日記

■2019年04月28日(日)17:18  冬はエアコンより便利ではあるのですが
「オンライン辞書で“Computer”を引いたら…かなり遠回しな表現だったけど納得した」
まあ、この書き方だとWindowsなんだとは思いますけど…正直どこのシステムであっても、1990年代までのGUIシステムは不安定でしたけどね。複数のアプリケーションを起動すればフリーズする、外付けデバイスをつなげば異常終了すると、「Works fine until you open up windows.」ではありました。
ちなみに、冬は部屋を暖めてくれる上に他のこともしてくれるので、エアコンより便利だと思います。

■2019年04月28日(日)  そういううっかりをしないために法律顧問を雇っているのだと思うのですが
アップルの支配色が強くなった「サブスク」戦略
「ユーザーのためにはなっても、競争上は問題視される可能性がある、というわけです。」
このあたり、アップルの法律顧問はどう見ているのか、気になるところです。
まあ、システム屋の独りよがりな態度自体は珍しくもないですね。特定の製品を作り込むことがなぜ規制されないといけないのかという疑問もわからないではありません。とはいえ競合を排除するような作り込みについてはいくらでも過去の事例があるわけですし、技術的にも回避策はあるわけで、アップル製品を買うかどうかはユーザーの選択だでは通じないことくらいは想定していてしかるべきだと思います。

■2019年04月28日(日)  グーラッシュが本来ドイツ料理ではないがドイツの食卓を代表する料理であるのと同じように
この社会主義グルメがすごい!!
まあ、社会主義にグルメというと微妙に違和感があり、どちらかというと社会主義国の赤い豚どもの飽食とか、西側諸国のインテリ活動家のお気に入り料理といった風情があるのですが。
この本が期せずしてある程度伝統的なドイツ料理やローカル食品を取り上げてしまっているように、社会主義時代自体に由来し、社会主義時代を反映する料理はさほど多くないように思われます。例えば「毛皮のコートを着たニシン」も当時の(おそらくレニングラードあたりの)食糧事情の反映で、社会主義の色を見ることは難しいように思います。
ではどんなものが社会主義料理なのかですが、「労働者のための食堂」に鍵があると思われます。日本でいうなら社員食堂の料理ということになります。もともと20世紀前半の都市というのは、居住者が自宅で料理をすることを想定していません。なぜなら、戸別に熱源を用意するのも大変ですし、用意したらしたで火災の危険があるからです。また社会主義の下では女性も立派な労働力でした。自宅で料理にふけるのではなく、職場に出ることが美徳だったのです。さらに消費財の不足もあって、大型の厨房で大人数に定食を供給するのが効率的とされました。もっともこのあたりの事情は西側の都市でも同じです。その結果、料理をするのは社員食堂(ないしは学食などやレストラン)の料理人で、一般庶民は朝と夕方にパンとチーズとコーヒーないしはワイン程度を用意するだけという状況に至ったようです。社員食堂は、モデルとなったのが軍の兵員食堂であり、大鍋で煮込めばよい料理や揚げ物のように大量に用意しておき皿に載せてソースをかけて付け合わせを添えれば出来上がるものが中心になります。
掲載された料理の中でこのような社員食堂の料理に該当するのは、まずもってコトレタとソリャンカでしょう。コトレタなど、ハンバーグという無国籍料理であることがさらに労働者色を強めます。死んだおばあちゃんもこの系統と思われますが、大衆食堂ならまだしも社員食堂で「死んだおばあちゃん」は出さないような気がします。何か無難な名前がついていたはずで、廉価な食材を使った簡便な料理が食堂ごとに生まれ、類似のものがまとめられていく過程であだ名が料理名として残ったのではないでしょうか。
社会主義時代に食べていた地元料理というのもあると思いますが、それらの元々はドイツ料理やロシア料理、ウクライナ料理であるものが、労働者のための食堂においてマスプロ料理としての洗練を受けたときに、社会主義料理へと昇華するのではないかと思います。

■2019年04月27日(土)  昔はマックにしかついていないものでしたが
追悼ボールマウス 〜Amazonからボールマウスが絶滅した日〜
マウス自体は現役の入力デバイスなんですけどね。一応ゲームで使うために、最初に買ったPC-9801にもつけていたはずですが、Macintoshのイメージが強いです。もちろんUNIXワークステーションの方がついた時期は早いので、X端末をいじっていた人たちは使っていたはずですが、初歩のC言語の授業ではそんなものは開放してもらえませんでした。UNIXワークステーション用のマウスには3ボタンのものがあったようです。
ちなみにボールマウスのメンテナンスには3段階あり、まず一番簡易な作業がボールを取り外し、ボールの表面に着いた埃をぬぐう、それでも反応が悪い場合ボールの入っていた部分にあるローラーの埃を取り除く(リング状に固まっていたりします)、どうしてもだめな場合はボールを中性洗剤で洗ってよく拭き、乾かす。ボール表面に埃が固着したり、油がついていた場合はこれで改善します。それでもダメな場合、ボールの表面がグリップしなくなっているということで、ボールを交換するか、マウス自体買い換えます。
それにしても、子供ってボールが好きですよね。もし、万が一、得体の知れないボールが出てきた人がいたら、過去に為した悪事の証拠ですので、当時の先生方に懺悔してほしいものです。

■2019年04月27日(土)  やはり日本もラテン語必修にすべきかも
北欧女子オーサのマンガ『ニッポン発見紀行』
確かにこれもよくあるのですよね。外国人らしき人に英語で話しかけてしまうことと合わせて、これといって正解がありません。まあ、悪意はないのだし、よいのかな、と。

■2019年04月26日(金)  「会社本位主義は崩れるか」 from 奥村宏
「会社員消滅時代」到来? 令和時代の“自由な働き方”に潜む落とし穴
まあ、「"昭和"の働き方」ですよねえ。「「昭和の働き方」じゃなく、会社が平成の30年間で「働かせ方」を変えたこと。」の発端はそもそも1980年代、つまり昭和末期であるわけで(1986年ごろにはすでに"自由な働き方"への移行を訴えるビジネス書が普通にありました)、今から振り返れば新自由主義の当然の帰結ということになります。「全てが「自立」という美しい2文字を脅迫的に使うことで、まやかしの「光」が待ち受けている」わけですね。
とはいえ、川合氏の言う「会社と働く人たちの間に存在した「信頼」」がそもそも過渡的な現象だったということ自体は、もはや定説と言ってよい話です。雇い主と被用者の間に信頼関係はそもそもないというのは、19世紀から20世紀初めまで常識でした(それを苦にした社会改良家が資本家側と労働者側のいずれにも出てはいますが)。今でも日本以外の都市部にはそういう慣習はなく、労働者は当然の権利としてストライキを起こし、大衆示威行動に訴えます。日本ではたまたま、1960年代以降の規模拡大路線と戦時統制の刻印された法律が、労働集約型の事業において労使協調路線に結実しただけです。そこからの離脱自体は、ことさら「悪いのは」と言い募るようなことではありません。大学卒業時(当時は中学卒業時でしたが)に就職して定年まで勤めて年金生活というのは、20世紀中期に唱えられた夢物語にすぎません。そこに依拠した「信頼」も仮のものでしかありません。
会社はコミュニティーではなく(職場はコミュニティーかもしれませんけど)、職務も現れては消えるものでしかありません。「依存を否定する社会ではなく、依存の先の自立を促す社会を目指すべきです。」と言うなら、依存先を会社(雇用者)に委ねるのではなく社会化し(古典的には産別労組になりますがそこにこだわる必然性はないでしょう)、雇われていようがいまいが生活できるようにするのが筋でしょう。あるいは稼ぐことと自立や自尊を倫理的に切り離す立論となるべきでしょう。「人の生きる力の土台」などというのは、近代理想主義(つまり昭和的価値観のベースのひとつ)にすぎません。「ジジイの壁」の破却を主張するなら乗り越えるべき道徳律にすぎないのです。個人的には「人類が他者との協働作業で生き残ってきた歴史」というのも乗り越えるべき道徳律だと思いますが(他者との無原則な協働作業に足を引っ張られ、前進を妨げられ、絶滅しかけてきた歴史とでも言うべきではないかと: 社会が析出した「他者」を「人類: Human」に取り込むのが近代人道思想のモチベーションだったことも事実ですが)、緊密な協働組織を想定するのであれ、緩い結びつきを想定するのであれ、稼ぐことに価値を置く「プロテスタント的」勤労本位主義からは決別すべきです。

■2019年04月26日(金)  需要が減ることはないのでしょうけど
新札特需「プラス。でもみえない」自販機製造の富士電機
確かに、それこそこれを機会に電子マネー専用機への移行が進んだら、次からは特需はないでしょうし、それを見据えて数年先延ばしとかもありそうですしね。自販機の寿命自体はコレクション目的でもない限り10年はないと思いますから、コンスタントに需要はあるでしょうけど。

