としての学問の役割だと思います。もちろん、ビッグブラザーとして国民偕農でも実現したいというならそれはそれで一貫してはいるでしょうけど。倫理から言えば、分業や消費、文化自体が悪でしょうに。

■2020年05月14日(木)  摩擦的失業という認識でよいのかどうか
「いまこそ生活保障のしくみを」 近藤絢子東大教授
真摯に業種間の労働移動を論じているのかもしれないのですが、これが逆、つまり小売りや流通から飲食・接客等への移動であっても「理屈の上では、仕事を失った飲食業の人たちがスーパーなどで働けるようになればミスマッチは解決します。」のようなことを言えるのかどうか、気になります。また、ある程度専門性の高い接客業と小売業、あるいはさらに専門性の高い一部の運送・物流業の間での雇用の流動性というのはありうるのでしょうか。専門性の低い職種が、小売りにしろ運送にしろ季節性が高いことも問題でしょう。処遇と合わせて、そのあたりもきちんと議論する必要がありそうです。また労働需給の傾向がせいぜい一年程度のものなのか、それとも10年程度維持されるものなのかも問題です。
基本的には現場での研修一週間で実務に投入できるような仕事は機械に置き換えるべきだと個人的には思いますが、そこまで言わないにしても、専門性が高まると、業種間の労働移動性というのは下がるはずです。こういう専門家というのは、そのあたりをどう考えているのか。この記事が「コロナ後」に関わるものであるだけに、そのあたりが非常にあいまいに見えます。

■2020年05月14日(木)  高さが必要なら70型でもよいのでは
マシンスペックよりも4画面が大事――ライター古田雄介氏の場合
表示デバイスの広さと解像度が重要という点はその通りなのですが、「そのためには視界の8割をデスクトップの世界で埋めたい。」ということなら70型くらいの4Kモニタでもよいことになりませんかね?もちろん液晶の解像度は1枚の大型モニタよりも4枚の高解像度モニタの方が高くなるので、間の抜けた大型モニタの表示よりも中型モニタを並べる方が良いというならその通りだとは思います。

■2020年05月13日(水)  文房具にしては高くはありませんかね
日本マイクロソフト、Surface Go 2を学校での文房具のような存在とアピール
まあ、パソコンというのは文房具ですよ。オフィスにおけるパソコンなど、まさに文房具です。筆、墨、硯、紙、そろばんといったところですね。
とはいえ、文房具にかける金額かという問題はあります。たしかに一番安いものだと、日本の基準で考えれば3年で償却として年額2万円程度であるわけですが、パソコンというのはそれだけあっても仕方がないこと(学校を離れるとネットアクセス用の携帯電話回線が必要かもしれません)、文房具を完全には代替しないことを考えると、贔屓目に見てもいささか高価な進学祝いというところではないでしょうか。しかも、この種の製品の場合、最下位モデルは実際には性能的に不十分であることが普通です。12万円のiPhoneの方がうれしいと言われてしまう可能性は十分にあります。

■2020年05月12日(火)  古典学、古典研究はclassical studiesでしょうに
日本西洋古典学会
日本語名は良いのです。しかし、英語名称を見て目を疑いました。The Classical Society of Japan。The Society of Classical Study, Japanではないのです。まあ、古典研究家が英語を使うというのはいささか不思議で、ラテン語を使えばよいと思うのですけどね。古典期真っ盛りのローマでは学者の共通語はコイネーだったとか、近代イギリスでは古典研究が盛んだとか(もっともヨーロッパの大学には共通するのですが)、ラテン語を使わない理由はいろいろあるとは思いますが、14世紀に端を発する近代古典学が後期中世ラテン語を共通語としていたことも確かです。一度母国語で論文を書く慣習ができてしまい、そこから英語が突出してきたために、日本の古典研究者が英語で論文を書くといった不思議な状況になっているのだろうとは思うのですが、発音が母国語訛りしているのはともかく、書く方が古典ラテン語準拠というのが古典屋の基本でしょうに。

■2020年05月12日(火)  Engadgetサービス仕様変更?
Engadget日本語版が、記事を開こうとしてもトップにリダイレクトされる状況になっています。記事へのリンクは機能している感じなので、もしかするとログインしていないとトップにリダイレクトされる仕様になったのかもしれません。
5/13 直りました。

■2020年05月12日(火)  モバイルメインに使えるのか
速い!軽い!コスパよし! 最新Wi-Fi 6にも対応した約970gのモバイルノートPCをレビュー
「実用的なスペックを考えれば、CPUはインテルのCore iシリーズ、ディスプレーの解像度はフルHD以上、メモリーは8GB以上、そしてストレージは256GB以上のSSDを搭載しているものが欲しくなる。」
これ、本気ですか?スペックが低すぎでしょう。CPUとディスプレイの解像度はともかく、メモリは8GBではメインの業務には使えませんし、ストレージ256GBというのはクラウドストレージかNASの補助が必須です。フリーアドレスでのビジネス用途ならともかく、モバイルでまともな作業をするならオールインワンでないと困ります(外出時にまともな無線LANへのアクセスは想定できません)。

■2020年05月12日(火)  カバレッジに不安が出てきていませんかね
5G時代はWi-Fiルーターが固定回線代わりに? HTCもルーターに活路を見いだす
正直これには不安が出てきたというのが正直なところではないでしょうか。
予想以上に電波が届かないというのが、5Gの現状ではないかと思います。これが基地局の二次元的な密度の問題ならキャリア頑張れで済んでしまうのですが、ビルの壁すら通らないという話が出ていますよね。こうなると引き込みに屋外端末が必須になるため、光ファイバーの引き込みとさして変わらないことになりかねません。
それと、HTCが3Gのサポートを切り捨てたのは、想定している市場が中国だからという可能性があります。おそらくですが、中国の携帯電話網が広がった時期が4Gの普及期で、3Gが大都市圏にしかなく、速やかに4Gに転換できたのではないでしょうか。ヨーロッパ諸国や北米の人口過疎地域・回線整備の順位が低い地域では、まだ3Gは現役のはずです(まあ、そもそも電波が届かない地域も多そうですが)。
「正論」としては、携帯端末と拠点ネットワークで扱いが違うというのも問題です。ホームNASなどで外部からのアクセスを制限したいというなら話は別ですが、「ゲーム専用機でネット経由の対戦ゲームをする」のにわざわざアクセス回線を経由するのはばかげています。ゲーム専用機が5G端末を兼ね、それこそ子SIMでも挿せば済むのが筋です。IP家電も、ホームコンピューターからの制御を前提としているならまだしも、もはや制御の中枢をクラウドに置き、ホームネットワークに参加していないスマホから操作するような話になってきているわけで、これなら引き込み部分のルーターなど不要で、初めからIoT用の5G回線向けSIMを積んでおけば済むはずです。家電の定価にライフタイムの通信料を含む、そのくらいに狭帯域の回線維持コストが下がらないと、家庭向けIoTなど普及もしないでしょう。

