日記

■2018年05月29日(火)  寄付制度の運用で解決できると思うのですが
土地を放棄できる制度
手放そうにも更地にするコストを負担できないので塩漬けになっているのが問題なのだとしたら、単純に、土地の状況に関わらず国なり自治体なりが寄付を受け入れればいいだけだと思うのですが。整備して寄付している人からは不満も出そうですが、そもそも整備されないと色々問題があるという状況だと思いますし、国なり自治体なりが寄付を受け入れるには一定の手続が必要なのは変わらないのですから、その手続の中でas isで受け入れることを承認すればよいだけのことです。それをわざわざ制度設計に乗り出すというのは、もしかして整備を行わない所有者から無償で土地を収用するつもりではないのかとも思えます。

■2018年05月28日(月)  Call of the Cossacks
日本国内では軒並みプレミアム付きか再入か未定だったのですが、ダイクのショップに3点在庫がありました。約14英ポンドなので為替レート次第とはいえ値段も普通です。もちろんこれに送料が加算されるわけですが、購入時の送料提示額は10.25英ポンド。アマゾンでの中古の出品額が1.9万円からだったので、送料と合計しても国内で通販で買うより安いことになります。さすがに14ポンドのCDに10ポンドの送料は悲しいので、もう1枚面白そうだったのを買いましたが、いかにブラックダイクとはいえCDの再版などかかることはまずないはずで、よく半端な在庫が残ってくれていたという感じです。

■2018年05月28日(月)  P10 lite
HUAWEI P10 lite
動作チェック用に買ってみました。当分SIMを入れるつもりはありません。設定を終えてしばらくするとアップデートがかかったのは、織り込み済みではあります。質感は違うのですが、見た目の印象がDiginos携帯DG-W10Mに似ています。スピーカーとボタンとイン側カメラの配置ですね。

■2018年05月28日(月)  EU-GDPR要点
EU代表者
EU域内に拠点を持たない(個人情報の)管理者・処理者であって、EU域内のデータ主体に商品またはサービスを提供している者は、書面でEU域内における代表者を選任する必要がある。

■2018年05月27日(日)07:14  SMB1が完全に無効にされたようで
勝手に無効にするな!
Windows10マシンからNASが1台見えなくなっていました。もう1台は見えること、Windows7マシンからは見えることから、Windows10のSMB1サポートの問題と判断し、コントロールパネルのプログラムと機能にあるWindowsの機能の有効化または無効化を確認したところ、見事にSMB1.0/CIFSファイル共有のサポートが無効になっていました。5月初めまでは見えていたわけで、今月のパッチで設定が変更されたのだと思いますが、相変わらずのだんまりでの変更です。まだ機能自体は残っているので有効にしましたが、何か脅迫されているみたいで嫌です。というか、まずもってOneDriveとPeopleをオプショナルにしていただきたい。

■2018年05月27日(日)  没入ではなくて
耳をふさげば
まず、タイトルと中身が対応していないことに困惑しました。しかしまあ、それはそれでよしとします。イヤホンというのが周囲の環境から装着者を切り離すものであったのが、当該製品では環境音を排除せず、それでいて再生音を確実に届けるものへと転換が図られている。それもよいでしょう。これはつまり、インカムです。使用例も例示されている通り。ちょっと思ったのは、それこそARにも使えるのではないかといういうことです。観光地で、適宜ランドマークに表示を出しながら案内を聞くといった形のARの利用の場合、没入してしまうことはデメリットです。ARグラスと組み合わせて、観光案内所で貸し出すといった形がありうるでしょう。問題はやはりこのARが他人には見えもしなければ聞こえもしないことで、傍から見ていると相当間抜けな様子と思われます。それにしても、昨今のイヤホンは高性能化していますけれども、それこそ初代ウォークマンあたりまでは、イヤホンで音楽を聴くなど「ありえない」、
つまり鉱石ラジオなどでAM放送を聞く程度の、聞こえればいいやというものでした。

■2018年05月26日(土)13:31  最近のプログラム言語というのはなぜ横に長くなるのでしょうか
kotlin
やはり貴様もかというか、
l.getOrElse(0, {throw Parser.IlligalFormatException("${index + 1}に 'id' がありません。")}).toLongOrThrow { "${index + 1}が数値ではありません: $it" }
て、
(((thisfunctionreturnspointertoafunction(param1, foo()))(param2))->entity == NULL)?bar():bazz();
みたいな書き方は読みづらいから書くなと習ったのですが。

