日記

■2017年09月30日(土)04:18  クラコフ経由でヴロツワフへ
NOWA BOCHNIA出発
朝食は魚メインにしてみました。が、白身魚が何かに巻いてあるなと思ったらニンニクで、これいいのかなと思ったのですが、まあ、いいのでしょう。今度はホテルを引き払うんだよねと確認して部屋に戻り、荷造りを終えて指差し確認をしていると部屋の電話が鳴りました。8:15を回っていたようです。「今行く」と答えて車に向かいます。結局この日は一日「ハジムはいるか」と言われました。今日も霧で、ヘイコーに「ポーランドの朝はいつもこんななのか」と聞いたところ「よくあることだ」との由。

WIELICZKA岩塩鉱跡
この日はしばらく走ると街の中で駐車し、岩塩鉱跡を整備したという博物館に入ります。自然科学系の博物館としては相当に広いのですが、それでも鉱山跡の数パーセントしか公開できていないそうです。見学のシステムはどうも希望する言語の列に並んで人数がまとまるとガイドさんが案内してくれるようなのですが(恐らくそうでもしないと迷う人間が出るのでしょう)、今回は団体扱いで、英語での案内になりますが列をパスして入れました。それでもガイドさんの準備(おそらく連絡用無線システムの設定など)が済むまで5分ほど待ったでしょうか。シンメルマン教授の奥様から、ポーランドであった学会でダンスパーティがあったが参加者が百人くらいいて、すごいことになったとか、背が低いから人ごみですぐ迷うのだけど、教授のほうが見つけてくれるとか、教授と日本周辺の学会に参加したときに同伴者のフィールドトリップ(韓国で行ったそうです)参加の可否を問い合わせたが全く返事がなく、困った挙句にあきらめたといった話を伺いました。ちなみにガイドさんは鉱夫の礼服を模したと思しき制服を着ており、英語は非常にきれいでした。一部頭上注意区間があり、そこで前列で何語ができるのという話になったようで、面子のポーランド人、イタリア人、ドイツ人、中国人、日本人向けに各言語で注意が来て、日本語は発音とアクセントが少しおかしかったですが(といっても欧州の言語を母語とする人にありがちな少しなまっている程度のレベル)、文法・語法としては正確でした。見学の標準的な時間は2時間程度です。研究坑道でおなじみのリフトに乗り、地下に向かいますが、人数制限があります。荷物は極力小さくした方がよいでしょう。今回コンパクトカメラすら取り出す暇がなかったので、スマホでの撮影を初めて使いました。採掘機器や地質のバックグラウンドなどの展示が興味深かったですが、それはさておき、ヨーロッパ人はなぜどこにでも礼拝所を作りたがるのでしょうか。なぜか公開されている場所だけでも数か所、岩塩を掘った後に作った礼拝所があります。しかも結構凝っています。さすがに聖堂並みとはいきませんが、地下空間であることも相まってなかなか印象的です。日本でも鉱山の空間に祠や仏殿を設ける例はあると思いますが、そんなレベルではありません。クルージュで見た岩塩鉱跡にも似たような設備がありました。まさか寝起きも地下でやってたのではなかろうなと思わせられる(その割には鉱夫の居住区跡というのはありませんでしたが)、考えると悩ましい施設です。広い採掘跡を利用してカフェや販売ブースが設けられており、岩塩モチーフの品ばかりで食指が動かなかったのですが、なぜかクラコフの英語の解説付き写真集を販売しており、購入しました。ガイドブックも陳列してあったのですが英語が見当たらず、購入ついでに「この博物館の英語のガイドブックはある?」と聞いたところ、ちゃんと出てきました。「ジオロジスト向けにちょっと凝った展示がある」とのことで、巨大な岩塩の結晶ブロックや周辺の地質構造の展示のある空間を見学(教授がいきなり地質概説をはじめまして、ガイドさんが笑っていました)、さらに大きすぎて移設できないため使用していた当時の場所に展示してある馬匹駆動式モーターの展示を経て(トロッコ列車の運行も企画しているらしいのですが、ギリギリ開業の直前だったようです)、リフトに戻りました。リフトで上がってから地上のミュージアムショップを通って出口に行くのですが、品揃えには訴えるものはありませんでした。ちなみに両替所もあり、ユーロ圏やチェコからの旅行者も多いことがうかがわれます。昼食は鶏肉か何かをパンでくるんだっぽいものでした。機内食で軽食として出てくる程度にはおいしかったです。

クラコフ
WIELICZKAを出ると、クラコフに向かいます。ここは純粋に観光で、この時点ですでに晴れており、観光写真的なきれいな写真が撮れています。とりあえず王宮から旧市場広場まで歩いて自由行動となりました。が、データ通信が使えない状況で独り歩きする気にはなれず、教授、ジョバンニ、フランコ、ハーディと広場のカフェで一杯やりました。というか、ここでコーヒーを頼む人間がいないのがこの会合の仕様なのでしょう。酒だけ飲むなら中のバーに行けということで、飯を食うやつはいるかという確認があり、フランコとハーディと私とが軽食ならと応じ、屋外のカフェテリア席に陣取ります。フランコがチーズ、ハーディがサラダ、私がトナカイのタルタルを頼みました。前菜としては結構本格的で、チーズの盛り合わせのイメージで頼むと虚を突かれます。トナカイのタルタルはライ麦のクラッカーに塗って食べるらしいのですが、ぽろぽろ崩れて結構難儀で、トーストに塗った方がいいのじゃないかなと思います。しゃべっていると、デモ隊がそばを通り過ぎていきました。ハーディとフランコに「フィールドトリップに富士登山は入れないのか」と聞かれたのですが、シーズンオフであり、そもそもそれだけで一日潰れるので現実的でないと断りました。まあ、箱根ならロープウェイで登れるので適当ではないでしょうか。ついでに昨夜フランコとハーディがジョバンニを「ドン・ジョバンニ」と呼んでいたことについて聞いてみたのですが、まあ、単純にモーツアルトのオペラからだったようです。そして、ドンというのはもともと身分の高い人という意味だけど、南イタリアで誰かをドンと呼ぶ時には気をつけろ、マフィアの頭目扱いになるぞとのこと。いやまあ、知ってますけどね。パレルモ住まいの人に言われるとなかなか来るものがあります。その後旧市場広場、それに面したアーケード(今は土産物屋台ばかり並んでいますが)、聖マリア大聖堂と歩きます。聖マリア大聖堂は入館料ないしはお布施を払えば信徒以外でも見学できます。日本語のペーパーもあるのですが、語法がこなれている割に漢字が間違っています。また「聖霊の発送」とあるのですが、これはさすがに間違いだと思います。なお教会堂は信徒のためのものですので、見学中でも儀式の邪魔をしないことは常識です。歩いていると、10歳前後と思われる女の子がバイオリンでストリートパフォーマンスをやっていました。正直演奏技量の水準は高いとは言えず、アメリカ民謡のフィドル伴奏レベルですが、いかにも頑張っていますという風でかわいかったので、2zl投げ銭しました。結構色々ストリートパフォーマーがいまして、シギショアラやサンフランシスコで見かけたような、コスプレして一緒に写真を撮るパフォーマンスも見かけました。どうやらポーランドのフサリアをモチーフにしたと思しき類が王宮近辺にいたのですが、アニメ・ゲーム系のコスプレのレベルの高さに比べると貧相です。ちなみにレベルの高い類は非常によくできています。クラコフは馬車での市内観光が売りのようで、王宮方面との間を結構頻繁に往復しています。その後再度カフェで休息、今回はビールだけでOKでした。ここまでの飲み代を払っていないのですが、「ハジムはおごり」の一言。東京開催時にいくらおごることになるのか、懸念されます。思わず、「東京はここより物価が高いんだけど」と愚痴ってしまいました。シニアリサーチャーとか教授とかなので、結構な高給取りなんでしょうね。集合場所に行くと他の面子は到着しており、「ハジムがちゃんと来たぞ」などと言うので、「私が来れないほうにかけていたんだとしたら非常にがっかりだね」と返しました。いやそんなことはしてない、ハイテクユーザーだからちゃんと集合場所には来ると思っていたという返事でしたが、まあ、今回は確実に集合場所に行ける人にくっついていたので、あまりハイテクではありません。