■2020年05月12日(火)  市民運動では不況は克服できないような
「新型コロナ暴落」は大恐慌への導火線か?
18世紀以降の経済からの脱却を意図するというのでなければ、そもそも不況の発生する仕組みすら解明できていない政治経済学に民間療法じみたうさん臭さがまとわりついているのは仕方ないことで(もっとも景気循環論を作った挙句に対応に失敗したという点で経済学一般に不信があるのはさらに仕方ないことです)、赤字赤字と騒いでいる市民運動に恐慌を克服はできないでしょう。

■2020年05月12日(火)  神聖化というのとは少し違うような
「日本は五輪を神聖化しすぎ」 デーブ・スペクターさん
予定は決定ですよ。決定を変えれば責任者の首の飛ぶどころか面子が潰れます。そんな責任はだれも負いたくありません。というのが日本の論理ではないでしょうか。
神聖化というよりは、そもそも止め時を判断したくない人達が神聖化の言説を弄しているのではないでしょうか。所詮イベントなど、神の権威でも借りないことには正当性を主張できない類です。本来は所詮イベントなのですから、一定の事情がある時にキャンセルできるようになっているべきです。そこでキャンセルのペナルティを設定するかどうか、それはいくらかといった話はテクニカルなものですが、本来実施に大きな障害が出たときに、そのペナルティを比較して進退を決めるものです(逸失利益という基準もありますが、少なくとも現状これは機能していません)。まず、こういった仕組みを設定できていない点は、日本側ではなく国際オリンピック委員会に責任があります。利益が招致側に発生するにせよ、イベントの継続的運営を任されているのは国際委員会であり、したがってフェアな契約を提供する責任もそちらにあります。もちろん、リスクを見越したフェアな契約を要求できなかった招致側にも責任はありますけどね。その上で、キャンセルの判断ができない組織委員会は無責任といってよいでしょう。本来、キャンセルされたくなければ国際委員会も応分の負担をしろと言わなければいけないところ、無責任であるがゆえにキャンセルは避けたい、しかし費用は負担できないという二律背反に陥っているわけです。高くつくにしてもどうせ他人の金なので、神聖化でも何でもしてとにかく形がつくようにできれば自分の責任は問われないと思っているわけです。
まあ、当初の、会場の工期が遅延したとか建設費が高騰したとかいう問題はともかく、伝染病なんて組織委員会に責任はないのですから、沈痛な顔をして安全を優先し断腸の思いでキャンセルを判断したと記者会見でもすればよかったと言わざるを得ません。その点は寄稿者に同意できるでしょう。

■2020年05月12日(火)  使わないパスワードなんてそんなもの
10万円給付、窓口に人が殺到 総務相「改善が必要」
ああ、やっぱりみんな設定したパスワードなんか忘れて、本人証明書類かなんかとして使っていたのですね。まあ、改善すべき点が明らかになったこと自体は良いことだと思いますが、認証というのは決定打が今のところ存在していないのですよね。ある程度リスクを取りつつ本人であると推定するというレベルで、これは実は旧来の認証手段、つまり日本で言えば印章であっても変わらないのですが、番号という時点で印鑑のような証明手段の個体識別の可能性が低下してしまうため、要求される認証の精度が厳しくなっています。パスワードで悪いわけではないのですが、どうせ忘れるわけで、忘れない程度に頻繁に使うようにしておくべきです。それこそコンビニATMで毎月運転免許証を認証するような仕組みになっていれば、パスワードを忘れて窓口に殺到などという状況にはならなかったでしょう。その代わり、パスワードを漏らしてトラブルが起きたかもしれませんが。
生体認証は、指紋だけはだいぶコストが下がったはずですが、普及している指紋認証機材で端末の認証以上の精度を実現できるかどうかが問題です。顔認証はマスクをかけると使い物にならないうえ、認証手段としては融通が利きません。AIである程度改善しそうなところが希望ですが、そもそも顔つきで認証する場合のリスクは決して低くなく、なりすましを排除できないでしょう。というか、迂闊な制度を作ると、それこそ死者に関係する手続で問題が起こることがわかりきっています。
効率優先の貧乏くさい仕組みにこだわらず、色々と緩い仕組みでも問題が起こりくいように工夫することの方が大事という気もします。
マイナンバーカードのパスワード設定システムに遅延 10万円給付金の申請でアクセス殺到
これはまた別の問題の可能性があり、そもそもパスワード設定だけ遅延するものか、本格的に利用された場合にリクエストをさばききれないようなキャパシティしかなかったのではないかという疑いがあります。まあ、初期設定がらみが一番重いのはあり得ることだと思いますけどね。

■2020年05月09日(土)  Apple WatchやGoogle Glassの後追いではビジネスにならない?
今、改めて、モバイルの点と線
モビリティとユティリティを考えるうえで、まず、ユティリティの面で液晶画面を備えた計算機の地位は当分揺るがないという点は認識しておくべきでしょう。使おうと思ったときに表示デバイスがないのでは話になりません。点における利便性を向上させても限界があります。つまり、重さや大きさと使い勝手のバランスの問題になります。次に、計算能力のアプリケーションの部分は外部に置けるとしても、表示に絡む部分は手元にあることが必要です。つまり、描画を行うための最低限のCPUとメモリ、そしてGPUは手元にないといけないわけです。この要求は、大きくなることはあるとしても、コネクティビティが改善するからといって小さくなることはまずないでしょう。回線速度が向上したとしてもレイテンシの問題は付きまといます。使い勝手を考えれば、レイテンシを無視できるような限られた状況を除きUIなどの即時性が要求される部分は手元に置かれるでしょうし、ストレージが外部に置かれたとしてもその分バッファやキャッシュは大きくなるでしょう。そうした状況下で、10.5インチ液晶モニタを備えた薄型軽量デバイスというのはひとつの落としどころです。またマイクロソフトが置かれた市場における地位も考えるべきです。表示を切り詰めたシステムについて、マイクロソフトは完全に競合に後れを取っていますし、挽回の見込みもありません。
もちろん、10.5型に特化した環境では問題があります。最低限100型くらいまではスケーラブルな設計にしておかないと、Windows 8の失敗を繰り返すことになるでしょう。とはいえ、10.5型で十分使えるようにすることは、十分意味があると思います。
その上で、今後のモバイルデバイスにおいて薄型モニターにこだわることは足かせになりうるというべきでしょう。どんなに薄型軽量になろうとも、折り畳みができるようになろうとも、例えばB0ポスターを携行することには困難が伴います。いくら布素材のメディアができたとは言っても、ブリーフケースに入れられるようになった程度で、ポケットに入れるというわけにはいきません。つまり、十分な計算能力とコネクティビティをポケットサイズの筐体に収めることが可能となった現状において、モビリティを制約しているのは入力と表示なのです。薄型モニターではこの状況を打破できません。ブレークスルーがウェアラブルデバイスになるかどうかはわかりませんが、タブレットがスマートフォンの後塵を拝している以上、ポケットに入らないデバイスをモバイルの中心に据えることはリスクが大きいと言えます。であれば、ポケットに入る、しかし表示の限界をなくしたデバイスが求められていると考えるのが筋でしょう。
なお、教育という分野に限っては、「オンライン授業で教師がいろいろと説明するのにしたがって、自分でも操作する」という状況は消滅していく可能性があります。昔から黒板の前でひたすら同じ演技を続ける教師をロボット呼ばわりする習慣がありますが、定型的な対応も含めて、小学校までの教科内容を教えるのに、人間による講義は必然的なものではなくなっているように思います。むしろ高度なエキスパートシステムの方が上手にこなせるのではないでしょうか。むしろ、指導は人工知能が行うことを前提にしたうえで、安全に実技を行う仕組み(仮想的なものを含む)こそが必要ではないでしょうか。10.5型が24型になっても、そこは解決しません。また一定の段階から場数を踏むことが必要になるコミュニケーションスキルであっても、初等段階では人間が対応しなければいけないわけではありません。むしろ、初等段階での対応が非人間的な作業であるがゆえに職業人を必要としているというべきで、それならば人工知能で十分です。人工知能の生産物としての特性はソフトウェアであること、つまり規格に合致した再生用ハードウェアがあれば生産費用が極めて低いことですから、適切なモチベーション管理策と合わせて、学校というハードウェアがソフト化されて家庭にいきわたる可能性があります。これは氏のいう点の充実に当たるかと思いますが、拠点に集約化された高度な設備を低機能の端末を介して利用するというよりは、ライブラリからコンテンツをダウンロードして高機能な再生機で享受するというモデルになります。