■2018年05月26日(土)09:49  Android Studio + Kotlin
プロジェクトは開けたが
Android SDKはインストールだけして放ってあったので、Android Studioを入れなおしました。どうせコマンドラインインターフェースは使わないと思うとあまりいい思い出のないJavaを使う理由もなし、Kotlinでよいかと。で、ウィザードからブランクアプリを作って、まず実行してみようと思ったところでエラーが…WXGA800という環境がない?

まずエミュレーション環境を作らないといけない
エラーメッセージで検索したところ、まずエミュレーション環境を作らなければならないようです。だいたいエラーの周りに解決用のリンクがあったのでここまで苦労しませんでしたが、そもそもなんかデフォルトの仮想マシンらしきものが見えるのにそれが使えないというのは何なのでしょうか。ともあれ新規の仮想マシンを作成しようとしたところ、「仮想マシンはHyper-Vとの互換性がない」というメッセージが。後で何か祟るかもしれませんが、リンクをクリックしてPCを再起動します。その上で適当なエミュレーションシステムをインストールして環境(というか画面解像度とおそらくAndroidのバージョンですよね)を設定してやります。できたエミュレーション環境の項目をダブルクリックすると環境が立ち上がります。一度エミュレーターの電源を切って再度プロジェクトから実行をかけたところ、まずエミュレーターは立ち上がりました。

エミュレーターが遅いんだろうけど
しかし、なんか延々とデプロイしています。LabViewのアプリケーションをコントローラーにデプロイする時みたいです。頻繁にデバッグ実行などするものではないというのはまあ理解はしますが、挙動を理解する上では実行してみるのに勝るやり方などないわけで、それがこれでは先が思いやられます。おそらく仮想マシンとの通信が低速なのだと思いますが、デプロイ自体仮想マシンが起動していないとだんまりになるようですし、キャンセルにもかなり時間がかかります。

■2018年05月26日(土)07:38  メモで思い出しましたが
タブ用の写真メモ作成アプリでも作ってみようかな
最近はカメラもレンズも便利にできていて、exifにカメラやレンズ、絞りやシャッタースピードなど、果ては撮影した緯度経度まで情報を記録してくれるのですが、レンズ側に接点がない場合やマウント変換アダプタ経由で接続した場合など、この機能に頼れないことがあります。後でこれはどのレンズで撮ったのだっけということになるので、レンズ情報をあらかじめ用意しておいて、手早くメモを作れるアプリがあれば便利かもしれません。ちなみにこのレベルの機能はすでに実装済みのカメラがあり(例えばNikon Df)、レンズ情報を設定した中から選ぶことができるらしいのですが、うちのカメラにはあいにくそんな機能はありません。まあ、2000万画素級の新機種に更新すべきなのかもしれませんが…

■2018年05月26日(土)06:43  まあ、ポータビリティなんでしょうね
ノー・モア・モバイル
北斗星のロイヤル個室クラスなら別ですが(これはむしろポータビリティだと思いますが)、モバイルが可能な局面はそう多くないと思います。もちろんやっちゃう人は後を絶たないわけですが、公共の場所は周囲を警戒しつつできるだけ早く通り抜けるという原則からすれば、周囲を警戒もせずに作業にふけるというのは危険行為です。まあ、ポータブルも問題はあって、喫茶店で機密性の高い情報を扱うのかということになるわけですが、それこそネカフェの個室であれば下手な事務所より個別のアクセス制御レベルは高いでしょう。電車の中で聞かれたらやばい話を堂々と携帯電話で話すよりはよほどましかと思います。新幹線に乗っていると、隣の人の画面や書類が見えてしまうのですが、気まずいものです。モバイルの用途は、それこそ活動のログ・メモを残すというレベルが限界ではないかと思います。これだと、スマホで十分ということになるでしょう。移動時間も無駄にできないほど高密度の仕事に追われている方には申し訳ありませんが、隣の席で原稿を書くのは止めていただきたいと思います。イベント会場でメモを取る、あるいはレポートを書くのは許容範囲ではあるのですが、これが必要な方はだいぶ限られるでしょう。できれば世のイベントというものが、ブースでVRという形態に移行してくれないかと思います。人の移動というのは社会的なものも含めて非常にコストが高いのです。まあ、派生する需要というものもあるので善し悪しではあるのですが。VR観光とか、現地には何のメリットもなさそうですね。