ベネディクト会修道院レストラン
夕食はベネディクト会の修道院を改装して使っているレストランでした。観光施設でもあるようです。時間も相まって、非常に見栄えのする情景でした。レストラン内にはグレゴリオ聖歌と思しき曲が流れており、同席のシンメルマン教授の連れが「客も歌うのかね」などと言うので、「何君、グレゴリオ聖歌を歌えるの?」と聞いたら「いや、歌えないけどね」。食事自体は昨日油田・ガス田博物館で食べたものに近いキノコのスープと鶏肉のカツレツ、ザワークラウトで、鶏肉のカツレツが少々ぼそぼそしていた以外は満足のいくものでしたが、修道士の食事というモチーフではたぶんないと思います。ガリップがまたもやチリペッパーを持ち込みまして、奥様が「辛いよ」と言っていたのですが、見た目がパプリカで、食べた印象はそう辛いものではなかったのですが(それでもカレー専門店の大辛くらいには辛い)、手にカプサイシンがついていたようで、うっかり瞼を触ったところ目が開けられない事態になりました。慌てて外の手洗いに走り、手と顔を洗って事なきを得たのですが、思わず「ガリップ、あんたはなんで問題を起こすような食い物を持ち込むんだ!」とクレームを入れました。ついでに「東京でびっくりするような食い物でもてなしてやる」と言ったところ、「素晴らしい、辛いものは全然気にしないし、甘いものは食べられないからね」とのこと。食えないものを出すほど野暮ではないつもりで、工夫が必要です。一番簡単なのはフィールドトリップでくさやでも出すことのように思うのですが、正直周囲に迷惑をかけ、他の参加者にも食べられない料理を出すほど腐りたくはありませんし、ガリップだとシュールストレミングでも平気で食べそうです。

メルキュール
クラコフと周辺で数人を降ろし(クラコフ空港では空港ホテル前についたため、ぼけて降りかけました)、ヴロツワフに向かいます。最後に残ったのはガリップと奥さん、フランコ、中国組の一部、台湾のフウさんに私で、フランコとガリップは自力で宿を確保していたようです。ホテルはメルキュールでした。どう考えてもフィールドトリップ中に泊まった宿より高いと思うのですが、教授が一緒に泊まるわけではないので、無難そうなところを選んだのでしょうか。設備と様式はまあ、メルキュールで、趣味の悪くない範囲でモダンかつハイテクな感じです。ポツダムと横須賀ではポツダムに近いですね。ちなみにここもヘアドライヤーはありませんでした。フロントの兄ちゃんが案内カードの部屋番号を書き間違えてくれまして、中国組の一人と部屋番号が同じ。結局隣の部屋で、無線LANの接続方法を尋ねるついでに「あなたこう書いたけど実際には隣の部屋だったんだけど」と尋ねたところ、明細には正しい部屋番号が書いてあり、フロントでの書き間違いだったようです。やはり到着は日の変わるころで、明日9時に迎えに来るからと教授が言っていたのですが、間に合うように起きれるのか不安ではあります。

■2017年09月29日(金)08:15  ひたすら車に乗っていた一日でした
朝食
普通に朝食なんですが、言われて気づいたのですが魚が出てました。白身で、一度火を通してからマリネにしてあります。出発に際してホテルが変わるものと思い込んでいて、フルに荷造りをしてしまい、「今日もこのホテルだよ」と言われて慌てて部屋に荷物を戻しに走りました。

窓から地形を見ながら
延々とバスに乗ります。場所はカルパチア山脈の北側で、衝上断層が延々と重なっているらしいです。ポーランドというと平原のイメージがありますが、南部のチェコ・スロバキアとの国境は山地なんですね。アフリカとヨーロッパの衝突がこのあたりまで山を生み出しているそうで、なかなかに豪快です。途中で崖に立ち寄りましたが、見事にシルトが層状に割れています。

油田跡
油田・ガス田跡が博物館になっていました。ガイドさんがついて解説してくれます。どこかで見たような物体、つまりボーリングビットとかが多数展示されていますが、圧巻なのは過去に使用されていた動力機材の展示です。一部は動態展示で、動かしてもらえました。機構としては簡単なので、その分動きがよくわかります。以前使われていたという井戸からは石油の匂いがし、ぷつぷつとガスが沸き上がっていました。制服が展示してあり、勲章らしきものが下げられているので、警邏員あたりのものかと思ったのですが、鉱夫の礼服だそうです。チーフエンジニアクラスになると大佐あたりの制服という感じで、ごてごてと飾りがついています。会期中のフィールドトリップの流れか、トルコ人とドイツ人がキノコを探し回っていました。ついてこないでキノコ探しをしていて「急いで!」と急かされること数回、最後にはガイドさんも「そこにもあるよ」と参加する始末、座れそうなほど巨大なキノコが生えています。博物館の一角にある食堂で昼食、キノコのスープがおいしいのは土地柄でしょうか。今日のは少し酸っぱいです。飲み物としてビール、ワイン赤、白、ウォッカ、お茶各種とコーヒーが並んでいたのですが、初めはみんなおとなしく?ビールやワインを飲んでいたのですが、イタリア人と中国人がウォッカを配り始めまして、例の小さな器ですが、乾杯3回と相成りました。