■2020年05月08日(金)  やらないよりはよほどましなのですが
事業者に「家賃3分の2補助」合意 与党案として決定へ
効果は融資がどれだけ速やかに実行されるかにもよりますが、まずは方策が出てきたことを評価すべきでしょう。
とはいえ、これがなぜ今の時期、つまり経済の混乱が拡大した3月やもう待てないという声が目につくようになった4月初めではなく、いったん出した営業自粛要請を解除したタイミングなのかは、気になるところです。また与党として政府に提言というのも不思議です。意見のすり合わせには時間が必要とか、与党として実施に当たる政府を尊重するということではあるのでしょうが、取り掛かりを含めてtoo lateですし、正直提言と並行して国会への法案上程を進めるべきというか、それができる精度のものになっていないなら仕事をしていないことになりますし、内閣提出を前提とするというなら与党ではなく内閣がハンドリングすべきです。あるいは内閣と与党議員団で何らかの分担があるのだとしても、報道された内容であればむしろ与党が内閣の尻を叩くといった話であるのが筋で、のんびり提言などしている状況ではないでしょう。
こののんきなふるまいを見ていると、緊急事態法制など整備するだけ無駄じゃなかろうかという気がしてきます。

■2020年05月07日(木)  ホテル代に保険はきくのでしょうか?
コロナ患者、自宅療養が2割 厚労相「宿泊施設利用を」
「宿泊施設で療養してください。」とだけ言われても、あてもなし、金もなしという人が多いと思いますよ。ホテルだっていきなり感染症の療養のため宿泊したいと言われても受け入れにくいでしょうし、少なく見積もっても一泊5000円程度はかかる宿泊費を数週間負担できる人ばかりではありません。最低限、行政主導で受け入れ先のホテルをリストアップし、宿泊費は領収書と診断書を提出すれば健康保険から埋め合わせるくらいは手配しておかないと、意味がないと思います。

■2020年05月07日(木)  予想されていた事態ではあるはずです
欧州の金融緩和は「違法」 ドイツ裁判所が判決
日本で10年は前にこうした状況の発生を危惧する内容が書籍で出ているくらいなので、ECBでは織り込み済みの事態であるはずです。それこそ、ECBが欧州委員会や欧州議会でどのような評価を受けているかにかかっているのではないかと思います。

■2020年05月07日(木)  周りがついてこないなんて何年前の課題ですか
「チャンスなのに…」公立のオンライン授業、普及への壁
こういう話で愚痴るレベルにとどまっているから、教師に民間の仕事は務まらないとか言われるのではないでしょうか。自分だけができても仕方ない、周りを巻き込み、自分でなくてもできる仕組みを作っていくことが大事だというのは、それこそ20年前には企画の肝とされていたはずです。つまり、周りが否定的な反応をすることを見越して、説得し乗り越えるところまで用意しておく、そのために根回しでも裏工作でも議論の誘導でもするというのが、企画畑の人であれば普通の認識です。さらに、事を進められるだけのお金も取ってくるというのが当然です。その上で、コンプライアンスやセキュリティと言った話までフォローしなければなりません。組織人としては「録画したものを勤務時間外に個人的に発信するなら構わない」というのが当然で、「できない理由ばかりあげて、最初からやる気がないと感じた。」などというのはただの甘えです。
こういう人は組織で仕事をするのには向かないので、個人で学習塾でも経営することをお勧めしますが、その前に、父兄という回路を経由してみることは意味があるかもしれません。学校というところでは用意されていないリスク評価やIT技術といった要素も、学校の外に出れば持っている人は少なくありません。どのみち担任でもやっていれば生徒の父兄とはつながりがあるのですから、「長期休校の非常事態」などというなら理由でもつけて生徒宅に電話でもしてみればよいのです。非公式な話ですから持ち込み方には注意が必要ですが、普通に課長がやれている人ならダメ出しくらいはできるでしょう。組織を論ってSNSに愚痴る前にそういうことまでやってみるのが、熱意というものです。父兄であればある意味内輪の人間ですから、実は校長が消極的でといった話になってもだいたい笑い話で済むでしょう。まあ、学校での人間関係が悪くなるかもしれませんが、そのくらいは覚悟の上ですよね?
もちろん、こういう平社員を導いていくのが日本では管理職や管理職見習いの仕事のひとつだったりするのですが、そもそもこういう提案をすること自体学校という仕組みにおいては想定されていない(大学を除く)ので、校長や教頭にはいささか酷な要求でしょう。就職前にプロジェクト運営の経験があればよいのですが、こういう低レベルな愚痴を言う時点で、周囲を説き伏せないといけないようなプロジェクトの経験はないと思われます。教員がこの種のプロジェクトの経験を積む場としては、研究会、外部との提携、イベントがありますが、必ず経験するものとも言えなければシステマティックにその種の経験を積ませてもらえるわけでもありません。

■2020年05月07日(木)  あると入れろと言ってくる客がいるからということなのでしょうが
チューリップ 残酷物語
えー。あけぼの山農業公園は出張で近くに行って遊びに行こうと思った記憶がありますが、確か入場規制ができる構造だったはずです。一部を開放しているのであればやむを得ない選択かもしれないと思いますが…時間外に封鎖を乗り越えて侵入する不心得な周辺住民でもいるのでしょうか?
なんというか、ディスタンスを取れと言われているのにコンタクトを取る、あるいは他人が行きそうなところに他人がいそうな時間に行くことしか思いつかない人達というのはまさに衆愚だと思いますが、それを前提にやったことの結果がこれだと言われると、やるせないものは実際あります。「花を見ることさえ認めないコロナ対策に人類の危機を感じないではいられない。」という部分には共感できませんが、「馬鹿ばっか」と言うなら否定はできません。