■2018年05月25日(金)16:33  疲れも出ているのに結局コミュニケーションですか
小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」Vol.174 余談
SNS疲れとか言われている状況で「キラーアプリケーションは…コミュニケーション」ですか。まあ、個人の遊びに留まらない応用はそこに行きつくという意味では同意するのですが、所詮モーションキャプチャーなので、あまり過大な期待もできないというか、今の遠隔会議システムよりはましくらいではないかと思います。しかし、周囲から見て非常に間抜けという、今の電話系遠隔コミュニケーションの問題は何とかならないものでしょうかね。

■2018年05月12日(土)07:19  フォーマットとユーザー認証は共通規格にしてほしい
漫画家・赤松健さんに聞いた、「海賊版サイトをつぶす唯一の方法」
この種の議論について、まず私が言いたいのは、電子書籍のフォーマットとビューアーへの取り込みの標準手続をちゃんと普及させようというものです。それこそEPWINGからePUBまでそうですが、電子書籍サプライヤーは共通規格の採用に否定的で、ユーザーの囲い込みと不正コピーの防止を図って専用アプリを用意し、独自のフォーマットと独自の認証手順でサードパーティーを排除する傾向があります。普及団体も国際的な普及には及び腰でした。しかし、電子書籍サプライヤーごとに別のビューアーを起動するというのは、ユーザーから見れば煩雑ですし、そもそも管理機能や検索機能が全く違いますから、ビューアーでサプライヤーを選ぶようなことが起きます。もちろん書籍の品揃えが同じであれば、ビューアーは選択の基準になりうるかもしれません。むしろ書籍のジャンルによって読み方は異なりますから、それこそ学術書と教養書、コミックではビューアーが違っていたって良いのです。問題は、そうした書籍の性格とは別のところで、流通チャンネルでビューアーが決まってしまうことです。例えばAmazonで買った電子書籍はKindleリーダーでしか読めません。学術書専門、コミック専門といった特徴を出すのであれば違いも納得しますが、Amazonなどジャンルを問わず書籍を扱っており、KindleはPDFビューアーの機能すら備えています。ベンダーロックインをかけようとする意図は見え見えというところでしょう。一方で、確かにサードパーティー製のビューアーを許すと表示可能なデータを得た先のところでの統制が不可能になります。この点への著作権者・出版権者側の懸念は止むを得ないでしょう。おそらくここに書籍流通制度の転換点があり、私見を後述しますが、この懸念については、技術的にはウォーターマークなどの採用により事後的監視は可能と考えますし、過度に「売り損ね」を気にしても仕方ないとあきらめることも必要かと思います。それよりも、サードパーティーがビューアーを出せるようにすることでニッチに最適化したビューアーが出て、電子書籍を読むことのエクスペリエンスが向上する効果を求めるべきです。赤松氏が主張する、電子書籍購入のハードルを下げることでのカジュアル海賊行為の抑制にも長期的に資するでしょう。もちろんフォーマットを普及させるには組織的な活動が必要ですし、購読者認証機構の公開にも組織的な圧力は必要です。しかし、そうした立ち上げの作業と、長期にわたってソフトウェアをメンテナンスしていく活動とは別のものです。十分な性能を持ったビューアーを主要な実行環境ごとに作成することは規格の普及において重要でしょうが、実行環境は変化していきますし、それに対応するだけでもそれなりのリソースが必要です。挙句に開発者が撤退したら読めなくなったというのは、出版社や書籍商としてはありでも、公益的な組織としてはなしでしょう。また赤松氏の主張の中で「表現の自由を守るために、国産プラットフォームが望ましい。」という点は、正直言い足りない部分と思います。どうしても公式の場に出てこれないアンダーグラウンドな活動というのはあります。Google PlayやApple Storeはユーザーを選びませんから、入荷する作品には一定の基準に合致することが求められます。作者としては、そうした基準に外れる作品であっても、取りこぼすことなくプラットフォームを利用できるようにしたい、そういうことでしょう。「横断サービス」、つまり遍在的なサービスを前提にしているからこういう言い方になるわけで、配信まで一貫するTwitterやYouTubeのような形が念頭にあるわけです。これではその横断サービスが停止した時点で破綻しますし、横断サービスも公式のものである以上、違法性の強い作品、例えば犯罪の実行方法や犯罪組織の広報といったもの、あるいは作成過程が違法な作品などは取り扱うことができないでしょう。「表現の自由」というからには、それこそ地下出版でも利用可能なものでなければなりません。その気になれば違法性の強いコンテンツをブロックできるYouTubeではなく、テロ組織すら利用できるHTTPとHTMLにこそ倣うべきです。この点で、商業出版の持続と「表現の自由」は分けて考えなければなりません。横断的なものであっても、サービスは一時的、過渡的なものと考え、購読者と提供者の利益のバランス点を公益の観点から設定・維持する、そのための主導権を掌握する(国産というのはその手段にすぎません)、そのためにサービスも提供すればソフトウェアも作る、ただし独占するのではなく国境も超えて普及を目指すというのでなければ、単なるドメスティックなAmazon Kindleで終わってしまいます。「表現の自由」を掲げてそれでは、竜頭蛇尾も甚だしいでしょう。もちろん公式の商業出版の持続や次世代事業モデルの提示も重要ではあるわけで、(電子)書籍を作って売る、それを買って読むという(実は現在ですら成立していない)エコシステムを普及する、その手段として電子書籍取次や貸本屋を作るというならそれでもいいでしょう。しかし、それは表現の自由とは別のものです。表現の自由はその行為を包摂しますが、その行為は表現の自由を実現する手段のひとつでしかありません。商業出版関係者は何かというと表現の自由や文化の創造を言いたがりますが、パンフレットを手弁当で刷っては撒いていた(そして警察に追われていた)18世紀の政治活動家が見たら、おそらく失笑するでしょう。