■2019年04月26日(金)  考えるのは発注側の責任
日本郵便の“戦う専務”が指摘――IT業界の「KPI至上主義」「多重下請け構造」が日本を勝てなくしている
誰ですか、このタイトル付けたの。
談話の内容はまっとうで、どちらも情報システムを使う上での適切な目的意識の欠如を問題にしているのだと思います。CIOがどうのという前に、たいていの企業経営者は経営情報の収集や、あるいは宣伝や顧客体験については気にしても、それらが一つの情報システムの上に載っているという意識はないでしょう。また運送業界のように基幹情報システムの構築と維持が経営課題である事業の方が珍しい以上、情報システムというのはただのコストであるという意識は不思議なものではありません。事業のインフラストラクチャーとしてとらえ、外部システムと内部システムのベストマッチングを経営課題としてとらえるのは、それこそインフラストラクチャーとしての情報システムを活用するのが最初から当たり前の、現在の新興企業に特有の認識と思います。また、ITコンサルならまだしも、ITベンダーやSIは発注された製品を納入するのが仕事で、「日本企業はいつまでたっても海外企業のようにITを有効活用することができない。」などと言われても責任の持って行き所が違うでしょうというのが正直なところでしょう。「パートナー企業が変わる必然性が、実はない」という認識は非常に的確です。
この点で、この話の肝は「これはもう、「自分(ユーザー企業のIT部門)が強くなる」しかありません。」ということで、自前システムがどうとかいうのは枝葉末節です。上手に情報システムを利用して何を実現するのか、それに必要なものが企業内にあるのか、それとも買ってきてしまった方が早いのか、それこそ借りてしまう方が便利なのかというのは、自分で考えるしかありません。考えるには、十分な知見が不可欠です。

■2019年04月26日(金)  あれを流してで通じる世界へ?
Echo Linkでオーディオの入り口を統合
また一歩堕落が進んだというか…まあ、視聴者がやりたいのはコンテンツの選択で、ソースの選択ではないという話ですが、音声コマンドとは相性が良いでしょうね。もっとも私みたいに口を利きたくないので全部パソコンでやりたいなどというひねくれものもいるわけですが。ちょっと気になるのは複数のソースをアクティベートしてしまった場合ですが、先着順ということはセレクターに最後に届いたコマンドが有効になるのでしょう。その意味で「ところが、この入力端子がすごかった。そこに入力したすべてのオーディオ信号を、セレクタなどでの切り替えなしに早いもの勝ちで出力するのだ。まさにインテリジェントなセレクタだ。」というのが少し変な気はするのですけど…実際のところをいじってみたい気がするのですが、アレクサを買うのが嫌です。
どうせみんなサービスになるはともかく、どうせどのサービスもライブラリは同じになるという主張には異論もありますが、「本当は、どこにどんなソースがあるのかを判断してサービスすらも選んでくれて入り口も一本化してほしいのにと、怠惰なことを考えはじめている。」というあたりがパーソナルアシスタントの目指すところだろうと思います。ただ、そうなったときにパーソナルアシスタント自体が商売になるかどうかが問題でしょうかね。

■2019年04月26日(金)  缶切りの入った缶詰的な
10連休に試したい、ゆるやかなデジタルデトックス
他人の連絡のつかないところに逃亡するというのはありきたりなパターンではありますが、モニター画面なりが健康に悪影響を与えるという話も根強いですね。心置きなく電話回線なり表示装置なりから離れた生活をするためには、この期間は連絡を取ろうとしないように、その代わりそれ以外の期間は対応できるという話を関係者に周知する必要があるわけで、理解を得るのが結構苦痛だったりします。まあ、一か月や半年くらいの音信不通を理解しない人とは付き合わないというのが一番良いのでしょう。
強迫神経症の問題はさておくとして、スマホがないとどれだけ不便かですが…確かに不便ではあります。基本的に記録の保管と検索が通信回線と表示装置に結びついてしまっているわけで、外食先を調べるためのガイドブックを買うために行く本屋の場所をスマホで調べるといったことになりかねません(もちろん、スマホを使えるならガイドブックなど買いに行く必要がないわけです)。
そういえば、松村氏は千円札をポケットに入れて散歩に出ていますが、現在日本で最も使いやすい貨幣は100円硬貨と10円硬貨の組み合わせです。千円札だと、自動販売機がつり銭不足で拒否してくる恐れがあるのですね。無記名の交通系カードあたりを持つのが無難ですが…カードからスマホに移し替える方法はあってもスマホからカードにチャージする方法はないんじゃないかと思います。

■2019年04月23日(火)  インフラの効果ですね
小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」Vol.1 今週のおたよりA1
おばあはん さん「多様化した時代。いろんなハードル・壁が低くなった時代。」
インフラストラクチャーの効果が非常によく見える事例ですね。
もっとも、ここまでで大きく分けて3段階くらいになるかなとは思っていて、まず第1段階が1970年代までに完了した道路整備と宅配便(というか小口貨物の高頻度輸送、戸別回収・配達)。そして1990年代のインターネット常時接続。2000年代の決済システムの整備とレンタルサーバーサービス。これらを経て環境が整ったことで、いろいろハードルが低くなっていると思います。

■2019年04月23日(火)  期待というよりはテレビのチャンネルみたいになる可能性も
小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」Vol.1 西田の論壇
もちろん流しっぱなしを想定するとどのサブスクリプションサービスを選ぶかということになるのですが(端末選びという話もありますかね)、テレビ番組でもかつて、フジテレビのゴールデンタイムだしとか、NHKの特集番組だし(これはまだありますかね)という話があったわけで、一時期のケーブルテレビみたいに作品に関心のある人は複数のサブスクリプションサービスを契約して使い分ける、気にしない人は過去作ベースで合ったものを選ぶという方向に行くかもしれません。まあ、気にしない人の方が圧倒的にマジョリティでしょうけど。もちろん、今の出版社のように作家単位で抑えられていくということはあるはずで、この作家の作品を見るならこのサービスという方向は出てくると思います。後は、供給システムと決済の分離が起こるかどうかかなあ。

今週のおたより A3コメント
あ、それで「和」がついてるんだ!と目からうろこですが。
まあ、中国にしろアメリカにしろ、土地と資源を取るには大して人口がいらない時代でもあり、貧乏人が十億人いても仕方ないからどうにかして小金持ちくらいになってもらおうという話もあるわけで、むしろ資源産出地や農業地域が金融の集積した都市に牛耳られて国内分裂というのが、世界的にも、両国の国内でも実情とは思います。ロシアは若干違うんですかね。その意味で、一応金融が集積するベースができている日本が外国を搾取する目はまだあると思うのですが…日本人がというのは難しいかなあ。
「分相応」などと言っているとランクが落ちるという話もあるのですが、お金を稼いで国内で回してみんなで成長などという話は通じにくくなっているということはありそうです。回りにくくなったお金をどう回すか、あるいは回る範囲で回ればいいやと開き直るかあたりが問題になるんですかね。

■2019年04月18日(木)  そもそも不動産以外に適切なリスクの融資先があるのか?
不動産融資がバブル期並みに「過熱」 日銀が指摘
日銀の指摘ということは検証が必要でしょうが、そんなにお金が余ってるのでしょうか、日本。まあ、被災地の復興やら、観光の振興などで、箱物の需要が高まっている時期ではあるのですが。
不況期にコア資本比率が下がるということは、銀行が資産を現金ではなくリスク資産で持っているということで、景気悪化により融資のリスクが高まってコア資本比率が下がること自体は仕方ない話です。もちろん過度にリスクのある融資には問題がありますが、金融機関として、リスクにふさわしい金利を払ってくれならともかく、リスクが高いので貸せませんというのは、やりすぎると仕事をしていないことになりかねません。
金融というのは銀行の機能のひとつではあるわけですが、生活に密着しているのは保管と決済・送金です。クレジットカードで決済しようが、そもそも銀行口座なしではクレジットカードも作れません。金融機関の監督も大事だとは思いますが、金利が下がると他の機能も巻き添えにして金融機関が停止しかねないという構造的な問題の方が気になります。

■2019年04月18日(木)  うちに来て玄関で帽子を取らなかったら居間には上げませんけど?
議会のオキテ 帽子やマフラー姿で傍聴、なぜダメ?
なぜって普通にマナー違反行為だからだと思いますが…他人の家でレセプションホールに入って帽子を取らなかったら普通に非礼な行為ですよ。かつらは…どちらかというと礼儀に適う可能性がありますが…マフラーも、もちろん傍聴席に人を詰め込むのに邪魔だとか防犯上の理由とかもあるでしょうが、まずもって家の中でしているのは非礼な行為だと思います。寒いので必要というなら別ですが、服飾アイテムとしては中で身に着けるのはおかしいものです。討論の場に対する敬意に欠けるという主張には合理性があります(敬意を払うに値しないという政治的主張はあり得ます)。
とはいえ、議員の安全と安心のために過度な規制をしているとか、そのために傍聴席では座って見ていることしかできないという話はあるわけですが。しかもわざわざ規則を調べてその隙間をかいくぐる政治的パフォーマーは入れても、審議に興味を持った普通の市民が普段着での傍聴を断られるという結果になりがちです。議会の「オキテ」的な興味本位かつ本質を外した視点ではなく、少なくとも選良による政治課題についての討論の場という意味を失った議会がどんな場であるべきか、議会に対する市民の発言の機会はどのようなものであるべきかという話は問題設定としてありだと思います(この記事も、本来興味本位に見える視点から別のところに切り込む意図ではあります)。