■2020年05月06日(水)  何で政府機関が民間企業の提案の受け入れを強要されるのかと言いたい気持ちはわかります
フランス政府、新型コロナ濃厚接触追跡アプリ開発にアップルが協力拒否したと非難
政策を実施するための道具という認識であれば、政府の要求に民間企業が応じるべきという気持ちはわかります。ただでさえAppleは態度がデカいことで有名ですしね。プライバシー保護についても、枠は政府が決めることで、自社の設定した枠を理由に民間企業が政府の要求を拒否する、民間企業の設定した枠組みに政府を従わせることは問題だという考え方はあり得ます。
とはいえ、Appleとしてはプライバシーを含めたプラットフォームを提供しているという認識で、政府と言えどもプラットフォームのユーザーでしかないこと、プライバシー保護を含めて提供する機能に責任を負っていること(あるいは責任を負うというスタンスの維持が同社のビジネスにおいて必要不可欠であると考えていること)を考えれば、プラットフォームを使うのであれば勝手をするなと言うのも当然ではあります。
どちらかというと、問題はプラットフォームが政府の行動を規制してしまっていることにあるのでしょう。現状、仮に国内法上適正な手続を経たとしても、Appleに要求への対応を強制できない可能性があるわけで、そういうプラットフォームを無視できないことに、政府機関としてはかなりストレスを感じざるを得ないと思います。現時点ではAppleの示す対案を受け入れることになるにしても、何らかの対応策が出てくる可能性があります。
コロナ追跡アプリ、政府主導で グーグルとアップル要求
クレームに対応、ということなのでしょうかね。

■2020年05月06日(水)  財政の自主権がないと大変ですが
静岡県知事、政府に強い不満「協力金出せない市町ある」
地方自治体には課税や地方債の発行について制約があるので(もっとも財政規律を外部から保証している面もありますが)、こういう不満が出てくることは仕方ないのですよね。国が何かやるならそのあたりをちゃんと手当てしたうえでやってくれというのは、その通りだと思います。もっとも急な事情が発生した場合に財政措置まで行き届かないとか、国からの支払いがすぐにはできないということは十分ありうるわけです(今回の場合大規模な対応が取り沙汰されてから相当時間が経っているわけで、弁解の余地は少ないですが)。一方で不満を言うにしろ記者会見でというのは国の面子を潰す行為ではあるわけで、そこに至る経緯を相互に了解していないと実際の交渉は大変だろうなとは思います。

■2020年05月05日(火)  トマトジュースじゃだめですか?
フリーザ様も前知事も「青汁返杯」自分の番待つ高知県民
ありです。ありなんですが…基本的に肯定するのですが…青汁…フルーツトマトを絞ったトマトジュースじゃだめですかね?
というのと、まあ、酒を一気飲みする画像を投稿するのは感心できませんが、酒屋さんや酒蔵さんはこれじゃ納得しないだろうなと。地場産品である分、ドライにするからと言ってマグカップ一杯のブラックコーヒーの一気飲みをするよりは望ましいとは思うのですが。お守り民芸品の普及よりはよほどましですしね。

■2020年05月05日(火)  何か一定の事情があったのではないかという気もするのですが
「マスク着けて」注意した警備員、相手家族に射殺される
警備員に注意されて切れる人は珍しくもありませんが、わざわざ家に帰って凶器を取ってくるというのはなかなかすごい話です。もしかして何か事情があったのではないか、例えば入店を拒否されて揉めたとか(マスクをつけていないからと入店を拒否されたら気には障るでしょうね)、そもそもそういう注意をしてくるとは思っていなかった相手からされたとか、そのあたりが気になります。

■2020年05月05日(火)  これだから迷信は
コロナ終息願う「アマビエ」の置物、熊本で想定外の増産
まさか願う以上の意味があると思っている人はいないと思うのですが、それでもこういうのは国の恥とは言わないのでしょうか。コロナ終息の願いを公にすること自体は否定しませんし、それになにがしか謂れのあるモチーフを使用することも個人の趣味の範疇でしょう。しかし、そのようなアイコン自体を頒布したり売買したりするというのは、感心できません。買う方の正気も疑いますが、それはまあ、ロゴ入りグッズや記念品を買っているのと同じだと言えなくもないのですが、商売にしたり、それをいい話風に報道したりするというのは便乗商法でしかないでしょう。それが民芸品の保存活動であっても同じことです。
まあ、お祓いをする国ですし、十字架に付加価値をつけて売っている宗教団体のことを論うのでなければ筋は通っているのでしょうかね。

■2020年05月05日(火)  代わりに何をやらせるかが問題ですが
「かわいそうだから」で子どものスマホ長時間利用を許さないで
まあ、そうですよね。もちろんオンラインラーニングなんかもあるので、元のままというわけにもいかない状況もありそうですが。
というか、暇潰しにスマホに向かっているのだとすると、それを規制したとき何をもって代替するかというのが問題です。通常であれば友人とのリアルでの馬鹿話やサークル活動、外出などで暇をつぶすわけですが、現在これらはできません。スマホの代わりにテレビに向かうというのは本末転倒です。家事の手伝いなりアナログな勉強や遊びなり、代替するものを用意しておかないといけないでしょう。でないと退屈した子供が家の中をうろつくというかなり凶悪な状況が発生します。

■2020年05月05日(火)  iは全部Aとか
アップルが10万円以下のMacBookを出す?
ブランドの分離であれば、それこそmacOSがAシリーズチップでも動くのであれば、iMacまで全てAシリーズチップとし、i*はAシリーズチップを載せたパフォーマンス重視、Mac*は性能重視という方向性もありそうな気がします。というのも、低価格Macというと、2002年くらいのMacとi付きの分離を思い出すのですね。あの当時、MacBookとiBookというブランドでiBookの方が低価格モデルでした。

■2020年05月05日(火)  クローゼットの代わりに防湿庫を設置すべし
レンズにカビが! 正しいカメラの保管方法とは(衝撃画像あり)
レンズだけではありません。一眼レフであれば、ミラー、ファインダーなど、ガラス部分には基本的にカビが生えます。ゆえに、設置型などと言わず、レンズ交換式のカメラを長く使うつもりで買う場合は、カメラ自体を入れられる防湿庫を手配すべきです。そして、うっかり防湿庫ごと押入れや物置にしまい、除湿機能が働かなくなってカビが生えてしまう事態を防ぐためには、部屋の収納を電気除湿器とドレン機構を備えた防湿庫に改造するべきです。対象としては、床下収納や客室のクローゼットなどが良いでしょう。そんなところに入れたら余計カビないかという心配は、まっとうな除湿器と密閉構造さえあれば不要です。まちがっても庭のイナバの物置に除湿器を突っ込んで使ってはいけません。あれは断熱も悪いですが、そもそも密閉性が低いため除湿器を入れても全く効きません。保温に必要な電気代を考えなければ、中古の保冷コンテナでも買う方がましです。カメラというのは、それだけの覚悟をしなければ買えない機材なのです…というのは冗談ですが。