読書・書籍の購入・複写
書籍の制作・流通制度を考えるときに、「そもそも本は買うものではなかった」という点は、立ち返るべき場所であるように思われます。そもそも私が子供のころですら、本というのは自由になる金額に比べて高価なものであり、図書館に行って借りるものでした。本屋で買う月刊の雑誌は大散財という感覚でしたし、高校の教科書や授業で使う指定の参考書を買ったときは値段にめまいがしそうになったものです。歴史的にも、蔵書を持つという人というのはむしろ変人の類でした。欧米で発達した読書クラブ制度・私設図書館制度や、近世以降20世紀中期まで日本で栄えた貸本屋こそが、作品流通の場であったと言っていいでしょう。図書館制度自体は印刷の歴史より古く、そこで資料を読む、あるいは資料を筆写し、コメントを付けるというのが本の使い方でした。もちろん印刷技術のコストダウンや製紙法の発達により、製本された本を買う場面というのは増えていきます。それでも、乾式コピー機が普及するまでは図書館で本の必要な部分を書き写すという光景は珍しくないものでした。なにしろ出版社というのは売り切れそうな分しか本を刷ってくれませんし、在庫コストの方がかさむとなれば在庫を廃棄します。図書館や蔵書家の家に行かないと読めない本というのは、それこそ歴史的な本でなくてもあるのです。乾式コピー機の普及こそが、現在の海賊版問題につながる現象の発端と言っていいでしょう。時期としては1980年代くらいでしょうか。図書館や研究機関が乾式コピー機を備えるようになり、学術書籍が大量にコピーされるようになりました。さらに雑貨屋、後にはコンビニに乾式コピー機が設置され、コピー機を買えない人でもカジュアルに複製ができるようになります。著作権法30条1号や31条1号はこのあたりの事情に対応する規定と記憶しています。正直、この時期に出版者が本を随時・適価で供給するという志向を持っていれば著作権制度は違ったものになっていたと思います。実際には、既刊書籍を入手するのはなかなか手間がかかりましたし(なにしろ本屋に頼んで二週間待って「在庫ありません」では、そもそも買うモチベーションが生まれません)、研究の場合最新版だけ見ればよいというわけにはいきませんし、そもそも出版されていない手稿などにも著作権はありますから、現在のような制度が落としどころだったわけです。出版社は自力で売り切れそうな部数だけを刷って新刊のうちに売り切り、読者は図書館で読んだり回し読みする、どうしても現物が必要な人は古本屋で買うかコピー機でコピーするというのが、20世紀末以降の読書シーンです。新刊書を買って読むというのは、ある種の理想像でしかありません。