モフェット
おそらくここが今回のフィールドトリップの肝で、モフェットを見学しました。そこだけ草がぼうぼうに生えていて、言われればわかるという感じです。その後出発しようとしたところで、教授が「ちょっと面白いものがあるはずだから確認してくる」といきなり単独行動を開始しまして、しばらくすると「あったからおいで」とのこと。牧草地だか牧場だかに入っていくので、四川省でのフィールドトリップでの花畑を思い出したのですが、幸い制止されることもなく、「これもモフェットだよ」との由。確かに地面の一部がはげ、その中央に違う草が生えています。「あるのはわかってたんだけどなかなか来る機会がなくて、写真が撮れなかったんだよ」だそうです。

欧州風のスパって
出発時に「スパに行くけどタオルは持ったか」と言っていたので、「水着がないのにスパに入れるわけないんだけどな」と思っていたのですが、本気で夕食はスパリゾートでした(つまりここでホテルにプールがあるから水着云々という伏線が…)。日本のスーパー銭湯あたりと同じで、入場時に決済用のリストバンドをもらい、有料区間や料理、飲み物の注文をするごとにリストバンドで決済し、出場時に清算する形式です。今回は料理分は支払い済みということで、飲み物は各自清算してくれとのことでした。日本人として、温泉に来て温泉を使わないというのは忸怩たるものがあります。「お前はプール(と言ったって温泉です)に行かないのか」と言われて「足湯はないのか」と答えたものの、「どのみち着替えることになるよ、水着以外での温泉区画への入場はできないから」だそうです。諦めました。ここは次回のフィールドトリップで仕返しする状況でしょう。中国人組と希ガス分析の話などしながら食事をしていたのですが、メインディッシュがビュッフェで、しかもプール行き組が帰ってきたころを見計らって追加があり、さっさと食べ終わっていたこちらは「なぜ?」という感じでした。前菜としてマスのソテー、ビュッフェはブラッドソーセージ、キャベツの煮込みソース、詰め物入りパスタ(まあ、餃子ですね)、後からスープと七面鳥の丸焼きホースラディッシュとベリーのソース添えが出ました。

なんか夜中なんですけど
NOWA BOCHNIAホテルについたのは12:15ころ。それでも配電系を敷設し、メールチェックをしてしまうのが職業病でしょうか。まあ、配電系は電子機器の充電で必須ではあるのですが。

■2017年09月28日(木)08:28  出発
荷物のパッキング
起床して、荷物のパッキングを行います。終わったところで朝の散歩に出かけます。ほどほどで切り上げて朝食。朝食後、関係者と次回開催地ほぼ決定プレゼンの打ち合わせ。その後一度部屋に戻って荷物を持ってセッション会場に移動、バゲージストレージがどこかわからないのでとりあえず会場の隅に置き、しばらく待ったところ、「荷物はバゲージストレージに置くように」とのアナウンス。場所を聞いて荷物を移動して、セッション開始です。もっともなかなか頭に入らないのですが。ヘリウムとアルゴンの同位体組成とメタンの同位体組成から石炭由来のガスと油田型ガス(なぜかpetroleum gasではない)の由来を論じたものがありましたが、やはりジュゼッペから厳しい突っ込みを受けていました。私が聞いていて首を捻るというのは、いささか問題があるとは思います。

クロージングセレモニー
いくつかアナウンスと改めてポスター賞の発表ときて、次回の紹介です。発表がいくつかキャンセルされていたこともあって、昼食時間に食い込むといったことはありませんでした。早期割引なりLCCなりがある点は説明したし、反応も、色々笑いも取れたので、まあ好意的ではあったのでしょう。ここでいきなり、「学生に対する参加支援は検討しているか」との質問が委員会のメンバーから。ここでいきなり聞くな馬鹿野郎と思いながら、検討していたことは事実なので、とりあえず役所の国際会議招致支援に応募して会議費を浮かせて参加支援に回す方向性を表明しました。ただし、交通費の直接支援は近距離(典型的には日本国内本州在住や中国、韓国あたり)の参加者に対してアンフェアになる可能性があるので、まず学生への参加費免除、相当の理由と財源があれば地域を問わず参加経費支援まで考えようかと思っています。まあ、参加経費支援も半額補助程度までなら30人枠で150万円くらいで済むとは思います。参加経費支援の適否はそれなりに厳しく判断することにはなるでしょう。正直日本から参加していた人間としては、開催地が日本になったから交通費支援をと言われても納得しがたくはありますが、国内でも北海道や沖縄の人が東京の学会に参加するのはそれなりに大変なわけで、相応の支援策を考えるのはおかしな話ではありません。しばらく雑談をして、昼食ですが、参加者の奥様二人から金銭的支援のお話がありました。数万円でも学生一人分の交通費の相当部分になるわけで、非常にありがたい話です。もともと関係企業に若手育成ということで寄付なり広告出稿なりを募ることは考えていたわけで、これの延長上で余裕のある人から寄付を募るのはありでしょう。参加費を払ってもらう際には決済手段が必要で、これに寄付の決済をかぶせることも技術的に可能です。まあ、得体のしれないボランティア集団に決済手段を提供してくれる金融機関があるかの方が問題ですかね。ともあれ、感謝と合わせて、後日寄付の枠組みをメールで案内すると伝えました。一方からは以前写真をメールで貰ったことがあって、以前の時のメールアドレスでいいんですよねと話すと、一瞬思い当たらない様子でしたが、写真をもらったというところでああ、それ私だと返ってきました。

出発
ヴロツワフまでは一緒のバスでということのようで、全員でぞろぞろとバスに乗り込みます。事故があったとかで途中で渋滞につかまりました。途中でフィールドトリップ参加組+ヴロツワフ以外で降りたいポーランド組が別の車に移乗。夕食を取ってから11時ごろNOWA BOCHNIAホテルにつきました。外観は欧州では珍しくない石造り(風?)の外観ですが、内装が結構シックです。バスタブ付き、シャワーのお湯は速やかに熱いのが出てきます。ヘアドライヤーはなし。コンセントは机下とベッド脇にありました。無線LANもさほど支障なくつながりました。

■2017年09月27日(水)14:38  ビジネスミーティング
朝食
ジュゼッペを交えて開催地立候補提案のレビュー。アジェンダの内容はくくりすぎということで手が入りましたが、方向性は間違っていなかったようです。地球生命科学研究所の件は、アクセス・設備がよく宛があるからということだったようでした。