■2020年05月05日(火)  やはり家を変えるのが先なのでは
テレワークのために8年ぶりにGeForce搭載ノートを2台同時にポチって大満足の巻
LG gram 17を買わない理由がなんともふるっています。スペック面で不安があるというのはごく普通の話ですが、机に載せるとマウスを使うスペースがなくなるので買えないというのは、理解できますが問題があると思います。
とはいえ、おそらく多くの共働き世帯では著者と同じような状況になり、それこそ夫がリビングを追い出されて車やホテルはまだしも喫茶店やファミレスへの滞在を余儀なくされていると思われます(お前の仕事は喫茶店でできるようなものなのかという話はともかく)。一時的なテレワークであれば我慢するのも手ですが、これが常態になったらさすがにセキュリティコンサルタントが問題にするでしょうし、かといって家のリビングの机の取り合いにでもなると家の雰囲気が悪くなるでしょう。状況が変化したら奥様が出勤するようになるというならともかく、著者の場合、PCよりも、でかい机を置けるリビングのある家の確保を検討するべきではないかという気がします(お子さんを目の届くところにいさせる都合上仕事部屋というわけにはいかないのでしょう)。
まあ、でも、でかいリビングと広い机でPCなどを買うお金を使い切ってしまうと、この手の記事のネタにはならないのですよね。

■2020年05月04日(月)  ならぜひとも議院内閣制と天皇による衆議院の招集と解散の廃止を
コロナ対応で改憲訴える首相 便乗?与党内にも疑問の声
出した先が先なんでポーズとして流してよいと思いますが、まあ、基本的にやりたいのでしょうね。とはいえ議院内閣制で内閣に強権の発動を認めるとバランスが崩れかねないので、大臣・内閣制を廃止して行政長官制ないしは行政評議会制とし、国会議員との兼任を禁止、予算も含めて行政側の法案提出権も廃止、天皇の国会召集権限、衆議院解散権限も廃止、国会は改選後決められた日に開会し、いずれかの院の議員の任期満了まで原則開会したままとすべきです。行政担当者は国会が選任、当然緊急事態条項発動も議員提案で国会の議決に基づくべきです。緊急事態は、基本的に国会の閉会に伴って終了すべきでしょう。終了できないのであれば、最低限次に開会したときに継続の承認を議員提案で行うべきですし、承認の提案や審議が進まない場合時間制限を設けて自然終了すべきでしょう。当然緊急事態といっても行政側の指揮者による立法は、少なくとも時間の面で限定されたものでなければなりません。行政担当者による議案の提案は禁止すべきです。
改正の手続自体がある以上、また問題があれば改正されることが当然である以上、改正の議論を避けることは理屈では難しいのですが、とはいえ憲法をめぐる政見の対立は相当ややこしい部分があり、しかもお互い信用しあえていません。こういう状況になってしまった責任は基本的に改憲論者と護憲論者という対立を作ってしまった代々の政権側にあります。護憲論者側が天皇制を認めていることがそもそも妥協である以上、現在の争点で改正の議論をしようとしても建設的なものになりません。どうするにせよ、そこはわきまえたうえで、個人的には天皇の権限や行政の権限をがちがちに縛る方向で妥協していくべきだと思います。

■2020年05月04日(月)  まず研げ。それからだ。
切れ味最高のガチでかっこいい包丁を探そう、在宅中の料理のために
製品を云々する前に、まずは研ぎましょう。包丁にこだわる前に、砥石をちゃんとそろえ、研ぎ方をマスターすべきです。林望氏も、陶器のマグカップの底でよいからステンレスの万能包丁は研げと言っておられます。それで玉ねぎを切って目が痛くなることはない、と。研ぎを含むメンテナンスの技量を身に着けたとき、良い包丁は厨房の長い友となるでしょう。
まあ、刺身でも作るのでなければグラインダーを買うのでもよいのですけどね。ただし電動グラインダーで刃物を研ぐのは結構危険です。切れるようにはなるんですけどね。

■2020年05月04日(月)  成果の基準を設定するところで揉めそうですが
話題の「社員PC監視ツール」がテレワークを骨抜きにしてしまう、根本的理由
まあ、程度問題なんですけどね。労働評価の専門性が確立していないので(だからコンサルティングも人事制度や勤務状況の評価、研修の話ばかりになる)、労使がお互い納得できる形にするとさぼり防止になってしまうという面もある気がします。出来高になってしまうと別の意味で問題が出ますしね。そもそも業績評価制度にしたら齟齬が出たというのは、業務の分析がちゃんとできていないかったということです。テレワーク自体勤務システムの変更までは視野に入っていないと思うので、あまりドラスティックに時間拘束を緩めて成果ベースの評価に移行することは考えない方が良い気がします。まずは標準労働をちゃんと定めて仕事の振り方を整備するところからではないでしょうか。
テレワーク中にサボっていないか、日本企業が従業員を熱心に監視してしまう理由
不足感があるところとしては、欧米のエリートでも、例えば早期引退やサバティカル、休暇を取ってのリカレント教育など、仕事を休み復帰するシステムはきっちり整っている点でしょうか。またノンエリートでも必要だと判断すれば連続勤務でもそれこそボランティアでも率先してこなすように、能力や資格としての職業と雇用主との契約にははっきりした線引きがあり、その上で職業人としてふるまいます。そして成果や業務内容も、要求される資格や勤務の形態、業務権限まで合わせて、多くの場合非常にしっかりと定義されています。設定された条件のなかで出せて当然の成果を求めるシステムを理想としているわけです。その意味で、簡単に「成果が出なければクビになる」と言ってしまうと語弊があり、この文脈で言えば「個々人の業務範囲やミッションが明確」という部分が重要で、いくら明確でも脈絡なく「製品を月何単位売ってくること」などというミッションだと、仮に押し通せても雇用主の評判が落ち、まともな人材紹介業者から相手にしてもらえなくなったりするでしょう。ドイツの場合監督機関に摘発されることもあり得ます。
成果主義をまっとうな形で定着させる(ブラック企業にならないための)条件としては、挙げられている項目のすべてについてとにかく合理的(reasonable)であるべきということに尽きると思います。これは雇用者側と被用者側双方に求められる話で、人事制度など会社の考えることなどと被用者側が言っていると現状失敗確実ではないかと思うのですが、被用者側がともに取り組む雰囲気を作り上げることは、とりあえず雇用者側の責任ではあるでしょう。