■2019年04月18日(木)  見え見えの割にはのらりくらりと
菅氏の怒り再び? ドコモ「最大4割値下げ」を海外と比べてみた
まあ、「最大」ですしね。親会社の大株主権監督官庁としては、ごまかしてると怒っても仕方がない。いっしょに最低20パーセントくらいの賃下げでも発表すればよかったですかね。で、「日本の機器メーカーが適切な価格で設備を供給してくれないので、海外と同じ価格には下げられない」とか。

■2019年04月18日(木)  企業献金
アップル、ノートルダム大聖堂再建に寄付
それなりに有意義だとは思うのですが、それって寄付するほどお金が余ってるってことですよね。いや、千ドルやそこらならともかく、こんな話を振る以上数万ドル以上の話だと思うのですが、社長はともかくアップルはそんなにお金がだぶついているのでしょうか。

■2019年04月17日(水)  何で牽引しているのかが気になりますが
SpaceX、着陸成功したFalcon Heavyの中心ブースターを"海ポチャ"。帰港途中、天候悪化で波高く
なんというか、お気の毒さまです。地上帰還ユニットが海に落ちるのはよくあることですが、普通は落ちることが前提に作ってあるわけで、落ちる想定をしていないものが落ちたというのは、スマホを洗濯機にかけたくらいには大事です。
ところで、回収船に固定していなかったから落ちたのだと思いますが、牽引しているということは何かケーブルはつながった状態だったということでしょうか。普通、仮置き機材をロープで固縛するなら、転落防止も兼ねるものです。それがなかったから転落したのだと思うのですが…まさか電源か制御用のケーブルで牽引しているのでしょうか。それなりに丈夫なのだとは思いますが、かなりの荒業です。電気コードやUSBケーブルで物を引っ張ってはいけないというのはまあ常識の類であって(その割には電源コードやUSBケーブルを引っかけて本体が床に落ちるわけですが)、牽引中にロックが外れて沈んだりしないとよいのですが。

■2019年04月17日(水)  ネタ切れましたか?
カンピオーネEX! 軍神ふたたび
新シリーズをいくつか始めた挙句に続かず、成功したシリーズのネタに戻ってくる作家さんがいますが…これもその類ですかね?出版社に「カンピオーネとつけておけば昔の読者くらいは買ってくれるだろう」などと思われていると思うと買う気が失せてくるわけですが(いかがですか、榊一郎さん?)、一応シリーズ揃えてあるのに新刊を買わないというのも気持ちが悪いわけで…まあ、本棚を占有されて許せるほど期待もしていないので、買うとしても電子書籍ですけど。悩ましいです。

■2019年04月17日(水)  相変わらずの浅い分析にめまいがしてきます
店舗消滅! 「駅前の光景」が“荒廃”するこれだけの理由
まず、商工会のセミナーでもあるまいし、このレベルの論説を「"いま"がわかるビジネス塾」と銘打って公の紙面に載せる価値があると、編集者は考えているわけでしょうか。ブログで書いている分には著者の視界なり見識なりで済みますが、「ビジネスと働き方のヒント」と看板を掲げるメディアでしょう。まあ、「ビジネスと働き方のヒント」ならこのレベルでもいいのか?この記事であれば、ITソリューションに結びつけていること以外「いま」では全然ないというか、ビジネスの判断に使えるレベルの論説ではさっぱりないわけですが、まあ「ヒント」だし。
まず、そもそも駅前商業空間が現在の主力テナントの撤退によって変わっていくだろうという主張は、まあわかります。テラー業務が(ITソリューションの浸透が原因であれクライアントが自宅に引きこもるのを受け入れたことが原因であれ)物理的な店舗との結びつきを弱めたことで不動産という資源に大きなコストを投じてこられた事情が変化しつつあるのも、それこそここ数年の経済紙の記事から読み取れる話です。VRあたりが受け入れられれば、イベントですら特定の場所に人を集める目的には寄与しない、あるいは場所、地点ではなくよりバーチャルな場に人を集める形になり、そのような場を設定できたプラットフォーマーが「駅前の土地の地主」にとって代わり、あるいはバーチャルな場での演出に長けた出店者が物理的な店舗で単価の高いサービスを提供できる出店者にとって代わるというあたりまでは、それこそ誰でもわかる話です。
一方で、ネットバンキングにしろ自宅での消費にしろ、例えばユーザーレベルでは制約が大きい、プラットフォームの部分ではコストが低減しているがユーザーや出店者のレベルではコストがかかる、配送コストが高騰しつつある、コレジャナイといった問題を抱えています。また、それこそ東京オリンピック後はわからないにしても、今は実店舗で稼いでいるわけで、転換のコストはどうするのか、そのコストを捻出して割が合うのかというのが現場のビジネスパーソンの疑問でしょう。本来そのあたりについてヒントを提示することが「"いま"がわかるビジネス塾」という看板を見て期待されるのだと思うのですが。
あるいは、元々駅周辺というある程度狭い範囲に集住し、駅を中心とした経済圏が分散することでサービスの利用コストや集客のコスト、都市の集約性を高めるためのコストを軽くしていたわけですが、仕入れ面での流通システムの変化や就労・居住パターンの変化により郊外型ショッピングセンターへの重心の移動が発生したのがもう50年は前、その後の状況変化により都市政策側からはもっと都市に集住してくれという悲鳴が上がる状況です。つまり徒歩圏への集約が進むと同時に駅単位で経済圏が選別淘汰されていくという見通しが出ているわけで、駅前経済圏の消長を論じるならそこまでの分析も必要でしょう。
さらに、郊外に生活の拠点を置きビジネスセンターなり大規模事業所なりに通勤する生活パターンの負荷が大きくなっているという話もあります。道路や通勤・通学用の公共交通機関のコストを負担できなくなりつつあるわけです。公共交通機関についてはサービスレベルを下げることでコストを減らす方向に動いていますが、そもそもサービスレベルを下げてしまうとサービスの意味がなくなってしまうという懸念が公共政策の側から提示されています。満員電車や渋滞は誰だって嫌ですが、それこそ川崎から八王子に、あるいは山手線沿線に通勤するためのコストを、通勤需要だけでは賄えていないわけです。この点からも妥当なコストでサービスを運営できる範囲に集住し、できるだけ近所に通勤してほしいという要請が出ているわけで、現在のような遠距離移動を前提とした生活という状況が変わる可能性すらあります。それによってテラー業務の集約化や自宅消費というトレンドが変わるかどうか、そこまで見据えないとビジネスは見通せません。

■2019年04月17日(水)  なぜ市場万能論ではなく原理主義的規制論になっているのかが大事な気がします
人によって反応が異なるドコモの新料金プラン
「通信料金と端末代金の完全分離を目指す日本は海外と比べても厳しすぎる?」というコメントを否定する意図はないのですが、そもそも無茶な海外事例の提示も含めて、なぜそこまでして完全分離を目指すのかを考察しないと、そろそろ事例レベルでの反証や通信政策単独での議論では論説として無意味になっている気がします。
個人的には官僚側に1980年代の行政改革路線からの影響が強いのではないかと疑っていますが(少なくとも竹中平蔵さんあたりの議論ではここまで執拗な規制政策は出てこなさそうです)、同じような規制を貫徹してしまった例として、医薬分業規制があるのではないかと思います。まあ、電電公社の末裔どもがごちゃごちゃ文句を言うこと自体おこがましい、黙るまで叩いてやれという役所サイドの見方もあるのかもしれませんが。

■2019年04月17日(水)  ご冥福をお祈りします
「ルパン三世」モンキー・パンチさん死去 デジタル作画のパイオニア
モンキー・パンチさん死去 ルパン三世の原作者
ご冥福をお祈りします。