午前のセッション
最後の発表はギリシャのメガネっ娘、今時珍しい極太フレームの大きな眼鏡がチャーミングなDaskalopoulouさんでした。ギリシャの半島部と島嶼の各種ガス放出源の起源をメタンの同位体組成から論じたものでしたが、ジュゼッペから突っ込みが入っていました。

ポスターセッション
今回はポスター会場でコアタイム形式でした。が、グォドンが5分区切りで各ポスターを回り始めます。効率が良さそうなのでついて回りましたが、正直口頭でもあったフランコの海山(?)ネタと人血中のラドン測定以外はピンとくるものがありません。昼食を挟んで一通り回ったところでポスター賞の選定会議になります。口頭発表の会場で話し合っていたため、お茶を取りに入ってこようとする人が数人いました。しっかり構成を踏まえて論評しているのには感心しましたが、いくつ選定するのかというところで相談になるのはいささか調整不足の感を否めません。もちろんGeochemistryの会合でBio-radiochemistryのポスターだけ選ぶのはどうかというのも正しいのですが、あのアジェンダが出てくる時点でそういうものが出てくるのは織り込み済みのはずで、最初から落としどころを探っておくことは可能だったと思います。結局ベストポスターを3位まで、合計4本選びました。この後結果発表、1位には私も昨日競り落とした本がプレゼントされました。他の人には証明書のスキャンのみが贈られるようです。

ビジネスミーティング
正直散歩に好適な晴れやかな日差しで、締めだされる一般参加者がうらやましいです。プレゼンの準備をしようとしたところ、私のPCではHDMIケーブルをつないでも砂時計になるだけで表示されません。教授に頼んでフロントから人を呼んでもらったのですが、PCを1台出してもらったのですがなかなかうまくいかず、挙句USBメモリも認識しない始末。ドライバのセットアップはされたみたいなんですけどね。もう1台持ってきて色々やった挙句に、なぜかわかりませんがプロジェクターもUSBメモリも認識されました。少々つっかえながらも即席にしては悪くないプレゼンを行い、本郷の会場費は高くならないか(50人も集められれば元は取れるとは思うけどというコメントではありました)、ウェブサイトはどこに置くつもりかといった質疑の後、他に立候補はあるかといったやり取りを経てシャンシャンと承認されました。その後の方が懸案事項で、欠席している委員をどうするか。成都でも問題になっていましたが、ともかく出席を強く促そうという方針は合意されました。委員だけに高名・実力のある研究者が並んでいて(正直自分が委員を務めていていいのかと思います)、日本からの出席者を募るのに委員とディスカッションできるという以上のネタを思いつきません。このため委員全員の出席を促す、つまり自分たちも全員参加するという方針はありがたいです。そして会議の特集号の問題。テーマごとに複数の雑誌に出すこと、掲載できない内容もあること、できるだけ早く原稿募集手続を開始すること、そして、前回以前のものも含めて東京の会以前に全て出版を行うという方向が合意されました。会議後、東京開催について、各委員から日本での開催はアトラクティブだと思うと話しかけられ、だったら成都だって十分面白いと思ったのですが、まあ、ヨーロッパでの認知と言うとそういうものかもしれません。私は全然面白くない(本郷で会議をして伊豆・箱根にフィールドトリップなんて、正直なんて平凡な提案だと思う)のですが。明日のクロージングセレモニーでの次回開催地発表について確認。ジョバンニに、開催受諾通知について文例が欲しいと頼みました。

夕食
まあ、ビュッフェです。ジョバンニがテーブルに来て、話しながら食べたのですが、そういえばと「次回開催地が日本だって話は発表済みではないよね?」「それは君が明日発表するんだろう」「でも結構な人から次は日本だってと聞かれたんだけど」「公式には明日発表だよ」

次回開催地発表プレゼン
立候補プレゼンを手直しして作るわけですが、委員と参加者では知りたい内容は違うわけです。参加者が知りたいことは、自分がどの会合に参加するかを決める基準を考えれば自明ですが、まずその会合が自分の研究を発表するのに適しているかどうか、これは現に参加している人に話すのですから議論の余地はありません。次に会合がどこで行われるのか、この点には往復・滞在の経費などが絡みます。また、公式のエクスカーションも含めて開催地の魅力も重要です。このうち問題になるのは交通費です。少なくとも欧米在住者にとって、東アジアは僻遠の地です(もっともヨーロッパだってアメリカからは十分遠く、今回アメリカ大陸からの参加者がほぼいないわけですが)。旅費が高いから次はパスなどと思われることは避けなければなりません。滞在費はまあ、コペンハーゲンより高くなければいいと思えばあまり問題にはなりません(さすがにシングル一泊100PLNなんていう破格値は普通のホテルでは不可能ですが、ラホヤショアーズくらいの値段なら何とかなるでしょう)。

■2017年09月26日(火)07:29  なぜ一般参加者にもうわさが広まっている?
散歩
朝食前にホテル周辺をうろついて写真を撮ります。紅葉がきれいです。キノコが生えていて、秋を感じさせます。

朝食
朝食を取っていると、ジョバンニが「早朝外を歩いてたよね?」「朝の散歩と写真を撮るのが楽しみなので」「ふーん」

午前のセッション前半
ガリップが謎の講演をしました。いや、内容自体は謎でもなんでもなく、深部流体混じりの湧水の溶存ガス組成からオーストラリア大陸下のマントル流体の活動性を評価するというものですが、謎なのはなぜ彼がそういうものを調べるモチベーションを持ったのかということです。あ、なんかフランコも関わってる。まあ、どちらも火山性流体の研究者だし、関わること自体には不思議はありません。10人以上の名前が並ぶ発表なら、国際共同プロジェクトだろうと不思議には思わないでしょう。著者が4人しかないからこそ気になります。第三著者の人が現地の担当者だと思いますが(おそらく南太平洋系の名前)、面白いとは思いますけど、誰が立てたんでしょうね?この企画。

スライドは合格点をもらえたようです
正直適当に絵を突っ込んでそれらしい謳い文句を加えたスライドでしかないのですが、競合がいない状態での提案書としては合格点がもらえたようです。ただし2点追記してくれと言うことで、会場とアジェンダですね。アジェンダはまあ、よいのですが、会場は問題です。どちらにせよ、何をどういう書きぶりで書いたらいいかサンプルをよこせと言ったところ、後でUSBメモリに入れてサンプルを持ってくるとのことでした。そして昼食時に、間に合わないからメールで送るとのこと。届いたアジェンダはA4にびっちりといった感じの代物で(後で聞いたところカリン・バチウ教授が書いたらしいのですが)、さすがにこれをスライドにするのは問題があるので、そのままスライドに書き直したものと、いくつか項目をまとめたものを作りました。会場も、地球生命研究所とか書いてあり、意味不明です。仕方ないので、安田講堂の写真を入れて本郷キャンパスと柏キャンパスを候補に挙げました。

午前のセッション後半
トーマス・シュトレイルのところはいろいろアレイプローブに手を出しているようです。

昼食
ビュッフェですが、気づいたのですがコーヒーがありません。ポーランドは食事にコーヒーは欠かせない派と思っていたのですが、違うのでしょうかね?