■2020年05月03日(日)  頑張る個人をネタにセンセーションを画策する報道人、平常運転で異常
個人の努力で国が稼働、戦時下より異常
誰ですか、こういうタイトルをつけるのは。
そもそも経済を止めたくない、閉じ込められるのは嫌だと言っているうちにこういう状況になったわけで、どのみち感染して発病すればICUなりに閉じ込められる以上、とりあえずは頑張るしかないでしょう。閉じこもるストレスを緩和しようと努力している方は大変だと思いますし、閉じこもることすら許されない人たちの頑張りには頭が下がります。国にできることなど、短期的には、物資の流通を確保し、閉じこもりを正当化し(それだけに「自粛」だと問題があるわけですが)、発病が疑われる場合の対応を整備しておく(それだって発生前の日頃の行いでほぼ決まってしまっています)くらいです。テレワークの普及と言ったってそのための機材を買いに出ることがそもそもリスクです。
後日そのあたりを反省するのは構わないですし、その材料集めはしておくのが良いのですが、事実報道に名を借りてねちねちと嫌がらせじみた記事を流すのは感心できません。夫と子供が職場や学校から締め出されると雰囲気が悪くなる家庭は問題でしょうが、それを今報道して何か変わるのでしょうか。事実報道など当分あきらめて完全防備、参加者分の防疫設備完備、消毒済みの小型車で戸別に送迎のカルチャーセンターでも開いた方が、公益に資すると思いますけどね。
もちろん苦しんでいる方への慰めはあった方が良いでしょうし、傷の舐めあいも短期的には有効でしょう。事例報道にはそうした効果もあるとは思いますが、そうであれば、それなりの表題をつけるべきです。家や個人の事務所に引きこもるならともかく、ここで事実報道の枠に引きこもったふりをすることは、政府の無能以上に問題が大きいと思います。

■2020年05月03日(日)  手弁当で再建すればよいのでは
英サッカークラブが水没 130年の歴史「終わりかも」
今までなかったと言ったってここ200年程度のスパンでしょう。そんな短いスパンで気候変動を論じられても、変動サイクルとの区別だってつきませんよ。地元に愛され続けているのだったら、絶望している間に地元の人総出のボランティアで再建すればよいでしょう。その手の扇動だったら、イギリス教養階級の得意技でしょうに。

■2020年05月02日(土)  自動アイドリングストップ機能って何?
マツダ ロードスターRFのアイドリングストップをやめさせる「フタ」
いやまあ、あれはかねてから疑問視していた機能というか振る舞いなので(いやだって、エアコンだってエンジンだって、つけっぱなしで定格運転するのが一番長持ちするはずだし、燃費もいいはずでしょう: 路駐している間止めるというならともかく)、無効化すること自体には異議はないのですが。
クラッチを切って停車した瞬間に有無を言わさずエンジンを止めるというのは、なかなか豪快な実装ですね。パーキングブレーキ連動くらいが落としどころだと思うのですが、世の中には渋滞以外の理由で、クラッチを切ってブレーキを踏んだまま延々とエンジンをアイドリングさせる人がいるのでしょうか。まあ、普段行かない住宅地に入り込んでアイドリングしながら地図とにらめっこする人はまあ、もしかしたらまだいるかもしれませんが、あるいはヒーターが切れたりエアコンでバッテリーが上がるのを嫌って、コンビニでアイドリングしながら弁当を食べる人もいるのかもしれませんが、信号待ちでアイドリングストップするのが正しいかどうかは非常に疑問です。うっかり坂道で機能が働いてしまって再発進できないなんてことが起きたら、メーカーはどうするつもりなのでしょう。
そして、その機能を殺すような操作がセキュリティもない剥き出しの端子から可能なことも豪快です。なにしろロードスターです。オープンカーです。つまりドアをロックしていようが端子にはアクセスできるのです。これは、庭からパスワードなしで無線LANに接続できるくらい不用心でしょう。まあ、さすがに始動キーもなしに動かせはしないでしょうけど。けど。でも整備用だからなあ。

■2020年05月02日(土)  さすがにゴールデンウィーク一杯は無理でしょう
GWのおうちじかんをiPhone SEで楽しんでみてはいかが?
スマホのカメラは元々寄るのはある程度得意なはずで、家の中で変なものを撮って楽しむことは可能でしょう。
とはいえ、スマホを使った正しい時間の潰し方は直接会わずに長電話する、あるいはインスタントメッセージングツールでひたすら話し込むことのはずです。政府推奨でとにかく家に引きこもって時間を潰せということですから、飽きるまで長話を楽しむなり、自室で黙々とメッセージを交わすなり、拡大された定額枠の範囲で暇潰しをすればよいと思います。
というか、スマホで写真を撮って一週間お家を楽しめる人というのは、相当クリエイティブな人だと思いますよ。

■2020年05月02日(土)  車に引きこもっている分には外出自粛になると思うのですが
自宅でクルマ充ができる! 注目のクルマ系YouTuberを楽しもう
「新型コロナウイルスの自粛ムードによって、クルマに乗りたいけれど外出を控えている方も多いのでは?」車を使ってどこかに行くのは問題でしょうが、車に乗ったまま出歩く分には外出自粛と同じことだと思うのですが…ああ、ガソリンの補給だけは必要ですか。

■2020年05月02日(土)  さすがに在宅勤務はきついでしょうけど
「電車通勤」の歴史と未来 ITとテレワークで“呪縛”は解けるか
まあ、ロンドンもNYCもLAもSFも、たしかパリあたりも通勤地獄だった気がしますが(LAは通勤渋滞ですが)。それでも、日本の電車の通勤時間帯の状況はひどいとは言われますけどね。
とはいえ、VPNにしても自宅勤務よりは小規模オフィスの方が展開が容易だとは思うので、太い回線への結節点としての小規模オフィスを東京外縁の区や近県の主要都市に設け、モバイルや自宅勤務と組み合わせつつ、例えば月一回程度の中枢拠点での集中勤務のような形になっていきそうな気がします。なにしろ日本の低価格住宅というのは寝室と子供の遊び場くらいしかなく、自宅勤務に向いているとは言えません。それでも、相当大きな裁量を持っている人だけが行ってきたテレワークも、定型的・自律的な業務を担当する層にまで広がっていく点は確実だと思います。一方で、非正規化やアウトソーシングへの置き換えも一層進みそうですが。
ただし、少なくとも東京には、大学や専門学校の通学需要が残ります。ある程度時差通学が可能であるとはいえ、従業員と違って端末の管理も通信回線の確保もやりにくく、バーチャルゼミといっても限度がありますし、学校にしかない機材というのもあるというか、むしろそういう機材を使うために学校に行くわけです。仮想環境へのリモートアクセスを活用するにせよ、ある程度頻繁に登校する必要は残ります。当然教員も、リモート勤務というわけにはいきません。
そういう意味で、都心直通の広域優等列車は減るかもしれませんが、都市近郊鉄道の需要は相当残ると思います。ダイヤの密度は減るかもしれませんが、逆にその分地価が下がり、設備の税負担が減るのであれば、都心のオフィスと店舗の家賃で持っているところ以外はそれなりに均衡しそうな気がします。もちろん、設備を維持するためには国と東京都のなにがしかの施策は必要でしょう。とはいえ、都営地下鉄を東京メトロに譲渡して経営合理化を図るか、施設建設債務をテクニカルに事業から分離する程度で費用は工面できるのではないでしょうか。

■2020年05月02日(土)  大学なら仮想PCの用意くらいできそうですしね
スマートフォンとPCの共闘でコロナに立ち向かう
たしかに、PCが買えないとしてもリモートアクセスで仮想PCは使えますね。もちろんクラウドベンダーが用意してもよいですし、課題に使う環境なら、それこそ大学の計算機センターが用意したってよいと思います(さすがに高校以下はよほど力を入れている学校でないと無理でしょう)。大学の課題で使うなら、WindowsやMacOSである必要もなく、Ubuntuあたりだってよいわけですし。問題は、モニタがテレビでよいといっても、そのテレビを持っていない人もいそうなあたりでしょうか。本当にスマホだけで済んじゃいますから。本当は、タブレットの方が、ミニでもHDMIポートがついていることが多いので良いのですが、普及率は当然スマホの方が上でしょう。