■2019年04月16日(火)  ソロ担当者は頑張ってください
ニューサウンズインブラスはおそらく吹奏楽団体の定期演奏会の必須アイテムですが、(The )|(T-)Squareはなぜか5曲も取り上げられています(同じくフュージョン系のインストゥルメンタルバンドの雄であるカシオペアですが、楽譜の出版元であるYamaha Music Mediaのオンデマンド楽譜販売サイトでは3曲確認できます)。作曲はキーボーディストの和泉宏隆さんがOMENS OF LOVEと宝島の2曲、バンドリーダーでギタリストの安藤まさひろさんがTRUTH、マジック(It's Magic)、Tomorrow's Affairの3曲です。うち和泉さんの2曲は在庫があり、安藤さんの曲はいずれもオンデマンド出版です。ドラムスの則竹裕之さんの勇者もよいと思うのですが、おそらく若干マイナーであるため入っていません。
参考音源をはじめ、音源が手に入るのですが(動画でも数多くあります)、参考音源をはじめとして多くに共通するのが、(The )|(T-)Squareの演奏に比べてのソロ部分のおとなしさです。3曲とも何度も、というかメンバーが変わるたびにアレンジしなおされており(迷アレンジもありますが)、元々バンド曲なので演奏機会毎のアドリブの違いも多く、ウインドシンセ・サックス奏者の体調が心配になるハイテンションからバラードまで幅が広いのですが、吹奏楽版はいずれもアップテンポであり、派手なアドリブが期待されているはずです。が、安藤さんのギターソロの部分がなぜか木管と編入楽器のピアノになっているTRUTHや元にしているアレンジがそもそも違うTommorow's Affairは措くとしても(TRUTHは、あれならもう1フレーズ前からテンポを落としてバラードに変えるのが筋だと思います: 原曲のアレンジとしてはTAKARAJIMA with MUNCHEN SYMPHONY ORCHESTRA and CITY OF LONDON WIND ENSEMBLE収録のものとTRUTH 〜20th ANNIVERSARY〜収録のバラードアレンジが参考になります)、OMENS OF LOVEのサックスソロ(原曲のギターソロ部分に相当)、宝島のサックスソロ(原曲のキーボードソロ部分に相当)ともに東京佼成ウインドオーケストラの参考音源そのまま、もしくはインテンポなアドリブが多く、納得できたのはシエナ演奏の宝島の参考音源あたりでしょうか(どうもゲストアーティストが担当したようです)。本来技巧を凝らす部分なので、原曲の該当部分を聞いて、本田雅人さん張りのアドリブを披露してほしいです(ニューサウンズインブラスの参考音源の中ではディープパープルメドレー中のバリサクソロあたりが近いイメージです: ただし、(The )|(T-)Squareの公式音源で本田さんのアレンジを聞けるのは、TRUTHを除きビデオのみです)。あるいは全体のアレンジを変えたりサビを繰り返してソロを引き継いでみるのも、ポップスですから、出版社も反対はしないと思います(実際Casiopea vs. The SquareではアンコールのTRUTHでギター2本とウインドシンセによるアドリブソロの繰り返しがあり、そのため演奏時間が元々4分ほどのところが6分に伸びています)。

■2019年04月16日(火)  そういえばどこなく似てますね
YouTube、誤報チェック機能がノートルダム大聖堂火災に9.11事件を関連付け。釈明は「ときどき間違える」
まあ、予備知識なしに見せられたら間違える人もいるかもしれないような…さすがに世界貿易センターノートルダム大聖堂は色や質感が違うとは思うのですが…もしかして新宿の東京都庁舎が燃えたりしても間違えるのでしょうか?
歴史的建造物が火災に見舞われたのは残念なことではありますが、ある意味よくあることでもあります。文化財は搬出が間に合ったとの報もあり、おそらく聖遺物も無事と思われます。フランス共和国及びパリ市、ならびにフランスのカトリック教会の尽力で元通り再建されることを祈ります。

■2019年04月15日(月)  4人乗りで自動車よりましというのがむしろすごい
空飛ぶ通勤カーは環境に厳しい?100km以上の長距離、4人相乗りなら持続可能性が高いとの研究結果
飛行機は離着陸に際してのエネルギー損失が大きいので、長距離、多人数であるほど効率的というのは全く不思議ではありません。むしろVTOLが4人で100 kmでガソリンエンジン車より効率的なのが驚きです。これが二酸化炭素排出量だから4人で100 kmで効率的という結果になっていますが、コストからみれば100 kmはともかく10人くらいは乗らないと厳しいでしょう。また起点と終点を巡航速度で直結するルートになるため巡行していられる時間が相対的に短くなり、より長距離でないと元が取れないことになると思います。さらに、ティルトローター式の方が効率が良いはずですが、浮力を機体の対気速度に頼る部分が大きいため、巡航速度が大きくなり、より遠距離でないとかえって効率が落ちます。ヘリコプター式の場合、巡航速度はティルトローター式より低くできますが、浮力をローターから得ることになるため巡航時のエネルギー効率が悪くなります。巡航速度はティルトローター式がV-22で450 km/h、ヘリコプター式がUH-1Yで300 km/hのようで、ティルトローター式にすると経済的に運用するには巡航距離が200 km以上必要ではないかと思います(V-22の航続距離は3000 km以上あるようですが、これはそういう仕様で作っているからで、有人・重量物輸送仕様で航続距離500 kmくらいならちゃんと作れるのではないかと思います)。

■2019年04月15日(月)  こういうのを取りやすいところから取るというわけですが
財政健全化には消費税26%も OECDが日本に指摘
たぶん26パーセントでは済まないと思いますよ。そこまで上げたら相応に消費も投資も冷え込みますから、税収が落ち込むことは避けられません。徴収すべき税額が変わらないので、税率は高くせざるを得ません。資産取引に取引価額の50パーセントも課税する方がまだましでしょう。資産市場は急激に収縮するでしょうが、上手にやれば影響は限定的なもので済むはずです。まあ、OECDが資産取引や事業所得への課税を提言するはずもありませんが。

■2019年04月15日(月)  数年で容量別プランができるんじゃないの?
5Gスマホは通信速度制限がなくなりそうだ
ここまでくると頑張れとしか言いようがありませんが…
サービスインからいきなり容量制限などということは考えにくいですし、まともに実装されれば1パケットあたりのタイムスロットも短くなるわけですから、制約は緩むはずとは思います。とはいえ「「利用者の使い方に応じた安価で最適な料金プランやデータ量を気にせず5Gの大容量コンテンツを楽しめる料金プランを提供」(KDDI)」なので、容量上限のあるプランが否定されているわけでもないでしょう。ある程度普及したところで現状に近い状態になる可能性は低くないように思います。もちろん今と同じ制限にはならないとは思いますが、「大容量コンテンツ」が普通になった場合、相変わらずギガ死してしまうことは十分ありうるのではないでしょうかね。

■2019年04月15日(月)  内蔵したらSIMじゃないんじゃないかな
SIMカードのカタチも変わる
携帯電話におけるSIM(Subscriber Identity Module)カードとは、電話会社の持つ加入者情報と端末を結びつける際に使われる機材です。元々は契約時に端末自体に加入者情報と結びつけるための識別子を書き込んでいたわけですが、色々理由があって識別子を記録するメモリと補助回路をカード状にしたものを作り、端末と独立して扱えるようにして、SIMカードと呼んだわけです。この点で、SIMという場合SIMカードを指す(例えばUSIMカードとは)のが一般的な用法だと思うのです。
もちろん、モジュールとその実装は違うという考え方もありではあるのですが(設計としてはあるモジュールと別のモジュールが分かれていて、実装としては同じICなりに載っていることは今日一般的ですし)、加入者情報、加入者情報識別子、照会手順、加入者情報識別子の記録媒体を区別して扱う習慣が身についている設計者ならともかく、「SIMフリー端末であれば、カードを挿しかえれば電話会社を変えても使える」レベルの理解をしているユーザーにとっては、eSIMやiSIMというのはいささか理解しがたい代物ではないでしょうか。設計者にとってのSIMの意義は、一定の機能部分をモジュールとしてくくりだしてそれだけ他所から買ってこられる、使いまわしがきくことだということはわかりますが、ユーザーから見れば今までSIMカードを挿しかえれば済んでいたのがSIMという回路なり物理的実体なりと契約が別になってしまったわけですから、せめて名前は変えてほしいように思います。というか、4Gと5GでSIMの互換性がないなら呼び方も変えていただきたい。そもそもSIMなりSubscriber Identity Moduleという一般的な用語を特定の仕様の機材の名前にしてしまったことがおかしいというのは理屈ではありますが、やってしまったことは仕方がないので、せめてSIMと書いた場合3Gもしくは4G用のUSIM規格準拠のsubscriber identity moduleを指すこととでもして、加入者識別用の機能ブロックについては略称を使わない(逆に言えば、SIMはsubscriber identity moduleの略語ではないことにする)くらいの使い分けはできるはずです。