なぜ委員の奥さんから「次回は日本?」と聞かれるのか
たしかに成都で「次の次の回なら」と言ったのは私で、そう回答した相手であるユンペンさんや「どんな感じで進めるの?」と聞いた(しかし、「まずプレゼンを作れ」という役に立たない答えしか返ってこなかった)ジョバンニ経由で国際委員会の面子が知っているのは理解できます。しかし、全然関係ない一般参加者やその同伴者(まあ、奥さんとかお子さんが多いですね)から「次回は日本なんだって?」などと聞かれないといけないのか。「提案をかけるのは事実だよ」と濁しましたが、まあ、他に候補がないことも知られているんでしょうね。飲み会やってるそばのソファで打ち合わせもしていたわけですし(日本語ですけど)。

ショートフィールドトリップ(1)
午後は(なぜか)「Sightseeing of environs」なにせ山岳観光ホテルですし、周囲の丘でも歩くのかと思っていたのですが(地質屋なんて山と海が好きな人間ばかりですし)、バスに乗って出かけます。ついたのが宝石の廃鉱跡。ガーネットが採れたそうです。聖ジャン坑道とレオポルド坑道という二つの坑道があるそうです。集合写真を撮った後、ヘルメットをかぶり、前半組と後半組に分かれて(多すぎて全員一緒には入れなかった)ガイドさんに率いられて入坑。通訳はポーランドからの参加者が分担します。私たちの会はスタン・チャルプニクが担当。最初こそところどころ照明があったのですが、途中で「はい、それでは当時の鉱夫の状況を体験していただきます、携帯電話のバックライトを消してください」いやもう真っ暗で、前に誰かいるのかすらわからない。数分でそのエリアは抜けて、岩相が見られる程度には照明されているエリアに出たのですが、一応写真も撮ってみるけどピントが合っているのかすらわからない。オートフォーカス様の託宣に従うだけです。ガーネットが出るということは高圧変成帯であるわけで、薄板状の層が見えます。坑道を出て(スタンが妙なパフォーマンスをしていましたが)歩いているとスタンが「あ、キノコ」ハーディ・プファンツと一緒になって食えるの食えないのとやっています。後発組を待って移動です。

ショートフィールドトリップ(2)
「このあたりの最高峰に登るから」とのことで、バスを降りるとゴンドラ式のリフトに。6人乗りです。この辺りはスキー場のようで、乗り場が何となくロッジ風です。登ってみると、案内板があったのですが、どうも天空鑑賞のメッカでもあるようで、見事な天の川の写真が。今日は昼間の上に曇り空ですけどね。結構寒いらしくて皆コートやアノラックのフードをかぶっているのですが(実際一瞬小雨は降っていました)、そこまで寒くはないんじゃないかなと思う私は感覚がおかしいのでしょうか。山頂の山小屋風カフェで思い思いに飲み物を。カウンターを見たポーランド人が一言「チェコ語だよ」ホットワインがあるというのでそれにします。この手の飲み物は当たり外れがあるのですが、今回は甘口のワインを温めたもので、いけました。またリフトに乗って山を下り、スキーの話などに興じますが、曰く「ポーランドは南が山で北が平原だからスキーシーズンが短くてね」北欧にでも行けば長いスキーシーズンが楽しめますが、高いそうな。まあ、域内移動の方が高いことは珍しくないし、少なくともデンマークの物価の高さは自分でも味わったばかりです。そして「あ、キノコ」ええ、実りの秋、キノコシーズンなんですね。

ショートフィールドトリップ(3)
ショートと言いつつ三ヵ所目なんですが、近郊であることは確かなようで、ホテルに入る道の脇を通って次のポイントへ。着いたら本降りになっていて「傘を持ってくればよかった」そして一部はまたキノコ探しに興じています。今朝撮ったキノコの写真も見せると、「うーん、食べられそうだけど…もっと拡大できない?」カメラでは無理です。炭酸泉が沸いているそうで、ぼこぼこと大きな泡が出ていました。蛇口から飲める場所もあったのですが、飲んだ人曰く「鉄臭くて飲めたもんじゃない」男女の像が道の両側にペアになっており、その台座に蛇口がついています。土地の雰囲気はいかにも軽井沢あたりのオリジナルです。ああいう観光地が出てくるのは18世紀も末からのはずなので、開発に当たった人の文化的背景が共通しているのでしょうか。土産物屋アーケードで30分ほどのフリータイム。木造です。今一つどういう趣旨の建物かよくわかりません。部屋がないので屋敷というわけではありませんし、元々土産物屋だったにしては彩光が良すぎますし店舗スペースが片側にしかありません。温泉施設のホールかとも思ったのですが、そうでもないようです。よさげなティーセットを売っているのですが、ここで買う蛮勇はありません。片隅に巨大チェスセットがあります。