■2020年05月02日(土)  予測可能性が大切だと思うのですが
えーと、決済まで済んでいると思われる通販での取引が、なかなか出荷されません。いや、出荷されないの自体はまあ、よいのです。問題は配達日が決まらないことです。今日になって配達予定日が5/1-5とかから5/5などに変わりましたが、配達日指定ができないとなると表示された予定日に他の予定を入れられなくなります。それが5/1-5などというのは馬鹿にするにもほどがあります。それも発注時に一週間以内に出荷と表示されているのはまあ、よいのですが、いくら休日を挟んだとはいえ配達日が決まるまでビジネスデイで2日もかかっているのは、配送業者とユーザーの利便を何だと思っているのでしょうか。
ユーザー側で再配達を抑制するには、配達日が予測できることが大前提になります。宅配ボックスだって日を超えて保管しておくというわけにはなかなかいかないのですから、配送作業の効率化には、受取人が確実に受け取れる状況を作り出すことが最も重要です。配送業者側で再配達時に配達日時を指定できるのも、この点を踏まえての対応策でしょう。ならば、発送側も日時指定ができる形で受け付けることが最善ですし、少なくとも発注後すぐに配達日が決まるようにしておくべきです。また、出荷作業のステータスを確認できるようにしておくことも有効でしょう。妙にデリバリーの迅速化にこだわった結果、ステータスに実情が反映される前に品物が配達されることもありますが、それで受取人不在のため再配達になった、困ったと言われてもこちらが困ります。
どうせ即日配達など主要都市ですらすぐには普及しないのですから、迅速配達の優先度を下げてでも、配達日を確実に取り決められるようにして欲しいものです。
とりあえず5月3日の早朝時点で一部が発送済み、輸送中のステータスになっており、その日のビジネスアワー(といいつつ5/3は一般的には休日なんですが)開始時点で配達中のステータスになって、同日昼前に配達されました。これで決済完了の確信は持てたので、残りも5月半ばまでには配達されるでしょう。

■2020年05月02日(土)  一応望ましいと言えば望ましいのですが
CFexpressの最高速度を引き出すために
もちろん、画像データの記録カードからパソコンへのデータ転送の時間など短いに越したことはなく、また画像データのサイズは今後も増え続けますから、高速転送自体は望ましいことだと思います。
とはいえ、今すぐこの製品が必要かというと、あまり意味はないのではないかという気がします。カードの記録速度自体は、カメラの連射性能に関わる部分であり、撮り方によってはクリティカルな問題でありえます。しかし撮影後のデータの取り出しはそこまでの問題とは思えず、リーダーが高速であって悪いことはないが積極的な意味は見出しがたいと思います。なにしろ高速SDカードの200秒がCFExpressの高速モデルで40秒になる程度で、4000枚、52GBというデータ量からすると、待たされる感はなくなるが作業が何かできるほどの時間が増えるわけではなく、そもそも作業に支障をきたすような待ち時間ではないのです。もちろんプロやハイアマだと複数台のカメラを使い分けていることは珍しくありませんが、それでも4台で15分の転送作業がどれだけ短くなるかというと、カードの差し替えや転送ソフトの立ち上げの時間の方がクリティカルではないかと思えます。「画像のセレクトや現像の試行錯誤に時間を費やせるようになることは、多くのユーザーにとって大きなプラス効果をもたらしてくれることだろう。」というほどの効果は、期待できないと思います。むしろリーダーを複数用意した方がましではないかという気がします。
もちろん、センサーの解像度はまだ増えていくでしょうし、そうなれば画像のサイズが増えます(例えば一辺のピクセル数が1.5倍になるとデータが単純計算で2倍に増えます)。52GBが100GB、1TBとなったときに、この手の高速化は意味を持ちます。とはいえそれは早くて数年後の話であり、次の次の世代あたりのハイエンド機が告知されてからでも十分間に合います。そのころには、下手をすると次の高速データカード規格が出ています。