■2019年04月15日(月)  20世紀初めならともかく、イデオロギー論争は学者の仕事ではないと思う
上滑りする日本の世論
2019.4.12 盛田常夫氏
財政再建論と不況対策論、かみ合わないですね。
まず不況対策論というか通貨供給を議論する立場から言えば、国家債務がいくらあってそれを解消するのに何年かかるかというのは、経済学ではないということだと思います。財の取引に使用する貨幣が不足し、そのために経済規模が伸び悩んでいるから、貨幣を供給して経済規模を拡大しないといけない(デフレになっている以上拡大する余地がある)、大まかに言えばそういうことでしょう。その上で、債務というのは返済されるという信頼がある限り、またその信頼を保つための費用を賄えている限り額は問題にならない(問題なのはむしろ返済のために貨幣の流通が止まることである)、財政は別に議論されるべきだが、返済の原資はそもそも現在の税収規模ではなく通貨の供給による経済規模の拡大に伴って増加するべき将来の税収規模であり、国債の中央銀行引き受けであれば全体としての財務状況は変化しないのだという理屈だと思います。
一方で、財政再建論は突き詰めれば政府の信用が限界にきているという話になるかと思います。政府の信用は国の経済の健全性を支える重大な要素であり、政府の貸借対照表の悪化はそれを損ない、経済の収縮を招きかねないので、改善されなければならないということになるかと思います。「過去の債務から解放されないと、思い切った手が打てない。」という主張はそう解釈すべきでしょう。というか、少なくとも盛田氏が経済における貨幣の位置付けについて、現代の主流派経済学と立場を異にしているとは考えにくいので、「借金は良くない」などという粗雑な議論をしているのでない以上、上記のように考えないといけないのだと思います。
財政再建論の見地から主張すべきことはもう一つあって、収支が改善していないのに追加の貨幣発行(原資は国債、つまり借金)が必要になっているのは投資も含めた政府の経済運営の効率が悪いからであり、効率の改善が先決だという主張です。他の論説を読んだ限り、盛田氏の本来の論点はこちらにあるのだと思います。
もちろん「やがて政府の首が回らなくな」るかどうかも含めて実証的な研究もなされているわけで、本来そのあたりの研究の妥当性も含めて議論を積み上げて話をするべきですが(「すべての近代国家は戦争の度に、国家債務のリセットを行ってきたし、社会主義体制崩壊はハイパーインフレで債務債権を帳消しにして、新しい社会構築の出発点を形成した。」というなら、歴史的事実の記述だけならともかく、経済政策論としては、国家債務が積みあがることが原因で経済運営が行き詰まり、何らかの強硬手段で政府の債務債権を帳消しにすることで経済を回していくことが可能となる仕組みを明示することが最低限の議論の出発点になります)、オピニオンサイトの記事でするようなことではないのも確かではあります。とはいえ、そこを端折った議論というのはつまるところ上滑りした粗雑な議論にすぎません。一般論として借金がいつまでももつわけがないだなんて、18世紀から進歩していない馬鹿かと言われても仕方ありません。少なくとも恐慌時の経済運営を研究している経済学者ならそう言うでしょう。このレベルで罵り合いをしている限りはどちらの主張にも説得力がないので、経済学者として政策論をするなら「それもこれも、現代の「経済学」はイデオロギーの域を超えていないからである。」などと言っていないで(盛田氏の主張もイデオロギーの域を超えていない点では変わらないのですから)、イデオロギーの域を超えた経済政策論を組み立てることが先でしょう。イデオロギーに基づく政策論でしかないのなら、その妥当性は結果が証明するものでしかないということになります。政策はそれでも良いでしょうが、政策論としてはそれでは意味がありません。
なお、この数日後に日本学び「財政赤字恐れるな」 米「伝道師」の異端理論のような記事も出ていまして、この記事の場合日本の状況を引用していますが、そもそも雇用重視、財政出動重視の経済政策論はどちらかと言えば欧州経済危機あたりを発端にリベラル左派から出ています。盛田氏はハンガリー在住で共産主義圏の経済システム、経済史あたりをやっておられたかと思いますので、政府支出の増強により雇用を維持するというと非常に印象が悪いのだろうとは思いますが、「アベノヨイショ」というのは相当一方的な話で(それこそ避難民の扱いについての主張を元に盛田氏をトランプ氏と同類視する程度には)、いわゆるペリフェリ諸国の緊縮反対論への反論から話を進めていくのでないと(避難民の話についても、それこそ盛田氏の住んでいるハンガリーあたりも含めて東欧からの出稼ぎ組がイギリスやフランスで摩擦を起こしている点も含めて論じるべきですし)、エッセイとすら言えないでしょう。

■2019年04月13日(土)  4000万円のために会費900万円ですか
時代錯誤の「iPod補償金」議論
まあ、定額の中のシェアを奪い合うようなことになると、ぞろ受信端末に課金しろという話が出てきそうな気もしますが。
しかしこの私的録音録画補償金、どういう理由で取られているのかいまだによくわかりません。もちろん、この制度を含めて、著作権制度というのは相当にバイアスのかかった形で人工的に作られたものであって、作品の流通を歪めている部分もあるとは思いますが、なかでも私的録音録画補償金については何を補償しているのか見当がつきません。補償というからには何か、誰かの得べかりし利益を失わせていて、その補償としてこれこれのお金を支払うという理屈のはずです。まず、レコード、磁気テープ、CDなどのメディアから、私的録音録画の範囲内で複製を作成、再生したとして、それ自体が著作権者の得べかりし利益を失わせているとは思えません。もちろんそうした複製を伴う再生への対価がどの程度であるべきかについては議論がありうるとは思いますが、レコードにしろCDにしろ、決して安いものではありません。普通の財布であれば、月に10枚もシングルを買えば他の消費ができないといった額です。これで、複製する分についてはお金は貰ってないから払うようにと言われても、納得しかねます。もちろん複製したものを頒布している場合は全く話が別ですが(そもそもその行為類型を管理するのが制度の目的であるわけですから)、CDの複製を2枚作って車と職場に置くといった話はもちろん、ポータブルプレーヤーへの複製の保存など、そもそも供給者がまともな代替手段を用意していないわけですから、リッピングを規制する方が無体でしょう。本と同じというならそもそも本と同じポータビリティー、つまり電源や再生装置なしでまともに再生できるものを本と同じ程度の価格で供給してしかるべきです。その本にしても、持ち歩きも検索も非常に不便であるわけで、ハードディスクに複製を突っ込むのが権利侵害だなどという議論には非常に不満があります。
とはいえ、放送されたもの、あるいはレンタルされたメディアからの複製ということであれば、特にレンタルは権利者の想定とはかなり異なる利用法であると言わざるを得ないだけに、補償を求められても仕方ないかもしれません。本来放送時の利用料にその分を付加し、あるいはレンタルに際してレンタル業者がその分を払うのが筋と思いますが、自分たちもそもそもそういう用途は想定していない、放送は聞き流すもので、レンタルCDやレンタルDVDは複製などせず見終わったら返却するものだと主張しているなら、現在のような補償金の形も許容範囲内でしょう(そもそも私的録音録画の範疇になるのかどうか)。ただしその場合、石川氏の主張するように、ストリーミングサービスの場合複製はあり得ないから、再生端末に補償金を課すのは間違っているという議論がありえます。
それでも、私的録音録画補償金の額がそれなりのものであるなら、既得権の尊重くらいは考えもするのですが、私的録音補償金管理協会の平成29年度決算によると、補償金収益は41,881,279円です。思わず目を疑ったのですが、JASRACの2017年度決算における著作物使用料収入と目される項目の合計が100億円です。で、私的録音録画補償金が4000万円。これ、補償金収益からの権利者への分配はあってもなくても同じくらいなんではないでしょうか。徴収対象を網羅できていないという主張を考慮しても、10倍はありうるでしょうが100倍ということはなさそうに思います。ということはせいぜいJASRACの権利収入の5パーセント。本当にこの程度の収入しか想定できないのであれば、制度を維持する利益がないと言われても仕方ないように思います。

■2019年04月12日(金)  ご迷惑をおかけした出版社ならびに関係者の皆さまに対し深くおわび申し上げます…貴社はかけてないと思いますが
ヤフー社員を書類送検 在学時に漫画アプリ改変疑い
小学館が警察に相談して、警察が動いたのはまあ、わかるのですが、不思議なのはヤフーのコメントとされる「事実であれば大変遺憾であり、厳正に対処する。ご迷惑をおかけした出版社ならびに関係者の皆さまに対し深くおわび申し上げます」です。別にヤフーが指示して不正アクセスをさせたわけでもなく、実行の際もヤフーに在籍していたわけでもないようですが、もしかして不正アクセスをした人を雇ってしまったことでもお詫びしているのでしょうか。テンプレのコメントとしても不見識に思えます。
そもそもクラッキングはされる方にも問題があるわけで、「不正アクセス事案が後を絶たない現状への重要な警鐘になるものと受け止めます。」という小学館のコメントは控えめに言っても間抜けでしょう。しかもアクセス記録から発見しているということは、相当にカジュアルなクラッキングだった可能性が高いように思います。専門家から見ればサービス開始時にふさがれていて当然の、欠陥に近い脆弱性であったのではないでしょうか。行為は行為として適法性を論じられるべきだとしても、カジュアルなクラッキングで破られてしまうようなシステムを事業に使ったという点で、小学館は株主、債権者、そしてサービス登録者を含む取引先に対して、情報セキュリティ施策の不備についてお詫びをするべきではないかと思います。