ガラディナー
ホテルに戻ってガラディナーです。成都ではパフォーマンスを見ながら火鍋でしたが、さすがにホテルでそんなイベントはありません。普通にディナーです。入ったところで盛装している面々がいるのに気付き、「ネクタイを締めるべきかな?」ハイキングルックの中国の一行から「お前はジオケミストだからな。俺たちはジオロジストだからこれが盛装だ」ええ、蝶ネクタイをしましたとも。シンメルマン夫人に「かっこいいよ」と言っていただきました。メインは…ごろんと鳥のブロック丸揚げ?七面鳥だったようですが、いや、七面鳥ってアメリカ産じゃあ…時々ヨーロッパの料理は背景がわからなくなります。後はビュッフェのようです。ジュゼッペが「これじゃガラディナーじゃないんじゃ?」とつぶやいているのが聞こえます。ガリップがまた何か持ち込んでいましたが、今日はただのナッツで問題ありませんでした。そして目の前にあるのはワインかと思ったのですが、グレープジュースと水?教授が「お酒をお代わり自由とはいかなかったので提案がある、各自お酒を自分で買うか、ちょっと特別な本を持ってきたのでオークションにかけて資金にするか」オークションということで、三冊あるうちのまず一冊目。中国とイタリアでユーロで競り合いますが中国の勝ち。30ユーロ。しかし2冊目は20ユーロでイタリア、3冊目は100ズロチェで私の手に。しかしでかくて重い本で、とりあえず部屋に置いてきます。途中で教授に会ったので、「間に合いそうですか?」と聞くと「まあ十分だろう」会場に戻ると、教授が「一人三回までお酒を注文できるから」しかしその前にオランダワインを持ち込んでるやつがいるんですが。そして教授もウォッカを持ってテーブルを回りだします。テーブルの面子と乾杯して(つまりウォッカをあけ)、周囲の「飲み物があいてるぞ、さっさともらってこい」という声に教授を追いかけると、ジュゼッペが「飲んでるな、でも俺はもうあんなに飲めないからな」別に勝負を挑む気なんかないよ。適当なところでハーディを探して、パソコンに入れたキノコの写真を鑑定してもらいます。曰く「食べられるね。バターとニンニクとコショウで炒めてトーストに載せて食べるとおいしいよ。」しばしフゥさんとカメラの話などに興じていると、音楽が変わります。シンメルマン夫人とジュゼッペから「お前の時間だ」はいはい。時々休憩しつつ、夜半までダンスパーティーに興じましたとも。夜半までで助かりましたけどね。ギリシャのお嬢さんがノリノリで踊っていました。一定の音楽がかかると列を作って練り歩く様式があるようで(前の人の肩に手をかけてつながるので「トレイン」と言っていましたね、これでスキップしたらジェンカです)、いつも思うのですが、ヨーロッパにも日本の青空系少年育成団体のような、夏休みあたりにキャンプを企画してダンスを教える組織があるのでしょうか。夜中に野外に集まって踊りまくるイベントがあるらしいとは聞いていますが。ジュゼッペが「中国人は誰も最後まで残らなかった」とコメントしていました。

■2017年09月25日(月)07:07  結局東京開催を引き受けることに
開催初日
これが実質的な開催初日になります。朝食は普通にビュッフェ。大量のイモは欧米諸国の朝食ビュッフェではおなじみです。ゴロンとマッシュルームが並んでいます。日本で普通の水煮缶どころではなく、たまにスーパーで売っている生のマッシュルームよりもさらに大きい、まさにゴロンという感じのマッシュルームです。内容としては甘味が、ポーランドっぽいかもしれません。この日はパイでした。

オープニング
朝食が終わるとオープニングです。挨拶の最中も電話が鳴る教授に全員苦笑。

午前のセッション
ラドン、炭酸ガスと穏当な内容の講演が続きます。自分の研究には絡んできそうにないのですが…そして休憩を挟んだ第2部の2本目、ハーディ・プファンツ、あんたはまたその手のネタか。「Mofettes as ancient gates to hell」毎回よくそういう面白系のネタを持ち込むものだと、もはや感心せざるを得ません。というか、誰だよ、この手のネタをオーラルで通してるの。いや、オーラルでないと面白くないけどさ。

昼食
昼食もビュッフェ、パスタに鳥のまる揚げ、忘れてはならないイモ、そしてスープ、デザートのカップ。今年のご飯は安全な当たりでよかったです。まあ、クルージュ、パトラスと安全な当たりは多いのですが。

東京開催
昼食時、ジュゼッペが「次回の開催引き受けの提案プレゼンはするんだよね」。ボスの説得に失敗したからダメと言っても、「なんでできないの?ともかくプレゼンはしてよ」の一点張り。一緒にいた他の日本人参加者と示し合わせて、とにかく私らの組織はホストを引き受けないから、他の研究者を説得してみるから時間をくれと主張しました。「明日朝までに返事をしてよ、こっちの都合もあるから」とのことで、とりあえず他の日本人参加者に心当たりの研究者に電話とメールをしてもらい、電話の方は玉砕でしたが、メールの方は「名前なら貸すよ」。正直あれを断れそうにないので、引き受けはするが次々回のほうが良いとの線で回答しました。しかし「いや、問題なのは次回だからさ、引き受けてくれた人が次々回と言ったわけ?」。「次回でも次々回でも、ともかくプレゼンをしてね。場所は東京にしようよ。」「いや、なんで東京?」「ほかの場所だと行くのが大変じゃない」「そうかなあ」「プレゼンについては明日の朝でもレビューするからさ」ということで、日本人で集まって企画会議をする羽目になりました。結局セッションの一部を聞き逃す羽目に。カリン・ブラウエルの「The role of mantle-derived gases with respect to the geodynamic situation in the western Eger Rift, Central Europe」聞きたかったなあ。

午後のセッション
地震に絡むガス物質の挙動の異常の話です。まず確実にヘリウムは絡められると思うのですが、長期観測に持ち込むとなると結構骨です。まあ、簡単にできるならやっていないはずがない面子ではありますしね。

夕食
普通にビュッフェでした。巨大な鳥のカツレツがそれっぽかったです。そして出ました包みパスタ。

ICGG15招致協議会
夕食後、開催地を決め(ホストの関係で東京にしました: 意外なことに、東京以外にしても海外からの国内線乗り継ぎによるコスト増や乗換の手間はさほど大きくないようです)、フィールドトリップの内容を決め、それから素材を検索で探し回ってスライドをでっち上げたわけですが、気分を切り替えるためにバーカウンターでビールを頼んで待っていたところ、ジュゼッペが「こっちに来て一緒に飲もうよ」…「あなたの宿題をやってるんだよ」それで理解はしたようでしたが、たぶんこっちの事情とかは分かる気もないのだろうなあ。ともかく日が変わるころまでに一通り仕上げました。

■2017年09月24日(日)07:27  3回も搭乗ゲートが変更されるのはいかがなものかと
外国の券売機は
クレカのスキャンしなおしのほかは素直にチェックアウトできて領収書ももらえたのですが、駅の券売機が札を受け付けないためにホテルに戻って両替をする羽目に。日本同様に普通に両替してもらえましたが、100クローネを20クローネに崩すような銀行でするべきことをしてもらえるかどうかはわかりません。券売機をクレカ決済しようとしたときPINがどうこうとデンマーク語で表示され、パニックしてしまったのですが、コインを入手してからよく見ると操作画面とは別にテンキーがあり、どうもそこで暗証番号を入力すればよかったのではないかと思います。