カジュアルな複製、あるいは商業出版という制度は持続可能な事業モデルなのか
著作権というのは、著作物を複製する行為を制限する権利です。基本的には複製を大量に作る手段がそれなりの設備投資を必要とした時期の現実に基づいた権利と理解しています。そもそも複製を作るコストが大きすぎて、複製を買うよりも自分で書き写す方がましだった時期には著作権はありませんでした。商業出版は、この著作物の複製の大量生産を商業的に行う事業です。商業作家は、商業出版により自作が大量に頒布されることを前提に作品を書く事業者です。乾式コピー機の低廉化により、誰でも簡単に手元の複製から二次的な複製を作ることができるようになりました。スキャナーの低廉化により手元の複製から電子的な複製を容易に作ることができるようになりました(スキャナーの原理は、乾式コピー機の原理とほぼ同じです)。電子的な複製は、二次的な複製を容易に行うことができます。こうした技術に立脚した零細な複製の作成をカジュアルな複製と呼ぶことにします。電子データの特性として、カジュアルな複製は容易に大量生産に転化します。出版は、企画、制作(原稿作成)、編集、組版、印刷、頒布という作業から成ります。作家か出版者が著作物のアイデアを出すのが企画です。商業ベースでない場合は作家が企画するのが基本だと思いますが、同人サークルでこういう方向で作品を作ろうといった取り決めをすることもあるでしょう。商業出版であれば、編集者から作家に企画を持ち込むことはよくあるようです。企画がなされると、作家は必要なら調査・取材を行いつつ原稿を作成します。おそらく通常並行して編集が行われるでしょう。編集とは、編集者と作者が原稿や併せて使用される副次的な著作物、例えば図版などを調整することです。図版などが他の出版者から出ている本に由来する場合は、その本の作者や出版社の了解を取るといった作業も含みます。編集が終わると、印面の作成、つまり組版が行われます。狭い意味では組版は活字を拾って正しい形に並べることで、他にも印刷の準備の工程がありますが、おおまかには印刷に使うスタンプを作る作業全体を組版と言ってよいでしょう。これが終わると試し刷りが行われ、通常はできたスタンプに間違いがないかどうか作者や編集者が確認します。試し刷りのことをゲラと言い、確認作業を校正と言います。スタンプの最終版が完成すると、それを使って印刷を行います。本来は印刷というのはプレス、つまりスタンプにインクを付けて紙に内容を転写する工程で、この後裁断や製本といった工程がありますが、おおまかにはスタンプを使って本を作り上げる工程を印刷と言ってよいでしょう。こうしてできた本が様々なルートで読者に頒布されます。商業出版であれば、たいてい書店で買われていくわけです。商業出版の場合、この全工程の費用を支払えるだけの売り上げがないといけません。現代の組版システムの歴史は、この中で編集から組版までのコストを圧縮する努力の連続だったと言ってよいでしょう。カジュアルな複製はこのうち印刷に相当する部分だけを行います。コンビニのコピー機で複製を作ると見開きを1枚、つまり紙1枚2ページ相当で10円、150枚300ページで3000円ですから結構高いですが、電子データであればコストはサーバー代と通信費なので、相応の品数とダウンロード数があれば1冊あたりの費用はほぼゼロと言っていいのではないでしょうか。海賊版電子書籍がコンバージョン率の低い広告だけで成り立つのも道理です。カジュアルでないほうはちゃんとした印刷屋で相応の部数を刷れば1冊あたりのコストは数十円レベルまで下がります。本の値段のほとんどは企画から組版までの工程と頒布の費用です。読者から見るとこの中で本質的なのは製作の工程であるように見えるのですが、ここも値段の中の比率は安い本ならせいぜい10パーセントです。1冊800円の文庫本なら数万部は出てくれないと儲かりません。数千円する高い本ならそれなりに比率も高くなるようですが、一方で学術論文など作者はお金を払って出版しています(つまり原稿料を貰うのではなく出版料を払っています)。その学術論文を出版社のサイトで買うと10〜50ページ程度の論文1作が3000〜5000円程度。規格書など、100ページ程度のものが数万円したりしますが、実際に書いた人への支払いはほぼないと言ってよいでしょう。制作会議への旅費も出ていないのではないでしょうか。本を出すというのはここまで固定費のかかる事業であるわけです。商業出版の持続性は、この費用を読者が負担してくれるかどうかにかかっています。