■2019年04月12日(金)  小寺のテレカン対談なんて企画は難しいのでしょうね
小寺氏の事情により「小寺・西田の金曜ランチビュッフェ」が「小寺・西田のマンデーランチビュッフェ」に変わります。
主に小寺氏が宮崎に移住することへの対応とのことですが…対談が西田氏企画のみとなるようです。まあ、対談というシステムでは基本的に相手と会うわけで、宮崎に相手が行くのも小寺氏が宮崎から出てくるのも大変でしょう。東京大都市圏に拠点がある状況がシビアに効いてくる話ではあります。お二人ともIT系のライターですので、何かとネタというかありていに言って不満の種となるテレカンで対談をして、感想も含めて記事にするというのもありそうだとは思いますが…お知り合いを一巡するだけでも数年稼げそうですし、一回の記事だけでは書ききれないであろう、こういうネタだと支障がなかった、こっちのネタだと厳しかったという話もありそうに思うのですが。まあ、時間的な話も含めて実用にならなかったのかなとは思います。

■2019年04月12日(金)  まずスマホの画面が15インチになってくれないとというのはともかくとして
読み手と書き手、そしてメディアのデジタルトランスフォーメーション
巻物の時代にもページの概念はあったことは、指摘しておくべきでしょう。地中海東南部沿岸で生まれたアルファベットは横書きされるのが普通で、巻物は横に読み進めるのが基本です(今のスクロールのように上下に移動することはありませんでした)。このためかどうか、アルファベットベースの巻物では、適当な字数で改行した塊が横に並んでいました。この塊を「コラム」と呼びます。縦書きである漢字ベースの巻物にはこの概念はありません。
詩のような、比較的短い長さの行で切ることが習慣になっている形態は別として、文芸作品というのは、空白と句読点で論理的に、パラグラフやチャプターで概念的に区切られたテキストストリームです(ちなみにコンピューターのデータはバイト境界で論理的に区切られたバイトストリームです)。こう言っては何ですが、この形式に最も適したメディアの形態と言えば、紙テープでしょう。
では文芸作品をプレゼントする原初の形態はというと、石板と粘土板ということになります。つまり区切られた平面であって、これはむしろコミック的な意味でのページそのものです(もっともページの概念としては次のページがあることも重要ではありますが)。この区切られた平面(をいくつも連ねたもの)というイメージが文芸作品のプレゼンテーションに大きな制約を与えてきたことは、山田氏の指摘する通りです。電子組版システムがコンピューターの上でページの制約の中でのレイアウトを実現するためにどれだけの工夫を強いられてきたかは多くの場で語られてきましたし、HTMLのようなマークアップ言語そのものがその工夫の産物でもあります。もちろん、制約である一方で、絵本やストーリー漫画のようなページをめくって進むという構造に依存する表現様式を作り出しても来たのですが。
では、「これまでの当たり前をリセットし、静的コンテンツを楽しむためのユーザー体験を新しくデザインすることが求められていると言っていいだろう。コンテンツがオンデマンドでインタラクティブになっただけではダメなの」でしょうか。もちろん、紙でいいじゃないということは容易です。私たちは、あまりにも強く、ページというイメージに囚われています。PC Watchにしても、リフロー可能で縦方向に無限長のページにすぎません。そもそも延々と続く紙テープや無限に広がる平面を示されても、一度に読むことができるのはそのごく一部です。またメディアにおけるサイズの制約の多くは、コストに起因しています。Webではその制約は相当程度緩むとはいえ、逆に言えば制作時に表示サイズや読者の要求する表示条件を想定できないという制約が加わったということでもあります。自動リフローがどれだけ惨憺たる失敗を繰り広げているかは、スマートフォンのレイアウトシステムから歴然としています。表示サイズが大きくなれば制約が緩むことは経験的にわかっていますが…もし仮に表示サイズについてコスト面(や重量や携行サイズの面)での制約がなくなったとしても、4m×3mの表示サイズを一望することは難しいということも言えます。
もし仮に文芸作品を表示サイズの制約なく読者に示すことができるようになったとしても、それは今のWebというシステムではないかもしれません。配信はHTTPでなされるかもしれませんが、データはHTMLテキストではなくなっているように思われます。マークアップはテキストの論理構造に対応するということが言われるようになって久しいですが、HTMLはあくまでもある程度の二次元の延長を前提とした組版の記述言語です。「これまでの当たり前をリセット」してはくれそうにもありません。

■2019年04月09日(火)  観光スポットの意味が違うような
スウェーデンの観光スポット1
ちょっと感覚が違ったというか、よく読めばわかる通り、屋形船や長瀞ライン下りあたりの感覚とは相当違います。むしろ瀬戸内海クルージング(例えばこのへんとか)あたりと比較する案件でしょう。こちらが連絡先です。基本一週間(ハイライトコースで三日間)、船に乗って運河を移動します。乗ること自体や沿線の景色を楽しむという点では乗り鉄に近いでしょうが、あいにく日本で一週間乗り鉄をすることは相当高度な計画を必要とします。クルージングは、正直相当適性を必要とする遊びだと思います。景色を見ていると飽きない、ひたすらカフェでしゃべっていて苦にならない、乗ることに意義があると思えるといった人でなければ、退屈を持て余すか、なんで近所の商店街に行けばできることを船に乗ってやらないといけないのか悩むことになるでしょう。もっとも、ヨーロッパ人のバカンスは、別荘を借りてひたすら浜辺で日に焼けるというものなので、その一種だと思ってみれば一週間かけて半島を横断するというのもありかもしれません。とはいえ、運河沿いのコースを自転車で移動して横断する方が、達成感は大きいように思います。

■2019年04月09日(火)  市場からの退出が倒産の婉曲表現になってはまずいとは思いますが
人手不足は本当に「悪」なのか 騙され続ける日本人
ええと、経営評論家が労働供給ひっ迫による賃金上昇、もしくはそこから派生するコスト上昇を懸念するのはよくわかるのですが、少なくとも大学までは、労働需要過大による賃金上昇は肯定されていたように思うのですが、ここまで経営から見た言説が「普通」になっているのでしょうか。確かに、空洞化やオフショアのような労働力の買い叩きを肯定する言説が増えてはいましたが、一方で内需の拡大などのそもそも賃上げを前提にした言説も出てきていたと思うのですけど。
もっとも、どんな事情であろうと事業終息はともかく「倒産」は問題です。倒産にまで至った場合、処理の費用を負担できるような関係者(転職ができるような従業員を含む)はすでに逃げ出してしまっていることが多いはずで、連鎖的な事業破綻や雇用の毀損が発生しかねません。
また、価格が上昇した場合需要家側の対応が難しい分野もあります。介護分野などその典型で、ただでさえ構造の変化により介護需要が増加しているのに、消費者価格の引き上げが発生した場合、介護心中や孤独死が多発しかねません。建設業もそうで、東日本大震災以降の建設需要の増大により公的建設工事の入札不調が発生しています。どちらかというとマンションやホテルの建設ラッシュの方が異常に見えますが、数年後に建築基準違反事例や不当な契約の事例が大量に発覚するようなことにならないよう、祈るばかりです。一部の製造業も同様でしょう。
本来こうした状況での緩和策や調整が政府の役割のはずですが、正直鎮痛剤の投与にばかり目が向いている感を否めません。鎮痛剤の投与自体は必要に応じて行うべきですが、痛みを起こしている原因を無視して鎮痛剤だけ投与し続けるというのは、痛みだけ抑えておけば自然治癒する場合か(普通の風邪などはそうですね)、痛みを抑える以外手の施しようがない終末期医療においてのみ正当化されるのではないでしょうか。この場合、自然治癒も死亡も見通せていないと思うのですが。最低限、労働供給を増やせば賃上げ圧力が低下し、デフレを悪化させるという問題提起に対しては回答すべきだと思います。また仮にデフレが悪化しなかった場合でも、導入した外国人低賃金労働者が餓死などという事例が発生したら、大問題です。
とはいえ、EUや米国のように外需の獲得一直線で構造改革を進めると、色々歪みます。中国の資本と需要にどっぷりつかってしまい足抜けしようにもできない欧州企業とか、国内製造では元が取れないので需要地に移転してしまう米国企業とかがそうですし、そのへんにも大規模需要家の発注減で赤字転落した有名企業とかがありますね。正直製造ではどうやっても賃金の安いところにはかなわないので、所得の捕捉と再分配でしのぎつつ労働集約的・資本集約的な産業構造からの転換を進めていく程度しか、政府にできることはないような気がします。Too big to failだけは政策面での失敗ですからね。