■2020年05月01日(金)  カオスとは言いえて妙かもしれない
スミス・マルクス・ケインズ (ウルリケ・ヘルマン, 鈴木 直, みすず書房)
値段相応かどうかは判断しかねますが、まあ、面白い本だと思います。
マルクスのところも興味深いですが、ケインズの章の末尾、バンコール構想の破綻とブレトンウッズ体制の成立と崩壊の記述において、外国為替市場がカオスと化しているという記述は、いささか皮肉ながら言いえて妙かもしれません。カオスとは決して単なる混とん、混乱ではなく、そこから万物が生まれてくる、いわばあらゆるものを包含するが故の混とん、ごちゃまぜです(この創造論モチーフはギリシャ神話に限りません)。そして現在最も知られた「カオス」、つまりカオス理論は、予測が困難な系を扱いますが、それ自体は厳密に記述されます(だからこそ理論なのですが)。つまり、流れに乗る投機家ではなく、一定の合理的な予測に基づいて必要なインパクトを加える相場師向けなのです。この手の相場操縦は一般にひどく嫌われますが(まあ、ありていに言って価格形成機能をひどく侮辱していますしね)、流通市場がある限り根絶は不可能です。カオスという表現は、安定しているべき通貨交換システムを乱しているという意味であれば浅薄に過ぎますが、相場師が活動する余地を残してしまったという意味であれば正しくケインズの懸念するところであったことになります。
ジャーナリストの啓蒙本だけにある程度書き手の立ち位置が偏っているのは仕方ないですが、その位置がいささかノスタルジックではないかという気がします。マルクスはともかくとして、スミスやケインズは財の取引が実需にのみ基づくのが正しいなどとは考えていなかったはずで、著者のような、投機や相場操縦を「悪」とみなす立場を見たら苦笑したのではないかと思います。また本書のスタンスは新古典派およびその系譜をひく数理的分析を重視する主流派経済学の批判ですが、それを言うなら本書で支持されている政治経済学はべき論しかしていない観念哲学でしょう。スミスとマルクスに至っては道徳を科学であるかのように粉飾したとすら言えます(もちろんそれは彼らが生きていた時代の一般的傾向です)。正誤を批判するならまず価値判断に根拠があるという道学者的夢想を放棄してからにして欲しいものです。ついでに言えば、個人的には「価格は費用と上乗せ利益の総計だと考えたアダム・スミスの「追加的視点」の方が(限界生産性に基盤を置く価格構成の視点よりも)正しかった。」という指摘は全く誤っていると思います。総括原価という価格計算法が新古典派の合理的期待に匹敵する誤謬、単なる公的調達のための擬制でしかないことは、歴史が示しています。正常価格などというものが馬鹿げているというなら、それは同意しますけどね。
とはいえ、「経済学は自然科学ではない。」という定言と社会科学の自然科学へのあこがれ(これ自体は近代特有の現象だと思いますが)の指摘、そして経済学とは有効な政策提言を行うための道具だという立ち位置自体は、現代経済学を批判する上で有効な立ち位置だと思います。そういったある意味古典的な立ち位置(だからこそ立ち帰る - 復古が説かれる)がそれが当然であった400年間に散々繰り返してきた失敗を度外視すれば、象牙の塔の知的遊戯を批判する視座となりえます。とはいえ、それはあくまでも「現代経済学を批判する上で有効な立ち位置」でしかありません。学問内容自体が政治闘争と絡み合うという政策科学を批判する視座としては、価値中立的な現実の記述こそが科学であるという立ち位置もまた有効です。「なぜ少数の者が豊かで大多数の者が貧困なのか」というのは、よほどひねくれた解釈をしない限り(あえてやっちゃう人も当然いますが)発言した者の「大多数が貧困であることは問題だ」という価値判断を含意します。つまり「政治的な問い」ということです。この価値判断自体には、根拠はありません。なんというか、粒子系の粒子のエネルギーがボルツマン分布をする事の善悪を問うくらい根拠がありません。ゆえに「不平等は、人間の力では変えようのない、彼らが言うところの自然現象へと高められる。」のです。そのような善悪に絡む問いをすることは現実の理解にフィルターをかけることであり、反対者の弾圧を「彼らは誤った」として正当化したレーニンやスターリンへの道だというのも、そのような批判が既成秩序の正当化につながることを度外視すれば正当な批判です。「それゆえ、秘書の給料が経営者の報酬と比べてどれくらいの額になるべきかということもまた、学問的には決定できない。」その通り。「これは権力の問題なのだ。」そうでしょう。とはいえ、その決定できないことを決定できると称した新古典派経済学がおかしいと言うなら、開き直って権力に踏み込むのもまた曲学阿世です。
また資本主義のスナップショットを撮ることはできるが不朽の法則を立てることはできないというのはもっともらしい話ですし、不朽の法則と称してスナップショットどころか初歩的な近似にすらなっていないモデルを提示するよりは良心的ですが、スナップショットでしかないのならばその研究成果は新聞記事以上の意味はなく、つまりはiPhoneの新モデル程度のものだということでしょう。研究者やジャーナリストとしてはそれで十分だと思いますが、学者としてはそのような評価に耐えることができるでしょうか。著者はフリードマンのノーベル経済学賞受賞講演を引いてフリードマンの量子力学のいわゆるハイゼンベルグの不確定性原理に対する通俗的理解を噴飯物と嘲笑していますが、その著者の描く資本主義は、学者業界で使われる動学(dynamics)の含意する一定の厳密な法則に従って変動するといったものではなく、法則を記述してもそこから絶えずすり抜けていくものです。著者は明らかにこの捉えどころのなさ、奔放さを前提にしており、一般的な語としてのdynamismに近い語感であって、Quantum DynamicsやThermodynamicsから類推してしまうととんでもないことになります。おそらく原語のdynamischあたりを「動学的」と訳してしまった訳者と出版社を論うことは容易ですが、問題はむしろ著者の描く資本主義がいわば生に満ち溢れていることです。20世紀フランスロマン主義に突っ走ってしまったらそれはもう学問ではない、あきらめのため息をつきつつ流転するさまをデッサンしていくしかないというシジュフォスの神話を、経済「学」と呼んでよいのかどうか。
ともあれ、本書は「よみがえる危機の処方箋」ではありません。著者が示すのは、新古典派に発する均衡理論に基づく現代経済学がいかに誤っているか、その現代経済学への対比として、題材として選んだ三者がいかにして成長や発展という概念を組み込んだ経済学を構築したか、そしてそれがどのような理由で、そしてどのような経緯で無効になったかです。新古典派やそのレトリックを濫用する経済官僚、職業経営者を批判する視点からして著者は明らかにケインズ経済学に寄り添っていますが、おそらくケインズがかつて現代資本主義経済に対して示した処方箋を信じているわけでもなく(バンコール構想をめぐる論説はユーロというシステムに対する当てこすりでしょう)、またなにがしかの処方箋を示しているわけでもありません。著者はマクロ経済の三巨頭の理論の矛盾点をネタにして、返す刀でエレガントな現代経済学がいかに現実との矛盾に満ち溢れているか(そして経済学者がその矛盾に向き合っていないか)を論いますが、いわばそれだけです。原題の直訳からして著者の意図は現代経済学や経済官僚をこき下ろすことにあり、それに「よみがえる危機の処方箋」などという題をつけてしまった邦訳の出版社の方が悪いのですが、そのせいか、訳者による解説の締めにも何か無理があります。
ついでに書いておけば、マクロ経済学とミクロ経済学が接続されなければならないというのは、そのためにどのようなアプローチを行うかという問題はあるにしても動機としておかしなところはなく、実際物理学でも、量子力学の理論と相対論の接続は重要なテーマです。都合のよいフィルターとして以外で「階層性」などと言う人がいたら、まずは「ト」を疑った方が良いでしょう。もっとも、「総合」や「統一」というのも同じくらい怪しげではあり、応用生物学としての心理学とか化学から導き出す生物学というのも相当数は偽科学で、好意的に見ても理屈の上でも検証の手順についても色々とすっ飛ばしているのですが。ともあれ、動機はともかく、アプローチを間違えると良くてもアインシュタインの電磁気力学と重力理論の統一理論みたいなことになるわけで、新古典派が間違ったとしても、間違っちゃいました、ごめんなさいと言って恥ずかしいことはありません。
正直、史的弁証法とか弁証法的唯物論、社会契約論などの方がよほどひどいと思います。このあたりはリベラルアーツ教育の弊害というべきで、古典的教養における修辞学や、それこそ三千年前から続く法学における概念というのは非常に練り上げられているのですが、そのせいか便宜的に修辞学や神学、法学から借りてきた枠組み、理屈を作り上げるためのそれを何か絶対的なものだと錯覚するらしいのです。この点は西欧文化圏以外で活動した学者も似たような錯覚・誤認を散々やっています。下手な考え休むに似たりというか、考えることの陥穽というか、記述や理屈を何か実体的なものだと思ってしまうのでしょうね。方法序説あたりを読んで失笑してしまった人は、一応健全だと思います。

■2020年05月01日(金)  最も役に立たない確実な勉強
「とりあえず学期始めに教科書全部覚えておけば大丈夫」by 桜子
非常に正しいですね。教員は学期前の休みに教科書を告知し、学生は全て休み中に教科書を完全に覚えるべく努力すると良いでしょう。
が、この手の学習法は、学校でカリキュラムをこなすのには役に立ちますが、実生活の訓練にはなりません。もちろん学校で学ぶ内容自体はなにがしか役に立つのですが(そして授業というのは内容を身に着けるうえでは最悪に近い方法でしょう)、実生活で役に立つのは、何も準備していなくともその場しのぎで事態をやり過ごす技術だったりします。「こんなこともあろうかと」よりは、「今からやります」ですぐ出来上がる方が重宝されます。

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