本は作家が作るのか、出版社が作るのか
「便利なものがあればユーザーはオフィシャルなものを使う。」というのは全くその通りです。安ければ読みたい層が相当数いるとわかった、後は取り込みだというのも指摘の通りで、在庫コストゼロで平均何万部いけるから会費と広告収入を足して作品数で割ってこの値段でどうですか、何千ビュー期待できてコンバージョン率はこのくらいだから広告掲載料はこの程度でどうでしょうという具体的な話ができます。ただしそれでプラットフォームの維持コストも含めてターゲットにした読者には高いとなったらどうするか。まかなえるという見込みがあって言っているとは思いますが、電子書籍の利便性と消費者の電子コンテンツへの慣れを考えると、出版が電子書籍主体になっていくことは考えられます。その時にボリューム層がそこにあっていいのか、やっていけるのか考えることも、商業出版社としては当然でしょう。また、得られた利益を誰がどのように分配するかも問題です。そのプラットフォームの運営者がダウンロード数をカウントし、それに比例して収益を分配するという点もそうですが、それが従来通り出版社を経由して作家に行く形、出版社が売り上げを分配する形でよいのか。本が芸術作品と認識されるようになり、作家がクローズアップされるようになりました。一方で雑誌の売り上げが落ち込み、単行本の電子書籍の売り上げ比率が上がっているという。これは読者にとって雑誌や出版社が重視されなくなったことの反映とは言えないでしょうか。読者は「この作品だから買う」、「この作家の本だから買う」と思っているのに、出版社が売り上げを分配する、相当部分は新人育成も含めたシンクコストなどと言ったら、逆効果ではないでしょうか。もちろん出版社がここだから見たことのない作家の本だけど買ってみるということもまだあると思いますが、作家と出版社が対立した例もあり、そういう例に限って印象に残るものです。出版社が動いてくれないから構造改革が進まないとも言っているわけで、そこで育成機能がどうこうと言われても、作家だ、表現者だと言う割に一人前になるまでは出版社頼みですかと思えます。誰が再分配の機能を担うかということになりますが、もはや出版社が作家はともかく読者の信頼は失ったとすれば、分配は同じでもその過程は変えていかないといけないでしょう。今までは出版社が作家から原稿を買う形でしたが、作家が出版社に本を作ってもらい、その費用を支払って自分で売るという形もあるように思えます。自費出版では普通にある形です。新人で適切なフィードバックと上手な宣伝が必要なら、借りてでも費用を支払ってそれができる出版社を雇う。それで本が売れれば借金は返せることになります。新進の作家に金など借りられるかと言ってしまうと作家の創造性の否定になりかねないわけで、それこそ儲かっている作家が新人の草稿なり企画案なりを見て出資してもよいし、そういった出資や融資をするファンドも組めるでしょう。学術出版では企画を出して出版助成を受ける例もあります。

■2018年05月11日(金)14:26  知らないうちに依存させられているというのは少し怖い
書棚の向こう側
GoogleやAmazonもそうですが、サービスとして遍在するというのは、それなしでは生活が成り立たない状況になるということです。サプライヤーとしてそうなりたいという志向は理解できるにしても、規則ではなくサービスに依存する、それが意識されずにその方向に招き寄せられるというのは、恐ろしくもあります。近所の商店くらいなら大抵乗り換えも可能ですが、遍在されてしまうと乗り換えが難しくなります。遍在しなければ意味がないサービスはそれゆえ公共事業とされたりもしましたし、いまだに何かというと国産や自給の主張が出てくるのもそのあたりに根っこがありますね。規則によって支えられた市場化が進展すれば選択肢が生まれ、乗り換えができるようになるという立論がここ40年くらいの主流のはずですが、集中とアウトソーシングの結果ベヒモスが誕生している気がします。