■2019年04月07日(日)  わかりきってることを得意げにしゃべるのがコンサルタントや評論家とはいえ
GW10連休で問う 日本人が「休日多すぎなのに休めていない」真の理由
「働き過ぎを是正できないので、全員一斉に休みを取ることで何とかごまかしているともいえる。」
まあ、これ、言ってないのは経営評論家だけじゃないかと。「生産性が低いから」と言いますが、そもそも生産性云々の前に代わりがいないから休めないんですよ?休日に窓口を開けると時間外勤務になるからと主張する役所もまあひどいと思いますが、自営業ならそんなものかもしれませんが、雇われ人が休暇取るのに連絡先を教えないといけない、そしてその連絡先に仕事の問い合わせがかかってくるというのがそもそも論外ですからね?
日本の事業者は休みすぎです。窓口なんて、年末年始以外は開いてる方が当然です。それが、まともに窓口が開いているのは消費者向け小売業と一部の大手運送業くらいで、社会的インフラストラクチャーは判を押したように土日休日休み。別に10日に5日くらい閉まること自体には異論はありませんが、どこもかしこも同じ日に閉まっているのは迷惑です。
一方で、日本の経営者は休暇取得について想定が甘すぎます。週5日全員が出勤という方が無茶です。1割は病欠、1割はバカンスで8割しかいないと想定すべきです。当然、それですべての仕事が廻り、十分な利益を出せ、妥当な額の給与を支給できるのが筋で、そうするのは全て経営者の責任です。従業員の考えることではありません。有給休暇完全消化と号令をかけて、従業員がその間自分の仕事を誰が回すんだと困惑するようなら、経営者は仕事をしていないと糾弾されてしかるべきです。そのあたりを含めて仕組みを作ることが、経営者の仕事のひとつでしょう。
とはいえ、単位労働当たりの生産性が低いこと自体は経営者だけでは解決しない問題でしょう。人減らしが何を招くかはこの40年で明らかになっています。ただでさえ経営者への不信とモチベーションの低下を招きかねないうえ、単純に人を減らしただけでは効率は良くなりません。また労働コストの削減自体、従業員が給料から事業の生産物の費用の一部を負担していると考えれば、巡って売り上げの低下を招くことになります。効率化への投資が解決策かというと、その前の30年がそれを否定していると言えます。投資の拡大が招いたのは、設備の水膨れと資本効率の悪化でした。売り上げを増やせと発破をかければよいかというと、発破をかけたくらいで売り上げが増えれば苦労はないですし、売り上げを増やすにもコストは必要であるわけで、増えた売上以上にコストがかかってしまえば結局効率は低下します。また価格を上げようにも、今の値段で買ってもらえれば御の字、値上げなんて考えられないという事業も多いでしょう。結局対策は事業ごとに違うわけで、コンサルタントやソリューション営業の十把一絡げな提案で解決するほど生易しい状況ではないのです。とはいえ当記事の指摘する問題については、ごりごりっと有給休暇を消化させるのは経営者の役目です。仕事が降ってくるのに休めるほど、普通の人は神経が強くありません。
このような状況で、コンサルタントや評論家の役目は二つあります。一つは十分なバリエーションのソリューションを提示すること、もう一つは社会全体に関わるソリューションを提示することです。当然解まで提案して初めて価値があるわけで、当記事のような指摘しかできていない話は論外です。「休日を増やすのではなく有休を消化しましょう」と書いたところで、「休日でもなければ休めないだろうが!」と反論されるのが落ちです。「右向け右で一斉に休むのではなく、多様な働き方を実践し、休みたい時に休める制度にし、働く時はしっかり働いた方が、経済にとっても、そして労働者にとってもメリットが大きいはずだ。」などと道徳論を述べられても、困ってしまいます。せめて、「具体的な方策については拙著の○○で論じたので参照されたい。」と書いてほしいものです。

■2019年04月06日(土)  悪名が高いかどうかはともかく指摘は間違っちゃいないね
日本の裁判手続きは「悪名高い」 米海兵隊の文書に記載
まあ、アメリカ合衆国の政府当局に言われる筋合いはあるかという気はしますが。アメリカの地方警察機関も暴力的なふるまいでは悪名が高いですし、死刑に当たる罪については公訴時効がありません。もっともアメリカの拘留手続はかなり厳しく、拘留が認められても比較的短期間で起訴するかどうかが決定されることが多く、保釈も容易です。海兵隊という非常に身元のはっきりした引き取り先があるのになんだかんだと拘留を引き延ばされる事態は、それが外国政府機関によるものだけにうれしくないでしょう。米軍人のやんちゃの事例は日本に限らず少なからずあるわけで、外国の事情に疎い隊員に半ば脅すような警告をしていたとしても理解はできます。公文書に書くなという方が野暮でしょう。任地に適合した遵法精神を持ち合わせていない隊員を運用しなければならない海兵隊の幹部に深く同情します。
とはいえ、規則ではありますので、所轄の警察機関や検察当局に置かれては、米軍様や海兵隊様に忖度などすることなく、適正に執行を行っていただければと思います。

■2019年04月05日(金)  じっくり取り組むと技量相応の結果が得られるのが上級機
そのインスタ映えは高画質?、それとも好画質?
個人的にはカメラがネットワークにつながったところで便利とは思えないのですが、USBマスストレージクラスにするよりもWi-Fiでクラウドストレージに送り込むほうが手っ取り早いとでもなったら、ネットワークでどことも知れない場所に転送されるのがデフォルトになってしまうのでしょうかね。
絵作りも同じことで、カメラのシーン機能というのは使ったことがないです。装備されているのは知っていますし、できることもまあわかりますけど、PC上で後処理をする方が便利だと思うので、RAW保存でPCに転送して後処理を試行錯誤します。元々写真というのは、現像したうえで引き延ばしをしないと、どう写っているかわからなかったので、写真を撮るという意識の時はそういった作業をすることに抵抗がないのだと思います。このため写真の品評というのは撮って一週間後にまた集まって撮れ具合をワイワイ話し合うものであって、その場でするものではありません。
ですから、撮ったその場で出来上がりを確認とかそのままSNSに投稿とかいうのは、他人事としては微笑ましいと思いますが、関わりたいとは全く思いません、というかむしろ避けます。
このため、この記事で挙げられている機能はいずれも、そんな機能の実装に金をかけるくらいなら値段を下げてくれと思うのです。
とはいえ、技術的にはさほど手間のかかるものでもない、安価で手軽な技術と思えるので、シーンセレクト用のAIも含めて、エントリー向けの普及機には積むとよいと思います。素人でもそこそこの結果が得られるのが普及機、上級者が思う存分使いこなせるのが上級機というもので、したがって上級機では「ピクチャーコントロールはさらに自分で設定を調整できるが、そのためにはシーンの審美眼が求められる。テスト撮影を繰り返して追い込んでいく作業が必要だ。」は当然のことです。素人が上級機を使ってへぼな結果に落胆するというのは、機材を自在に使いこなしてゆく過程で必然的に生じるものですし、そこで素人を救済しないと売り上げに支障が出るような売り方は上級機のためのものとしてはそもそも間違っています。そう遠くない将来に高画質も好画質も機材側で撮影者の気分や状況を読んでコントロールしてくれるようになるのかもしれませんが、そこまでにはなっていない以上、随意に機材をコントロールするためのノウハウが撮影者に要求され、それに高水準に対応できる機材が上級機という差別化の手法は変わらないと思います。

■2019年04月04日(木)  そういう絵作りをする道具として選ぶことは正しい
HUAWEI P30 Proまでの進化に見る、スマホらしいカメラとは
これは少々ナイーブな見解ではないかと思います。
そもそも絵は言うまでもなく、写真にも本来「見たまま」というのはありえません。フィルムにしろイメージングデバイスにしろ(もちろんレンズも)特性は目とは違っていますし、そもそも目で見たものの認識も主観が大きく作用します。それを写真が「見たまま」をとらえているのだと思い込んできたこと、そして主観的な「見たまま」に合致させるところから表現手法を作り上げてきたのが写真の歴史でしょう。このために、構図やライティング、カメラの設定、レンズの選択、あるいはフィルム選びや現像工程、引き伸ばし工程などが問題とされてきたわけです。
この意味ではP30 Proの処理もデジタルカメラの後工程の結果として理解できるものです。それを「写実的」とか「自然な姿」という視点で批判することは、写真の表現技法やそれを駆使する技能者としての写真家を否定する、奇妙な行為という気がします。というか、「見たまま」や「自然」というドグマに寄りかかっている点で、そういった絵作りが本来のものであると思い込むのとさして変わらない水準にとどまった批判とでもいうのでしょうか。
問題は、それが撮影者の意図を意識させないように実装されているということでしょう。「カメラ」においては、カメラの設定にせよ後工程にせよ意図的に行うものです。シャッターを押せば意図した写真が「見たまま」に撮れるという想定との乖離がそこにあり、写真がどのように見えるかというのは意図して選ぶものであるというのが、表現としての「カメラ」の入り口という気がします。撮影者が意図して選ぶものであり、カメラはその道具(のひとつ)というのが、カメラメーカーの共通の認識ではないかと思います。昨今のスマホカメラの方向性はこの選択を撮影者の意識の外に追いやっているという点で、カメラメーカーや多少とも従来のカメラを使いこなしてきた撮影者の発想とは異なっており、違和感を感じさせるものとなっているというのが私見です。
したがって、「そうしたスマートフォンカメラの人気・不人気を見ていくと、多少極端な言い方をするならば、多くの消費者は自然な姿ではなく、自分が理想とする姿の写真を撮影できることに満足感を抱く傾向にあるといえそうです。それゆえ大衆的なデバイスでもあるスマートフォンのカメラには、今後も消費者が見たいものを見せることを重視した機能進化が求められることになるのでしょう。」、「写実的な表現を求める人は、やはり従来のカメラによる表現を選ぶことになるかと思います。」というのは、スノッブを気取って「大衆」を見下した、「自然な絵作り」がそもそも作為的なものであることを棚に上げた、コメントにしても非常に恥ずかしいものであると思います。「大衆」に向けた批判であれば、「旅のワンシーンを自由自在に記録することのできる」(engadget日本語版, 2019/3/30, 山根博士のスマホよもやま話)のような見解が絵作りというのはあくまでも誰かの意図に基づいたものであることを忘却しているという大衆のイノセンス自体を標的とすべきで、大衆の「見たいもの」(だけ)が偏っているとでも言わんばかりのコメントは、デザインの方針に対するものとしても不見識です。