なぜあんなに変更されたのか
コペンハーゲン空港につき、チェックインはカウンターを間違えたものの無事できたのですが、まだ搭乗ゲート番号の記入がありませんでした。保安検査場を通って出発ロビーに入ったものの、座れる場所がかなり限られています。しかも、物価がバカ高い。空港のレストラン系は高くつくとはいえ、なんでサンドイッチとコーヒーに2000円も出さないといけないのか。両替所がそこら中にあり、そこで聞いた話では空港内の店はどうもUS$でも(おそらくユーロでも)受け付けてくれるようですが、フライドポテトどっさり付きとでもいうならともかく、$20-も取られたら癪なので、朝食はスムージーで済ませました。それでも1000円くらいするのですが。そんなことをしているうちに8時を過ぎて、いくらなんでもそろそろゲートが決まっているだろうと思ったら案内表示板に未だ記載がありません。結局9:30あたりでようやくB6ゲートと表示されたものの、B6ゲートに行ってみたらC4ゲートに変更されており(A-B系とC系は合流部で正反対に分かれています)、C4に行ってみると別の便が表示されており、その挙句C3ゲートに変更とのアナウンスが流れました。商社マン風のポーランド系と思しきおっちゃんと「なんか何度もゲートが変更されたけど」「何度も乗ってるけどこんなのは初めてだよ」と話しました。ともあれバスに乗って飛行機のところまで行き、搭乗です。

雲海がきれいでした
ヴロツワフ行きの便はかわいい感じのボンバルディアでした。満席とはとてもいかない感じです。まあ、欧州のコミューター便はこんなものです。曇っていたため高度が上がると雲海がきれいで、途中上下に雲がある状態になり、上下に日に照らされた雲海が広がりました。

ヴロツワフ空港
高知空港やクルージュナポカ空港レベルです。なぜか軍人さんがたくさんいました。昼食は売店でサンドイッチを買ったのですが、水と合わせて500円くらいかと。迎えの車に乗ってヴロツワフ大学に向かいます。

パノラマ館
出発の前々日に「コシューシコの反乱の戦場風景を描いたパノラマ博物館へのツアーがあるよ」というメールがあり、まあ、間に合わないんだろうなと思っていたのですが、先方で迎えの時間を調整してくれたようで、受付で名札を受け取った後パノラマ館へ。パノラマ館自体は18世紀末から19世紀の技法で、ホールの全周に風景画を張り巡らし、ジオラマと合わせて臨場感を出すものです。今ならさしづめVRということになります。現存するとは思いませんでした。日本語の解説もあります。その後市街を散策しつつ大学に戻ります。ドイツ南部の建築様式に近い気がするのですが、19世紀新古典派様式や共産主義様式のコンクリートビルが混じっており、違和感を禁じえませんでした。情景保存地区と思しき場所は、おそらく17-18世紀の南ドイツの建築様式です。ただしその建物にマクドナルドが入っていたりするわけで…クルージュに近い雰囲気を感じたので、クルージュの時のポーランドからの参加者に聞いてみたところ、「同じくドイツ系が作った街だからね」とのことでした。ユンペンさんがいたので「九寨溝の地震のニュースは驚いた」と話しかけました。「いやもう現地はひどいよ」とのことでした。

アイスブレーカー
なんかいささか少人数でのアイスブレーカーとなりました。学科の資料検索室っぽいところで、ケータリングでしたが、料理もお酒もおいしかったです。具入りの堤パスタが供されており、これもポーランド料理らしいのですが、中国人とイタリア人と、「これは餃子かラビオリだよね」「うん」覚悟してはいましたが、ユンペンさんから「次回の主催はどんな感じ?」。「申し訳ない、上司の説得に失敗しました」というと「そうか」と肩をぽんぽん。別拠点の同僚と話しているとジュゼッペが寄ってきて、「白ワインがいいぞ!」甘口の白ワインでした。ワインを手にひとしきり職場の不満で盛り上がります。少々アイスブレーカーにはふさわしくないのですが、まあ、よいでしょう。ワインのお代わりを取りに行ったところでスタンが「飲んでる?」フゥさんも来て「日本人でずっと話してるから近寄りがたくて」いや、申し訳ない「同じ研究機関で、離れたところにいるから、職場の不満で盛り上がってしまって」「ああ、そういうことあるね」今回の旅程の話をしていて、フゥさんは学会のはしごでかれこれ1週間くらい旅続きとのこと。この後もノルウェイなど回ってから帰るそうで。一か月くらい台湾を留守にするそうです。そろそろそういう旅行もやってみたいのですが、これといった用もないのに相手の職場を訪問するのは申し訳ない気がするし、かといって共同研究の打ち合わせならメールで済むし、サンプルをいじるとなると滞在一週間ではすみません。

歓迎公演会
アイスブレーカー後ホテルへ移動と思っていたのですが、荷物を持ちだそうとしたら止められました。コンサートがあるからというのでぞろぞろと移動。聖エリザベス教会合唱隊による歓迎合唱コンサートを企画してあったようで(いや、だからなんでみんなそんなに力が入る?)、ポーランドの庶民音楽、教会音楽など取り混ぜて12曲歌っていただきました。合唱団主催の方はかつてヴロツワフ工科大学鉱山学部合唱団に関わり、「学部合唱団活動史: 1970-1983」という修士論文をものされたそうです。特にうまい方が二人ほどおり、教会の音響も素晴らしいものだったのですが、何せ合唱なので、全体のレベルがそれなりに上手な民間合唱団になってしまうのは仕方がないでしょう。合唱でなく協奏曲風のアレンジだとまた違ったかなという気がします。多少雨に降られつつも大学に戻ります。旧市街のこの辺りは治安は悪くないようです。

ホテルへ
会場のホテルへ向かいますが、数時間バスに揺られます。ホテルは山岳スポーツリゾート系のようで、ホテルのサイトにもスキーがどうとか書いてあります。チェコ国境も間近な山の中腹です。ちなみにサードサーキュラーには「ホテルにプールがあるから水着を持ってくるといいよ」と書いてあったのですが、正直入る暇があるとは思えず(そういえばクルージュの時もプールがあったなあ)、用意しませんでした。これが伏線になっているとはまさか思わなかったのですが…ホテルでは、私の英語では微妙に通じませんでした。相手の英語も少々ポーランド語訛りが強く、聞き取りにくいです。部屋はダブルルーム、調度はクラシック系です。冷蔵庫がありましたが、なぜかヘアドライヤーがありません。コンセントはベッドの近く、窓際と、入り口近くのサイドテーブルのある壁です。クローゼットの棚がいささか高く、入れるのに苦労しました。無線LANは、フロントでアカウントのメモをもらい、接続しようとしたところ、APが表示されません。iPadは素直につながったため、一度パソコンを再起動したところ、問題なくつながりました。