■2018年05月05日(土)11:33  テストプロジェクトの使い方
Visual C++のテストプロジェクト
  1. テスト用のDLLを作るプロジェクトを生成する。テストから呼び出す関数はエクスポートする。通常の呼び出しを前提とする関数については、テスト用のラッパーを作り、そちらをエクスポートする。
  2. テストプロジェクトを生成する。
  3. テストプロジェクトの「参照」にテスト用DLLのプロジェクトを追加する。

■2018年05月04日(金)18:48  監視にも限界はあるわけですが
小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」Vol.171 余談
子供向けを謳っておいて子供向けとはみなされない広告を受け入れているというのがまず呆れてしまうのですが、わかっててやってるのでしょうね。もはやコンテンツは携帯キャリアが規制できる状況ではなくなっていますから、アプリの配布に制限を付けるくらいしか入り口規制はできないのかもしれません。とはいえ汎用ブラウザでアクセスできるようにしてしまえばそこもすり抜けられるわけですが。SNSまで善意の誰かが監視しているというのも、それが警察でなくとも正直どんなものかという気がします。そもそも子供というのは基本お金にならない、お金を持っていないはずで、広告を出して引っかけても効果が薄いように思います。子供を引っかけて儲かるというと、子供をだしに大人を引っかけて儲けるくらいしか思いつかないのですが、ひょっとして電話ボックスにチラシを貼る感覚でやっているのでしょうか。それこそ子供じゃあるまいし、ばれないと思うはずもなし、元締めまで手が及ばないように工夫しているのでしょうね。コンテンツについては良かれ悪しかれそれなりの規制があるわけですが、子供の目に触れるとわかっていてそういう広告を出す(引き受けを含めて)ことへの規制という話も出てきそうな気がします。それでもコミュニケーション自体を売り物にする商売までは規制しにくいわけですが、そこは回線契約のところで締めるしかなさそうです。

■2018年05月03日(木)06:40  エージェンシー問題は全ての組織にある
会社の哲学 - 会社を変えるために
気になった点として、株式会社に代わるものとして協同組合を挙げています。実際には農業協同組合でも株式会社と同じような、経営陣による問題が起こっています。株式会社として出資と責任が分離されたことで出資者と経営者の無責任を招いた、決定と実施が分離されたことで経営者と労働者の無責任を招いた、有限責任によって出資者が責任から解放されたことで事業の無責任を招いたということだと思うのですが、これらは当を得ているにしても、何かを集約して効率的に使用することで他の事業者に対する優位を獲得するというのが市場における競争の原理のひとつです。というか、意味不明の「イノベーション」を除いては、これ以外の優位獲得の原理は発見されていません。協同組合にしても、設備や流通チャンネルを集約することで効率化を図るものであるわけで、巨大化のメリットが存在します。その一方で、巨大化によって個々の組合員の責任が薄れ、運営を委ねられた経営者の権限が増す事態も起こるわけです。このあたりの経過は出版時期からして著者も認識しているはずですが、これに対する考察が見られないことが残念です。「事業の小規模化」が相当に無理であることは、いわゆるベンチャー企業の少なからぬ部分が巨大化していること、設備の集約が半導体製造におけるファブの集約化やクラウドサービスの発生などによって実証されてしまった感があります。私的生産手段のインフラ化とでもいうことになるかと思いますが、細切れの道路や鉄道路線が役に立たないように、一定の構想に基づいて巨大なインフラストラクチャーを用意し、それを利用する形でないと、事業コストを負担しきれないわけです。そうまでして行うべき事業、実現すべき便益はあるのかというのは哲学の問題ではあるとは思いますが…

■2018年05月02日(水)09:07  「タイムライン」は、どうせ自分では使わないですが、対応しておくとよさげです
Windows 10大型アップデート「April 2018 Update」は何が新しくなったのか
ドキュメント編集の任意の時点の状態に戻れる「タイムライン」、Ctrl+Vすらそうそう使わないのに使うとも思いませんが、一定の状況では便利ではありそうです。対応方法を調べておくといいかなと思いました。ただ、「タイムライン」のような紛らわしい名前を付けるのはやめてほしいです。調べようとすると、様々なサービスの「タイムライン」が引っ掛かってしまいます。とりあえず参考になりそうなのはCodezineの「Windows 10 1803の新機能「タイムライン」とはなにか?〜まずはUWPアプリから使ってみる」のようです。

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