■2019年04月04日(木)  後ろに「和」のつく元号は短い?
日本の元号中、並立も含めて後ろに「和」のつくものは18ありますが、うち17が10年程度で改元されています。4例が辛酉革命説により前の元号から改元され、甲子革令説により次の元号に改元されています。8例が天変地異、兵乱などを直接の契機として次の元号に改元されています。また昭和は第二次世界大戦における敗戦と連合軍による占領に伴う政治的大変革をはじめとして、災害や不況、混乱が多数ありました。「和」のつく元号は不吉です…と書くのは簡単なわけですが、まあ、数年での改元も普通に見られる話ですし、昭和など長いだけに良いことも悪いこともたくさんあったわけです。養和や明和はどうかと思いますが、他の元号と比べてもそう良くも悪くもないでしょう。

■2019年04月03日(水)  先祖返り?
Visual Studio 2019
C++でデスクトップアプリケーションを作る設定でプロジェクトを生成したところ、素直にWinMainというかなぜかwWinMainという珍妙な名前ではあるものの、明らかに普通のWinMainの定義なエントリーポイントが生成されました。MFCはobsoleteになったのでしょうか。めでたいことです。

■2019年04月02日(火)  ニコンZ
ニコン、Zマウント大口径ズーム「NIKKOR Z 24-70mm f/2.8 S」
NIKKOR Z 24-70mm f/2.8 S
NIKKOR Z 14-30mm f/4 S
Zマウントのレンズが増えるというのは、ちゃんとこのマウントを発展させていくという意志が感じられます。
とはいえ値段は凶悪ですが。さすがに大三元。というか、14-30mm f/4もいささか凶悪です。

■2019年04月02日(火)  「私」立なら学部の経営程度は独自財源でどうぞ
苦しい「私大医学部の経営」 国立優遇に疑問、医師養成は平等に
「優遇」と言いますが、そもそも国立と私立という経営形態を同列に論じることがおかしいと思います。国立の廃止なり私立の国立への転換なりを論じるならわかりますが、そもそも私立は経営者が一定の教育理念を掲げて私的に経営しているわけで、経営が「苦しい」というなら自分で資金を引っ張ってくるべきでしょう。
まず教育ないしは医師養成において国(ないし地方公共団体)の資金的な関与があるべきかどうか。国の方針に基づき国の定めたカリキュラムで養成されるべきであるとするなら、そもそも私立の医師養成機関はあってはならないでしょう。逆に医師国家試験にさえ通ればよいというなら、そもそもカリキュラムを実施できる養成機関を創設する必要のあった明治時代ならともかく、今時地方公共団体はともかく国が医師養成に資金を投じる必要はありません。
その上で国立と私立を含むそれ以外の養成機関の併存が望ましいとしたときに、医師養成の費用のどこまでを国が負担すべきか。私大の医学教育経費が挙げられていますが、そもそも算定基準に疑問があるという話は措くとして、国立と比較したときにこの額が妥当なのかどうか。教育に必要な費用として国立ではここまでかかっていないとしたらそもそも私大が余計な費用を支出していることになりますし、差異の原因が研究費だとすればいわゆる競争的資金の獲得状況も含めて議論すべきです。また国の指定するカリキュラムを実現するための費用と特定の大学に特有のカリキュラムに関わる費用とは別に考えてしかるべきでしょう。そのあたりを抜きにして交付金の額だけを論じるというのは、説得力に欠けます。全額を国が負担すべきと言うなら、そもそも私大の医師養成課程を切り離して国立とすべきでしょう。「同じ医師を養成する矛盾」と言いますが、国公立と私立が併存している状況で、同じ医師を養成しているのなら私大の存在意義などありません。学部を廃止し国公立医大の定員に回し、私大の医師養成課程は基幹医師養成病院にでもして、研修医ないし博士課程の段階での独自の理念に基づく専門的カリキュラムを実施する方が適切でしょう。
私立医大の附属病院、ないし医局の教育水準は決して無視できず、教員にせよ病院勤務医にせよ優秀な方が多数おられることも、優秀な医師を輩出していることも確かです。とはいえ、6年間の医師養成課程に限るなら、国が費用を出して維持するべきかどうかは検証が必要ですし(医大に浪人が多いのだって、そもそも定員が少ないためで、大学の独自のカリキュラムや入学許可基準の問題ではないでしょうし)、まして赤字だから国が丸抱えにしろというのは論外です。
なお、学生負担が高くていいと主張するつもりはありません。むしろ、経営者は外部、つまり学生や保護者以外からの寄付金の積極的な導入と財源の安定化を図り、学生の負担は極力軽減すべきと思います。経営や理念に基づく教育水準に優れ、あるいは国のカリキュラムにとらわれない独自の(ただし基準は満たした)教育システムを提供していることに私立大学の存在意義があるのであって、同じシステムで同じ結果を出してその割に効率が悪い、あるいはまともな寄付を期待できないほど独自の存在意義に疑問を持たれている状況なら、閉学するのが筋です。

■2019年04月01日(月)  万葉集なら万葉仮名の部分から採れば
「令和」万葉集から由来をさらにさかのぼると?
2文字目に「和」のつく元号というとどうしても「明和」が思い浮かんでしまいます。
さて、政府発表では万葉集の題詞から採ったとのことですが、上記記事のようにその典拠に漢詩があるという話が出ています。万葉集を編纂した人は漢詩にも通じていた知識人であるわけで、題詞のような解説部分は漢文で書かれているわけですし、不思議でもなんでもないのですが、「万葉集に出てくる」という基準で選んだのでしょうし、一定の意図はあるのでしょう。とはいえ元号のように漢字を使うときに和語を選ぶのは難しいでしょうし、漢文を書く場合はほぼ確実に漢籍を踏まえますから、無理した部分が出てくることは仕方ないと思います。
ところで、平成何年か覚えていないので、さっさと令和元年と書類に書いてはダメでしょうか。

■2019年04月01日(月)  集めるだけでは済まないということかもしれません
「隠すことは何もない」? ネットの“のぞき見”、鈍感さに潜む危険
「個人情報を収集されて何が困るか」をリジッドに考えていくと、結局のところなりすましは困るということになるかと思います。隠すことがない場合でも、現状認証に使われるパスワードや本人のみが知っている情報、指紋パターンなどを他人が入手した場合、認証が無意味になる可能性があります。なりすまされるのも困りますが、なりすましが発生した場合他の手段で本人認証を成功させないとサービス自体がロックされてしまうわけで、だいたいは不便この上ないでしょう。本人確認ができないので銀行口座にアクセスできないとか病院で全額自己負担どころか保険証を認証できず身元不詳で受診を断られるといった状況を考えれば、わかることです。
ですから、個人情報を預かる側に一定の漏洩防止、不正利用防止の取り組みが求められるのは当然ではあります。漏らさなきゃいいだろうでは済まないのは、例えば取引に際してクレジットカード番号と暗証番号を控えて、それを使って勝手に発注をするという状況を考えれば明らかです。しかも現金のような無記名の決済手段を使った即時決済の対面取引から決済業者、運送業者を介した口座間取引に移行し、何かと認証やそのための個人情報の登録が必要になるわけですから、第三者間で個人情報がやり取りされることになります。認証が適切に行われていないかもしれない、個人を特定している情報に信ぴょう性がないというのは、特定されている本人の不便のみならず、関わっている者の間での取引をひっくり返しかねません。公的規制にしろ、取引関係者間の取り決めによる規制にしろ、一定の信用を築くための規制の枠組みは必須です。そこには、認証に使う個人を特定するための情報を含む個人情報の真正性をどうやって担保するか、真正な情報を不必要に部外者に見られたり、書き換えられたりしないようにするための仕組み、もしそうした疑いが生じた場合真正な状態を回復するための仕組みが含まれます。
そしてプライバシーですが、他人が収集していることの問題として、収集した人はそれを任意に改変し、他の人にばらまけるというのが、異論のない問題点だろうと思います。宣伝のペーパーや訪問販売が来る程度なら迷惑で済みますし(訪問販売にしろ迷惑メールにしろ迷惑では済まないという話もありますが)、自宅に隠した児童ポルノを摘発されるのも迷惑とはいえ自業自得と言えば言えないでもないでしょうが、一貫する詳細な個人情報のセットに悪意を持って偽情報を埋め込まれて流されでもしたらそれではすみません。見られて困ることはしていないとしても、見られて困ることをしたことにされたらそれはそれで困るものです。

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