■2017年09月23日(土)04:01  コペンハーゲン・・・きれいですがやはり物価は高めかと
スカンジナビア航空
ともかくセントレアで無事チェックインを済ませ、預け荷物もコペンハーゲンまで通しで受け付けてもらい(ヴロツワフまででなくていいのかとは言われましたが)、成田からもほぼ迷うことなく乗り継ぎできました。成田行き便の到着が遅れたとかで、コペンハーゲン行きは15分ほど遅れましたが。スカンジナビア航空は機材はきれいでした。ウェルカムミネラルウォーターが席にあったのも初めてです。ものがクリスタルガイザーだったのは少々減点ですが、まあありではあるでしょう。フライトミールはなぜかチキン一択で(客によってはビーフかチキンかと聞かれていたようなのですが)、ソースとこれでもかというほど入っていたマッシュポテトはよかったものの、チキンの具合は少々問題がありました。パサついていたので、火の通し具合に問題があるのではないかと思います。ホットディッシュのつく最初の回だけビールかワインがサービスで、ビールはカールスバーグでした。好きですよ、カールスバーグ。お代わり自由だったのか、単にミールが配られる前に飲み切ってしまっていて不憫と思われたのか、もう一缶もらえました。有料のクラフトビールがIPAらしいのは、アメリカよここまで来るかというのが正直なところです。ソフトドリンクでは、トマトジュースがおすすめです。普通にカゴメのトマトジュースパック入りですが、ソフトドリンクが甘いものかいささかアメリカンな緑茶、紅茶、コーヒーなので、割とまともなパンに合う飲み物がビール以外ではこれです(ワインももしかしたら合ったのかもしれませんが)。有料のスパイシートマトジュースというのも気になったのですが、試す機会を逸しました。サラダは日本クオリティでした。どちらかというと軽食で出たサンドイッチが北欧風味でしたね。

コペンハーゲン
空港は、ミュンヘンに近い感じです。木材をいろいろと使ってあるところがそれらしいかもしれません。バッゲージピックアップのコンベアで流れていた広告でノキアの携帯電話の宣伝があって、懐かしく思ったのですが、さすがにデューティーフリーで買っても意味がありません。DSB線に出る出口を探すのに手間取りました。素直にS-Togとでも書いておいてくれればいいものを、1番ホームマール方面と2番ホームヘルシングオア・コペンハーゲン中央駅方面とか書いてあるからとっさに見逃します。DSB線ヘルシングオア行きは、英語でもアナウンスが流れます。ドアボタンの感度というか操作のタイミングをつかむのに少々手間取りました。お年寄りの大荷物をすかさず手助けした若手に好感が持てました。コペンハーゲン中央駅の手前で二駅飛ばしてくれまして、駅の数だと合わないけどどうも中央駅っぽいと気づいて、そのあとはアナウンスで判別できました。降りた駅はオスターポルトですが、少々聞き取りにくかったです。もっともその前のノッレポルトは明確に聞き取れたので、問題はありませんでしたが。ホテルオスターポルトは、駅から徒歩一分というか駅から出て横断歩道を渡るだけという好立地、客室の前を列車が走っていきます。「For ease sleepers with complements from Hotel Osterport」と銘打って耳栓が置いてあったのは、工夫なのか洒落なのか判断しがたいですね。客室棟はいささかミニマリズムというかスパルタンというか、日本のビジネスホテルに比べてもシンプルです。ただしバスタブはあります。無線LAN完備です。SMTPはサーバーにはねられたようですが、公衆無線LANからではしかたないでしょう。無線LANの認証画面がデンマーク語ですが、なんとなくわかるので問題ありません。コペンハーゲンの物価は、基本的には高い気がします。少なくとも東京と同レベルです。イセエビのグリルに新鮮ですが本当に生野菜を切っただけのサラダと山ほどのフライドポテトがついてビール500mlをつけて360クローネはまあ、そういう店なんでしょう。手ごろな店はあるものと思います。が、まともに外食しようと思ったら100クローネは覚悟しないといけないのではないでしょうか。ドリンクだけで30クローネはいきます。ビールはフルーティで、好感が持てました。港沿いの要塞を公園にしてありまして、3時間くらいのんびり散策するにはちょうど良いのではないでしょうか。この公園の一角に、人魚姫の像があります。どうも今でも要塞自体は軍の設備のようで、建物の一角に要塞司令事務室とあったのを見て洒落の一種かと思ったのですが、軍人さんが国旗の掲揚と降納を行っているようで、降納の準備をしているところに居合わせました。19:05あたりに砲声がしたので、それに合わせて降納しているのでしょう。曇りの日の夕方の散策となりましたが、晴れた朝の散策も悪くなさそうです。要塞の濠で釣りをしているおっちゃんがいるくらいには普通に公園で、要塞敷地内の建物も含めてポップな色遣いの建物が目を引きます。一方で普通に地味な色遣いの英国国教会の教会堂などもありまして、噴水との対比が良いです。デンマークで恐ろしいのは、暗闇を無灯火運転の自転車が突っ走ってくることです。これで主要道路くらい照明があれば見えるのですが、公園の中は日が落ちてしまうと直前までわかりません。日本であれをやったら、確実に整備不良で警官のお咎めを受けます。治安が悪い感じはしませんでしたが(夜のサンフランシスコの雰囲気の悪さや日本の繁華街の雰囲気に比べればよほどましです)、柵もなく水路につながっている点と無灯火自転車は危険ですので、フマホでもタブレットでもペンライトでもいいので、足元を照らし、自分の位置を知らせる機材は持っていた方がよいです。

■2017年09月22日(金)15:34  セントレアはなんで不便なんでしょうね
セントレアに行くのも成田に行くのも似たようなもの?
明日からデンマーク経由でポーランドに出かけるのですが、航空券の手配の際にセントレア発で経路を検索したところ、成田経由のほうが安いという結果が出ました。しかし、成田で所定便に乗り継ぐためにはセントレア発7:40の便に乗らなければならず、結局空港の近所で前泊となります。できるだけ早く出発したとしても、セントレアにつくのは20:30。辛うじてコンビニと両替くらいは開いているのでしょうかね。一方成田まで列車で移動すると、交通費はかかりますが成田市への到着は23時。泊まるだけと考えればさして違いがありません。コペンハーゲン行の出発時刻は昼前ですから、よほど余裕を持って行動できます。もちろん交通費と宿泊費を合計してもセントレアで泊まった方が安いのですが、行動上の不便に正直うんざりです。せめて預け荷物を航空会社の方で積み替えてくれるとよいのですが。

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